かなざわ
2025-04-20 22:55:29
11822文字
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たとえば頁をめくる速度で

よだつか。海外在住の夜鷹の元へ司が慎一郎から預かった手紙を届けに行っている数年後if。ゆっくり距離が縮まっていく話。


《二頁目》


「これ面白いの?」
 問われて、荷物の整理をしていた司は顔を上げた。いつの間に部屋から出てきたのか、純が本を片手に司を見つめていた。
 純が手にしているのは司が持ってきていた文庫本だ。移動時間に読もうと、適当に選んで買ってきたものだった。帰りの飛行機でも読むつもりだったので、うっかり奥にしまいこんでしまわないようにとテーブルの上に避けておいたのだ。
「短編集なので読みやすかったですよ。気になるなら、置いていきましょうか」
 日本人どころかアジア人を見かけることさえない街だ。書店に日本語の本が並んでいるなどありえないだろう。
 普段の純がここでどう過ごしているのかを聞いたことはなかったが、何日か共に過ごしていれば大体の生活パターンは読めてくる。暇を持て余している、とまでは言わずとも、本を読む時間を捻出するくらいは容易いのだろう。
 司自身も読み終えてはいない本だったが、残り二編だったしキリのいいところで止まっている。ミステリとは違い一気に読み進めないと続きが気になるようなジャンルでもないため、置いていくのに躊躇いはなかった。
 司からの提案を吟味するように、純は手にした文庫本をぱらぱらとめくっている。
「じゃあ、借りる」
「どうぞ」
 気に入ったのかな、次も同じ作家の本を持って来てみようか。
 純が自分から手を伸ばした事実に胸中でひそかに喜びつつ、荷物の整理に戻る。
 整理とは言っても、持参した服を詰めればそれで終わりだ。
 ここを訪れる目的である預かった手紙の束は、初日に純へ渡し終えている。観光目的でもない男の一人旅となれば、そんなに大仰な荷物もない。加えて体温の高い司は真冬でもなければ着込むこともないので、着替え自体が薄手のものが多かった。
「ねえ」
「はい」
 空気がわずかにぴりついた気がして、司は再び顔を上げて純を見上げた。
 視線が絡む。
 出会って間もない頃は、怯むほどまっすぐな視線に内心気圧されもした。思いもかけず交流が続き、目力が強いだけで本人としては威嚇も威圧もしている気はないと分かってからは、無駄にビクつくことはなくなったが。
「これ、ちゃんと返すから」
 言いながら、純は手にした文庫本を顔の高さでひらひらと振った。
 何気ない仕草なのに絵になるひとだなあ、と感心しつつ、告げられた言葉の意味を考える。
 この辺りでは見かけない日本語で書かれた本とは言え、決して高価なものではない。わざわざ返すことを強調しなくとも、たとえば失くされたとしても困るような代物ではないのだ。
 あげますよ、も。なくなっても困りませんよ、も。どちらの返答も、たぶん違う。
 純が待っているのは、きっと。
「はい、取りに来ますね」
 次の約束を取り付ける、そんな言葉だ。
 にっこりと笑ってそう言った司に、純は顔色一つ変えないままこくりと頷いた。
 どうやら、正解を引き当てられたらしい。なんとなくだが純から満足げな雰囲気を感じるのは、そう思っていてほしいという願望があるからだろうか。
 真相はどうあれ、いかにも純らしい「また来てもいいよ」の誘いだった。
 細く頼りない糸の上で綱渡りでもしているような来訪がいつまで続くのか、司にも先のことは不透明だ。ハッキリと分かっているのは、純に来訪を拒まれてしまえば終わる関係性だ、ということだけ。
 だから、次を許されることが嬉しい。
 明確な言葉にするより輪郭がしっかりしていて、指切りするよりは不確かな約束。
 いつ切れるか分からない糸だ。むしろ切れる機会の方がずっと多いとさえ思える。けれど司は、どうしたって手放したくなかった。
 希うように、縋るように、この糸を手繰っている。切れないで、途切れないで、どこかへ行ってしまわないで、と。
 心の端がきゅうと引き攣るような心地を、そっと呑み込む。不安も願望も、ここでは表に出さないと決めている。
 ゆるく息を吐いた視線の先に、この部屋で異彩を放つカラフルな色彩が写った。
 テーブルの上に置いてあるそれは、この部屋の鍵だ。正確には合鍵であり、司がここに泊まる時にだけ使われているものだった。
 その鍵についている、小さなストラップ。色彩全部盛りと言わんばかりの色合いで、星の飾りが一つ付いている。
 普段から黒を基調とした服を身に付けている純が選んだとは到底思えないようなカラフルなそれを取り付けたのは、他でもない司だった。
 鍵だけにしていると落としてしまいそうで、紛失防止にと雑貨店で買って着けたのだ。外すのを忘れて鍵を返してしまい、そこからずっとそのままだ。
 純を訪ねてきて、鍵を渡されその小さなストラップを目にするたびに、どこか安堵にも似た気持ちを抱く。司が勝手に繋げた糸を、まだ許されている、と。
「あの……鍵返すの、明日出るときでもいいですか」
「好きにしなよ」
 小さすぎるよすがを、きっと純は知らない。知らせるつもりもないし、知られたくないとも思う。
 貴方はどうか知らないままでいてください、なんて。こんなことを願っていると知られたら、それこそ叩き出されるかもな、と思う。それとも、興味なさげにふうんと言うだけで終わるか。
 いつかは純が考えていることが、分かるようになるのだろうか。それまで、会いに来るのを許してもらえるだろうか。
 ちらりと目線を向けた純は、興味なさげな顔で頁をめくっている。その手の中にある本は、司がこの部屋を去ってもここに残っていられる。
 それをほんの少しだけ、羨ましいと思った。

「この本」
「はい?」
「つまらなかったら、次来た時責任とってね」
「せっ?! いやあの、俺が書いたわけでもない本に、責任って言われましても」
「選んだのは君」
「それはそうなんですけど」
「面白いといいね」
「帰り際にひりつかせるのやめてくれませんか……