もち粉
2025-09-13 00:54:32
28473文字
Public
 

〈さとり〉の庭


カブミス 微ライシル
メリニ極秘事件簿 カブミスを添えて
※名前のあるモブがいます


13.

「魔法陣の解析、全部終わったのか?」

ナマリがジュースを飲みながらマルシルに聞く。

ドワーフらしく、普段は酒を好むナマリだが、今日はマルシルをねぎらうために、街中のかわいらしいカフェに来ていた。

白いレースのカーテン、薔薇の模様の陶器のティーカップ、小さな花瓶に飾られた季節の花々。
だが、そんな可憐な調度とは裏腹に、店内は閑散として、うら寂しい雰囲気だった。

「うん、明日の作戦会議にはなんとか間に合ったよ」

頷きながらケーキを頬張るマルシルの顔色は悪く、その表情も固かった。

「そうか、詳しくは明日聞くよ」

今は楽しい話題を振ってやりたいナマリは、なにか面白いものでも見えないかと店の前の通りを眺めた。
人通りは少なく、店の前を通るのは、鋭い目つきの兵士ばかり。
店内にかすかに響くのは、スプーンがティーカップに触れる小さな音だけだった。

……街も、ピリピリしてんなぁ」

ナマリはため息を付いて、自分のケーキにかぶりついた。

「実はね」

マルシルの小さな声に、ナマリはケーキを頬張ったまま視線だけをあげた。

「私、今回のミスルンさんとの魔法陣の解析と復元作業、すごく楽しかったの」

ナマリが目を見開く。

「あの魔術の議論よ。あんなに真っ向から議論できたのは……本当に久しぶりだったわ」
 
ナマリは、マルシルにはミスルンへの恐怖や気後れのようなものがあると思っていたので、二人きりでの解析作業に不安もあったが杞憂だったようだ。
ほう、とため息をつくマルシルの頬は紅潮し、知的興奮の余韻に満ちていた。
 
「エルガの術式には欠陥もあったけど、構造自体は、とても興味深いものだったのよ。もちろん、あまりにも非倫理的で、到底許されるもんじゃないけど、もしあの式を常識的な素材で作ることができたなら――

窓の外を眺めながら語るマルシルの瞳には一種異様な光があった。
興奮、執着、好奇心――そのどれでもあり、どれでもない、魔術師だけが持つ、世界の深淵に焦がれるような瞳。

……業が深いねぇ、魔術師ってのは。
あたしには、一生わかんねぇ世界だよ。

ナマリは、頭皮にじっとりと嫌な汗が滲むのを感じていた。口の中が粘ついて気持ちが悪い。

ジュースより、紅茶を頼むべきだった。



その時、怒号のような声が外から聞こえ、兵士が何かを叫んで走っていくのが窓から見えた。
マルシルが顔を強張らせ、椅子を倒して立ち上がった。

「〈さとり〉が出たみたい。私たちも行こう!」

そう言って杖を取り上げたマルシルの顔は、いつもの正義感あふれる優しい彼女のものだった。
それを見たナマリはホッと安堵し、愛用の斧を構えて店の外へ飛び出した。

「ちょっと! お勘定!!」
焦った店員の声が、二人の背中を追いかけた。


*****
14.

重苦しい沈黙が、城の作戦会議室に垂れ込めていた。

ナマリは斜め向かいに座るマルシルの顔をちらりと見た。昨日のあの、焦がれるような瞳の横顔が頭に焼き付いて、ナマリを落ち着かなくさせた。
けれど今の彼女は、ただ固く表情をひきしめて、にらむように机の一点を見つめていた。

ライオス、カブルー、マルシル、ナマリ、ミスルン、そして調査チームの数名が一堂に会するのは、これが初めてではないが、この夜の空気は、今まで以上にピリピリと張り詰めていた。

昨夕、再び〈さとり〉による死者が出た。
月齢は0――新月は満月と同じく、魔力が極端になる特異な日だったが、日が落ちきらぬ夕方に現れたのは初めてだった。
明るいうちの出来事だったため目撃者も多く、街にはいっそうの不安が広がっている。これで、〈さとり〉による犠牲者は合計で三名となった。

……魔法陣の解析と、手記の解読が完了しました。結論から申し上げます」

静かに立ち上がったのはマルシルだった。

「〈さとり〉を、元のユシア・ネーヴェン嬢に戻す方法は、現時点では確認できていません。魔物融合の過程で、脳の機能に重大な変質が生じている可能性が高いからです」

椅子に座ったまま、ナマリが唇を噛んだ。

「つまり……もう、戻せないってことか?」

……はい。少なくとも、私の知識と、私たちの今の手段では」

二人は昨日、〈さとり〉の襲撃現場の近くに居合わせ、駆けつけた。
だが、間に合わなかった。現場に到着した時、〈さとり〉はすでに姿を消し、被害者は即死に近い状態で、回復魔法を使う余地すらなかった。

〈さとり〉は――ユシアは、もはや人ではない"何か"に成り果てた。
 その事実を、痛烈に思い知らされた二人だった。

唇を噛むマルシルの隣で、ミスルンが事務的に言葉を継ぐ。

「生体機能としては生きてはいる。だが肉体全体が魔物と完全に融合させられている。王妹殿の時のように切り離すことも不可能だ。
そして昨日はついに明るいうちから出没し、人を襲った。……いよいよ暴走の兆候が出ている」

会議室に、重い沈黙が降りた。

……それなら、やはり処分しかないか」

低く、誰ともなく漏れた声が、重い空気をさらに沈ませた。


……市街地での戦闘は避けたいですね。〈さとり〉は魔力の濃い場所伝いにしか移動できないようですし、追い込み方次第では誘導も可能かもしれません」

そう言って、地図を広げたカブルーが、ふと何かに気づいたように言った。

……最近の〈さとり〉の目撃地点を見てください。市街地から徐々に北東へ……城の方向へ近づいているように見える」

「待って」マルシルが指を差す。「……この直線上、お城の反対側にあるの、ユシアちゃんの実家じゃない?」

……え?」

ライオスが目を見開いて声を上げる。わずかに身を乗り出していた。

……それって……意識が、まだ残ってるかもしれないってことか?」

ミスルンはわずかに視線を揺らした。

「断定はできない。場所を選んでいる可能性はある。だがそれが、ユシア本人の意思によるものかどうかは……判断できない」

マルシルは俯き、まるで何かにすがるように杖にしがみついた。
その様子を見つめていたライオスが、しばらくの沈黙のあと、皆を見渡した。


……意識があるかもしれないのなら、殺すには早すぎると思う。
――ファリンだって、最初はもうだめかと思ってた。調べれば、まだ何かわかるかもしれない。いきなり殺すんじゃなくて……捕らえてみることは、できないか?」

不意に向けられた提案に、マルシルが小さく息をのんだ。
希望は薄いと、頭ではわかっている。昨日の被害者の顔が、脳裏にちらつく。それでも、もしかしたら――

ゆっくりと顔を上げたマルシルが、決意を満ちた瞳で言った。

「やろう」

「正気かよ!? 暴走しかけてるって、そこの兄ちゃんも言ったじゃんか!
マルシルだって昨日の見たろ? 一撃だったじゃねぇか! また誰か死んだら、どうすんだよ!」

ナマリの叫びに、マルシルはきゅっと口を引き結んだ。青ざめた顔でライオスを見つめる。
……私も、正直可能性は低いと思ってる。けど……実際に見てみれば、わかることがあるかもしれない。
会話だって、できるかもしれないし……ユシアちゃんが悪いわけじゃ、ないもの……

再び俯いたマルシルの肩に、ライオスがそっと手を置いた。
その温もりに、マルシルはこみ上げる感情を抑えきれず、思わずその胸に顔を埋めたくなった。
 

「カブルー……

振り返ったライオスの呼びかけに、黙っていたカブルーがすっと立ち上がった。

……わかりました。それが王のご決定であれば、従います。〈さとり〉は、捕獲を優先する方向で作戦を再編しましょう」

その一言で、場が一区切りついた。

ナマリはため息をつき、頭を掻きむしってから、腰に手を当てて言った。

……わぁったよ」



一旦休憩となり、各員が散っていく中、カブルーは廊下へ向かおうとするミスルンを呼び止めた。

「少し、よろしいですか」

ミスルンは一瞥を送り、黙って頷いた。
人の気配のない回廊の片隅、灯火が揺れる静かな空間で、カブルーはためらいがちに切り出した。

……〈さとり〉が、ユシアに戻れる可能性は、あるんですか?」

ミスルンは即答した。

「ない。少なくとも、人間としての回復は不可能だと私は断言する。意識が残っているかどうかは、今の時点では判断不能だが、戻せるかどうかは別の話だ」

カブルーはしばし目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

……わかりました」
 
ミスルンはそれ以上、何も言わなかった。だがカブルーの背が去っていくのを見送りながら、ミスルンの眉が一瞬だけわずかに寄った。

――何かを、察したように。


*****
15.

夜も更け、黄金城の王の私室では、ライオスがひとり琥珀色の酒のグラスを回していた。一口も飲まれぬまま、グラスの中の氷がカラカラと音を立てて揺れる。

そのとき、窓の向こうから「こつ、こつ」と小さなノックの音がした。
扉ではなく、バルコニーの方角からであることに、ライオスはある程度相手に心当たりをつけながら、そっとカーテンを開けた。

「やあ、ミスルン」

ライオスの目に映ったのは、猫の爪のような細い三日月を背に立つ、痩身のエルフだった。表情は影に沈み、星明かりに照らされた銀髪の縁だけが、かすかに光を帯びている。
まるで、おとぎ話に登場する、運命を告げにくる精霊のように見えた。

「どうしたんだい? こんな時間に?」
「少し、話をしたい」

ライオスはすぐに頷き、彼を部屋へと招き入れた。
涼しい夜風が、ミスルンと共に流れ込んできた。

ミスルンは外交官として城を訪れる時の礼服姿だった。椅子を勧めるライオスに首を振り、壁にもたれて腕を組むと、先ほどまでライオスが飲んでいた酒に目を向けた。

……〈さとり〉の件だろう?」
ライオスの声は、低く重かった。ミスルンは頷いて口を開いた。
「本当に、生け捕りにするつもりか?」
「危険なのは分かってる。でも、もし人であった時の意識が残っているなら……

――残っているなら、どうするんだ?」

その一言は、氷の刃のようだった。ライオスの動きが止まる。 

「私の見解を話そう」

ゆっくりと壁から身を離したミスルンのその顔は、どこか哀しみを含んでいた。

「生きたままキメラにされた王妹殿とは話が違う。ユシア・ネーヴェンは、脳を摘出され、魔法核を埋め込まれた。その時点で一度死んでいる。
その後、変質した彼女の脳は魔物と融合した異形の肉体に戻された。例え意識があったとしても、元の肉体には戻れない。
これについてはマルシルも同意見だ。もっとも、彼女は一縷の望みを捨てきれないようではあるが」

ライオスは強く拳を握りしめた。

「でも……調べもせずに、切り捨てていいのか? 可能性があるなら、研究し、戻す方法を探すべきじゃないか」

――では訊こう、悪食王」

ミスルンは声を荒げることなく、問いかけた。

「その『可能性』を追うために、メリニが〈さとり〉を捕獲したとしよう。
たとえ一時的にでも、〈心を読む魔物〉を、国家の管理下に置く――
その影響がどれほど重いか、メリニの王にはわからないのか?」

ライオスは言葉に詰まった。

「〈さとり〉の存在が公になれば、他国は黙っていない。『メリニが開発した新型の諜報兵器だ』と騒ぎ立てるだろう。
どれほど清廉な意図があったとしても、世界が見るのは猜疑と脅威だけだ。
軍事バランスは崩れ、冷戦が始まり、やがて〈心を読む兵器〉の開発競争が始まる。――そんな未来を、望むのか?」

「そんなわけ……!」

ライオスが声を上げかけた瞬間、ミスルンがコツコツと足音を立てて、こちらへ歩み寄りながら話し始めた。

「仮に、ユシア·ネーヴェンの意識が残っていたとしよう。彼女は兵器などではない、人であると公表するか? 異形の体から戻るすべもなく、ただ人殺しとして責められる。彼女の家族も友人も苦しむだろう」

そのときのミスルンは、ほんの少し怒っているように見えた。ライオスが彼のそんな顔を見たのは、迷宮以来初めてだった。

「同時にエルガ・ホーンの非人道的な研究も白日のもとにさらされる。最終的に問われるのは、メリニ王国の責任だ」

もう一歩だけライオスに近づいて止まったミスルンは、首を上げて、じっとライオスを見あげて言った。

……沈黙が、より多くを守ることもある」


ライオスは、返す言葉も見つけられず、思わず視線を落としかけて――そのまま、ミスルンと目が合った。真下から凝視してくるその黒い瞳に、胸の奥まで見透かされるような気がする。
ライオスはわずかに顔を背け、視線をそらした。
ミスルンの顔には、先ほどの怒りの気配はすでにない。ただライオスを観察するように見つめながら、淡々と告げる。

――カブルーは、〈さとり〉を殺すぞ」

ハッと目を見開いてミスルンを見たライオスに、彼は少し表情を緩め、穏やかな声で語りかけた。

「史上類を見ない多民族国家を目指すメリニの王よ。理想の国に高潔な王はふさわしい。忠臣の手を信じ、清き玉座を守るか、自ら泥に足を踏み入れて進む王となるか。
正しさに優劣はない。どちらを選ぶかというだけだ」

まばたきを忘れたようにミスルンを見つめていたライオスは、やがてゆっくりと目を閉じた。

しばらくの後、まぶたを開けたライオスが告げた言葉に、ミスルンは口の端をあげた。
背中を向けて一歩だけ離れ、ミスルンは――くるりと振り返った。
どこか晴れやかな顔で、ライオスを見つめる。
 
「私と密約を交わそう、ライオス・トーデン。国を背負う者同士、ライオス・トーデンとケレンシル家のミスルンの、個人的な密約だ」

 
やがて月が傾く頃、ミスルンはバルコニーへと再び姿を現した。先ほどとは打って変わり、どこか肩の力が抜けたような気配を纏っている。

扉を出て立ち止まったミスルンの背中に、ライオスは問いかけた。

……この密約の、君の利益はなんなんだ?」

ミスルンは振り返り、少し笑った。黒い瞳に室内の灯りが反射し、長衣の裾が風をはらんで舞った。

――理想を掲げたこの国の、行く末を見たいだけだ」

(カブルーが王と創る、この国の――

その顔は、夢を語る少年のようでもあり、遠い記憶をたどる老人のようでもあった。

……私は長く、この国にいる予定だから」

柔らかな笑みが、夜の風に溶けていく。

ライオスも目を細め、それに応じるように微笑み返した。
 
小さく風が鳴り、ミスルンの姿がかき消える。
サイドテーブルには、約束の証として交わされた二つのグラスだけが、来訪者の痕跡を残していた。

 
*****
16.

〈さとり〉捕獲作戦は、次の満月の夜に決行されることとなった。

そもそも処分が目的であれば、かつてカナリア隊が狂乱の魔術師にとった戦法と同じく、魔力の薄い場所に追い込んで仕留めればよかった。
だが、捕獲となれば話は別だ。構造に欠陥を抱えた〈さとり〉は、魔力の乏しい場所では自壊するおそれがある。
よって、今回はあえて〈さとり〉が好む魔力の濃い夜を舞台とする必要があった。


決行三日前の昼。
城の前庭を見下ろす回廊で、カブルーは首からさげた画板に広げた地図を睨み、戦力配置のバランスを最終確認していた。

城下各所に魔力供給陣を設置し、人為的に魔力の高いスポットを作る。〈さとり〉が魔力に惹かれてやってきたところを囮役が引きつけ、城の前庭まで誘い込むと、そこでマルシルが拘束用の魔法陣を構えて待ち受けるという段取りだった。

問題は、〈さとり〉が獲物をどこまで執拗に追うかが読めないことだ。横道に逸れて逃げられてしまう可能性もある。そのため、要所ごとに兵を多めに配置する必要があった。
だが兵を街中に自然に展開できるこの機会は、カブルーにとっても好都合だった。

前庭で、マルシルが中心となって拘束用の魔法陣を構築しているのが見えた。あとで鉄格子も設置されるはずだ。懸命に準備をしている彼女には悪いが、魔法陣も鉄格子も出番はないだろう。

――城に入る前に、俺が仕留める)

そう決意したとき、後ろから声をかけられた。

「カブルー」

一瞬どきりとしたが、見慣れた姿にほっと息を吐く。

「ミスルンさん」

光あふれる回廊で、まず顔だけを振り返ったカブルーが、続いて体ごとミスルンの方へ向き直る。その動きにより、ミスルンは彼の影にすっぽりと包まれる形になった。さっきまで午後の日差しを受けてきらめいていた青い瞳が、影に隠れて見えなくなってしまった事に、ミスルンはどことなく喪失感のようなものを覚えた。

「どうしました? ちゃんとお昼、食べました?」
「うん、私は食べた。お前こそ忙しくして食事を抜いていると、そこの兵に聞いたぞ。お前は人には口うるさいくせに、自分のことは後回しにする」

見れば少し離れたところに、ミスルンを案内してきたらしい兵が控えていた。

……これが一段落したら、ちゃんと食堂に行きますよ」

心配げにふくれるミスルンを見て、カブルーはなんとなく苦笑した。緊張していた心が、すっと緩んでいく。こうしてふたりで落ち着いて話すのも、なんだか久しぶりな気がした。

ミスルンは疑わしげに少し眉をひそめたが、視線を地図に落として本来の用件を切り出した。
……今回の作戦だがな――非公式にパッタドルを貸そう。魔力供給陣の設置を手伝わせる」
「協力してもらえるんですか? ありがたいですね」

城勤めの魔術師はまだ少なく、実力があるものはさらに限られる。他国の外交官である彼女らにあまり借りを作るのは本来なら避けたいところだが、今回はミスルンが非公式のかたちで助力を申し出てくれた。
マルシルの負担を考えれば、願ってもない支援だった。
 
ミスルンが細い指で画板の上の地図を指さす。

「それから、当日はパッタドルをここに配置したい。〈さとり〉が結界を察知して逃げた時に、すぐに追える位置だ。それに、中庭に入った後は、マルシルの補助にもすぐ向かえる」

そう言ってミスルンは地図に書き入れようと、カブルーの使っていたペンを受取るために手を差し出したが、すでにびっしり記号や指示が書き込まれているため、逆さまから書かれるのは避けたかった。
画板の紐を外すのも面倒だったカブルーは、ひょいと右腕を上げる。
意図を察したミスルンは、肘の内側の空いた空間にためらいなく体を滑り込ませ、ペンを受け取って記入を始めた。
ミスルンの体積分、首に画板の紐が食い込むので、カブルーは上半身を屈めた。そのまま画板を支えてやりながらミスルンの肩ごしに地図を覗き込んでいるので、見ようによっては、まるで後ろから抱き寄せているようにさえ見えた。

ミスルンを案内してきた兵は、なんとなく見てはいけないものを見たような気がして目をそらした。

カブルーは地図から目を離さず、ミスルンも何事もないように地図に記号と動線を加えて説明している。記入が終わると、「わかったな?」とその場で振り返り、頷いた彼の指先にペンを戻すと、すっとその場を離れた。  
 
前庭に鉄格子を運んできた兵たちは、設置場所はここでいいかとカブルーに尋ねようと回廊を振り仰いでそれを目撃した。
「今の……なに?」 「え、ちゅーしてた?」 「いやまさか……」 「あの二人、付き合ってた?」

兵たちの小声が入り混じる。その声に、マルシルの耳がピクピクと動いた。恋バナには魔力よりも敏感なマルシルである。
囁き合う声は、回廊上のカブルーには届かない。彼は地図を見つめて、パッタドルの加勢による兵の再配置に思案を巡らせていた。
一方兵たちの背後では、かがみ込んで魔法陣を描きながら、マルシルが何とか真顔を保とうと、口元を引き締めて肩から背中に力を入れていた。
 

囮役に名乗りをあげたライオスに、王自らの作戦参加などと最後まで難色を示していたヤアドを、なんとか説得したのもまたライオス本人だった。
「危険だ」と止めようとする忠臣を前に、ライオスは笑って告げた。
「俺が捕獲を言い出したのに、皆にばかり危険な役目はさせられないよ」

「俺が〈さとり〉を引きつける。必ず城まで連れてくるから、あとは任せた」

ヤアドは渋々了承しながら、チラリとライオスの後ろに控えるカブルーに視線を流す。カブルーはこくりと頷いた。

……迷う必要はない。メリニにとって、〈さとり〉は脅威にしかならない。姿を見せた瞬間に、確実に仕留める。それが最善だ)
 
カブルーはそう決めていた。


そして、決戦の夜が訪れる。