帰郷し、これまで不在にしたことを集落の皆に謝罪したが、皆快く迎えてくれた。
数年前に族長代理となったバツーは「やっと肩の荷が降りる」とそっぽを向いていたが、きっとこれまでもそうしていた様に、今も引き続き村の世話を焼いてくれている。そんな幼馴染を頼もしく思いながら、しばらく族長業に励むこととなった。
程なくして取り組み始めたのが同盟結成のために必要な全部族の把握だった。
まずは挨拶周りも兼ねてステップを一周し、同胞の人数や位置、集落の規模、家畜の数まで記録していく。その後再訪し、部族同盟について、そしていずれは帝国の統治下に置かれることを説いて回り、これだけでも相当時間を食ってしまっていた。
戴冠式後、アズィーザは正式にステップの統治に判を押した。故郷のことを思えば同胞同士で争い、また七英雄に蹂躙され散り散りになるよりもマシだと考えたのだろう。
素直な性格で、政務の能力的にもアキリーズより操り易いアズィーザが丸め込まれることも予測はついていた。更に文官だけでなく、シゲンもステップの統治を進めたいと以前漏らしていたのを聞いていたのも一因だった。
アキリーズが保証してくれていた自由を、これからは自分達で守らねばならない。人知れず故郷のことを守ってくれていた彼に想いを馳せるとまた涙が滲む。
今は泣いている場合ではないのだと奮い立たせ、袖で目元を拭った。
これまでの記録をし、シゲンから早馬で送られた発令前の統治法に目を通し始めた。
本来ならステップは帝国に意見できる立場ではないのだが、シゲンと協力関係を結び、なるべくノーマッドの生活が守られるよう、事前に法令要項を送ってくれているのだ。こちらからの要望をシゲンに送れば、文官達にも言い訳が通る程度に組み込み、施行まで漕ぎ着けてくれるだろう。長く皇帝の下で行動を共にし、信頼関係を築いた二人だからこそ成せる技だった。
薄暗い幕屋の中で天窓からの明かりを頼りに、訂正点を書き出す為書類と睨めっこしていたところだった。
「おい、今日も引き篭もりかよ」
「ああ、バツーか。すまない
……もう少し煮詰めたいんだ」
「
……それはお前がやるべきことなのかよ?帝国に任しときゃいいだろ」
「そうもいかない。まだ老人たちは帝国に反抗心があるし、文化の違いを受け入れるのも時間がかかるからな。俺が出向いた方が幾分円滑に進むんだ。とは言え一筋縄にはいかないが」
喋りながらも書類から目を離さないアルタンに呆れ、バツーは踵を返した。
「そうかよ、せいぜい頑張んな。じゃあ俺は少し出るぜ、皆を任せたぞ」
「
……どこへ?」
「
……今日はアリアの命日だからな」
アルタンは言葉を失った。今日は幼馴染の一人の命日であったのに、それを忘れる程打ち込み過ぎていたとは。
「すまない、バツー
……」
「いいんだよ、もう十八年だぞ。俺の自己満足でしかねぇからな」
少し俯き、バツーは頭に手をやりながら幕屋の外へと出ていく。
一瞬、不知火のようにゆらりと輪郭がぶれた。
光の中に消える後ろ姿と、その仕草に目を奪われる。
鮮やかな髪と揺れるバンダナ、はためく白い外套。
もう会えないと思っていたのに、そこにいる。
「アキリーズ!」
「
……あ?」
思わず叫んで呼び止めてしまったが、振り返ったのはターバンを巻く黒髪の幼馴染で、彼ではなかった。
アルタンはハッと我に帰る。
「
……誰だって?」
「あ
……す、すまない。その
……俺も一緒に行っていいか?」
不機嫌な声音を感じながら、それでも何故か一緒にいたくて遠慮がちに問うた。
「行くって
……ただの遠乗りだぞ」
「いいんだ、少し
……外の空気を吸いたい」
「
……好きにしろよ」
先程までと明らかに態度の変わった自分を訝しみながらも、バツーは承諾してくれた。
目的の場所へ着いた。アリアを埋葬した場所だ。
集落の者が埋葬されている場所をアリアは気味悪がり、見晴らしの良いこの丘へ還りたいと言ったのだ。爽快な性格の彼女らしい、気持ちの良い場所だった。
バツーは特に何をするでもなく、馬上で静かに目を閉じている。祈っているのか、思い返しているのか分かりようがなかったが、アルタンもそれに倣い、若くして世を去ってしまった彼女のことを想う。
幾許か経ち、目を開けると彼方に長城が見える。アルタンはそれを見つめていたが、いつの間にか目を開けていたバツーが口を開いた。
「もうカンバーランドのことは何とも思ってないぜ」
「そう、なのか
……?」
「正確にはまだ残ってるが、もう騒がねぇよ。色々あったしな」
多くを語ろうとしない様子に、大人になったなと心の中で呟く。
「バツーは
……俺たちがいない間もここへ?」
「ああ。最初は長城に文句言うために来てたが、今は違う
……あいつのことを忘れないために、思い出すためにここに来てる」
「
……思い出す
……」
「一生忘れないと思った。でも年を重ねる毎に、実感するんだ。少しずつ
……あいつが消えていく感覚を」
消える
……?
「村の奴らにも散々言われたよ、早く新しい相手を探せってな。でも俺は結婚する気はない。俺にはあいつしか考えられないんだ。でも、このまま
……あいつが薄れて、本当に居なくなったら、俺は
……一人になっちまうから」
「バツー
……」
悲しみを紛らわせるように、静かな風が二人を包む。
青空に流れる雲はちぎれ合わさり、霞となり消えていく。
馬を歩み寄らせ、すぐ側まで近付いた。いつもとは違う物悲しい瞳の幼馴染に寄り添ってやりたかった。
「もうどんな声だったか、どんな感触だったか朧げなんだ。思い出はあるが、きっと後から俺が帳尻合わせで作ったものもある。記憶ほど当てにならないものはないからな
……毎年、それを実感するんだ。ピーターには偉そうに心の中にいるとか言ったが
……いないのがだんだん当たり前になっちまって
……」
だんだん声が沈んで行き、二人して俯いてしまう。
「皆、消えてしまうのか
……いつか、
……あいつも
……」
思わず漏れた言葉に、バツーがこちらを向く。
「
……皇帝のことか?」
「
……遺体も見つけられなかった。ずっと実感出来なかったんだ。でもアズィーザが来て
……あいつの残した言葉を聞いて、諦めが付いたと思ってた。でもまだ、いつかどこかで会えるんじゃないかと
……納得しきれていないんだ」
目を細め遠くを見やる。
いつもと変わらず風が吹き抜ける、地平線の限り続く原野。いつだったか、彼はこの何もない場所を気に入ったと言っていた。
「でもいつか、あいつの記憶も、俺のこのしょうもない気持ちすらも、全部
……消えてしまうんだろうか
……」
「
――だから、思い出すんだろうが」
悶々とした空気を裂くようなハッキリとした声に、思わずバツーの方を見る。先程までの物悲しさは既に消え、意志の強そうな黒曜石の瞳がそこにあった。
「先のことなんて分からねぇ。でも例えあいつのことを忘れても、俺は毎年ここへ来る。じーさんになってボケても、何で来るのか、誰のためなのか
……それすら忘れちまっても、きっと通い詰めたこの体が覚えてくれてる。俺には大事な奴がいたんだってな」
「
……お前は
……強いな」
「大分経ってるからそう思えるだけだ。あん時はとてもじゃねぇが無理だったぜ。人間変わるもんだな」
「俺も
……お前みたいに思えるように
……なれるといいな」
きっと何十年経っても、彼のことは忘れないだろう。でもバツーのような経験者がそう言うのだ。いつか自分も同じようになるかもしれない。
「お前、あの皇帝とは
――いや、何でもない」
「
……初めは、全く別の世界の人間だと思ったんだ。でも話してみればいい奴だし、外見は派手だが意外と幼くて素直なところもあったり、見えないところで苦労もしてた。頭が良くて、教えるのも上手くてな
……おかげで読み書きが出来るようになった」
「
……へぇ、意外だな」
棒読みのように感想を言い放ち、バツーは面白くなさそうに遠くを見た。アルタンはそんな幼馴染の顔を横から覗き込む。
「お前はあいつのこと
……なじり倒すと思ってたぞ」
「俺を何だと思ってんだ。気にくわねぇ奴だが、お前にとっては大事な奴だったんだろ。それを貶す権利なんて俺にはねぇよ。余程世話になってたみたいだしな」
皇帝が遊牧民に読み書きを教える。そんな光景とても想像できなかったから。
「
……バツー、何だか大人になったな」
「あ?お互い良い年だろが」
いやちょっと意味が違うんだが
…と否定するとまた反論されそうなのでそっとしておいた。
それにしても、昔は帝国やカンバーランドの話になると喚き散らしていたというのに。今のバツーになら思い切って相談出来るかもしれないと、ついに切り出した。
「なあ、バツー。手伝ってくれないか?」
「何を?」
「ステップを、国家にする」
バツーは口をあんぐり開け、何とも間抜けな面持ちでこちらを見た。
「
……面白い顔だな」
「
……ステップを、何だって?」
「国家にすると言ったんだ、国造りというやつだな。でも国家というよりはその手前段階だ。他国と対等に渡り合えるように統一同盟を組みたいんだ」
「何バカなこと言ってんだお前は。このだだっ広い原っぱに石の街でも作るってのか?カンバーランドみたく??冗談だろ」
「俺は本気だ。それに街は必要ない。ただ俺たちが一枚岩になれるように、約定を設けるんだ。それにもうすぐここも帝国の統治下に入る、じき使者が来るだろう。それに備えられるように各部族の元へ説得に廻ってるんだ。ついでに同盟の話も出しておきたくてな。結成したら
……カンバーランドと和平協定が今のところの最終目的だ。」
バツーはまたあんぐり開けるしかなかった。
冗談かと思ったが、昔から真面目一辺倒だったこいつがこんな嘘を言うはずがない。
「カンバーランドと
……?そんなことが
……」
「できる。というかするんだ。向こうにも話の分かる奴はいる、お前だって知ってるだろう。それに俺は先帝の仲間で、お前も向こうの女王とその弟と交流がある。そしてアズィーザが新皇帝に即位した。こんな絶好の機会はもう巡ってこないだろう」
「まあ、何で王族やらとこんなに縁があるんだとは思ってたが
……」
「それに
……あいつも望んでたことなんだ。ここは大陸の中央で交通の要所だ。カンバーランドと上手く連携が取れれば馬の足を生かして陸路、海路を使える貿易国家にもなれるとな。あいつはそれを夢見てたんだ。食料もある程度輸入できればゾド(雪害)で死ぬ者も減る」
「
……でもそれは皇帝の夢だろ。お前はそれがしたいのかよ」
「さっきのバツーの話、分かる気がするんだ。俺も忘れたくない
……だからずっと、あいつに関わる何かに取り組みたいのかもしれない。俺が原案を作って、あいつにもみてもらった
……一緒に作り上げた綱領なんだ。どこかであいつの存在を感じていたいのかもな」
「
……お前はそんなんでいいのかよ、そんな生き方で」
過去に囚われている。それでいいのかと。
「
……そう、だな。未練がましいのはわかってる。俺は昔からあまり自分の意思には頓着しなかったんだ。族長として強くあり、村を守れればそれでいいと。でもあいつと出会って、一緒に過ごして、助けられて
……今度は俺があいつの夢の一つを叶えてやりたいと思った。それが俺の
……夢になったんだと思う」
「
……村の生活が変わるかもしれねぇぞ」
「変わらないようにする。帝国領になっても生活様式は変えない。これもあいつの理想だったんだがな
……向こうの軍師もそれを良く汲んでくれている。彼と俺が生きているうちに、なるべくステップに益が残るよう地盤を組んでおきたいんだ」
「
……お前、ほんとに分かってんのか?夢だの理想だの言ってるが帝国に良いように使われてるだけだぞ?」
「流石バツー、鋭いな。お前みたいな奴が味方に必要なんだ。でも安心しろ、あちらの軍師は底知れぬ男だが何故か俺には甘い。こちらの権利が損なわれないように約定にうまく組み込んである、他の文官達には匂わせない程度にな」
「
……現段階での協力者は」
「ファティマと軍師、以上だ」
バツーは盛大なため息を吐いた。
「俺でやっと三人目かよ
……くそ、死ぬまで仕事漬けじゃねぇか
……」
「生き甲斐になるぞ?」
「
……ここんとこずっと篭ってたのもそれかよ」
「そうだ。草案の最終確認はしてもらってるから、今は各部族の把握と統治法の訂正が主だな。こちらの情勢が把握できたらおそらく帝国も動き出す。帝国領に入るのに何も準備していなければ不利な条件を呑まされ兼ねないからな。その前にこちらも結束して備えておくんだ。他国と渡り合うためと言ったが、その中には帝国も含まれている。これはステップを守るための防衛策でもあるんだ」
「
……」
バツーはしばらく腕を組み、俯き考えていたが、徐に馬から降りた。
「お前も降りろ」
「?
……ああ」
馬から降りたアルタンに正面から向き合い、バツーは何故か首をコキコキ鳴らし、指もバキバキ鳴らしている。
「バツー
……?」
「話は分かった、俺の言いたいことは分かるな?」
手首を振るいながら少し前屈みになり、にじり寄る感じで構えている。
「ま、まさか
……」
「自分より弱い奴の命令は受けねぇ。相撲で勝てたら話に乗ってやるよ」
「
……それで良いのか?俺が勝ち越してるが
……」
「今までのは無しだ!もう十年は経ってんだからな、今日からカウントだ!それに帰ってきてずーっと肉体労働サボってるお前なんかに負ける気がしねぇんだよ」
「
……ふっ、言ったな?」
アルタンも負けじと不敵に笑って見せる。太ももの上に片手を置き、子供の頃からそうしていた構えを取る。
(な、何が起きた
……?)
バツーに負けた。あの猪突猛進しか取り柄のなかったバツーに。足を払われ、こんなに呆気なく。アルタンは大の字に寝そべり眼前に広がる青空をただ眺めることしかできなかった。
「はっ!俺の勝ちだ。つーことでさっきの話は無しな」
「ま、まだニ回戦がある!」
「勝手に延長すんじゃねぇ!それに何回やったって同じだ、お前足腰弱りすぎなんだよ!お勉強もいいがもっと運動しろってんだ!」
「ぐっ
……」
「鍛え直して出直すんだな。まあ俺を勝ち越せたらさっきの話、乗ってやらんでもないぜ?」
「分かった、精進する
……」
フフン、と得意げに頭上から見下ろす幼馴染に悔しさが込み上げ、絶対負かすと決意した。
差し出された手を取り立ち上がり、土汚れを払い落とす。
(もっと
……強くならないとな。あいつに顔向けできるように)
いつか二人で見上げたこの空に、人知れず新たな火を胸に宿す。背から優しい風に包み込まれ、大きくするようにゆらゆらと揺らめかせる。
懐かしい腕を感じさせるそのぬくもりに、どこかで彼が笑っている気がした。
風と火がひとつになり、舞い踊る
流れ、千切れて、消えては生まれ
それでも惹かれ、糸を辿り巡り逢う
幻のように、命の瞬きのように、淡く輝きながら
いつかまた逢える
その時が待ち遠しいと、唄い続けるように
→
族長バルザイとの会話
2年後の話 モブ×アルタン
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