来羅
2025-07-31 22:42:09
10390文字
Public トワウォ
 

空言(風信)

さわマル開催おめでとうございま……した……!
落とした兄貴記憶喪失話です。





……つらい」
 テーブルに突っ伏して吐き出した信一に返されたのは「ふーん」という気のないものだった。
 四仔は薬の調合に余念がないし、十二は櫛を片手にさっきから同じところばかりを気にしている。
「聞いてんのかよ?!」
「聞いてる聞いてる」
「聞いてない」
 答える声は冷たくて、信一は四仔のその背にもたれかかるようにだらりと伸びた。
「大佬が、格好良すぎて辛い」
「それ前からな」
「優しくて、甘やかしてくれて、俺の大佬、最高すぎて辛すぎる!」
「それも前から言ってたし、お前のじゃない」
「今は俺のなんですー!」
 唇を尖らせて言い返したものの、ふっと四仔に力を抜かれてバランスを崩した体は床にぱたりと倒れた。そのまま十二の足元だけを見つめて、大きく溜め息をつく。
……俺のだから、辛い」
 ぽつりと呟けば、手を止めた四仔がちらりと視線を寄越したのがわかった。
 信一に騙されて恋人だと思っている龍捲風は、もう毎日が胸焼けするくらいに甘い。
「知ってるか? 大佬、『恋人』にはやたらと髪とか頬とか触ってくんの」
「知らないし、知りたくない」
「それにこの間は、俺が大佬のそれ美味そうって言ったら、食べかけのスプーンで『あーん』って……『あーん』って!! やべぇ、これ間接キスじゃねぇ!?」
「いや、童貞かよ」
「買い物についてったら『お前の好きなものはなんだ?』ってもう金に糸目つけずに買おうとするしさぁ」
「それ前からじゃね?」
「あ、俺のこのネクタイ、そのあとで買ってもらったんだけど、『お前は何でも似合うから、俺の好みで着飾らせたくなるな』ってわざとらしく声低めて揶揄うし、いや、大佬の色に染まる俺ってどうよ!? やばすぎる! 大佬の! 俺!!」
…………ウン、ヨカッタナー」
 キャッと顔を覆ってゴロゴロ転がれば、邪魔だと十二に足蹴にされた。四仔に至っては、見向きもしなければ反応もない。
 けれども。
「それみーんな、『恋人の俺』だからなんだ」
 わかっている。
 龍捲風の行動にいちいち心を弾ませて頬を染め、同時にどうしようもなく虚しくなるのも、これがただ仮初のものでしかないことも、ちゃんと、全部。全部。
 記憶が戻らないせいでろくに部屋を出ることもままならないせいか、信一を甘やかすことが唯一楽しくて仕方がないのだとばかりに何から何まで世話をしたがる龍捲風に、信一だけがいつまでも慣れない。
 初日に信一がいつまでも抱きついていたのも、きっとまずかったのだろう。
 帰ってきたらハグ、寝る前もハグ、おはようの言葉と共にハグ、出かける前だってもちろん。
 薄れた煙草とポマードと体臭の入り混じった匂い。背を抱く力強さ。耳元に囁く甘やかな声。
 本当なら得ることの叶わない龍捲風が、簡単に手の中に落ちてきてしまった、その怖さ。
「どうしよう」
 大変なことをしてしまったのだ。
 もし記憶が戻ったら。
 もしこのまま記憶が戻らなかったら。
 どちらにしても、信一には龍捲風へ顔向けできる未来はない。
「自業自得だな」
「冷たい!」
「まぁまぁ、今だけのボーナスだと思って楽しめばいいじゃん」
「バレたら大佬に嫌われる……
「それはないだろ」
「軽蔑される……
 さめざめと泣き真似する信一に、呆れた顔で四仔と十二とが顔を見合わせて肩を竦めた。
 そんなことにはならないと言いたいのだろう。その通りかもしれない。龍捲風は呆れることや叱ることはあっても、嫌ったり軽蔑したりはしない。そういう人じゃない。けれどもなぜこんな馬鹿げた嘘をついたのか、理由が詳らかになれば龍捲風は信一に明確に一線引くに違いない。
 きっと右腕としてはそばに置いてくれる。養父と養い子である事実も変わらない。それでも今のような、四仔や十二に言わせるところの『近い』距離感は失われるはずだ。なぜって、もう信一の龍捲風への想いはとうの昔に親子の範疇を超えている。
……好きなだけなのに」
「それ本人に言えば?」
「大佬が好きですって?」
「そーそー。ここで管巻くより玉砕して来いって」
「なんで砕ける前提!」
「お前がそうして欲しそうだから?」
「欲しくないし、言えるわけない」
「往生際が悪い」
「だって、迷惑だって思われたら立ち直れない」
……つってもなぁ」
 濁した言い方が不自然で、顔を上げれば困った顔した十二が顎をしゃくった。なんだと眉を顰めて振り返る。そして信一は慌てて起き上がって叫んだ。
「だ、大佬、いつの間に……?!」
 さぁっと血の気が引いた信一に、入り口で立ち竦む龍捲風はどこ吹く風で楽し気だ。
「『大佬が好きです』のあたりだな」
「最悪!」
 気付いてたなら言えよと四仔を睨めば、半眼で見返されてしまった。友達甲斐がない男だ。
「いや、大佬、あの、さっきのは」
「信一を連れて行ってもいいか?」
「どーぞどーぞ」
「さっさと引き取ってくれ」
 本当に友達甲斐のない男たちは、ふたつ返事で信一を差し出した。
 そうして背を向ける龍捲風は信一がついてくることを疑わない。こういうところは記憶があってもなくても同じだった。だから信一は堪らなくなる。
 信一の好きな龍捲風は何ひとつ失われてはいない。
 それなのに、嘘から始まった関係だけがいつもと違う。
 よろよろと立ち上がり、振り返らない背を追いかけていたら、振り返らないはずの龍捲風が振り返った。
「信一」
 差し出された手を呆然と見つめ、龍捲風の顔を見上げる。
 焦れたのは龍捲風の方だった。
 棒立ちのまま目を瞬く信一の手を掴んでしっかりと握り、行くぞと優しく引っ張る。
……だ、大佬、人に見られたら」
「見せつけてやるか?」
 からからと笑う龍捲風は、それでも手を離さない。ぶらぶらと揺らされて、胸の奥がぎゅっとなった。
 どうしてこの人は自分のものじゃないんだろうと思う。
 『恋人』にはこんな顔をするのだ、この人は。
 龍捲風は優しい。それでいて茶目っ気があって、冗談が好きで、でも頼りになって、強くて、美しくて。龍捲風は信一の全てだ。
 でも。
(でも、この人の全ては、俺のじゃない)