河童の皿箱
2025-04-02 09:09:12
10835文字
Public 旧作
 

御巫舞踊部類分

セアミンとフゥリのお話



「フゥリ! なんなんだその舞は! 足の踏みはもっと深くだ、勝手に個を出すな!」

「っはい」

 代々受け継いだ巻物に書き記されし舞。私に求められているのは、その完璧な再現。
 そう、私自身の舞じゃない。大人たちの求めるそれだけが、この舞の到達点にして、最高。だって、過去にオオヒメ様のお眼鏡にかなった舞だもの。
 もう一度踊る。大人たちに怒鳴られる。また踊れば、また怒鳴られる。誤りがひとつでもあれば、服の上から叩かれる。
 ひとつ改善しても、また別のところを指摘される。そうして、完璧を目指し続ける。私はずっと、そうしてこの舞の完成度を高めてきた。
 何度も、何度も。日が昇ってから、暮れるまで。全てはオオヒメ様のため。豊穣のため。


 でも、でも……


 喉を引き裂くかのごとく飛び出しそうになったその言葉を、何とか飲み込む。炎の中で踊る剣と、赤い髪。水の鏡に映る、青い髪。それらに抱いた感情を今、ここで発してしまったら、今までの私の舞が、そして受け継いできた伝統すらも、無意味になるから。
 今までと同じ一歩を踏み出すその瞬間。

「師範様。あちらに何者かが

 師範の侍女の指先。誰もがその方向を向いた。そして、ざわつく。
 長の家の屋根の上に立つ影。狐の面に、光を帯びた九つの尾。その姿はまさしく、伝承に語られし妖狐であった。
 喧々囂々。長の家を踏むなどなんと不敬なと憤る大人の姿に、あまりに見事な九尾の姿に恐れおののく大人の姿、状況が呑み込めないまま呆然とする大人の姿。そんな彼らを一切置き去りに、薔薇の羽織を纏った九尾は舞い上がりそして私の前へ降り立つ。師範が私を庇おうとするけれど、彼女は師範を手で制し師範は、それに応じて僅かに引いた。

「セア

 咄嗟に名が口からこぼれそうになるが、彼女は私の唇に人差し指を当て、くるりと身をひるがえしては、振られた袖が優雅に風を捉える。
 そして、彼女は確と構えた。私を、私だけを、真っ直ぐに見て。まるで金縛りにあったかのように、指先一つ動かない。さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返る。まるで、私と彼女しかいないかの様。
 一歩、踏み出す。それは、私が踏み出そうとした一歩。そうだ、この舞を知っている。

 迷わし鳥。
 私の、舞。

 またひとつ、踏み出される。狐の面が陽に照らされれば、神に、妖に、人智を超えた存在に、品定めされるような錯覚を覚えた。光を受けた幻のような尾が煌めく。まるで、羽ばたく鳥のよう。

 おかしい。おかしい。なんで、なんで?
 どうして彼女は、私の完璧ではない舞を、寸分違わず真似ているの?

 私は、出来てしまう。彼女の舞の不完全を、私は詰れてしまう。今の一歩は、浅すぎる。今の手の振りは、大きすぎる。だって、その誤りは、間違いは、私が散々言われてきたことだもの。

 どうして彼女は、巻物の舞じゃなくて、私の舞を?

 心臓の鼓動があまりにも速くなって鎮まらない。頭に血が上るかのように、熱くて熱くて仕方がない。

 どうして彼女の舞は完璧じゃないのに、こんなにも心を掻き乱すの?

 押し殺し続けてきた言葉が胸の奥で反響し、ついには耳に、私の声として聞こえる。


 どうして踊るだけで、大人たちは私を叩くの?
 私はただ、踊りが好きで、踊りたいだけなのに。


 舞は急を迎え、そして風が集まる。渦を描き、迷わし鳥はその尾を広げ、飛び立った。

 ほんの短い間の舞踊は、私に、私だけに、見せられていた。私は、魅せられることしか、できなかった。
 しばしの静寂。妖狐は一礼をすることもなく、また構え直してただ真っ直ぐに、私を見ている。

 あぁ、これで終わり。これで、終わりだ。なにか、何か言わないと。

 一歩も踏み出せぬような目眩の中、なんとか口を開こうとした。
 でも、口を開いた矢先に、私の分家の長が言葉を放った。

「い、いやはや、見事な舞でございました! どの流派の方かは存じませんが、なんとも良い手本でございます」

 耳を疑った。あれだけ私の舞を完璧ではないと言ってきたのに? 彼女の舞は私の舞を完璧に真似ていた。私が指摘された部分すら改善せず、そのままに。けれど、大人たちはセアミンに拍手を送った。完璧ではないはずなのに。大人たちがわからない。どうして、と疑問が頭を埋め尽くす。だって、だって。

 私はただの一度も褒められたこと、ないのに。

 私の心を覆う影とまるで繋がっているかのように、妖狐の面に陰が落ちる。長がまた何かを言おうとする。でも、直感してしまった。

 やめて、聞きたくない!

 思わず、耳を塞ごうとした瞬きの間に、彼女は一足飛びに私の腕を掴んだ。狐の面が、目の前にある。首を大人たちの方へ向ければ、ごく近くにいた師範がこちらに手を伸ばしていた。けれどセアミンはやはりお構いなしに、真っ直ぐにこちらを見続けている。

「逃げよう」

 囁かれ、そしてぐいと引っ張られ、抵抗できない。体に力が入らない。あぁ、でも。

 今はこのまま、攫われてしまいたい。
 今すぐ、ここから大人たちから、逃げたい。

 そんな願いすらも見透かされているかのように、彼女は私を抱きしめて、そして不可思議な感覚に襲われる。まるで一晩踊り明かした時の浮遊感にも似た抱擁に、なすがまま。

「まっ待てっ! どこに行く! フゥリ、フゥリ!」

 聞こえたのは、師範の声だけだった。