【かわ東】短冊に願いを

今まで止まっていた日々を溶かすように東雲さんと七夕をする河童の話。かわ(→)東←カミ(ちょこっとだけ)。


 引っ越し作業や手続き諸々ひと段落つき周囲を観察できる余裕が出来た河童の視界に映る世界は、昔の思い出を置いてけぼりにするほど様変わりしていた。気分はまるで玉手箱を開けた浦島太郎。目に映るもの全てに衝撃を受け、矢継ぎ早に東雲やマンション住人たちに「あれハなんじゃ!?」「こレは!?」と興奮気味に訊ねる姿は微笑ましい以外の何物でもない。
 純粋な河童の知識欲と好奇心はとどまること知らず、ピーク時には親鳥を追い掛ける雛みたいに東雲のあとを気が済むまで追い掛け回すほど。そんな河童を東雲は煙たがることなく、やや説明しにくい箇所をニュアンスで答えることもあったが快くなぜなぜ問答に付き合っていた。

 「どこもかしこもワシが知らないものでいっぱいじゃ。多少自然が少ないが色々な音や匂いが溢レてて賑やかじゃの」
 センスが独特なサンダルを履いた足元が楽しげに東雲を中心に回り歩き、気になるものを見つけようものならひんやりしている水搔きのある手が急かすように東雲の手を掴みぐいぐい引っ張っていく。
 以前教えた通り歩道を歩く河童に東雲の和やかな視線がつと彼の足元に落とされる。
 流石に焼けたアスファルトの上を裸足で歩かせるわけにはいかない。が、何分懐が寒いゆえ河童自身が紹介したバイト先で収入を得るまでの繋ぎ感覚で半ば適当に売れ残っていた格安サンダルをあげれば想像以上に気に入ってくれたらしい。尚、当面の着替えは背丈の近いカミキリの服を借りており、その後給料が入るやカミキリにレンタル代を支払ったが、如何せんサンダルに至っては新しい履物を頑なに買おうとしない河童に辛抱強く説得する日が待ち構えていようとは、この時の東雲は知る由もない。
 「で、ドコに何をしに行くンじゃ?」
 呼ばれて視線を上げた先、手のひらを太陽に翳しながら歩く河童が車道にはみ出しそうになっているのを肩を引き寄せ東雲は言う。
 「この時期の行事に欠かせないやつ貰いに行くんだぜ~」

 時は少々遡ること数十分前。

 まだ本気じゃない夏の日差しの下、手庇を作り太陽燦々晴れている空を見上げた東雲は八重歯を覗かせ笑うと同時に胸中嘆息を吐いた。
 晴れているうちに用事を済ませたいが些か手が足りない。さてどうしたものか、考えあぐね歩いていると、何やら楽しげに追いかけっこをしているセミと河童が目の前を横切っていく。
 丁度暇そうにしている二人めっけ。そう思うや東雲は早速二人に『おーい、ちょっと手ェ貸してくんね?』と、手伝いを頼めば元気よく承諾する河童を遮るように『バイトの時間なんでッ!!』被せたセミが何故か羽ばたき飛んで行ってしまった。心なしかセミがあり得ないものを見るような目で河童をチラ見した気がするも東雲はとかく追及せずにマスコット染みた体形で飛んでいくセミを見送った。
 『飛行機に気を付けろよォ』
 『ワシは何をすればいいのじゃ?』
 『っと、それは行きがてら話すわ』
 『承知』
 人手が一人減ったが、二人いれば事足りるだろう。多分と、判断した東雲のあとを駆け足で河童が追い掛け隣をキープするなり歩行速度を彼女に合わせた。



 「ほー、立派な笹じゃ」
 「前にやってたバイトで笹貰ってから顔馴染みなんだあのおっちゃん。気前のいい人でさ、世話になったからたまに顔出して困ったことないか様子みてんだ」
 よっこいせ。東雲の背丈を優に超える笹の根元を担ぎ、後方で待機していた河童も倣い笹を担いだ。
 「そんじゃウチに帰るか」
 「うむ」
 じんわり汗ばんだ肌をくすぐる笹の葉。薫風に吹かれ爽やかな葉が擦れる音を奏でては、すれ違う人々の目を奪い気持ちを七夕色に染めあげる。しばらくして前方から聞こえる賑やかな声に河童が笹の葉の間から前方を見遣れば近所の保育園のお散歩の時間らしく、小さき子供らがぎっちり詰まったカートから元気いっぱい【たなばたさま】の大合唱が始まった。
 先程から一体七夕だの、もうそんな季節だのとすれ違う人々が言う姿に河童の首が傾く。何なら絶賛子供らが歌っている歌がどういうものか知りたくて仕方ない。
 保育士と保育士が押すカートを見送った二人がマンション敷地の塀を曲がると、ツヅミたちが七夕飾りの準備を進めている光景が広がっていた。
 折り畳み式の長テーブルの上に置かれた色とりどりの短冊。既に何名か願い事を書き終わっているようで東雲と河童の帰りを今か今かと待っていた模様。二人を見つけた瞬間、はやくはやくと急かされるたび周囲に楽しげな笑い声がこだまする。
 横にして持ってきた笹を東雲が台座に差し込むのに合わせ上がる歓声と拍手。殆どの住人たちとって仰け反るほど高い笹の天辺、浮遊を活かした有希がいの一番に短冊を飾ったのを皮切りに他の住人たちも各々一番いいと思った笹に短冊を飾り始めた。
 「いい感じですね東雲さん」
 「いや~重たい思いをして持ってきた甲斐があるわ」
 マンション住人たちのママこと割烹着が似合い過ぎるツヅミから受け取った麦茶片手に東雲が満足げに胸を張る。短冊を書くのは乾いた喉を潤してからでも遅くない。太陽光を浴びてきらめく氷が涼やかな音を立て、一気飲みすべくガラスのコップを傾きかけたその時、クイっと東雲の上着裾を河童が引っ張った。
 「のう」
 「ああっ、ごめんなさい。河童さんのもご用意してますよ」
 慌てて用意していたコップに並々麦茶を注ぐツヅミの後方、まだ飲んでいない自分の分を先に河童に渡そうか。ノータイムで喉の渇きを訴えている水辺に棲む妖怪代表格の彼にコップを渡そうとしたがどうやら違うらしい。
 「皆、何をしてオル? タナバタとは何じゃ?」
 「そういや説明まだだっけ」
 「はいっ。河童さん麦茶お待たせしまし、た?」
 ツヅミはおろか東雲から麦茶をもらうでもない。人差し指を汗水垂らして運んできた笹と長テーブルに置かれている色とりどり短冊を交互に挿した河童は自分以外一様にテンションが高いこの現状の説明を求めた。
 「えっとだな、七夕ってのは。ツヅミ任せた」
 「任されました。河童さん七夕というものはですね、まず織姫と彦星が……

 ――――

 ――――――

 ――――――――



 ……というこの時期にやる行事です」
 「つまり願い事をこの紙に書いて笹に掛ければいいってこった」
 「それは端折りすぎです」
 「でも、そうじゃん。あいつら見てみろよ」
 「うっ
 七夕の由来から事細かに説明していたツヅミの横からひょっこりと「万馬券が当たりますように」「お小遣いが増えますように」「問題なくローン35年分返済できますように」他、欲張りにも程があるたくさんの短冊を抱えた東雲に水を差され、ツヅミがムッとするも間髪入れずやんややんや七夕伝説そっちのけで短冊を笹に飾る住人たちに言葉を詰まらせた。
 「ほら、お前も書けって。願い事あるんだろ? でっけえ笹にしたから短冊飾り放題願い放題だぜっ」
 「飾り放題願い放題って……
 半ば呆れてしまうものの、それが東雲らしいといえば東雲。
 たくさん書いたお陰で笹に辿り着く前に何枚かこぼれ落ちていく東雲の短冊を拾いながら笹に近付き、有希やセミに頼み笹の高い方に短冊を飾る指示を飛ばす彼女に落ちていた短冊を渡した。顔を綻ばせ受け取る東雲にツヅミもまたはにかみ笑う。
 そして、割烹着のポケットから願い事を書いた短冊をそっと賑やかな一角に飾り手を合わせ極々当たり前だからこそ尊い願いを願う。

 ――どうか、東雲さんがギャンブルを卒業しますように

 見るつもりはなかったからこそ書かれている内容に東雲は顔を渋くしてはそれはもう真剣に願うツヅミから静かに距離を取った。
 「願い事、願い事か。無論宗治郎を探して見つけるのがワシの願いじゃ」
 意気揚々、短冊に願いを書き終えた河童が笹の下に駆け寄るも生憎彼の身長で飾られる場所は既に鮮やかな短冊に占領されてしまっていた。流石に他の短冊の上に飾るのは忍びない。背伸びした所であまり変わらない所か全然変わらない。
 ふと空を見上げれば、食べ損なった虫と宗治郎の掛け軸から抜け出す絵を描いた娘が高い場所に短冊を飾っている。自分も申し出て飾ってもらおう、そう思った矢先視界が上昇した。地面から浮いた足をバタつかせる事なく、首を捻ると河童の脇を抱え上げている東雲と目が合った。
 「これで届くか?」
 「――届ク」
 顔を綻ばせ水搔きのある手が短冊を願いを結ぶ。心を落ち着かせ目を閉じ手を合わせた河童の瞼の向こう側、薄闇の中で笑う宗治郎に目頭が熱くなる。
 「店子の願いは大家の願い、お前との約束でもあるし」
 必ず叶えような。穏やかな声色で話しかけながら下ろす東雲に河童は目元を拭い。
 「よろしク頼む」
 雲一つない晴天に負けず劣らずの笑顔で応えたのだった。





 はらり。足元に落ちた短冊を拾い上げればそこに書いてある「賑やかな魑魅魍魎だらけのマンションになりますように」の願い。誰が書いたか一目瞭然、されど裏を返せばそれを知っているのは自分と願った本人だけかもしれない自惚れが頬を火照らす。
 本当の願いを書いた短冊を誰にも見られぬよう重ねた当たり障りのない願いを書いた短冊。それを決して悟られぬよう飾り終えたカミキリの足元に落ちてきた東雲の短冊。東雲のしかも自分との約束を願った短冊が自分の元に来た事実に言い表せない感情がカミキリの瞳孔を蒼穹に染め上げた。
 恭しく短冊を拾い上げ周囲を見渡せばすぐに愛おしく甘い菓子色の髪が視界に入る。
 「東雲さ――
 軽かった足取りが河童と笑い合う東雲の姿を見た途端、急激に重さを増す。反射で握りしめてしまいそうになった手を緩め、カミキリは視線を片時も二人から逸らさずに東雲の短冊を胸に抱いた。
 分からないことを聞いたら煙たがらず教えてくれるやり取りはマンションに引っ越ししたての時によくしてもらった。謂わばあそこにいるのは数ヶ月前の自分。だが、頭では理解していても胸の奥にある心が魂が矮小に喚き許そうとしてくれない。
 どうにもこうにも東雲が絡むと居ても立っても居られない、融通が利かない己自身を俯瞰するカミキリの理性を嘲笑うように彼の体は勝手に駆け出した。
 「東雲さんッ!!」
 思っていた以上の声を上げ、河童を下ろし終えた東雲の手を取り短冊を握り渡す。
 「短冊、落ちテたよ」
 「お、おぉ
 ややカミキリの勢いに押されつつ礼を述べた東雲が受け取った短冊を笹に飾る傍ら、きょとんとする河童に時間差であわあわと大袈裟に手を振るい誤魔化すカミキリだったが。
 「なんじゃアヤツとヌシは番か? だったら心配せんでいいワシは身を弁えておル」
 短冊を飾っている当人以外耳を傾けていた住人たちが一斉に噴き出すだけじゃなく、分かり易いくらい嫉妬していたのもさることながら本当の願いと大差ないことを言われてしまったカミキリは酸素を求める魚よろしく口をパクパクさせることが出来なかったという。