河童の皿箱
2025-04-02 09:09:12
10835文字
Public 旧作
 

御巫舞踊部類分

セアミンとフゥリのお話



 気がつけば、そこは森の奥にある、小さな泉。何が起きたのか未だに理解しきれていないが、今の私には、それらは些事に過ぎなかった。
 胸が痛む。息がしづらい。それだけじゃない。まるで全身が鉛になってしまったかのように、どうしても体を動かす気になれなかった。このまま修練場に戻って、大人たちに顔を合わせる気には、なれなかった。
 泉のほとりで動けない私の隣に、セアミンが座る。ただ何かをしゃべるでもなく。

ねえ、セアミン。どうして、私の舞を真似たの」

……

「どうして、わざと完璧に踊らなかったの」

……

「黙ってないで答えてよ」

 私の居場所を奪いたかったから。私の唯一の舞すら無くしてしまいたかったから。嫌な回答が、頭の中で何度も繰り返される。恐ろしくてたまらない。それでも、彼女の真意が知りたかった。
 彼女が、息を整えるのが聞こえた。

「変だったから」

「え?」

「御珠の大人たちは、変な人が多い」

御珠の?」

「うん」

「どこが?」

「誰も完璧な形、わかってない。でも、誰もが完璧を求めてる」

……

「フゥリは妖狐を宿して、過去を再現するには完璧な素質を持っていた。でも、誰も肝心のフゥリの舞を見ていない。だから、見知らぬ狐が舞ったのは貴女の舞だと、気付けなかった」

……そう、だね」

「多分、気付けたのは、フゥリと師範だけ。でも、力を持つ人がいたから、何も言えなかった」

……うん」

「師範、最後まで追ってきてた。あの人はちゃんと、フゥリを見てた」

……。そう」

「うん」

 セアミンの指摘は、私の恐ろしい想像からはかけ離れていて、私が今まで押し殺してきた言葉や気持ち、それらを肯定するものだった。それを認めて仕舞えば、私の舞う意味はなくなる。そう思っていたはずなのに、今はそれに縋っていたかった。肯定してしまえば、涙が止まらなくなると思っていた。なのに、何故か涙が流れるどころか、安堵すら覚えた。
 思い返せば、もう師範から指摘を受けることはなかった。私を叩いてまで矯正を求めたのは、決まって偉い人たち私が生まれた分家の縁の者が多かった。師範には、稽古を抜け出してしまったこと、後でちゃんと謝らないと。

 あぁ、私は、心の奥底だとずっと理不尽だ、って思っていたんだ。
 ずっと求めていたんだ。味方が欲しい、って。

 セアミンの言葉は、自分でも驚くほど冷静に受け入れられた。かっと熱くなった頭が、足を浸した泉の水の冷たさに癒されていく。すると、突然、セアミンは頭を下げた。

「フゥリ。貴女の舞を勝手に舞って、ごめんなさい」

「ううん、いいの。それより、あなたがあれだけそのまま舞えるだなんて。びっくりしちゃった」

 自分の口から出たのは、嘘偽りのない思い。先に浮かんだ不完全は、幻だったと知ったから。目指していたはずの完璧がどこにあるのか、わからなくなってしまったけれど。

「ねえ、セアミン」

「ん」

「私、あなたのことを、知りたい。だって、無口だし、んーぼんやりしてて、よくわからないし?」

よく言われる」

「だと思った」

「むぅ」

 彼女は、わずかに頬を膨らませた。案外、子供っぽいのかな。
 と、彼女はスッと立ち上がった。袖からひとつ、扇子を取り出して、ひらり、ひらりと、緩やかに舞う。

「セアミンは、能楽師」

「それは前も言ってたじゃない」

「正確には、Noh」

「ええと?」

「P.U.N.K.んー、伝統を受け継いで、新たな表現に昇華する団体、の、1人」

「伝統を、新しい表現に?」

「御珠家みたいな演目を、御鏡家みたいにいろんな手段で、御剣家みたいに派手にやる。浮世絵師と、雅楽師と、人形師と、能楽師で」

「結構仲間いるってことは、踊るだけじゃないのね。んーあなたが能楽師にしてはハイカラなのはわかるわ」

「ん、それで十分。手を加えた伝統に抵抗のある人は多い。P.U.N.K.への批判もよくある。こんなの能じゃない、とか、洒落臭い、って」

「それはここでもある、かも」

「けど、見てもらう人のいなくなった芸能は、徐々に廃れるだけ。人々に忘れられるたびに、伝統も失われていく」

うん」

 ふと、思い出した。大人たちが会議で決めた不要な演目を、火で燃やしている光景を。その中には、幼い頃から好きだった舞もあった。あれは、どうやって踊るんだったっけ。

「P.U.N.K.は、新しいのを取り入れて作るだけじゃなく、古いのも探して、今と先に繋ぐ。それで誰か1人でもその演目を好きになって、心に置いてくれたら、万々歳」

……

「時々、勘違いされる。伝統芸能が嫌いなのか。それには、こう答えてる。好きじゃなかったら、やってない」

「好きだから

「伝統が好き。でも、伝統に拘って立ち止まっている間にも、世界は変化していく。伝統も、変化できる。だから、P.U.N.K.は変化を選んだ。それを進化と言う人もいれば、破壊と言う人もいる」

 もう何度も見た、緩やかな基礎練習。それは、変化のための礎。はるか昔から受け継いできた、芸能の基礎。彼女はきっと、完成したものだけではなく、新しく生まれ磨かれゆく芸すらも尊んでいる。
 彼女の価値観は、さすがは外からやってきた人、というべきか。この御珠家では認められない価値観であった。

「伝統も伝統になる前は、そうした変化を少なからず受け入れている。迷わし鳥も、迷わし鳥になる前があるはず」

「それは考えたこと、なかった」

「セアミンは、そんなP.U.N.K.の能楽師。伝統の舞も、新しい舞も好き。だから、この里に来た。そこで出会えた、フゥリの舞も好きになったし、頑張ってるフゥリも好きになった」

「そ、そそんなに真っ直ぐ言われると、ちょっと恥ずかしい」

「本当。だから、フゥリにかけられた『完璧』の呪いを、解きたかった」

 呪い。ああ、そうか。あれは、呪いだったのかもしれない。

「色は些細な影響で正しく伝わらない。音も、表情も同じ。何より、それらの受け皿、人の心、感性は常に移ろう。楽しい時、悲しい時、怒っている時全部、変わる。完璧は、毎日ううん、もっと短い時間で変わる。『完璧じゃない』なんて、『気に食わない』と同じくらい、無意味な拒否」

 彼女の価値観は、御珠の価値観をバッサリと切り捨てた。つくづく、外の世界の中で形成された彼女と、閉鎖的で外との交流を持たないこことは正反対なのだと実感する。外の踊りは、どれだけ自由なんだろう。
 パチリ。扇子が閉じられる。あの妖狐の姿と同じように、こちらをただ真っ直ぐ見る。

「聞かせて。フゥリの完璧は何処にある?」

「え……

「P.U.N.K.の完璧は自己満足と、見てくれたお客さんが満足したかどうか。両方が一定の水準に達すれば、それが完璧。P.U.N.K.は、そのために頑張れる。でも、フゥリの完璧は、フゥリの何処にあるのか。それがずっとわからない。フゥリは、なんのために頑張ってるの?」

 問われ、回想する。だって、今まで大人たちの評価以外に、考えたことなかったから。いつからだったかな。自分の舞を、自分で評価しなくなったのは。

「私が頑張るのはオオヒメ様に認められるため。でも、オオヒメ様に見てもらえるまでは、大人たちが満足するかどうか、かな。もっとも、満足したこと、ないけど」

……そう」

 低い声。間違えた回答をしてしまっただろうか。嫌われたくないなぁ、なんて思っていたら、扇子が仕舞われる。

「フゥリ。お願いがある」

「う、うん?」

「今ここで、フゥリと一緒に踊りたい」

「えっそ、そんなのやったことないから、できないよ」

「大丈夫」

 彼女に手を取られ、つい立ち上がってしまう。

「でも、でも舞のイメージもできない。踊れない

「なら、テーマは鬼退治」

 セアミンは、手を離して、少しだけこちらに背を向けて離れそして振り向いた時には、まさに鬼の形相。手には鋭い爪がやはり幻のように浮かび上がりいつか見た屏風の中の世界にいたような恐ろしい鬼が、そこにはいた。

「フゥリは鬼に泉へ攫われた。ここで鬼に抵抗しないと、フゥリは死んでしまう。だから、フゥリは鬼を退治する。迷わし鳥でも、どんな舞でもいい。フゥリの思うままの舞を、見せて」

 私が言葉を絞り出そうとするよりも早く、鬼の足が鳴り、爪が迫る。あぁ、彼女は、本気だ。このままでは、ダメだ。

 踊らないと。