ナガレ
2025-05-20 19:01:52
38057文字
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【web再録】in the midnight(ぶぜまつ)

2022/3/21閃華春大祭 2022 江中心プチ「ごーとぅすてぃじ 3」合わせ発行。ぶぜまつin現代遠征で、人間に成りすまして生活しながら刀剣男士の任務を行う話。ビジネスマンだったり、ルームシェアでご飯作って食べたり、水族館デート(?)したり、共闘したりするコンビやバディのような関係性の二振りです。
二振りの降り立ったビルは都庁のつもり。高層ビルから飛び降りるぶぜまつが書きたくて書きました。書けて満足。

発行から二年以上経過したので、webに全文掲載することにしました。本を手に取ってくれた皆様方、本当にありがとうございました!
※web掲載にあたり、改ページ等を調整しています。


【三】

 その夜、豊前は暗い夜道を足早に歩いていた。珍しく残業が長引き、気づけばこんな時間になってしまった。やっとこっちの仕事が楽になったから敵の捜索に専念できると言っていた松井は、もう家に帰って来ているだろうか。何か夕飯になりそうなものはあっただろうか。
 オフィスを出ると、豊前は『今から帰る。何か食べたか?』と松井にメッセージを送った。メッセージはすぐ既読になり、返信が来た。
『カップ麺があったからそれを食べた』
 ……そうか。隠しておいた期間限定味を食べたのか。楽しみを取られた豊前は少々残念な気持ちになったが、見つかってしまったものは仕方ない。また買って帰ろう。
 何か残っていたかなと冷蔵庫の中身を思い出しながら、豊前は帰り道を急いだ。しかしマンションまであと少しの所でその足は止まった。
 立ち止まり、周囲をぐるりと見回す豊前。街路灯がアスファルトの地面をぼんやりと照らしているだけで、周りに人の気配は無かった。――人の気配は。
(厄介な奴に当たったな……
 人の気配は無くても、確実にそれはいる。建物の陰に潜むその気配は敵短刀のものだ。向こうも豊前が足を止めた事に気づいている。当然、人間に成りすました刀剣男士である事も。敵が従えているのは銃兵。こんな場所で発砲なんてされたら、上から下への大騒ぎにしかならない。この時代での戦闘は本当に足枷が多すぎる。豊前は電子端末をポケットに入れたまま、画面を人差し指で軽く叩いた。
 トントトトン、トトントントトトン。
 トトト、トントントン、トトト。
 これだけは画面を見なくても発信できるようにと教え込まれた信号の組み合わせ。あとはこの発信に気づいた松井が来るまで持ちこたえればいい。
 夜の短刀は脅威。それは敵でも、味方でも。自部隊にいれば頼もしい存在になるが、敵に回せば一瞬たりとも気を抜く事が許されない存在になる。豊前は相手から目を離さないようにするのが精一杯で、戦闘衣装に着替えている余裕は無かった。
「っ!」
 豊前の抜いた刀が銃弾を弾く。この一瞬で刀を出現させて抜刀できただけでも御の字だ。豊前は結界の張り方を知らない。松井曰く、戦闘になった場合の対処法も出立前に説明があったそうだが、あの時は上の空だったから何も覚えていない。ちゃんと審神者の話を聞いておくべきだった。
 と、今さら後悔しても遅い。今はこの場を切り抜ける手立てを考えなければ。飛んでくる銃弾をひたすら四方八方に散らし続けていると、ようやく銃弾が止んだ。
 どう足掻いても短刀の機動力には敵わない。しかも今は夜。一撃目はいなして避けるのが得策か。豊前は刀を構え直した。
(消えた!)
 一瞬たりとも気を抜く事は許されない。そうわかっていたはずなのに、刀を構え直すほんの一瞬だけ目を離してしまった。その隙に敵短刀は目の前から消えた。
 どこに消えたのかと目を凝らしても、闇に隠れた短刀を見つける事はできなかった。伝わってくるのはどこかに潜んでいるという気配だけ。腕の一本ぐらい持っていかれる事も覚悟した方がいいかもしれない。豊前の顔に焦りの色が浮かんだ。
 視覚には頼れない。ならば聴覚だ。針一本が落ちたような小さな物音も漏らさぬよう、豊前は神経を研ぎ澄ませた。
 大通りを走る車のエンジン音。どこかの家の玄関のドアが開いた音。野良猫がブロック塀から飛び降りて、道路の反対側の茂みの中に隠れた音。
 小さな風、空気の流れる音すらも聞き漏らしてなるものか。自分の瞬きの音すらも聞こえそうなくらいに、豊前は深く集中した。――微かに空気が揺れる。
 キンッ!
 刃物と刃物のぶつかる音。闇に紛れて襲ってきた敵短刀を弾いたのは松井だった。街路灯に照らされて光る直刃の刀身、揺れる外套の裾。松井は戦闘衣装を身に纏っていた。
「敵はこれだけ?」
「あぁ」
「この辺りに結界を張った。豊前のことだから、どうせ聞いていなかっただろ」
 少し呆れている松井の声色。その通りなので豊前はぐうの音も出なかった。軽口をたたき合う豊前と松井だったが、視線は決して敵から外さなかった。
「なぁ。これって破いたら弁償させられんのか?」
「知らない。けど、そうなったら経費で落とすから安心して」
「了解。あんがとな」
 戦闘衣装を身に纏うのは一瞬だが、どうしても隙が生まれてしまう。もし自分がこの敵短刀だったらその寸隙を突く。きっと相手も同じ事を考えるはずだ。不意をつかれた豊前を松井が庇えるとは言い切れない。多少の動きにくさは我慢して、このまま戦闘に臨む事を豊前は選んだ。
「僕が先に出る」
「任せた。気ぃつけろよ」
 夜間の戦闘。刀種の不利は数の有利で補えばいい。松井はすっと一歩前に出た。この辺りの地図は頭に叩き込んであるし、結界を張ったから大立ち回りをしても被害は出ない。狙いを定めて踏み切った松井の外套が膨らみ、豊前の姿を隠した。
「はぁっ!」
 松井は槍の一撃のように刀身を前に突き出した。しかし宙に浮いた敵短刀はその攻撃をさっと避けた。横から豊前が払うように斬りかかったが、それも難なく避けられた。それでいい。避けられるのは想定済みで、一撃でも掠れば十分だ。二振りの目的は敵短刀を行き止まりに追い込む事なのだから。
 数の上では不利でも、夜という時間帯が短刀には味方する。敵は豊前と松井の二振り相手でも勝てると踏んでいるのだろう。逃げるような事はせず、こちらに襲いかかってきた。
 夜の短刀は脅威。二振りは互いを庇うようにしながら、敵短刀を決して前には進ませず、少しずつ路地の奥へ奥へと追い込んでいた。敵短刀が謀られた気づいた頃にはブロック塀に囲まれた行き止まりに追いやられ、逃げ場は上しか無かった。
 ――掛かった!
 短刀の機動力には勝てない。だが、進路を予測して先んじて動く事ができれば勝機はある。追い込まれた敵短刀が逃げようとした先、上には豊前がいた。
 ブロック塀の上で待ち構えていた豊前が、叩きつけるように刀を振り下ろす。その一撃を真正面から受けて落下する敵短刀。地面に落ちた所を、松井の靴の踵が間髪入れずに踏み抜いた。
 刀を振るい、斬り伏せる事だけが戦闘ではない。戦いの方法は一つだけではないのだ。頭を踏み抜かれて絶命した敵短刀は、砂塵となって消えていった。
 刀を納めた豊前がブロック塀の上から飛び降り、松井の隣に立った。二振りで周囲を窺ったが、他に敵が潜んでいる気配は無い。戦闘は終わったと判断していいだろう。
「お疲れさん」
「お疲れさま。この間の一体と合わせて、二体撃破したね」
「昨日他の奴らが倒した敵もいるから、残りは三体ってとこか」
 手分けして調査を進めていくうちに、この場所に送り込まれている敵の数は六振りだと判明した。残りの敵はすべて太刀なので刀種の不利はあるが、夜戦に持ち込む事ができればこちらが有利になる。
「そろそろまとめて叩きたいところだね」
 松井の言葉に豊前は頷いた。
「奴らの潜伏先が見つかりゃ早えーんだけどな……
 潜伏先がわかればこちらから仕掛ける事ができる。自分達は人間達に気づかれないように動かねばならないが、敵は気にする必要がない。むしろ騒ぎになった方が好都合だろう。長引けば長引くほど動きにくくなるのはこちら側だ。
 丸一日か二日休みを取って、捜索に専念すべきかもしれない。他の者達が仮の姿として選んだ学生という身分に比べ、自分と松井はまだ融通が利く。
 近いうちに休みを取り、二振りでしらみつぶしに敵の潜伏先を探そう。豊前が松井にそう提案しようとしたその時、電子端末がメッセージの受信を告げた。
 松井が懐から電子端末を取り出す。メッセージを一読した松井は、豊前に端末の画面を見せた。
……豊前、朗報だ」
 にっと口角を上げ、好戦的な笑みを浮かべる松井。敵の居場所を突き詰めたという、部隊長からの伝達だった。
 相手の居場所がわかれば、あとは決行の日時を決めるだけだ。松井が敵の短刀を一体撃破した旨のメッセージを送ると、電子端末の画面が一気に沸いた。

 * * * * *

 残る敵は全て太刀。どうするか作戦会議が開かれたが、夜の奇襲一択で意見は全員一致していた。夜という時間帯における刀種の有利、六対三という数の有利。この二つの有利を存分に発揮し、短期集中で勝負する。隊長の山姥切国広と彼の兄弟で気心の知れた堀川国広が組み、日向正宗はもう一振りの短刀と組む。必然的に豊前と松井が組む事も決まった。それぞれ二対一に持ち込む作戦だ。
 雨だと火薬が湿気を帯びてしまい、短刀が持つ銃兵の本領を発揮できない可能性がある。部隊の面々は夜目が利くから、月の明かりが無くても行動に支障は無い。薄曇りの夜に決行する事になった。闇討ちのイロハについては堀川国広が授けてくれた。
 敵の殲滅が完了したら任務達成、その足で本丸に帰還する。この時代を去ると同時に歴史の修正が行われ、豊前と松井があの会社で働いていた事も、日向正宗が中学生として学校に通っていた事も、堀川国広が学費を貯めるためにクリーニング屋のアルバイトとして働いていた事も、山姥切国広が大学院生として研究室に籠もる日々を送っていた事も、すべて無かった事になる。
 人間達は歴史遡行軍も刀剣男士も紛れ込んでいなかった元の世界で、刀剣男士が誕生する二二〇〇年代に向かって歴史を紡ぎ続ける。それが正しい歴史の姿だ。
 そう頭では理解していても、自分達が彼らの記憶から消えてしまう事は少し寂しいと思う。電子機器が苦手な営業部門のエースの先輩も、そんなエースのお世話係に任命されてしまったシステムエンジニアの後輩も、すべて彼らの記憶から消え、最初からその存在が無かった事になる。
 それはまるで――
……豊前?」
 黙り込んでしまった豊前を不思議に思った松井が声を掛けると、豊前は顔を上げた。心配そうな松井の視線が豊前に刺さる。
「ん? あぁ、悪ぃ。ぼーっとしてた。何だった?」
 現世での日々を過ごす内に愛着の湧いてきてしまった仮の姿。そこに自分の刀としての境遇と重ね、物思いに耽っている場合ではない。しっかりしなくては。豊前はいつもの顔、りいだあや理解者、頼りになる存在としての顔を松井に向けた。
 しかし、いつもの顔を向けられた松井は表情を強張らせた。――なんて顔をしているんだ。
 松井は喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
 彼がこんな顔をするだなんて知らなかった。これだけじゃない。初めて気づいたコロンの甘い香り、財布に付いているという水族館のストラップ、この間から知らない事ばかりだった。聞けば教えてくれるのだろうか。拒まれないという保証はどこにもないのに。
 松井は何でもないと返す事しかできなかった。豊前に何も無いと言われ拒まれてしまう事に、心のどこかで怯えていた。

 それから数日。決行の夜は思ったよりも早くやって来た。

「確認する。敵の潜伏先はあの建物の中。日向正宗達がまず乗り込んで、敵を中から出す。敵の数は三体。決して一ヶ所に集めず散開させろ。数と刀種はこちらが有利だからな。結界は広めに張ってあるから、少々派手に暴れても問題ない。具体的にはこの西新宿と呼ばれる地区全体だ」
 審神者や刀剣男士の力だけではこんなにも大きな結界を張ることは難しい。時の政府もこの案件に本腰を入れていたようだ。自分達が知らないだけで、実は他の本丸も関わっているのかもしれない。未来の審神者に繋がる人間が消えてしまって一番困るのは、時の政府なのだから。
 少々派手に暴れても問題ないとの言葉に、部隊を取り巻く空気がざわりと浮き足立つ。山姥切国広はそれを咎めるような事はしなかった。なぜなら、彼もまた浮き足立った刀の一振りだから。ただ、浮き足立ったまま事を進めて足下を掬われてはいけない。気を引き締めていくぞという部隊長の言葉に、総員無言で頷いた。
 薄曇りの夜空。まだら模様の厚い雲がゆっくりと流れ、月を完全に覆い隠した。
――作戦開始だ」
 開始の合図に日向達が真っ先に姿を消した。相変わらず立派な機動力を見せつけてくれる。疾さを追い求める豊前としては見習いたいと思うと同時に、少々羨ましかった。
「豊前、集中」
「二番目に出てきた奴が俺らの相手、だろ。わかってる」
 余所事に気を取られていると判断した松井が豊前を咎めた。いくらこちら側が優位でも、ここは戦場だ。何が戦況をひっくり返すかわからない。油断大敵だ。
 豊前と松井が一、二の三で同時に飛び出したら、豊前の方が俊足なので先に相手の元に到達する。豊前を提灯に、松井を追い立て役にした方が効率的に進みそうだ。二振りは手短に打ち合わせた。
 日向達が中に入ってから数分。建物の中から物音が聞こえてきた。日向達の奇襲は成功した。少しして敵太刀が一体外に出てきたが、それは国広兄弟の獲物。この場から引き離すように山姥切国広が白い布を翻して見せつけ、堀川国広が追い立てるように敵太刀の背後に回った。遠ざかっていく二振りと一体。豊前と松井はそれを横目で見送った。
 この場に残された豊前と松井の二振りが狩るべき相手は、次に出てくる二体目の敵太刀。対面にあるビルの陰で豊前は鯉口を切り、身を低くしていつでも飛び出せる体勢を作った。
 呼吸を整え、神経を研ぎ澄ませる。目も耳も肌で感じる空気も全て使って、豊前はその一瞬を探った。
 ――今だ!
 二体目の敵太刀が建物の外に出たと同時に豊前は鉄砲玉のように飛び出して、敵太刀に斬りかかった。
 やる事は先日の敵短刀を相手にした時と同じ。退路を断ちながら一方向に誘導する、ただそれだけ。敵太刀を誘導する先は、高層ビルが林立する一角だ。
 建物と建物の間は袋小路だが、建物を足場に空中戦が展開できる。一撃の重さは太刀に勝てないけれども、機動力と手数で勝つ。目つぶしだって立派な戦法になるのだから、空から襲撃して何が悪い。
 敵太刀は豊前の一閃をかわすと、背後に回った松井の存在に気がついた。太刀は夜目が利かないと言うが、さすがにこれだけ近づけばわかる。松井を避けるように敵太刀は距離を取った。しかしそれは二振りの思うつぼだった。松井は刀を抜くと、すかさず無言で斬りかかった。刀を抜いて応戦する敵太刀。隙を覗い、松井は豊前と入れ替わった。
 この敵太刀、どうやら刀剣男士の区別はついていないみたいだ。二振りが入れ替わった事に気づかず、豊前を松井だと思い込んでいる。鍔迫り合いを続けたまま、豊前がじりじりと後退していく。そしてぱっと飛び退いて大きく距離を開けた。
「こっちじゃ!」
 大声で挑発すると、夜目の利かない敵太刀はその張り上げた声を頼りにして豊前に向かっていった。松井はできる限り音を立てず、一定距離を保ちながら追いかけた。
 豊前が軽い打ち合いと挑発を繰り返していくと、目指していた一角に辿り着いた。本当の勝負はここからだ。この一角から決して逃がす事なく、仕留めてみせる。
 辺り一体に張られた結界の強さに、体がぶるりと震えてぴりっと電気のようなものが流れる。この戦闘では何の遠慮もしなくていい事を豊前は実感した。先日の敵短刀との遭遇みたく、ちまちまとやるのは苦手だった。
 口の端を一舐めすると、豊前は切っ先を敵太刀に向けた。反対側では松井が刀を構えている。敵太刀越しに目を合わせる二振り。考える事はどちらも同じだから、確認は不要。挟撃のタイミングを計るのみだ。
 ぐっとアスファルトの地面を強く踏み込むと、豊前は大きく振りかぶって正面から斬りかかった。夜目の利かない太刀でも、真正面にいる相手の動きはさすがに見切れるらしい。それぐらいできなければ、時間遡行軍としてやっていけないのだろう。歴史を改変すべくあちらこちらの時代に現れ、追い返そうとした刀剣男士達を撤退に追いやった猛者なのかもしれない。しかしそれも今宵限りだ。
「ふっ!」
 間髪入れず、敵太刀の背後を陣取った松井がその巨体を袈裟懸けに斬りつける。敵太刀も背後の松井の動きまでは見切れなかったらしい。斬りつけられた肩口から瘴気が吹き出した。
 しかし痛手を負った雰囲気は無かった。打刀の打撃力と太刀の防御力。刀種の壁はこんなにも厚いのか。ならば致命傷となるまで繰り出せばいい。戦況の優位はこちらにあるのだから。
 そう考えて再び刀を振り下ろした松井の二撃目は躱された。体を捻って松井の刀を避けると、その体躯にそぐわぬ身軽さで飛び上がり、カフェのテラスの屋根に着地する敵太刀。豊前は近くのビルの壁を蹴って跳躍すると、すかさず敵太刀に詰め寄った。
 ひゅんと音を立てて、敵太刀の胴を薙ごうとした豊前の湾れと互の目が交った刃が空を切る。太刀風がビルの窓を揺らしたが、窓にはひび一つ入っていなかった。
 政府の中枢にいる高位の能力者の力も借りて作られたこの結界の中では、すべてものが人在らざる者を不干渉とする。人在らざる者である刀剣男士と時間遡行軍の動きは、この時代に生きる者達に何の影響も及ばさないように細工されていた。
 そんな芸当のできる人間がいるのなら、その人間達の力でこの状況――時間遡行軍との戦をどうにかできるのではないかと思ってしまうが、結界や細工はあくまで一時的なもの。根本的な解決のためには刀剣男士の力が必要らしい。術の世界に造詣が深い我らが主の審神者はそう言った。
 初陣の日を思い出す。泰平の世が長く続いた事で武器としての立ち居振る舞いを忘れてしまっていたが、刀の柄をこの手で握れば体が勝手に動いた。人間の姿形を模していても人間ではない。自分達は戦うために生まれた存在、刀剣男士なのだと突きつけられ、否応なしに自覚させられた。
「おっと」
 反撃に出た敵太刀の一振りが豊前の前髪を散らす。目睫の間、ぎりぎりのところで豊前はその一振りを避けた。
「っと!」
 二の太刀を繰り出そうとした敵太刀の動きは、体勢を崩した豊前を庇うように前に出た松井によって遮られた。直刃の刀身が薄雲の合間から覗いた月明かりに照らされ、鈍く白色に光っている。
……豊前の血は流させない」
「俺としてはお前にも流してもらいたくねーんだけどな」
 打刀二振りと敵の太刀一体。大立ち回りを演じるにはテラスの屋根は狭すぎる。豊前は敵太刀が松井に気を取られている隙に、ひょいと屋根から飛び降りた。
 松井の視界から消える豊前の赤い袖標。トンと地面に降り立った微かな音が聞こえたのを認めると、松井は敵太刀の巨体に刀ごと体当たりをした。ざくりと肉を刺す衝撃音と手応え。松井は刀を敵太刀の体から引き抜いた。共に落ちてしまっては困るので。
 少々目測を誤ってしまったが、いい感じの位置に落とせた事を音で確認する。落とした先の地面には豊前がいるはずだ。加勢のために松井もテラスの屋根から飛び降りた。
 松井が地面に降り立つと、豊前と敵太刀が鍔迫り合いをしているところだった。先の一撃でそれなりの傷を負ったかと思ったが、案外しぶとい。これも太刀という刀種のなせる技か。手負いの相手とは言え、力の差は認めざるを得ない。じりじりと豊前が後退しているのがわかった。
「!」
 力負けした豊前の体が弾かれてぐらりと傾く。追い討ちを掛けるように敵太刀が刀を振りかぶった。松井はがら空きになった横っ腹に向かって直刃を水平に滑らせた。刃が骨まで届いた感触。松井は無意識に笑みを浮かべた。
「逃がさねーよ!」
 一転して逃走を図ろうとする敵太刀。豊前と松井はその背中を追った。看板や出っ張りを足場にして、ビルとビルの間を飛び交いながら移動していく。他の仲間と合流してこの時代から撤退するつもりなのだろうか。時間を自由に行き来する力を持つ彼らだ。こちらが張った結界の破り方を知っていてもおかしくない。
 でも、逃がしてなんかやるものか。同じようにビルの袖看板や窓枠を足場にし、時には壁面を落ちる前に蹴り上げるという荒技を織り交ぜながら二振りは追いかけ、剣戟を振るい続けた。
 そして辿り着いた先は豊前と松井が任務のために降り立った時と同じ場所、とある高層ビルの屋上だった。
 この先に逃げ場は無い。追い詰められても往生際悪く逃げ道を探して足掻く敵太刀。月明かりを背にした豊前が大きく振りかぶりながら飛びかかり、松井は敵太刀の背後に回った。狙いは共に心の臓。二振り揃って刀を握る手にぐっと強く力を込め、豊前はそのまま刀を振り下ろし、松井は刀を真正面に向かって捩り込むように強く突き出した。
 ――見たか。これが江の者による連携だ。
 正面からの袈裟斬りと背後からの抉るような突き。断末魔すら上げることなく敵太刀は消え去った。血振りの所作で穢れを落として刀を納めると、豊前と松井は軽く拳を合わせた。
……ちっと照れんな、これ」
「そうだね。少し恥ずかしいかも」
 二振りは顔を見合わせると、苦笑と照れ笑いを交互に浮かべた。

 こちらは無事に敵を屠り終えたわけだが、他の面々はどうだろうか。加勢が必要な状況なら合流しようかと、松井は懐から電子端末を取り出した。この戦闘衣装はとても優秀だ。懐深くに入れた端末の重みも存在も戦闘中は感じさせないのだから。
 松井が戦闘が終了した旨を送ると、すぐに山姥切国広から返事が来た。彼と堀川は松井達よりも早く交戦が終わり、残党がいないか念のために辺りを見回っていたらしい。
 しばらくすると日向からも返事が来た。追い込んだ場所が悪くて少々手こずってしまったが、先ほど撃破に成功したとの報告だった。
「主にも任務が完了したと伝えたそうだ。転送装置を出すから合流しろって」
 そう言って松井は豊前に周辺地図を見せた。この赤い丸のついている場所が転送装置の出現場所なのだろう。二振りがいる場所のすぐ近くだった。
「この光景も見納めだな……
「そうだね」
 転送装置が出現するのは三分後。林立するビルの合間を縫って光の点が忙しなく行き来する光景は、ここに降り立ったあの夜と変わらない。眼下に広がる夜の街をフェンス越しにじっと見下ろしたまま、松井はその場から動こうとしなかった。
「松井?」
……もしも」
 風に乱される髪を押さえながら、松井が静かに言葉を紡ぐ。豊前はその言葉に耳を傾けた。
「もしも刀剣男士ではなくて、ただの人間として君とこの街で出逢っていたらどうなっていたのかなと思ったんだ」
 それは今回の仮の姿と同じように、同じ職場の先輩と後輩だったかもしれない。もしかしたら先輩と後輩ではなくて、同期のライバル同士だったかもしれない。取引先の一人だったかもしれない。近くのコーヒーショップや定食屋の従業員と常連客だった可能性もある。どれもこれも、この街で生きる一人の人間だ。
 数百万の人の子が日夜行き交い、決して明かりの消える事のない眠らずの街。互いの存在を知らずに生きていた二人が、いつかこの街の片隅で出逢う。どんな形で出逢っていたとしても、きっと――
「俺はお前に惹かれてた」
 同じ鋼を持って生まれた事、おびただしい数の流れる血を目の当たりにしても何もできず心を痛めた事。たとえこの身が過去を覚えていなくても、出逢ってしまったら同じように両手を差し伸べようとする。形は違っても、それが松井である限り、きっと。
 そんな豊前の小さな呟きは、屋上を吹き抜けるビル風によってかき消された。
「ごめん。何か言った? よく聞こえなくて……
「何でもねーっちゃ。ほら、さっさと行くぞ」
 聞こえていなかったのならそれでいい。松井を困らせたくないし、今の関係を変えるつもりはこれっぽっちも無い。思わず漏れてしまった呟きは松井の耳まで届かず、風と共に夜の街に消えてしまえばいい。
 くるりと松井に背を向けると、豊前は先に歩き出した。転送装置の出現地点はすぐ近くだが、合流に遅れるわけにはいかない。万が一合流できなかったら、この時代に置き去りにされる。そうなったら自力で帰り道を探さなくてはいけない。
 審神者も鬼ではないので再度転送装置を用意してくれるとは思うが、我らが主の手を煩わせたとなれば近侍勢から大目玉を食らってしまう事は目に見えている。
 豊前が隣のビルに移ろうとすると、松井が早足で追いつき、そのまま豊前を追い越すように先に跳んだ。
……さっきの、いつかきちんと聞かせてくれ」
 ――待っているから。
 すれ違い様にそう言い残して。

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