山城まつり
2025-04-03 21:00:10
19586文字
Public シャルラッハロートの診療録
 

シャルラッハロートの診療録|Ep.1

第一章「ジェイド・アクター(前編)」

だ、第一章(予定)です……。
いや、本当は第一章、もう少し続く予定なんですけど書ききれないので区切ります。あまり長すぎてもね……読むの大変ですから……。

今回から主人公・櫻田翠が登場します!ヤッターーーー!!
一色怜も出てきますのでね よ よろしければ……。


前回:シャルラッハロートの診療録|プロローグ https://privatter.me/page/67ed1c419a026

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=70961

本シリーズには医療の描写を含みますが、作者は医療従事者ではありません。論文、医学書、ホームページなどを参考に執筆しておりますが、現実の医療と異なる可能性があります。ご了承ください。

それでは、皆様にとって良い時間になりますように。


「止血帯、左脚に巻いて。大腿動脈がやられてんだろ。次、胸見せて」

翠は流れるように指示を飛ばす。宵宮、と呼ばれていた金髪の看護師が慌てて止血帯を巻いた。彼の手際の良さは、数回非魔法での手術をした事があって……というレベルではない。そもそも彼は患者の名前も事故の事も、外傷の状況も知らない筈だ。なのに、全てが視えていると言わんばかりの速度で的確に指示を飛ばす。怜は大学時代、翠が天才だと見せつけられた時の事を思い出して眉間に皺を寄せた。余計な思考だ、そう判断して記憶を隅に追いやる。

「魔法で肺の血管が裂けたんだな、リブスプレッダー、電メス」
「はいッ」

そう声を掛けながら左胸を睨む。第5肋間、前腋窩線ぜんえきかせんから乳頭線にゅうとうせんまでか。つまり、左脇の前部から左の乳頭まで。ここを切ったら真下が患部だ。患者は腕が僅かに持ち上げられたまま、仰向けの姿勢を取っている。通常、側方開胸は横に向けて行うけど……翠はそう思案して、それを却下する。時間がねぇ、仰臥位ぎょうがいでも構わない。

メスを皮膚に当てがうと、真っ直ぐに線引く。まるで定規を用いたように正確に引かれたナスカの地上絵は即座に紅に染まり、創部は「切られた」という概念を認識してぱくりと割れる。その割れ目に手を潜り込ませて────そこには既に電気メスが握られていた。じゅう、と煙がたなびいて焦げた匂いが鼻腔を襲う。組織が避けるように道を開き、奥に見えてきたのは白い第5肋骨だ。血に濡れた肋骨を露出させ────その下で折れた第6肋骨が肺に突き刺さっている。

「ハイ、リブ~」
「はぁい」

いつの間にか、隣にはメディが居た。それに対して特に何も言う事はなく、リブスプレッダーを受け取る。肋骨が押し上げられ、胸腔が開く。左肺が、血に染まって震えているのが見えた。……仰向けのせいで肺がやや平たく広がっている。視野も狭い。けれど、翠の手は医術の神に導かれているように迷いなく動いた。細い血管から血液が噴き出し、魔法の残光が傷口を朱く縁取っている。

「次、止血鉗子」

翠は血管を掴み、素早くクランプした。即座に迸る緋色はその概念を封じ、狂気を抑え込む。宵宮が、酸素飽和度が85に上がった事を報告した。翠は小さく息を吐く。

「神業だ……

外野に放り出された朝比奈は、そうぼんやりと零した。
無影灯に照らされた彼が、神様のように見える。緋色に染まった床さえも、彼を讃えるレッドカーペットのように思えてしまう。そこで、ここまで一度も第一助手、第二助手の手を借りていない事を思い出す。くらり、眩暈が彼を襲った。

「ハイ、肺は何とかなった。次、脚ね。神楽岡さん、何だっけ」
「左脚、解放骨折して大腿動脈が損傷しとる。【繕結】……間違えた、非魔法なんやったな。結紮けっさつして骨固定すりゃ何とかなる」
「オッケー。結紮する。メディ、鉗子追加」

翠の興味の矛先が、左脚に移り変わる。骨が皮膚を突き破った左脚は深緋の雫を滴らせていて痛々しい。しかしそれに怯む事なく、彼は傷口を広げていく。薄く透き通るような肌に紅い椿が咲いている。筋肉を掻き分ける度に血が噴き出して花弁を形作る。大腿動脈、パックリじゃん。翠はげんなりしながら血管鉗子に動脈を噛ませた。

「80」

差し出された右手に、把針器はしんきと針、糸が渡される。さっき巻いた止血帯のお陰でちょっとは出血が抑えられてるけど、時間がない。翠は把針器を握り締めると、その蜘蛛の糸のような極細の銀色を己の掌で踊らせた。

まるで蝶が羽ばたくように、いわしの群れが波間で揺らめくように、眩い糸がロンドを舞う。クラシック音楽が聞こえてくるような芸術的な手捌きで、細い血管が結ばれていく。すう、と引いて、くるり、と回して、きゅ、と結んで。授業中の手遊びのように見える彼の掌の中で、確かに命が繋がれている。溢れ続ける花弁は勢いを緩め、次第に枯れて色を忘れ、モニターの血圧が安定し始めた。オッケー、と翠が嬉しそうに笑う。

「動脈おわり。骨ね、髄内釘ずいないてい持ってきて~、解放骨折で感染リスク高いから、なるはやで」
「櫻田、言葉遣い」
「いーじゃん怜、リラックスして行こうぜ?助かるから。何たって、俺が助ける」

宵宮が髄内釘を渡す。川が流れて海に注がれるように、極めて自然に────翠は大腿骨の破片を繋ぎ合わせて整復し、ドリルで穴を開けて打ち込んだ。その手腕に、淀みも滞りもない。彼が何らかの暗示魔法を患者に掛けて、患者がそれを受け取ってシナリオ通りに動いているように、傷口が次々と修復されていく。勿論それは魔法ではない。非魔法の、科学の力であった。
骨を固定した後は、傷口の洗浄と抗生剤の投与。ハイ、これでおしまい。満足そうに微笑みながら、次の不安箇所を口にする。飄々とした態度と裏腹に、何処までも彼は隙が無い。

「怜、腹部は?脾臓ひぞう怪しいでしょ」

……腹部外傷に気付いていたか。怜はそう思案しながら唇を開く。目線が一度モニターに向けられ、次に映したのは奇跡を紡ぎきった執刀医だった。

「血圧は安定してきた。腹部エコーだと脾臓からの出血は軽度だ。自然止血の範囲だろう」
「ほんとに~?そう言って腹部からブシィ!なんてないでしょーね?」
「俺の診察を疑うのか、櫻田翠」
「あ、怜の判断?なら安心か」

翠はうんうんと頷くと、看護師に再び糸とワイヤーを要求する。再び流れ出す仮想のクラシックを背に、ロンドが再開された。肋骨をワイヤーで閉じ、筋肉と皮膚を縫合する。身を寄せ合った真皮は、ロミオとジュリエットのように愛を伝え合う。戯曲の最後と異なるのは、結ばれた命は絶たれる事なく息づいている、という結果だ。モニターの緑のランプが点灯し、酸素飽和度が95に戻った。翠は汗を拭い、ガウンを脱ぎながら笑った。

「な?終わったでしょ?俺の天才ぶりに感謝しろよ」

信じられない、と朝比奈が零す。静寂に戻った手術室で、その言葉は全員の耳に届いていた。

「ほんとうに、救った……夢、じゃないですよね……
「おいおい、俺の活躍を夢で終わらせないでくれない?現実ですぅ、朝比奈くん」
「だ、だって、おれ、おれ……ッ」

へな、と膝から力が抜けて、朝比奈はその場にへたり込んだ。深紅に染まったマスクの中で、大粒の涙が溢れている。

「魔法を使った瞬間、血がッ……おれ、あんなの、はじめてで、おれ……っ」

神楽岡がガウンと手袋、マスクを脱いで彼の肩を叩く。「非魔法医療も捨てたもんやないっつう事や。いい勉強になったと思え、朝比奈」と励ますも、朝比奈の心の傷は深かった。

「神楽岡ざぁん……
「おーよしよし、泣くなお前、何歳よ?」
「にじゅう、ななでず……
「2.7歳に見えるやろ。ほら泣くな、しゃんとしろ、緊急科医・朝比奈透麻」
「うぅ……

泣きべそをかく朝比奈を宥めながら、神楽岡の視線が翠に向けられる。彼は命を救って見せた英雄に対し、にへらと笑ってみせた。思えば、彼が執刀を許可してくれなければ今の平穏は無いのだ。翠は頭を下げる。

「神楽岡さん、あざした」
「いやいや俺の方が頭下げたいわ。翠、お前、神の腕やな」
「神なんて顎で使ってやりますよ」
「ははは、おもしれー男。その自信、ちったあパパに分けてやれ」
「嫌です、減ったら困る」
「クソガキがよぉ。へへ、助かったぜ。本気で神に感謝。俺、キリスト教入っちゃおっかな」

クソガキ、と言いながらも神楽岡の瞳は微笑んでいた。彼の性格を知っているからこそ、翠も軽口を叩いて笑い合う。緊張に包まれていた手術室の空気が、糸を切られたように緩んでいく。看護師も呼吸の仕方を思い出して、先程までの悪夢と吉夢を交互に脳で繰り返す。卒倒しそうなほど、濃すぎる記憶だった。
────その空気が、一人の男の入場により凍り付く。一同が息を呑んだ。ひゅ、と呼吸が止まる音さえ聞こえる。

其処に居たのは、天璇大学附属病院……その頂点に君臨する荘厳な男性、三ツ橋恭一みつばしきょういち院長であった。



────────Ep.2に続く