あつき
2025-08-07 22:00:00
22619文字
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正夢ならば言祝ぎを

同居人の夢を見る片思いロナくんのお話。


 大人になれば誕生日なんて仕事だしあまり関係ない。だから忘れてることだってあったのに、今年はそうはいかない。
 夜が来るのがそわそわしてたまらなかった。棺桶が開く前に、ジャケットを引っ掴んで仕事に駆け出した。
 今は逃れたって、帰ったら起きてるだろう。夢から飛び出して来たような、優しい笑みの、あいつが。いったいどんな顔して会えばいいのか。

 初めてのキスは、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと触れて離れた。一瞬だった。
 こいつは有耶無耶にしようとしたが、欲を垣間見せた言葉を吐いた時、赤の瞳は剣呑に光っていた。
 恋という純情な響きに隠れた欲を俺は忘れられないのに、なんでこいつはこんなにも、優しいキスが出来るんだ。
 あれは欲求に素直な吸血鬼が、ずっと同居人として過ごしてきた俺に向けたことのない、知らない欲だった。
 目線が絡み合う。抑えられない衝動に任せたように、再び唇が塞がれた。
「んっ、」
 二回目のキスは一度目より深く、何度も重ねられてなかなか途切れなかった。求められる気持ちに応えたいのに息が続かない。肩口のマントに縋りついて訴えるけど伝わらなくて、もう限界が近かった。
「ふっ、い、痛い痛い痛い!!おい、ロナルド君!!」
「ふはっ、」
 ようやく唇が離れたので、焦って酸素を肺にめいっぱい取り込む。ザラリと崩れた耳の砂が手にかかって、不必要な力が入っていたことに気づく。
「あ、わりぃ」
 中途半端に終わってしまったキスに、惜しいことをしたんじゃないかという気になる。俺の息がもっと続けば――続いたら、その先はなんだ?
 ドラルクは珍しく血色のいい顔で、なのに忌々しいものをみるような目で睨んでくる。
「君、さっきから自分がどんな顔してるか知らないだろ」
「なんだよ」
 寄せられた不満げな顔に気圧されて、狭いソファベッドで上半身を引いて距離を取る。
「物足りないって、顔してる」
「はっ、はあ!?」
 遺憾である。大層遺憾だ。
「俺のせいみたいに言うんじゃねえ!!お前がッッ!!あんなこと言って、ギラついた目でみてくるから!!」
「さっき流したんだから蒸し返すな!!」
「蒸し返したのはテメーだッッ!!」
「あれは言葉選びを間違えたんだ。私は別に急いてなんていない。段階を踏んで、君と歩みたいということだ」
「俺は、」
 なんだよ、そんな欲を否定するようなこと。いつもはしたいことしかしないくせに、それを押し込めて、あんな宥めるようなキスで終わろうとするなんて。
「俺は焦ってる。お前が心変わりしないうちに、もっと触れたいって」
 本当は、独占欲でも何でもよかった。勘違いでも恋人として触れ合えるなら、熱が冷める前にもっと欲を重ねたいと、みっともない本音を晒してしまう。
「ほぉーーーぉ?」
 眉間に皺を寄せて、ひくりと片方の目を引きつらせたドラルクは、不機嫌そうに俺の肩に手を置いてきた。
「じゃあ、これで満足かい?」
「うわっ」
 置いた手にグッと体重を掛けられて、いくら軽いと言ってもそう身長も変わらない男だ。しかも俺は体を斜めにしていたので、不意打ちに体の重心がぶれて、手と肘をついた。
 倒れた体に覆いかぶさるように、ドラルクも手をついて迫ってくる。見下ろしてくるこいつは表情をくるりと変えて、目を細めて口元を吊り上げた。
 ああ、あの眼だ。さっきの爛々とした、普段は意識することのない赤が、突き刺さるような視線。
「ね、どうしたいか教えてくれる?」
 どうしたいかなんて、俺にその先が想像できると思ってんのか。
 もとより返事なんて待つ気はないらしく、すり、とパジャマの上から指が腹を撫でていく。ゆっくり脇腹を通った腕は背中に回り、滑るように体を寄せられて、ピッタリと細い体が密着する。
「ほら、ロナルド君が望んでくれたんだ。好きに触って?肘をついたままじゃ体勢もきついだろ」
 力を抜くように促され、完全にソファベッドへ仰向けに寝ている格好にもっていかれる。これで自由に触れるでしょ?と耳元で囁かれるが、そうは言ったって体の前面が密着してる今、触れられるのは背中くらい。それより下の方に手を伸ばすには、経験のない俺には圧倒的に度胸が足りない。
 そっと両の手で、細い背中を掌中に収める。望んでいた男が、こんなにも容易く懐にいる事実に胸が震える。
「君にならどこを触られても許そうじゃないか。その代わり、私も君に触れさせてもらおう」
……、!」
 こくり。唾を飲んでのどを鳴らして、目の前の男が次にどういったアクションを取るのかただ受け入れ、任せるほかなかった。空いた手がパジャマの裾から入り込んで素肌を撫でる。
 ぞくりと全身が粟立つ。欲しがったのは自分なのに、同居人の知らない一面に溺に溺れそうになる。
 すりすりと勝手気ままに動く指が初めての感情を呼び覚まして、自然と体が跳ねる。声が出そうになるのを押し殺していたが、困ったことが出てきた。快感と紙一重に、くすぐったい。初めてだから正解が分からないけど、今笑い出すのは違うんじゃないかと必死に我慢しているのに、弄ぶように、くすぐったさに身をよじる箇所を柔く、繰り返し執拗に撫でられる。官能的でもある指なのに、変な気になる所とくすぐったいところを混ぜこぜに責め立てられて、音をあげそうなところに、ちゅうっ、とやや強く唇が首筋に押しつけられた。
「うぎゃあっ!」
 色気も何も無い声をあげたところに、ダメ押しとばかりにつぅと牙が首を掠めた。
「ウ、ウワーーッッ!!」
 背中に回したまま最後まで為す術もなかった両腕で、ぎゅうと抱きしめてしまった。圧力であっさりと崩れた肢体はバサリと塵になり、俺の体中に降り注ぐ。
 男の血はくどいと死ぬし、吸血の必要もない場面で、こいつが俺の同意無しに牙を突き立てるとはどうしても思えなかった。だけど理屈や信用抜きに、本能的な忌避で殺してしまった。
 それに何より、――刹那に感じた、まるで常闇に喰らわれるような総毛立つ感覚と、快楽の回路が万が一にも繋がってしまったらと、
――頭のどこかで、サイレンが鳴り響いてやまなかった。
 自分が唆したのに雰囲気も一緒にぶち壊した現状に血の気が引いたが、焦る間もなく、ズズッと俄に塵が集まって、起き上がれない俺の横に再生した吸血鬼から高笑いが響いた。
「ハハッ、そうだ!それでいい」
 座り込んであぐらをかき、落ちる前髪をかき上げながら愉快そうに笑う声が予想外で、したり顔で屈託のないドラルクに面食らう。瞬きを数度繰り返してからようやく、もしかしてこいつはわざと、俺の暴力を誘うような真似をしたんじゃないかと思い至った。
「え?何?お前死にたかったの?とうとうトチ狂ったのか?」
「ファーー!!黙れ私のファビュラスな気遣いも分からん青二才め!」
 罵られているのに、ああいつものドラルクだとほっとする自分がいた。罵倒されて嬉しいなんて自分も大概に毒されている。
「普段はバカスカ殺されるなんて業腹だがな。情事の際は特別だ。嫌な時は遠慮なく殺せ。肩でも腕でも胴でも握って、さっきみたいにちょっとゴリラの力を込めれば一発だ」
「クソ雑魚……
「なんとでもいいたまえ」
 この弱さが利点なんだと、誇らしそうにふふんと笑う。
「そのほうが私も、というかそうでなければ、遠慮せず欲をぶつけられない」
 まさか俺の態度が逆にこいつのしたいことを押し込めていたのかと目を白黒させていると、ドラルクはまだ言葉を止めない。
「あとな、もっとよく考えろ。今日は君の誕生日だぞ。勢いでことに及んで、心変わりするのは君の方って可能性もある。そしたら毎年思い出すぞ。まあもう手遅れかも知れんが」
「俺は、心変わりなんて……
「そう思うなら私にも失礼だと気付け。思いが通じた日に、そんな悲しいことを考えて欲しくないんだよ。今日くらい、楽しい気持ちでいっぱいにしてやりたいのに」
 いい加減に起きて隣に座れと顔をのぞき込まれたので、体を起こしてドラルクの正面にあぐらで座り込む。
「君が私の気持ちを疑っているのに、性急に進めるなんて嫌だよ。ちゃんと信じられるようになった時に、幸せな気持ちで触れ合いたいんだ。だからもっと、ゆっくり愛を感じてよ」
「あっっっ、………あい……
 真正面に座り込んだことで、面映ゆい台詞を真っすぐに受けるしかなくなり、早速起きたことを後悔した。赤い顔もこの距離では隠しようがない。
「次のステップに行けるのは、素直に『俺も愛してるよ』くらい言えるようになってからだな」
「一生進む気がしない」
 ふはっと吹き出したドラルクが、「ごめん期待してない」と肩を震わす。テメーどっちだとキレようとしたのに、またも真っすぐな柔らかい笑みに射貫かれる。
「だから次も、優しいキスから始めよう」

 そう言ってまた不意打ちのキスを頬にひとつ残して、咄嗟に反応できない俺を尻目に、ドラルクは棺桶へさっさと入り込んでしまった。もう日が昇ってるからおやすみと、ひらひらと手だけ棺桶から出して振りながら、今日は早く帰ってこいよと言い残し、パタリと蓋は閉められた。

 ばっちり八時間睡眠で迎えた朝にこの出来事だ。健康そのもので眠気は全く無くて、コンディションだけを考えたら事務仕事や原稿を進めるのにうってつけだ。なのにこれっぽっちも捗らなくて、棺桶を視界に入れては思い出して悶えて、ようやく夜になって家を飛び出した。息が切れるほど走ってみても気が紛れるのはその時だけで、また叫び出したいようなムズムズがぶり返す。

 次っていつだよ、恋人みたいなちゅーを、またすんのか。優しいけど、確かに愛しいものにするような、恋人同士でしかしないような、ちゅーを。
 そう、もう恋人だった。恋人なら、しても問題ない、そう、ないはずだ。
 それなのに数歩進んで思い出しては道端に蹲って、顔を覆うことを繰り返すしかなかった。
 人間でいえば、あいつが起き出した今頃は一晩経ったくらいの感覚だろうか。ずりぃ。

「おーロナルド今日誕生日だよな」
「そういやそうだったな。おめでとー」
 次々に皆がおめでとうと言ってきたけど、ショットだけが耳元でボソリと呟く。
「ひとつ聞きたいんだけど、今日祝うことってお前の誕生日だけで良かった?」
 そう聞いてきたので、トドメを刺された気分だ。「今度話すので勘弁してください」と懇願した。
「いや、お前が幸せなら別に、無理に話さなくていいわ。余計な詮索して悪かったな。誕生日おめでとう」
 今夜ごちそうか?と聞くショットに、ごちそう、うん。昨日そういや言ってたわ……としか言えなかった。こんなにも欲しいものがあってそれを手に入れた誕生日も初めてならば、こんなにも家に帰りたくない誕生日も初めてだった。

 この時の俺は気づいていなかった。奴の言った手遅れの意味を、毎年実感する事になる。
 それからも毎年、誕生日がふたつ、いやみっつの意味合いをもって同居人から祝われることに。
 誕生日のたびに告白とファーストキスを思い出すハメになるなんて、責任取れよと泣きついて、そのたびに「もちろんだとも」と余裕のキスで返されるんだ。

おしまい