史加
2026-03-18 11:03:19
24073文字
Public 原神(その他)
 

The Lightkeeper Does not Believe in XXXX.

フリンズ+ナド・クライキャラ中心本Web再録


無理強いで愛は得られない




 ファデュイが建設したクーヴァキ実験設計局のあるパハ島は、その巨大な鉄と技術力の塊が与える物々しい雰囲気のせいか、ヒーシ島と比べると生き物の気配が薄く、見る者に荒涼とした印象を与える。吹きつける風は冬の気配を濃く纏っていて冷たく、植生も豊かではないため、棲みついている野生動物の数も少ない。ラウマの下を訪れる動物たちからもこの島の話をあまり耳にすることがないのは、彼らの求めるものがここにはほとんど無いからだろう。
 ラウマにとって動物たちは親しき友人であり、ときに自分の目や手足の代わりとなってくれる頼もしい存在だ。霜月の里からなかなか離れられないときでも、彼らを通して他の島やナシャタウンの情報を得ることが出来る。しかしそれも万全ではなく、自らの足で歩いて見聞きしなければ理解出来ないことや得られない情報も多い。以前より疑問に思っていることの答えもきっとそのひとつに該当するもので、おそらく踏み込むのなら今が好機だろう。ゆえに詠月使として取り急ぎ片付けなければならない用を済ませて時間を作り、ラウマはパハ島東部に広がる、クーヴァキに満ちた赤い砂浜を訪れていた。
 クリムゾン・ソルトマーシュと呼ばれるこの一帯にはかつてクーヴァキを操ることの出来る特殊なクラゲが数多く生息していたとラウマは記憶している。しかし今はその影も形もなく、代わりにファデュイの得体の知れない実験施設や装置が点々と存在するばかりだ。今はどの装置も稼働を停止していて、ファデュイの姿も見当たらないが、ここで彼らが何らかの実験をおこない、元々生息していた生き物たちを害したことは想像に難くない。何の罪もない生き物の命が軽々しく扱われたことを思うと胸の奥がしくりと痛む。しかし真実を解き明かすだけの時間はラウマにはなかったし、今はそれ以上に捨て置いてはならない問題がこのナド・クライに降りかかっている状況だ。ラウマは遠くに見える灯台の輝きを目指して歩を進めた。
 ファデュイ、霜月の子、ライトキーパー、ヴォイニッチ商会、モンドの西風騎士団など様々な勢力の集うナド・クライの情勢は目まぐるしく変化している。法の下に人々を統率する絶対的な存在のいない辺境の地は、ただでさえ物騒なところが目立つというのに、月の狩人の出現によって人々の不安はいっそう煽られやすくなってしまった。今はそこらじゅうを巡る糸がぴんと張り詰めて、かつてないほどに緊迫した状態となっている。
 不幸中の幸いと言えるのは、月の狩人の一件の後、ファデュイによる霜月の子への牽制や、許可のない立ち入りといった侵略行為の数々が少し減ったことだろうか。旅人いわく、あの罪人との戦いの際に執行官のひとりである「傀儡」が戦場に立ったことが関わっているのではないか、とのことだ。
より凶悪で強大な、共通の敵が目の前に現れたとき、それまで競い合っていた人々がたとえ一時的であろうとも手を取り合うというのは、叙事詩の中だけの出来事ではないらしい。それを今、ラウマはひしひしと感じ取っている。だからこそ揃えるべき足並みを揃えるため、今のうちに行動しなければならないと、こうしてはるばるパハ島まで赴いている。
……うむ?」
 クリムゾン・ソルトマーシュを抜けて夜明かしの墓へと続く浜辺に差し掛かったところで、不意にラウマの意識を何かが掠めた。耳をそばだてると、くぅん、と弱々しい鳴き声が聞こえてくる。
 周囲を見回し、声のする方へと歩いていくと、赤い砂山と機材の影に蹲っている一匹の犬がいた。元々は白いものと思われる毛並みはあちこち薄汚れて灰色がかっており、他の島で見る犬たちと比べて痩せ細っている。ラウマの存在に気付いた彼ははたりと力なくしっぽを揺らしてひと鳴きしたあと、物欲しそうな目を向けてきた。
 きっと動物の言葉が分からぬ者でもこの犬の言いたいことはすぐに理解出来るだろう。見るからに飢えている犬を助けないという選択肢はなく、ラウマは手持ちの袋の中から甘く熟した果物を取り出して身を屈める。丸ごとでは食べにくいだろうと半分に割った果実の片割れを、腹を空かせている犬の口元へと差し出した。
「ほら、これを食べると良い。今朝採ったばかりの新鮮なものだ」
 優しく語りかけると、犬は無言でラウマの差し出した果物に齧り付いた。よっぽど腹が減っていたのだろう。あっという間に手の中の果実は犬の胃袋へと消えていき、少しばかり元気を取り戻した彼はしっぽを振ってもっと欲しいと強請ってくる。ラウマはもう半分の果物も惜しむことなく差し出し、手ずから与えてやった。
 ぺろりとひとつの果実をたいらげた犬は、輝きを取り戻した目でラウマを見上げ、くうくうと甘えるように鳴く。
「まだ食べ足りない? なら、これも食べて良いぞ。……ジャーキーはないのか? すまない。肉は持っていないのだ」
 袋の中から果物をもうひとつ取り出して半分に割り、同じように食べさせ、要望に応えられないことを詫びながらも、ラウマは目の前の犬のことを不思議に思った。
 野良というにはひとから食べ物を与えられることに慣れているのだ。動物の言葉がわかるからこそ、人間に慣れている動物とそうでない動物の違いは明白に感じ取れる。自ら狩りをして食糧を調達することに慣れている野生動物なら、どれほど自分が飢えていて、ラウマという動物の言葉がわかる人間を相手にしたとしても、特定の食べ物を強請ったり、人間の手から直接食べ物を食べたりはしない。しかし彼はひとから食べ物をもらったことがあるようで、ラウマを警戒するでもなく果実を与えられるままに食べたし、野生動物なら知るはずもない加工肉を欲しがった。
 そうなると彼は誰かの飼い犬であるか、あるいは飼い主に捨てられてここにいる可能性が考えられる。首輪をしていないので濃厚なのは後者だろうか。この辺りにいる誰かが餌付けをしている可能性も考えられないことはないが、ここはクーヴァキ実験設計局からも少し離れた場所にあるため、粗暴なファデュイの兵士どもがわざわざ足を運んでまで犬に餌付けをするとは思えない。この近くに住んでいる人間にもうひとり心当たりはあるものの、あの紳士的な男が興味本位で犬に餌付けをしたり、犬をペットとして飼ったりすることが出来るとは到底思えなかった。
 その人物こそがラウマの抱える疑問点のひとつであり、今日こうして夜明かしの墓を目指す理由そのものだからである。
「おや」
 不意にラウマの手から果物を食べていた犬のしっぽがぱたりと下がった。
「あなたがここにいらっしゃるのは珍しいですね。何か探しものでしょうか?」
 背後より響く声にラウマは立ち上がり、振り返る。まだ明るい昼の時間でも青い炎の灯るランプを腰に提げているライトキーパーの姿を確かめて、ああ、と頷いた。
「そなたに用があったのだ」
「僕に……ですか?」
 ぱち、と瞬きをして少し驚いたような表情を見せる男だが、その佇まいにまで動揺が及ぶことはない。話術に長けた実力者の振る舞いである。
 キリル・チュードミロヴィッチ・フリンズと名乗る男は、掴みどころのない存在だ。彼と出会い、言葉を交わしたことのある者は皆口を揃えて、物腰やわらかな紳士の振る舞いと誠実さに感心し、微笑みの奥に隠されている底知れない哀しみに同情を示す。先日の一件で彼と行動を共にしていた旅人は、ただ名前が長いだけなのだと何かを誤魔化すように言っていた。ナド・クライの地を守るライトキーパーたちも、彼のことは変わり者で単独行動も多いが、その戦いっぷりは洗練されていて頼りになる仲間であるのだと話す。噂を聞く限りでは善良な人物のように思えるが、一方で動物たちが恐怖を示す謎めいた存在である彼のことを、ラウマはもう少し深く知っておきたいと考えていた。
 ナド・クライの現状を鑑みると、きっとこれからもライトキーパーたちと協力する場面は増えていくだろう。フリンズという実力者が味方してくれるのは心強いことだが、たとえば旅人が不在の状況で彼と連携を取るとき、動物たちに言伝を頼むにも彼らが怯えてしまっては上手くいかない可能性がある。そういったとき、ラウマは自らの言葉で彼らの警戒を解いてやらなければならない。それにここへ向かう前にナシャタウンで気になる話も耳にしたのだ。だから何も迷うことはないと、ラウマは口を開いて用件を話す。
「このところ、ナシャタウンでそなたの姿を久しく見ていないとライトキーパーたちが話しておるのを聞いた。最後に見たのはアイノの授業を受けているところで、巡回の時に偶然会うことはあっても、街ではほとんど姿を見ないと。だから少し気になって様子を見に来たのだ」
 語ったことはすべて真実だ。今回の一件で大きな打撃を受けたライトキーパーは、まだ内部の混乱が落ち着いていないようで、忙しなく動き回っている姿を毎日のように目にする。彼らはナド・クライに定着する人々の中でも誠実で、揺るぎない誓いを胸に戦う者たちだ。一人ひとりの実力に不足はなく、喧騒の絶えないナド・クライに存在する勢力の中では群を抜いて善良かつ信頼出来る者たちであると言える。誰もが疲労の色を濃くしながらも互いを気遣い合い、この窮地を乗り越えようとしている姿を見て、ラウマも何か力になれることはないだろうかと思い、ナシャタウンを訪れては新鮮な果物や野菜の差し入れをするようにしていた。
 そんな中であるとき、彼らのうちのひとりがフリンズという同僚のことを案じる声を聞いた。ただでさえ街に現れる頻度の少ない彼が、ここのところは更に姿を見せなくなったのだという。もしかしたらスーシの一件を気に病み、ひとりで無理をしているのではないかと噂をする者は日を追うごとに増えていき、やがては通りすがったラウマにフリンズを見ていないかと尋ねてくる者や、もし見かけたら食べ物を差し入れてやって欲しいと頼んでくる者まで出てくるようになった。
 同僚であるライトキーパーたちにこれほどまで気にかけられるような人間が邪悪な存在だとは到底思えない。だからこそラウマはますます動物たちが彼を恐れる理由がわからず、彼ともう少し言葉を交わす必要があると感じた。秘め事を無理に暴くつもりはないが、ラウマ自身が感じたことを動物たちに伝えれば彼らも必要以上に怖がったりはしなくなるはずだし、もし今困っていることがあってひとりで無謀を冒そうとしているのであれば、それを見過ごしたくはなかった。
 ラウマの言葉を受けたフリンズが、顎に手を添えて何やら考え込む素振りを見せる。その手を覆う手套はずいぶんと使い込まれているのだろう。指の関節の動きに合わせて皺が深く寄り、あちこちについている擦過痕が目立って見えた。
「ああ……そういえば久しく街に降りていませんでしたね。今ライトキーパーは人手不足で上手く回っていないところがありまして、そのしわ寄せが僕にも回ってきているんです。といってもこの通り怪我を負ったり、体調を崩したりはしていませんし、きちんと休息も取っていますのでご安心を」
「そうか……それならいいのだが、もし私に手伝えることがあれば遠慮なく言うと良い」
「お心遣い感謝します。同僚たちにも次に報告書を提出しに行くときに声をかけるとしましょう。また濡れ衣を着せられてもいけませんからね」
「ああ、そうしてやるといい。みな、そなたのことを案じていたぞ」
 飾り気のない言葉でそう伝えると、フリンズは目を伏せる。雲が月を覆うように、夜色の長いまつ毛が黄玉のひとみの上に影を作り、わずかにその色を暗くさせた。元々血色の悪い肌がさらに色を失っているように見えるのは、彼の表情と仕草のせいだろうか。それとも口先では問題ないと述べてみせたものの、ライトキーパーたちの案じる通り実際はひとりで無理をしているのだろうか。
 何か言葉をかけるべきかとラウマが迷ったとき、くぅん、と犬が鳴いた。ぺったりと伏せていた耳を持ち上げた彼が自らフリンズへと歩み寄っていき、その足元で立ち止まる。つぶらなひとみで男を見上げたあと、彼は細い声で鳴き、はたりとしっぽをひと振りした。
 ラウマの耳にはその鳴き声が雄弁な言葉として届く。
 ――ねえ、どこに行ってたの。しばらく見かけなかったから、今日は何も持ってきてないよ。
 ――次は骨を持ってくるから、また食べ物をくれる?
 
 どうやらこの犬に餌を与えていたのは、フリンズで間違いないらしい。
 俯きがちになっていたフリンズの視線がラウマへと向けられる。どこか困ったような顔は珍しい。もしかして動物が苦手なのだろうかと思ったが、だとしたら食料を分け与えたりはしないだろうとすぐにその推測を否定する。
「すみません、ラウマさん。この子はなんと?」
「ふむ……しばらくそなたの姿を見なかったから今日は何も持ってきていないと言っておる。あと、また骨を持ってきたら食べ物をくれるのかと」
「そうでしたか。それは悪いことをしてしまいましたね」
 フリンズ自身、心当たりはあるのだろう。申し訳なさそうな顔で薄汚れて痩せた犬を見下ろした。
「お気付きだと思いますが、僕はあまり動物に好かれないんです。この犬も僕の趣味を手伝ってくれる助手のようなもので、僕の求めるものを持ってきてくれたら食べ物を分け与えるという、等価交換をする相手に過ぎませんでした。僕が長く不在にしていたとしても、ここを離れて他の場所で食べ物を得る方法を見つけるだろうと思っていたのですが……
「この辺りにいるのはファデュイと魔物ばかりで、そなたのように食べ物を分け与えてくれる者は他にいなかったのだろう。他の土地へ移り住むにも、ワイルドハントが活発化していて動けなかったのかもしれぬ」
 この犬を見つけたときのことをラウマは思い返す。
動物たちは人間よりもはるかに勘が鋭い。外敵から身を守るように物陰に息をひそめていた彼はきっと、この辺りを徘徊する魔物やファデュイの気配を自分では太刀打ち出来ない脅威と認識したのだろう。下手に動けば彼らの餌食になりかねないからと、ラウマのような敵意のない人間が近くを通るか、フリンズが夜明かしの墓に戻ってくるのを待っていたに違いない。
「確かにそうかもしれません。しかし、そうなると困りましたね。状況が落ち着くまで僕のところで保護出来たら良いのでしょうが、生憎僕もまだしばらくはここを不在にしている時間が長くなりそうでして……
 助手と称した犬を気遣わしげに見つめたまま、フリンズは呟く。彼の言動からは動物に対する悪意を一切感じない。街の人々やライトキーパーの同僚たちに対するのと同じように紳士的で、警戒する必要はないように思える。
 やはり彼は信頼を置いていい人物だろう。相変わらず謎の多い存在ではあるが、彼の行動と振る舞いが身の潔白と誠実さを証明している。それさえ確かめることが出来れば、ラウマにとっては十分だった。
「なら、私がこの子を霜月の里へ連れ帰って面倒を見よう。それならそなたも自分の仕事に集中出来るし、この子が飢えてしまうこともない」
 胸に手を当てて申し出ると、フリンズはほっとしたような表情を浮かべた。
「ありがとうございます。そうしていただけると助かりますし、この子のためにもなるでしょう。どうかよろしくお願いします」
 仮にここでフリンズに会えなかったとしてもラウマはそうするつもりでいたが、こうも真っ直ぐとお礼を言われると改めて彼の真摯さに感心してしまう。
 こういう人物だから、ライトキーパーたちはフリンズという変わり者の同僚のことを気にかけずにはいられないのだろう。たとえ動物たちが本能的に彼から何かを感じ取り、怯えを示してしまうのだとしても、この紳士の誠実かつ高潔な誓いとともにある理性は、きっと罪なき者に刃を向けるような真似を許しはしない。自分自身にも、他人にも。
「すみませんが、そろそろ報告書を仕上げなければなりませんので、僕はこれで失礼します。この辺りのワイルドハントは鎮めましたが、お帰りの際はどうか気をつけてください」
 気付くと空高くにあったはずの太陽が傾き始めていた。恭しく一礼して踵を返したフリンズの背に、ラウマは言の葉を投げかける。
「もしこの子に会いたくなったらいつでも訪ねてくるとよい。霜月の子はそなたを歓迎しよう」
 フリンズは振り返らなかった。ただ、彼の腰に提げられているランプの中の炎の揺らめきが頷きであると、なぜだかラウマには分かった。



 霜月の里へと連れ帰った犬は、骨を見つけてくるのが得意な子だった。
 ヒーシ島のあちこちを走り回っては何らかの動物や魔物の骨を見つけて持ち帰ってくるので、彼に与えた寝床はあっという間に骨だらけになってしまった。見かねて木の箱を用意してやり、ここに骨を入れておくように伝えると、彼は大人しくラウマの言葉に従って箱の中を骨でいっぱいにした。
 それから少し時が経って、犬がいくつかの骨をくわえて出かけたあと、一日経っても帰ってこないことがあった。もしやどこかで魔物にでも襲われたのだろうかと心配になり、他の動物たちに探しに行かせようかとラウマが悩んだとき、霜月の里をあるライトキーパーが訪ねてくる。
「お久しぶりです。用意していた分では見返りとして足りないくらいにもらってしまいましたので、せめてもと思って送り届けにきました」
 そう述べる紳士の足元で行儀よくお座りをしている犬の口元からは、霜月の里ではあまり嗅ぐことのない肉の脂のにおいがした。