もち粉
2025-12-06 23:03:57
9742文字
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残響


カブミス
カブ43歳 復縁話
※カブの息子を捏造しています


ミシィが階段を上がりきる音がするまで待って、カブルーは静かに息を吐いた。
そのまま立ち上がり、窓際に歩み寄る。窓から差し込んでいた月の光を遮るように、鎧戸をそっと閉じた。

部屋がわずかに暗さを増して、静寂が満ちる。
料理の香りがまだわずかに残っている。グラスの中ほどまで残ったワインを持って、二人でソファに移動した。
先に座ったミスルンに、向かい合おうか僅かに迷ったカブルーは、結局ミスルンの隣に腰を下ろした。

友人というには、すこしばかり近すぎるその距離に、ミスルンは何も言わなかった。
黙ったまま、指先でグラスを揺らしていた。赤い波が静かに揺れて、やがて落ち着く。
その横顔に見とれながら、カブルーは少し間を置いて口を開いた。

……改めて、久しぶりだね。随分と、回復しているようで驚いたよ」

ミスルンは一瞬だけ目を伏せてから、ワインを一口含む。

「ああ。すっかり元通りとは言わないが、一人で旅をするというのは、私にとって、良い経験だった」

「本当に、元気そうだ。髪も、ずいぶん伸ばしたんだね」

「昔は短くされていたからな。自分では手入れができない、という理由で」

「そうだね……すぐ洗髪をさぼるから、僕が洗ってあげたっけ」

「今は、部下も、世話係も、……お前もいないから。全て自分でやっている。正直面倒ではある。だが最近は、転移術以外が必要になる場面も増えた。髪は、魔術の媒介に便利だから」

その言葉に、カブルーがふと笑う。

「実用的な理由なところは、君らしい。……編み込みとかは、まだ難しい?」
「必要があれば、整えることはある。だが普段から己を飾ろうとは、まだ……思えない」
「そう。……もったいないな」

カブルーは、簡素に後ろでまとめられただけのミスルンの長くなった髪に、指を通してみたいと思ったが、目で追うだけに留める。

「君は……昔よりずっと、綺麗になったよ」

ワインを口に運ぼうとしたミスルンの手が止まる。視線をずらして、少し照れたように憎まれ口を叩く。

「お前は老けたな」
「当然だ。十四年、だ。——貴方が、俺の前から姿を消してから」

宰相カブルーが、かつての若者の声で、喉の奥から絞り出すように言葉を放つ。

……十四年、か」

ミスルンが低く、繰り返す。その声音には、言葉の重さを舌の裏で転がすような感触があった。

カブルーは、足元を見たまま動かない。
ミスルンは視線を動かさずに、ぽつりと続けた。

「今ならわかる。トールマンにとっての十四年が、どれほど長いか」

その言葉があまりに平坦だったから、かえってカブルーの胸を刺した。
顔を上げた彼は、思わず怒鳴りそうになる衝動を、奥歯を噛んで飲み込む。

「ここに来る途中、街並みを見てきた。私が知っていた頃のメリニより、格段に大きく、活気にあふれていた。
悪食王の片腕たるお前を、宰相カブルーを、讃える声を何度も聞いたよ」

「十四年は、長いよ、ミスルン。宮廷の使いっ走りだった若造が、宰相を継いで、国がこれほど発展するまでに。
どうして……なぜ、あの時、何も言わずに帰ってしまったんだ?」

「使いっ走りなどと……あの頃から、お前は王の右腕だった。ヤアドも、お前を後継者として育てていた。……当時、お前に縁談がどれだけ持ち込まれていたかも、知っている」

——かつての自分を思い出す。

あの頃、カブルーがいくつもの縁談を断っていたのを、自分は知っていた。
「僕が、面倒を見なくてはいけない人がいまして」と、誰に対しても隠さず、時間を割いてくれたあの優しさ。
けれど、それがいつしか義務に変わってはいないか、不安だった。

ある日突然、実家から届いた手紙には「縁談があるから帰国せよ」と書かれていた。
当然、断るつもりだった。
正式に話がまとまるまでは内密にせよと言われていたが、カブルーにだけは伝えようと思っていた。

……でも、怖かった。

彼のくれる愛情に、うまく応えられていない自覚はあった。
優しい彼は、今さら私を放り出せないだけではないか?

最初の愛情はもう擦り切れて、今はただ、義務感だけで繋がっているのかもしれない。 

誰かが代わりに面倒を見てくれると知ったら、彼はきっと安堵して、この手を放す。
そう思ったら、もう——言葉が出なかった。

迷っているうちに、予定より早く港に迎えの船が来た。実家の使いにせかされて、急いで乗船した。
カブルーは城勤めで、連絡も取れなかった。取ろうと思えば、そう出来た。取れなかった事にした。

——「まあいいか」、と思ってしまった。

すぐに帰ってくるつもりだった。
縁談を断って、何ごともなかったように戻れば、きっとまた以前のように過ごせると思っていた。

……まあいいか、で十四年。

「まあ、いいか!? ……まあいいか、で、十四年だ! 本当にもう、エルフは!! そういう、ところが!!」

その怒鳴り声が、静まり返った部屋に反響した。
エルフの養母に育てられたカブルー自身、エルフとトールマンの時間感覚の違いは痛いほど知っている。それでも──十四年は、あまりに長い。

もしミシィがここにいたら、めったに声を荒げない父の姿に怯えたに違いない。

……うん。すまなかった」

ミスルンは、怒声に驚いたように僅かに肩をすくめ、それから耳をへにょりと下げた。
あの頃、カブルーに怒鳴られたことなど、一度もなかった。

カブルーは深く息を整え、卓に両手を置いた。震える指先を強く握り込む。

……貴方が帰ったと聞いたとき、そして婚約話があったと知ったとき……俺は、貴方に捨てられたと思ったんだ」

ミスルンは首を横に振った。

「そんなつもりはなかった。断るために帰ったんだ。そして、ちょうどいい機会だから、正式にケレンシル家から離籍した」

カブルーの目が見開かれる。

「兄はずいぶん引き止めてくれたが、財産分与の件も含めて骨を折ってくれた。……思ったより時間がかかったが、今はもう、『ケレンシル家のミスルン』ではない。ただのミスルンだ」

その言葉に、カブルーの脳裏にひとつの夜の記憶がよみがえる。

「貴方がケレンシルでなかったら、僕たち結婚できたのにな。僕は、家名もないただのカブルーだけど、貴方、お嫁に来てくれますか?」

冗談めかしてそう言いながら、背後から抱きしめ、ミスルンの薬指にキスをした。
ミスルンは感情のこもらない声で「男同士だと、嫁とは言わないんじゃないか?」と返しただけだった。

……冗談も、感情も、届いていないと思っていた。

「あの家の騒動は、世界の金融にも影響する。話し合いの間、外部との連絡は制限されていた」

確かに、ケレンシル家のお家騒動とあらば、一国の宰相であるカブルーの耳に入らないはずがない。
婚姻の噂だけで、世界の相場が揺れ動いた。どの業界がケレンシルの資金を得るのかと、投資家たちが奔走したのだ。
それでも、本家次男の離籍の話は入ってこなかった。

ミスルンは話し疲れたように重たい息を吐き、グラスの残りを喉に流し込む。そのどこか痛々しい姿を、カブルーはただ呆然と見つめていた。

——当時のミスルンに、恋愛感情を理解しろというのは酷だった。
それは、カブルーも解っていた。
だからこそ、欲のないまま誰かに誘われれば、うなずいてしまいかねない彼を、誰にも渡したくなくて。
本当はゆっくり気持ちを育てたかったのに、焦って、無理やり「恋人」として丸め込むように手元に置いてしまった。
何度も、「自分たちは恋人同士だ」と教え込んだ。夜毎、抱きつぶすように気持ちをぶつけた。

甘い言葉も、駆け引きも、望めない人だった。
それでも手に入れたのは自分だと、思っていたけれど。
いつまでたっても一方通行のようで、やっぱり——寂しかったし、少しだけ、疲れ始めていたかもしれない。

でも。

——通じて、いたというのか。

気を落ち着けたくて、カブルーは空のグラスをミスルンの手から取り上げ、新しいグラスに水を注いでやった。変わってなければ、酒は弱いままだろう。
ついでに、自分のグラスには酒を、ボトルから直に注ぎ、一息に飲み干す。

ミスルンは一口水を飲み、ふっと息をついて再び口を開いた。

「すっかり片が付いた頃には、もう八年が経っていたと思う。メリニに戻ろうとした矢先、一時帰国していたパッタドルから——お前がもう結婚していると聞いて……そのまま旅に出た」

カブルーは、動けなかった。

……そんな。本当に、そうだったのか」

「そうだ。だが……あの頃の私は、お前が何に怒るのか、何を悲しむのか、ちゃんとは分かっていなかった」

「今は、分かるようになったとでも?」

少し意地の悪い口調になっていた。
それでもミスルンは、怒らなかった。

……わかるようになった、つもり、だ。旅をして、一人で静かに考える時間があった。それに何より——出会った人間たちが、トールマンも、ハーフフットも、ドワーフも……皆、よく喋るからな。恋の話や、愛の話を、無限に聞かされた」

皮肉のようにも聞こえたその言葉には、どこか愛おしむような響きがあった。

「だから、今になってようやくわかった。……あの頃の私は、お前を、好きだったんだと思う」

カブルーの喉が、音を立てて鳴った。

「それを……今になって言うなんて、残酷だな」

ミスルンは静かにうなずいた。

「そうかもしれない。けれど、私はもう——悪魔に食われる前のように、嘘をつくのはやめたんだ。
欲を食われて、嘘をつくことさえできなかった頃とも違う。……今は、自分の意志で、嘘をつかないと決めた」

少しの沈黙を置いて、言葉を重ねる。

「だから、昔の私なら——みっともないと飲み込んでいたような恨み言も、言うことにした。
……八年くらい、待っていてくれたって良かったじゃないか。……本当に、トールマンは生き急ぐ」

静かに吐き出されたその言葉に、カブルーはかすかに息を呑んだ。

……貴方から、そんな言葉を聞くなんて」

——当時、どれほど望んだ言葉だっただろう。

カブルーの手が、無意識に動き、ミスルンの頬に触れる。
ミスルンは、拒まなかった。

「結婚したのは知ってたが、子供がいるとは知らなかった。門前で会った時は、驚いた。どれだけしわくちゃになったお前と再会するかと思っていたら、まるで変わっていなかったから」

「いやミシィ、どう見たってまだ子供だから。貴方と会った時の俺は、ちゃんと大人だったと思いますけど? 」

「大して変わらないだろう」

「いや、全然違うって! ……やっぱり最初の頃、俺のこと、子供だと思ってたんじゃ!?」

ふふ、とミスルンが、カブルーの手に自分の手を添え、頬をすり寄せるようにして笑う。

「しかも、名前がミスルンときた」

その言葉に、カブルーの指がわずかに震える。

……ごめん。ミシィに君の名前を与えたの、勝手だったと……今は思ってる。けど、どうしても他の名が浮かばなかった」

「いい名だ。よく似合っている。あの子は、まっすぐで、優しい。まるで、私と同じ名前じゃないみたいだ」

……うん、僕には、過ぎるくらい、いい子だよ。
仕事ばかりであまり構ってやれなくて……。でも、たまに早く帰れると、父さん父さんって甘えてきて……靴のまま膝に乗ってきたときは、書類がぐしゃぐしゃになって大変だった」

父親の顔を見せるカブルーに、ミスルンがやさしい目を向ける。
だがそのすぐあと、父の仮面を剥がしにかかるように、目を細めて言った。

「私はな、ミシィの名を聞いて勝利を確信したよ」


「カブルー」

ソファの上、ミスルンがカブルーに体ごと向き直る。片手が、ゆっくりとカブルーの肩にかかる。
光るような隻眼で、覗き込むように見つめてきた。
 
本当は、会わないつもりだった。会っていいのかどうかも分かりかねて、邸の前に立ち尽くしていた。
あの時、ミシィが声を掛けてくれなければ、そのまま立ち去っていただろう。

でも今――確信がある。
カブルーの視線が、熱が、答え合わせを急かしてくる。

首を傾け、吐息のような声で、耳に甘い毒を流し込む。

……私のことを、まだ愛しているだろう?」
――っ」