もち粉
2025-09-13 00:54:32
28473文字
Public
 

〈さとり〉の庭


カブミス 微ライシル
メリニ極秘事件簿 カブミスを添えて
※名前のあるモブがいます


17.

満月が照らす、静かな城都。
作戦参加者たちは、市内の要所に密やかに散っていた。

自身もそろそろ配置につこうと歩き出しかけたカブルーは、魔法陣の前でマルシルが誰かと短く言葉を交わしているのに気がついた。
相手は、エルフ大使館から非公式に派遣されたミスルンの副官・パッタドルだった。術者同士の二人は、結界の仕上がりについて何か話しているようだった。

会話がひと段落したところで、カブルーは二人に近づいてパッタドルに声をかけた。

「今回のご助力、本当に感謝しています」
「これは非公式の派遣ですから、堅苦しい挨拶は不要です。結界術なら心得がありますので、お力になれるかと」

微笑みながらそう答えると、パッタドルは音もなく、城門前の持ち場へと歩み去っていった。
カツカツと響くブーツの音が今日はない。その背中が強張っているように感じて、カブルーはわずかに眉根を寄せた。

……迷宮以来の実戦ならば、緊張も無理はないか)



しばらくの静寂ののち――


魔力に惹かれたように、〈さとり〉がするりと現れた。
ほどなくして、ライオスがそれと遭遇した。

人の姿に似た、けれど異形の魔物。
ライオスを見下ろすような背丈、その全身は黒く太い毛に覆われ、生臭い匂いが漂う。炯々と光る黄色い瞳が、闇の中でライオスをじっと見つめる。
その中で、そこだけが浮き立つように白い手が、ライオスを指さした。ほっそりとして可憐な、少女の手だった。

《王なんて、やりたくない》

それは、まぎれもなくライオスの声だった。けれど確かに少女のそれでもあった。

《魔物の研究をしながら、仲間たちと静かに暮らしたい》
《責任も、重圧も、うんざりだ。誰かが代わってくれるなら、すぐにでも――

囁く声に、ライオスの胸が一瞬だけ揺れた。
だが、彼はすぐに周り中に響き渡る大声で叫んだ。

――嘘だ!!」

その声が、カブルーに届く。

それは否定ではなく、合図だった。
〈さとり〉が襲いかかってきた瞬間、ライオスは駆け出す。

打ち合わせ通り、城の前庭へと向かう。
それを追うように、〈さとり〉は魔力の満ちた道を四つ足で走り出した。

ライオスは数年ぶりの全力疾走で誘導経路を駆け抜けた。影から合流し、万一の時は〈さとり〉を足止めしてくれるはずだったカブルーとの最初の合流予定地点を、あっという間に過ぎてしまう。

――悪いなカブルー、……君に〈さとり〉は討たせない)

しかし、〈さとり〉は想像以上に速かった。すぐに息が切れ、冒険者時代より明らかに増えた体重に、膝が悲鳴を上げる。悪魔のせいで、常にうっすらと空腹を感じる彼は、マルシルやカブルーの目を盗んでは、間食が増えていたのだ。 
誘導どころか、追い立てられるようにライオスは魔力の道をひた走った。

王の危機に立ち向かった数名の兵を、〈さとり〉は真正面から体当たりするようにぶつかり、力強い足で肋骨を蹴り破って、ライオスを追う。

背後から響く兵の悲鳴に振り向きたくなる衝動を堪え、限界を訴える心臓を抱きながら、ライオスはひたすら前を見据えて走り続けた。
 

鎧の重さに足がもつれた瞬間、〈さとり〉の気配が背後に迫る。衝撃を覚悟したその刹那――兵を連れたカブルーが横道から現れ、抜刀しながら、ライオスと〈さとり〉の間に割って入った。

「ライオス!」

飛び退いて距離をとった〈さとり〉と睨み合い、カブルーは兵に叫んだ。

「城には入れるな! 今ここで仕留めるぞ!」

核の場所は聞いている。脳だ。

足止め役の兵が短弓を構える。矢に射られてひるんだ隙に、飛びかかって脳天を割ろうとカブルーが剣を構えたその瞬間、光が瞬いたかと思うと、こちらへ跳ねた〈さとり〉が弾き飛ばされるように吹き飛んだ。

「!?」

光る障壁がカブルーと〈さとり〉を隔てていた。さきほどの〈さとり〉はこの壁にぶつかって吹き飛んだらしい。同時に兵が放った矢も障壁に当たって地面に落ちる。まるで、〈さとり〉をライオスへと誘導するかのように、その障壁は道を形成する。

路地の奥から、呪文を紡ぐ声がする。城門付近にいるはずのパッタドルが、杖を構えて現れた。

「パッタドル! 何を!?」

カブルーは思わず声を上げた。今のは、まるで〈さとり〉を守ったかのようではないか。

パッタドルは答えない。
代わりに、ライオスのよく通る声が響いた。

「〈さとり〉! こっちだ! お前の言葉はデタラメだ!!」

――ライオス? なぜそっちの道に?)

ここまで来たら城まで一直線のはずなのに、ライオスは曲がり角で〈さとり〉を呼ぶ。
そちらへ向かって走り出した〈さとり〉に、障壁を消したパッタドルも後を追う。

「ああ、もうっ」

訳が分からないまま、カブルーは兵を連れて二人と〈さとり〉を追いかけた。
この先は、エルフの国の大使館だ。


西方エルフの国の大使館。魔力の濃さでいえば、メリニ国内でも有数だ。〈さとり〉が本能で求めるに足る場所――

案の定、異形は進路を変えた。ライオスにはもう興味を失ったみたいに、ただ本能のまま、迷いなくその敷地内へと進んでいく。
まるで、そこに帰りたかったかのように。


*****
18.

敷地前に立ち尽くすライオスの横を通り、〈さとり〉の後を追おうとしたカブルーと兵たちは、思わず足を止めた。

……!? 入れない……?」

彼らを阻んだのは、見えない壁だった。大使館全体が結界で包まれている。

カブルーがパッタドルを振り返るより先に、一人の男が彼らの前に立ちはだかった。

銀の髪に緑のマント。その姿はミスルンだった。彼のすぐ後ろに、パッタドルが一歩踏み出して控える。

「これより先は我が国の大使館の敷地だ。無許可での立ち入りはご遠慮いただこう」

冷ややかなその声に、誰もが言葉を失った。

――私が行く」

パッタドルが結界の入り口を静かに開くと、ミスルンは一言も発さぬまま、大使館の中へと歩み去っていった。

ミスルンを深々と一礼して見送ったパッタドルは、カブルーたちに向き直ると、杖を軽く構えた。なんぴとたりとも通さないという意思を宿した、緊張感のあるまなざしだった。

しかしカブルーには、ここで彼女に詰め寄ったところで意味がないと、すでにわかっていた。

ミスルンが背を向ける寸前、彼とライオスの視線がわずかに交わった。迷いのない足取りで進むミスルンと、それを黙って見送るライオス。
その光景に、カブルーは全てを察した。これは最初から、二人の間で仕組まれていたことだと。
 
 

大使館の広大な庭を、ミスルンは迷いなく進む。今夜は全ての職員を退避させているので、周囲を照らすのは満月の光のみだった。

そして、大使館内でもっとも魔力の濃い庭の中心部。簡素に一つ据えられた大岩の上に、〈さとり〉はいた。

〈さとり〉とミスルンは、初めて相対する。

《私を傷つけないで》

放たれた声に、ミスルンはユシアが喋りかけてきたのかと足を止めた。

《私を見て》《私を肯定して》《私を理解して》

言葉が、ミスルンの胸を真っすぐに貫いた。
それは、かつて彼が、迷宮の奥底で鏡を叩き割った時、嫉妬と憎悪と怒りの影に、たしかにあった叫びだった。


――私を、愛して》

 
〈さとり〉の黄色い瞳が、じっとミスルンを見つめていた。

……ありがとう」

ミスルンは静かに言った。

「私の奥底を見てくれたことに、礼を言う。私が、お前の欲求を叶えよう」

ミスルンが〈さとり〉に伸ばした拳から、何かが滑り落ち、紐の先で揺れた。
それは、迷宮から彼が回収してきた、お守りのペンダントだった。

……

〈さとり〉は、するりと大岩から降りてくると、ミスルンの前に立ち、その白い指で彼を指した。

《失いたくない》
 
黙って〈彼女〉を見つめたミスルンは、お守りを手のひらに載せて差し出すと、静かに転移術を発動させた。

一瞬の後、彼の手には〈さとり〉の核が乗っていた。

核を失った魔法生物は、ぐずりと崩れ落ちていく。もろもろと崩壊していく肉体から、最期に少女の声が漏れた。

「おかあさん……

崩れた肉塊の上に、ぺそりと小さな音を立ててお守りが落ちた。
ミスルンはそれをそっと拾い上げ、祈るように目を閉じた。


*****
19.

結局、エルフ大使館内で起きた出来事について、正式な報告が出されることはなかった。
ミスルンも副官のパッタドルも、「大使館の内部のことは、我が国の治外法権に基づき非公開とする」と一点張りで、誰の問いにも応じようとしなかった。

あの夜、大使館に入っていった〈さとり〉がどうなったのか、カブルーが知ることはついになかった。ただ、迷宮から回収されたユシアのものと思われるお守りだけが、彼の元に残された。

不満を抱えながら城へ引き上げる帰り道、「カブルー」と呼びかけられて、彼はハッと我に返った。
ライオスの琥珀色の瞳がまっすぐにこちらを見つめていた。

「さっきはありがとう。君が来てくれなければ、かなり危なかったよ」
……いいえ。俺は……
そう言いかけて、カブルーは唇を引き結び、言葉を飲み込んだ。

〈さとり〉を仕留めよと兵に出したあの指示が、あれだけ近くにいたライオスに聞こえなかったはずはない。
それでもただ礼を述べるライオスに、カブルーは黙って頭を下げた。




外出制限令は解かれ、街には活気が戻った。

王宮広報部の発表では、「迷宮に残されていた古代の魔法生物が偶発的に起動したが、すでに討伐された」とされた。
「魔物ではない。よって、ライオス王によるメリニの加護に揺らぎはない」――と。

その発表を街の酒場で聞いたとき、ナマリは憮然として、やけに苦いビールをあおるだけだった。 
 

女学生、ユシア·ネーヴェンの家族には、王宮よりカブルーが使者に立った。 
「お嬢様は、迷宮近くで事故に遭われ、縦穴に落下して命を落としたようです。……残念ながらご遺体を連れ帰ることはできませんでしたが、これが近くに落ちていました」
ただひとつ遺品として返されたのは、母親が肌身離さず持っていてほしいとユシアに渡していた、お守りのペンダントだった。

父親は無言でそれを受け取り、母親は小さな声で「あの子は、苦しみませんでしたか?」涙を流して問いかけた。
「おそらく、即死だったでしょう。恐怖も痛みも、感じなかったと思います。
カブルーは、そう答えるしかできなかった。 


また、大学より捜索願の出されていたメリニ国籍を持つ非常勤講師のノームの男については、元々流れ者ゆえ、またどこかに流れていったとされた。
彼がどこへ行ったのか、もう誰も知らない。


*****
20.

後日、やっとミスルンが薄っぺらい報告書を提出してきたのかと思えば、それは単なる囚人の処遇に関する問い合わせへの回答書だった。
〈さとり〉については触れられず、古代魔術研究の咎で捕らえられたノーム、エルガ・ホーンは釈放などされておらず、エルフの国で獄中死したと簡潔に記されているのみだった。


「何もなかった、ということですか」
「何もない。私はお前と食事した翌日迷宮に行き、何一つ前回と変わらぬ迷宮を見回って帰ってきただけだ」

……ライオスと、何を話しましたか?」
「何も?」

カブルーは内心で苦笑した。この人が、何もできなければいいのになんて、とんだ思い上がりだ。
欲はなくとも、長い経験と知識を失ったわけじゃない。思えば迷宮で出会った頃から、必要とあればカマをかけたり、こちらの隠したい意図を暴いてきたりできる人だった。
欲のないこの人は、〈さとり〉に何を暴かれたのだろう。

……〈さとり〉に、何か言われましたか?」
……何も?」

ミスルンは小首を傾げて、穏やかな声で答えた。

〈さとり〉に言われた言葉を、思い返す。

――私を、愛して》

若き日に迷宮の主へと堕ちた要因は、結局のところ、この一言に集約される。 
全ての欲を失ったはずなのに、まだ浅ましいこの身の奥は、愛してほしいと叫んでる。

――だが、《失いたくない》。
これは、私が何かを得ているということだ。こんなになって初めて気づいた、自分の欠けた穴を埋めてくれるものたちの存在。
カナリア隊の部下たち、今も補佐官として支えてくれるパッタドル、いつでも帰ってこいと言ってくれる兄――そして、カブルー。

彼の打算的な面も知っている。敵を屠る冷徹さも、私にだけ見せてくれるような無私の心も。彼は清濁併せ呑み、理想に向かって歩いていくだろう。――だが、できることなら、光の道にいてほしい。そう願うことが、今の私にはできる。

どうか、お前の進む道に光のあらんことを。
叶うなら、お前の隣を歩きたい。

その想いは、ミスルンの胸の奥にそっと秘められたまま、彼はカブルーを見つめてふわりと微笑んだ。
澄み切った月のように影ひとつない、けれどどこか遠い笑顔で。

その笑みに、カブルーは一瞬、言葉を失った。
ミスルンは何も言わずに背を向け、静かに歩き出していく。

カブルーは、胸の奥で何かがふっと跳ねたのを感じて、思わず自分の頬に手をやった。

熱い。

……反則だろ、あんな顔」

苦笑しながらつぶやいた声には、どうしようもなく浮ついた響きが混じっていた。

彼のあの笑顔を、自分の元に引き寄せたいと強く願う。

「ミスルンさん、待ってください。全部終わったんですから、打ち上げに行きましょう」

カブルーは、遠ざかるミスルンの背を追いかけて、大きく、一歩を踏み出した。