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三崎
2026-03-08 21:35:25
56935文字
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【サンプル】この惑星とともに
ガタケット183 Raven's Market3にて頒布予定のチャティ×621♂新刊「この惑星とともに」のサンプルです。
A6 350P カバー付 2000円 全年齢向け
チャティと621♂が協力してルビコンのあれこれの解決に向けて頑張る本。
いろんなルートの要素ごちゃまぜ。広い心で読んでください。
準備号と被っている部分もありますが、既公開部分を一部加筆修正しています。
表紙イラストはひめりさん(@momo25himeri.bsky.social)、表紙デザインはうぐさん(@sijinomix0343.bsky.social)にご協力いただきました。
いつもありがとうございます!
1
2
3
4
5
6
4.標なき道へ
ウォッチポイント・アルファ、深度3の探査を終えた621は、へとへとになりながら地上へと帰還した。一旦、探査はここまでとし、得られた情報を精査して後日探査を再開する、とアーキバスから指示を受けている。とはいえ、自分たちだけで探査可能であると判断すれば、もうこちらに声を掛けられることはないだろう。
だが、情報の精査に時間がかかることもまた事実。得られた時間を使って、消耗した621の調整や機体の修理、弾薬の補充
……
やるべきことはいくらでもある。もちろん、ウォルターも集めた情報の分析に取り掛からなければならない。
「
……
お疲れ様でした、レイヴン」
「ん
……
」
自室のベッドに寝かされた621は、白い天井を見上げて、ぐるぐると考え事をしていた。
イグアスは、今どうしているのだろう。コールドコールは無事に逃げ出せただろうか。道中遭遇したMT部隊たちは。そして深度3の奥には、一体何があるんだろう
……
。
「
……
色々と悩む気持ちはわかりますが、まずは休みましょう」
「そう
……
だけど
……
」
自分の届かない場所で動いている〝何か〟が、どうにも不安で、恐ろしい。
せめて、チャティに連絡を取ってから眠ろう。621はそう決めて、いつもしているようにチャティへとテキストメッセージを送った。帰還したことは事前に連絡してあるし、チャティから無事で良かったと応答もあった。しかし、いつもならすぐに既読がつくのに、今日はそうならない。
「
……
?」
忙しい時は通話出来ないこともある。しかし、この時間ならテキストメッセージのやり取りをするには問題ないはずだし、すぐに返事をくれるはずだ。それなのに既読さえつかないのはおかしい。妙な胸騒ぎがして、621はチャティからの返事を待たず、通話リクエストを送信した。忙しいだけならいい。任務中寂しかったから声が聞きたかったとか、そう言って誤魔化して、笑い話にすればいい。けれど、三コールたっても応答はなかった。
「
……
」
「レイヴン
……
」
RaDは安全だと、心配はいらないとチャティは言っていた。でも、本当だろうか。奇妙な均衡が崩れ、ルビコンでは様々な思惑が動き出している。企業の動きとは別の、大きな何か。自分を狙うならばいい。でも、そうでなかったら
……
。621は不安な思いにかられながら、祈るような気持ちでタブレットの画面を見つめた。
そして、五コール、六コール経ってようやく応答があった。
「
――
! チャティ、あの
……
」
「やあ、ビジター。連絡ありがとう。チャティじゃなくてすまないね」
「
……
カーラ?」
通話口に出たのはカーラだった。彼女なら、チャティ宛の通話に割り入ることも可能だろう。しかし、それが必要になる事態は今までに一度も無かった。嫌な予感がぞわりと脳に走る。
「何か、あった
……
?」
「
……
ああ。チャティはちょっとばかり怪我をしてね、今は眠ってるよ」
「怪我
……
」
AIであるチャティに〝怪我〟という表現は妙な気がして、621は思わず聞き返した。
「
……
あんたも戻ったばかりで疲れてる中悪いけど、ちょっと説明させてもらおうか。そうじゃないと、安心して休めないだろ?」
「
……
ああ。教えて、欲しい」
「レイヴン
……
」
疲れている自覚はあった。エアも心配してくれているし、早めに休むようにとウォルターに言われている。でもカーラが言う通り、詳しく話を聞かせてもらわなければ眠れそうにない。
カーラは通話口の向こうで煙草に火を点けた。長いため息の後、彼女は先日のイグアスとの一件を621に話し出した。
621がウォッチポイント・アルファでの任務に向かった後、グリッド086にイグアスが単独で襲撃に来たこと。撃退は出来たものの、チャティの人型の体はあちこち損傷して、修理が必要な状態であること。チャティ自身のプログラムには問題ないが、破壊されたグリッドの修理のために働きすぎ、現在はメンテナンス中で応答出来ないこと。
「そん、な
……
」
「突然のお祭り騒ぎで大変だったけど、死者はない。怪我人は多いけど、そう心配することもないさ」
カーラはそう言うが、機械で出来た人型の体が損傷するほどというのは、かなりの大事だ。今すぐにでもグリッド086に向かって、自分の目で確認したい。無事だと聞かされても、チャティの声を聞かないと、どうしても安心しきれないところがあった。それに、自分を殺すために暗殺者を差し向けた本人であるイグアスが、まさかRaDを襲撃しに行っていたなんて。
「
……
イグアス、が
……
どうして
……
」
「あんた、随分と恨まれたみたいだね。チャティを殺して、あんたの泣き顔が見たいなんて、そんなことを言ってたよ」
「
……
」
――
そんなことのために? 私を殺そうとしていたのに、チャティまで?
621はますますわからなくなる。恨んだ相手を殺すのは理解出来る。そのためにイグアスはコールドコールを雇ったのではなかったか。なのに、それと同時に、イグアスは自分の泣き顔を見るためにチャティを殺そうとしていて
……
。
「わからない
……
イグアスの、こと
……
」
「
……
あんたも暗殺されかけたらしいね。あいつ、よほど拗らせてるみたいだ。レッドガンでそれなりの罰を受けるだろうが
……
用心しな。生きてるうちは、何をしてくるかわからない」
「
……
ああ」
カーラの忠告はもっともだ。おそらく、RaD襲撃に失敗した後、コールドコールから暗殺に失敗した旨を聞かされたはずだ。自分の企みが何もかも上手くいかなかったことを知ったら、イグアスは
――
。
どうにか連絡をつけられないかと思うものの、何を話せば良いのか、621には見当もつかない。今のイグアスに、自分の言葉はどうやっても届かない気がした。
「明日には、チャティとも話せるようになるさ。会いに来ても、しばらくはいつもの体でって訳にはいかないかも知れないけどね」
黙ったままの621に、カーラは努めて明るく、そう話しかけてくれた。彼女の明るさには、いつだって助けられている。
「
……
わかった。近々、そっちに、行くよ」
「あんたもしっかり休みな。長話になっちまって悪かったね。じゃ、おやすみ」
「おやすみ、カーラ」
ぷつりと途絶えた通信。話せて良かったとは思う。チャティも無事なのはほっとした、でも、イグアスのことを考えれば考えるほど、621の頭は混乱してくる。
「レイヴン
……
もう、休みましょう」
「ん
……
」
休んだほうが良いことはわかる。だが、自分ではどうしようも出来ないことが多すぎて、胸が苦しい。また、みんな死んでしまったら
――
。
「レイヴン?」
「
……
なんでも、ないよ」
そうエアに返して、621はベッドに潜り込んだ。考えすぎて混乱したり、苦しくなったりした時は、スリープモードを起動すれば楽になる。ずっとそう思っていたけれど、向き合わなければいけない問題が山積みで、自分の思考が全く追いついてこない。だから、話さなければ。チャティと、エアと、叶うなら、イグアスとも。
(次にチャティと会ったら、エア
……
きみを、紹介、しなくちゃ
……
)
「!
……
ええ、ありがとう、レイヴン。おやすみなさい」
強化人間C4
―
621、スリープモードに移行。次回起動時刻を七時間後に設定
――
。
(紹介
……
嬉しいですが、どうするつもりなんでしょうか
……
)
頭に響くシステム音声を聞き終わると同時に、エアの疑問をよそに、621の意識はふっと暗い中に消えていった。
翌日。予定通りに目を覚ました621は、身支度をしてキッチンへと向かった。一緒に朝食の支度をして、顔を突き合わせて食事をするのが、最近の日課になっている。ウォルターは先にキッチンに立ち、湯を沸かしているところだった。
「おはよう、ございます、ウォルター」
「ああ、おはよう、621。体調は問題ないか?」
「はい、少し、疲れてる
……
けど、平気、です」
挨拶をしながら621はウォルターの側まで向かった。朝食の支度の手伝いを、という頭はあったけれど、話したいことが先に立つ。621は、細かく体調を尋ねようとする主を遮って話をした。イグアスと話がしたいこと、グリッド086へ行きたいことを。
「
……
落ち着け、621。G5との話は聞いている。ミシガンに状況を問い合わせているが、まだ返事はない。個人用のアドレスを知っているなら、連絡を入れておいても構わないが
……
」
「返事
……
もらえる、でしょうか」
「それはなんとも言えないな。G5の行動は明確な規律違反だ。罰としてどの程度行動が制限されるかはわからない。しかし、お前もG13
……
広い目で見れば同僚にあたる。ミシガンに頼めばあるいは、というところだな。今はメッセージを送っておいて、ミシガンからの連絡を待つのが良いだろう」
「
……
はい」
ウォッチポイント・アルファではベイラムも多数の犠牲を出している。レッドガンの長なら、やるべきことは山程ある。その状況でこちらに連絡を寄越す余裕があるとは思えない。
今は、イグアスのアドレスに連絡を入れておくくらいしか出来そうにない。しかし、なんとメッセージを送れば良いのだろう
……
。黙ってしまった621に、ウォルターが続ける。
「G5の件はそんなところだが、カーラには俺も用事がある。昨日の今日で悪いが、これから出発できるか?」
「は、はい。でき、ます」
疲れは残っているが、起きて食事を取れるくらいの元気はある。何より、怪我をしたというチャティに会って無事を確かめたい気持ちが強かった。
「よし。朝食を済ませたら準備をしろ。すぐに出るぞ」
「はい」
「
……
」
ウォルターもまた621の様子を気にかけていた。ずっと側で見てきたから、本人の穏やかな
――
AC乗りにはあまり適さない性情もよくわかっている。見知った相手に暗殺されかけて、落ち込んでいるのではと心配していた。しかし、それも杞憂だったらしい。暗殺依頼を出した相手と話したい
――
おそらくは恨み節を吐く類の話ではない
――
と言い出した。その眼差しは真剣そのもので、イグアスをなんとかしたいと、そう思っている目だった。結果がどうあろうと、自分の意思でそうしたいと决めたなら後押しをしたい、そうウォルターは思う。
「
……
イグアス、に
……
なんて、メッセージを
……
送ったら、いい、でしょうか
……
」
「それは
……
自分で考えろ、621
……
」
「うう
……
」
出来上がった熱いフィーカとトーストを前に、621はふにゃりと項垂れたのだった。
自分が出来ることは限られている。けれど、その中で後悔しないように、最善を尽くしたい。グリッド086へ向かう道中、輸送用カーゴの中の小部屋で621はうんうんと頭を悩ませていた。グリッド086に到着するまでにはかなりの時間がかかる。その時間を利用して、イグアスへメッセージを送ろうとしたのだが、何を話せば良いのか、とんとわからないのだった。
「何を、言っても、怒りそう
……
」
「貴方に対しては、怒ってない時の方が少なかったですからね
……
」
怒っていない時は、嘲笑するか、不機嫌か、そのどちらかという感じだった。自分に対してこうも頑なな相手というのはあまりいない。考えてみれば、親しくしている人たちは、みんな向こうから621に構ってくれる人ばかりだ。この広い世界には自分から動かなければ親しくなれない相手もいるのだ。
……
イグアスのように。いや、親しくなれるかどうかも、まだわからないのだけれど。
「イグアス、は
……
わたしが、嫌い
……
だけど、わたしは、嫌い、じゃない
……
」
小洒落た言い回しは自分には難しい。だから、今の素直な気持ちを伝えよう。
621は、ぽつぽつとテキストメッセージをタブレットに打ち込んでは消し、打ち込んでは消しを繰り返し、少しずつ形にしていった。
「心配、してる
……
から、話が、したい
……
。イグアス、も、言いたい、ことが
……
あるなら、聞かせて、欲しい
……
。どうかな?」
「シンプルで良いとは思いますが
……
」
暗殺されかけ、仲良くしている相手を殺しに行ったのに、責めも怒りもせず、話がしたいとメッセージが届くというのは
……
イグアスの神経を逆撫でしてしまうのでは、とエアは思った。
「
……
レイヴン、今でも、イグアスと友達になりたいと思いますか?」
「?」
「イグアスは
……
チャティを殺そうとしたのですよね? 無事だったとはいえ、そんな相手と友達になれると、本気で思っているのですか?」
「
……
それは」
コールドコールには、イグアスと友達になれたら嬉しいと言った。その時の気持ちに偽りはなかったが、チャティを殺そうとしたとなれば
……
。
「わから、ない
……
でも、話さなきゃ。わたしは、イグアスの、こと
……
なにも、知らない」
「
……
そう、ですね
……
知らないまま、諦めるのは
……
悲しいこと、です」
「うん。でも
……
」
「?」
「もし、チャティが
……
死んで、しまって、いたら
……
わから、ない。憎くて、許せない、と、思う」
「
……
」
「チャティ、だけ、じゃない
……
ウォルター、カーラ
……
きみだって、死んで欲しく、ないよ」
「レイヴン
……
」
その言葉を聞いて、エアはなんとなく、621の行動の理由を理解出来た気がした。相手を殺さないようにするのは、自分の周りのひとたちの死を恐れているからなのではないか、と。
621には、多くはないけれど、大切に思うひとたちがいる。そして目の前の誰かは、誰かにとっての大切なひとかも知れない。
だから、彼は殺さない。きっと、それがどんな相手であっても。
移動時間をたっぷり使ってイグアスへ送るテキストメッセージを書き上げた621は、恐る恐る送信ボタンをタップした。
このメッセージがイグアスに届いて、返事がくればいいけれど
……
。
その自信はないまま、移動用カーゴはグリッド086に到着した。
そう時間が空いたわけでもないのに、グリッド086に来るのは随分と久しぶりのような気がした。あの地底
――
ウォッチポイント・アルファの探索は、体力も精神も消耗する、過酷な任務だった。時間にすれば数日間。だが、複雑な地形、巨大兵器、コールドコールの強襲と、様々なことがあったせいで、随分と長い時間、潜っていたような感覚がある。
見慣れたRaDのガレージにやって来ると、いつものモヒカン頭のドーザーが出迎えてくれたが、彼もまた少し疲れた顔をしている。
「よう、ビジターさん。ハンドラーさんも。そっちも大変だったみたいだな」
「ああ
……
みんな、無事、かな」
「まあ、それなりだな。怪我人は多いが、死者はゼロ。ただし、後片付けでてんやわんやだ」
彼本人に怪我はなかったようだし、ガレージは被害を免れてはいたものの、グリッド086には先日のイグアスの強襲による爪痕が数多く残っている。非常用電源が灯ったままの区画もあれば、瓦礫が散乱している区画もあるし、医療棟は怪我人がぎゅうぎゅう詰めになっており、壊れたACやMT、無人兵器の修理のため、工場はフル稼働で大忙しだ。
「みんな
……
忙しい、よな」
「まあ、たまにはこんなお祭り騒ぎも悪かねえ。気にすんな」
この騒ぎの元凶たるイグアスを思うと、621の心境は複雑だった。イグアスは自分を恨んでこんなことをした。それはつまり、RaDの惨状の原因は
――
。
「ビジター、お前が落ち込む必要はない」
「チャティ⁉」
ガレージのスピーカーから響いてきた声に、621は面を上げ、きょろきょろと辺りを見回した。ほどなくして通路へ続く扉が開き、声の主が姿を現した。
「チャティ
……
」
「ビジター、この体では久しぶりだな」
現れたチャティは、いつもの人型の体ではなく、ACサーカスを小型化した体に入っていた。怪我をしたとは聞いていたが、どうやら本当のことらしい。621はチャティに駆け寄って、心配そうに声をかけた。
「だい、じょうぶ
……
なのか? あの
……
怪我、した、って」
「修理にはもう少しかかるが、心配はいらない。ビジター、そんな顔をしないでくれ」
「
……
」
カメラアイがきらりと光る。伸ばされた機械の手がそっと621の頬を撫でた。高所にあるグリッド086は冷える。痛いほどの冷たさに、621は一層不安げに目を細めた。
チャティが人型の体を手に入れる前、この体でも十分すぎるくらいに意思疎通を取れていたはずだった。けれど、もう、互いに物足りなくなっているのかも知れない。しかし傷ついた体で無理に動くのは、余計に心配をかけてしまう
……
。
「立ち話もなんだろう。まずはボスのところへ案内しよう。ついてきてくれ」
「
……
ああ」
もどかしく思いながら、チャティは621とウォルターを連れてカーラの作業場へ向かった。
「
……
!」
カーラの作業場に入った瞬間、621は思わず息を呑んだ。作業台の上に乗せられていたのは、修理中のチャティの人型の体。右腕は外され、肩から断線したケーブルが覗いている。首から上は人口毛も人工皮膚も外されて、内部の機械パーツが剥き出しになっている。その体は抜け殻で本人はそばにいるのに、621は思わず側へと駆け寄った。
「チャティ
……
そんな
……
」
「ビジター、心配いらないよ。あと三日もすれば綺麗に直るさ」
「カーラ
……
」
今にも泣き出しそうな621に、作業用ゴーグルを外しながらカーラが声をかける。彼女がそう言うならそれは間違いないのだろう。けれど、621はチャティがこの体をどれだけ大事にしていたかを知っている。痛みは感じなくても、傷つけられて辛かったに違いない。
「
……
ビジター、俺はここにいる。見た目よりはダメージもない。泣くな」
「ん
……
泣いては、ない
……
」
そう強がりながら621は目尻の涙を拭った。勧められた椅子にウォルターと座り、カーラに淹れてもらったフィーカを一口啜ると、やっと冷静になってきた。
怪我はしても、致命的なダメージが残った訳ではない。体は違っても、いつも通りのチャティがそこにいる。カーラならすっかり元通りに直してくれるはずだし、必要以上に不安がることはない
……
。
621はそう自身に言い聞かせるように深呼吸をして、カーラとチャティに尋ねた。
「
……
何が、あったか
……
教えて、欲しい。わたしが、いない、間
……
の、こと
……
」
知らなければならない。RaDであったこと、そして、イグアスがしたことを。
カーラは頷き、安煙草に火を付けると、事の顛末について話してくれた。通話口では話しきれなかったこと
――
イグアスとチャティの戦い、イグアスがレッドに保護されていったこと、チャティの怪我の理由について。
「チャティ、イグアス、と
……
ケンカ、した
……
って
……
」
「ああ。まさか生身でやり合うとは思わなかったよ」
ACが破損してパイロットが怪我をするというのはよくある話だ。しかし、チャティはACではイグアスに勝ち、なのに大怪我をしている。一体どうしてと疑問に思っていたが、まさかAC戦で負った怪我ではなく、殴り合いで負った怪我だとは。
「
……
チャティ
……
ケンカ、できるんだ
……
」
「そのつもりは無かったが
……
向こうがその気だったからな
……
」
ドーザーたちの仲裁で多少の経験はあるが、イグアスの軍隊仕込みの体術には骨が折れた、チャティはそう話してくれた。621の知るチャティは、あくまでもRaDの参謀で、物理的な力を使う場面はそう多くない。自分に対しても、いつだって優しく触れてくれるから、どうしてもケンカをするイメージは湧かない。
カーラは小さくため息をつき、壊れたチャティの体を見下ろすと、冷めたフィーカを一口啜り、嗜めるように話し始めた。
「ドーザーは生身のケンカが大好きだからね。ギャラリーは大盛りあがりさ。でも
……
それも、勝てたから言えることだ。見てるこっちはハラハラして仕方なかったんだからね。やり合うなら、それなりの戦闘訓練を積んでからにして欲しいもんさ」
「む
……
すまない、ボス」
イグアス襲撃の後始末で忙しくしていたせいで、こうして怒られる暇も無かったが、カーラもチャティに一言言わねばと思っていたらしい。チャティは素直に謝り、しょんぼりと項垂れた
……
ように621には見えた。
自身も傷つき、カーラにも心配をかけ、でも、チャティはあえてイグアスと生身で、それも一対一で殴り合ったのだ。ギャラリーがいたなら、大勢でイグアスを攻撃することだって出来たはずだ。それなのに、チャティはそうしなかった。
ケンカそれ自体は褒められることではないし、傷ついたチャティを見るのは、621自身も胸が痛くなるほど辛いことだった。けれど、そうするだけの理由があってチャティはそうした。イグアスのため
……
というより、621のために。
「すごく、心配、した
……
けど
……
あり、がとう。イグアス、を
……
殺さない、でくれて」
「
……
お前なら殺したりしないと思ってな」
「ん
……
そう、だね」
621の見知った相手をチャティが手にかけていたなら、きっと悲しませてしまうだろう。それをわかって、チャティはイグアスを見逃してくれたのだ。
相手を殺さず制圧するのは、本来、相当の力の差が必要なことだ。長い間621と共に戦ってきて、チャティもそれをよくわかっている。力の差がないなら、無理をしなければ出来ないことだということも。チャティは無理を押して、621のために動いてくれたのだ。RaDの参謀としてでなく、621のパートナーとして。
カーラは二人のやり取りを見つめながら、小さくため息をついた。全ては死者が出なかったから言えること。それは二人も良くわかっている。もしものことがあれば、二人ともイグアスを許してはいない。そして、イグアスは生き延びている。これから先も手を出して来ないとは、誰も保証出来ないのだ。何かしら、イグアスへの対策を考えなければならない
……
のだが。
「しかし
……
イグアスは一体、何を考えてるんだろうね。ビジターを殺したいのか泣かせたいのか
……
全く、好きな子の気を引きたい子供みたいだよ」
「好きな子
……
」
カーラの軽口に、621は首を傾げた。自分はイグアスに嫌われているとばかり思っていた。けれど、本当はそうじゃないのかも知れない。だとしたら。
「やっぱり
……
イグアスと
……
話さ、ないと
……
」
「
……
俺も、あいつのことは気にかかる。わかりあえなかったとしても、お前と話せば、何かが変わるかも知れない」
「ん
……
ここに、来る前
……
メッセージ、送った、けど
……
返事、あるといい、な
……
」
イグアスの執着の先にあるのは、間違いなく621だ。直接コンタクトを取っているなら、反応を待つしかない。
カーラはイグアスに限らず、他勢力の襲撃に対する備えを固める旨を二人に告げた。ウォルターと今後のことを話したいと言うカーラの言葉にそれぞれが頷き、621とチャティはその場を後にして、一旦チャティの私室へと向かうことにした。
チャティの私室は人型の体を前提に用意された部屋だから、今の体で入るのにはギリギリの広さだった。それでも、621が遊びに来るたびにやって来る部屋だから、ここで過ごすのが一番落ち着くというのはある。チャティは機械の体で器用にフィーカのおかわりを淹れてくれ、椅子に腰掛けた621にマグカップを渡してくれた。
「
……
俺のことはさっきボスが話した通りだが、そっちも大変だったようだな」
「ん
……
でも、わたしの、方は
……
だい、じょうぶ。無事、だし、相手も
……
コールドコール、も
……
多分、逃げられた、と、思う
……
」
「
……
暗殺依頼というのは、いい気はしない。イグアスの依頼でお前が殺されていたら、俺は
……
イグアスを許せていない。きっと殺してしまうだろう。とびきり酷い目に遭わせてな」
「
……
」
自分だってそうだ。チャティが死んでいたら、自分だって何をしでかすかわからない。自分たちの感情は、選択は、〝そうならなかったから〟という理由だけで成り立つ、脆弱なものだ。でも、そういった偶然によって紡がれた道を歩むしかない。
「ビジター、お前は
……
暗殺しにきた相手さえ助けるような
……
悪く言えば〝甘い〟人間だ。その甘さを貫けるだけの強さがあるうちはいい。だが、自分の命より相手の命を重んじるような真似はするな。そうなったら、俺は
……
」
「チャティ
……
きみ、だって
……
」
わたしの思いを尊重して、命を危険に晒した癖に。621がそう言いたいことは、チャティ自身にも良くわかっている。
「
……
離れているのは、辛いな。今回のことでよくわかった」
「そう、だね
……
。できる、だけ
……
一緒に
……
近くに、いよう」
二人の思いは同じだった。今回のように長く離れ離れになるようなことは避けたい。情勢も不穏の一途を辿る中、手の届かないところで起こる不幸や悲劇は、もう御免だった。
そんな状況だからこそ、チャティに〝彼女〟を紹介しておきたい。自分に手を貸してくれている、大事な友達のことを。
621は少し温くなったフィーカを一口啜り、チャティに切り出した。
「
……
きみに、話したい、ことが、ある
……
って、言った、こと
……
覚えてる?」
「ああ、もちろんだ」
ウォッチポイント・アルファの探査任務に赴く前、戻ってきたら話したいことがある、そう621は言っていた。話すには準備がいる、とも。
「話したい、っていうか
……
紹介、したいん、だ。わたしの、友達
……
」
「
……
構わないが
……
」
チャティは、どうやって、と言いたげだ。連れてきた訳でも、通話越しで紹介しようとする訳でもない。不思議そうな様子のチャティに、621はゆっくりと話し始めた。
「話すと、少し
……
長く、なるんだ、けど」
長い話だし、うまく話せているか自信も無かった。紹介したいという〝友達〟は、コーラルそのものであること。その声は、自分にしか聞こえないこと。第四世代型によくある幻聴の類だと心配をかけてしまいそうで、どうしても言えなかったこと。でもこの声は幻聴なんかじゃない、何度もエアには助けられているから、どうか信じて欲しいこと。たどたどしい話し方でも、その口調は真剣そのものだ。
「
……
お前がそこまで言うなら信じたいが、俺には、それを確かめる術は
……
」
チャティは黙って621の話を聞いてくれたが、それにどう反応すべきなのか、迷っている様子だった。信じたいと言ってくれただけでも嬉しいことだが、出来ることなら、証明したい。大事な人にも、友達の声を聞いて欲しかった。
621はコートのポケットに仕舞っていたものを手に取ると、それをテーブルの上に置いた。それは、自身の調整に使う時の、接続用ケーブルだった。
「うまく、いくかは
……
わからない、けど
……
」
「ビジター、しかし
……
これは
……
」
「エアは、わたしの、頭の中
……
脳内、デバイスを通じて、交信、してる
……
。だから」
きみとわたしを繋げたら、きみにもエアの声が聞こえるかも知れない。621はそう言って、ケーブルの端子を自身の頸部に接続し、もう片側の端子をチャティに差し出した。
621の脳はコーラルで焼かれ、元々の脳と脳内デバイスの境は、情報導体であるコーラルで曖昧になっている。言わば、生体と機械とコーラル、それらが共存し混ざり合っている状態に近い。ならば、機械の体を持つチャティと接続すれば、自身の脳を通じて交信が出来る
……
そう621は考えたのだった。
「理論上は確かにそうかも知れないが
……
」
「わたしは
……
きみに
……
聞いて、欲しい。エアの、声
……
」
「レイヴン
……
」
脳を媒介とすることに対して、どんな負担がかかるかはわからない。チャティにとっても、話に聞いただけの存在
――
それも、コーラルそのものと
――
自身を直結させることには、当然リスクがある。しかし、621自身も覚悟を決めているのなら、それに応じたい。
「
……
わかった。異常があればすぐに教えてくれ」
「ああ、約束、する」
ケーブルを受け取ったチャティは、胸部にある接続端子にそれを挿し込んだ。それと同時に、ケーブルを通じてチャティの中に様々な情報が流れ込んでくる。旧世代型強化人間はそういう仕様になっている。所有者によってロックがかけられたものを除き、全てのデータは接続先に転送される。先日までの任務の影響か、やや疲労が見られるものの、621の状態は十分健康と言って良かった。念のため脳の状況を見ても、脳波・脳圧に異常はなく、幻聴や幻覚が起こるような状態ではない。
「
……
ビジター、接続に問題はなさそうだ」
「ん
……
じゃあ、試して、みよう。エア
……
何か、話して、みて」
「
……
わかり、ました。やってみます」
エアにとってもこんなやり方をするとは聞かされていない。621なりに考えた方法なのはわかるが、行き当たりばったりなことには変わりない。とはいえ、エアがすることは、いつも621にしているのと同じこと。621が考えた通り、チャティとの通信回線は繋がっている。エアはチャティ自身へアクセスし、恐る恐る呼びかけた。
「
……
ティ、チャティ、私の声が、聞こえますか」
「
……
!」
最初はノイズ混じりの、ざらついた音声に近かった。それが少しずつクリアになり、女性の声としてチャティに届く。人の脳への交信と機械への交信は少し勝手が違うようだが、何度か呼びかけるうち、すぐに調整出来たようだ。
「
……
驚いたな。本当に、聞こえるとは」
「うまく、いった
……
かな?」
「ああ、そのようだ」
「良かった。少しだけ待ってください。二人同時に交信出来るように調整します」
言ってみれば、同時に二つの言語で語りかけるような感覚だろうか。人間には難しいことだが、エアは数分で準備を整えてくれた。
エアは何度か二人に語りかけ、うまく話しかけられることを確認すると、改めてチャティに挨拶をした。
「私はエア。レイヴンの
……
友達です」
礼儀正しく、芯のある声だ。慣れない通信に戸惑っていたのもあってすっかり挨拶が遅れてしまったが、チャティもまたエアに自己紹介をした。
「
……
俺はRaDのチャティ・スティックだ。俺は
……
」
「ふふ、レイヴンと恋仲なことは知っています」
「
……
ビジター、彼女はどこまで知ってるんだ?」
「あ
……
その
……
ええと
……
」
全部かな、と621が答えると、チャティはじとりと621を見つめた。聞けば、621が初めてグリッド086にやって来た時からエアは一緒にいるという。ということは
……
。
「
……
性行為の間もいたのか?」
「あ、いや、いつも一緒って訳じゃないし
……
。でも、い、一回だけ
……
」
「すみません
……
どうしても興味があって
……
」
「
……
まあ、俺も人の性交が気になって色々と調べたことがあるから何とも言えんがな
……
」
目に見えない、自分にしか声の届かない友達。それを説明するのが難しいのは理解出来る。こうして声を聞くより前に説明されていたとして、信じていたかどうか。
「まあ
……
それはいい。過ぎたことだし、ビジターが了承したなら、俺から言えることはない。俺は別に見られることを気にしたりしないからな」
「そう、なんだ
……
」
チャティはそういうところを見られても恥ずかしくないんだな
……
と621が思っていると、チャティはバツが悪そうに呟いた。
「
……
いや、初対面の相手にいきなり話すことではなかったな。すまない」
「いえ
……
私も勝手に覗いてしまってすみません。どうしても、人の営みを
……
人のことを、もっと知りたかったんです」
人を知りたい。エアのその言葉に、チャティはどんな返事をすれば良いのかわからなかった。ビジターはともかく、自分は人ではない。もちろん、チャティ自身、621を愛しているし、大事に思っているつもりではあるけれど、それがどこまで人と近しい感情なのかは、誰も証明できないことだ。証明する必要もなく、自分がしたいように愛していられれば、それで十分だと思うようにしてはいるが
……
。
黙ってしまったチャティに、エアは続ける。
「人そのものも、ですが
……
貴方のことも知りたかったんです。チャティ」
「それは
……
俺が、ビジターとそういう関係だからか?」
「それもあります。ですが
……
私と貴方は、よく似ている
……
そう思うのです」
「
……
」
そうかも知れない。エアもチャティも、互いに目には見えない存在だ。チャティはたまたま体を得て、こうして話をすることが出来るけれど、エアはそうではない。話が出来る相手は限られて、不自由な中で生きている。
「在り方そのものもそうですが、私も、貴方も
……
人のことを、もっと知りたいと思っている。違いますか?」
「確かに
……
そうだ。人のことを知りたい。出来ることなら、人がすることを、自分でも体験してみたいと思っている」
「それも
……
レイヴンと一緒に出来たら嬉しい
……
そうですよね?」
「
……
そうだな。エア、お前の言う通りだ」
「あ
……
はは
……
なんだか、恥ずかしい、な
……
」
急に二人からそんなことを言われて、621は照れくさそうに頬を掻いた。621も同じだ。大事な友達と、恋人と、いろんなことをしてみたいと思う。そして自分もまた、人らしさとは何かを探りながら生きている。灼けて記憶を無くした脳ではあらゆることが珍しく見えるし、その感じ方もきっと人とは違う。自分が見るもの感じるものが普通の人のそれと同じものだと、621は思っていない。けれど、だからこそ、知りたいと思う。エアとチャティは似ていると言っていたが、人について知りたいという点において、自分も彼らと同じだと621は思った。
三人はそうしてしばらく雑談に興じた。似た者同士の三人は、共通の話題も多いから、話そうと思えばいつまでだって話していられそうだった。エアはたちまちチャティのことが好きになったし、チャティもまた、エアのことを気に入った。
彼女は賢く、少しばかり茶目っ気のある女性のようだとチャティは思った。そして何より、自分と同じようにビジターのことを大切に思っている。彼女が側でサポートしてくれるのなら、これからも先もビジターは生き抜いていけるだろう。目の前の二人が、何よりの証明だ。
「エア、これからもビジターを頼む」
「ええ。ですが、貴方も気をつけて。私に出来ることは限られますが、どうか無事でいてください。貴方に何かあれば、レイヴンが悲しみます。もちろん、私も」
「ありがとう。お前も気をつけて
……
と言いたいところだが、コーラルは
……
」
ドーザーたちはコーラルが大好きだ。そして今、この惑星はコーラルを巡る争いの真っ只中にある。コーラルには未知の部分も多い。エアがどういう存在かもわからないままだ。どんな言葉をかけたらいいのか、チャティにはわからなくなってしまった。エア自身も、コーラルにどんな力があるのか測りかねている部分がある。だからこそ、協力者が欲しかった。
「
……
そう、この惑星のコーラルの行く末について
……
貴方とも相談させて欲しいのです」
「チャティ
……
急で、ごめん
……
。その
……
エアの、友達の、力に
……
なりたい、んだ。きみにも、力を
……
貸して、欲しい」
そう話す621の視線は、今までで一番と言っていいくらいの真剣なものだった。
コーラルの行く末、それはこの惑星の未来と同義だ。チャティの目の前にいる愛しい恋人は、これ以上ないほど重いものを背負おうとしている。それを馬鹿げた話だとは思わない。たった一人でこの惑星の情勢を引っ掻き回せるだけの力を持つAC乗り。ならば、相応のものを望み、叶えようとしたっておかしくはない。その協力者
――
あるいは共犯者になって欲しい、と手を差し出され、それを掴まない理由はなかった。
「
……
そんなにかしこまる必要はない。どこぞの阿呆の発言そっくりで癪だが
……
ビジター、お前の友人は俺の友人だ。お前がそうしたいなら、喜んで協力しよう」
「チャティ
……
あり、がとう」
「だが、どう動いたものか
……
。俺はコーラルそのものについて詳しい訳じゃない。ボスにも協力を仰ぐべきだろうな。ビジター、エア、構わないか」
「
……
ええ。貴方から話してもらった方が良いでしょう」
「わたし、も、大丈夫
……
。チャティ、ありがとう」
この惑星の
――
コーラルの未来について、何か明確な指針ややり方が決まった訳ではない。それでも、二人きりで抱え込むには大きすぎるものを一緒に背負ってくれる仲間が出来たこと、それは濃霧の中に一筋の光が見えたような、そんなあたたかい希望だった。
621は、自分にとっての大事な二人が友達になってくれたことも嬉しかった。その橋渡しが出来たことも誇らしい。幸い、自分の脳を使うというやり方も、負担は大きくないらしく、二人のお喋りを聞いて笑うだけの余裕もある。
エアとチャティは新たな友人との会話を楽しみ
――
その話題の半分以上は621についてだったけれど
――
、二杯目のフィーカを飲み終える頃、カーラからの通信が入った。ウォルターとの話が終わり、忙しないけれど、そろそろ拠点に戻るとの連絡だった。
三人は名残惜しげにケーブルの接続を外すと、チャティは眠そうな621を連れ、ガレージへと戻った。脳を行き交う情報量が多くなった分、少し疲れてしまったらしい。過酷な任務の後すぐに動いたせいだと誤魔化して、621はエアとウォルターと共に拠点へと帰っていった。
そして、チャティは
……
。
「
……
ボス、話がある」
「どうしたんだい、チャティ」
自身の人型の体の修理をするボスにチャティは声をかけた。参謀の改まった声に、カーラは手を止めて聞き返す。チャティは念のため周囲をスキャンして誰もいないことを確認すると、静かに話し出した。
「
……
ビジターが、コーラルの声を聞いている」
その言葉に、カーラは表情を固くした。それは、あまりありがたくない情報だった。
「
……
それは、確かなのかい」
621に第四世代型強化人間特有の幻聴の症状があると、以前ウォルターが話していたことがある。だが、幻聴とコーラルの声、その境がどこにあるのか、確かめる術はほとんどない。コーラルの声だと言い切れる理由はなんなのか、怪訝な表情のカーラに、チャティが答えた。
「
……
俺も聞いたんだ。ボス、間違いない」
「待ちな、それはどういう
……
」
「
……
ビジターと接続して、聞かせてもらったんだ。彼女の声を」
「なるほど、確かにそれは不可能じゃないか
……
」
621の脳がどうなっているか、カーラも良くわかっている。脳を媒介にして、というのは危険な行為に思えるが、コーラルで灼けた脳なら、それもうまく処理出来るはずだ。
「
……
それで、彼女はなんて?」
カーラは審判を待つような心地でチャティに尋ねた。この最悪の情勢の中、コーラルは何を語るのか。嘆きか、それとも怨嗟か。しかしチャティが語ったのは、そのどちらでもなかった。
「エアは
……
コーラルを手に入れた後のことを、コーラルの行く末を、相談させて欲しいと」
「
……
それは」
その言葉の重みに、カーラは言葉を失った。コーラルを手に入れる。〝彼女〟
――
エアは、621がそれを成し遂げると信じているのだ。その上で、この先のことを相談したいという。おそらく、最も相談に適さない者を頭に頂くチャティに。
「ビジターは言っていた。エアは友達だと。友達の力になりたいとな」
「
……
」
そうだ。あのお人好しのビジターは、そういう奴だ。誰も殺さない、友達の力になりたいと願う、優しい青年だ。それは、相手が人間でなくても、AIでも、コーラルでも、変わらない。それをカーラも良くわかっている。わかっているから、返事が出来ない。
「ボス。俺は、あんたの目的の全てを知っている訳じゃない。だが
……
」
俺はあんたとも、ビジターとも、敵対したくはない。だから
――
。
「話だけでも、聞いて欲しい。頼む」
チャティの言葉もまた、重い。互いの目的が対立した時、この有能な息子はどちらを選ぶのか、カーラにはわからない。息子に対して命令したくは無かった。愛する息子に、愛しい相手を排除しろと命じるのは、どう考えても〝笑えない〟。けれど、息子とも、計画の要になると期待していたビジターとも対峙することになったなら
――
。
答えを出せぬまま、カーラは口を開いた。
「
……
わかった。コーラルを手にしたら、必ず、皆で話そう。その、エアって子ともね」
「ありがとう。二人に伝えておく」
話を聞く。そうするだけの時間はまだあるはずだ。作業場から去っていく息子の背を見つめながら、カーラは苦々しげに安煙草に火を点けた。
「
……
」
カーラは一人、傷ついた息子の体を見下ろした。傷つくことも厭わず、慣れぬ戦いに挑むほど、あの子はビジターに惚れている。その仲を微笑ましく思い、カーラはずっと応援してきた。この体を作ったのだって、同じ形をした体で触れ合えたら楽しかろうと、そう思ってのことだ。遠くない未来、この惑星を焼き尽くそうとしている癖に。
コーラルと会話する、それが出来る人間がいることはカーラも把握していた。だが、そんな人間は大体コーラル漬けの廃人一歩手前のことが多く、その言葉がどこまで真実なのかの判断は難しい。とはいえ、人体実験をしてまで、コーラルと会話出来る人間を作り出すような真似はしたくなかった。ならばと自身を実験体にしてコーラルを投与して
……
それでも、その声を聞くことは出来なかった。Cパルス変異体の存在が明らかになるのはその少し後のこと。実験の末に得たものは、この惑星を監視するのにこの上なく適した体
――
老化を失った体だけ。
ここに来て、身近に、待ち望んだ力を持つ人間がいたことを知るなんて。
変異体が発生するほど、この惑星のコーラルの総量が増えている。事態は間違いなく、悪い。けれど、その声と通じ合い、意思疎通が取れるなら
――
。
「
……
楽観的なことなんて、何十年も考えなかったのにね
……
」
もしかしたら、なんて、そんな甘い気持ちは、もうずっと前に捨てたつもりだった。
コーラルを惑星ごと焼き尽くす、そんな目的をあの暢気で優しい来訪者が聞いたら、きっと悲しむだろう。それでも、主が願うなら叶えてくれるに違いないと、そう思っていたのに。
人を殺すことを躊躇い、そうならないように戦ってきたビジターなら、コーラルと共に歩む道を、どうにかこじ開けようとするかも知れない。もしそれが実現可能なものならば
――
。
「
……
むしろ、そうじゃないことを覚悟したほうがいいって、わかってるのに
……
」
それを期待してしまうのは
――
自身にとっても大切な息子、彼もまた、ビジターとの出会いで変わった一人だからかも知れない。あのビジターは、間違いなく要だ。この計画だけでなく、この惑星にとっての。
「でもまずは
……
コーラルを私たちが手に入れなくちゃね」
ベイラムよりも、アーキバスよりも、そして、解放戦線よりも早く。そのために、ウォルターをここに呼んでいたのだから。
それから数週間は、何事もなく時が過ぎた。星外企業にも解放戦線にも大きな動きはない。ウォルターとカーラは何か裏で動いている様子だったが、それを621やチャティに話すことは無かったし、カーラは約束通り、三日でチャティの体を元通りにもしてくれた。
グリッド086へ遊びに行き、人型の体に入ったチャティにエアを会わせることも出来たし、久しぶりにチャティと抱き合えて、621も嬉しい時間を過ごした。チャティは、621の脳を使わなくてもエアと話せるようにする手段を考えると言ってくれ、いつかはエアにも人型の体を用意したいと話してくれた。機械の体を動かすためにはコーラルが干渉できる部品が必要になるが、古いコーラルデバイスがあれば十分可能だとチャティは言う。
どんな見た目にしたいか考えておいてくれ、そうチャティに言われたエアは、もし何かしらの体があれば踊りだしたのではないかと思うほど喜んでいた。
グリッド086の混乱はまだ収まってはいなかったが、RaDの技術者たちの尽力により、預けていた621の修理中のパーツも元通りに直り、いつもの機体で出撃出来る体制も整った。しかも、いざという時の予備パーツも急ピッチで拵えてくれたという。この妙な平穏は嵐の前の静けさであることを、誰もが感じ取っている。
そして、事態は動き出した。
「
……
」
ウォルターの元に届いた二つの依頼。それを見比べながら、猟犬の主は深いため息をついた。
どちらにしても621には辛い依頼になる。だが、選ばねばならない。この惑星でコーラルを手に入れるためには、まだいくつもの障壁が残っている。これもその一つに過ぎない。
――
たとえ旧知の相手を、見知った相手を殺さなければならなくても。
重い心地のまま、ウォルターは621を自室に呼び出した。
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