mishiadd
2025-02-26 22:49:14
18424文字
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わたしの戦争

【カルデア軸】生前の宮本伊織は「極悪非道の悪人だった」という定説が広まる中で、「本当の彼」を知るただひとりとなってしまったヤマトタケルの話。ハッピーエンドです


四、

彼の書斎――あるいは工房――を訪ねたとき、執筆を邪魔された彼は一瞬不機嫌な顔をしたが、訪ねてきた者わたしの顔を見るなり破顔した。

「おお、おお! ――なんともはや、今カルデア中で話題の主人公Protagonistが吾輩をお訪ねとは! どうぞどうぞ、中へお入りください。簡潔こそ機知の真髄Brevity is the soul of wit、これ以上余計なことは言いませんぞ。ささ、中へ」

気まぐれな――己の興味だけを貪欲に追い求め、そしてそれを隠そうともしない言動に、一瞬だけ私の眉根に皺が寄る。……少なくとも、生前のイオリは隠していた。同じ中立中庸でもこうも違うものかと思い――やがて、イオリが奇特であったのだろうと思い至る。

かたかたと引き寄せられた椅子に腰かけるよう促され、その正面にさっさと彼が座り込む。ニコニコと――やけに愛想のいい様子でこちらを見る顔に、親しみやすさよりも胡散臭さが勝る。

――シェイクスピア。きみとは特に話したことはなかったな」
「ええ、ええ。しかし、吾輩の方ではあなたのお噂はかねがね。悪行は銅に刻まれ、善行は水に書かれるMen’s evil manners live in brass; their virtues we write in water――が、あなたの場合はあなたという生き証人がおりますからな。あなたの偉業は失われずにすみました」
「偉業。――きみ、本当にそう思っているのか?」

顔面に張り付けたような笑みが一瞬ぴくりと痙攣し、やがて――にやり、と意地の悪い笑みが取って代わる。「はて、」ととぼけて彼が首を傾げた。

「ええ、『偉業』。偉業でしょう。たとえ剪定事象、放っておいてもいずれ消えゆく世界であったとしても――泡沫の夢に住まう人々を、その世界を地獄に変えんとする悪の魔の手から救ったのです。偉大に生まれる者もいればSome are born great,偉大さを成し遂げる者もありsome achieve greatness,また偉大さに追いやられる者もいるand some have greatness thrust upon them――あなたがそのいずれであったにせよ、偉大であることに変わりはありません」
偉大さに追いやられる

フン、と思わず鼻を鳴らすような皮肉げな笑いが漏れた。あるいはそれは、あの夜の私にもっとも近い表現であったかもしれない。あの夜に『彼』を屠るという状況に追いやられ――その『偉業』を為すという役割を、私は押し付けられた。――他でもない、『彼』自身によって。

黙り込んだ私を興味深げに眺めていたシェイクスピアが、やがて言った。

「勧善懲悪の物語は『面白い』ですな。単純明快で共感しやすく、そして幸せな結末ハッピーエンドが約束されている。かくして悪は斃され善は栄えた――舞台に向かって物を投げつける観客はおりません。
しかし、吾輩にしてみればそもそも善悪などは――物語の主役と敵役を定めるための約束事のひとつに過ぎないのです」

ちら、とシェイクスピアに目を遣る。本人もまた俳優であるという異郷の男は、椅子から立ち上がって大袈裟な手振りで朗々と言った。

善悪というものは存在せずThere is nothing either good or bad,ただそうと捉える思考があるだけbut thinking makes it so。善悪というものがあるとするならば、『面白い』は善で、『つまらない』は悪です。
――吾輩は、善悪に興味はない。真偽にも興味はない。ただ『面白い』かどうか、それだけです。――今宵、あなたは吾輩に『善』をもたらしに来てくれたのでしょう、数多の物語に語られし古代の英雄よ」
……いいだろう」

これは、賭けだった。――あるいは、もっとも無謀で、不実な――善悪というものがあるとするならば、その道に背きかねない賭けだった。
この男に――このキャスターに私が依頼した時点で、私は、この男がこれから為すだろうことを知っている。

「今、カルデア中に流布している、私と――『宮本伊織』の逸話については知っているな」
「知らぬ者はおらぬでしょうなあ」
「あれを演劇にしてくれ」

ん、と男は一瞬目を丸くし――にやり、とおよそ信用するに値しないような、善悪を顧みない、己の興味のみに目の眩んだ者特有の危うい目をして私を見た。

「それは無論、やぶさかではありませんとも。勧善懲悪の」
「違う。――イオリを、主人公にしてほしい」
……ほう?」

男の顔が目に見えて輝く。再び椅子に座り、ぐっと私の方に身を乗り出してきた。

「あなたではなく、彼を主人公に」
「そうだ」
「それは――たとえばフィルム・ノワール、あるいは犯罪小説クライムノベルのような――悪の華を主人公に据え、その悪逆の道を華麗に描くような趣向の――
「いいや」

ああ、きっと、私は――



善を為す英雄として、口にしてはならぬことを、これから口にするのだろう。



観客がイオリに共感するように仕向けてほしいのだ――彼の苦悩、裡なる板挟みジレンマ、捨てられぬ憧憬、自己否定――きみは、得意だ。そうだろう、記録ではなく物語を紡ぐ者よ
――ほう。ほう、ほう、ほう!」

独り言のように何度も頷いたシェイクスピアが再び椅子から立ち上がり、ぐるぐると書斎の中を歩き回る。

善いですな、善いですな、善いですな! ――これは、悲劇です。悲劇となることが確定している。己が間違っていることを、己の存在自体が間違っていることを――生まれる時代を間違えたのは自分の方であることを知りながら、憧憬を捨てられず、ついには己を繋ぎ止めていたものすべてに逆らって地獄の業火に身を堕としてしまう――綺麗は汚く、汚いは綺麗Fair is foul, and foul is fair! これぞ人間の真骨頂というものではございませんか!」
「そう、そうだ。――そうだ、きみの想像力を働かせるのだ。……もはや、それが真実でなくとも構わない

言って、席を立つ。そのまま彼の書斎を出ていこうとした私の背中に、己の構想に興奮したままの様子の彼が言った。

「ああちょっと、お待ちください、吾輩の親愛なる依頼主。この物語におけるあなたの役割はどうします?」
「私の役割」

ふと、考える。――それから、言った。

「なんでもいい。きみに任せる。――だが、そうだな。必要であれば私は敵役で構わない。『彼』の前に立ちはだかる、『彼』の願いを斬り捨てる、憎き敵――
……ふうむ」

急に興味を削がれたように首を傾げる。それから、ぽつりと言った。

――まあ、いいでしょう。吾輩にお任せください。あなたという存在を、もっとも効果的に演出してさしあげます。宮本伊織の物語を引き立てる役として
「? ……それでいいよ」

私が書斎の扉に手を掛けたところで、改めてシェイクスピアが言った。

「執筆に二週間。吾輩の方で舞台と役者を手配して二週間。初演の夜opening nightまでしばしお待ちを」
「ああ。――頼んだ」

書斎を出て、ぱたん、と扉を後ろ手に閉じる。扉を閉めた手のひらを見下ろして、ぐっと握りこむ。そのまま、薄暗い廊下をくだっていった。






五、

初演の夜――もしくはそうすることが演劇界での習慣なのか、開演前にシェイクスピアは私を舞台裏まで呼び立てた。
緞帳の下りたままの舞台袖から観客席を見渡せば、ほぼ満席であるのが伺えた。舞台からでも観客ひとりひとりの顔は意外と見えるものなのだと感心する。

「おかげさまで前評判は充分でしたからなあ! ――今、カルデア中で持ち切りのあの逸話――その真実がついに明かされる! ――というのですから。御本人完全監修、の謳い文句はなかなかに効果的でありました」
「完全監修なものか。九割はきみが勝手にでっち上げて書いたものだ」
「吾輩が勝手にでっち上げてえがいたものがあなたの中の『真実』に沿っているかどうかを逐一すべて見極めていただいたのです。それを『監修』というのです」
……真偽には頓着しないのだろう、きみは? 物語を面白くするためならば多少話を盛っても一向に構わない――
事実かどうかには頓着しませんが、『真実』には頓着したいと思いますよ。今回に限ってはね。――その方が『面白い』ですからな」

肩を竦めて笑い、それから言った。

「さて。――吾輩の親愛なる依頼主には座席を二席ずつ、ご用意させていただきました。――そこの最前列か、あそこのバルコニー席か。いずれも二席ずつです。どちらにしますかな」

うん、と目を細められる。――二席。当然のように、私と――イオリの、二席。
あるいはそれもまた演劇界での慣習であるのかもしれなかったが――ゆるゆると頭を左右に振り、私は言った。

「結構だ。――席は要らない。……悪いが、私はこれから行くところがあるのでな。ここで失礼する」
「おや」

一瞬だけひどく残念そうな顔をしたシェイクスピアはしかし、「これは残念ですな」と今度はまったく残念がっていないような意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「そちらはそちらで一幕あるようですな。――吾輩が良席で観劇できないことが残念です」
「気を散らさずにきみはこれを成功させてくれ。――初演で進行に不備があったなどということがあったら、目も当てられぬ」
「ええ、ええ、お任せあれ! 終わりよければすべてよしAll’s well that ends well、あなたのいない劇場で、あなたへの万雷の拍手喝采をお約束いたしましょう」

差し出された右手を握り、舞台袖を去る。――劇場を出て、シミュレーターを抜け、誰もいない廊下をくだり――長屋の前に立つ

「イオリ、」と声を掛けながら引き戸を開ける。――畳の上で本を読んでいる、彼の姿を見とめる。

「イオリ」
「セイバー? ――今日は確か、おまえもかかわっていた出し物がある日だろう。てっきりそちらにかかりきりになるのだと思っていたが」

返事をせずに中に入り、彼の正面に座した。本から顔を上げたイオリが、「セイバー?」と不思議そうな目で私を見た。

「イオリ。――イオリ。私は、話すのが不得手だ」
「うん? ……うん」

イオリが本を傍らに置いて姿勢を正す。たどたどしい言葉を零す私の声を聞き逃すまいと、懸命に耳を傾けている。

「それでも、私が――私だけが知っている『真実』が、この私の中にはあるのだ」



あの夜――



私の願いを叶えてやれぬと確かに嘆いてくれたきみ。

私の目を見て微笑んで――真名の代わりに私を『友』と呼んで手を伸ばしてくれたきみ。



――きみよ。



「今となっては、それが『真実』なのかどうかすらわからない。それでも私は――

私は、私が見たきみの話をきみにしよう。

「長い、長い話になる。長い、長い夜になる。私は話すのが下手だから。だから、なにひとつ省くことなく、私が見て、聞いて、考えて、感じたそのすべてを、きみに話そう」



きみが一体何者であったのか。



「わたしはきみに――きみの話をしよう」

イオリが静かに頷いた。あるいは、彼自身は話の内容には大して興味がないのかもしれなかった。それでもきっと彼は――私がその最後の一言を語り終えるまで、ずっと傾聴し続けてくれるに違いなかった。
イオリの手の上に、手を重ねる。――ゆっくりと、私は語り始めた。

「それでは――きみと私が出逢った、あの美しい満月の夜から始めよう」



――長い、長い夜だった。

どこか遠くで、万雷の拍手喝采の響く音を聞いた気がした。






六、

「ああ、貴公ら!」と廊下で呼び止められる。

逸話が流布して以来見知らぬ相手に声を掛けられるのは日常茶飯事となっていたが、ここ一週間――シェイクスピアに依頼した公演が繰り返されるにつれ、声を掛けられる際の熱量が変わってきたように感じる。
イオリと連れ立って呼び出しを受けた管制室まで向かっている最中だった。時間もなかったので「ああ」と適当に返事をして御茶を濁そうとしたが、更に熱心に声を掛けられる。

「観ましたよ、あの舞台! いやはや、素晴らしかった。……『宮本伊織』殿、貴公の心の裡に葛藤を抱えながらも善を為すために奔走する姿、実に心に迫るものがありましたな。特にあの、見知らぬご婦人を救うために自らの体を凧に括りつけて炎を噴く大鷲の怪異と果敢に空中合戦を繰り広げる姿、危険を顧みずその身を危機にさらす勇気と献身には目を瞠るものが――
……うん?」
「イオリ、気にするな」

確かシェイクスピアがノルマだとか言いながら無理やり挿入した演出だった。見知らぬ媛を救うために燃え盛る炎の中を進んだことくらいなら実際にあったので許可したのだ。――わかりやすさのために多少話が盛られていたのだとしても、実際その状況が起こっていればきっとイオリはそうしていたのだから、まるっきり嘘だというわけでもあるまい。

「すまぬが我らは先を急ぐのでな。――観劇してくれたことには感謝する」
「おお、『ヤマトタケル』殿。こちらこそ」

イオリの着物の袖を引っ張りすたすたと歩き去ろうとした私の背中に、ほがらかな声が響く。

「あのような極上の悲恋の物語を我々に語ってくれた貴公の勇気と献身、称賛に値しますぞ!」
――『悲恋』?」

悲恋? ――悲劇ではなく?

確か、シェイクスピアはそのように言っていたはずだが。これは彼の得意な『悲劇tragedy』という型になるであろうと。

「ええ、あのような『悲恋』――苦悩するマスターへの叶わぬ恋に身を焦がしながら、ただ黙って彼に寄り添い続けた貴公の健気さ。まさに理想の『恋の相手役love interest』に相応しく――
「は、――はああああああっ!?」

顔から首筋から真っ赤に熱が噴き出すのを感じながら、そういえばと瞬間的に記憶を辿る。



――あなたという存在を、もっとも効果的に演出してさしあげます。宮本伊織の物語を引き立てる役として



「あいっ――あいつ――完全監修と言いながら、私にはひとつもそんなシーンは見せなかったではないか!」
「セイバー、どうした?」
「な、なんでもない――あああ初演からもう一週間は経っている、そんな内容の出し物がもう十回以上も上演されたというのか!?」
「ええ、毎回盛況ですよ。マチネとソワレに加えて追加上演も行っているのですが毎回満席でチケットもとれず――そういえば上演期間も大幅に延長されたと聞きましたな」
「そうそう。――そういえば貴公が『宮本伊織』への秘めたる想いを語る独白シーンが新しく追加されたとも聞きました。キャラクター人気に合わせて新規に書き下ろしたとかで。……観に行きたいですな」
「観に行きたいですなあ。チケットを押さえますか」

「では」といそいそとその場を去っていく彼らに「おい、待て!」と手を伸ばしたが、逆にイオリに「もう行かないと呼び出しに間に合わんぞ」と嗜められてしまう。

「イ、イオリ! イオリ、今はそれどころではないかもしれないのだ、このまま放置していてはまた要らぬ誤解を――
「いいんじゃないか」

「よくな――え?」とイオリを見る。けろりとした――何にも頓着していない、ひどく涼やかな顔で、イオリが言った。

誰にどう思われていても。よくわからんが、おまえの中の『真実』は、この間俺に語ったことがすべてなのだろう。ならば、俺はそれが『真実』なのだと信じるだけだよ」

反論しようとして口を開き、結局閉じる。――結局のところ、誰に何をどう思われていようと。



私が『真実』を語って聞かせたかった相手は、この目の前の頓着の薄い男ただ一人なのだった。――であるならば。



軽く肩を竦め、「まあ、いいか」と独り言ちる。
終わりよければすべてよしAll’s well that ends well」とどこか遠くで聞こえた気がして――「やかましい」と苛立ちまぎれに舌を出した。






わたしの戦争・了