史加
2026-03-18 11:03:19
24073文字
Public 原神(その他)
 

The Lightkeeper Does not Believe in XXXX.

フリンズ+ナド・クライキャラ中心本Web再録


服に合わせて足を伸ばせ




 妖精には妖精のやり方があるように、人間には人間のやり方がある。ナシャタウンに設置されている対ワイルドハント用の兵器であるあの大砲は、その代表例のひとつと言えるだろう。
 機械工学というものはフリンズにとって難解だ。難解といってもそれは頭の良し悪し、すなわち元来持ち合わせている知能指数の差ではなく、種族の違いによるところが大きい。
 人間は自然界に存在する数多の形なきエネルギーを自分たちの手で扱えるようにするために、数式だなんだとよくわからないものを使い、目に見えるかたちのものに置き換えて利用する。しかし妖精はそんな小難しいことを考えなくてもそれらに触れ、操ることが簡単に出来てしまうのだ。それが当たり前だから、人間の生み出す機械とその仕組みについて理解しようという気にはなれないし、機械とはどうも相容れない。クーヴァキを用いる街灯を直す方法を習得することにすら白旗を上げてしまうくらいには、機械に対してはからっきしなのである。
 人間からしてみれば妖精語を学び、理解し、呪いの唱え方を会得するほうがはるかに難題であるのだろう。人間と妖精は比較的近しい種族であるものの、けっして同じではない。フリンズは人間のふりをして生きる日々の中で、二つの種族の間に横たわる違いの大きさをしかと感じ取っている。機械工学を用いなければ自然界の力を扱うことが出来ず、それもけっして自由自在ではなく制限や危険をともなう方法であるのを見て、人間とはなんて不便なのだろうと、憐憫すらなくただ淡白に思うことだってある。
 とにかくフリンズにとって出来る限り避けられるのなら避けたい物事のひとつが、人間に合っていて、妖精には合っていないやり方を学ぶのに時間を費やすことだった。しかしライトキーパーとして人の世に紛れて生きる身である以上、それらを完全に、完璧に避けて通ることは不可能である。
「アイノ、今日という今日は騙されないよ。イネファが作ってくれたクルムカケを食べてきたからお腹はいっぱいだし、昨日旅人とパイモンが他の国のお菓子とおもちゃを持ってきて、「これから一週間、誰からもプレゼントをもらわないって約束出来るならこれをあげる」って言ったから約束したんだ。この前旅人の友達がライアーを直したお礼にって珍しい部品をたくさんくれたし、ヤフォダはしばらく忙しくて遊びに来れないって言ってた。フリンズがどうにかしてアイノの気を引こうとしたってもう無駄なんだからね!」
……そうですか」
 カチャカチャ・クルムカケ工房の主である少女が、両手を腰に当てて頬をぷっくり膨らませるのを前に、フリンズはかすかな頭痛を覚えた。
 彼女の好みそうな甘いお菓子におもちゃ、もふもふとした動物、友人、そういったものを利用して巧みに気を逸らし、彼女の授業を躱した回数は片手では足りない。いつまでも逃げ続けられるわけではないと分かってはいたことだが、思いのほか早く退路を塞がれてしまったのは、先日のイネファとのやり取りを旅人に目撃されてしまったせいだろう。彼女は寛容な人物だが、あまり褒められない行為まで許してしまうような甘い人間ではない。たとえ友人だとしても良くないと思ったことにはきちんとそう言い、道を正そうとする誠実さを持ち合わせている。だからイネファにでも頼まれて、フリンズがアイノの授業をきちんと受けるよう根回しをしたに違いない。
 誠実な人間は好ましいが、身に降りかかる面倒を思うとなんとも言い難い気持ちになる。残念ながらフリンズは底抜けに善良な人間ではなく、人間側に混じって生きている妖精だ。かの同僚であれば罪悪感を覚えて大人しく授業を聞くか、そもそも逃げるような真似はしないのだろうが、フリンズは旅人のことを少しばかり恨みがましく思ってしまう。
「フリンズがアイノの授業を真剣に聞いてくれたら、きっと他のライトキーパーたちもアイノの授業を受けて、街灯を直せるようになるよ。詳しいことはわからないけど、今はアイノに連絡して、イネファが来るのを待ってるのも惜しいくらい忙しいんでしょ?」
 ひそやかなる懊悩には気付きもせず、アイノはすみれ色の丸いひとみを真っ直ぐとフリンズに向けて言い放った。
 その言葉も旅人たちの入れ知恵だろうか。それとも「天才」と呼ばれる彼女なりにここ最近のナシャタウンの喧騒の中から感じ取ったことなのだろうか。いずれにせよ、衣を着せていない指摘は、この期に及んでもまだ逃げ道がないかと模索していたフリンズの思考を止めるのに十分だった。
「ええ、それは否定しません。色々と事情があって、ナシャタウンにいるライトキーパーは皆仕事に追われています。なので街灯を直すのも自分たちで出来るようになったほうが良いのは確かです」
 先日月の狩人によりひと騒動起こったばかりだ。無法地帯の住民たちの不安を煽り、再度の混乱や暴動を招くようなことがあってはならないからと、なるべく表に出さぬよう努めているが、ライトキーパーは内部のごたつきがまだ落ち着いておらず、以前よりも連携が取りづらくなっている。
 かつてはスーシがまめにライトキーパーたちの話を聞き、情報を整理し、適切に人員を動かしていたため、人員の消耗や被害を最小に抑えつつワイルドハントに対処することが出来ていた。しかし信頼の置ける優秀な指示役を失った今、夜回りも、ワイルドハントの討伐も、個々の判断で臨機応変にこなさなければならない場面が増えて、以前より負傷者が出やすくなっている。誰かが動けなくなればその分のしわ寄せがほかの誰かにいき、その誰かの消耗が激しくなって、限界を迎えて……という悪循環の只中だ。
 なるべく時間のロスを避けて持ち回りの仕事を迅速に済ませ、手の回っていないところに力を貸さなければならない。そう思う一方で、その身に掲げる誓いと誠実さゆえに目の前の問題(壊れた街灯)を見て見ぬふりすることなど出来るはずもなく、焦燥と疲労を蓄積していっている。全体の仕事量と比べると街灯の修理を見届けるのに費やす時間は些末なものだが、現状を少しでも良くしていくためにライトキーパーたちが街灯の修理方法を習得するのは、けっして無駄なことではないと言えるだろう。
 スネージナヤには「服に合わせて足を伸ばせ」という言葉がある。自らに相応しい生活を送ることが大切だという意味のことわざだ。キリル・チュードミロヴィッチ・フリンズは今、「ライトキーパーのフリンズ」として、「人間」という身分で生きている。煌びやかな屋敷でカードや賭けに興じていた「妖精の貴族のキリル」はもういない。だから人間のやり方にも慣れていかなければならない――少なくともあの日再び燃え上がった蒼炎の尽きる日まで、「人間」のふりをして夜を照らす灯りを守り続けていくことを、今のフリンズは選んでいるのだから。
 腰に手を当てたまま、天才と呼ばれる少女がフリンズをじっと見上げている。ナシャタウンにいる人々との関わり合いがあまり得意ではないように見受けられる彼女も、先日の一件で何か思うところがあったのだろうか。あるいはその独特の感性で普通の人間とは異なるフリンズに何かを感じ取っているのだろうか。すみれ色のひとみが逸らされることはない。
 降参だ。フリンズは唇を緩めて微笑みを浮かべた。
……では、アイノさん。僕に授業をおこなっていただけますか」
 彼女の口から紡がれる難解な言葉は大河のように押し寄せて、瞬く間にフリンズを呑み込むだろう。縋れる藁もないが、人知れず大地に取り残されているランプを見つけたときのあの哀しみの冷たさに比べれば、彼女のもたらす知識の奔流はこの身を凍えさせるものではないはずだ。
「ただしあなたの言う通り、僕たちは今、自由に使える時間がほとんどありません。寝る間を惜しんで仕事をしている者もいます。なので出来れば二十分……欲を言うと十五分の授業で街灯の直し方を覚えられるようにしていただけると大変助かります」
 それでも、妖精は諦めが悪い。
 貴重な休憩時間を削って授業を受けることになる同僚たちを慮るような言葉で、やるなら手っ取り早く済ませたいという本心をそっと覆い隠す紳士に、少女は何も知らず「任せて!」と頷いたのだった。



「フリンズさん?」
 やわらかく落ち着きのある声に呼ばれて、フリンズは振り返った。かろうじてまだ光を灯してはいるものの明滅を繰り返し、今にも消えそうになっている街灯が、夕暮れ時の薄闇の中から現れた機械少女の輪郭をぼんやりと照らす。
「ああ、イネファさん。もしかして、ほかのライトキーパーから連絡を受けて来られたのでしょうか」
 彼女がやって来たのには心当たりがある。なのでまったく驚いた素振りは見せずに尋ねると、彼女は頷いた。
「はい。街灯が壊れているので修理をして欲しいと、別々のライトキーパーの方から連絡がありました。自分たちはまだアイノの授業を受けておらず、自力で街灯を直せないため、街灯のある場所で待っていると言われたのです。なのでカチャカチャ・クルムカケ工房から二つの地点の距離を算出し、最も効率の良いルートを策定して、第一目標地点であるここへ来ました」
「そうでしたか。では、ここは僕が直しておきますのでもうひとつの地点へ向かってください。ここにいたライトキーパーもすでに街へ帰していますので」
 フリンズの言葉に偽りはない。夕刻に差し掛かり、魔のものが活発に動き始める時間帯になったからと辺りを巡回していたら、壊れた街灯の前で立ち尽くしているライトキーパーと出会ったのだ。朝早くから潮印石の封印に異常がないかを見て回り、報告をしにナシャタウンへ戻ろうとしたところこの街灯を見つけたのだという。汚れの目立つ制服を纏い、顔にも疲労の色を濃く浮かべている同僚は見るからに休息が必要な状態だったので、さっさと街へ戻るよう促した。それがつい十分ほど前のことだった。
 もうひとつの地点で待っている同僚もきっと似たような状況だろう。イネファがすぐに向かってくれれば、残業をせずに帰路に着き、多少なりと休息を取るのに時間を割けるはずだ。そう思いながらフリンズは弱々しく光る街灯へと向き直る。 
「わかりました。すぐに向かいます」
 先日フリンズが真面目にアイノの授業を受けている姿を見ていたイネファも、任せて問題ないと判断したのだろう。一礼した後、もうひとつの地点へ向かう素振りを見せる。
 けれど彼女は足を止めたままだった。何か気掛かりなことでもあるのだろうかと、フリンズも街灯へと伸ばした手を下ろして、少しだけ身体を彼女のほうへと向ける。
 瞬間、機械特有の澄んだひとみと目が合った。無機質なようでいてそうではない、不思議な色を宿すそれがフリンズを真っ直ぐと見つめている。
「フリンズさんは街灯を直したら、そのまま夜回りに出られるのでしょうか?」
 投げかけられた問いに、フリンズは首肯した。
「ええ、そのつもりですが何か?」
「アイノが先日きちんと授業を受けてくれたお礼をしたいと言っていました。今日はお忙しいようなので、また今度お時間のあるときにカチャカチャ・クルムカケ工房へ来てください」
 伝えられた用件は少しばかり想定外のもので、わずかに目を瞠る。しかしフリンズはすぐに柔和な笑みを浮かべてイネファを見つめ返し、色の薄い唇を開いた。
「お礼だなんてとんでもない。アイノさんはたったの十五分で、機械に弱い僕でもわかるように街灯の修理方法を教えてくださいました。それに、他のライトキーパーたちにも同じように授業をしてくださっていると聞いています。全く同じ内容を繰り返し人に教えるのは大変なことでしょう。むしろお礼の品を持って伺うべきはこちらなのですから、どうかお気遣いなく。落ち着いたらお菓子を持っていきますので、アイノさんによろしくお伝えいただけますか」
 今回壊れた街灯を見つけたライトキーパーはまだ授業を受けていない者たちだったが、フリンズがアイノの授業を大人しく受けて以来、それまでは報告だなんだと途中で離席していたライトキーパーたちも授業を受けるようになったと耳にしている。ほんの少しでも現状が良い方向へ進めばいいと思って受けた授業は思いもよらぬ光明となったようで、未だライトキーパーたちは多忙な日々を過ごしているものの、報告の遅延や残業が少しずつ減り、悪循環から抜け出すきざしを見せ始めていた。
 人間というのは逞しい生き物だ。今までは出来なかったことが何かひとつ出来るようになるだけで、顔を上げて前へと進むための活力を取り戻すことがある。ライトキーパーは皆、高潔な誓いと意志を胸に抱いて戦場に立っているが、尊敬に値する上司を失った衝撃は大きく、あの人ですら敵の凶刃を前に敗れてしまったのなら自分には何が出来るのだろうかと、戦意を喪失しつつある者も少なからずいた。そんな者たちにとって、今までは専門家に任せていた街灯の修理を自らの手で出来るようになることは、ライトキーパーとしての初心を思い出させるのに十分だったらしい。
 ライトキーパーの務めのひとつは、街灯の明かりを維持することだ。壊れた街灯を修理し、自らの手で光を灯し直す行為は、自らの胸にある火種を再び燃やすことに等しかったのだろう。もちろん油断ならない状況であることに変わりはなく、フリンズもこうして自分に出来ることをしようと普段よりも積極的に動いている訳だが、やはり賞賛と礼を受け取るべきはアイノだろうと思う。
 イネファはフリンズの言葉を一言一句違わず受け止め、記録し、頷いた。
「わかりました。ですが、お礼の品はお菓子以外にしてください。今月のアイノの糖分摂取量はもう許容範囲を越えていますから」
「そうですか。では代わりに新鮮なホワイトベリーと燻製肉、それから焼き立てのパンをお持ちしましょう」
「はい、お願いします。それではフリンズさん、お気をつけて」 
「ええ。イネファさんも道中気を付けてください。もうすぐ夜になりますから」
 話し込んでいる間にも茜色の夕陽は地平線へと沈んでいき、辺りはますます暗くなっていた。大地が完全な夜闇に覆われてしまう前に街灯を直し、夜を好む魔物が人々の安寧を脅かすことのないようランプを手に回らなければならない。
 今度こそイネファが目的地へ向かって出発したのを確かめて、フリンズはいつの間にかうんともすんとも言わなくなっていた街灯へと手を伸ばす。人間の手で作られ、クーヴァキを用いて光を放つことの出来るこの時代のランプは、古いものの扱いに慣れているフリンズの手にはまだ馴染みがない。けれど少女がなるべく簡潔に、誰にでもわかるようにと言葉を選び、自らの欲や機械に対する愛情にある程度蓋をして教えてくれた方法を思い返して、光を蘇らせる。
 ぱっと硝子筒の中にまばゆい白の光が灯り、フリンズの目に残影を焼き付けた。ナシャタウンを一望出来る小高い丘に建てた墓標と、そこに置かれたランプが――もう二度と光を灯すことのない矜持が脳裡を過ぎり、幾許かの哀惜を胸に落とす。
……行きましょうか」
 煌々と輝く街灯がひとの通る道をくっきりと照らし出しているのを確かめて、フリンズは長槍と自らのランプを手に踵を返した。
 冬のにおいを纏う風が吹き、夜色の髪をなびかせる。今宵もライトキーパーのフリンズは残された灯を消さぬために夜を往く。この世に永遠と呼べるものは存在しないことを知る身で、けれど刹那の明かりを維持しようとすることを徒労だなどと嘲ることはせずに。