【GLR: SHERLOCK|Ep. 02】犯人は二匹

山岳写真家のジョン・ワトソンは、雪山からの滑落をきっかけにパルデア地方から故郷のガラル地方へ戻った。そして新たな生活を始めようとフラットを探し、ベイカー・ストリート221Bへ辿り着く。
そこで出会ったのは、探偵業を営む謎多き青年、シャーロック・ホームズ。
二人の出会いを描く「十三番目の依頼人」、そして大きな陰謀が顔を覗かせる「犯人は二匹」、さらにシャーロックの秘密が明かされる「ワイルドエリア・インシデント」、そして物語は最大の敵との対峙「伽藍の密室」へ──。
ポケモンとホームズの融合、華麗なる現代推理劇をご覧あれ。

【主な登場人物】
シャーロック・ホームズ
シュートシティ、ベイカー・ストリート221Bに暮らす探偵。
嘗ての名探偵と同じ名を名乗る謎多き人物。

ジョン・ワトソン
山岳写真家。諸事情からガラル地方へ戻り、221Bへ転がり込む。

【エピソード】
プロローグ
Ep. 01 十三番目の依頼人
Ep. 02 犯人は二匹
Ep. 03 ワイルドエリア・インシデント
Ep. 04 伽藍の密室
エピローグ




──数刻後
シュートシティ郊外 レイヴンショー邸


 人の気配が薄い湖畔に、その館はあった。

 真昼だというのに霧が立ち込めている。周囲を確認すると、ガラルでは殆ど生息していないはずのポケモンがいた。彼らがいることで、フェアリー・ミストが立ち込めているのだ。花が浮いているように見えたのは、フラベベとフラエッテである。
 翼を広げたアーマーガアと、二振りの細剣が交差する家紋。館の正門を支える柱にもその意匠が施されている。壁に這っている蔦植物すら計算された景観の一部に思えた。
 ブラックウッド・レイヴンショーは、ガラル内外でも比較的有名人と言えるだろう。いつの時代も、美貌は男女を問わず話題の種になるものだった。人生の折り返しを過ぎた人間だからこそ出せる熟成された空気感と、低くもどこか甘美な声色は、同性の身でもグラグラ来るものがある。話していて妙に緊張することがあった。


「申し訳ありませんが、アポイントメントは取られておいでですか」

 出迎えた執事は警戒心を隠さずに言った。アーマーガアタクシーの来訪通知のおかげで、無駄に門を開けず済んだ──そう言いたげな、どこか辟易した色も滲んでいる。

「いいや。しかし火急の用事でね」
「我が主人に会いたがる方々は皆そうおっしゃいます」
「僕はシャーロック・ホームズ。シュートシティ、ベイカー・ストリート221Bで探偵業をやっている者だ」

 執事は一瞬目を見開き、

……大変失礼致しました。そちらの方は、探偵殿の助手でいらっしゃいますか」
「山岳写真家のジョン・ワトソンだ」 シャーロックが私を指さす。「レイヴンショー卿と面識があるはずだが」

 執事は少し考え込むように視線を逸らして、

「お入りください」
「いいのか? 突然の来訪者は誰も入れるなと、卿に指示を受けているんだろう」
「その通りでございます。ですが、貴方様は別です。ジョン・ワトソン様」

 執事は銀縁の眼鏡を押し上げた。「主人は貴方をとても心配しておいででした」

「おい、ジョン。レイヴンショー卿と一体どういう関係だ?」 シャーロックが訝しげに問いかける。
……単独でパルデア地方のナッペ山へ、登攀ルートでの登頂を目指しつつ、写真を撮るプロジェクトがあった。その際、レイヴンショー卿が資金援助を」

 思わず語が尻すぼみになっていく。館の長い廊下が永遠に感じられる程度には、私は沈んだ気持ちになっていた。
 その盟約は果たされなかった。私は雪崩に巻き込まれて滑落し、今に至る。

「こちらでお待ちください」

 サロンには毛艶の良いイエッサンが二匹いた。私とシャーロックを視界に入れると、「ゆうゆう」、「ゆゆ」と鳴いて器用にお辞儀をする。

「見事なものだな。この大きな窓から、庭園がよく見える」
……ああ。腕のいい庭師がいるんだろう」

 私はシャーロックの声に当たり障りのない言葉を返した。
 何百万ユーロを紙屑にしたという責任が、今になって私の肩へ重くのしかかる。彼にとっては端金かもしれないが、私にとっては全くそんなわけがなかった。
 あの治療費の出所も、きっとレイヴンショー卿だ。彼には大恩がある。しかし、見方を変えればそれは色々なものに縛られているとも言える。そんな思考がぐるぐると巡り、どんどん物事が嫌な方向へ進むと思えて──
 そんな空気を破ったのは、腰からポンと音を立てて外へ出た綿毛の化身だった。

「ちるっ」 チルタリスは周囲を見回す。鳥だというのにやたらと鼻が効くのだ。「ちるっ、ちっ!」
「ここはカフェじゃないぞ」
「ち!? ぢるッ!? ぢァー!!」 勢いよく私の腰掛けている椅子をつつき回すチルタリスは、あからさまにいじけていた。「ぢぁーッ!!」
「こら! やめなさい! 人の家だぞ!」

「────うるせえ! ほっといてよ!」

 扉の向こうから若い女性の声が響いた。私たちは思わず皆そちらへ視線を向ける。片方のイエッサンが不安げに向こうを伺った。

「今のは」

 シャーロックが何か言う前に、扉の向こうから「お嬢様!」と先ほどの執事の声が聞こえた。

「騒がしくしてすまなかったね」

 扉が開く。軽く腰を浮かせていた私も、シャーロックも椅子から立ち上がった。
 紳士──その単語がそのまま形を得たような男がいた。背後には、何故か銀の盆にティーセットを載せて運ぶギルガルドが控えている。
 ブラックウッド・レイヴンショー。彼は黒いドレッシングガウンの裾を翻し、柔らかな雰囲気を崩さずに私たちへ会釈した。

「遠路、とまではいかないか。よく来てくれた。君のことは知っているよ、シャーロック・ホームズ。見どころがあると、マチエールが褒めていたからね」
「どうも」 シャーロックが胸に手を当て、敬礼姿勢を取る。
「世界に名を轟かすミアレの名探偵にそのような評価を貰えるとは、実に光栄です。はじめまして、レイヴンショー卿。突然の来訪にもご対応いただき、感謝します」
「構わない。ジョン、君も。会えて嬉しいよ」

 レイヴンショーは眦を下げた。ソニアに感じた人の好い笑顔の既視感は、彼にあったのだと納得する。

「もう怪我は大丈夫なのか?」
……はい。この度は、ご苦労をおかけし……申し訳ありません。期待をかけていただいたにも関わらず、このような」
「気にするなと言っても君は、気にし続けるのだろうね」

 レイヴンショーは困ったように微笑む。

「ああ、ならばこうしようか。君は今、ミスター・ホームズの助手なのだろう?」
……ええ、一応」
「知っているかもしれないが」

 レイヴンショーはそう前置きをして、一人掛けのソファに腰を下ろす。それを見計らい、ギルガルドが左側からそっとティーカップを置き、慣れた動作で紅茶を注ぎ入れた。私たちのもとにも同じように、彼は給仕をする。イエッサンたちの仕事ではないのかと思っていれば、

「彼は私の相棒でね」 柔く、レイヴンショーは微笑む。「よく仕えてくれている。幼い頃、庭で錆ついていたヒトツキの頃から数えれば、もうかれこれ半世紀の付き合いだ……
「ギ」 照れたように、ギルガルドは体を左右に揺り動かした。
「話を戻そうか。ポケモンリーグの運営に噛ませてもらうようになってから、気がかりなことがあってね」
「ニュー・ヒロインが、ネットで炎上していることですか」
「既に知っていたか。殺害予告めいたものまで混じっているのも、把握しているね?」
「ええ。数時間前に、ダンデたちに会いました。彼らから正式にこの件を解決するように、僕は依頼を受けた。しかし奇妙なのです」

 シャーロックは無作法にティーカップを掴んだ。
 敢えて、そういう無礼を働いたように見えた。──何かを探ろうとしている。

「現時点で『記者に付け回された』という話こそありますが、投稿やコメントを調べても、彼女の居場所を正確に掴んでいる者は、身内以外に皆無だった。勿論彼女が自衛策として、ワイルドエリアでキャンプを繰り返したり──普段なら人が赴かないような場所に赴いたりしているから、という側面もあるでしょう。しかしながら、決定的な実害が彼女の身に降りかかっていない」
……シャーロック、何を言っているんだ。実害ならすでに出ている。あれほど彼女が疲弊しているのに、実害が無いだなんて」
「ジョン、確かにそれは正しい。だが僕の言う〝実害〟とは、もっと別種のものだ」
「成程」 レイヴンショーは長い脚を組み替え、「ミスター・ホームズ。あなたの言う〝実害〟とは、本気で彼女を害することを試みる集団が現れることかね」
「その通りです」

 シャーロックは目を瞬かせた。

「現時点で、ネットの炎上は加速度的に広がっている。一つはユウリに対し、あまり良い感情を持っていない集団。もう片方はユウリを擁護する集団、あるいは彼女のファンたち。この両者が対立する形で、喧々諤々の大騒ぎ」
「ああ、まさに火消しが逆に燃料になりかねない状態だ。戴冠式や、パレードの開催を危ぶむ役員もいる」
「そう、それですよ」

 シャーロックは両手の指を突き合わせ、言った。そして群青色の鋭い瞳をレイヴンショーへ向ける。

「この炎上はパフォーマンスに過ぎない。雇われた人間が複数のアカウントを使って、炎上しているように見せかけた。あなたならそんなことは容易いでしょう。レイヴンショー卿」
……、シャーロック、何を言っているんだ!?」

 私は思わず声を荒げた。縋るようにレイヴンショーを見るが、

「私が? 何故そのような事をする必要性がある」
「リーグの動きを変えさせるためです。あなたは戴冠式とパレードをこれほど早く開催するのには否定的な立場だった。違いますか?」
「確かに、ブラックナイト事件といい、社会に衝撃を与えた事件の後だ。慎重になるべきだとは進言したな」

 レイヴンショーは困ったように微笑むばかりで、掴みどころのない雰囲気を崩さない。

「──だがひとつだけ言わせてもらう。五大貴族の一席を預かる者として、私は新たなチャンピオンを、このような姑息で卑劣な手段を用いて害するようなことは決してない」

「結構です。無礼をお許しください。僕は最初からあなたが犯人だとは思っていません。ですが、この一件がパフォーマンス的炎上であることは、あなたと話して確信しました」
「ほう。何故、私と話すことが確信に繋がるのか……、是非聞かせて頂きたいな」

 沈黙がサロンに満ちた。レイヴンショーの斜め後ろに控えるギルガルドは、少し警戒するように体を左右に動かし、一つ目で私たちを注意深く観察している。そしてくるりと背後を向いた。後ろで組まれた両腕は、歴戦の軍人のようである。


「あなたは今、何者かに命を狙われている。そうでしょう」

……

 固く唇を結び、黙る。そして恐る恐る、掠れた声を絞り出した。

「家人も、ポケモンも、信用できない」 レイヴンショーはぽつりと言った。「ギルガルドがこうして紅茶を淹れるようになったのも、毒を盛られたからだ」
「成程。それでこれほど広い屋敷であるにもかかわらず、使用人が全くいないのですね」
「暇を出した。それに、今は……、ロビンだけだ。あのバトラーと私以外で、ここを管理する者は」
……ロビン?」

 私はその名を繰り返す。聞くに女性の名だろうか。男性でも通りそうな響きの名だが、レイヴンショーの声には切実さがあった。

「姪だ。諸事情あって、引き取った」
「もしや先程の」 シャーロックが言う。「盛大に暴言を吐いていた」
「ああ。ロビンの母は、私の妹でね」
「貴族のお嬢さんにしては随分と──、失礼ですが、その。尖っていますね」

 シャーロックは必死に言葉を選びながらそう言った。確かに普通の子供なら、思春期は親にああした反抗を試みるものだろうが。

「妹はな。生え抜きの貴族だったが、男と駆け落ちした。その間に生まれたのが、ロビンだ……
……つまり、姪御さんは己が貴族の血筋であるとは、知らなかったのですか?」

 私はレイヴンショーへ問いかけた。彼は頷くに留める。

「二か月前にホワイト・チャペルで起こった殺人事件を知っているか?」
「銀行員殺しですね。犯人は既に捕まりましたが……、まさか」

 シャーロックは目を見開く。

「ああ。殺害されたのは、私の妹。カナリアの旧姓はレイヴンショーだ」

 頭に浮かんだのは、あの不吉な言葉だった。
 二か月前の銀行員殺人事件。
 そしてシュートシティ・モノレール駅で発生した盗難。さらに此度の炎上騒動。

 ──〈教授〉に唆された誰かが、ブラックウッド・レイヴンショーの命を狙っている?

 しかし一向に動機が見えてこない。何故? 何のために? 金目当てなら、他にも金持ちは大勢いる。ユウリの炎上騒動を引き起こし、それでいてわざわざレイヴンショーを狙う理由は何だ?

……レイヴンショー卿に、家にいてもらわねば困る、ということか……? 犯人は館の内部にいる?」

 私は顎に手をやり、考え込みながら呟いた。即座にシャーロックが指をぱちりと鳴らす。

「そう、犯人はあくまで卿の暗殺を狙っている。つまり、リーグがこの炎上を重く受け止め、戴冠式やパレードを取りやめる……これこそが犯人の望む展開。卿の居場所は衆人環視ではなく、この館の中に変わるのだから、暗殺の難易度も劇的に下がります」
「しかし私は殆どの使用人に暇を出した。そこにいるイエッサンも、このギルガルドも、私の手持ちだぞ。イエッサンとも二十年近い付き合いだ」
「ええ、その通りです。──初歩的な事ですね。忠誠心の高い手持ちは、よほどのことが無い限りトレーナーを攻撃することは有り得ません。今もギルガルドが僕を警戒しているのがその示唆でしょう。彼はあなたを暗殺しようなどとは思わない。では誰がそのようなことを? 答えはもう出ています」

 シャーロックはそう言って、窓の方へ視線を向けた。そしてゆっくり立ち上がってそちらへ近寄っていく。

「この館には、少なくとももう一体ポケモンがいます。僕の暮らす221Bにも住み着いているもので、嫌でも気配に敏感になってしまう」
 そして、シャーロックは扉の方へ一歩踏み出し、モンスターボールを放った。
「──シャンデラ、〈かげふみ〉」

 ギャアッ! 扉の下の方から叫び声が上がった。──何かがいる。私はチルタリスのモンスターボールを軽く握りしめる。

「あなたに毒を盛った犯人は──」

 シャーロックは扉を軽く開け、スマホロトムのライトでそれを照らし出した。
 一匹の、ずんぐりした赤紫色のポケモンがいる。ガラル本土には生息しておらず、離島地域にのみ生息するポケモンだ。

 フシデ。それも、かなり体の小さい。


……、有り得ない」

 レイヴンショーは受け入れがたいと、首を何度も横に振った。

「これはロビンのフシデだ!」
「時に真実は残酷なものです」

 シャーロックは突き放すように言って、瞼を一度伏せる。重たげに持ち上げられた海色の視線は、フシデの後ろに立つ少女に向けられていた。


「────レディ・ロビン。あなたで、間違いはないですね?」