「──
……わかった?」
目が覚めたらいつもの私の部屋で、嫌なことは全部夢で、ああ変な悪夢だったな今日はいいことあるといいな──ならどれだけ良かっただろう。まだちょっと湿った靴下、ローファーには水分を感じるし、頭痛も酷い。様々な不快さが、さっきの出来事が現実に起こったのだと証明している。どのくらいここに横たわっていたのか、背中やおしりが痛む。床はひんやり冷たくて、壁も天井も鉄板打ちっぱなしの無機質な閉鎖空間。その廊下と思わしき場所で私を覗き込んでくる人は「わかった?」と理解の有無を尋ねてくる。わかるもなにも、何が?が私が出てくる答えなのだが、質問に質問で返すのはどうかと思い、ぼんやりとした意識のまま、
「
……わ、からない
……」
と答えた。何か機械的な音声が聞こえた気がしないでもないが、頭がまだ混乱している。今朝の星占いは最下位で、妹が寝坊して、雨が降っていて──。思い出すと頭のてっぺんからつま先までがゾワゾワと気持ち悪くなって、全身が硬直した。手にズキン鈍く鋭い痛みを遅れて感知し、リュックサックの紐を握ったまま手のひらに爪の痕が強く残っていることに気がつく。これは内出血を起こしているだろう。
「だよねぇ。あたしも何が何だか
……とりあえず起きられる?」
グレーの髪と、インナーカラーの青が鮮やかな、見た目からわかる典型的なギャル。多分いいブランドの香水がふわっと鼻をくすぐる。まつ毛が1本1本綺麗、素敵な泣きぼくろ。手を差し伸べられて、ネイルすら綺麗な指先に、もし自分が異性なら絶対ドキッとしてたに違いない。
「あちゃ、手のひらヤバ。痛そー
……」
爪の痕がくっきりな手のひらを見て驚いたその人は、膝をついて肩を支えてくれた。手に触れたら痛むだろうという気遣いに気付いて、心の警戒度が少し下がる。
◆生体認証を行います しばらくお待ちください
◆データ照会 申請 承認 ID確認中
「うわっ
……!(び、っくりした
……)」
ポーン、と電子音が鳴って一緒に聞こえたのは機械の音声だった。ビクッと肩が飛び跳ねたが、支えてくれる人が恐れる様子もなく耳を傾けているので、つられて聞く姿勢になっていた。
◆生体認証成功
国民ID:EF00608D_N13FJ 天音 光希 様
国民ID:IFA7D28D_N12FJ 綴目 和歌子 様
過去データベースに有害記録なし
健康状態スキャン 良好
心身ともに問題ありません
ラプラスの定義する「市民」に認定
「わかる? このらぷらすとか言うの。あたし知らなくて」
「
……子供の頃似たような物は、でもこれは初めてかも」
この電子音声に害意は無さそうで、落ち着いた女性を模した声は私と、おそらく隣にいる彼女の名前を読み上げた。このような電子音が喋るシステムは、幼少期過ごしていた避難シェルターにも備え付けがあった。呼び名は「らぷらす」では無かったが。
◆おはようございます。
東部地下研究施設第8シェルターへようこそお越しくださいました。
◆私は市民の皆様の安全で快適な生活を
サポートする人工知能AI《アルターエゴ:ラプラスβ》。
ラプラスとお呼びくださいませ。
◆ラプラスは市民の皆様の生活を保障いたします。
「(アルターエゴ、そうそれだ。子供の頃いた避難シェルターのセキュリティを管理してたAI。可愛い顔のアルターエゴ)」
「ラプラスべーた? めちゃくちゃ喋るよね。さっき起きる前もずーっと何か説明してたよ。何も理解できんかったけどね」
アルターエゴ。かつての「絶望テレビ」で開発された、自立思考が可能なAI。人工的知能を搭載し、人々と語り、最適な回答を行う天才の結晶。
Alter Ego、
小さな天才は限られた環境、開発に適さない旧型ノートパソコンという最悪の状態で叡智を振り絞った。彼の活躍が無ければ超高校級の希望はペシャンコになっていたし、絶望のカリスマツインテールは世に放たれ、世界丸ごと飲み込んでも足りない程の最低で最悪な絶望を叩きつけていたことだろう。人類復興を掲げ立ち上がった希望たちの傍には、旧友が遺した
アルターエゴがいたそうだ。
民間施設にも導入されるようになったアルターエゴは、私が幼少期過ごした避難シェルターの出入口や搬入口、いろんなセキュリティを守るAIだった。画面の中にいる小さな男の子──当時は女の子だと思っていたけれど──は、声をかけるとこちらに向かって微笑んだ。相応しい姿を模すアルターエゴは、時には可憐な男の子、またある時は成人女性や喋る猫、ニコちゃんマークなど、人々を安心させる形態を取ると聞く。
「ねえ、あたしらなんでここにいるの? ラプラス?が何かしたの?」
◆当施設入居前の行動記録はプライバシー保護のため
確認及び、お答えすることはできかねます。
空間に向かって話しかけると、ラプラスから返答が来た。会話が成立するらしい、と彼女と目線を交わす。
「か、
……い、家に帰らせてくれますか」
◆申し訳ございませんが、
絶望の残党対策規定上回答を差し控えさせていただきます。
「ラプラスはどこにいるの? パソコン? どっかから見てんの?」
◆申し訳ございませんが、
保安上それにお答えすることはできかねます。
市民の皆様のプライバシーを保護した上で、
安全で快適な生活のサポートを行います。
◆市民の皆様におかれましては、
ラプラスの提示する《校則》を遵守いただきますよう
よろしくお願い申し上げます。
◆《校則》を遵守いただけない方
《絶望の残党》と認められた方は
ラプラスの定義する「市民」から除外されます。
予めご了承くださいませ。
まだ頭が混乱しているらしく、ラプラスの音声の殆どが頭に入らず抜けていく感覚がする。そんなザル状態の頭でも引っかかった言葉──絶望の残党。
オマエ は キボウ ですか ?
「
綴りん? どしたん?」
「へ
……?」
「綴目和歌子ちゃん、だから綴りん。で、どした? めっちゃ震えてる」
自分のことだと認識できなかったが、早速あだ名で呼ばれているようだ。そんなことどうでもよくて、
「ぜ、つぼうの残党! 私、さっきショッピングモールで絶望の残党に囲まれて、それで、多分気を失ってここに
……」
よっぽど怖かったのか、思い出して恐怖心がムクムクと体内を圧迫する。気道を締め付けられてる気がして呼吸が浅くなり頭がクラクラしてきた。絶望の残党、犯罪者。ただでさえ恐ろしい存在だというのに、自分に与えられてしまった肩書きのせいで更に身の危険度が上がってしまう。それが恐怖心を助長したのだろう。
「え、それガチ? あたしも
……駅ん中歩いてたら四方八方だよ? 死んだかと思ったし、わけわかんないもん」
◆現在、当施設における絶望の残党反応はありません。
安心してお過ごしくださいませ。
「
……だってさ。行こう、いつまでも地べたはしんどいわ」
ひとりぼっちなら、怖くて震えて蹲って動けなかったかも。ほら、と支えられて立ち上がる。自分の足に力を入れて、ちゃんと踏ん張ったら案外自立するもので。
人に迷惑を掛けたくない。ちゃんとしたい。もしここに居るのが妹なら、泣いたり怒ったり、子供みたいにそのまま感情を外に出して周りを困らせていただろう。困らせているということに気付きもせず。そういう妹の前を歩いてきた人生なので、誰に言われるでもなく背筋が伸びる。どれだけ億劫でも、気持ち悪くても、逃げ出したくても、自分で立って歩かなければならない。
「ごめん、ありがとう」
「お礼は嬉しいけど、謝られる事されてないし。
……これ、どっち行ったらいいんだろね? ねーラプラス!」
◆ご自由にお過ごしくださいませ。
「そこは教えてくれんのかい」
カラカラと笑う、お日様みたいな人だと思った。私はどちらかと言うと大人しい部類──教室で大きな声で笑ったり、前に出て人を先導したり、目立つ行為はしない、したくない──なので、彼女のような人は所謂「よっ友」程度の関係性がほとんどだ。グループが違う、と表現すれば伝わりやすいかもしれない。
「地下って言ってたよね
……やっぱり圏外」
「マジか。あたしの充電無い。ケータイ使えるには使えるんね」
「あ、私モバイルバッテリーあるよ。差し込み口合うかな?」
「綴りん天才! かたじけない! ありがと!」
心配性で石橋は叩くし備えあれば憂いなし。荷物はどんどん多くなるタイプの人間だ。ポケットティッシュや絆創膏、市販の頭痛薬、ハンドクリームなどなど、ポーチは人より少し大きく、有事の際役に立つ御守りとなっている。
高校1年の頃、化学教師兼副担任のスーツのボタンがほつれて取れてしまったことがあった。普段なら特に問題はなかったのだが、その日は教育委員会の視察があった。化学の授業は5分後。家庭科室へ裁縫セットを借りに行くのは間に合わない。私でよければ、とポーチから取り出したのはソーイングセット。その日以来、教師の間でも「お母さんキャラ」が定着した不名誉な事件であった。閑話休題。
「ほんとだ、圏外。助かった〜綴りんありがとね、ケータイの充電ないと落ち着かないわ。
……あ、行き止まりだ。戻ろっか」
絶望の残党に襲われて、目が覚めたら謎の地下シェルターにいた。どう足掻いても事件に巻き込まれた確定の状況で、平然を保てているのは、彼女が緊張を解してくれているからだろう。そういえば、こうして少し落ち着きを取り戻してからまじまじと顔を見るのは初めて。ぼんやりとした既視感。後ちょっとで出てきそうなクシャミみたいなむず痒さが私の眉間に皺を寄せた。
「ん? どした?」
「いや
……その、天音さん、どこかで会ったっけ
……?」
「ナンパだ!?」
「違う」
「口説き文句だ!?」
「違う!」
「素早いツッコミどーも。それはね〜多分、綴りんがあたしのこと知ってくれてるんだと思うよ? ──これでどう?」
綺麗にセットされた前髪をかきあげて見える、ニキビやシミひとつない綺麗なおデコ。前髪があったから気付かなかった。可愛いキャラクターのヘアバンダナや前髪クリップがトレードマークで、動画の中だと殆どがそのおデコスタイルなのだから。
「
Utuberの
NEMIちゃん!?」
「そ! 気付かなかった?」
「メイクしてるとこがよく流れてたから
……」
現役女子高生Utuber、NEMIちゃん。Vlogや雑談配信など幅広く活動しており「NEMIちゃんの毎日メイク」の動画再生数はSNSでも話題になるほどだ。歯に衣着せぬ表現と共感力の高さが人気の根底にあり「好きなUtuberランキング」を破竹の勢いで駆け上がっている。そんな彼女に贈られたのは、金色の盾と、超高校級のインフルエンサーという肩書きだった。
「あの、今言うことじゃないと思うけど
……NEMIちゃんの動画に出てたスクラブリップめちゃくちゃよくて。唇カサカサになるの悩みだったから、毎晩塗ってるよ。ありがとう」
「ほんと! え〜嬉しい! フツーに薬局で買えちゃうのがポイント高いよね。あたしも冬は唇割れちゃうからさ、結構色々試して辿り着いたの」
有名人、しかも人気者で、間違いなく普通に生きてて関わる事のないタイプの人種、所謂陽キャさんと普通に喋れてしまっている。動画と同じように、NEMIちゃんは強く真っ直ぐで、優しく思いやりに溢れた太陽のような人なのだろう。私も女子の端くれ、NEMIちゃんの動画は話題になるし見たこともある。バズってたリップのおかげで唇の皮がボロボロになりにくくなったお礼を伝えると、NEMIちゃんは誇らしげに、お日様のような暖かい笑みを浮かべた。眩しい
……。
「どした綴りん、顔がシワシワだよ」
「ま、眩しくてつい」
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