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ここ
2026-02-03 00:44:36
38891文字
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小説
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【リバリン】融雪【現パロ】🔞
現パロリバリン。現代に転生したリーバル(記憶あり)とリンク(記憶なし)が出会って結ばれるまで。
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【⚠️18歳以上のみ閲覧可】
1.リーバルの話
初めて見た時、「──あぁ、アイツだ」とわかった。理屈ではない。魂に刻まれた古い傷跡が、不意に熱を帯びたような、そんなひりつく感覚に囚われる。
アイツはほんの少し緊張した固い面持ちで、まっすぐにこちらを見つめていた。
***
リーバルは一年前、大学に入学するタイミングに合わせて実家を出た。と言っても、引っ越した先は祖父の家である。祖父が経営している弓道具店を手伝うことを条件に、祖父の家に居候させてもらっているのだ。祖父はまだまだ元気で店自体も半分道楽のようなものなのだが、リーバルは店番と称して店で過ごす時間は嫌いではなかった。古い木、弓弦の匂いと静寂が漂うこの場所は、時折頭の中を空っぽにして静かに自分に向き合うには最適な場所だった。
店の近くにはとある高校──リーバルの母校であり、リーバルが通う大学の付属校でもある──があり、そこは弓道部の強豪校であるため店に来る客の大半はその高校の生徒や関係者であった。リーバルが大学二年生となった春のその日も、まだ大学が始まらず持て余した時間を潰すように店番をしていたリーバルの元にその高校の生徒たちが数人訪れていた。
「リーバル先輩! お疲れ様です!」
「やぁ。また来たのかい」
静かな店内に突如響いた賑やかな声。いかにも体育会系らしくハキハキとした気持ちの良い挨拶をしてきた彼らは、リーバルが高校三年生の頃に同じ弓道部に所属していた後輩たちだった。リーバルが卒業して二回目の春を迎えた今は、彼らが高校三年生になっているはずだ。そんな見知った顔の後ろに、見慣れぬ金髪が見え隠れしていることにリーバルは気づいた。体格の良い生徒たちに阻まれてよくは見えないが、その生徒たちと同じ種類の、しかし真新しい制服を身につけているようである。
「そっちにいるのは?」
「あ! そうそう、コイツは新入生なんですけど」
「へぇ。新入生ねぇ──
……
っ!」
ほら、挨拶しろよと促されて前に歩み出た人物を見て、リーバルは思わずあげそうになった声を咄嗟に飲み込んだ。
(
……
なんで。どうして君が、ここにいるんだ
……
?)
秋に実った稲穂のような艶やかな金色の髪に、意志の強そうな眉。その下に輝く空色の瞳に、心臓がドクドクと忙しない音を立てる。
「
……
初めまして。リンクと言います」
見覚えのある顔をしたその青年が、聞き覚えのある名を名乗る。かつてどこかで見た、突き抜けるように青い空を思わせるまっすぐな視線に射抜かれ、リーバルは言葉にできない衝撃に返事もできずに立ち尽くしていた。
リーバルには、幼い頃から繰り返し見る、呪いのような悪夢があった。中心に聳え立つのは、まるで教科書で読む中世の世界観そのもののような荘厳な城だ。その城は、否、城に住まう王家が統治するその世界は、ドロドロと渦巻く怨念に塗れた未曾有の厄災に襲われていた。その夢の中でリーバルは、厄災に立ち向かう選ばれし英傑の一人だった。リーバルには幾人かの仲間がいた。聖なる力を秘めたハイラル王家の姫巫女、慈愛に満ちたゾーラ族の王女、誇り高きゲルド族の族長、岩山のように力強いゴロン族の猛者、そして──退魔の力を持つという剣の主である、リンクという青年。
リーバルはこれらの仲間たちと協力して厄災に立ち向かうのだが、結末はいつも同じ残酷なものだった。赤黒い怨念に染まり天を覆い尽くす絶望の雲に、荒れ狂う風の咆哮。吹き荒ぶ暴風雨に打たれながら堕ちていく冷えた身体に、闇に沈む世界。何度夢で見ても、いつもリーバルが厄災に敗れて死ぬところで終わるのだ。物心つくかどうかという頃から繰り返し見るこの夢を、幼いリーバルは現実と混同し酷く怖がった。成長するに従ってこの夢を現実と混同することこそなくなったが、ただの夢と片付けるにはあまりにも生々しい。死に際のリーバルの中には焼け付くような悔しさや苦しさ、後悔が渦巻いていた。リーバルはいつしか、この夢の内容は自身の前世の記憶のようなものなのではないかと考えるようになっていた。もちろんそこに何かしらの根拠があるわけではない。故にこんな荒唐無稽な話を他人に話す気にはなれないが、かといって忘れることもできない。まるで癒えてはいるが何かの拍子に痛む古傷のように、その記憶はリーバルの心の片隅にこびりついていた。
なのに、どうしたことだろう。あの悍ましい悪夢の中で繰り返し見たのと同じ顔が今、現実のリーバルの目の前にある。時に青空の下で太陽の光に輝き、時に土埃や魔物の血に塗れてくすんでいた稲穂色の髪は店の照明を反射してキラキラと光っている。使命を帯びつつもいつも感情を押し殺して凪いでいたはずの青い瞳が今は困惑の色を浮かべて──間抜けに固まったリーバルの顔を真っ向から映し出している。
「リーバル
……
先輩?」
「──っ!」
記憶にある顔が、記憶にある声でリーバルの名を呼ぶ。それを呆然と聞いたところで、その後に続けられた言葉の違和感に我に返った。目の前のリンクも、彼を連れて来たリーバルの後輩たちも押し黙ってしまったリーバルを戸惑った様子で見つめている。リーバルは気まずさを誤魔化すようにわざとらしく乾いた咳払いをした。
「すまない。レポートが溜まっていてちょっと寝不足だったからぼーっとしていたよ。
……
リンク、だっけ? 僕はもう卒業していて君の直接の先輩じゃないんだから、先輩呼びはよしてくれるか」
「っ、はい
……
」
思ったよりも拒絶の色が強い言葉を吐いてしまい、内心しまったと舌打ちをするが出てしまった言葉は嘴の中には戻らない。ピシャリと言ったリーバルの言葉に、リンクは恐縮したように肩をすくませ視線を落とした。目の前にある肩は、記憶にあるよりは幾分か小さいように感じた。記憶の中の彼よりも、年も一、二歳幼いのかもしれない。それきり途切れてしまった会話を取りなすように、後輩の一人が口を開いた。
「リンク、リーバル先輩はこんな態度でわかりづらいけど根は優しい人だから怖がらなくていいぞ!」
「そうそう。部長だった時の扱きは地獄だったけど、実際それで俺らの腕は上がったしな〜」
「リーバル先輩の矢は百発百中は当然のこと、的に当たった時の音まですごくて『バクダン矢』なんて呼ばれてたんだぜ!」
「おいおい、昔の話はやめてくれ」
きゃっきゃと思い出話に花を咲かせる後輩たちにやれやれとため息をつく。井戸端会議だけなら営業妨害だぞ、と脅した結果、一同は一通り店内を見て回ってから帰ることにしたらしかった。
店内を歩き回る三年生の後を着いてまわり、帰り際も一番最後を歩いていたリンクが店の戸に手をかけたところでふと足を止めた。振り返った空色の瞳が、再び真っ直ぐにリーバルへと向けられる。夕日に縁取られ逆光になったリンクの表情はよく見えず、リーバルにはそこにある感情を読み取ることができなかった。一瞬の静寂が二人の間に流れる。
「お〜いリンク? どうかしたか?」
「
……
いえ。今行きます」
リンクを呼ぶ生徒たちの声にリンクが答える。リーバルはリンクに言葉をかけることもなく、リンクが何かを言うこともなく、リンクは小さく会釈をしてから店から去っていった。その背中が見えなくなってからやっと、リーバルは肺の中の空気を全て吐き出すような長いため息を吐いた。膝の力が抜け、カウンターにだらしなく肘をつく。
柄にもないが、無意識のうちに全身に力が入っていたようだった。けれどそれも無理からぬことだろう。あんなに何回も夢の中で見たのとそっくり同じ顔が突然目の前に現れたら。前世で浅からぬ縁を持っていたと思われる相手と現実で再会したのだとしたら。動揺した気持ちは収まらず、彼らが訪れる前に店番の合間に読んでいた本を再び開く気にもなれない。
「
……
」
チラリと壁にかけられた時計を見る。閉店時間まではあと一時間ほどあったが、今日はもう客も来ないだろう。リーバルは再度ため息をつくと、店の看板を下ろしに店の外へと向かった。
その夜、ベッドに入ったリーバルを待っていたのは久々に見る例の悪夢だった。結末がわかっていても、この夢はいつも生々しい苦しみをリーバルにもたらした。恐ろしい魔物も、この世の終わりだという厄災も現実のリーバルからは程遠いことなのに、夢の中のリーバルの感情が現実のリーバルの心にも染み込んでくるようだった。まるでこの痛みと苦しみを忘れることは許さないとばかりに何度も自分の頭の中を支配する。
記憶の中のリーバルは、いつもリンクに対して苛立ちと怒りを向けているようだった。仲間であるはずの彼にどうしてそこまで腹を立てているのか、現実のリーバルにはわからない。ただ、腹の底でぐつぐつと煮え立つような感情の熱さを感じるだけだ。この日の夢も、これまで何度も繰り返した通り、風を司る恐ろしい魔物を前に手も足も出ずに斃れる自分の記憶で途切れた。けれど今日、記憶の中のリンクと同じ顔で同じ名を名乗る彼と会ったからだろうか。苦しみと絶望の中で永遠に閉じられていく瞼の裏にふと、あの眩しい稲穂色を見た気がした。
***
後日再び店を訪れた後輩から聞いた話は、リーバルの予想を少しだけ裏切るものだった。リンクは特待生として高校に入学したのだという。それを知ったリーバルは最初、当然のようにリンクはスポーツ特待生なのだと思った。記憶の中で見た彼は、小柄な体躯からは信じられないほど力強く次々と魔物を薙ぎ倒していたからだ。しかしよくよく聞けば、なんと勉学面での特待生なのだという。中学時代の様子ではスポーツ全般に秀で、もちろん弓道もかなりの腕前だったらしいのだが、流石に特待生としての学業と部活を両立するのは難しいと判断したらしい。結局弓道部には入らなかったのだと、リーバルにこの話をしてくれた後輩は悔しそうに言っていた。
「
……
それならもう、この店に来ることもないか」
自分に言い聞かせるように独りごちた言葉は、リーバルの中に安堵と落胆という矛盾した二つの感情を同時にもたらした。リーバルが前世の記憶だと思っている悪夢の内容を、リンクも知っているのだろうか。それを尋ねたい気持ちもあるが、否定される恐れもある。リンクの顔を見た時、現実のリーバルの心の中に生まれたのは記憶の中のリーバルのような憤りではなかった。代わりに胸を占めたのは、言い表しようのない焦燥感のようなものだ。理由のわからない感情は抑えるのが難しい。そんなものに振り回されるのは御免だ。そこまで考えたところでリーバルは思考の迷路を断ち切るように首を振り、意識して空にした頭の中に無理やり情報を詰め込むように目の前のレポートへと目を落とした。考える必要はないのだ。もう会うこともないのだから。
しかし、そんなリーバルの予想は再びあっけなく裏切られた。数日度、カランと小気味の良い音を立てて開いた店の扉に先に、あの金髪が揺れていた。予想外の事態に、リーバルはパカリと嘴を開いたまま固まる。そんなリーバルの前で、リンクが所在なさげに「こ、こんにちは
……
」と消え入りそうな声で挨拶をしてきた。
「あ、ああ。いらっしゃい。今日は一人? 弓道部には入らなかったって聞いたけど」
「はい。そうなんですけど、個人的に弓道は続けたいなって思って」
弓道部の生徒じゃないと店を利用するのはダメでしょうか。不安げに眉を下げて尋ねるリンクに、リーバルは即座に「そんなことないよ」と答える。
「良かった」
パッと花を咲かせたような安堵の笑みを浮かべる姿に面喰らい、リーバルは返そうとした言葉を思わず喉の奥に詰まらせた。リーバルの内心の感情のざわめきなど知る由もない無邪気な瞳がリーバルを捉える。
「えっと、リーバル、さん?」
「
……
リーバルでいいよ。で、何?」
「リーバルはこの店の店長さんですか?」
「いや、僕はただのバイト。この店は祖父のものでね、暇な時にたまに手伝っているだけ」
「そうなんですね」
前回も一通り店内を見ただろうに、また興味深そうに店内を見回す姿は年相応に幼い。長年夢の中で見知ってきた『リンク』の姿とのあまりの乖離にリーバルは目眩のような戸惑いを覚えた。記憶の中の彼はいつもどこか張り詰めた空気を纏っていた。厄災へ立ち向かうという使命を帯びているのだから当然だと言われればその通りかもしれないが、それを差し引いてもなお、記憶の中のリンクは必要以上に感情を押し殺しているように見えた。それがどうして、今リーバルの目の前にいるリンクは記憶の中と寸部違わぬ造形をしているのに、その実全く違う。まるで別人のように素直に感情を表す彼の、空色の瞳の輝きだけが唯一記憶の中に刻まれた光と同じだった。
「
……
ねぇ、変なこと聞くけど。昔どこかで会ったことあったっけ?」
──リーバルと同じように前世の記憶を持つのか。そう直接聞く勇気はなかった。リンクの様子を伺うために吐いた言葉に、我ながらつまらないナンパのようなセリフだなぁとうんざりする。答えの内容に期待はしていなかった。リンクと接したわずかな時間の中でも、リンクがリーバルの記憶の中のような抑圧された生き方をしているのではなく、自由にのびのびと光の中を生きてきたことがわかったからだ。案の定、リンクはリーバルの問いに申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「すみません。俺、リト族の方の知り合いはいなかったと思います」
「あっそ。変なこと聞いて悪かったね」
リンクの表情に、何か隠し立てとか後ろめたさのようなものは感じられなかった。本当にリーバルの顔に見覚えがないのだ。期待は外れたと言うのに、リーバルは不思議とすっきりとした、胸のつかえが取れたような清々しい気持ちになった。「他にお客もいないし、好きなだけ見ていきなよ」と伝えると、リンクは嬉しそうな顔で大きく頷いた。
店内を気ままに散策し出したリンクを、リーバルはカウンター越しにぼんやりと見つめていた。まるで宝箱を前にした子供のように落ち着きなく、好奇心のままに動くリンク。それは何度も夢で見た記憶の中の姿とは全く異なる。けれどなぜか、リーバルには確信があった。このリンクが前世で出会ったリンクと同じ人物なのだと。もし、夢の中の彼があのような重圧のある立場でなければ。あるいは、せめてリーバルが初めてリンクと会った時にあんな剥き出しの敵意を向けていなければ。世界を救う重圧を担う騎士であった彼にも、わずかでも目の前の彼のような年相応の無邪気さを出すことがあったのかもしれない。
今更考えても仕方のない、あり得なかったはずのもしもの可能性。そんなものになんとなしに思いを馳せながら、リーバルは店内を自由に動く背中を静かに目に焼き付けていた。
***
何が気に入ったのか、リンクはあれからちょくちょく店に顔を出すようになった。聞けば、高校進学に合わせて遠方の田舎から一人で出てきており、今は学校の寮暮らしなのだと言う。
「だったらこんな寂れた店にばっかり来ていないでさ、もっと学校の友人たちと親交を深めたらどうだい。新入生なんてそれこそ色々な勧誘も多いだろうに」
リーバルがカウンターで大学の課題の資料をめくりながら言えば、店内の椅子に腰掛けていたリンクは拗ねたように唇を尖らせた。
「心配しなくてもちゃんと仲良くなっているよ。寮にいる間は否応なしに同級生たちに囲まれているんだ。ここにくるのが俺の息抜きなの」
「ふぅん。ま、僕は別に構わないけど」
リンクに敬語を使われるのはむず痒い感じがして、堅苦しい言葉遣いはいらないとリーバルの方から言った。リンクは「そう?」と首を傾げながらも素直にそれに応じ、二人の間で交わされる言葉はまるで普通の友人同士のような気安いものになっていた。夢の中では、リーバルがリンクとこんな風に穏やかに言葉を交わしたことは終ぞなかった。それにも関わらず、砕けた言葉遣いでリーバルに話しかけるリンクの姿は不思議にリーバルの心を穏やかにした。
リンクの入学から、つまりリーバルとリンクが出会ってから一ヶ月ほどが経った。リーバルは春休み期間からの惰性で店番をしてきたが、大学の授業も徐々に詰まってきており流石に毎日の店番は難しくなってきた。祖父は店の手伝いが下宿の条件なんて建前なのだから、学業や自分の時間を優先しなさいと言ってくれた。確かに祖父の言う通り、平日は大学の授業やその他の予定が入っているのだから週末くらいは自分の時間に当てたいという気持ちが微塵もないと言えば嘘になる。しかしリーバルは自ら志願して土曜日の店番を買って出た。元気だがそれなりに高齢の祖父を毎日店番に立たせるわけにはいかない──そんな殊勝な理屈を並べれば、祖父は「ホッホッホ」と嬉しそうに笑い、丸く大きな目を細めてリーバルの申し出を了承した。祖父に伝えた言葉に嘘はない。嘘はないが、それが全てではないのもまた事実だった。
(──だって、土曜日はアイツが来るかもしれないし
……
。)
そんな期待を胸に、リーバルは週末のカウンターに座り続けた。
リンクもリーバルと同様に学校の授業が本格的に始まり、今までのように平日の放課後に店を訪れる頻度は減ってきていた。その代わりにリンクが来るとしたら、それは土曜日しかないだろう。リーバルはリンクが店を訪れなくなる可能性は全く考えていなかった。そしてその予想の通り、リンクは土曜日の昼過ぎにフラッと店を訪れることが多くなった。土曜日は弓道部の練習日であるため、部員たちが店を訪れることはまずない。弓道部に期待をされていたのに入部しなかったリンクは、部員たちと顔を合わせるのに気まずさを感じて避けているのかもしれない。それでもなお、リンクがこの店に訪れることにリーバルは密かな優越感を覚えていた。
「日曜日、弓道部が休みの時にたまに道場を借りて射たせてもらってるんだ」
土曜日の来店を数回重ねたある日。商品が並んだ棚を見るともなしに眺めていたリンクがそんな話をした。練習できる環境があるだけでも感謝だけど、でも流石に腕が鈍ったなぁ。そんな風に苦笑する姿に、リーバルの嘴は無意識に開かれていた。
「実はうちの店、裏に試射場があるんだ。使うかい?」
「えっ、いいの!?」
「もちろん他に客がいない時だけだし、後片付けと掃除は君がするって条件でだけど」
試射場は小規模ではあるが、弓を実際に手に取ってみて感触を確かめてほしいと言う祖父のこだわりによって設けられたものである。当然商品の購入を検討する客に向けて貸し出されるもので、店で買い物をするわけでもないリンクにリーバルの一存で貸し出すのは祖父の持ち物である店で勝手をしすぎているかもなと頭の片隅で思う。けれどリンクが空色の瞳を輝かせながら「やるやる!」と嬉しそうに即答するのを見ればそんな考えもすぐに霧散した。
祖父も細かいことを気にする性格ではないし、試射場だって閑古鳥よりは適度に使われたほうが嬉しいだろうからまぁ、大丈夫だろう。リーバルは適当な理由で脳内での議論を終了させた。
店の試射場で射たせてもらう。そんな大義名分ができたリンクはいよいよ毎週のように店に顔を出すようになった。もちろん明確に約束を交わしているわけではない。どちらかが店に来ない日もあったし、他に来客がある時もあった。
店に客がいない時は──いない時のほうが多いが──、リーバルは紅茶をともにカウンターで本を読んだり、時には大学のレポートに取り組んだりして過ごしていた。店が昼休憩を終えた後の昼過ぎにフラッと店に顔を出すリンクは、初めのうちは試射場に向かうこともあった。しかしそれも次第に減り、いつしかリンクは店内で過ごすことがほとんどになっていった。そのことについて、リンクは何も語らなかったし、リーバルも特に尋ねなかった。どうせ他に客もいないのだから、好きなように過ごせば良いと思ったのだ。店内には二畳ほどの畳敷きの小上がりがあった。店に通う内にそこを定位置と決めたらしいリンクは、小上がりの上で持参した弓の手入れをしたり、時にはリーバルに倣って参考書を読んだり学校の宿題に取り組んだりした。
店内に二人きりと言っても、リーバルとリンクは特段何かを語り合うわけではなかった。店内にあるのは、時折聞こえる頁をめくる音と、遠い街の騒音、そしてお互いの気配だけ。そんな穏やかな時間は、リーバルにとって驚くほど心地よいものだった。リンクと出会った当初に感じていたあの焦燥感は、リンクと過ごす時間を重ねるにつれこの静寂の中に溶けて薄まっていくようだった。
そんな穏やかな土曜日の昼下がりを幾度繰り返しただろう。ある日の夕方のことだった。リンクはいつも日が暮れる前に店を出る。チラリと時計を見たリーバルが「そろそろリンクが帰り支度をする時間だな」と思ったところで、静かな店内にグゥウ、という間抜けな音が響いた。
「
……
今の」
「〜〜ッ!」
リーバルが音の鳴った方へ目を向けると、思った通り、音の主であるリンクが小上がりの上で蹲るように自分の腹を押さえていた。金髪の隙間から覗く顔も耳も真っ赤である。己の腹を恨めしそうに見つめるリンクの顔に、リーバルは思わず吹き出しそうになった。そうだった、コイツは昔から健啖家だった。夢の記憶の中で見た、焚き火を前に大きな塊肉にかぶりつき料理を次々と平らげていくリンクの姿が脳裏をよぎる。久々に、あの気持ちの良い食べっぷりを見たいと思った。
「ねぇ。そんなに腹が空いているなら何かご馳走してあげようか。近くに値段もそこそこでボリュームのある店があるんだけど──」
「行きたい!!」
もちろん味も保証するよ、と付け加えたリーバルの言葉が終わるか終わらないかという内に、骨付き肉を前にした犬もかくやとばかりに喜色を浮かべたリンクが勢いよく叫んだ。かと思ったら、短く「あ
……
」と声を漏らした後しおしおと肩を落とす。さっきの勢いが嘘のように意気消沈した姿にリーバルは眉を顰めた。
「どうしたの? お金なら心配しなくていいよ」
「
……
ありがとう。でも、外食する場合は寮に事前に届出をしないとダメなんだった
……
」
リーバルの母校でもあるリンクの高校の寮には、寮生の生活についてそれなりに規則があるらしい。自宅通学生だったリーバルには預かり知らぬところではあったが、考えてみれば当然の制約だろう。リーバルがわざと「あっそう、じゃあ仕方ないね」と突き放すように返すと、リンクは『ションボリ』という擬音はこういう時のためにあるのだなと思わせるような見事な落ち込みっぷりを見せた。いつもはツンと上を向いているリンクの長い耳が、主のしょげた気持ちを体現するようにへにゃりと垂れている。初めて見るリンクのそんな様子にリーバルは喉の奥で笑いを殺しきれず、つい声をあげて笑ってしまった。
「ッははは! おい、そんな顔をするなよ。来週はちゃんと届出を出してからおいで」
「
……
! うん!!」
リーバルの言葉に目を見開いたリンクは、次の瞬間にはパアァっと表情を輝かせ元気よく頷いた。刹那のうちにコロコロと移り変わるリンクの表情に、リーバルは再度吹き出してしまった。コイツが、リンクがこんなにも表情が豊かな奴だなんて思わなかった。羽を震わせ目の端に涙を浮かべて笑いながらそう言うリーバルに、リンクは不思議そうに首を傾げている。
「俺、いつもそんなに仏頂面してる?」
「ああ、昔の──、いや。なんでもない」
記憶の中の君はいつも、その瞳に何も映していないような顔をしていたじゃないか。喉の奥に出かかった言葉は、カップの中でぬるくなった紅茶と共に飲み込んだ。
「そう? じゃあ来週は約束ね! バイバイ!」
「ああ。気をつけて帰れよ」
荷物を片付けたリンクがリーバルの言葉に頷き機嫌良く帰っていく。夕焼けの中に消えていく背中を見送りながら、リーバルはその眩しさに少しだけ目を細めた。
そんなやり取りをきっかけに、リーバルとリンクは毎週恒例とまでは行かないが何回かに一回は早めに店を閉めて夕飯を共にするようになった。リーバルだって学生なのだから潤沢な資金があるわけではない。学生向けの価格帯の飲食店数件をローテーションする程度だったが、リンクはどんな料理も喜び良く食べた。記憶にある通りの旺盛な食欲。しかしそれはかつてのように生きるため、戦うためのものではない。心から食事を楽しんでいる姿は、見ていて気持ちが良かった。
ある日の夕食の席だった。行きつけのイタリアンの店で、それまで熱心に大盛りのパスタを頬張っていたリンクが不意に顔をあげて向かいに座るリーバルを見た。いつもはなだらかな頬が丸く膨らんでいる様はまるでエサを詰め込んだハムスターのようだな、と思う。リーバルを見つめながら無言でもぐもぐと口の中のものを咀嚼し飲み込んだリンクは、ひと足先にカトラリーを置いて一息ついていたリーバルに唐突な質問を投げかけてきた。
「ねぇ、リーバル。リーバルには恋人っている?」
「
……
いないよ。なんだい藪から棒に」
自分で聞いておきながらどこか上の空に「ふぅん」と小さく答えるリンクに、リーバルはプラスチックのコップに入ったお冷を傾けながら「そう言う君こそどうなのさ」と聞き返した。
「特待生ともあればファンの一人や二人はいたっておかしくないんじゃないの?」
揶揄うように言ったリーバルの言葉に、リンクは少し困ったように眉尻を下げた。
「そんなのはいないよ。
……
でも、告白されることはある」
「
……
へぇ。それは羨ましいこった。どの学部の女の子さ」
リンクからそういった恋愛面の話を聞くのは新鮮であり、そしてなぜかあまり面白い気分ではなかった。そんな微かな不機嫌を隠しつつも嫌味を乗せて尋ねたリーバルの言葉にリンクが返した言葉は、リーバルの予想を遥かに超えた言葉だった。
「ううん。女の子じゃなくて男なんだ、告白してくるの」
「っ、ゲホッ、な
……
!?」
喉を通るはずだった水が衝撃に逆流し盛大に咳き込む。正面で「リーバル、大丈夫?」を腰を浮かしかけたリンクをリーバルは手で制した。リンクが腰を椅子に落とすのを目の端で捉えながらゴホゴホと咽せる喉を抑える。リーバルの咳が治まるのを待ってから、リンクがポツリと呟いた。
「
……
たまにあるんだ」
「ッ、けほ。
……
まぁ最近じゃそこまで珍しいことじゃないけどね」
リーバルは大学の友人にも一組同性カップルがいることを思い出しながら、平静を装ってそう答えた。しかし胸の奥には先ほど微かに感じていた面白くない気持ちが、今やはっきりと不快感と感じられるほどに広がっていた。リンクの魅力を知っている人間が自分の他にも大勢いることを認めたくないという、一種の傲慢さゆえの感情。どろりとした湿度を持ったそれにリーバルは気づかないフリをして、当たり障りのない応答を意識して会話を続ける。
「付き合うのか?」
リーバルの問いに、リンクはフルフルと首を振った。
「そういうの、あんまり良くわからなくて。中途半端な気持ちで応えるのも申し訳ないし」
リンクはそう言うと、再びパスタにフォークを伸ばした。残り半分ほどになったパスタの山が、次々とリンクの口に運ばれていくのを眺める。
「
……
まぁ君、顔は小綺麗だけど身体はムキムキだしねぇ」
リーバルは夢の中の記憶で見た、リンクの鍛え抜かれた身体を思い浮かべた。かつては無数の古傷が刻まれていたが、今の彼にそんなものはないだろう。優等生らしく行儀良く着込まれた制服の下にはきっと、日に焼けず白く滑らかな肌が──。そこまで考えたところで、リーバルは自身の危険な思考に慌てて蓋をした。
「変な期待をして近づいてくる奴らも、君の身体を実際に見れば萎縮するんじゃないの」
深く考えもせずに返したリーバルの言葉に、一方のリンクは目をぱちくりとさせていた。
「リーバル、俺の身体見たことあったっけ?」
「ッ、君の弓道の腕前を考えれば見なくても予想はつくだろ」
動揺を隠すようにリーバルが早口で紡いだ言葉をリンクは疑う様子もなく、「そっか」と言ってアッサリ納得した。その上何故か妙に嬉しそうにむずむずと口元を緩めている。
「なんだよ、気味の悪い顔をして」
「いやぁ。リーバルって俺の顔のこと綺麗だと思ってるんだなぁって思って」
「は? そりゃまぁ、整ってる方ではあるでしょ
……
」
「んふふ」
何がそんなに嬉しいのか、気持ち悪い笑い声を漏らすリンクを半目で睨むと、リンクはその笑いを引っ込めて言った。
「だってさ、リーバルってば初めて会った時に俺の顔を見て妙に顔をしかめてたから。てっきり俺の顔が好きじゃないのかなって思ってた」
「そ、そんなことない」
リンクと初めて会った時。店の中での情景を思い返して、リーバルは短く否定した。あれは前世のリンクと現実のリンクのギャップに戸惑っていただけであって、リンクの顔を嫌っているなんてことはない。それは前世のリーバルだって口にこそしなかったが同じことだった。かつてのリンクの、折れない意志を宿した瞳をリーバルは誰よりも認めていたのだから。
「よかった。俺もね、リーバルの顔好きだよ。嘴もトサカもかっこいいもん」
今生のリンクは、感情を素直に表情にも乗せたし言葉にもした。リーバルだってこのリンクに随分と懐かれている自覚はあったものの、ここまで恥ずかしげもなく素直に好意の言葉を吐かれると流石に面食らってしまう。熱を持ってしまいそうな目元を隠すようにそっぽを向いて、リーバルは殊更そっけなく答えた。
「
……
あっそ。お世辞はいいよ」
「本当なのに。ねぇ、やっぱり飛べるんだよね?」
「当たり前だろ。リト族をなんだと思ってるんだ」
交通網が発達した現代で走って移動するハイリア人が珍しいように、リーバルだって都会での生活に合わせて翼を畳んでいるだけだ。空を自由に飛べるだけではなく、リト族は目や耳などの感覚もハイリア人よりずっと鋭いのだと言えば、リンクは関心したように「へぇ」と唸った。
「だからたとえばほら、君の口の端についた黄色いフルーツソースだって良く見えてる」
「え!?」
リーバルの指摘に慌てて口の端を手で擦る間抜けなリンクを見れば、今日のリンクに心を振り回されっぱなしだった溜飲が下がる思いだった。
「察するに、昼にアップルパイでも食べたな」
「もう! 気づいてたならもっと早く教えてよ!」
「アップルパイが僕の好物だって知ってるくせにお裾分けもしない薄情者に教えてやる義理はないね」
「これは寮の食堂で切れ端を分けてもらっただけだよ!」
いつもの調子に戻ったリンクとのやり取りにひっそりと安堵の息を吐く。キャンキャンと子犬のように抗議するリンクを軽くいなしながら、リーバルは自分の胸がほんのりと熱を孕んでいるのを感じていた。
***
大きな変化や刺激はないものの、心地の良いこの穏やかな時間がいつまでも続いてほしい。そんな風に思ったりもしたが、現実は甘くない。気づけば大学生活も半分以上が過ぎ、リーバルは就職活動に本腰を入れなければならない時期に差し掛かっていた。
「──そういうわけで、しばらくは店には来ない」
カウンターに座るリーバルが大学に提出しなければならない書類に目を落としながら吐いた言葉に、小上がりの上に座っていたリンクはパッと弾かれたように顔を上げた。ほんの少し不安そうな表情を浮かべる顔に胸の内が疼くのを、リーバルは意識して無視をした。
「しばらくって、どれくらい?」
「さぁね。インターンでいい感じのところもあるし、早めに決めたいとは思っているけど」
こればっかりはリーバルの気持ちだけではどうにもならない。そう伝えればリンクはますます不安げに眉を寄せた。
「店は閉めちゃうの?」
「いや、祖父が出るよ。今だって平日は祖父が店番をしているんだし、君も弓の練習をしたいなら勝手に来ればいい。祖父には伝えておくよ」
「うん
……
」
リーバルは良かれと思ってそう提案したが、リンクの顔は浮かないままだった。まるで止まり木を見失った若鳥のような心細げな沈黙。それがどうにも居た堪れず、リーバルは逃げるように手元の書類へと視線を戻した。
それから数ヶ月の間、リーバルの世界からリンクの気配が消えた。リンクとは出会ってからしばらくの後に、一応は連絡先の交換はしていた。けれどその連絡先が活用されたことはこれまでほとんどなく、それはリーバルが就職活動に専念している間も同様だった。用事もないのにメッセージを入れるなんて、らしくない。そんなつまらないプライドがリーバルの指先を縛る。リンクも同じ気持ちだったのだろうか、リーバルの端末がリンクからのメッセージを受信することもまたなかった。
息抜きがてら少しくらい店を覗いてもいいんじゃないかと、心が揺れることがなかったわけではない。けれどリンクに宣言をした手前、リーバルは週末の心地よい時間からキッパリと距離を置いた。
行動ではそんな潔さを装いながら、次から次へと予定の積み重なる忙しい日々の中でもリーバルの思考の片隅にはあの金髪が紛れ込んだ。リンクと出会ってから一年以上。リーバルにとってリンクと共に過ごす時間はとっくに日常の一部になり、同時にかけがえのないものになっていたのだ。しかしそれは、リンクにとってはどうだろう。リーバルが店を訪れないでいるうちに、リンクの興味が他の何かに移ってしまうのではないか。リーバルの知らないところで、他の誰かにリンクと共に過ごす時間の心地良さを奪われてしまうのではないか。リーバルは認めざるを得なかった。リーバルが手放したくないのは店内で過ごすあの心地よい時間ではなく、リンクそのものだということに。
(
……
けど結局、僕はアイツを繋ぎ止めるものなんて何一つ持っていないんだ)
前世のような『英傑』という華々しい肩書きも、他を圧倒する特殊能力──“リーバルの猛り“もない。今のリーバルにあるのは、将来も確定していない不安定な大学生という身分だけだ。
ともすれば胸中を占めてしまいそうになる焦燥感を打ち消すように、リーバルは目の前のやるべきことに全力で集中するしかなかった。
あっという間に季節が巡る。第一志望群だった会社のひとつから内定を勝ち取ったリーバルは、安堵の息を吐くと共に震える指先でリンクへとメッセージを送った。
『今週からまた店に出る』
簡素なメッセージはリーバルが見ている目の前ですぐに既読になった。あまりのタイミングの良さに、まるでリンクもリーバルからの連絡を待っていたのかではないかと勘違いしてしまいそうになる。リーバルがそんな都合の良いことを考える思考をリセットする前に、手の中の端末は小さな電子音を立てて新たなメッセージを表示した。
『店に行くね』
返ってきたのはリーバルが送ったものに負けず劣らず短くそっけない文章だ。しかしそれは、リーバルの目元を緩ませるのに充分だった。
そして迎えた週末。宣言の通りに店のカウンターにかけていたリーバルの耳に、懐かしい声が聞こえた。カラン、とベルを鳴らしながら現れたリンクが、真っ直ぐにリーバルの元へと向かってくる。
「リーバル、久しぶり」
「ああ」
「ここに来るのも久しぶりだなぁ」
全然変わってないね、と笑う顔は記憶にあるよりもほんの少しだけ痩せたように見えた。
「店は開いてるって言っただろう。君のことを話しておいたのに、全然店に来ないって祖父が寂しがってたよ」
リンクに会えるのを心待ちにしていたのに、口を突いて出る言葉はいつもながらそっけない。そんなリーバルの言葉にリンクはツンと唇を尖らせた。
「だって、リーバルがいないんじゃつまらないじゃないか」
リーバルに向けて真っ直ぐに吐かれたリンクの言葉に、リーバルは言葉を詰まらせた。「買いもしないくせ」と憎まれ口を叩くつもりだったのに、喉が引き攣って言葉にならない。
「
……
ふん。迷惑な客だなぁ、君は」
なんとか絞り出した言葉は、我ながら可愛げのないものだった。リンクが心外そうに「ええ〜?」と抗議の声を上げる。それを鼻で笑い飛ばしながらも、リーバルはぼんやりとした不安に凝り固まっていた心がほぐれていくのを感じた。
その夜、リーバルは久しく見ていなかった例の夢を見た。夢の中の自分は英傑の証である青いスカーフを翻しながら、少し離れたところに立つリンクの後ろ姿を見つめていた。数歩で詰められるような距離が、記憶の中のリーバルには果てしなく遠かった。一人で佇む小柄な背中に伝えたい何かがあるのに。叫び出したいほどの強い何かが胸に渦巻いているのに。それが何なのかがわからない。
──あの空色の瞳が、自分だけを映せばいいのに。
そんな風に湧き上がった独占欲は英傑であった前世のリーバルが抱いたものなのか、それとも現実の己のものなのか。暗い部屋の中で目を覚ました後も、夢の中で感じた重く熱い感情がリーバルの胸の中に澱のように残っていた。
***
リーバルの中に芽生えた感情──リンクに向ける思いは、もう誤魔化すことができないくらい大きく育っていた。しかしリーバルはそれを胸に秘めたまま、具体的な行動を起こすことはなかった。店内で二人きりで過ごす時間に満ち足りていたのかもしれないし、故に関係を崩すリスクを恐れていたのかもしれない。いずれにせよリンクとの関係は決定的な変化のないまま時間だけが過ぎていった。リーバルは大学四年生の冬を迎え、同様にリンクも高校生活の終わりを目前に控えていた。
リンクは特待生を立派に務め上げ、付属大学への進学を決めていた。高校生活の三年間、リーバルもそうだったようにリンクにもきっと数えきれないほどのイベントがあったはずだ。しかしリーバルはそれらを逐一聞いたりしなかったし、リンクも多くを語らなかった。店の中で過ごす時間と、たまに共にとる夕食。リーバルがその目で見て、直接感じるものだけがリーバルにとってのリンクの全てだった。
いつの間にか、昔からリーバルを苦しめた例の悪夢──前世の記憶はもうほとんど見ることがなくなっていた。現実のリンクと過ごす時間が積み重なっていくほど、かつての記憶にあった、使命に殉じた青年の印象は淡く薄れていくようだった。前世でリーバルがリンクと過ごした時間はおそらく一年にも満たないほどだっただろう。死と隣り合わせの使命を帯び、張り詰めた濃密な時間を過ごしたあの頃と比べれば、今のリンクと共に過ごした時間はあまり緩く穏やかだ。それでも、今生で共に過ごした時間は前世のそれをとうに追い越していた。
互いの進路も定まり、周囲も落ち着きを見せ始めていた。それは同時にこれまで慣れ親しんだ日々からの別れが近いことを意味していた。大学を卒業すればリーバルは祖父の家を離れ、当然店番にも立たなくなる。リンクも高校を卒業すれば寮を出て、新しい生活を始めるだろう。
けれど、このままで良いのだろうか。青春時代の一時を、穏やかで心地よい時間を共有した友人として終わる。そんな綺麗すぎる幕引きを迎えてしまって、本当に後悔しないのか。ほとんど消えたと思った前世のリーバルが、胸の中で何かを叫んでいる気がした。否、それは前世の未練などではなく、現実のリーバルの叫びなのかもしれない。込み上げる焦りはいつしかリーバルの胸をジワジワと焼き始めていた。
冬の寒さの中にもほんのりと春の兆しを感じるようになったある日の夕暮れ。少しだけ雪の積もった道を歩きながら、リーバルは少し先を行く背中に向けて声をかけた。
「そういえば進学祝いがまだだったな。今日は何でも好きなものを奢ってあげるよ」
「本当!? やったぁ!」
リンクがくるりと振り返り、リーバルに向けて無邪気な笑顔を溢れさせる。ぼんやりと足元を見ながらリンクの弾むような声を聞いていると、リンクの声は突如驚きの声に変わった。「わぁ、雪が降ってきた」というその言葉に釣られてリーバルも顔を上げると、確かに視界にちらちらと白いものが混じり始めていることに気がつく。
「風花だろう。すぐに止むよ」
遠くの山に積もった雪が風に乗って舞い降りているのだと言えば、リンクはちょっと残念そうな顔をした。雪にはしゃぐなんて、子供でもあるまいし。それにあの頃の僕たちは、いつでも白く美しい白銀の山々を飽きるほど眺めることができただろう──。雪の中に佇むリンクの姿を見たせいだろうか。無意識に混濁した記憶の残骸が、リーバルの嘴からふとこぼれ落ちた。
「
……
初めて君に会ったのも、こんな雪の日だったっけ」
「あれ、そうだっけ。春先の、桜が咲いてた頃だと思うけど」
「──
……
。あぁ、そうか。ごめん、僕の勘違いだ」
怪訝そうにこちらを伺うリンクの表情に、リーバルの脳裏にモヤのように浮かんでいた朧げな光景は霧散した。さっきまで確かにリーバルの中にあったはずの光景は、もう思い出そうとしても思い出せなかった。ずっと忘れたくなかった気もする。けれど、不思議と喪失感はなかった。今目の前にいるこのリンクの姿を見ていられるだけで十分なのだと、消えていった記憶が告げているように感じた。
「リンク、春前には寮を出るんだよね? もう新しい部屋は決めたのか?」
「まだ。学校の近くで探そうとは思っているんだけど。
……
リーバルももうお店には来なくなるんでしょ? 会えなくなるの、寂しいなぁ」
再び先を歩き始めたリンクの口から白い息と共に吐かれたのは、拗ねたような、あまりにも素直な言葉だった。その素直さが、リーバルの背中を強く押した。
「
……
僕もこの辺りを気に入ってて、新居は近くで探そうと思っているんだ」
会社からも程よい距離だし、と言うリーバルの言葉に、リンクは前を向いたまま「そっかぁ」と相槌を打った。じゃあ時々は会えるかな、と期待するように呟くリンクの表情は見えない。けれどきっと、リンクはリーバルがこれから言おうとしている言葉なんて想像もしていないに違いない。出会った頃より少しだけ逞しくなった目の前の背中をまっすぐと見つめながら、リーバルは小さく息を吸って、静かに吐き出した。
「
……
だから、いっそ僕と一緒に暮らすっていうのはどう?」
「え
……
?」
リンクが足を止め、大きな目を見開きながら振り返った。緊張に心臓が耳の奥まで響くほど大きく脈打つ。それをひた隠しにしながら、リーバルは努めて冷静を装っていつもの不遜な態度を貫いた。
「新しく一人暮らしするとなると、何かと物入りだろ。折半すれば安く済む。それに
……
君みたいな奴がいきなり一人で生活できるか心配だしね」
そう告げるリーバルの前で、リンクの瞳が揺れていた。まっすぐ見据えた顔は、冷えた空気に触れたせいか鼻と頬が赤く染まっている。
「
……
一緒に住んでいいの?」
「そう言ってるじゃないか」
思ったより静かな反応にリーバルの胸に不安がよぎったのも束の間だった。リンクの表情が、蕾を綻ばせた花のようにじんわりと喜びに染まっていく。
「
……
これからもリーバルと一緒に居られるんだ」
リンクが噛み締めるように小さく呟く。ほんの数片の雪を乗せた金色の頭を、リーバルは大きな翼で抱き寄せポンポンと撫でた。
「さ、細かい話は後だ。早く店に行かないと君の好物が売り切れるぞ」
「それは困る!」
しめやかに喜びを噛み締めていた様子はどこへやら。リンクはリーバルの言葉に弾かれたように顔をあげた。せっかくリーバルがなんでも奢ってくれるって言っているのに、と叫ぶ顔にはもういつもの無邪気な笑顔が戻っていて、呆気に取られたリーバルの手を掴むと店に向けて走り出す。
「リーバル、急ごう!」
「まったく
……
仕方ないな、君は」
早く早くと笑うリンクに引かれ、渋々を装いながらリーバルもほとんど雪の溶けかけた道を走り出す。冷たい空気の中、触れ合った手から伝わる熱だけが鮮明だった。二人の新しい日常が、雪の下に芽吹いた新緑のようにここから始まろうとしていた。
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