月の眩い光がグランサイファーを淡く照らしている冬の深夜。カタカタとプロペラが回る音と共に、風を切る音が静かに響く。ほとんどの人が寝静まっているこの時間帯、甲板にロベリアは一人佇んでいた。この深夜、冷たい風が髪を揺らしているというのに、月の光に照らされた彼の姿は、非常に上機嫌だ。
「くははっ、あははははっ!なぁ、タワー、キミも楽しみだろう?明日はなんたって、バレンタインデーだからな!」
明日はバレンタインデー、去年は団長に“真心”を込めたプレゼントを贈り、団長のとびっきりいい音が聴けて最高の一日だった。その後団長は感動して涙を流し、恥ずかしかったのか、暫く顔を見せてくれなかった。全く、団長は照れ屋さんだから…仕方がないな。今年も、オレ達の気持ちを団長に伝えるために用意をしなければ…と思い、タワーと一緒に張り切っている。
そして、今年は団長以外にもプレゼントをあげたい人物ができた──シエテだ。去年、バレンタインが終わった頃に接触する機会が増え、親しくなった。同じ編成で討伐依頼をするようになったのも同じ時期で、自然と一緒にいる時間が増えていったのも原因だと思う。
天星剣王、全空最強の騎空団、十天衆の頭目──彼の肩書きは堅苦しいものばかりだが、付き合ってみると思いのほか親しみやすく、面白い人物だということがわかった。彼から生み出される音は素晴らしく、剣拓を生み出す音やソレが魔物を斬り刻む音は何回聞いても飽きない。そして無駄のない、美しい剣捌きはいつ見ても見惚れる。団長ほどではないとは言え、パルフェで素晴らしいアルモニーだ。いつも、この音を聴くのが毎回楽しみで仕方がない。それに、彼のもたらす不思議な力も興味深い。だから、もう少し親しくなりたくて、色々と話しかけてみた。シエテは快く応じてくれて、今ではプライベートの時間でも一緒に出かけたり、食事に行ったりする仲だ。俗に言う、“お友達”がこのような感じなのかもしれない。一緒にいて楽しい。そして何より、彼の何かがオレの知らない新しい幸福をもたらしてくれる…そういう嬉しい予感を感じさせてくれる。
だから、今年は彼にもプレゼントを用意した。ただのお菓子だが、お気に入りのパティスリーからだ。彼の好みが分からないから、お店のオススメにしてみたが、気に入ってくれるといい。…まぁ、甘い物が好きだからきっと大丈夫だろう。そう物思いに耽っていると、背後から聞き慣れた笑い声が聞こえた。
「ま〜た、変な事企んでいない?…明日、グランちゃんを困らせたらダメだからね?」
振り向くと、噂をすればなんとやら…。眉を軽く下げて、呆れた顔をしたシエテが立っていた。月の光が照らされ、彼の金色の髪が白く、キラキラと光っていて不思議な雰囲気を漂わせている。彼の手元を見ると、両手にコップを持っていた。寒い空気の中、温かい湯気がふわふわとコップから漂っていて見ているだけで暖まる。そのうちのひとつを、はい、と渡される。コップを受け取ると温かさを指先からじんわりと感じ、甘い、チョコレートの匂いが鼻腔を擽りながら、溶けた蜜のように全身に広がっていく。
「メルシー、シエテ!ホットチョコレートか!…気が利くじゃないか。ああ、団長の事なら大丈夫さ…。オレはいつも団長の幸福のために動いているからね」
「…それが心配だって言ってるの!…全く、お前がグランちゃんのことを思って動いているのはわかるけどさぁ…」
機嫌が良く、楽しそうに笑いながら話すロベリアに、呆れたようにため息をつきながら、シエテはロベリアの額に軽くデコピンをする。脳みそと骨に一瞬走る電流のような音が心地よい。
そういえば、古戦場やら、頻繁にあった魔物の討伐依頼やら、そして賢者達との交流も増えてきて最近のロベリアは何かと忙しかった。だからシエテとゆっくり会う時間も取れず、こんなやり取りも久々だな…と、嬉しく思いながら貰ったホットチョコレートを一口飲んだ。濃厚で優しいチョコレートの甘さが、口の中に広がる。
「セボン…うまいな…」
思わず口に漏れてしまった。それを見て、シエテは、嬉しそうににんまりと笑いながら、夜空を眺めた。ロベリアも続けて空を見上げた。肌寒い、澄んだ空気が満天の星空を一段と美しく輝かせる。輝く星々と、月明かりの優しい光が二人を照らしている。
「こんな深夜の寒空にさぁ…、ロベリアが甲板にいたからね。ちょっと、お兄さん気になっちゃってさー。…それで、ね。まぁ、ただチョコレートとミルクを混ぜただけなんだけどねー。ほら、明日はバレンタインだし…ね!」
そうシエテは言っているが、ただチョコレートと牛乳を混ぜただけではないというのは一口飲んだだけでもわかった。カカオの匂いに紛れて、微かにカルダモンの香りがする。味もスパイスが効いていて、ただ甘いだけではなく飲みやすい。飲む度に、ホットチョコレートの温かみが芯から広まって、ぽかぽかしてくる感じがする。ごくごくと、思わず飲み続けているロベリアを、シエテは横目で見て小さく笑いながら口を開いた。
「…気に入った?」
「ウィ、凄く美味しいな。キミがこういうのが得意とは思わなかった」
「そりゃあねー!愛貯古齢糖が入ったチョコだからね〜。媚薬入りのチョコで催淫効果があるみたいだから…ロベリアくん、今夜は大変かもよ〜〜?興奮して眠れないかも…」
「……ぶっ……!??」
予想だにしない言葉を耳にして、思わずむせついた。熱い、ホットチョコレートが気管支に入ってしまい、喉に違和感を感じる。思わずシエテを見ると、彼は一瞬目を見開いて、驚いているような表情を見せた。それから、眉をしかめてロベリアから背を背き、空を見上げながら言葉を続けた。
「はは……冗談だよ。安心していいよ。あの時のチョコはグランちゃんが全部回収して、錬金術の素材になったから、一粒も残ってないからね。驚かせて……ごめんね?」
「な、何で……。それに、いつもの、キミらしくないブラーグだな…」
「…………」
先ほどとは打って変わって、元気のない、トーンの低い声になっているシエテに、ロベリアは驚く。いつもなら、『ごめんごめん!ちょーっと調子に乗ってふざけすぎちゃった!』とか言って流していただろうに…。ロベリアの発言で、シエテが息を飲む音がした。やはり、今のシエテは、いつものシエテらしくない。なんだか嫌な予感がして、胸がざわつく。ロベリアはどう反応したらいいのかわからず、シエテの言葉を待った。
「うーん……どうしてかなぁ…。つい言葉が出ちゃって、俺もよくわかっていないんだよね…」
「……え?……」
ぽそり、ぽそりと吐き出される言葉から耳が離せない。シエテ自身、考えながら呟いていて、ずっとぼんやりと夜空を見ている。ロベリアからは、表情が見えない。月の光が淡く、シエテを照らしている。その姿はいつも見る彼よりも弱々しく感じた。
「……ロベリアが最近忙しくて、あんまり会う機会がなかった……から、かな?寂しかったの…かも……」
「────っ!?」
ぽそりと吐き出された言葉が予想外過ぎて、ロベリアは息を飲み、固まった。寂しかった…だって?とシエテの言葉に驚いていたら、くるりとシエテの身体はロベリアの方に向けた。
「ロベリア…」
振り向いたシエテの瞳が月光に濡れた氷のように輝いていて、ロベリアはその美しさに思わず見惚れていまう。先ほどから口が回らない。
「…ごめんね…」
「──っ、シエテッ!!?」
今にも泣きそうな、切なそうな顔をしてシエテはその場を去っていった。その表情に驚き、一歩遅れて後を追いかけ船室へと行くが、既にあたりはしんと静まり返っている。あの男は風のようにこの場を去ってしまい、シエテの気配は一切感じない。追いかけようにも追いかけることができず、ロベリアはその場に留まることしかできなかった。
「オーララ、……なんて日だ…」
ロベリアは思わず口を手で覆い、呆然と立ち尽くしてしまった。真夜中、薄暗い廊下でロベリア以外、誰一人もおらずしんと静まり返っている。それなのに、ロベリアの心臓が先ほどから激しく鳴ってうるさい。何が起きたのか、まったく理解が追いつかないでいる。
ただ、頭に浮かぶのは最後のシエテの切なそうな表情だけ────
ただ、それだけなのに、胸が酷く締め付けられる。
時刻は既に夜の12時を回っており、バレンタインの日になっていた。
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