mishiadd
2025-08-17 12:33:51
25092文字
Public
 

月とチョーカー

【本編軸/現パロ】叡智を賜ったオメガバースシチュエーション3連発短編集【剣伊/鄭伊】
第三話「いろいろ言い訳しながら番が成立してないルームメイト兼親友の巣作り」の後日談:https://privatter.me/page/68af1b972987b

※オメガバース基本設定(たくさん美味なる派生設定があるらしいのですが今回は以下を採用しています)
α(アルファ):男性/女性とは別軸に存在する「雄」の性。(女性体でも「雄」の部位を持つ)
Ω(オメガ):男性/女性とは別軸に存在する「雌」の性。(男性体でも「雌」の部位を持つ)
ヒート:Ωの発情期。数ヶ月に一回あるいは時期外れでもαのフェロモンに当てられて強制的に誘発されて起こる。αと交合することにより治まる。
番(つがい):αがΩのうなじを咬むことで成立し、Ωのヒートが起こらなくなったりフェロモンが安定するなどいいこと尽くし。ただしΩから番を解消することはできず、番のαを失ってしまうとΩは新しい番を得ることができないばかりか再びヒートが起こるようになってしまう。
巣作り:ヒート中のΩが(特に番の)αの匂いのついた衣服を身の回りに搔き集めて交合するための巣を作ること。本能的な行動。


3.『いろいろ言い訳しながら番が成立してないルームメイト兼親友の巣作り』(モブ伊示唆あり剣伊)

そもそもどういう経緯いきさつでひとところに一緒に住むようになったのだったか、タケルはしかと覚えていない。

都内で大学生をしている伊織の独り暮らしのアパートの一室に、なにかのきっかけで高校生のタケルが転がり込んだような気がする。実家暮らしをしている伊織の義妹とタケルがそもそも同級生で――今となってはまるでなにも覚えていない。

家は裕福だが家族関係のうまくいっていなかったタケルが家を飛び出した先に、受け皿としてたまたま伊織が居てくれた。そんな偶然のような、伊織の何事にも頓着しないお人好しの産物のような、そんなようなものだった気がする。

伊織がΩであることを知ったのは、なりゆきで同居を始めてから一ヶ月後の頃のことだった。共同で使用している洗面台で、医者から処方された抑制剤のピルケースをタケルが見つけたのだった。

「きみ、Ωだったのか。――なぜそんな重要なことを最初に言わぬのだ、知っていれば私はわざわざΩと同居など」
「うん? うん。だが、おまえは行き場がなくて困っていたのだろう?」

きょとんとした顔で伊織が小首を傾げてみせる。ずれた論点に「う」とタケルが一瞬言葉を詰まらせるが、「イヤイヤイヤ」と首を左右に振った。

「そういう問題ではない。きみがそうだと知っていたなら、私だって転がり先くらいは吟味したということだ。――私はαなのだから――

タケルだって要らぬ過ちは犯したくなかった。同級生の義兄相手ならば尚更だ。タケルの常識的に考えて、『そういう関係ではない』Ωとαでの同居などもってのほかだし、倫理的にひどく不健全だと思う。

台所でフライパンを火にかけながら、けろりとした顔で伊織が言った。

「αといってもまだおまえは幼くて未成熟だろう。おまえはまだ『α』などではないよ。――俺も、もっと成熟した大人のαが相手であるなら警戒もしたが――

ふ、と伊織の端正な横顔に陰が落ちる。ほんの一瞬だけ物思いに耽った様子の伊織はしかし、ぱっと気を取り直して再びフライパンを動かし始めた。

「俺とて、義妹のクラスメイトを路頭に迷わせるわけにはいかん。――見ての通り俺は抑制剤も飲んでいるし、おまえも俺の発情期に当てられたりなどしていないだろう。……事実、今、おまえはなにも感じていないのだろう?」
「え?」

今度はタケルがきょとんとする側だった。その顔を見た伊織が苦笑する。柔らかい、兄のような笑みだった。

「ほら。……俺は今発情期ヒート中だよ。今なにもないのなら、大丈夫だ。何も問題ない」

「さ、妙なことに気を回していないで朝餉だ」と綺麗に巻かれた卵焼きを皿に盛りつけ、伊織がタケルを食卓へと急かす。出汁の効いた甘い卵の香りに気を取られながら、タケルはふと思う。



――発情期中。



――イオリが。



どくん、と我知らず心臓が高鳴った気がする。食卓についたタケルの前に、朝から丁寧に作られた料理の皿をてきぱきと並べていく、その筋張った大きな手を見る。タケルの対面に着席して、「いただきます」と両手を合わせた伊織の白い首筋を見る。凛とした、涼しげな表情の――何食わぬ顔の、その整った端正なかおを見る。

上の空で箸に手をつけながら、おずおずと視線を下に落とす。――伊織を、直視できないでいる。

俯いたタケルに、「今日は真っ直ぐ帰ってくるのか? 部活は」と伊織がいつもの穏やかな声で問うてくる。ワンテンポ遅れて「ない」と答え、それからしまったと更に遅れてタケルは思う。――この家に、発情期中の伊織とふたりっきり。

「そうか」と伊織が頷いた後、「俺もバイトがないから、夕餉を用意して待っている」と静かに言った。



その晩、タケルは夢を見た。洗面台に置いてある抑制剤を隠してしまう夢を見た。薬がないと探し回る伊織に「知らないか」と尋ねられて「知らない」と答える夢を見た。――やがて薬の効果の切れた伊織の白い首筋が紅潮して、その場にへたり込んでしまう夢を見た。
ひどく甘い蜜のような匂いがあたりに充満して、苦しげにハアハアと荒い呼吸を繰り返す伊織に手を伸ばす夢を見た。指先で触れた伊織の身体がびくりと大きく震えて、じわりと涙の滲んだ月夜の瞳が自分を見る夢を見た。蕩けるように熱を持った眦が、赤く熟れて半開きになった物欲しげな唇が、必死にタケルを求めて誘う夢を見た。――「セイバー」と、鼓膜を蕩かすような、痺れるように甘い声が、自分を呼ぶ夢を見た。

――朝、目覚めて。

下着を汚してしまったことに気付くと同時に――昨日までは感じたことのなかった、甘い匂いが鼻腔を擽っているのを自覚した。







処方箋の抑制剤というものは実際よく効くようで、タケルが知識として知っているような発情期の症状に伊織が陥っている様子はなかった。

倦怠感で動けなくなるような様子もまるでなかったし、意識が朦朧として交合のことしか考えられなくなる――というようなことはまずなかった。タケルが鼻先で感じている匂いさえなければ、伊織が発情期の最中であることなどきっと誰にもわからなかった。

タケルは、知らないふりをしていた。自分がαとして成熟してしまったことも、伊織のフェロモンを感じ取れていることも、いずれもおくびにも出さなかった。タケルがそのそぶりさえ見せなければ伊織などは疑うことすら思いつかないようだった。相変わらず未分化の幼い弟分を可愛がる要領で、まるで兄のような顔をしてタケルの世話を焼いている。

伊織の発情期は一週間から二週間程度で治まるようだった。気を抜けばタケルの理性を紙やすりで少しずつ削り取っていくようなその甘い匂いに耐えきった頃、洗濯物を畳んでいる伊織にタケルは尋ねた。

「きみは――αと関係を持ったことがあるのか」
……うん?」

ワンテンポ遅れた生返事は敢えて会話をはぐらかそうとしている意図を感じた。だが、タケルは引くわけにはいかなかった。

「きみは私をここに住まわせている。……きみは、以前にもαを自分の家に住まわせたことがあるのか」
「おまえは『α』じゃないよ、セイバー」

まるで自分を卑下する子供を宥めるような口調で言い、タケルのバスタオルを畳みながら伊織は言った。

「俺がαと一緒に住んだことはないよ。カヤだってβだろう。――αというのは、恐ろしい生き物だよ。こちらの都合や心境など一切考えないし――傍若無人に手を出してきて、挙句誘う方が悪いのだと言う。鼻に障るフェロモンをそこら中にまき散らして、誰彼構わず色目を使って誘惑する淫売は俺の方だろうと。俺のようなΩはαならば誰でもいいし何人なんにんでもいいのだろうから、こちらはわざわざ傍迷惑で恥知らずな俺の誘いに乗ってやっているのだと」
……そう、誰かに言われたのか?」
俺は子が産めない

唐突な言葉にタケルが言葉を失う。それ以上の詳細を語ることはせずに、洗濯物を畳み続けながら伊織は淡々と言った。

「だから俺の発情期に意味はない。俺を襲って交合したとしても一切が無意味だ。――それでもαが俺に手を出すのだとしたら、俺にはもう責任が持てないよ」

洗濯物を畳み終わった伊織が、タケルの衣服の山を手渡してくる。気を取り直したように目を細めて微笑みを象ると、「団子でも食うか」と尋ねてきた。決して気分のいいものではない昔話を聞かせた詫びのつもりであるようだった。

洗濯物を受け取りながら、ぽつりとタケルが尋ねる。その声が僅かに震えていることに、伊織は気付かなかった。

「イオリは――αを、憎んでいるのか」
「かもしれないな。……恐ろしくて、憎くて、理解しがたくて――

伊織が己の右手を軽く握り込む。その手を見下ろしながら、ぽつりと言った。

「俺が強さを望むのは、αという欲望にまみれた強さを捩じ伏せる、何物にも染まらぬ純粋な、ただ月のようにそこに在る強さを手にしたいからなのかもしれない。――そういう『強さ』があるのだと、そう憧れたからなのかもしれない」

タケルの手が震える。――知られてはならない。



タケルの身の裡に灯ってしまったその熱を、タケルが知ってしまったその欲望を、伊織に知られてはならない。