山城まつり
2025-04-03 21:00:10
19586文字
Public シャルラッハロートの診療録
 

シャルラッハロートの診療録|Ep.1

第一章「ジェイド・アクター(前編)」

だ、第一章(予定)です……。
いや、本当は第一章、もう少し続く予定なんですけど書ききれないので区切ります。あまり長すぎてもね……読むの大変ですから……。

今回から主人公・櫻田翠が登場します!ヤッターーーー!!
一色怜も出てきますのでね よ よろしければ……。


前回:シャルラッハロートの診療録|プロローグ https://privatter.me/page/67ed1c419a026

シリーズ:https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=70961

本シリーズには医療の描写を含みますが、作者は医療従事者ではありません。論文、医学書、ホームページなどを参考に執筆しておりますが、現実の医療と異なる可能性があります。ご了承ください。

それでは、皆様にとって良い時間になりますように。


広島県広島市、中区。平和記念公園、その北部に佇む「原爆の子の像」の視線の先。
新緑の木々と碧の水面に囲まれた中洲であるその地区に、直方体の箱を二つ、ずらして重ねたような形状をした特徴的な建造物が聳え立っている。天使の羽の如く純白を塗り込んだその建築物は初夏の陽射しを反射して、希望を高らかに歌っている。
天璇てんせん大学附属病院。太陽を象ったロゴマークが、空を映し込んだ銀の看板の上で煌めいていた。

「────によって、魔法抗体は遺伝子改良を加えた悪魔の細胞を基盤に構成され……

反響する甘いテノールの声に、欠伸が漏れる。それを隠すことなく零した翠は、椅子の背に身を預けて天井を仰いだ。アイボリーの板に埋め込まれたLEDの常夜灯がオレンジの光を放っている。まるで夜のようなその情景に、もう一度欠伸が零れた。
正面のスクリーンには、ゴシック体で「最新の医療技術を学ぶための再教育プログラム」と映し出されており、その下で小さな文字と細胞の写真が、読ませる気もないほど細々と連なっている。
で、何の話だっけ。朝の口ぶりもすっかり忘れて、怠すぎる講義の内容を頭で反芻する。既に時刻は正午を回っており、講義開始から九十分が経過している。そろそろ休憩が欲しくなるところだ。最も、翠は講義中の半分以上をぼんやりと過ごしていたのだが。

当院で開発された、予防医療で用いられる魔法抗体は悪魔の細胞を雛形に作られていて、対象組織を「捕食」して消滅させる効果があって、開発責任者は仙田せんだ教授で、うんぬんかんぬん。なんで今更、そんな魔法医療の最初から。
資料を器用にデスクに立てた翠は、教授から見えないようにスマートフォンを取り出して、耳に無線のイヤホンを押し当てる。怠すぎる。こんな講義受けてられるか。……そう堂々とサボりを決め込んだ翠の腕が、右隣からつつかれる。其処に居たのはツーブロックショートの男性────翠の同期で、同じ天璇大学の卒業生で、そしてこの附属病院で心臓血管外科をしている医師、真田佑貴さなだゆうきだった。

「おいおい、変わってないね翠。その肝、太すぎるんじゃないの~?」

彼はにやにやと笑みを貼り付けたまま、大学時代と変わらないテンションでそう耳打ちしてくる。翠は一度、教鞭を奮う教授……本郷ほんごう教授の様子を見遣る。プロジェクターから伸びる光の道筋に、空中の埃がスノードームのラメのように舞っている。その光を一身に浴び、スクリーンの文字列に影を落としながら声を上げる本郷教授は、弁じるのに集中していて此方の様子に気付いていない。怒られる事がないと悟った翠は、ようやく佑貴に向き合った。

「だってつまんないじゃん。なんで今更、大学でやった事のおさらいしなきゃなんねぇんだよ」
「それだけ大事な事だからだろ。魔法抗体、アレ凄い発明じゃん。お前のパパも開発に参加してたんだろ?すげぇなぁ」
「パパ呼びすんな、気持ち悪い。別に、リーダーだったわけでもねぇのに」

翠は一度、視線をスマートフォンに落とす。黒い画面から鮮やかな画面に移り変わり、それは彼にパスワードの入力を求めた。翠は迷いのない手つきで数字を打ち込む。
……父親とは、中学校卒業後から一度も連絡を取っていない。別に嫌いだとか、煩わしいだとか、そういう訳ではない。けれど、翠には父親と連絡を取る事が、【いけない事】であるという確信があった。

「考えてもみろよ、親父がちやほやされてんの見て、面白くねぇだろ」

反射的に、父親を毛嫌いしているような台詞が喉元から突いて出る。言葉にしてから、余計な事を言ったと後悔した。けれど佑貴は「なんでだよ」と眉を下げて笑う。おおよそ、翠がまだ思春期のお子様だと思っているのだろう。

「嬉しいだろ、家族じゃん。何、反抗期?」
「違いますぅ」

売り言葉に買い言葉で返しておく。
家族の話は、あまりしたくなかった。だから翠は一心拍おいて話を逸らす。手元のスマートフォンにアプリを立ち上げ、白い画面に円が描かれて準備しているのを待つ間、彼は溜息を零してこう愚痴った。

「大体さ、俺だってアプリで手術見てるんだから魔法医療がどうのこうの、知らねぇわけがないっつーの」
「あ、そのアプリ、OPE・STREAMオペ・ストリームじゃん。なんだかんだお前、うちの病院と大学好きだよな」
「母校だから気が知れてるだけ。このアプリちゃんは優秀だよ、そういう点では天璇大の事は嫌いじゃないね。俺の才能をいつまでも認めず、挙句の果てにはお偉いさんに売りつけたのは許さねぇけど。絶対此処がチクったせいだろ、診療所に監査が来るの」
「そりゃお前が非魔法医療に固執するのが悪いんじゃない?何でそんなに魔法医療を毛嫌いするんだよ」
「別に深い理由なんてねぇよ。お前、トマト嫌いなのに理由ある?」
「ない。でも食おうと思えば食える」
「俺だって使おうと思えば使えるよ、魔法くらい。天才だし」

声が大きくなっている事に気付いて、一度言葉を区切る。息を吐いて、翠は端末を見下ろした。小さな機械は主の視線に気づくと、現在天璇大学附属病院で行われている一件の手術を映し出す。青白い世界には一切影が落ちておらず、二次元のアニメを見ているような錯覚に陥った。

「魔法だけじゃ、救えない命があるかもしれねぇだろ」

そう、ボリュームを落とした小さな声で翠は零した。
その言葉は、自分に言い聞かせているように聞こえる。自分を、慰めているように聞こえる。その真意を量り損ねて、佑貴は曖昧にふぅん、と頷いた。
小さな箱の奥で紡がれているのは、どうやら外傷の手術のようだった。朧花色のシーツに覆われた患者は、もはや肉の塊だ。其処に居るのがどんな人物か翠には分からない────けれど、その患者の状態が極めて悪く、複数の処置を同時に行わなければならない難しい手術になる事は見て取れる。
……胸部打撲。左大腿骨骨折。意識レベルJCS2。交通事故だな。その画面を食い入るように見つめて、翠は呼吸を止めた。

────執刀医がメスで小さく線引く。それは直ぐに朱に呑まれ、その銀色の輝きを失わせる。名前も知らぬ彼は掌の剣を体内に潜り込ませて胸腔までのトンネルを造り上げる。そこに第一助手の男……翠は彼を知っていた、同級生だった一色怜いっしきれいだ。怜が胸腔ドレーンを差し込み、短く指示を飛ばす。執刀医の彼に指示しているのか。優等生だった彼の事を思い出しながら、翠はそう納得する。
ドレーンチューブが差し込まれ、緋色が透明を埋めて流れていく。

「うわ、出血量えぐいな」

いつの間にか、隣の席の佑貴が手元を覗き込んでいた。彼はぼそりとそう零す。……その言葉通り、患者の体内から溢れ出る血液はその水量を増やし、血圧と心拍を低下させている。魔法を使わないといえど、医師の一人としてここから行われるであろう処置は想像がつく。魔法による、止血だ。

執刀医の若い男性が、胸部、左肺の第4~6肋間に指を押し当てる。数秒間の沈黙。その後に聞こえる、三文構成の呪文。それは教科書に載っているものをなぞったように正確で、初歩的なものだった。成功だな、コレ。そう安堵し、目線を教授に戻そうとして────。

視界の中央に、紅の薔薇が咲き誇った。
それはドレーンチューブを引き抜いて、楕円の軌跡を描いて高く花開き、医師達の纏うくすんだ青のガウンを赤く染め上げる。ひ、と悲鳴が聞こえた。それは箱の中の彼等のものであり、同時に隣の席の佑貴のものでもあった。
看護師がバイタルの低下を叫ぶ。モニターが危険域を嘆く。目の前の命が、喧噪の中で尽きようとしていた。

「俺の出番、かな」

そんな地獄絵図を見たというのに────翠は一言、そう呟いてスマートフォンをポケットに収める。主の指示で黒い画面に戻った端末は、それ以上を綴らない。言わなくてもいい、これから実際に目にするのだから。彼はエメラルドの瞳を希望で満たすと、教授の生温い講義を遮って立ち上がる。痛いほどの視線が、彼一人に注がれた。

「すみませぇん、俺、行かなきゃなんで」

は?と本郷教授の鋭利な言葉が飛んでくる。常識外の行動に、講堂がざわめきに包まれた。だが、それに臆する事なく翠は足を進めて、入口の方へ向かった。

「許すわけなかろうがアホ。立つな、動くな喋るな櫻田」
「そんなの言ったって聞きませんよ。俺、アホなんで」
「お前なぁ、また俺の講義シカトする気かよ!大学時代も俺の講義で居眠りしてただろ!そんなに眠いか!!」
「もう子守歌ですよ。本郷教授の声を流して毎晩寝たいくらいです」
「そうかよ!卒業してちったあ成長したと思ったらまだクソガキみてぇな事してんのか!」
「誉めても何も出ませんよ、そんな、天才だなんて」
「誉めてねぇわ!」

翠はそこで、笑顔を消した。彼の双眸に、患者を救済するための鋭い光が宿っている。そこに邪念は無かった。失敗への恐怖は無かった。彼は真っ直ぐに本郷教授を睨みつける。その真摯な眼差しに、教授は思わず息を呑んだ。何だコイツ。何が今、彼をこんなにも駆り立てている?
講堂の外から、看護師が焦った声で輸血の追加を叫ぶ声が聞こえる。ナースシューズの軽快な足音が響き渡り、講堂の近くにあるナースステーションが慌ただしくなるのを一同は感じた。本郷教授は小さく、「手術か」と零した。

「教授、マジで今それどころじゃないんですよ。手術にカチコミに行かなきゃ」
「あぁうん、手術、患者……

教授は混乱しながらそう呟く。今病院で手術をしていて、それで何かよからぬ事が起きて、目の前のコイツは助太刀に行きたいと宣っている────そこまで察する。彼も莫迦ではない。翠が人一倍正義感を感じている事をよく知っている。

「あーーーもーーー!」

彼がそう声を荒げるので、講堂に居る若い医師……特に女性の医師はびくりと身体を震わせる。勿論、彼女達に非はない。本郷教授は一つ息を吸うと、自身の中の混乱を無理やり呑み込んだ。これが最善かは分からない。けれど、それが彼の仕事であった。

「兎も角駄目だ駄目だ!お前そもそも附属病院の医師じゃねぇだろ。手術なんて────」

しかし、翠も引き下がらない。静止されていると言っても、彼と教授の間には物理的な距離がある。本郷教授が翠を止める事は叶わないのだ。特に、彼が今のような決意を瞳に宿している時は。

「命が懸かってる。こんなところでダルい講義受けてる場合じゃないんだよね。じゃ!」
「あッ!!おい!櫻田ッッ!!」

講堂を、混乱と混沌が包む。彼の隣の席で事の一部始終を見ていた佑貴だけが、「またかよ、変わらねぇな」と苦笑いしていた。満ちる生温い視線を切り裂いて、翠は廊下に躍り出る。スクラブを纏った看護師が、忙しなく輸血用の赤血球製剤を抱えて走っていた。……手術室へのナビゲーター、見っけ。そう彼女達を捕捉したところで、窓辺に佇んでいたメディと合流する。彼女は勘が鋭い。説明がなくとも、これから何が起こるのかを識っているように翠に笑いかける。

「おにーさん、出番だね」
「待ちくたびれたよ。ヒーローは、遅れて登場するのが鉄板だからな」

廊下を踏みしめて、踵を持ち上げる。きゅ、とリノリウムの床が高く啼いた。まるで、海鳥の鳴き声のようだった。
彼らは駆ける。純白の天使の檻で、見知らぬ誰かの命を救うために。
焦りを孕んだ呼び声も、絶望を謳う放送も────翠には全て、自身の登場を祝うファンファーレに聞こえていた。