もち粉
2025-09-13 00:54:32
28473文字
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〈さとり〉の庭


カブミス 微ライシル
メリニ極秘事件簿 カブミスを添えて
※名前のあるモブがいます


9.

「見つけて来たよ! 古株の先生に話も聞いてきた。七十年近く前に、思想に問題ありとして魔法学校を追われたノームの元教師がいたわ」

息せき切ってミスルンの部屋に飛び込んだマルシルは、旅装も解かぬまま鞄から古びた製本記録を取り出し、立ったまままくし立てるように話しだした。

「名前は、エルガ・ホーン。最初は、サキュバスやシェイプシフターとか、人の深層意識を読むタイプの魔物を解剖して、どうやって心を読むのかを研究してたみたい」

パラパラとページを繰る彼女の指が、ある箇所で止まった。

「でもだんだん方向が危うくなっていって……魔物の知性化とか、精神同調型の魔法生物とか。
これ、『心を読む魔法構造の仮説モデル実証報告』って論文だけど――素材がアウト。動物どころか、人間の脳まで使ってるわ」

顔をしかめてマルシルがパタンと記録を閉じた。

「これは確かに、クビにされるわよ」

腰掛けたまま黙って耳を傾けていたミスルンは、自分の横に積まれていた紙束の山から薄い資料を手に取り、一枚めくった。

「その後、エルガはカーカブルート近くの『夜泣きの塔』と呼ばれる封鎖された迷宮に無断で潜入。当時のカナリア隊によって拘束されている。禁術の使用疑いによるものだ」

記録の末尾に目を細め、読み上げた。

「尋問において、彼はこう語ったらしい。
『お前たちは何も私を理解していない。研究が完成すれば、人類は誤解という苦しみから解放され、完璧な幸福を知るだろう』」

「それが、〈さとり〉……?」

「おそらく。呼称は、この国であとから付いたものだろうが」

「でも捕まってたなら、エルガはなんでメリニにいたの? 脱獄したの?」

……悪魔の消滅以降、長期拘留者の中で釈放になった魔術師が何人かいた。その中の一人だ」
「釈放? こんなヤバそうな人を!?」

驚きの声をあげるマルシルに、ミスルンはそっけなく応じる。

「彼は古代魔術を用いようとして拘束されたが、知識は浅く、研究も途中だったらしい。悪魔の去った今、ノーム社会との軋轢を起こしてまで拘束する必要はないと判断された。

それに、我々が古代魔術を取り締まっていたのは、あくまでも女王陛下のご下命によるものだ。魔法生物の研究そのものは、禁呪ではない以上、我々が関知するべきではない」

「なるほどね……。まあ、私も学生の頃は、なんでもかんでも検閲ばっかで、苦労させられたわよ」

――今となっては、もっと別のやり方もあったかもしれないとは思うがな」

感情の読めないミスルンの声に、マルシルはふと、彼を見下ろした。
初めて迷宮の深層で出会ったとき、ミスルンは悪魔への復讐心だけで動く恐ろしい男にしか見えなかった。
けれど今は違う。とても静かで、こうしてメリニのために協力すらしてくれている。

「学校の先生に、いいお茶っ葉をもらったの。ちょっと休憩しない? 私も今帰ったばっかりだし。そんで、お互いの資料を交換して読んでみようよ」


午後の日差しが差し込む暖かな部屋の中、湯気の立つカップから優しい香りが広がっていた。
本を読みながらゆっくりとカップを傾ける二人の魔術師たち――金と銀の髪が光に透ける。
一見優雅な光景だったが、彼らが熱心に読み込んでいるのは血なまぐさい資料たちだった。

「ううーん、投獄時に押収された研究内容と、迷宮からあなたが写して来てくれた魔法陣、あんまり共通性ないわね」

……どちらかといえば、魔法学校時代の研究の方が近いな。結局、基本に立ち返って、再構築したようだ」

ミスルンはマルシルの持ち帰った資料をめくりながら、こめかみを指でたたいた。

彼が最初に提出したのは、三点の品だ――迷宮の床に残された消えかけた魔法陣の写し、ダンジョンクリーナーにかじられ、半分以上が判読不能な手記、そして落ちていたペンダント型のお守り。
お守りは稚拙な作りで、魔術師の持ち物とは思えなかった。誰か他の人間――被害者か、協力者か――の存在を示唆していた。
 
「当初は、ベースをゴーレムで考えていたようだな。ならば核さえ壊せば停止させることは難しくないが……

ページ上で文字をたどっていたミスルンの指が、ふと止まった。

……サキュバス自体を核にした、生体ゴーレムの研究までしているな――こいつは何をして、魔法学校を解雇されたと言った?」

マルシルは青ざめて答えた。

「人の、脳を研究に使用して――
 
一瞬、静まり返る。
二人の視線が、まるで吸い寄せられるように、机上に置かれたお守りに集まった。

ミスルンは手にした資料をノックするようにコツンと叩いて立ち上がった。

――この資料たちで、こいつの術式のクセは見当がついた。
我々で、迷宮に残された魔法陣の復元をしてみよう」


*****
10.

「待ってください、〈さとり〉の核に生きた人間を使用されている可能性があるってことですか!?」

マルシルとミスルンから経過報告として告げられた内容に、カブルーは思わず声を上げた。

……可能性は高い。生きた人間の脳を核と変じ、意識を読む魔物と融合していると思われる」
「普通だったら、こんな無茶苦茶な術式ではまともに作動しないはずよ。動き出した途端に自壊して崩れてしまうわ。
でも、迷宮跡地という、魔力濃度の高い場所だったら――

「現に動き回って、街中にまで遠征してきてるじゃねぇか。アレ、元は人間だったってことかよ」

最近、警邏の最中に〈さとり〉を遠目に目撃していたナマリが苦いものでも飲んだような顔をする。

警備を強化してからの一週間で、〈さとり〉による被害は判明しているだけでも四件。
いずれも兵が駆けつけるのが間に合い、一命を取り留めている。だが軽傷とはいえず、うち一名はいまだ病院のベッドの上だ。
確かに、〈さとり〉の出没頻度はあがっている。

「なら!」
ライオスが机をドンと叩いた拳の音に、マルシルがびくりと肩をすくめた。
拳を机に置いたまま、ライオスが低く唸るように言った。
「その核にされてるのは誰なんだ……。もし、俺たちの国の民なら、俺たちの助けを待ってるんじゃないか……?」

カブルーは思い出す。
こちらを指さした〈さとり〉の、ほっそりとした白い指。

……おそらくは、女性です。それも、かなり若い……

皆から集まった視線に、ついにカブルーは過日〈さとり〉と相対した時のことを白状した。

「すみません。動揺してしまって、対応が遅れました。あの時、俺が〈さとり〉を斬れていれば……

「いや、わけも分からずに斬っておしまいしなくてよかったよ。少なくとも、〈さとり〉にされたその女性? の家族に彼女の消息を伝えることはできるかもしれない」

ライオスの声に、張り詰めていたカブルーの心が緩む。
誰も、カブルーが〈さとり〉に何を言われたのかを聞こうとはしなかった。
それが、今の自分には、何よりありがたかった。


*****
11.

後日、メリニ旧市街、迷宮跡に近い私立女学院で、半年と少し前に一人の学生が突如として姿を消していたことが、カブルーの調査により判明した。学院側は「外部の恋人と駆け落ちした可能性が高い」として、内々に処理していたという。

「名前は、ユシア・ネーヴェン。十五歳のトールマンです。成績優秀で魔力も高く、卒業後は大学に進みたいと話していたそうです。家族とは良好な関係だったはずですが……失踪直前、親しい友人には『婚約者ができた』と打ち明けていました。しかし家族は、そんな婚約者の存在を知らなかった。つまり秘密の恋だったようです」

カブルーは、学院側から得た資料を広げながら報告した。

「年上の、ノームの男性らしいとわかってます。名前は不明ですが、その特徴からいって、エルガである可能性が高い」

ミスルンが深く息を吐いた。

「つまり、恋愛感情を利用してユシア嬢をおびき出し、研究に使用したということか……

……魔法生物にすることで、永遠に一緒にいられるとでも、思ったのかしら……

四百年を生きるエルフほどではないが、ノームも平均寿命二百四十年の長命種だ。寿命わずか六十年のトールマンと恋に落ちたなら、永遠に一緒にいられる手段を探した果ての狂愛だというのなら――かつて千年の寿命に怯えて悪魔の手を取ったハーフエルフのマルシルは、その『一緒にいたい』という気持ちだけは、わからないわけではなかった。
だが、それは受け入れていくべきものだと、今のマルシルは知っている。

「いや、どうだろうな」

ミスルンが口を開く。

「エルガの取り調べを担当した者と連絡がとれてな。昨晩、連絡妖精ごしだが話を聞けた。
奴が作りたかったのは、『心から自分のことを理解してくれる女性』だったそうだ。ユシア嬢の魔力が高く、核にするのに適していた以上の理由があったかは疑わしい」
 
……バカじゃねぇの?」

ナマリが吐き捨てるように言った。

「何も言わずとも通じ合うなんて、幻想だぜ。それに、いくら親しい仲でも心を読まれるなんて、あたしはゴメンだね」

……魔法学校で聞いた、当時を知ってる先生の話だと、エルガは人から誤解を受けやすいっていうか……周囲に馴染めない、そんな性格だったみたいね」
 
「『ボクちゃんの理想の女性』を作り出すってか? 気色悪りぃ。その結果できたのが、あの毛むくじゃらのバケモノかよ」
「ナマリ! ……女の子よ」
マルシルの咎めるような声に、ナマリは気まずげに目を逸らした。

……そうだな、ワリィ」

話し終えたあと、しばらく誰も言葉を発さなかった。
そして、ライオスがぽつりとつぶやいた。

……でも、どうするんだ? 仮に〈さとり〉がユシア嬢だったとして……どうしたら助けてやれるんだ?」

ライオスの自問のような声に、答えられるものはいなかった。
ただ風に窓の揺れる音だけが響いていた。


*****
12.

黄金城、執務棟西翼の奥に位置する宰相の執務室。いつもは開け放たれているその重厚な扉が、今は閉ざされていた。
昼を過ぎたばかりの陽光が、窓から長く床を照らしている。

カブルーは、丁寧に一礼し、部屋へと足を踏み入れた。

部屋の奥、巨大な書見机の前に座るのは、メリニ国宰相、ヤアド・メリニ。本来であれば、この国の王座は彼のものだった。
おだやかな灰色の双眸を、カブルーにまっすぐ向けたまま、ヤアドは告げた。

……報告を」

声は短く、しかしよく通る。
カブルーは、わずかに息を吸い、持参した封筒を机上に差し出した。封筒には[関係者外秘]を表す印で封がされている。

「現在確認されている〈さとり〉関連の被害と、構成術式に関する解析です。そして……

少し間を空けた。

「この事件の原因と思われる魔術師、エルガ·ホーンですが、偽名にてメリニ国籍を取得し、大学の非常勤講師として暮らしていたことが判明しました」

ヤアドは視線を落とし、封筒の中の書類に目を走らせた。眉一つ動かさず、静かな時間が流れた。

「偽名で潜伏し、大学にまで所属していたとなれば……他国の間者であった可能性は?」
「いえ、少なくとも表面的には、単独での潜伏と研究活動です。敵性国家との関係性は今のところ確認されておりません」

「そうとなると、尚更やっかいですね。メリニ国籍の人物が、この魔法生物……〈心を読む存在〉を生み出したとなれば、それは我が国に対する重大な脅威となります」

「ええ、単なる学術研究では通らないでしょうね。他国からは諜報生物兵器だと思われ、非人道的な製作方法を突かれて、国際的な批判を受ける羽目になる」

「それだけではありません。心を読む魔物などというものが制作可能と知れれば、我も我もと作り出す国が出るでしょうね。そうなれば、世界の軍事バランスが崩れかねず、冷戦が始まるかもしれません」

カブルーは息を呑んだ。
そこまでは考えが及んでいなかったのだ。背すじに冷たいものが走る心地がした。

「それで、その〈さとり〉による被害は?」

ヤアドが書類を読み進めながら、カブルーにさらなる報告を促した。

……現時点で、累計十二件。うち一件では死者が出ています。エルガも含めれば二名。〈さとり〉の活動範囲は市街地にまで広がっており、これ以上の被害を防ぐためには、早急な対応が必要です」

ヤアドは手を止めた。

「〈さとり〉が元は人間による被害であるならば、国としての対応は慎重にならざるを得ませんね」

……それについても、報告があります」
そう言って、カブルーはもう一枚の書類を取り出した。

「〈さとり〉の核となっているのは、ユシア・ネーヴェンという女学生の可能性が非常に高いです。半年以上前に失踪しており、民間では駆け落ちとして処理されました。進学を希望し、大学へ見学に行った際にエルガと知り合ったものとみられています」

「年齢は?」
「十五です」

しんとした空気が張りつめた。

「その事実は、他には?」
「ユシア嬢の件は、すでに調査メンバーにも伝えています。
エルガの現在の経歴については……今、ここで初めてお話ししました」

……ユシア嬢の保護者は?」
「両親は健在。現在も所在は把握していますが、〈さとり〉=ユシアという断定が下る前に知らせるのは時期尚早だと考え、待機させています」

ヤアドはしばし考え、椅子にもたれた。

「この情報、ライオスさん含め、調査メンバーには他言無用を徹底させてください。家族への告知も、必要性と影響を精査した上で判断します」

……承知しました」

「カブルーさん。あなたはこの件を――倫理ではなく、国家としてどうすべきと考えますか?」

カブルーはわずかに目を伏せ、やがてまっすぐヤアドを見返した。

……助けられるものなら、助けたい。そう思ってます。
ただし、元の人間に戻す手段がないのであれば、これ以上の犠牲が出るのであれば――優先すべきは、国家かと」

ヤアドは頷いた。

「いいでしょう。この件は、あなたに一任します」

「僕は、明日にも塵と化すかもしれない身ですから」
意外そうに瞬いたカブルーに、ヤアドは片目をつぶって、いつもの口癖を言ってから、表情を引き締めて告げた。

「ただし、あまり時間はありません。度重なる襲撃に街の緊張は高まっていますし、夜間の外出制限に不満の声も大きい。〈さとり〉の処理が間に合わなければ、民間で暴動が起こりうるでしょう」
 
……肝に銘じます」

深く頭を下げたカブルーの額に、静かに汗がにじんでいた。

「カブルーさん」

退出しかけたカブルーにヤアドが声をかける。

「もし、〈さとり〉が、あなたの大切な人だったとしても……今と同じ結論を出せますか?」

――出さなくてはいけないと、思っています」

その時、ヤアドがどんな顔をしていたのかは、日差しが眩しくて見えなかった。

大切な人――脳裏に過ぎる、銀髪の華奢な姿。
もし、それが彼でも――自分は同じ事を言えるだろうか。

その答えは、まだ出せなかった。