nuka_boshi
2025-04-09 22:50:13
32255文字
Public 利吉さんで賽殺しパロ
 

【RKRN】転生したら母親が伝子さんだった利吉さん その6【シリアス死ネタ】

ようやくこの物語も大トロです。今回も利吉さんが曇ります(ネタバレ)。
大丈夫だと思いますが一応®️15Gくらいのつもりで読んだ方がいいかもです。
前回の最後のページでようやく主人公らしいメンタルを手に入れてくれた利吉さん。……物語の折り返し地点はとっくに過ぎてるんですが主人公ログインするの遅過ぎませんかねぇ……??(頭抱え)
主人公らしからぬ、ぐだぐだジメジメ悩んでばっかで大変な主人公ですが、ちゃんと彼には幸せになってほしいと思ってます。お魚、嘘つかない。

余談ですが前回の瞬間最大風速滝夜叉丸、直前の嘘エミュとの温度差が酷いなって読み返して初めて気づきました。いやだってウソついてるときの滝夜叉丸ってお魚の中ではどこに出しても恥ずかしい立派なカス野郎なので……(目逸らし
でもそんな滝夜叉丸が弱いとこ隠そうとあくせくしてるのが好きです。いつか彼を主人公にした話書きたい。多分利吉さんよりはメンタル強いので手加減殆ど無しで書ける気がするので。



――――本当に、嫌な話だね」
 乾いた喉が搾り出した言葉は、何とも月並みな言葉だった。滝夜叉丸の鋭い瞳が、私をのがすまいと突き刺している。
「君が室町の世の記憶を罪だと言った本当の理由わけが、漸く分かった気がするよ。――確かに、この世界はどこまでも純粋で、透き通っている。血と苦しみで汚れた室町の世の記憶を持ち込めば、きっとその純粋さを損なう事になるんだろうね」
 私の呟きは、どこか遠くに感じられた。
「或いは、運命を司る神か何かが居て、皆が幸せになれるようにと貴重な奇跡を与えてくれたのか。――だとしたら、もう少し慈悲のある与え方をしてくれと文句を言ってやりたいけどね」
 私の自嘲気味な笑みに、滝夜叉丸は目を伏せる。
……利吉さん。これは伴天連バテレンの教えだそうですが、ひとつ興味深い話があります。かつて、神はエデンの園という一切の苦しみのない楽園を作り、そこに二人の男女を住まわせたそうです。しかし、二人は蛇に唆され、神から禁じられていた知恵の果実を口にしてしまった。――禁断の果実を口にし、その罪を蛇に唆された所為だと言い訳をした二人は、罰として楽園を追放された。そして二人を唆した蛇は、あらゆる獣の中で最も呪われた生き物となり、永遠に地を這い続ける罰を受けた。それが人間の犯した最初の罪とされているのだとか。……一切の苦しみがないエデンの園がこの世界だとするならば。知恵の果実が室町の世の記憶、今の私を蛇のようなものと解釈すれば、或いは説明がつくのかもしれません」
「すると何だい? ――君に唆されて罪を犯せば、私はこの楽園から永遠に追放されると?」
「ええ。――その罪の形が、神の世から見ても過ちとなるであろう、人の想いをけがす行為――貴方にとっては母殺しという最大の禁忌を犯すことにはなりますが。神は自らこの罪なき楽園を去る方法を、残してくれている。きっとそれは、貴方に対する慈悲なのでしょう」
……………………
 滝夜叉丸の硬い声に、暫し押し黙ったあと、私は深くため息を吐いた。
……本当に、ロクでもない神だね。とは言え、文句を言っても始まらないか」
 すっかり打ちのめされていた昨日までとは違い、私の声の調子が明るかったからか、滝夜叉丸は少しだけ目を見開いた。
――滝夜叉丸。私は今日一日、この世界の人々と向き合ってきた。だからこそ、この世界は本当に美しいと思うよ。ずっと目を背け続けてきた私にとって、この世界の人々は本当に暖かく美しい。君を含めたこの世界の皆のおかげで、私は漸く自分の見落としてきたものに気付くことができた。――もしこの世界に来なかったら、私はずっと目を背けたまま、俯いて一生を終えていたかもしれない。そんな私に手を差し伸べ、立ち上がらせようとしてくれた山田伝子に、乱太郎としんべヱに、……そして殴り飛ばしてでも立ち上がらせてくれた君に、――会えて良かったと心から思うよ」
 嘘偽りのない本音として、私は自分の想いを口にする。
「私は、この世界に来れて良かった。君たちに会えて、本当に良かった。――このかけがえのない美しい世界に住む皆に、幸せになってほしい。その気持ちに、嘘はない。……嘘は、ないんだ……。」
 きっと、この世界で初めて目を覚ましたあの日の私が聞いたら正気を疑う発言だ。何を言っているんだと困惑されるに違いない。……けれども、やはり嘘偽りなく今の気持ちを告げるなら、この事は絶対に伝えておきたかった。――例えそれが届かなくとも。
「だけど」
 私は顔をあげ、滝夜叉丸の瞳を真っ直ぐに見つめる。せめて、他の誰にも伝えられずとも、今目の前にいる彼にだけは本当の想いを伝えられるように。
――それでも私は、元の世界に帰るよ」
 それが血塗られた道でも。幸せになってほしいと願う相手を絶望に叩き落とす、悪鬼の所業だとしても。
「朝からずっと、私はたくさんの想いに触れてきた。何よりも美しい、かけがえのない光景ばかりを目にしてきた。だからこの世界が楽園と呼ぶに相応しい場所だということもわかっている。――けれど、そんな美しい光景を見る度に私の脳裏に浮かぶのは――あの血と苦しみにまみれた室町もとの世界ばかりなんだ……っ!」
 乱太郎達を相手に忍術学園を開いたあの時。山田伝子がオムライスを作ってくれたあの時。暖かく美しい想いに触れる度、私の脳裏にはずっと、室町の世に残してきた大切な人々の姿が浮かんでいた。
 些細なことで人が死ぬ、苦しい事ばかりの世界。私が心を折られ、直視出来なくなった世界。山田利吉わたしにとって、二度と思い出したくない恥辱ちじょくで汚れた世界。……室町の世界は、私にとって理想郷とは程遠い、ごくありふれた理不尽と苦しみに満ちた世界だ。――けれど。そんな苦しみの数々が、手放せると分かった今。血と手垢てあかと苦しみにまみれた、そのひとつひとつの記憶が――これまで私が積み上げてきた記憶の全てが――どうしようもなく熱を帯び、輝いている。手放し難い煌めきを放っている。――――だから。
「私が望むのは、理想的な楽園なんかじゃない。理不尽や苦しみの中で、懸命に生き抜く当たり前の日常だ。――だから私は帰りたい。あのありふれた日常に、ありふれた景色に! ――例え私が関わる全ての人が苦しみから解放されているこの世界を打ち壊してでも!!」
 ――そして、父上に。母上に。お兄ちゃんに。――――私が抱きしめてやれなかった私の子に。もう一度会いたい。会って、謝りたい。もう一度、きちんと向き合ってやり直したい。そう思った途端、私の声はいつしか熱を帯び、叫びとなっていた。
「この世界を尊く思う、この世界の人々を愛おしいと思う! けれど、それでも私はあの日常に戻りたい! ――分かってる、これがただの我儘だという事くらい! どれだけ自己中心的なんだと自分で自分が嫌になるっ! ……けれどその先に幸せになれる保証が無くとも! 私は――元の世界の人々に、どうしても会いたいんだ……っ!」
 私の叫びに、滝夜叉丸は穏やかな笑みを浮かべた。
――――それが、貴方の選択ですか」
 ここで迷わず頷くことができれば、きっと格好も付くのだろう。しかし私は無言で首を振った。――ここまで誠意を持って接してくれた滝夜叉丸相手に、くだらない見栄や嘘で相対することはもう、したくなかった。
…………そうだとは、まだ言えない。きっと私は今もまだ、迷っている。土壇場になって、結局この世界を選ぶかもしれない。だから――約束はできない。約束はできないが、私はきっと、室町の世に――――ありふれたあの景色に、父上達のいる日常に、……帰るよ。きっと」
 我ながら情け無い返答だ。けれど滝夜叉丸はどこかホッとしたように笑った。
――良かった。ここで必ず帰るなどと嘘を吐いていたら、また殴らなければならない所でしたから」
「怖いことを言わないでくれないかい? あれ、結構こたえるんだよ」
 苦笑した私に、滝夜叉丸は笑い声で返す。すっかりぬるくなった紅茶を飲み、私は深くため息を吐く。
――もし、運命を司る神が居るなら。この世界を創った神が本当に居るなら。――私が誰の命も奪わずに、元の世界に戻れるようにしてくれると一番良いんだろうけどね」
「そうですね。……もしそれが叶うなら、利吉さんの願いは全て叶うでしょうね。私も、そうなる事を願います」
 互いに、寂寥せきりょうを含んだ笑みを浮かべながら宙空を仰ぎ見る。――叶うなら、本当に願っただけで叶うなら、いくらでも願ってやる。異界探訪みたいな奇天烈きてれつな体験が叶うのだから、この願いだって現実になってくれればいいのに。……けれど、現実は非情だ。
「まあ、願った所でどうせ叶わないのは分かってるけどね。――――何せ私も君も、きっと運命の神とやらに嫌われているから」
 冗談めかしてそう告げると、滝夜叉丸は瞳を大きく見開き、数拍おいて思わず吹き出した。
「それは確かに、一理ありますね」
「だろう? ……こっちは嫌われるような事をした覚えはないんだけどね、理不尽すぎて涙が出そうだ」
「きっと私のあまりの美しさに嫉妬したに違いありませんね。何とも狭量きょうりょうな神も居たものです」
 私が冗談で返した為か、滝夜叉丸もまた嘗ての世界でまとっていた嘘の衣を身にまとい応じる。
 ただのハリボテだという事は知っている。現実に居るのは、どうしようもなく傷付き地べたを這いずる、泥臭い人間が二人だけ。そのうち一人は未だ覚悟も定まらない愚か者なのだから、美しさなんてきっと一欠片も存在しないだろう。けれど――それでも私達の間に流れる穏やかな空気は、それでも確かに澄み切った美しさを持っているように感じた。
 この和やかで優しい時間を、美しい一時ひとときを、もっと噛み締めていたいと思った。――それでも、私はそれを自ら打ち壊す。前に進む為に、必要だと思ったから。
――すまない。君に甘え続けるばかりで、私は何も返せない」
「突然何を言い出すかと思えば。構いませんよ、元々見返りを求めていた訳でもありませんから」
 こちらが真剣に言っている事を理解したのだろう、滝夜叉丸もまたその振る舞いを本心からの物に変えて応じる。――きっと、その中には私が他人に絶対に見せたくないと願っていた恥辱ちじょくのように、私などには見せたくなかった姿が混ざっているに違いない。それでも私が立ち直る為に必要だと判断し、歩み寄ってくれた。それが分かるから――分かるからこそ、私は彼に何もしてやれない事が悔しい。そして……その上これから彼にまだ、頼らねばならないという事実が。
「最初の夜に言ったでしょう? 貴方が元の世界に帰るなら、少なくとも私の選択を知る人が一人だけは居てくれる。平滝夜叉丸が、死して新たな生を歩んでも尚、己の信念に懸けて期待の星として生き抜くと決めたことを、貴方だけはきっと覚えていてくださる。ならば、これほど幸せな事もない、と。その想いは今でも変わりません」
「滝夜叉丸」
 なんでもない事のようにそう微笑む滝夜叉丸を、私は遮る。
――甘えるばかりで何も返せていないというのに、その上更に君を頼るような事を言ってすまない。どこまでも厚顔無恥こうがんむちで、浅ましい事だとは分かっている。――けれど、君の力を貸してほしい」
……山田伝子の抹殺を手伝えとでも?」
 怪訝そうに眉を寄せる滝夜叉丸に、私は首を横に振った。――彼をそこまで巻き込むわけにはいかない。自分の尻拭いくらい自分でするべきだ。
――さっきも言っただろう? 私は……未だ迷っているんだ。ずっと逃げ続け、言い訳を続けてきた私が、今更最後まで踏みとどまれる自信も無くてね」
 自嘲し笑う私の真意を測りかねているらしい滝夜叉丸に、私は意を決してその頼みを口にした。
――――だから、君が見ていてくれないか?」
 その言葉に、滝夜叉丸の瞳が大きく見開かれる。
「いや、ちょっと違うか。最後まで見届けてくれないか? 直接見てくれなくてもいいんだ。私が折れそうになった時、苦しい時、それでも立ち上がれるように。私がどんな選択をし、何を為すか。或いは何も成し遂げることは叶わないかもしれないけれど――。私が戦い、立ちあがろうとしている事を――私が最後まで諦めず戦えるという事を――君に信じて、見届けてほしいんだ」
 今更何をと、そう思われるだろうか。わざわざ口にすることに何の意味があるんだと馬鹿にされるだろうか。――けれど。
――頼む。きっと、弱い私には、未来に立ち向かう為には武器が必要だ。そして――私が一番求める力を貸してくれるのは、君以外に居ないはずだから。君にしか、頼めない事だから」
 私は深々と頭を下げる。例え何と言われようと、みっともないと馬鹿にされようと――これだけは譲るわけにはいかなかった。
「どう……して…………
 滝夜叉丸が小さく呟く。あまりにも小さな声だったものだから、私は彼の声が僅かに震えていた事に気付かなかった。
……色々考えたんだが、これしか浮かばなくてね。弱くて見栄っ張りな私には、どうやら誰かに見られていることが一番効くようだから」
 私はゆっくりと顔を上げる。
――私の弱さも愚かさも知っている、全ての事情を知ってる君にしか頼めない。君なら、もし私が最後まで戦えず、また逃げ出しそうになったとしても、さっさと立てと殴り飛ばしに来るだろう? ――それを知っていれば、私はきっとまた立ち上がれると思うから」
 滝夜叉丸は、まるで表情が削げ落ちた様な顔をして黙っていた。――何かに耐えているのか、或いは呆れているのか。私は内心で自嘲しながらも続ける。
「私は君の強さを信じる。だから――私に力を貸してほしい」
 愚かだと笑われるだろうか。まだ他人を頼る気なのかと叱られるだろうか。そう思いながらも私は改めて滝夜叉丸に頼む。――しかし、滝夜叉丸の顔に浮かんでいたのは、私の予想を裏切る表情だった。
――ええ。ええ! このスーパースター忍者、平滝夜叉丸! 期待の星の名にかけて、貴方の覚悟を最後まで見届けさせていただきます!」
 滝夜叉丸の瞳が、ギラりと熱を帯び輝く。そこに宿るのは――――狂気的と言って良いほどの、歓喜。しかし私はその意味が分からず、困惑する。……他人に頼りすぎだと呆れられたり詰られたりするならまだ分かるし覚悟もあった。しかし、喜ばれる理由など無いように思うのだが。
……君には最後まで迷惑ばかりかけてしまうね」
 彼の言動や振る舞いから、恐らくこちらを安心させる為に嘘を吐いているのだろうと考え、私は思わず呟いた。しかし滝夜叉丸は、「いいえ!」と強い口調でそれを遮る。
「いいえ、いいえっ! 迷惑などと何を――、寧ろ感謝を述べるべきは私の方だ! 良かったのは、救われたのは私の方だっ!! 私は――――ッ」
 滝夜叉丸は無理矢理言葉を飲み込むと、自らの顔を手で覆った。――隠す直前に見えたその顔は、今にも泣き出しそうな笑みに見えた。
…………すみません。少々、席を外しても?」
「え? あ、ああ」
 困惑する私の前で、滝夜叉丸が立ち上がる。わけもわからないまま取り残される私の前で、滝夜叉丸は足早に廊下へと飛び出した。
 廊下の戸が閉まるや否や、ドサっと何かが崩れるような音が聴こえた。……滝夜叉丸だろうか? 心配はあったものの、声をかけるのも躊躇われ、私はグラスに残った生ぬるい紅茶の残りを喉に流し込んだ。
 ふと、戸の向こう側から、微かにくぐもって嗚咽が聴こえた。――滝夜叉丸の声だ。
 私は音を立てぬよう気を付けながらそっと席を立ち、扉越しに耳を澄ます。直前の滝夜叉丸の様子がおかしかったこともあり、何か言ってはならないことを言って傷付けてしまったのでは無いかという不安がどうしても拭えなかったのだ。
 漏れ聞こえる嗚咽に混じって、恐らく独り言であろう滝夜叉丸の声が聞こえる。
 ………無駄ではなかった。在りし日に私を期待の星と呼んでくれた貴方が居なくとも、憧れ続けた貴方が居なくとも。……それでも期待の星であり続けた私の選択は、無駄ではなかった。嘗て貴方が期待をかけてくださったように、今度は私が誰かを見届ける側になれる。……本物の、期待の星になれる。……この人生を、生きてきて良かった。……この地獄のような日々が、漸く報われた……
 震える声で良かったと呟き続ける彼の言葉を、私は扉越しに黙って聞いていた。――私が自分の為に告げただけの頼みは、どうやら滝夜叉丸にとって何か余程重い意味を持っていたらしい。滝夜叉丸の言う『貴方』が誰なのか、私は知らない。室町の頃の人物なのだろうが、それが私の知人かどうかさえ分からない。滝夜叉丸にとっての救いがどこにあるのかさえも知らない。――けれど、それで良かった。神のサイコロの目が滝夜叉丸にとって如何に過酷な目を出していようとも、或いは彼にとって救いをもたらそうとも、私が口を出す必要はない。私はただ、願うだけだ。――もし全てが終わって、私が室町の世へ帰った時。或いはこの世界にとどまった時。――私を立ち上がらせてくれた彼が、少しでも幸せを掴めるように、と。
 扉をへだてて漏れ聞こえる泣き声を聞きながら、私はこのしっとりとした優しい時間を噛み締めていた。

 少し活動の早いひぐらしがカナカナと鳴き出した頃、滝夜叉丸は戻ってきた。まるで何事もなかったかのようにすまし顔で部屋に入ってきた彼のまぶたは、よく見れば仄かに赤みが差している気がした。
 私達はそのまま取り止めのない話を――室町の頃の話を少しだけした後、私は家路につくことにする。
――それじゃあ、そろそろ私は戻るよ。……元の世界に戻るにせよ、この世界にとどまるにせよ。選択を保留することは出来ないだろうからね」
……いえ。選択を逃げ、わざと目をつむり、消極的にこの世界にとどまるという選択肢もあるにはあります。……その場合、この世界を受け入れぬまま、苦悩を引きずったままに生きる事になりますから、どちらかを選んだ時とは全く違う人生を歩む事になるでしょうが」
――大丈夫、もう逃げないよ。悩み抜き選ぶ事が戦いだというのなら、私は最後まで戦ってみるつもりさ。……もし、元の世界に戻ったなら、きっと君の幸福を祈るよ。……もし、君と再会するなら、またこの世界で室町の世の話をしよう。…………今日までありがとう。本当に、ありがとう」
 滝夜叉丸の瞳に映った私は、どこまでも真っ直ぐな笑みを浮かべていた。
……私はきっと今日まで、本当の意味で皆の想いに向き合ってこなかった。そんな状態では……きっとあのまま生きていたとしても、どこかでおかしくなっていたと思う。何かに少しつまずいたら目を塞ぎ、誰かに責任を転嫁して、逃げ続けていたと思う。……それで幸せになどなれるはずもないのに」
 ざあっ、と一陣の風が樹々を揺らす。
――私はきっとこれまで、軽い人生を歩んできてしまった。数多の選択を、よりよい未来を掴むための好機を、ずっと粗末にし続けてきた。……この世界は、そんな私に人生の重さを教えてくれたのだと思う。…………その果てにあるのがどちらを選んでも幸せになれる世界だなんて、この愚かで身の程知らずの私などには過ぎた幸福だよ。きっと私は、世界で一番幸せな人間だ」
 涙で声が濡れてしまわないように、私は精一杯笑みを浮かべる。
――だから、きっと最後まで戦ってみせる。悩んで悩んで悩み抜いて、……その先で最高の未来を掴んで見せる。だから、――――見守っていてくれ」
 滝夜叉丸は穏やかな、しかし強い意志を持った目で、こちらに微笑み返す。
――ええ。しっかりと見届けさせていただきます」
 滝夜叉丸は瞳を閉じ、深く息を吸う。それは恐らく、何者でもない『私』に告げるべき言葉を選ぶ為。
――――さあ、山田利吉。戦いなさい。奇しくも今夜は新月。忍者の時間と言っても過言ではない、月すらも顔を出せない長い夜が、貴方の戦いの舞台として与えられている。夜が明けるまで、光が差すまで、貴方の戦いは続く。そして――貴方が先程言った通り、どちらの世界を決断したとしても、その世界は必ず素晴らしいものになる。――たとえ神のサイコロの目が貴方にとってどれほど過酷な目を出したとしても、今の貴方には足りぬ数字を幸福で埋めるだけの力がある。この私が、期待の星・平滝夜叉丸がそれを保証します。だからどうか、決して戦わぬ事で片方を選ばぬよう。人が満足できる未来は、悩まぬ選択肢の先には無いのですから」
 滝夜叉丸の言葉に、私は改めてありがとうと繰り返す。何度感謝を述べても、足りない気がした。
「最後にひとつ。シュレディンガーの猫というこの世界では有名な思考実験について話をしておきましょう」
 滝夜叉丸は突然、思いついたようにそう告げる。
「実際に観測するまで物事は確定しない、相反する事象が重なり合って存在するという話が嘗て量子力学という学問の上で常識とされていました。誰かが実際に観測するまでは、全ての可能性は同時に存在すると。それに基づいて考えるならば、一定確率で毒煙が吹き出す箱の中に猫を入れたなら、箱を次に開けるまで猫が生きている状態と死んでいる状態が重なり合って存在する。つまり箱を開けるまでは全てが未確定だと」
 なんとも奇妙なたとえ話に面食らう私に、滝夜叉丸は肩をすくめる。
――今の利吉さんも似たようなものです。二つの世界、二つの選択肢。どちらかを選ぶまで、猫の生死は定まらない。――けれど、選んだ時点で――箱を開けたその時点で――猫の生死は変えられぬ事実として確立する。だからもし、この先選ばなかった世界の事を思い出したとしても。――それは選ばなかった時点で存在しないも同じ。選ばなかった箱の中身など気にせず、生きる世界に懸命であるべきです。――そのことを、ゆめゆめお忘れなきよう」
 滝夜叉丸の話はどうも抽象的で要領を得ない。だから、本当の意味で理解できたかはわからなかった。滝夜叉丸はそんな胸中を察しているのかいないのか、困ったように笑った。
「もし、元の世界へ帰った時に悩む事があったら。その時はどうか今の話を思い出してください。――貴方が元の世界に戻ったなら、その時私は貴方のそばには居ないでしょうから」
 滝夜叉丸は穏やかに微笑んだ。
「さようなら、利吉さん。この世界に来たのが貴方で、本当に良かった。――――良き選択を」
「ああ、――さようなら」
 さよならを言いながら、私は歩き出す。――もう振り向いたりはしない。俯いてたまるかと、歯を食いしばる。君が見てる。だからこそ、また俯くわけにはいかない。見栄もプライドも全てひっくるめて、もう一度『私』をやり直す為にも。