tonami
2025-12-12 02:35:21
8156文字
Public 50音
 

50音/か行

50音短文詰め②



こ/花吐き病原作軸



 こふ、と手で押さえる暇もなく吐き出されたものに、思わず目を瞠った。鉄製の床に散らばる赤色。てらてら光っているのは付着した唾液だ。すわ喀血かと危惧したが、明らかに別物だった。
……ンだこれ」
「それはこっちが訊きてェな。てめェ、どういうつもりだ」
 目の前に座っていた男がグラスをテーブルに叩きつける。地の底を這う声と、海賊を丸々一団潰してきたかのような凶悪な顔。金色の目は怒りに燃えて爛々と光っている。酒を呑みすぎたり船内で迷子になった挙句、非常用ハッチを開けそうになって叱られたことはあれど、ここまでトラ男が激怒したことはなかった。こんなに怒った顔初めて見たな。再び吐き気が迫り上がり、すでにあった赤色のそれに、新たに白色が混ざり込んだ。知っている花よりは弱い、それでも甘い芳香を放つ花弁。なんだったっけ、この花。幼い頃に村の誰かから聞いた覚えはあるはずなんだが。花の名前よりも剣術を覚えるのに必死だったから、もはや記憶のどこにも存在していない。
「これ、なんなんだ」
「あァ?」
「なんでおれ、花吐いてんだ」
「その理由をおれが訊いてんだがな」
 忌々しげにトラ男が舌を打つ。そうして立ち上がり、こちらに移動してきたかと思えば、なぜかおれの隣に腰を下ろした。
「嘔吐中枢花被性疾患。通称花吐き病。どこで感染したのか知らねェが、お前はその病に罹ってる。症状としてはついさっき、お前が身をもって体験した通りだ」
 ただ、とトラ男は険しい顔で床に散らばる花弁を睨みつけた。そんなに難しい症状なのだろうか。オペオペの実の能力と、この男の腕ならば多少難易度が高くても完璧に治療できると思うけれど。
「花吐き病には発症条件が二つある。一つは、感染源である罹患者が吐いた花びらに触れること。お前が吐いたそれだな」
 幾分か冷静になったらしく、おれに向けられた金色はさきほどよりも温度が下がっていた。しかし奥底にはまだ炎が燻っていて、状況次第で燃え上がるどころか噴火してしまいそうだ。
「二つ目が最大の問題なんだ。花吐き病は、片思いの相手がいる人間しか罹らねェ。つまりゾロ屋、てめェはおれという恋人がいながら他に懸想してる奴がいるってことだ」
…………………………ん?」
 触ったら感染ると言うから新しく吐いてしまった紫色の花弁をトラ男に触れないようまとめていると、なにやら妙な言葉が聞こえた。いまこいつ、恋人って言ったか? おれとトラ男が? いつから?
「おれ達って、恋人だったのか?」
 信じがたい気持ちで聞き返すと、ゆるゆると明るい色の目が満月のように丸くなった。やっぱりこいつの目って月みたいだなあ、と場違いに感嘆する。けふ、とピンク色の花弁が落ちる。トラ男の説明通りなら花吐き病は片思いしていると発症するそうだが、その相手がどうもこちらを恋人だと思っているらしい場合はどうなるのだろう。両思いということでいいのだろうか。つーか、何を以て完治とするんだ、この病気。
――――おれは、お前を初めて抱いた日からずっと恋人として接してきたはずだが」
「へェ。おれァ、てっきり体のいい処理相手にされてんのかと思ってた。お前から一度も好きだとか聞いたことねェし」
「言っ、て、なかったか……?」
「覚えがねェな」
 少なくとも記憶にある限りはトラ男からおれへの好意を耳にした覚えはひとつもない。だからおれも自分の気持ちを黙っていたわけだが。最初の夜だって、おれを押し倒して「いいか」の一言だけだった。その夜以降も特に態度が変わった様子もなかったし、情事の最中も一言も好きとは言わなかった。でも、そうか。こいつおれのこと、恋人だと思ってたのか。
「ぅ、ぐ」
 これまでで一番、強い嘔吐感が迫り上がる。吐き出そうとして、でも喉に引っかかったのかなかなか出てこない。障害物があるせいで呼吸がしにくい。いっそ引っ張り出してしまおうと口の中に指を突っ込むと、頭を抱えていたトラ男が慌てておれの腕を掴んだ。
「むりやり出そうとするな。喉が傷つく」
 じゃあどうすんだ、とトラ男を睨むと、青い薄膜がおれを覆った。なるほど、その手があった。
「シャンブルズ」
 喉の異物感がなくなったと同時に、冷えた液体が食道を落ちていく。なんだ水か。せっかくだから酒にしてくれりゃよかったのに。
 何度か咽せたもののすぐに落ち着いてトラ男に目を映すと、水が入っていたであろう緑の瓶を至極大事そうに抱えていた。なくなった水の代わりに見たことのない花が一輪。おおよそ自然界に自生していなさそうな色の花。偉大なる航路グランドラインや新世界なら探せばありそうだけれども。
……花吐き病は、片思いの相手と両思いになることで完治するんだ。白銀の百合は完治の時に吐き出される」
「てことは、おれは完治したんだな」
「そうだな。……念のために訊くが、相手はおれでいいんだな?」
「むしろお前以外にいるか?」
……………………いねェな」
 妙に空いた間が気にはなったが、トラ男が嬉しそうなので疑問は放り投げておくことにした。たいしたことではなさそうだし。好いた男の機嫌が良いのならなにより。
 いそいそと瓶に入った百合をコレクション用の棚に飾る、つい今し方恋人になった男を眺めながら、とりあえず名前も知らない色とりどりの花びらを片づけることにした。




お似合いの二人





※吐いた順
赤い菊/あなたを愛してます
銀木犀/初恋
紫のパンジー/あなたのことで頭がいっぱい
ペンステモン/あなたに見とれています