鹿
2025-10-10 00:51:09
39819文字
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【WEB再録】お前ら、よそでやれ!

いろんな時空の土斎に新八が巻き込まれ続けて可哀想な短編集です。

ジエンドイベントでますます土斎に頭を抱えているし邪馬台国から5周年だしで何かしたいので昨年のスパークで出した再販予定のない本を再録することにしました。
最新イベント通った今の自分だとこうは書かないだろうなあという部分が多々ありますがそこも含め温かい目で見ていただければと思います。



江戸は遠い、板橋で

 自分がこの場所を忘れることなんぞあるはずもないが、記憶にあるよりはずっと道のりは遠く感じた。特に鉄道が引かれて以来、年々景色が変わっていっている。
「今の儂にはちいと歩きづらいぜ」
そのうちここも家や店に囲まれるんだろうか。埋もれないように、できるだけ大きく建てたつもりだったが、きっと後に作られる建物の方がずっと高い。
「世の中が進んでいくのは速えなあ、本当に。けどまあ、賑やかになるのはきっと悪かねえよ……お前らも、その方が楽しいか?」
 語りかけても応えるものはない。当然だ。石なんだから。だがその石に、死んだ人間の名前を一〇〇人分刻むことに、意味があると俺は信じたのだ。
 近頃見え辛くなった目にもあいつらの名前が見えるようにと近づいた。花の一本も持ってきてやったら良かったと思う。石は、世の賑わいに取り残されているように見えてしまった。
……二番隊隊長永倉新八、帰参した。久しぶりだな、みんな」
 そう言って、手を合わせた。この石塔――新選組隊士の供養塔を建ててからももう何十年になるのだったか。尋ねてくれる者は、今どれほどいてくれるのだろう。わずかに生き残った者たちも一人、また一人とこの世を去った。いったいどこに――
「帰参とは、妙なことを言うもんだ。ここは家でもなんでもないでしょうに」
 だから一瞬、その声を幻聴の類かと思ってしまった。昔のことを考えるあまりに、記憶の底から転げ出たものかと。だが振り返ると、確かに声を発した人影を認めることができた。
「さいと」
「おや? 誰かとお間違いじゃありませんかね?『杉村』さん」
 静かな口調で今の自分の名を呼ばれると、途端に自分の記憶に自信が持てなくなる。確かに知っている顔のはずなのに、この爺さんは誰なんだと問いたくなる。
老人は、自分から声をかけておきながら、一間ほどの間をおいてそれ以上近づいてこようとはしなかった。顔のつくりは自分の知る男と同じはずだが、深い皺も穏やかな笑顔も、奴の顔に刻まれるにはどうもしっくりこない。それにこの杖をついてもまるで曲がらない背筋は、正面から相手を見据える視線はなんだ? あの男はいつだって斜に構えていて、ひねくれた性根が見た目にも現れていたはずなのに。
 本当に、この藤田五郎という老人は、かつて共に京の街を駆けた、あの男なのだろうか。
「このあたりもずいぶん街並みが変わりましたね。競馬場ができたと思ったら無くなって、火事で燃えたと思ったらその跡に遊郭まで作って――――あなたも、どこかで遊んできたらいかがです? こんなところ、見る物もないでしょう」
 この石塔に向かってそんなことを言うのか。あの男が。
……お前も賛同して建てたもんだろうが」
「ええ、杉村さんがどうしてもとおっしゃるので。しかし、大げさなことをなさいますね」
「大げさだと? 皆、必死で戦ったんだ。盛大に弔ってやらなきゃならねえだろうがよ」
 昔、箱館でもうでた碑はずいぶんな山奥にあって難儀したものだ。あいつらは『反逆者』なのだから仕方ないと言うが、納得などできるものか。あの頃俺たちは皆、誰しも志さえあれば世を変えることができるのだと、信じていたんじゃなかったのか。先の見えぬ世を切り拓くために必要なのだと信じて、目の前の肉と骨を斬っていたんじゃなかったのか。
「終わってみりゃどいつもこいつも、自分は最初からわかっていたとでも言いたげな顔して、戦って死んだ連中を嘲笑いやがる」
「生き延びた人間の特権ですねえ」
 なぜ他人事のような顔ができる? なぜ新政府の下で、何でもないような顔をして仕事ができたんだ? 苛立ちを抑えられず顔を背けた。その先では石にひときわ大きく刻んだ名前がこちらを見下ろしている。
「石塔を建てるのも、手を合わせるのも、花を供えるのも、生きた者にしかできません。どれほど勇ましく戦ったところで、死んでしまったらそこでお終いです。焼けた街に新しく建物を作るのは生きた人間だ。石になった人たちは礼のひとつさえ言ってやくれませんよ」
 だから無意味だとでも言うのか! よりによってお前が! あの日同じ旗を見上げていたお前が!! あいつと別れてからも会津で戦っていたはずのお前が――――!!
「黙れ! そう思うなら手前、何しにここに来た!」
 思わず声を張り上げる。最近、大声を出すと身体の節々が軋むような感覚があった。年をとったのだと身体が訴えている。ああ、だからこそ、記憶が、心が、あの頃を引きずり出せと吠え立てるんだ。だって俺が叫ばなけりゃ、誰が――――
――――そうだ。お前がいるからだよ、新八」
 藤田五郎ではない男の声が、急に手の届くほど近くに聞こえた。
 咄嗟に杖を掲げられたことに自分でも驚いてしまう。あんなにも遠くなったはずなのに、あの日々は長い人生のうちのたった数年であったはずなのに、それでも刹那の殺気を自分はまだ感じ取れたのか! そんなことを考える暇もなく、杖に衝撃が伝わる。自分の勘はまだ鈍っていなかったことを理解し、突如手に持っていた杖で打ち込んできた相手を睨みつける。
男に不意の奇襲を防がれたことへの驚きはないようだ。昔からいつだって真っ直ぐに俺を見ることがなかった男は、今も睨めあげるように、ぎょろりとした目でこちらを窺っている。鍔迫り合いの形に持っていこうとするが、相手はそれを察したのか手首をぬるりと返して杖を受け流し、後ろに飛び退った。
 何をしやがると問う暇はない。三歩ほど先、男は両手をだらりと下げて立っている。先ほど打ち込んできたばかりとも、これから打ち込んでくるようにも、とても見えない。だが俺は知っている――奴が一歩を踏み出せば、それが死合の合図となることを。
流派もなく、形もなく。気づいた時には必中の間合いまで入り込む、薄気味悪い踏み込み。無敵とまで思った、剣の根幹を成すもの。目に映る男の姿はしわがれた老人のものなのに、はっきりとその気配を感じ取れる。
 新選組三番隊隊長、斎藤一がそこにいた。
――――オラァッッッ!!」
 だからこそ、考えるより先に先に踏み込め! それがかつて斎藤との仕合で得た結論だ。策も何も無くただ真っ直ぐに突っ込んで力一杯杖を振り下ろす。当然のように避けられるが構わない、間髪入れず今度は横薙ぎに振るう。杖が打ち合う衝撃が手に伝わり、それで相手の位置がわかった。あえて目で追うことはしない。斎藤は不気味なほどに足音をさせないため、気配だけを頼りに――というより、ほとんど勘でしかない。
(こんなやり方、門下生どもにゃ絶対に教えねえ)
 だがかつて俺たちは、田舎道場だ野蛮な壬生狼だと蔑まれようと、命を懸けた実戦でしか辿り着けない境地があると、信じて剣を振るっていただろう!
 しかし当然勘だけでどうにかなる相手とも思っていない。運よく正面で打ち合えた瞬間を逃さず、さらに一歩前に踏み込み斎藤の胸ぐらを掴む。
 小さく舌打ちの音が聞こえた。本当に、こいつは昔から態度の悪い糞餓鬼だったことが今さら思い出され、場違いな懐かしさを覚えながらその糞餓鬼を引き倒そうとする。
「誰かさんみたいなことを」
 斎藤が低くつぶやくとともに、足に急に力を入れられなくなった。足払いをかけられたのだと遅れて気づく。だがこちらも服を掴む手を決して離さなかったおかげで、斎藤も一緒に倒れ込むことになった。
(ああ、確かにこりゃ、あいつのやり方だ)
 剣の腕で負けると思ったことはないが、戦って勝てる気もしなかった、昔馴染みの男の顔が脳裏をよぎる。合理と理屈を説くわりに、底にあるのは『決して勝つまで諦めない』という意地だけの、俺たちにふさわしい馬鹿な副長だった。
 思い出に浸る間もなく地面に激突する。痛みを感じるより速く、お互い相手に優位な体勢をとろうと地面を転げた。
(馬鹿が二人で何をしてんだって、呆れてくれる奴も、叱る奴も、笑う奴も、もうこの世にゃいねえのにな)
 ふと思考が他所に飛ぼうとしたのを引き戻すかのように、斎藤が片手で俺の首を捉えた。そのまま俺を地に押さえつけ、身体の上にのしかかる体勢になった斎藤は、ぎらついた目で見下ろして、杖を振り下ろそうとする。
 だが、こと斎藤 こいつに関しては、ふらふら自由にされるより、俺を押さえるため片手が塞がってる今の方がよほど対処がしやすいとさえ思う。そう思うとここ最近、動かすのが難儀だったはずの身体が、不思議と軽くなるような気がしてくる。まるでかつての日のように――ただ我武者羅に腕を振るった。
 ――杖から、鈍い音がする。手に伝わる感触も明らかにこれまでと違う。打ち合った杖がぱっきりと折れてしまったのだと、目で見て理解したのはその後だ。
――お前、氏繁ちゃんはどうしたよ。馬鹿の荒い使い方にも健気に着いてきてくれた良いだったのに」
 池田屋で俺が播州手柄山氏繁の切先を欠けさせたことを言っているのだろう。確かに剣気を爆発させようが、欠けたとしても折れることはなく、廃刀令が出されたって手放し難くて、密かに杖に仕込んで明治の間も持ち続けていた愛刀だ。
 だが、最近は部屋に仕舞い込むことが多くなっていた。今の世には必要ないと言えばそれまでだが、俺たちの、魂ではなかったのか。
――ま、それは俺もだがな」
 見れば、斎藤の杖も折れて半分以下の長さになってしまっていた。いつの間にか喋り方はすっかり昔のように戻っている。顔は老けたはずなのに、皮肉気で斜に構えた笑い方もあの頃のままだ。
「何がしてえんだよ、手前は」
 もう戦意はないくせに、のしかかったまま退こうとしない斎藤に吐き捨てる。何を考えているかわからない男だったのは昔からだが、いよいよ全く意味がわからない。老いぼれて頭がどうかしたのではないか。
「ああ、まただ――――青い」
 俺を見下ろす目は不思議なことに、爛々と光っているようにも見える。そうだ、暗闇で光る猫の目にも似ていると、昔そう思っていたんだ――かつて、こいつが仲間にも言えない仕事をしていた時、月明かりさえない夜闇で周囲を窺っていた時――あの男の指示で動く、刀のように振る舞っていた時に。
「お前の眼、時々さ、明るい青に見える時があるんだ。空でも映ったせいなのか?」
 斎藤が俺の眼球を指差して言うのを他人事のように見ていた。奴がほんの少し気まぐれを起こせばそのまま目玉を潰せるだろう。だがどうしてか、慌てる気が起きない。
「知るわけねえ……自分の目玉なんざ見えるかよ」
「馬鹿っ八らしい答えだこと」
 斎藤は呆れたようにため息をついて俺の身体から退いた。打ち合っていた時の殺気はとうに消えている。起きあがろうとする俺を見ているのか見ていないのかも定かではない。
「沖田が昔言ってたよ、お前の目は――俺たちの、羽織の色だって」
 ずいぶん久しぶりに聞く名前だった。自分の眼が、あいつにそんな風に思われていたことを知らずにいた。あの道場で過ごしていた頃は一緒に道場破りをして回ったものだが、それだけに床から起き上がるのもままならなくなった姿は見るに堪えなかった。
……それなら、もっと見せてやればよかった」
 ああ、違う、違う。こんなしみったれことを言いたいんじゃない。沖田は強かった、俺たちの中でもいっとう猛者だった、誰かにあいつの話をするんならそう言いたいのに。
……爺になったな」
「言うな! ……言うんじゃ、ねえ」
 当たり前だ、あれから何十年経ったと思う。もうすぐあの頃を知る者は誰もいなくなる。俺が、あるいはお前が最後、そう思ったらいてもたってもいられなくてここまで来てしまった。
「本当に――馬鹿ですねえ、新八 こいつは」
 その言い方は、俺に向けたものではなかった。うつむいていた顔を上げると、斎藤は俺の方に顔を向けていたが、焦点は俺よりも後ろに合っている。
「お前、何を見て――
 ――いや違う。知っている。気づいた瞬間全身に寒気が走る。こいつがこんな顔をするのがどんな時か、俺は、知っている。
 あいつを見ている時の顔だ。
「 」
 斎藤は口を開いたが、音にはしなかった。だがきっと問題はないのだろう。すでにこの世のものではない相手を呼ぶのに、ここにある空気を震わせてやる必要なんぞ無い。
 この、いつの間に俺と同じか、ほんの少しだけ高くなった目線、それをさらに少し見上げて向ける相手――俺はそいつをよく知っている! お前にそんな顔をさせていたのは、お前を生意気な糞餓鬼でいられないようにしたのは、あの日俺が見捨てたのは、見捨てられてなお止まらず、ただ一人の地獄に突き進んでいったのは!
「いるのか、そこに」
 斎藤は人より大きな口をさらに横にいっぱいに引きつらせる。こんなにぱっくりと割れていると口というより、しなびた皮に入った切れ目のようだ。生きた動物の皮ではなく、何かを封じ込めた蓋のような。割れてしまえば、そこから何かがぬるりと這い出てくる。そうして這い出たものが、今こいつの身体を震わせているのだ。
「何を……笑ってやがる」
「そりゃおかしいだろ。だって、いつでもそこにいる人のことが見えねえし、こんな石のとこまで来なきゃ思い出せねえって言うんだから。爺の耄碌もここに極まれり。ね、」
 ほんの少し首を傾げるその仕草は、視線の先の男へのお伺いだ。そんなうっとりと焦がれるような顔が、どうしてできる。
「じゃあお前は、ずっと見えてたって言うのか? 誰も彼もがあいつらのことせせら笑っていた時も? 過ぎた時代のガラクタみてえに忘れていこうとしてる時も?」
「誰かが嘲笑ってたからなんだ? 誰もが忘れていこうとしたからなんだ? 誰も知る者がいなくなるとしたって、きっとみんな止まりゃしねえよ、そうだったろ⁉︎」
 呆然とする永倉に、斎藤はまったくしょうがないと世話を焼いてでもいるような顔をする。
「関係ねえんだ、誰にも褒められなくたって、知られなくたって。それであの旗が折れることはない。あの日々は、俺たちの誠は――――ずっと変わらず、ここにある」
 そう言って斎藤は目玉を指さす。あの日皆で揃えた羽織の色をしているらしい、俺の目を。
……それじゃあお前あんまり――辛いまんまじゃねえか」
 斎藤の頬がひくりと動いた。
「俺は、儂には、耐えられん、血を流していた時のままいるなんて」
 手で顔を押さえると、古傷に触れた。とうの昔に痛みは無い。顔だけでなく体中に、無数の斬られた跡、撃たれた跡があるが、昔教えた獄卒共に、勲章だと誇ってみせたものだった。
お前たちの死を悼むものは確かにいると石に刻みつけたかった。確かに残る形にしてやりたかった。俺たちは夢に向かって生きていたと人に知って、そう思ってほしかった。皆この国のために戦ったんだと、胸を張ってみせたかった。
 だってそうじゃねえか。そうしなきゃあの日々は、敵を斬って、味方を斬って、ばらばらになったあの日々は――あまりに後悔ばかりが募って、仕方がない。
「あの日々を、ただそのまま抱えて生きるなんて、そんなのは、儂には」
 ――狂気の沙汰としか思えない。
 
 それきり、俯いた顔を上げることができないでいた。
…………馬鹿だな、本当に」
 男が最後にそう呟いた声が、どうしてか優しく聞こえたのは錯覚だろうか。斎藤か、藤田かはわからない男が去っていく気配がしたが、とうとう顔を見ることはできなかった。

その後どこをどう歩いたかも覚えていないが、立ち寄った酒場でずいぶん久しぶりに酒を飲んだ。あまり質の良くないとはわかっていても、飲まずにはいられなかった。

酒でぼやけた目に、俺たちの中でもいっとう猛者だった、小柄な女の姿が映る。剣を携えてどこか行こうとしている。なあお前、病は治ったのか?
――治ってはいませんけど、戦えはしますから!
そんなことを嬉しそうに言って去って行った。

血を流しながらどこまでもどこまでも進んでいく洋装の男がいる。負けてあの人を失った姿のまま、いつ死んでもおかしくない傷を負って、どうして進もうとする?
――まだ、終わってねえからだ。勝つまでやりゃあ、まだ負けてねえ。
進み続ける男を、じっと見つめる男がいる。見ているだけで痛いくせに、どうしてそんな、愛おしむような顔をする? どうして傷ついた日を過去にしようとしない?
――ごちゃごちゃくだらねえこと考えてんじゃねえよ、馬鹿っ八のくせに。

親切者が、あの日のように穏やかな笑顔でそこにいる。ああすまねえ、あの時俺は――
――いいんだ。私には、悔いなんて最初から、無かったんだから。
そんなはずないだろう、あんな悲しい最後で……待ってくれ、どこに行くんだ?
――こんな私を、呼んでくれる人がいるらしいからね。君は……どうするんだい?
俺は……儂は……――


――爺さん、体はいたわった方がいいぜ?」
酒場の店主が心配そうに声をかけてくる。おかしなことを言うやつだ。
「儂は、爺じゃねえ」
 だってそうじゃねえか、お化けが怖くて泣きそうな爺なんていてたまるかよ。


なあ皆、もう少し、あと少しだけ待っててくれねえかな。
少しばかり頭がおかしくならなきゃ、あの日の夢の続きなんて、儂には見られそうもない。