かなざわ
2025-05-18 17:52:35
16676文字
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夜の向こうに黄昏の

よだつか(になる予定)。プランツドールパロ。あの世界にプランツドールが存在しており、司が夜鷹の子供の頃にそっくりのプランツドールと出会う話。序盤に名無しモブの登場あり。



 電気が止められていないのと同様にガスも生きていたことには、心底ホッとした。
 何せプランツドールのミルクは、人肌の温度に温める必要があるからだ。温めるにもレンジなどでは駄目で、鍋などを使って丁寧に煮なければ飲んでくれない。
 電気ガスが生きていたことに加え、空っぽになったと思っていたキッチン、その冷蔵庫の中にはプランツドール用のミルクだけが残されたままだった。さらにキッチンの片隅で取り残されるようにミルクパンが置かれているのに気づいた時、司は複雑な感情が胸中に渦巻くのを感じた。
 結局はどちらも今使いたいものだったから、残されていた事実自体には素直に感謝をしておいた。使わせてもらえるのはありがたい、けれどこれらもプランツドール同様に「いらないもの」判定されて置いていかれたのだと思うとやるせなかった。
 あれもキャリーケースに詰められないかな、と思案しながら温めたミルクをプランツドールに手渡す。
 プランツドールは相変わらず表情を変えないまま、ミルクをこく、こく、とゆっくり飲んでいく。
 飲み終えたティーカップを貰い受けると、いつもなら椅子に戻り目を伏せるはずのプランツドールは司の前に座り込んだままでいた。いつもと状況が異なっているのを、なんとなく察しているのだろう。
 司はプランツドールの頭をそっと撫でながら、先ずは家事代行サービス会社へ電話をかける。依頼人がいないこと、自分名義のプランツドールが残されていることを説明し、状況が状況のためこの後警察に連絡する旨も伝えた。

 警察に連絡してからは、怒涛の展開だった。駆け付けてきた警察官に状況を聞かれ、問われるままに知っている情報を答えた。
 聴取の途中で知ったのは、依頼人が事業に失敗したらしいこと、多額の負債を背負った上での夜逃げだということだった。プランツドールを物のように扱った彼に対しては、正直いい印象はなかった。だが、高級品であるプランツドールを何処かへ売り飛ばすという選択をとらなかった点だけは、幾ばくかの良心を感じ取れた。
 残されていたスーツケースと封筒の中身はその場で検分され、司は一つ一つの確認に立ち会わされた。ティーカップを出した際にざっと見てはいたが、改めて中身を全て取り出してみても、スーツケースの中にはプランツドールの着替えや小物しか入っていなかった。
 この部屋でプランツドールの為に用意されていた服は、シンプルなデザインながらも触り心地が良く、上質な布を使っていると分かるものばかりで。依頼人がこれを買い揃えるわけはないから、プランツドールがここに引き取られてくる前の生活で与えられたものなのだろう。
 プランツドールの髪を梳くのに使っていた小さな櫛は、レトロなデザインながらも上品な雰囲気で、こういう小物に詳しくない司から見ても値が張るものだと一目で分かった。プランツドールの持ち物はどれもこれも、愛されていたのだと伝わってくるものばかりで。
 依頼人の事情は気の毒だとは思う。しかしこれを機にプランツドールがこの無機質な部屋から出られるのなら、と考えてしまうのも事実だった。
 聴取の中で機を見計らい、本来のプランツドールの主人であるという依頼人の両親についても聞いてみた。プランツドールが選んだ相手がいるのなら、そこに帰るのが誰にとっても丸く収まる形だろうと思ったからだ。
 この質問に対しては、一番聞きたくなかった回答がもたらされた。依頼人の両親は、すでに故人となっていた。
 依頼人から最初に事情があると聞かされた際に、病気か高齢で共に暮らせなくなったかのどちらかだろうとは踏んでいた。一緒に暮らせなくとも面会に連れていくことなら出来る、そう考えていた道は容赦なく断たれてしまった。
 譲渡に関する書類には、プランツドールの所有者が依頼人の両親から依頼人へ、依頼人から司へと変わる旨がきちんと記されていた。
 本人が何も知らない状態での譲渡が可能なのかと聞いたのだが、プランツドールは家具や骨董品と同じ扱いとなるらしい。残された書面は弁護士介在の元に作成されており、現状持ち主が司であるのは事実なのだ、と。
 司が動揺しているのに気づいたのだろう、説明をしてくれた警察官は「支払い完了証明書はありますから、明浦路さんが負担するものはないですよ」と気遣ってくれた。そういうことじゃないんだよな、と思いながらも礼を言っておいた。心配をしてくれた気持ちが純粋に嬉しかったのは事実だったからだ。
 諸々の話をしている間、プランツドールはずっと司の左腕にくっついていた。顔を隠すようにぴったりしがみついているのは、見知らぬ人間がいるからだろう。
 警戒している猫のような様子がずっと続いているのも不憫になり、途中断りを入れて司の上着を頭から被せて抱き上げた。司に縋りついてきたプランツドールの体温はほのかに温かく、それは人形ではありえないものだった。生きているのだと伝わってくるぬくもりに、なぜプランツドールは人形と冠されているのだろうと疑問に思う。
 着々と絆されているのを自覚しながら、ゆっくりとその背中を撫でる。司の肩に縋りついていた指の強ばりは、時間が経つにつれて徐々に解けていった。

 事情聴取が終わって司が最初にしたのは、加護に電話をすることだった。現状司は加護宅に下宿をしている身分であり、無断でプランツドールという大物を連れ帰るのは躊躇われたからだ。
 プランツドールを抱えたまま部屋の端に寄り、通話で事の経緯をざっと説明したところ、加護からの返事は「もちろんいいよ〜連れておいで。歓迎会の準備しとく?」だった。承諾してくれたことに感謝を述べ、歓迎会については丁重にお断りをしておいた。
 加護は昔から司に対して色々と判定基準が甘いところがあるのは知っていたから、事態をどこまで正確に飲み込んでくれたかは些か不安ではある。それでも今の司にとって、加護の大らかさはありがたいものだった。
 顔が夜鷹純に瓜二つであるという看過できない事実はあるにせよ、プランツドール自身に咎はないだろう。初めてその姿を目にした時から、何かしらの事情を抱えているプランツドールなのだろうとは覚悟している。
 それでも司は、半ば事故のように自身の元にもたらされたプランツドールを放り出していくことは出来なかった。
 世話をしているうちに情が涌いたのは勿論ある。それと同時に、司は取り残されたプランツドールに対してどうにも同族めいた意識を抱いてしまっていた。
 これはあくまで司の想像でしかないけれど。自分に対して無関心な相手を前に、ただただ元の主に再び見えることだけを信じて待ち続けていた。焦がれて、自分が今いる場所が正しいのかどうかも分からなくて、それでも。
 その胸中を焼く焦燥感は、けれど諦めきれずにいる様は、かつて氷の上を目指し続けていた司自身を彷彿とさせた。
 俺はあの時、どう思っていただろう。どんな言葉を求めていたっけ。
 通話を終えたスマートフォンをポケットにねじ込み、プランツドールに被せたままだった上着をゆっくり取り払った。
「うわ、起きてた」
 事情聴取の途中辺りから完全に脱力して司に体重を預けてきていたから、寝ているものだと判断していたのだが。
 予想に反して、司の肩に頭を乗せたプランツドールは眠気などありませんけど、と言いたげな顔をしている。爛々とした眼差しとは裏腹にもたれかかる体からはくたりと力が抜けていて、なんか猫みたいだな、と考えた。
 思い返してみれば、そもそも抱き上げるきっかけになったのも司の腕にぴったりとしがみつくプランツドールが警戒する猫のようだと不憫になったからだった。
「お待たせ、終わったよ」
 先程の聴取の際に聞いた話について、プランツドールはどこまで理解しているのだろうか。気休めに上着をかけてはいたが、遮音性があるわけでもないそれ越しに会話は筒抜けだったはずだ。
 心配ではあったけれど、問いかけたところで言葉を話すことのないプランツドールから答えを聞き出すのは不可能だろう。
 司はこの依頼に指名されてから、出来る限りでプランツドールについて調べていた。そこで知ったのは、プランツドールはある程度までならこちらの言っている言葉を理解すること。頷く、首を振る、といった軽い意志疎通なら出来ること。だが、それだけだ。言葉を声としてることの出来ないプランツドールとは、複雑な会話を交わすことは出来ない。
 もどかしいな、と思いながらも意識を切り換えて、安心させるように笑いかける。
 複雑な言葉が分からないだろう相手に自分の感情を伝える術に何があるかと言えば、声音と表情しかない。
「待たせてごめんね。一緒に帰ろうか」
 穏やかに告げる言葉を、プランツドールは微動だにせず聞いていた。何を思っているのかは分からない。
 じ、と黄昏色の眼差しで司をまっすぐに見据えてくるのみだ。幼いながらも整った面立ちには、どんな感情も乗らないままだった。
 最初に邂逅した際はこの目に気圧されたことを思い出す。今は、凪いだ湖面のような静かな色をただ美しいと思った。
「大丈夫だよ。貴方には俺がいるから」
 言いながら、抱えたプランツドールの背中を優しく撫でた。
 声を持たないプランツドールは、司の言葉に返事をすることはない。それでも構わなかった。司にとっては、答えがあるかどうかは関係なかったからだ。
 行く宛のなくなってしまったプランツドールを支えたい、安心させたい、出来るならば寄る辺になりたいと、そう思っていた。
 プランツドールは司の言葉を聞いて、ゆっくりと瞬きをした。その様子は告げられた言葉の意味を、身の内に取り込み考えているようにも見えた。
 ややあってから、プランツドールはゆっくりと頭を動かして司の肩に顔を埋めた。小さな手が首の後ろに回される。
 言葉よりも頷くよりも雄弁な「分かった」の返事。
 司は泣きそうな心地になりながら、プランツドールの頭を撫でた。
 そうだ、俺は。
 あの出口のない日々の中で、誰かに。
「大丈夫だからね」
 そう言って、背中を押してほしかったんだ。