舎まゆ
2025-08-16 23:39:20
10556文字
Public 小説
 

文学フリマ大阪13新刊サンプル「短編集 紊乱」

文学フリマ大阪13

9/14(日) 12:00〜開催 (入場無料)

ブース:け-12 【あふたるちか】

短編集 紊乱

A6文庫版/228p

700円

WEB再録含む掌編10本、短編5本収録。



【傲慢】

年度初め、春のうららかな空気は、生徒たちの表情を晴れ晴れとさせていた。
 かくいう私も、今年度からこの母校に赴任することになった新米教員である。
 先輩諸氏に何卒ご指導ご鞭撻のほどをと挨拶を済ませれば、その際聞き捨てならぬ噂を聞いた。
「君もねえ……間が悪いよ。まあ、とにかく今は精一杯やっておきなさい」
「はあ……あの、間が悪い、ですか」
 今年度かぎりで定年を迎えるというベテラン教員の言葉がひっかかり、私は思わず訊ねた。すると彼は渋い顔をさせつつ、教頭の座るデスクをちらりと見やり、そして軽く身を乗り出しながら、声を低くした。
「厳しいんだよ、経営が」
「まさか……面接の時にはなにも」
「そりゃそうだよ君。そんなことを言っちゃあ、来なくなるじゃない」
 だろう? と唇を歪める彼に、私は確かにと頷いた。不運ではあるが、精一杯やっておけば拾われるものもあるだろうからと話を切り上げ、己のデスクに向き直る彼に私は途方にくれた。教員室を見渡すと気づいたのだが、天井の蛍光灯はいくつか抜かれており薄暗い。窓の外から柔らかい光が注いでいるおかげで、どうにもならない鬱屈が誤魔化せているのだろう。

 滞りなく初日が終わり、帰路につく頃合いで私は、懐かしい人に出会った。
 D氏である。彼は私がここの生徒であった当時から、用務員として働いていた。いわば学園の生き字引といえる人だ。今では白髪すら抜けて、腰も曲がり始めた彼に挨拶をすると、数年経っても変わらぬ笑顔で、D氏は大変だろうがね、頑張りなさいよと私を励ましてくれた。
「とはいえ俺もお役御免かもしれんがなあ」
 彼の軽い冗談に、老いと寂しさを感じながらも私は曖昧に笑った。すると、ふと思い出したようにD氏は切り出した。
「君の世代といえば――……Tくんか。彼はどうだい、元気なのかい?」
 T……その名前を聞いて、私は今の今まで忘れていた同級生を思い出した。
 あの可哀想な優等生! すっかり噂も聞かなくなってしまったので、記憶の瓦礫に追いやられていたのだ。――そしてもう一人も。
「よい子だったんだがなあ、ああなってしまって……
 惜しそうにD氏が呟く横で私は、当時を思い出していた。

 彼らと出会ったのは、同級生とも気安く喋るようになった頃のことだった。中庭に面した廊下を通り掛かると、校舎の影に人影がいくつか見えた。不穏な様子に何事かと様子をうかがえば、それらは私の同級生たちで、同じく同級生であるYを囲んでいるようである。よくよく見てみると――Yの顔は真っ青で今すぐにでもこの場から離れたそうにしていた。
「勝ったんだから、オレ達の飯、奢ってくれるよな!」
 どうやら、彼らはYに飯をせがんでいるようだった。遊びに見せかけたたかりである。Yを囲む彼らは、既に教員に目をつけられているほどの、問題児ばかりであった。
 仔細は分からないが、きっとYも彼らの奸計に陥ったに違いない。
「え、でも……
「約束を破るのはよくないなぁ、Yくん!」
 一人が苛立ちを隠さずに声をあげれば、Yは肩をびくりと跳ねさせ、黙りこくった。彼を追い詰める声は次第に過激になっていき、傍観者になっていた私もまずいのではないか、と危機感を覚えるほどであった。すると、私の視線に気がついたのか、一人がこちらに顔を向け、私にすごんできたのだ。
「おい、何見てんだ」
「いや……その……
 生来、私はこういった事態を諫めるほどの勇敢さは持ち合わせていなかった。あの時、私に何か出来たのならば、この後起こる悲劇を回避できたかもしれない。今となってはたらればであるのだが。
 保身に入った私の様子を見て、いよいよYの顔に絶望がよぎった時――
「皆、何をしているんだ。どうしてY君を囲んでいるんだ?」
 溌剌とした声に、私を含めた皆がいっせいに振り返った。
 そこには私と同じく廊下を渡ろうとしていたのであろうTが少し怒ったような顔で、悪童たちを睨み付けていたのである。
「べ、別に……なんでも……
 口ごもる一人にTは片眉を上げ、せせら笑った。
「そうか、何かを話していたのかい?」
「そう、そうだよ。お前には関係ないだろ」
「いいや、聞かせて欲しいね。Y君、君は彼らと何を話していたんだい?」
 毅然としたTの態度に、同級生達の態度は打って変わった。Yが返答を躊躇(ためら)っている間に、いこうぜ、と一人が吐き捨て、彼らは渋々とYと、私たちから離れていった。Yは去って行く彼らを止めることはせず、私たちに歩いてきた。
「大丈夫かい、Y君」
……う、うん……ありがとう、Tくん」
 TはYに歩み寄り、そっと彼に肩に手を置いた。Yはまだ顔色が悪かったが、震える声で礼を言って、ちらりとこちらに視線を向けた。
 私は何も言えないまま、佇んでいた。
 恐縮しているらしいYの態度に、Tは微笑みながら続けた。
「いいさ、僕は弱い者が苦しんでいるのを見過ごせないんだ」
 その時のYの顔――目を見開き、頬を紅潮させて、唇を噛んだ彼の表情。
 恥辱という言葉を当時知っていたのならば、そう言い表すべきだろう。明らかにYはTの言葉のせいで、傷ついていたのだが、哀れな同級生を助けた満足感を顔に湛えたTは、それに気づいていない様子であった。
「また何かあれば言うのだよ、あいつらは僕には叶わないのだからね」
 そう言われ、Tに頭を下げてYは走り去ってしまった。
 私の横を抜ける彼は、こちらに視線を寄越すことはなく、ただここから早く去りたいという意思を、その身から発していた。
 意に反して、この騒動の傍観者という卑怯者になってしまった私に、Tは声をかけてきた。
「君も大丈夫かい?」
「俺はなにもしていない。君は凄いな」
「僕はいてもたってもいられない……。見て見ぬ振りは罪だよ、君」
 Tは苛立ちを隠さず吐き捨ててから小さなため息をつき、首を振った。その振る舞いたるや物語で語られるような、勇敢な英雄のようだった。彼は純粋な義憤でYを助け、彼を励ましたのだ。
「強い者が弱い者を助けるのは当然だ。皆、どうしてそれを分からないんだろう? 勿論、僕は君もそうあって欲しいと思ってるよ」
……そうありたいものだね」
 Tに暗に責められているような気まずさから、消極的な返答をした私の返事に、彼は満足した様子を見せたので、私は密かに胸をなで下ろした。
「是非そうして欲しい。ゆくゆくは教室の皆が、正しい行いをしてほしいんだ。それには行動で示さなければならないよ。君」
 Tの言葉に気圧された私は――本音を言えば、少しの不満を抱えたのだが、肯定するほかなかった。彼の言葉は感心するほど正しかったからだ。ただ、当時の私が彼に対して感じた僅かな違和感に関しては、私のほうが正しかったように思える。