usagipai
2025-06-04 21:52:38
8912文字
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ユスひの



空が震えた。

地の底から浮かび上がるような光。風。ざわめき。
そして、どこかで聞こえる声。
……ひので……戻れ……ここは……過去……

「え……?」

ユースティスの姿が、光に飲まれていく。

「ま、待って!!」

掴んでいた手が、離れていく。
ひのでは叫んだ。

「もう少しだけ……!」
それでも、光は容赦なくひのではを包み込んで──
白い天井だった。
冷たい石の床。微かな香の煙。

ひのでは、はっと息を飲んで身を起こす。

……神殿、だ」

寝台の上。シーツは乱れ、額には冷たい汗が流れていた。
隣の部屋では神子たちの気配がある。夜はとっくに明けていた。
でも。

(ユースティス……
夢の中で見た彼の姿が、まぶたの裏に焼きついていた。
血まみれで、優しく笑って、儚く消えかけていた男。
(あれ……なんだったんだ?)
……じゃない気がする。
心臓がまだ、戦場にいた時のまま暴れてる。

鼓動を抑えきれないまま、部屋を出た。
ユースティスは、ちょうど中庭で訓練をしていた。
いつも通り。真っ直ぐで、冷静で、厳しくて。
ひのでは、その姿を見て――
脚が止まった。
(あの時の……あの顔で笑ってる)
傷一つなく、綺麗な姿で剣を振るう彼が、信じられなかった。
……夢、だったのか?」
だけど、どうしてもそうは思えなかった。
(あんなに苦しそうな顔、あんなに……優しい目、見たことなかった)
呼吸が浅くなる。声が出ない。
けど、彼はふとこちらに気づいた。
そして――

……ん?」
眉をひそめて、静かに近寄ってくる。
「ひのでか……どうした?顔色が悪い」
普段と変わらない声音。だけど、
ひのでは思わず一歩下がった。

(違う、“普段通り”にしてるだけだ)
声も表情も丁寧なのに、胸の奥が騒ぐ。
あの夜のこと、あの戦場のこと、何も知らない“ふり”をされているような――
……俺さ」

たまらず、口を開く。
……あんたの、剣の振り方、どこかで見た気がするんだ」
ユースティスの目がぴくりと揺れた。

……そうか?」

……昔、誰かを守るために剣を振って、ひとりで全部背負って、血まみれになって――それでも誰かを助けようとしてた、そんな人を見た」
…………
言いながら、自分でも涙が出そうになるのが分かった。
「夢だったかもしれない。でも……もし、ほんとに過去があって。俺がそれを見てたとしたら」

ユースティスは静かに聞いていた。表情はまるで変わらない。
だけど、ひのでは分かった。
呼吸が、浅くなっていた。

……ひのでは、時折……とても不思議なことを言うな」
……俺もそう思うよ。でも、なあユース」
ひのでは、もう一歩だけ近づいた。
「もし過去に苦しんでたならさ。今はさ、ちょっとぐらい誰かに頼ってくれよ」
その“誰か”が、俺であってもいいんだ。
――と、言葉にする勇気までは出なかったけれど。
ユースティスは目を伏せて、小さく笑った。
……神に仕える者は、強くなければならない。私はそう教わってきた」
……じゃあ今からは俺が教えてやるよ。神に仕えてる奴でも、弱っていいし、泣いてもいいって」
沈黙が落ちた。
朝の光が差し込む中で、
彼の瞳に、ほんのわずかな“揺らぎ”が生まれたのを、ひのでは見逃さなかった。
その日、ユースティスは訓練場にひのでを呼び出した。
「昨日の件について……話がしたい」
表情は相変わらず堅い。
でも、どこかいつもより“迷い”が滲んでいる気がした。
ひのでは無言で頷いた。
……君が見た夢についてだが、私にとっても全くの他人事ではない気がしている」
ユースティスは、剣の柄を見つめながら口を開く。

「私には“過去の記憶”がない。生前、どこにいて、誰だったのか……ジュピター様に神子として呼ばれた時、すべてを忘れていた」
その声音は、普段の彼からは考えられないほど静かで、人間的だった。

「でも時々……ふと、夢を見る」
ひのでは目を見開く。
「夢?」

「そう。“誰かを守ろうとして、間に合わなかった夢”。剣を振って、必死で誰かの名前を呼んで、それでも……届かない。間に合わない。そんな夢ばかりだ」
ひのでの胸がぎゅっと締めつけられた。
(それ……俺が見た、あの戦場のことじゃねえのか)
ユースティスは、ふっと息を吐く。
「君の言う通りなのかもしれない。君は、僕の過去を“見た”のだろう。……誰にも見せたくない、哀れで、未熟で、どうしようもなかった“かつての自分”を」
その声には、ほんの僅かに、震えがあった。

「俺さ……その“かつてのユース”を見たからって、幻滅とかしなかったよ」
ひのでは正面からユースティスを見据える。
「むしろ、“そいつ”を知って、今のお前のことがもっと分かった気がした。だからって、何かが変わるわけじゃないけど」
少し照れくさそうに、でもまっすぐに。

「それでも、俺は知ってよかったって思ってる。
ユースが、そんなにも必死に誰かを守ろうとしてたんだって」
ユースティスの肩が小さく揺れた。
そして――

……ずるいな、君は」

ぽつりと、彼が呟いた。
「誰よりも軽やかに、真っ直ぐに言葉を投げる。迷いも恐れも、きっと抱えているのに、それでも……ひのでは、誰かに差し出せる」
その言葉に、ひのでは目を見張る。
「私にはできなかったことだ。昔も、今も」

……だったら、今からやってみればいいじゃん」
……え?」
「今から誰かに頼って、弱くなってみればいい。最初はうまくいかなくたってさ、それでも少しずつ“変わる”ことはできるって、俺は思う」

しばらく沈黙が続いた。
ユースティスは視線を伏せたまま、ひのでは見なかった。
けれど、その指先が、剣の柄を握る力を少しだけ緩めていた。