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もち粉
2025-06-21 21:11:19
6065文字
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歌えカナリア、告げよヒバリ 上
パッタドルの話
パタちゃん、きっと優秀な方なのだ敬わねば!だけで、あんなにミスさんのこと心配してくれるのすごない?もうちょっと何かあったでしょ?で書き始めた
25/06/25 5頁目追加
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……
やってしまった。
パッタドルは厨房の床にぶちまけられた大量の油を見下ろして青ざめた。
今日は炊事当番の日だった。この船の厨房に専門の料理人は一人だけしかおらず、各班が持ち回りで手伝いをする。いつもなら、だらだらするリシオンとフレキを急き立て厨房に向かうパッタドルだが、さすがに少し疲れていた。彼らと言い合いする気力がない。
一人で厨房に入ると、囚人たちどころか料理人の姿もなかった。食堂の時計を見やれば、身に染み付いた一〇分前行動で来てしまっていた。かといって、一度部屋に戻るほどの時間もない。
仕方ない、一人で準備だけでも進めておくか。
パッタドルも貴族の娘である。入隊するまでは果物一つ自分で剥いたこともなかった。
初めて包丁を手にしたのは、入隊直後の陸上での野営訓練の時である。
今夜の献立表を確認すれば、メインは魚のフリットのようだから油が多く必要だろう。発火の魔法陣が描かれた台近くの陶器製の油入れを覗くと中身は半分以下に減っていた。
前回、同じように減っていた中身を油の大壺から注ぎ足しておくようにと指示されたことを思い出したので、補充しておこうと油入れを持って大壺へ向かう。
大壺の中身も前回より油面が下にあり、中身が減った分、軽くもなっていたので汲みやすくしようと傾けたのがまずかった。片側に集まった油の重みに負けて、壺を支えきれず倒してしまったのだ。最後の瞬間に飛び退いたので、パッタドル自身はブーツの爪先をちょっぴり油で濡らしただけで済み、ゆっくりと倒れたので幸い壺は割れなかった。しかしユニコーンの角でいくらでも海水を浄化できるこの船内に置いて、油は水よりも貴重な物資だ。それよりなにより単純に、床に広がる油の後片付けをどうしたらいいのかと考えると、気が遠くなる。
ああそれに、こんな所をあの二人に見られたら
……
。
カタンと後ろで聞こえた足音に、肩を跳ねさせ振り返る。
「隊長
……
」
そこにいたのは、ミスルンだった。今まで新隊員たちの指示指導は副長のフラメラがしていたので、間近に見るのは初めてだったが、顔くらいは知っている。
いつもは世話役のような背の高い女と歩いていることが多いが、今は一人だった。
ミスルンは油入れを握りしめたパッタドルと床の惨状を見て、すぐに状況を察したようだった。
「油を零したのか」
「あのっ、申し訳も
……
っ!」
常に優等生だったパッタドルにとって、失敗して叱責されるのは恐ろしいことだった。青ざめて謝罪をしかけるパッタドルに、ミスルンは手近の水桶をひょいと渡す。
「水を汲んで来なさい」
「え? あっ、はい!」
床を掃除しろということだろうか? パッタドルが厨房の水道に魔力を通すと、海水を汲み上げて浄化した真水が出てきて桶を満たす。
その間にミスルンは倒れた大壺の取っ手に手をかけて引き起こした。
「お、お待たせしました
……
!」
「うん」
「って、ええーっ!!」
パッタドルが驚いたのも無理はない。
ミスルンは水桶を受け取るやいなや、油の大壺の中に水を注いだのだ。そんな事をしたら、残りの油も駄目になってしまう。
口をパクパクさせるパッタドルに、ミスルンは空になった水桶を返して、もう一杯水を汲ませると、それも大壺に入れてしまう。
「あの、隊長
……
」
パッタドルがおずおず口を開きかけたところで、ミスルンは大壺に片手を添え、もう片方の手で床の油を指差した。
一瞬、澄んだ魔力の奔流を感じたかと思うと、床一面に広がっていた油は、まるで波が引くように収束し、そこには油とそっくり入れ替わるように大量の水が残されていた。同時に大壺の中では、水と油がはっきりと二層に分かれていたはずが、今は油だけがとぷんと揺れている。
「転移術
……
?」
パッタドルは信じられない思いで大壺の中を覗き込んだ。床に広がっていた油が、大壺の中の水とその位置を交換したのだと察するが、油は一滴も残さず、壺の中には埃ひとつ浮いていない。
隊長の得意技だと聞いてはいたが、これほど微細な調整を無詠唱で行うとは。
転移術は使い手自体が多くないし、取り扱いには免許が必要だ。パッタドルも実際目にしたのは初めてだった。
パッタドルが自分でも何を言おうとしたのか、分からぬままミスルンに振り向き口を開きかけた時、陽気な料理人の声が響いた。
「あらま! 床が水浸しじゃないか、どうしたね?」
パッタドルは慎重に芋を剥く。肩と腕に変に力が入って痛い。まだ半分も剥けていない芋は彼女のほっそりした指に力いっぱい握りしめられ、温まっていた。
その横で同じように椅子に腰掛けたミスルンが芋を剥いている。意外にも危なげのない手つきで、パッタドルよりよほど早い。すでに二つ目を剥き終わりそうだ。
そのまた隣では、料理人が魔法のように芋を剥いている。エルフにしては珍しいほど太った彼の、丸々しい指にかかれば芋はまるで自ら皮を脱ぎ捨てるかのように剥けていく。
冬の初めの、白い日差しが窓から斜めに差し込んで、三人の影が向こうの壁まで長く伸びる。
「久しぶりだね、ミスルン様。隊長職はどうだい? 忙しい? 新しい世話係はどう? あのボンキュッボンのお姉ちゃん、よくやってくれてるかい?
小麦? そうだね、まだあるよ。メニュー次第じゃ次の次の寄港地まで持ちそうだ。それより干し肉が足りないね、若い隊員が増えたから」
ひたすら喋り続ける料理人に、ところどころ相づちを打っていたミスルンだが、四つ目の芋を半分ほど剥いたところで、ゆらりと席を立ち、そのまま厨房を出ていった。パッタドルはようやっと一つ目を剥き終わったところだ。
その背に「今夜はマッシュポテトと魚のフリット! キノコのスープだよ!」と声をかけてミスルンを見送った料理人は、ふうと息をつき「おいたわしいねぇ」と今度はパッタドルに向き直って話し出す。
「昔のミスルン様はね、そりゃあきれいなお方だったよ。髪だってあんなボサボサじゃなくって、そこに座って手伝ってくれてると、窓からの光に銀髪がきらきらしてさ。耳だってピンと尖ってて、明るい銀色の目をしてた。私らみたいな身分の低い者にも気さくに声を掛けてくれてね。こんな貴族の方もいるもんだと思ったよ」
パッタドルはなんと返事をしたものか困って「はあ」と声とため息の中間くらいの音を返した。何を考えてるのか分からない不気味な人だが、あの転移術ひとつで優秀なことは察しがついた。だが、そんな若い時の姿は考えられなかったし、そもそもパッタドルほど若い娘にとっては、周囲の大人たちにも自分と同じほどの歳で、同じような事を考えていた時代もあったというのが、想像の及ばないことだった。
料理人はそんな彼女の様子を楽しそうに見やると、ミスルンの剥き残した芋をしゅるしゅると剥きながら、「あんたもね、パッタドル様」と片目をつぶった。
「私?」
「そうだよ、今の看守たちの中で真面目に自分も厨房の手伝いに来るのなんて、あんたくらいさ」
「し、しかし炊事当番は各班平等に
……
」
「そりゃ、囚人たちは来るさ。作らなきゃ自分の食べるものもないからね。でも看守たちは、来てもせいぜい最初の一、二回。あとはみんな囚人に任せきりだよ」
「なっ!?」
「貴族でここにちゃんと手伝いに来たのは、前副長のミルシリル様と、隊長になって戻ってきたミスルン様だけだ。だからあんたもきっと出世するよ、パッタドル様」
「そんな! 私などを隊長や副長と同列に語るなど恐れ多い
……
!」
なにせ季節は夏から冬へと巡っているというのに、囚人との関係ひとつまともに作れていない。
悔しさに、目の奥がじんと熱くなる。
……
口元が自嘲に歪みかけたその時、
「おっさんごめーん、手伝いに来たよー」
どやどやとリシオンとフレキの二人が厨房に入ってきた。
「あー、パッタドルこんなとこにいやがった! お前がちっとも迎えに来ないから、遅くなっちまったじゃねーか」
「言われんでも来い! 一〇分前集合!」
「うぜー」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながらも、料理人の指示に従って野菜を刻み、魚に衣をまぶす。
大鍋に油を注ぎながら、ミスルンの空洞のような瞳を思い出す。
……
あの人は、何も言わなかった。叱るでも、見下すでもなく。ただ助けてくれた。
――
できる人だ。けれど、何を考えているのか分からない。かつて美しくて気さくだったというミスルン。変わり果てた姿になってまで隊に復帰した彼は、何を考えているのだろうか。
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