来羅
2025-10-08 12:02:08
20988文字
Public サンプル
 

再来サンプル(風信)

11月16日スパークにて発行予定の転生俳優現パロです。以前ふせったーにて呟いていた話を文章にしました。
サンプルは全年齢ですが、本自体はR-18なのでご注意ください。





「おはようございます!」
 挨拶は基本だ。
 ここ数日、龍捲風がスタジオに現れると同時に駆け寄る信一に、まるで飼い主に尻尾を振る子犬みたいだと揶揄われながらも、龍捲風は目尻を和らげた。
「おはよう。今日も早いな」
「龍捲風さんと芝居ができるのが嬉しくて!」
 子犬みたい、というのもわからなくもなく、思わず伸ばしていた手でそのふわふわの髪を撫でれば、照れくさそうに頬を染めるものだから、龍捲風は動揺を隠せない。
 藍信一は気の良い青年だった。
 前世でももちろん、龍捲風の期待以上に良い子に育ってくれた。けれどもあの頃と比べて、黒社会とは縁のない、平和で安全な世界に育った信一は、周囲からの愛情を一身に受けてまるで影のない光そのものだ。
 その青年が、前世と同じように龍捲風の目の前にいて、懐いてくれている。可愛くないわけがない。
 龍捲風さん、とそばに来るたびに愛しさで胸が熱くなる。
 龍捲風さん、と呼ばれるたびに、切なさで胸が痛くなる。
 信一に記憶はない。わかっている。
 あの信一とこの信一は同じじゃないと、何度も言い聞かせながら、彼との撮影に入る。
舞台で演技力を磨いただけはあって、気難しい監督にも気に入られている信一は出番が増えた。その華やかな外見も相俟って、ドラマの放映が始まると新たなファンもうなぎ上りで、次の仕事も多く来ているらしい。無理もない。この見た目でこの性格だ。嫌いになる方が難しい。誰もが好きにならずにはいられない。
 それでも、あの信一とこの信一は同じじゃないのだ。
 龍捲風はまた自分に諭す。
 家に帰ってひとりになると、疲労感が増した。
 今生では誰かといるよりもひとりでいることが多かったはずなのに、誰もいない空間は妙に堪えた。
 目を閉じれば、信一の顔が浮かぶ。
 それは前世のときもあれば、その日の撮影での姿もあり、けれどもどちらの信一も龍捲風を見て実に幸せそうに笑うのだ。いつの間にかシャッターの前での悲痛な顔が浮かぶことは減っていた。
 隣り合って、他愛のない話をする。
 芝居の奥深さについて質問されたりもする。
 そして気がつけば遠ざかる姿に、龍捲風は必死に手を伸ばす。
「信一!」
 声は音にならない。
 呼びかけはいつも届かない。
『大佬』
『龍捲風さん』
 離れていく信一は、けれども最後は必ず振り返って手を差し出した。
 龍捲風はその手を取ろうとして、そうして毎朝、無粋なアラームに起こされるのだ。
 目を開けるとカーテンを閉め忘れた窓からは燦燦と朝日が注がれていて、その眩しさに呻く。耳元で鳴り続けるアラームを感覚だけでなんとか探り、スプリングの利いたベッドで寝返りを打った。
 ここはあの城砦ではない。
 安心で、安全な、龍捲風ただひとりのための家だ。ひとりの部屋だ。
 夢かと呟いて、溜め息をつく日が増えた。
 必然的に寝たのか寝ていないのかわからないような浅い眠りが続き、睡眠不足で頭がぼうっとする。
 それでも眠れば夢の中では愛しい存在がすぐそこにあり、龍捲風は今日も目を閉じる。
……う、大佬』
 その日は、愛しい声がした。
『ここで寝たら駄目だってば』
 肩を揺さぶる手があまりに優しかったから、捕まえて、引き寄せた。うたた寝の気持ち良さからはすぐには戻ってこられない。意識はまだ夢現を揺蕩っていた。
『大佬』
 引き寄せた体は膝の上に乗り上げたのか、両肩に腕を乗せて抱きついてくる。熱いくらいの体温はシャワーを浴びてきたからだろう。目を閉じたまま、手探りで細い腰に手を回せば、くすくすと笑う声が耳元で囁いた。
『もう、起きてるんだろ』
 いや、寝てる。まだ寝ているのだ。
 だから許されるとばかりに肩口に頬を押し付けて、石鹸の香りを深く吸い込む。この城砦において水も湯も自由に使えるのは長たる立場ゆえの特権だが、こればかりは感謝せざるを得なかった。まだ濡れた髪が当たってくすぐったい。笑いながら湿った首筋に鼻先を押し付けて、シャツの裾をたくし上げる。
『寝てる人は、こんなことしないって』
 露わにした腰に指を滑らせ、背骨の形を確かめるように背中を撫で上げた。短く息を詰めてくねらせた体は、けれども止めてくれとは言わないから調子に乗る。
 顔を傾けて頬に口付けた。まだ目は閉じたままだから、その唇は思っていた場所ではなく、髪の生え際に当たる。またくすくすと笑い声がする。
『そこじゃなくて』
 こっちに、と少し離れた顔がそっと近づく気配がして、だからわざと位置をずらし音を立てて口付けた。
『大佬!』
 この声はきっと頬を膨らませているに違いない。
 閉じた瞼の裏にその姿を思い描いて、思わず笑みが漏れた。するとますます不貞腐れた声で起きてと揺さぶられるから、今度は声を上げて笑う。
 そんなところも可愛くてたまらないのだからしかたがない、などと言えばもっと怒らせてしまうだろうか。
『もう、起きてってば!』
「────ん、」
『寝たふりやめて』
「──さん、」
 あまりに揶揄って臍を曲げられても困る。でももう少しだけ戯れていたい気もする。
『起きて』
「──ん、起きてください」
『大佬』
 起きて、と甘くねだる声に、ようやく薄っすらと目を開けた。
 白くぼやける視界の眩しさにまた一度閉じ、ぐっと眉根を寄せてから、再び開ける。
 覗き込んでくる愛し子は、膨れっ面ではなかった。
 やっと起きた、と頬を緩めて笑んだ顔がまた愛らしくて、揶揄いすぎたことを詫びるようにその両手を伸ばす。
……信仔」
 抱きしめるように首の後ろに手を回した。引き寄せた顔が驚いたように目をぱちぱちさせるのがまた愛らしい。そう言えば、頬を染めてまったくもうと唇を尖らせるのだろう。
 そんな想像をして、そっと顔を寄せる。
 ほんの触れるだけのキスに、信一の唇が震えた。
 柔らかでふっくらとした感触。少しだけ乾燥にかさついている。ほんのりとコーヒーの香りがした。
 砂糖をたっぷり入れた甘いコーヒーだ。休憩の間に飲んだのだろう。
 スタジオの外の廊下には、いつでも温かいコーヒーと紅茶とお茶、簡単に摘まめる菓子類やサンドイッチなどの軽食が置かれている。いつもならば龍捲風もまた、休憩時間は普洱茶をもらうことにしていた。
 スタジオ。ここは、スタジオだ。
「──────っ」
 はたと気づいて目を見開いた。
 大きく、ゆっくりと瞬いた龍捲風の、その鼻先が触れそうなくらい近くに、同じく丸い虹彩がわかるほどに見開かれた瞳がある。
………………ぁ、」
 微かな声に、吐息が唇にかかった。
 唇、に。
 思わずごくりと息を呑んだ龍捲風に、目の前にある滑らかな頬がさぁっと赤く染まる。
 そうして龍捲風は弾かれたように手を離して仰け反った。がたりと椅子が音を立て、その音に反応した信一もまた一瞬で距離を取り、背を向ける。
「あああのっ、そろそろ、出番だから、その、」
「あ、ああ……、あ、いや、」
「すみません! さ、先に行きます! すみません!」
 龍捲風の言いかけた言葉を遮るように信一は踵を返した。
 何が起きたんだろう。
 いったい、何が起きたのか。
 信一は片手で口を覆って、視線を彷徨わせる。
 休憩時間は俳優やスタッフによってまちまちだ。信一が休憩に入ったときには、龍捲風はすでに休憩に入っていた。すっかり馴染みになったスタッフから信一好みの甘さにしたコーヒーを受け取って、数口。龍捲風の出番を告げるマネージャーに、呼んできましょうかと手を挙げたのは、彼に電話がかかってきたからだった。向こうの廊下の突き当りのソファにいるはずだと言われて、少しばかり浮かれたのはしかたがない。信一はこの現場においても龍捲風ファンを公言している。
 龍捲風さん、と呼びかけるのを最初は躊躇した。
 薄暗い廊下の突き当たり。自販機の影に隠れるように壁に背を預けて、龍捲風が目を閉じている。天窓から薄く差し込む月明かりがぼんやりと寝顔を照らしていて、長い睫毛の先まで輝いているように見えた。
 龍捲風さん、と小さく呼んでみた。寝息が穏やかで、ぴくりとも動かない。
 疲れているのだろう。
 ベテランの刑事を演じる龍捲風は今回アクションも多い。
 寝入っているのを起こすのは忍びなかったが、それでも出番は近づいている。
「龍捲風さん、起きてください」
 申し訳程度に肩を揺すった。
 こんな無防備な姿を見られるのは、がんばって俳優になったおかげだ、なんて鼻歌さえ歌いそうな気分だ。
 ゆっくりと開かれる瞳はまだぼうっとしていて、少しだけ可愛い。思わず頬を緩める。
「信仔」
 不明瞭な、けれども確かにそう言った気がする龍捲風の手が伸びてきたとき、だから信一は身構えることもなく目を瞬いただけだった。
 ふっくらとした柔らかな感触。
 唇に当たる、生温かな吐息。
 息もできずに目を見開いた信一に、笑いかけた龍捲風の顔はどんでもなく甘かった。
 なんで。
 なんで。
 頬が熱い。唇が震える。きっと自分は今みっともない顔をしていると思った。
「キス」
 してしまったのだ。あれはキスだった。
 誰かと間違えたんだろう。
 信一が不用意にも近づきすぎたせいで、勘違いしたのかもしれない。
 そりゃあ、あんなに魅力的な人なのだ。恋人のひとりやふたりいたところで驚いてはいけないし、ガッカリはしていけない。
 いや、ガッカリってなんだ。ガッカリ、なんて。
 そんなのまるで。
 まるで。
「信一!」
 ひどく切羽詰まった声に呼ばれて、手首を掴まれた。
 びくりと体を震わせて立ち止まった信一に、はっとして手を離した龍捲風がすまないと両手を上げる。
「その、謝らせてくれないか」
「いえ、」
「さっきは、その、本当にすまなかった。寝ぼけていて」
「あの、わかってます。恋人と間違えたんですよね。龍捲風さんも隅に置けないな」
「こっ、……いや、」
 恋人、といえば、恋人だ。が、それは目の前にいる青年の前世であって、彼であって、彼ではない。
 顔を赤らめたまま、また去っていきそうな信一をなんとか引き留めたくて、焦る。言葉は空回りした。
「恋、人ではなく、……その、……ね、猫、が!」
……………………
…………ねこ、が」
 ひどい。ひどい、言い訳だ。これはない。
 口から飛び出た言葉を言い直すことはできなくて、冷汗をかきながら再び「猫」と口にした龍捲風に、信一が呆けた顔で見返した。
「ねこ」
「あ、ああ、昔、飼っていた猫の夢を見ていて」
……猫」
「その、本当に、すまなかった。猫と、間違えてしまって」
…………猫と」
「ああ」
 胡乱な眼差しで見返されても、もう押し切るしかない。役者が聞いて呆れる。
 龍捲風とて、言えるものなら言いたかった。夢に見るほどに恋しかったのはお前なのだと言ってしまいたかった。抱きしめたかった。
「わかりました、猫、ですね」
 苦笑する信一は、今度写真見せてくださいなどと意地の悪いことを言うでもなく、あの頃も龍捲風のすることを「しかたがないなぁ」と許すときによく見せていた顔をして、龍捲風を見る。
 良い子、なのだ。
 あの頃とは違った、けれども確かに藍信一であると思わされる笑み。
 心の奥がぎゅっと締め付けられるようで、拳を握りしめる。
 愛していた。大事だった。
 目の前にいる青年は、信一であって信一ではない。わかっている。
 それでも目の前にいた。笑っていた。触れることができた。
 どうしてまた手放すことなどできようか。
「詫びとして、今度奢らせてくれ」
「そんな」
「もちろん、チームみんなで」
下心ではないのだと、他の誰でもなく自分に対して言い訳するように付け加える。
本来ならば、ひとりのイイ年した大人として、今度こそ自分などには関わらないようにしてやるのが責任というやつなのだろう。龍捲風の理性は確かにそう告げている。
 俳優・龍捲風を、憧れと共に慕ってくれている信一を、先輩として、光あふれる未来へと導いてやるのが今の役割なのだと。
 けれども、それでも。
 それでも。
 この藍信一にとってもまた特別でありたいのだと願ってしまう心を止めることができない。その手を掴んで離したくないと感情が叫んでいる。
「連絡先を聞いても?」
 畳みかけた龍捲風に押されるように信一がスマホを取り出すのを、罪悪感がちらりと胸を掠めた。それも一瞬のことだ。どれだけ後悔してもいい。どれだけ謝ってもいい。どれだけ非難されても構わないし、どれだけ恨まれてもいい。
 今はただ、このチャンスを失いたくなかった。
 メッセンジャーアプリを立ち上げる。電話そのものすら滅多に使わない龍捲風の友達リストは虎しかいない。そこに新たに信一のアイコンが増えるのを見て、頬が緩みそうになるのを引き締める。反対に、たくさんのアイコンが並ぶリストの最後尾に増えた名前を見た信一はぎょっとして顔を上げた。
「これって、もしかして、プライベート用のですか?」
「ん?」
「張少祖って」
「あ、ああ、言ってなかったな。そっちが本名なんだ」
「いえ、知ってます、けど」
「龍捲風名義の方はマネージャーの阿七が管理しててな。今も彼が持ってるんだ」
「でも、その、いいんですか?」
「何がだ?」
「いえ、俺になんかに、教えて」
「もちろん」
 なんの問題が、と本気でわかっていない龍捲風に、信一は焦りと喜びと心配とで複雑な顔になった。
 役者の中には仕事とプライベートを分けていても、その垣根が限りなく低いタイプもいる。が、龍捲風のプライベートは常に謎に包まれていて、スキャンダルとも無縁の人だ。それはきっときっちり公私を分けているからで、その壁の向こうには何人も立ち入らせない空気があった。
 だからといって気難しいだけの人というわけでもなく、こうして後輩たちを誘って大盤振る舞いするような豪気なところもある。心配事を持ち掛ければ親身になってくれる人でもあるらしい。そこに、もしかして少しだけ天然なのかもと、信一は心の龍捲風メモに書き加える。あとでマネージャーに怒られなければいいのだが、削除しろと言われるまで、この番号は信一の宝物だ。
 一生大事にします、と言いたかったけれども、それではあまりに気持ちが悪いかと「悪用しません」とだけお道化て敬礼してみせた。それに笑ってくれる龍捲風は、本当に優しい人だと思う。近づきがたいほどの美形なのに、信一を見る瞳はいつも柔らかい。
 そんな人なのに。
 そんな人と。
「信一?」
「な、なんでもないです! 楽しみにしてます!」
 かぁっと頬が熱くなるのを慌てて手を振って誤魔化した。
 せっかくの誘いを無駄にしたくないし、何より共演者としてだけであっても、近づくことのできたこの距離を失いたくない。
 あれは、ただの事故なのだ。