かなざわ
2025-04-20 22:55:29
11822文字
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たとえば頁をめくる速度で

よだつか。海外在住の夜鷹の元へ司が慎一郎から預かった手紙を届けに行っている数年後if。ゆっくり距離が縮まっていく話。

《一頁目》


「お世話になりました」
 キャリーケースを片手に、玄関のドアの前で司がぺこりと頭を下げる。
「別に、何もしてない」
 司は世話を焼かれるような子供ではないし、そもそも純より余程気が回った。
 外へ出るついでに残り少なくなっていた水を買って戻ってきたり。面倒で開けずに放置していた段ボールの中からカーテンを見つけ出して、寝室の窓に取り付けたり。
 ハウスキーパーが来ると教えても、落ち着かないのでと言って何かしら細々と雑務をこなしていた。
 振り返ってみると、世話をしたどころか世話を焼かれたのは自分の方だったとしか思えなかった。
 誇張でも何でもなく、純自身は司をもてなすようなことはしていない。
 純然たる事実を元にした「何もしてない」の返答だったのだが、顔を上げた司はとんでもないとばかりに大きく首を振った。
「泊めてくれたじゃないですか」
「寝る場所を提供しただけだよ」
「俺は、とても助かりましたし。あと、招いていただけて嬉しかったので」
 にこり、と笑いながら言う司の表情に嘘や媚びはない。心の底から感謝しているし、嬉しいと思っているらしかった。今の純に愛想をふりまいたところで、得られるものなど何もないというのに。
 人の善性をぎゅっと握って固めたような男だな、と思った。
 彼は他者への賛辞や感謝を言葉や態度に現すことを、苦もなく行えるのだろう。
「これも、ありがとうございます。お返ししますね」
 言いながら司が差し出してきたのは、この部屋の合鍵だった。泊めることになった際に、なければ不便だろうと渡しておいたのだ。
……?」
 受け取った鍵をまじまじと見つめる。彼に渡した際には鍵だけだったはずのそれに、カラフルな紐がついていた。
 ストラップか何かなのだろう、結い上げられた紐がリング状になっている。紐に付いている星を模した小さな飾りが、きらりと光を反射して煌めいた。
「あ、すいません! 鍵だけだと落としちゃいそうだったんで、つけてたんです……外しますね」
「いいよ、このままで」
 慌てた様子で伸びてきた手から、鍵を隠すように手の中へ握り込んだ。
 行き場を失った司の手がふらりと宙を彷徨う。その動きが舞うようで、思考の端にリンクを思い起こさせた。
 それとなく目を逸らしたのを、司は気づいただろうか。
「じゃあ、また来る時に連絡します」
 また、と。司は明日の天気でも尋ねるように何気なく口にした。
 表情には出さずとも少なからず驚いた純は、逸らした視線を再度司へ向けていた。司はいつも通りの打算も計算もありません、と言わんばかりの表情をしていた。
 どうやら本気でまた来る気でいるらしい。
 数日間共に過ごした中で、純が面白味もない人間だということは充分すぎるほど理解しただろうと思っていたのに。
「君は」
「? はい」
 慎一郎が何を意図して司に手紙を預けたのか、純には分からない。穏やかで実直な性格の慎一郎だが、メダルの為に虎視眈々と競技を続けるだけの執念深さと計算高さを併せ持っているのはよく知っていた。
 司との付き合いは浅いが、お人好しで頼られれば応えようとする性格なのはすぐに分かった。とは言え、長期休暇を申請してまで純の元を訪れるだけのメリットがあるとも思えない。
「君はなんで僕に構うの」
 慎一郎から手紙を預けられているというからには、今の純がスケートから離れていることを知っているはずだ。リンクに乗っていない自分から学べることなんてないのに。
 それを分かっていてまた来る、と言った司が何を考えているのか、不思議で仕方なかった。
 純の問いに司はぱちりと瞬きをして、その後に。
「なんでって、好きだからですけど……
 そっちこそなんでそんなことを聞くんですか、とでも言いたげな口調で、そう答えた。
 太陽は東から昇りますよね、と当たり前の事象を説明でもしているような、そんな表情だった。
 好き。
 現役の時、氷上にいる際は幾度となく聞かされた言葉だ。
 演技が。強さが。スケートが。顔立ちが。
 飽きるほど浴びせかけられ、価値など感じなくなっていた言葉だった。どこか嫌悪にも似た気持ちを抱いていたと言ってもいい。
 けれど。
 リンクから遠く離れた今の純に対して向けられたその「好き」に対して感じたのは、純粋な驚きだった。あとはこんなつまらない人間にそんな言葉を向けるのか、という幾ばくかの呆れだ。
「君、変わってるね」
「そうでしょうか……?」
 首を傾げる司は、純の言葉の意味を半分も理解していないのだろう。
 それに関しては、純もまた「明浦路司」という人物を図りかねているからお互い様と言えるかもしれないが。
 好きだから、と。臆面もなく告げられた言葉。司の発したそれは、今まで聞いてきた誰のものよりあっさりとした響きだった。重さも湿度もなく、見返りを期待する熱もない。
 すとんと胸中を揺らしたその言葉には、不快さも嫌悪も感じなかった。羽根のように軽く舞い込んできて、身構える暇もなかった。
 なんとなく手の中の鍵を握り込む。司がつけた小さな紐が、手のひらをゆっくりとなぞる感触があった。
「別にいいけど」
 また来ると言った以上、彼は約束を違えない。そういう気質の人間なのだということは、ハッキリと分かっていた。
 それなら、見定めるだけだ。
 明浦路司という人間を。彼に『夜鷹純に関わること』を託した、慎一郎の真意を。 
「寝る場所くらいなら提供してもいいよ」
「! はい!」
 放った言葉に返ってきたのは、笑顔と大きな声での返答で。
 とりあえず、うるさいほどに声量があるということだけは嫌というほど理解ができたのだった。

 帰路の飛行機の中で。
 別れ際の会話を反芻した司が、あの夜鷹純に対してさらっと「好きだからですけど」などと告げていたと気づき、頭を抱えていた。
(つい好きって答えちゃったけど尊敬してるからって言えば良かったかな、いやでも尊敬してるだとどうしても演技に対してになっちゃうし。
人間的に尊敬できるかって言われると正直ちょっと、かなり、だいぶ心配が先にくるっていうか……加護さんを通り越して羊さんの顔が過ったの一度や二度じゃなかったもんなあ。
あれって結局、どう答えるのが良かったんだ? そもそも何の意図があって聞いてきたのかもよく分からないし……
また来るとか言っちゃったから警戒されてたとか? だとすると好きって答えた相手に泊めてもいいって言えるのは相当豪胆というか、返答が「変わってる」だったのもどういう評価だったのか謎だし。
好きとか言っちゃって、変に思われなかったかな。いやまあ現役時代には好きどころか愛を叫ばれてたのは知ってるけど。
いやそもそもまた来るって言っても鴗鳥先生から手紙預かったら、の話だし。ある程度溜まってからだから期間空くだろうし。大丈夫だよな、うん、多分、おそらく……
あーーーもーーーーー、次どんな顔して会えばいいんだ?!)