ナガレ
2025-05-20 19:01:52
38057文字
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【web再録】in the midnight(ぶぜまつ)

2022/3/21閃華春大祭 2022 江中心プチ「ごーとぅすてぃじ 3」合わせ発行。ぶぜまつin現代遠征で、人間に成りすまして生活しながら刀剣男士の任務を行う話。ビジネスマンだったり、ルームシェアでご飯作って食べたり、水族館デート(?)したり、共闘したりするコンビやバディのような関係性の二振りです。
二振りの降り立ったビルは都庁のつもり。高層ビルから飛び降りるぶぜまつが書きたくて書きました。書けて満足。

発行から二年以上経過したので、webに全文掲載することにしました。本を手に取ってくれた皆様方、本当にありがとうございました!
※web掲載にあたり、改ページ等を調整しています。


【一】

 豊前や松井達が真夜中の現世に降り立ち、人の子に成りすましを始めてから数日。現世に任務や私用で何度か来た事はある。だが、長期間に渡って人の子に紛れ込むのは今回が初めてだ。毎日が探り探りの状態だけれども、今のところ大きな問題は起きていない。
 大きな問題は起きていないが、会社というこの小さな世界において豊前は常に話題の人だった。見目麗しく優しくて気さく、勿論仕事もできる。何でも卒なくこなすように見えて、実は電子機器に弱いところも良いし、たまに飛び出すお国訛りも良い。豊前自身は与えられた設定を守っていつも通りに振る舞っているだけなのだが、やたらと周りが騒がしかった。
「また豊前がプリンター詰まらせた!」
 ……豊前としては設定を守っているだけなのだが、豊前は元から電子機器と相性が悪かった。支給されている電子端末は使えるけれど、近侍勢や松井の所属する事務班が使う電子機器は使いこなせなかった。ただでさえ苦手な報告書を電子機器で作成する事に耐えきれず、紙とペンを寄越せと言ってしまったのは少々苦い思い出で、そんなほろ苦エピソードが不可抗力によって公開されて以来、豊前が事務班の手伝いとして呼ばれた事は一度も無かった。
 今だって、紙を詰まらせたのではなく紙が勝手に詰まったんだと訴えたかった。しかしここでそんな主張をしたって誰も聞いてくれない。豊前が何かやったからだと一蹴されるだけだった。弱ったなと、豊前の眉が下がった。
「おーい。豊前係、呼ぶぞー」
 豊前係。それは営業課の豊前が何かやらかす度に呼び出される、別フロアのシステム開発部に所属する松井の異名だ。松井に異名が付けられるほどやらかして呼び出した憶えは無いのだか、何故かそういう事になっている。
 成りすまし初日を終えて疑問に思った豊前が定期報告のついでに審神者に尋ねたところ、「二振りが現世に潜入する事で大勢に影響が出ない程度に歴史が書き換えられ、電子機器に弱い豊前と豊前係の松井が元から存在する歴史になった」という回答が返ってきた。
 これは歴史修正に当たるのではないのかと思わなくもないが、二振りがこの時代から去れば元の歴史に戻るから問題ないそうだ。随分と都合のいい歴史だなと、思わず乾いた笑いが出てしまった事を豊前は思い出した。
……失礼します」
 そうこうしているうちに、内線電話で呼び出された松井がやって来た。困り顔の豊前を見た松井は周りに聞こえないようにこっそりと、これくらい気にしないでと言った。それと、後で話がしたいとも。豊前は松井を一瞬だけ見やると、小さく頷いた。
 松井は豊前を一瞥するかしないかで、その横を通り過ぎていった。昼間は同じ職場の違う部署にいる先輩と後輩を演じなければいけない。親しくしないというのも、なかなか骨が折れる事だと思う。
 豊前は突然紙詰まりを起こしたプリンターを直す松井の後ろ姿を見守る事しかできなかった。

「時間遡行軍と交戦する前に疲れ果てそうだ……
 昼休み。豊前はプリンターを直してくれた礼だと言って、別階にいる松井をランチに誘った。あの時松井は後で話がしたいと言った。話をするのは夜でもよかったが、わざわざ後で話がしたいと言ってくるぐらいだ。早い方がいいだろう。人のいる所ではできない話なら、誘いを断ってくるはずだ。松井は少し考える素振りを見せてから、豊前の誘いを受けた。
 行き先は社員食堂、時間をずらしたからか、人の姿はまばらだった。これなら話を盗み聞きされる事もなさそうだ。豊前が何でも好きなものを奢ってやると言うと、松井は遠慮無く特Aランチセットを頼んだ。社員食堂のメニューとしては高額なものに、一瞬だけ豊前の顔が引き攣る。しかし豊前に二言は無い。松井に隅の席を取っておいてくれと頼むと、豊前は松井のランチセットと自分のざるそば定食を注文しに行った。
 受取口で待つこと数分。豊前は片手それぞれにランチプレートを持つと、松井が確保した席に向かった。豊前の姿に気づいた松井は、見ていた電子端末を裏向けてテーブルの上に置いた。
「何かあったのか?」
「あったと言えば、あった。話は後にして先に食べてしまおう。朝から働きづめでね……
 いただきますと言って、手を合わせる松井。次の瞬間には豊前も驚くぐらいの食べっぷりを見せ始めた。
「そんなにも大変なのか?」
「常に何か依頼が舞い込んできているよ。君のやらかしも含めて」
「うっ……
 豊前には返す言葉が無かった。プリンターは紙詰まりを起こすし、コピー機はエラーを起こすし、パソコンは勝手に止まる。呪われているのではないかと思うレベルだ。電子機器にも付喪神がいるのなら、頼むから松井に迷惑をかける様な事はするんじゃないと、一度話をつけたかった。
「なんてね。豊前の顔を見る口実にもなるから、僕としては大歓迎」
 そう言って柔らかな笑みを見せる松井に、豊前は噎せた。蕎麦を喉に詰まらせて折れかけましただなんて、かっこ悪いにも程がある。
「大丈夫?」
 心配そうに覗き込んでくる松井に、豊前は咳き込みながら話を続けろと身振りで返した。
「で、これが本題だ」
 これをどう思うかと豊前に尋ねながら、松井は電子端末を操作して一枚の写真を見せた。豊前・松井と同じく、今回の現世遠征の面子に選ばれた日向正宗から送られてきたものだ。彼は学生として近くの中学校に潜入している。
 豊前は電子端末に映る写真をじっと見た。一見普通の道端に見えるけれども、どこか違和感を拭えない。特にこの街路樹の辺り。これはどう見ても――
「敵だな」
「今朝、通学途中で見つけたらしい。追いかけたかったみたいだけど、人間達がいる手前動けなかったそうだ。夕方、彼と合流して捜索を行うことにした」
「二振りで?」
「あぁ。君は来れないだろう?」
 豊前は営業部門の重役と一緒に、大きな取引先に行くという予定があった。豊前としては本来の役目を果たしに行きたいところだが、さすがにこの予定を反故にする事はできなかった。
……気ぃつけろよ」
「心配し過ぎ。大丈夫だから」
 豊前の言葉に松井が苦笑する。そう言われたって、どうしても松井に対しては過保護になってしまう。それは彼の過去を知っているからなのだろうか。それとも、他の江の者に対する思いとは少し異なるものを抱いているからだろうか。
「お前と日向の力量は信用している。でも、深追いはすんな」
「もちろん。これが罠でないという保証はないからね」
 敵が刀剣男士の存在に気づき、おびき寄せるためにわざと姿を見せた可能性は否定できない。何かあればすぐに連絡を寄越せと豊前は松井に強く念を押し、ランチタイムを終えた二振りは解散した。
 午後の業務中、豊前は気が気でなかった。夕方の商談は重役に「君は何も言わず隣でにこにこと笑って愛想を振りまいていればいい」と言われたので、豊前はその言葉に甘えて愛想を振りまくだけに徹した。挨拶と商談相手に質問されて答える事以外は一言も言葉を発しなかったが、帰りの車中で重役が商談は成立したと言っていた。何のために自分が連れて行かれたのかよくわからないが、結果良ければすべて良しというやつだ。
 予定を終えて会社に戻ったが、松井からの連絡は何も無かった。当然、日向からも。便りが無いのは無事の証拠と言うものの、万が一の事態も考慮しておかなければいけない。明日でも構わない事はすべて明日に回し、豊前は急いで家に帰った。

 * * * * *

「お待たせ」
 夕方、一度家に戻った松井は普段着に着替えてから日向正宗との待ち合わせ場所である本屋に向かった。今の日向正宗は中学生だ。彼の見た目で長時間滞在していても違和感の無い場所というと、どうしても限られてしまう。何時に合流できるかわからないからと、松井は日向を学校まで迎えに行く事も考えた。しかしその案は、目立ちそうだからと日向に却下されてしまった。
「松井。早かったね。お仕事、お疲れ様」
「日向もね。今の藩校――寺子屋の方が近いのかな。学校はどう?」
「四書五経や算術は知ってるからうまくできると思ってたけど、ほとんど出番がないよ。何よりも語学が難しい」
「確かに。僕もぷろぐらみんぐを付け焼き刃で覚えたけれど、任務が終わったら忘れそうだ」
「あ。ちょっとだけ待って。すぐに終わるから」
 本丸に帰ってからも何かの役に立ちそうだからと、日向は本を一冊買った。語学の学習参考書らしい。物にしたら僕にも教えてくれと松井は日向に頼んだ。
 本屋を出ると二振りは日向の通う学校の方向に歩き出した。日向が敵らしきものを見つけたのは朝の通学途中。松井はまずその場所を見てみたかった。
「ここが敵のいた場所。よく見えなかったけど、あれは脇差だと思う」
「そうか。……よし。ここを基点に捜索しよう。何か痕跡があるかもしれない」
 敵脇差はここを通る人間達の中から未来の審神者に繋がる者を物色していたのだろうか。ここを通る人間には学生も多い。年端もいかぬ子どもに手を掛けるだなんてと、松井は嫌悪感を隠しきれなかった。しかしこれは戦だ。戦禍は子どもにも平等に降りかかると、松井は身をもって体験している。だからこの時代の子ども達にはそんな惨い体験をさせたくなかった。
「随分と時間が経っているから、もう痕跡は無さそうだ」
 怪しまれない程度に時折足を止めながら、辺りを観察しつつ道を歩いていく二振り。この下を電車が走っているのだという幅の広い道路を渡り、大きな四つ角の端で立ち止まった。しかし敵の痕跡は見つからない。日も暮れ始め、辺りが暗くなってきた。
……松井」
 日向が小さな声で松井の名前を呼んだ。日向は松井の方を見ていない。どこか一点をじっと見つめている。
「見つけた。でも、下手に動けば人間達に見つかる」
 日向の視線を追った松井の目にも、潜む敵脇差の姿が確認できた。今は黄昏時。日が落ちてしまえば人間の目で時間遡行軍を見る事はほぼ不可能だ。しかしこの街は、日が落ちて夜になっても明るいままだった。
「動いた!」
「追いかけよう」
 道を行き交う人間達に紛れながら、敵脇差がどこかへ向かって移動を始める。二振りは顔を見合わせると、つかず離れずの距離を保ちながら追いかける事にした。信号を渡り、道を行く人間達の間をすり抜けながら滑るように進む。敵は一体どこへ向かっているのだろうか。
 敵が動きを止めたのは大きな公園の前だった。敵は松井と日向に気づいており、何らかの考えを持ってここまで誘導した。そんな可能性が二振りの頭を過ぎった。戦闘は避けられないかもしれない。人間達に被害を及ばさないよう、最小限でもいいから結界だけでも張ろう。敵を追うのに適した日向は決して見失わない事、松井は多少脆くてもいいから手早く結界を張る事。松井と日向は目と目で打ち合わせをした。
「逃がさない!」
 フェンスを跳び越え、覆い繁った木々の向こうに消える敵脇差。日向もその姿を追った。結界を張ろうとしていた松井も一時中断し、一体と一振りのあとを追いかけた。
 木々の向こうは藻で濁った池。勢い任せに跳んでいたら、水の上に降りる羽目になっていた。一度立木の上で止まって正解だった。敵脇差は水面から顔を出している石の上を経由したのか、既に池の向こう側にいた。
 躊躇している余裕は無い。松井は枝を大きくしならせると、その弾みを借りて大きく跳んだ。先を行く日向はすでに池の向こうに飛び降りて、敵脇差を追っている。閉園時間を過ぎているのか、公園内に人間の姿は無かった。これなら少しぐらいはと、松井は一気に加速した。
 芝生を駆け抜け、巨樹の間を通り抜ける。その速さは人間の足よりもずっと早い。それでも松井の足では日向の背中を見失わないように追いかけるのが精一杯だった。
 色とりどりの花が咲く西洋風にアレンジされた一角を抜けて、大名屋敷にありそうな庭園へ。この公園は思っていたよりも大きくて、広い敷地に東西の庭園が並んでいる。旧知の刀が喜びそうな雅な風景。しかしそれを愛でている余裕は無い。ガラス張りの建物、温室の上を走る日向を見上げながら、松井は煉瓦色に舗装された通路を走った。
 立ち入り禁止の看板がぶら下がるコの字型の車止めを跳び越え、手つかずの自然が残る区域の中へ。敵脇差や日向は苦も無く避けていくが、松井の体躯ではそうもいかなかった。繁る枝葉を手で払い除け、木の根に時折足を取られそうになりながらも松井は走った。途中、日向の手が敵脇差の背中に届きかけたが、するりと抜けられてしまった。しかし二振りは諦めない。
 目の前には敷地を仕切るフェンス。このまま逃がしてなるものかと、敵脇差を追って二振りもフェンスを足場にして飛び出そうとした。
 ――車の行き交う音、駅のホームに滑り込む電車のブレーキの摩擦音、雑踏のざわめき。
 この向こうには人間達がいる。彼らを巻き込むわけにはいかない。日向と松井の足が一瞬止まり、その隙に敵脇差は高層ビルの向こうに消えていった。
……見失ったか」
「ごめん。次は……
「日向のせいではないよ。この辺りに潜んでいる可能性があるとわかっただけでも十分だ」
 人波の途絶えた隙を見計らい、二振りは公園の外に出た。衣服についた砂を軽く払うと、松井は敵を逃がしてしまったと気落ちしている日向に声を掛けた。
「ところで日向、夕飯は?」
「決めてないけど、何か買って帰るつもり」
「それなら僕達と一緒にどうだい。豊前が何か作ってくれているだろうから」
「いいの? ……いや、遠慮しておく。豊前江に悪いし」
 どうしてここで豊前の名前が出てくるのだろうか。松井は疑問符を浮かべた。
「豊前は気にしないと思うよ」
「彼は気にしなくても僕が気にするから、かな。……そうだ、松井。もしよかったら少しだけ付き合ってほしい。現世でハンバーガーを食べてみたかったんだ」
 と、日向が指差した先は現世でよく見かけるファストフードの店だった。松井は帰れば豊前と彼の作る夕飯が待っているが、日向は一振りきりだ。父親は地方への単身赴任で不在、母親は入院中で日向が毎日病院に顔を出している――という設定になっているらしい。たまには誰かと共に過ごしたい時もあるのだろう。松井は承知した。
 店は道路の反対側なので、横断歩道を探して道を渡ることにした。大きな道路を渡り、店の自動ドアを開けると「いらっしゃいませ」と明るい声が飛んできた。店内は混んでおり空席ができるまで少し待つ事を予想したが、運良く二人用のテーブル席が空いた。松井は日向をそこに座らせると自分はレジに向い、ハンバーガーに飲み物とポテトが付いたセットと自分用のホットコーヒーを注文した。
「伊達の短刀の子が現世で食べたって話を聞いて、僕も一度食べてみたかったんだ」
「事務班にいるとなかなか外に出る機会がないからね」
 松井も日向も事務処理能力の腕を買われ、内番の合間を縫って日々実務に励んでいる。実務を担っている分の手当は給金に上乗せしてもらえるが、それを使う時間が無いのが悩みだった。
 初めてのファストフード。日向は丁寧に包装紙を開くと、いただきますと言ってハンバーガーに齧りついた。
……おいしい」
「気に入ったなら、次に誰か現世に行く時に買ってきてもらったらどうだい?」
「うーん……ここで食べるからおいしいんだよ。きっと」
「それは一理ある」
 刀としての生まれは松井よりも日向の方が古い。しかしハンバーガーを美味しそうに頬張る姿は、見た目相応の年齢に見えた。肉体の見た目が中身に与える影響はあるのかもしれない。
 ――ハンバーガー、豊前も好きそうだな。ホットコーヒーを飲みながら、松井はふとそんな事を思った。

 * * * * *

 同時刻。豊前が帰宅しても、まだ松井は戻っていなかった。捜索が難航しているのだろうか、それとも……。豊前は二振りの力量を信じている。嫌な想像は頭を振って追い出した。
 ネクタイを解き、スーツを脱いで楽な部屋着に着替えると、豊前は冷蔵庫の扉を開けた。今日の夕飯はどうしようか。冷蔵庫の中には発泡酒と缶チューハイ、牛乳、プロテインドリンク、日持ちのする食材。あと、豚肉の切り落としのパックが一つとカット野菜が一袋入っていた。
 最後の二つは今朝冷蔵庫を開けた時には入っていなかったから、松井が買ってきたものだ。肉がメインのおかずを食べたいというわかりやすいリクエストだなと、豊前は思わずくすりと笑ってしまった。調理は豊前、洗い物は松井と、いつの間にか役割分担ができていた。
 先に大皿を出して机の上に置くと、ガスコンロに火をつけてフライパンを乗せ、油を少量引いた。フライパンが温まった頃合いを見計らって、肉を投入。ほどほどに火が通ったところでカット野菜を入れて、あとは野菜に火が通るまで炒めればいい。
 味付けは醤油と塩こしょうのみ。あまり凝った味付けはできないので、目分量で少し薄味にしておく。濃い味を薄めるよりも、薄味を濃くする方が簡単だ。本丸では厨当番の時しか料理をした事がない。何を作るにも記憶頼りの我流だが、それでも毎回松井は完食してくれる。なので味は悪くないはずだ。
 適当にフライパンを振って炒めていると、いい感じに食欲をそそる肉と野菜の匂いが漂ってきた。豊前は丁度良い頃合いだと判断し、ガスコンロの火を止めた。フライパンの中身を大皿にひっくり返せば、肉入り野菜炒めの完成だ。冷める前に松井は帰ってくるだろうか。
 一緒に食べる約束をしているわけではない。しばらく待っても松井が帰ってこなかったら、先に食べ始める事にしよう。豊前がもう一度冷蔵庫を開けると、奥にポテトサラダのパックが隠れていたのを見つけた。――よし。今日は発泡酒にしよう。豊前はポテトサラダのパックと、ついでに発泡酒を一缶取り出した。
 二人分の箸と取り皿を用意して待っていたが、松井は十五分経っても帰ってこなかった。もう少し待とうかとも思ったが、松井からの連絡は何も入ってこない。日向からの連絡も無いので、不測の事態ではないと思うが……
 このまま待っているとずるずる時間だけが過ぎていきそうなので、豊前は先に夕飯を食べる事にした。
 それほど興味のないテレビ番組をBGM代わりに流しながら、発泡酒の缶のプルトップを引いて開ける。酒の味は刀剣男士になってから覚えたものだが、なかなか悪くないと思う。
 発泡酒を一口飲むと、次に自作の肉野菜炒めを小皿に取り分けた。実は味見をしていない。おそるおそる食べてみたが、肉も野菜もきちんと火は通っていた。味付けは少し薄く感じられたが、これはこれで肉の味をしっかりと感じられるからよしとする。
 豊前が一振り静かに夕飯を食べていると、ようやく玄関の鍵の開く音が聞こえてきた。少し建て付けの悪い玄関扉が、ぎぃと軋んだ音を立てて開く。松井の帰ってきた音だ。
 ばたんとドアが閉まり、中から鍵が掛けられた。玄関から居間へと続く短い廊下を歩く足音が聞こえる。途中で洗面所から手を洗う水流音が聞こえ、少しすると松井が食卓に姿を見せた。
「ただいま」
「おかえり。悪ぃな、先に食べてた」
「別に構わないよ」
 松井は一度着替えてから出直したのか、スーツ姿ではなくて普段着だった。日向と合流する前に買い物をし、家に帰って着替えてから出直すような時間があったのだろうか。
「近くの営業所にある機器の調子が悪かったから、点検がてら直帰にさせてもらったんだ」
 なるほど。点検が早く終われば早く帰る事ができる。松井らしい有効な計画の組み方だなと豊前は思った。
「僕もご相伴にあずかろうかな」
「松井が食べたくて材料買ってきたんだろ? 好きなだけ食べろっちゃ」
「じゃあ、遠慮なく。いただきます」
 食卓を挟んで豊前の反対側に座った松井は、両手を合わせると肉野菜炒めをおかずに大盛りの白米に手をつけた。こう見えて松井はよく食べる。もしかしたら豊前以上に食べるかもしれない。
 今日の話を聞きたいところだが、まずは松井に腹を満たしてもらう方が先だ。ポテトサラダを盛った皿も見える位置に出してやると、すぐに箸が伸びて来た。
 味はどうだろうか。特に何も言わず黙々と食べているので、松井の口にも合ったみたいだ。どこかでまた振る舞う機会があれば、その時もこれぐらいの味付けにしておこう。豊前は頭の片隅にメモ書きを残した。
 茶碗大盛り一杯をぺろりと平らげてとりあえず腹が満たされたのか、松井が箸を置いた。豊前は話を切り出した。
「で、どうだった?」
「当たりだった。見つけた敵は脇差が一体。日向と共に追いかけたけど、残念ながら逃げられてしまった。あの辺りに時間遡行軍が潜んでいると見て間違いない」
 ハンバーガーショップで話し合った松井と日向の見立てでは、ここに送り込まれている時間遡行軍は少数で一部隊ないしは二部隊。松井は一連の出来事を電子端末の通信機能を使って手短に報告した。すぐに既読が四つ付く。今回の編成は全部で六振り。既読の数が一つ足りないのは、豊前は松井の端末を一緒に見ているからだ。
 松井の報告を受け、ぽんぽんと皆がそれぞれ自分の意見を述べていく。その中には松井と共に捜索に当たった日向の意見もあった。松井とは違う目線での報告を交えた意見に、二振りで感心した。
 さて、部隊長はどう判断するのだろうか。しばらく誰も発言せずに様子を見ていると、ポンと簡素な一文が届いた。
 ――作戦は変更しない。敵を見つけたら報告して共有。各個撃破で殲滅する。
 今回の現世遠征の部隊長である山姥切国広の判断に、豊前も松井も誰も異論は無かった。刀剣男士が現世で集団行動をしたら目立つことこの上ない。刀を持っているだけで職務質問に遭ってしまう。
 それに今回は最初からその予定で送り込まれた。部隊編成は短刀、脇差、打刀。刀種の基準は至極単純だ。索敵および隠匿と機動力、そして何より夜戦に適している事。
 昼間は一千万の人間達が動くこの街。気づかれないように動くには夜間が主になる。当然の事だった。

 * * * * *

 翌日、昼休み。
 昼飯でも買いに行くかと外に出ようとした豊前は、何の気なしに窓の外を見て〝それ〟に気がついた。刀剣男士の身体能力は人間達と比べものにならない。当然、人間では認識できないような遠くのものを見る事もできる。向こうの建物の上にいるもの。あれは昨日松井がこの辺りに潜んでいると言っていた敵かもしれない。
 一振りで対応すべきか否か。一瞬だけ思案すると、豊前は松井に電話をかけた。松井も同じく昼休みのはずだが、ここ最近は忙しくて昼食のタイミングを逃してしまう時も多いと言っていた。電話に応じる事ができなかったら自分一振りでどうにかすればいい。豊前は会社から支給されたものではない電子端末を操作して、松井を呼び出した。
 コール音が三回流れ、松井が警戒しながら通話に応じた。
『豊前?』
「松井、今話せるか?」
……少し待って。移動する』
 豊前がわざわざこちらの端末に連絡――それも電話を入れてきたという事で、何かあったと松井も察したのだろう。受話部分から聞こえた布の擦れた音は、通話を切らずに電子端末をポケットに入れた音だ。松井はどこかへ移動している。
 昼休みに入ったばかりのフロアの喧噪が遠ざかって少しすると、錆びついたドアを開く金属音が聞こえた。どうやら松井は非常口から外に出たようだ。
『お待たせ。どうした?』
「敵っちゃ。すぐ近くにいる」
 豊前も非常口から外に出た。カンカン……と足音を響かせながら鉄製の非常階段を上る。目的地は屋上だ。
 見つけた敵は打刀が一体。他に敵のいそうな気配はしなかった。白昼堂々の白刃戦は避けたいところだが、見逃した事により未来の審神者が消えてしまっても困る。敵は昼間に動いたって構わないのだから。
 一振りで対峙するよりも、二振りの方がいい。二対一は卑怯だなんて言っている場合ではないのだ。昼休みの時間中に終わらせて、できれば昼食の時間も確保したかった。
「屋上ならまだ気づかれにくいし、少しぐらい派手に動いても何とかなる」
『わかった。すぐに行く』
 プツンと通話が切られた。豊前は電子端末をポケットに入れると、非常階段を一気に駆け上がった。
 屋上は立ち入り禁止なので誰もいないとは思うが、念のため周囲を確認する。人の子一人、鳥一羽の気配もしなかった。ヘリコプターの旋回音も聞こえない。これなら戦闘を行っても問題無さそうだ。
 豊前がぐっと気を強く込めると、ブルーグレーのビジネススーツが一瞬で戦闘衣装に切り替わった。どういう理屈かいまいち理解できていないが、普段の出陣や演練の時もこれくらい簡単に着替える事ができればいいのにと思う。
 ――おっと、いけない。集中しなくては。豊前は辺りをぐるりと見回した。
 隣のビルの上にはよく見慣れた黒い影。未来の審神者に繋がる人間を物色しているのだろうか。地上に降りられたら面倒な事になる。
「豊前」
 少し遅れて屋上に到着した松井もまた、豊前と同じように戦闘衣装を身に纏った。敵はこちらの存在にまだ気づいていない。さてどうすると、松井が視線で豊前に判断を求めた。作戦はもう決めてある。――二振りで奇襲を仕掛け、速攻で終わらせる。
 不意打ちと挟撃による奇襲。空中戦なら仮に見られたとしても超常現象という事で片づけられるだろうから、絶対に地上には近づかせない事。松井は了解した。
 足音を殺して進み、落下防止のフェンスを越えて屋上の端に立つ。敵打刀はこちらに背を向けたままだ。行くぞと目線で合図を送ると、先に豊前が飛び出した。死角からの一撃で不意を突かれた敵打刀が動揺する。その隙を逃さず、松井も飛び移りて追撃した。
「ふっ!」
 戦場はこの屋上。逃げようとすれば、片方が先回りをし、地上には近づかせない。戻ったところをもう片方が斬りかかる。役割を入れ替えながら、二振りは敵打刀を追い詰めていった。
「そっち行った!」
「あぁ!」
 屋上の端のぎりぎりを走りながら、豊前が松井に向かって叫んだ。二対一は分が悪かったのか、相手はすでに重傷。豊前の横に薙いだ刃が肉を斬った。このまま増援が来なければ二振りの勝ちだ。追い込んだ先には松井がいるので、彼が止めを刺せば終わる。それでも念には念を入れて、敵の退路を断つようにしながら豊前はその背中を追った。
「これで終わり……、っ!」
 松井が刀を振りかざした。しかしその時刀身に太陽光が反射し、一瞬目が眩んだ。敵打刀はその隙を見逃さなかった。松井の脇を通り抜け、満身創痍の体でさらに隣のビルに飛び移ろうとしている。
 ビルの上でぼんやりと光るあれは転送装置。時代遡行軍も刀剣男士達と同じように、ゲート使って時空を行き来している。このままでは敵を取り逃がしてしまう。
「逃がすか!」
 考えるよりも先に体が動いた。豊前はコンクリートを強く蹴り、一足飛びに敵打刀との距離を詰めた。そしてそのまま宙に跳ぶ。豊前の体が白昼の青空に舞った。
 ――月面宙返り。斬ると言うよりも突くと言う方が相応しい動きで、豊前は間一髪敵刀を無に帰した。ゲートが静かに閉じて消えていく。敵であったものは砂塵となって落ちていき、地上に辿り着く前に風の中に消えた。
……一体撃破、っと」
 豊前は出っ張りに片手を掛けてぶら下がると、タン、タン、タン、とビルの壁を蹴って屋上に戻り、刀を納めた。
「お見事。あとで通信を入れておこう」
「そこは松井に任せる。目、でーじょうぶか?」
「大丈夫。尻ぬぐいをさせてしまってすまなかった」
「気にすんな。いつも迷惑かけてんのはこっちだからな」
「そんなことないのだけれど……
 それよりもと、ビジネススーツに戻った松井が電子端末の時計を豊前に見せた。
「昼休みが終わる」
「げっ。さっさと昼飯食いに行くぞ!」
 豊前も慌てて元の姿に戻った。昼休みの時間はまだ残っており、昼食にありつけそうだ。こっちが近道だし人もいないと松井を先導し、非常階段を駆け下りて先ほどと同じ非常口から建物の中に入った。
 二振りが揃って社員食堂に駆け込むと、豊前は営業部門の人間にまた何かやらかしたのかとからかわれてしまった。毎度何かやらかす豊前がお礼とお詫びを兼ねて松井に昼食をご馳走しているという話は、営業部門内でよく知られた話だった。
 この反応からついさっきまで繰り広げられていた光景は見られていない事が確認できた。しかし、釈然としないのはどうしてだろうか。こちらは一大事だったというのに。豊前は少しむっとした。
 また何かやらかしたのかと言うけれど、今日は何もしていない。……今日は。
「まだ何もしてねーよな?」
「さぁ。どうだろうね」
 微妙につれない松井の返事に、もしかしたら何かやらかしていたのかと一抹の不安が過ぎる豊前だった。

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