mishiadd
2025-02-26 22:49:14
18424文字
Public
 

わたしの戦争

【カルデア軸】生前の宮本伊織は「極悪非道の悪人だった」という定説が広まる中で、「本当の彼」を知るただひとりとなってしまったヤマトタケルの話。ハッピーエンドです


三、

気付けば私はイオリの長屋にいた。どうやら、怒りに我を忘れていた私を羽交い絞めにしたイオリが、暴れる私をなんとかここまで引っ張ってきてくれたようだった。
フウーッ、フウーッ、と全身の毛を逆立てた猫のように荒い呼吸を繰り返す私に、淹れたばかりのお茶をイオリが持ってくる。「冷ましてから飲むんだぞ」と子供にするように忠告し、湯呑を手渡してきた。
何も言わずに受け取り、そのまま両手で抱え込む。業火のような激情に燃え盛るようだった頭と違い、血の気の引いた手先はすっかり冷え切っていたようで、お茶の熱が沁みた。

自分の分の湯呑を持ったイオリが、とさりと軽い音を立てて私の隣に座る。畳の縁に並んで腰かけながら、閉め切った長屋の引き戸をただ見ている。

――何があったか、知らないが――

ぽつり、とイオリが言った。

「恐らくは俺のことだろう? ……そう、おまえの顔に書いてある」

ふ、と口許に小さな笑みを浮かべてイオリが私を見る。ぎり、と私が湯呑を持つ手に力が入り、陶器が欠けそうになる。
「私は」と私が何かを言える前に、穏やかな声でイオリが言った。

「おまえがむきになることは、ないんだよ。――俺に実害はない。このカルデアにあって、俺が『悪人』だからといって嫌がらせなど受けるわけもなし。ここでは、大罪人や反英雄自体がそう珍しいものでもないのだから」

「それに、さっきの男も言っていたろう」とイオリが言う。

生前の俺がどうであれ――今の俺とは違うから、と。――皆、理解を示してくれている。生前の俺がどれ程救いようのない悪人だったとしても、今の俺は――その悪を為していた患部ごと、失っている。
自分の中にも、そのような感覚はあるのだ。かつての俺にあった、俺という存在のその中核をなしていた、『余分――
「余分じゃない」

ぴしゃりと口を突いて出た私の声は、まるで悲鳴のようだった。

「余分じゃない。きみに余分なんてただのひとつもなかった。きみに失われていい部分なんてどこにもなかった。
きみは、確かにそのせいでとても――生きるのが苦しかったかもしれないけど――

イオリが、何を言われているのか何もわかっていない顔をして、ただ私を見ている。
もしかしたら私はまた、私の下手くそな言の葉で間違いを犯そうとしているのかもしれなかった。それでも止められなかった。

「でも、それがきみだった。――私が――

毎日、毎晩、きみのことばかり考えていた。きみのことが理解わかりたかった。

あまりにも眩しくて心から憧れた、きみが嘘だと言うきみの日向のような優しさも。
――私にとってはきっと都合が悪かった、きみの中に潜む研ぎ澄まされた刀のような憧憬も。

好きだとか嫌いだとか、善いとか悪いとか、そんな評価はすべて無意味なのだと知った。きみに、思い知らされた。

きみのことばかり考えていた。きみの何が好きで、何が嫌いで、なんてものはもはや存在しなかった。きみのことが好きなのかどうかすらもはやわからなかった。――きみのことばかり考えていた。

もしかしたら、それが愛というものなのかもしれなかった。

私が出逢ったきみだった。私は、きみを理解っていた。きっと、この世の誰よりも」



今も。――昔も。



きみのことばかり考えていた私は、きっと誰よりもきみのことを理解っている。きっと、きみ自身よりも。――だから。

「イオリ。……たとえ今のきみにかつてのきみ自身の記憶がないのだとしても。かつてのきみを成していたものを失って、それを今のきみはわずかにも惜しんでいないのだとしても。かつてのきみであったものすべてを――その起源はじまりからすべてをごっそり失って、もはやなにを悲しむべきなのかそれ自体をきみが知らないのだとしても。
――私はきみに、思ってほしくないのだ。かつてのきみが――



イオリが、私を見る。その涼やかな表情に、その静謐な瞳に、かつてのイオリの顔が重なる。――目を閉じる。



遥かなるあの日々の、あの江戸の町で、すべての感情を押し殺すように、ぐっと口許を引き締めていたきみ。――裡に潜む凍てつくような衝動を飼い殺しながら、それでも――偽りに過ぎぬと己を嘲笑いながら、それでも精一杯、優しく善くあろうとした、きみ。なんの打算も、他意もなく、ただ精一杯、人であろうとした、きみ。



呼吸のできなかったきみがそれでも精一杯に生きたあのが、端から存在すべきではなかった、唾棄すべきものだったなどと。――価値のない、ものだったなどと。



イオリの、令呪のない左手を取る。軽くあやすように揺らして、うやうやしく戴くようにその手の甲を私の額に当てた。それから、誓うように――そっとその手を握り込み、言った。

――イオリ。ここで待っていて。私には、しなければならないことがある」
……セイバー?」

軽く首を傾げるイオリに背を向けて立ち上がる。かつかつと私の履物の踵がなる。からからと長屋の引き戸を開けて、外に出る。



――誰も知らない。本人イオリすらも知らない。『彼』を知っているのは私だけ。『彼』のために戦えるのは私だけ。――であるならば。






きっとこれは、私のたったひとりの戦争だった。