kumazaregoto
2025-11-21 18:49:10
16032文字
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智慧灯明因習村だよ 2日目

橿本お借りしています


そして、

疑問を口にする。 「なぜ君は、己をケガレだと考える?」
「え……?」
「何を以ってケガレとする。それは誰が決めたことなんだ?」
「僕は……
まだ丈夫な葉柄に支えられ、木々の葉が風に揺れる。ざわざわ、と葉の騒めく音も東雲の問いかけの声も気にせず、彩貴は青年の足元を見る。落ちたばかりの樹枝を拾い上げ、背の籠に放り込んだ。
「これだけでいいか?」
「えっ、は、はい……もう少し、欲しい、です」
「そうか」
呆気に取られたままの東雲の黒い目がぱちくりと何度も瞬きを繰り返した。一方で彩貴はと言うとそれきり東雲には目も合わせず木片や枝を探し続ける。
しばらく呆然としたまま、我に帰って彩貴と共に膝を曲げて薪の素材を拾い始めた。
……その……傭兵さんは、変わった人、ですね」
「そうか」
「そういえば、名前、聞いてなかったです。なんて言うんですか」
「矢神だ」
やがみ、と復唱してから東雲の暗い顔に笑みが戻る。
「矢神、さん。その……ありがとう、ございます」
「構わない。先ほども言っただろう、持ち運びくらいどうと言うことはない」
ここにもあったな、と呟く彩貴を、東雲は眉を下げてじっと見つめる。暗がりの中で赤い目がよく映えている。その視線に気付いたのか、彩貴が東雲に視線を戻した。
「何だ」
「あっ、い、いえ、何でもない、です」
そうか、と彩貴がぶっきらぼうに返してまた地面に目を遣るかと思えば、再び東雲に視線を戻した。その行動が予想外だったのか、東雲の肩がびくりと揺れた。
「や、やっぱり、怒っていま、」
「あれは何だ?」
東雲の言葉を遮り、彩貴は指で東雲の背後を指差す。えっ、と東雲が首を傾げるもよく見れば赤い目は東雲には向けられていない。
疑問を浮かべたまま、傭兵の指差す方向に東雲が振り返る。寂寥とした森は相変わらず人の手などない装いだが、唯一。二人の視線の先には小さな、人工物があった。
屋根には苔が生え土台は崩れかけている。傾いたそれがどうにかまだ建っていられるのは、腰掛け石の様な石がその右側を支えているからだろう。
東雲がそれを視認すると、ああ、と首肯した。
「あ、あれは、昔からあるお社、です」
「社?」
東雲がこちらへ、と手を招く。言われた通りに彩貴が付いていけば、社は思っていたよりもずっと小さいものだった。高さは彩貴の腰にすら届かず、社というより祠と呼ばれそうな見た目だ。鳥居も無く、木で作られた小さな神殿は粗末という他無い。
苔むし、ところどころ朽ちた木の土台を見るからに年数はそれなりに経過しているだろう。
しかしその祠の前には、丁寧に置かれた山菜が供えられている。萎れてはいるがまだ腐っていない。その山菜は昨晩、東雲が食べていたものと同じであった。
「何を祀っているんだ?」
……わかりません」
「わからない?」
彩貴は首を傾げる。
「何かわからないものを祀っているのか」
「は、はい。でも、昔から、父さんや母さんは……ここにいるのは、守神さまだから大事にしなさい、と」
守神、と彩貴が呟く。それから周囲を見渡すも、やはり人の手など一つも入った形跡の無い山の姿のままだ。
「随分山奥にあるんだな」
「はい……村の人たちには、知られてはいけない、だそうです。理由は、わからない、のですけど」
供え物の山菜を取り替え、東雲は手を合わせる。
「だから、村長も……小夜も、ここのことは知りません」
「私にはいいのか?余所者は尚のこと良くないのではないのか」
「は、はい……そ、そうかもしれません、けど。ええっと……でも村の外の人が、ここに来る……ってことも、無かったと思い、ますし……
そういう決まりも無いと思いますし、と東雲は困った様に笑う。昨日会った時よりも、自然に口角は上がっていた。少なくとも彼の今の面持ちに、あの翳りは見えなかった。
「矢神さんは、口が固い、と思ったので」
その答えに、ふ、と軽く彩貴は笑う。
「少なくとも、あの医者よりはな」

東雲の言葉に頷いた。 「とりたてて気にすることではないからだ」
東雲の目を見つめて、彩貴は毅然と答えを返す。出会ったのは昨日のことだが少しも変わらず、揺らがぬ物言いに東雲は眉を下げて微笑んだ。
「そ、そう……ですか」
東雲が頷くことなど気にもせず、彩貴は青年の足元を見る。落ちたばかりの樹枝を拾い上げ、背の籠に放り込んだ。
「これだけでいいか?」
「えっ、は、はい……も、もう大丈夫です」
「そうか」
では戻るか、と踵を返す傭兵の姿を、東雲は立ち尽くしたまま見つめる。派手な赤色の着物は、東雲が着るそれとは異なり一つの継布も無い。今は土汚れと長旅で使い古した故に縒れた箇所もあるが、それでも東雲のものよりも、村長のものよりずっと質の良い着物であると、東雲にも理解ができた。
「どうした」
「い、いえ、すみません、ぼうっとしていました」
彩貴に声をかけられ、東雲は我に帰りその後を追う。彩貴の迷いの無い足取りの為に、追いかける東雲は小走りをせざるを得ない。距離を少しずつ詰めて、東雲は彩貴の背後からあの、と呼び止める。
「なんだ」
「よ、傭兵さんは、い、いつまでここに、い、いるん、ですか」
「あの娘の治り具合だろう。祭の前ではないか」
祭、と東雲が呟く。それから唇を噛みしめ、ゆっくりと口を開いた。
「ま、祭の日まで……!ここに、いません、か」
東雲の頬が紅潮し、黒い目がこれでもかと開かれている。切実な、悲痛にも似た声が森に木霊する。
木霊の音がかき消え、森に静けさが戻る。彩貴は沈黙を保ったまま、東雲の視線を受け止めた。その面持ちからは憐憫も、同調も無ければ侮蔑も嫌悪も無い。ただそこに居る青年を見つめる赤い目は、無感情にも似ていた。
東雲が唾を飲み込む。森閑を破ろうと、東雲が口を開くも、突如、彩貴が刀を構えた。
「なっ、」
「後ろをゆっくりと見ろ。そして声を出すな」
なぜ、と東雲が問うことは無かった。彩貴の言葉で気付いたが、彼らの背後から地響きの様な音が迫り来ていたからだ。
言われた通りに彼は振り返る。目を見開き、思わず喉から悲鳴が出るのを、理性で押さえつけた。
「く、熊……
獣に関わる生業をする彼でさえも、その目に絶望を隠さない。茫然とする東雲を目端に、彩貴は変わらずその姿を見据える。
繁殖期であったか。それとも彼らの狩場であったのか。息は荒く、明らかな敵意を持って熊が一直線にこちらへ向かって駆ける。巨体に見合わぬその速度は、到底並の人間では逃げられない。迫り来る巨体は立ち上がれば身の丈六尺は優に越えるだろう。
「持っていろ」
ひょい、と籠を乱雑に投げ、彩貴はゆっくりと刀を抜く。何をするかわかった東雲が息を呑んだ。
「だ、だめです、叶いっこない、です……!」
彩貴に悲鳴の様な警告をしながらも、東雲はその場から動こうとしない。熊に背を向けて逃げる気配が無いのは、流石は獣を扱うだけのことはある。それとも恐怖に竦んでいるだけか。
(関係のないことだ)
息を吸い、そして吐く。
一呼吸して息を整えると彩貴はタン、と地を蹴り走る。熊はその姿を見るや涎を飛ばしながら走る。
人の顔よりも大きな前足を振りかぶり、彩貴の頭蓋目掛けて鋭利な爪で切り裂こうとする。まともに当たれば頭蓋は砕けて即死、避け切れねば面の皮一枚は抉られる。どちらにせよ、真っ当には死ねないだろう。
東雲は熊害を受けた死体を見たことがあった。腹から食い破られ、四肢はあらぬ方向に捻じ曲がり、肘は歪な切れ口を作ってその先は無い。もう機能を果たしていない虚な目は、開かれたまま絶望に染まっていた。
その晩嗚咽と吐き気が止まらず見かねた母が背を摩ってくれていたのは、もういつの事であったか。
その時の記憶を思い出して、胸から迫り上がるものを感じて東雲は口を抑える。見たくないはずなのに目を開いて、傭兵が熊と対峙する姿から目を離せずにいた。しかし。
……え」
東雲は信じられないとばかりに目を見開く。熊の爪は確かに傭兵に振り下ろされた。だと言うのに、傭兵はまだ立っている。それどころか、たった刀一本で、熊の爪を受け止めて平然としているのだ。
グアァ、と熊が唸り、傭兵を押し潰そうと振り上げた前足に力を入れる。それでも傭兵はびくりとも動かない。身の丈六尺を超えた巨体が、東雲とほとんど変わらない背丈の青年相手に力負けしていた。
「どうした、終わりか?」
眼前にいる熊の脅威は些事とばかりに、冷たい声が東雲の耳に届く。
一閃。
何かが東雲の視界で輝いた。次に聞こえたのは地響きの様な叫び声だった。
傭兵に振り下ろされた鉤爪は五指ごと斬り捨てられ、熊の左前足の先から鮮血が飛び散っていた。
東雲が目にした一瞬の輝きが、傭兵が熊を斬ったその剣筋だったと気付いたのは、その刀から血が滴っていたからだ。
(な、何が起きて、)
東雲の驚愕を吹き飛ばすかの様に、熊が怒りの咆哮をあげる。体勢を整え、顎を開いて傭兵の頭を食い破らんと襲いかかる。
「遅い」
ぴたり、と食らいつこうと開いた顎が止まる。あと一歩。あと一歩さえ踏み出せば傭兵の頭は食いちぎれるというのに、そこから熊は踏み出そうとしない。
東雲がなぜ、と口に出す前に、ゆっくりと熊の頭がぬるりと動く。熊の首が不自然なほど傾き、ぼとり、と重量感のある音を立てて地面へと転がった。首が落ちきり、先ほどまではくっ付いていたはずの巨体も、ゆっくりと倒れる。
ズシン、と足元が揺れたのに緊張の糸が解けたのか、東雲の足がへたり、とその場へ崩れ落ちた。
(罠を仕掛けたところで倒せるかもわからないのに……
たった二撃で。しかも何の仕掛けも無く、赤子の手を捻るかの様にいとも簡単に。
(ああ……この人は、)
刀を袖口で拭う傭兵の背を、呆然と見る。
(この人なら、もしかしたら、)
引き攣ったままの東雲の口角が、僅かに上がっていた。不気味なほど静かな森に、ひい、ひい、ひい、とあの鳥が鳴いていた。