かなざわ
2025-05-18 17:52:35
16676文字
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夜の向こうに黄昏の

よだつか(になる予定)。プランツドールパロ。あの世界にプランツドールが存在しており、司が夜鷹の子供の頃にそっくりのプランツドールと出会う話。序盤に名無しモブの登場あり。



 結果としてプランツドールはこの日以降、香料を使わずとも司が声をかけると目覚めるようになった。
 依頼人は多少驚いた様子だったが「エサ、ミルク係を覚えたんだろうな」と言っただけで深く追求はしなかった。
 司としてはいつもと違う行動を見せたのだから専門家、この場合はプランツドールを取り扱う店に連れて行き様子を見てもらいたかったのだが。しかしプランツドールに興味のない依頼人にそれを告げたところで無駄なのだろうとも分かっていた。
 生きている相手を前にエサと言い放つほどだ、余程関心がないのだろう。
 早いところ元々の持ち主の事情とやらが解消され、プランツドールと再会できるといいのだが。家事代行と依頼人という立場上、あまり根掘り葉掘り踏み込めもせず。
 結局のところ、司にはプランツドールに向き合う以外に出来ることはなかった。
 プランツドールが声をかけるだけで目覚めるようになり、司の代行の仕事は少しだけ増えた。ミルクを与える以外のプランツドールの世話を頼まれたのだ。
 世話とは言っても、ミルクを飲ませること以外には着替えをさせること、月に一回程度の頻度で専用の砂糖菓子をあげること、くらいなので手間もかからない。
 プランツドールの目が覚めるようになっても、司に笑顔を向けることはなかった。多少の意思表示を見せることはあれど、基本的には淡々と司の言葉に従ってくれる。
 司はとにかく今はプランツドールに安心を与えることが大事だと、事あるごとに声をかけた。ミルクを飲み終えれば褒め、着替えをすれば髪を梳きながら賞賛した。

 仕事の依頼とは言え、一度懐に入れてしまった存在に対し司が責任放棄などするはずもなく。夜間のバイトをほぼこの代行に充てるようになった。
 そんな日々が数ヵ月ほど続いた、とある日のことだ。
……開いてる」
 いつものように訪れたその部屋の玄関扉が、薄く開いていた。
 隙間から見える廊下は暗い。恐る恐るドア横のインターホンを押す。ピンポォン、と音が響くが、暫く待っても中からの応答はないままだった。
「代行で参りました、明浦路ですー……
 中に向けて声をかけるが、返ってきたのは耳が痛くなるほどの静寂のみだった。
 どうしよう、と立ち尽くす。
 これが単なる家事代行の仕事だったなら、踏み込まない。会社に連絡をして応答がないので帰りますと報告をして、それで終わりだ。
 けれど、司の脳裏にあるのはプランツドールの姿だった。ただ椅子に座って待ち続けている、何の因果か夜鷹純にそっくりな見た目のプランツドール。
 泣きも喚きもしない、逃げ出せも駆け出しも出来ない存在が、それでも待ち続けている。その姿を思い浮かべてしまうと、このまま何もなかったフリで帰ることなど出来なかった。
 涙を流すことのない存在が心の中で哀しんでいないかなんて、傍から見ているだけの誰かに決められることではないのだから。
 ゆっくり深呼吸をして、半端な隙間をさらしているドアを引いた。
「失礼、します」
 電灯の消えた廊下は暗い。意を決して中に足を踏み入れる。
 いつものように靴を揃えてから、奥へ向かって歩みを進めた。
 これがミステリなら奥の部屋で依頼人の死体が見つかって、ホラーなら得体の知れない何かに襲われる展開が待ち受けているのだろう。
「こんばんは、代行で参りました明浦路ですー」
 玄関前で告げたのと同じ言葉を口にしながら、そろそろと歩く。手さぐりで歩いている中で電灯のスイッチらしきものに触れたのでダメ元で押してみたら灯りが点き、心底安堵した。
 依頼主がいることの多い仕事部屋。その扉をノックしてみても、返事はおろか物音一つしなかった。
 唇を引き結んで、ドアを開ける。
「えっ」
 司が思わず小さく声をあげたのは、部屋の中に何もなかったからだ。
 この部屋のドアを開けたのは数ヵ月前、唐突に香料を使わずともプランツドールが目覚めたあの日以来だった。あの時には仕事部屋らしく机にパソコン、壁際の棚には書籍と、いかにも働き人らしい様相だったはずだ。
 だが、今はそれらが何もなくなっていた。残っているのは備え付けらしい壁の棚くらいで、部屋の中はがらんと空白が支配していた。
「な、なんだこれ……え、引っ越し?」
 呟いた声は司自身笑えるほどに震えていた。
 依頼人からは引っ越しの連絡などは来ていない。不都合が生じて日程をずらす場合、依頼人が代行会社に連絡をして、そこからスタッフへ中止の要請が入る。しかし今夜出発の確認をした際には、そんな話は聞かされなかった。
 つまりこれは、不慮の事態が発生しているということだ。
 踵を返した司は、ドアを片っ端から開けて中を確認していった。
 キッチン、リビング、バスルーム、ベッドだけが残された寝室、どこにも人影はなかった。
 最後に残したのは、プランツドールがいる部屋だった。何もない部屋を眼前に突き付けられるのが嫌で後回しにしていたけれど、確認しないわけにもいかない。
 他の部屋は勢いに任せて乱暴に開けていたけれど、ここのドアだけはそう出来なかった。
 いつものようにノックをして、ゆっくりとドアを押す。
「う、そだろ……
 掠れた声が喉から溢れ落ちた。
 そこにあったのは、他と同様のがらんどうになった室内ではなかった。
 プランツドールはいつものように椅子に座って目を伏せており、その横に見慣れないスーツケースが置かれている。
 なんで、このこだけ。
 愕然としながらも、部屋に足を踏み入れた。
 どうしよう、なんで、何が起きたんだ。
 混乱しながらプランツドールの傍まで行くと、スーツケースの横に何かが置かれていることに気づく。それは大判の封筒と、その上に乗せられた一枚の紙だった。
 何なのか確認する為に覗き込み、ぎょっとした。紙の冒頭に書かれていたのが、他ならぬ司の名前だったからだ。
 慌ててしゃがみこみ、その紙を手に取る。
 そこには、この部屋を手放すこと、プランツドールを連れていけないので司を新たな所有者にしたこと、プランツドールの品質保証書を含む譲渡に関する書類が封筒の中に入っていること、が記されていた。
「夜逃げじゃん……
 マジかぁ、と呟きながら項垂れる。
 まさかこんな場面に出くわすとは想像もしていなかった。
 頭を抱えていると、不意にことん、と音がした。
 反射的に顔を上げると、目を覚ましたプランツが椅子から降りている。さきほどの司の独り言が耳に入ったのだろう。
……おはよう」
 現在進行形で衝撃的な現場に身を置いてはいるが、何も知らないプランツドールにまでそれを背負わせるわけにはいかない。
 平静を装って笑いかけるが、いつもと同じ表情を作れていたかは自信がなかった。
 司の動揺を余所に、プランツドールは司の横までやってくるとちょこんと座り込んだ。姿勢を見るに、どうやら司を真似ているらしい。
「っふ、そうだね、まずはミルクにしようか」
 プランツドールは相変わらず表情を変えないままだ。けれど幼子のような仕草は、どうにも愛らしかった。
 思わず毒気を抜かれ、笑ってしまう。
 司の言葉をどこまで理解しているのか、プランツは司の服の袖を小さな指できゅうと握ってきた。
 何はともあれ、まずはミルクを温めよう。温めたそれをこのこに飲ませて、これからのことはその後でいい。
 決意した司はそのすぐ後、空っぽになっていたキッチンや食器棚を思い出し「ティーカップがないんじゃ!」と慌てることになる。
 焦る司を止めたのは他ならぬプランツドールで、示されるまま開けたスーツケースの中には愛用のティーカップや着替えなどが整然と詰め込まれていたのだった。