クピードーの記憶①

記憶喪失ハイノイ
ほにゃっと時空です。
ハイノイなんだけど、コノチャ♀の作文をひと通り読んで事前に設定を知っておく必要があります…
https://www.pixiv.net/novel/series/12007385



「アルバート! 病院の中全力疾走すんなってぇはぁっ疲れたコーディネイター足が速すぎる
 金髪の男がノイマンから二メートルの位置で床に膝をついて呆然としている所に、開けっぱなしのドアから入って来たのは眼鏡をかけた茶色い髪の小柄な女性で、モルゲンレーテのオレンジ色のブルゾンを羽織っていた。膝丈のタイトスカートに黒いタイツ、ショートブーツ。髪は背中を覆うほど長いが、どう見てもチャンドラだ。
「ノイマン!」
 走ったせいで息を荒げてやって来たチャンドラはノイマンを見るなり嬉しそうに笑って名前を呼んでくれた。涙ぐんで駆け寄ってくる。
「チャンドラ?」
「そうだよ! よかった!」
 床にへたり込む金髪の男を避けて、ノイマンに抱きついてくるので、ノイマンもチャンドラを抱きしめた。
 むにっとした柔らかな身体の感触といつもと違う匂いに驚く。
「お前っ、心配させやがって早く連絡よこせよぉ! でも生きてて良かったぁ
 ノイマンはかなり驚いていた。
 チャンドラは幼い頃から性犯罪の被害に遭い続けてきたせいで、防犯の為に男性的な格好に頑なにこだわっている。軍服もパンツスタイルだし、髪を伸ばすことに忌避感があるし、スカートなんて死んでも穿かないと断言していたので女性らしい格好をしているのが信じられない。
 やけにいい匂いがして、髪もこんなにツヤツヤしていなかった。何より、覚えているより柔らかくて重量感がある。
「チャンドラお前、変わったな。なんつーか、太った?」
「は? うるさいな! 半年ぶりに再会して第一声がそれかよ。ぶん殴るぞ!」
 言いながらごつんっと頭を殴られたのでチャンドラだと確信した。流石に手加減してくれたが結構すぐ手が出るのだ。
「いった殴ってから言うな
「へへっ。でもそんな事言うのはお前だけだよな。なんか色々傷だらけだけどほんとに生きててよかった
 チャンドラは心底嬉しそうに笑いかけてくれたのでノイマンも目頭が熱くなった。
 記憶が戻って自分が何者なのかわかってからの心細さは相当のもので、知らない国で、大怪我を負って、火傷の痕は治癒して見かけだけの問題としても片脚を失っている状況は俄かに受け入れ難い。
 チャンドラが来てくれて、頼れるべき仲間の存在がいかに大きなものかを実感している。
 抱きしめたチャンドラを上から下まで一往復見つめてから尋ねる。
「なぁお前、四十一歳って本当なのか?」
「そうだけど?」
「そうか、じゃあ俺も本当に四十二歳なのか」
「どういうこと?」
 少し身体を離して改めてチャンドラを見れば心なし老けている。とは言ってもとても四十代には見えないのだが、記憶にあるよりは歳を重ねているように感じる。現在がC.E.89なら彼女は四十代なのだ。
 病院で行なったノイマン自身のバイタルチェックも肉体年齢は三十代後半という結果が出ていたしやはり十六年分の記憶が無いのは確かなのだろう。
「俺、今C.E.73の記憶までしか無いみたいなんだよな」
は?」
「ケガした時のショックで記憶が無くなってて、自分の名前思い出したのも今朝」
「はあぁ⁉︎」
「連絡するのが遅くなって悪かったな」
「えっ、ということは
 顔面蒼白になったチャンドラがソファーから降りて、床に座り込む金髪の男を振り返ってからまたノイマンを見る。
「アルバートのこと覚えてないって事?」
「誰?」
 全く知らない名前を出されて、首を傾げるとチャンドラが言葉を失ってゆっくりと振り返った。
「アル。アルバート? 息してるか?」
 どうやらそこで床にへたり込んでいる男がアルバートという名前らしい。
「おーいアル? えっ、これ息してなくない? アルバート?」
 チャンドラが金髪の男をしきりに心配している。呆然としてはいるが、何とか呼吸はしている様子で、チャンドラは彼の頬をぺちぺちと叩いている。
 チャンドラとアルバートという男の距離感が近いのでノイマンはまたしても驚いている。ぞんざいな扱いに見えるが、少なくともチャンドラの方から彼に触れているということはノイマンと同じレベルで親しい間柄の男であるということだ。
 二人の様子を眺めていると、更にもう一人知らない男が医師や看護師と一緒に部屋にやって来た。
 濃いグレーの髪の長身の男で、アルバートよりさらに歳上に見えた。男はノイマンを見るなり明らかにホッとした表情を浮かべて話しかけてくる。
「ノイマン、本当に無事でよかった」
「あっ、はいどうも
 知り合いの体で話しかけられたが、初対面である。
 おそらく知り合いではあるのだろうが、全く誰だかわからない。チャンドラと一緒に東アジアまで迎えに来てくれるということは親しい間柄ではあるのだろう。知り合いと会えば記憶も戻るかもしれないと言っていた医師の言葉も当てにならないものだと思った。
 年齢も少し上に見えるし、もしかして現在の上司なのかもしれない。
「チャンドラちょっと
「何?」
 状況がわからず不安になって、チャンドラを呼んだ。
「あの人は?」
 小声で質問するとチャンドラが答えてくれる。
「アレクセイは私の夫で
「えっ、お前結婚できたの⁉︎ 俺以外の男と⁉︎」
 チャンドラの発言に驚きすぎてつい大きな声が出てしまった。
 ノイマン以外の全ての男性に強烈な拒絶反応を示し、会話や食事はともかく触れられると蕁麻疹が出る男性恐怖症のはずだ。
 ノイマンも恋愛できるようなメンタルでは無いし、お互いパートナーが見つからなかったらいつか結婚するのもいいかもな。とビールを煽りながら話したこともあった。
 驚いたままチャンドラの夫という男を見ると、引き攣った笑みを浮かべている。
「ダリダ、どういうことなんだ」
「ノイマンのやつ、記憶喪失らしいです。自分の名前がわかったのも今朝で、しかも73年までの記憶しかないみたいで
なるほど、そういうことか」
 アレクセイと呼ばれた男は驚いて目を見開いた後、アルバートに視線を向けて納得したような顔をした。
「自己紹介させてくれ。アレクセイ・コノエ・チャンドラだ。ダリダのパートナーなんだ。よろしくノイマン」
「あっハイ。どうも
「私はコーディネイターで、ダリダとは職場で知り合って十二年前に結婚して、娘が一人いる。君とは家族ぐるみで仲良くさせてもらっている。ダリダ来てくれ
 コノエが手招きすると、チャンドラは素直にコノエの側に寄って行ったし、コノエはごく自然な所作でチャンドラの腰に手を回して抱き寄せた。
「アレクセイ?」
「見てもらった方が早い」
 チャンドラは抱きしめられて驚いた様子だが、コノエの触れるだけの唇へのキスに応じたし、少し頬を赤らめたくらいで嫌がっているようには見えない。むしろ嬉しそうで、ノイマンは親友が結婚したというあり得ない未来を信じるしか無くなった。
「お前がコーディネイターと結婚? 子どももいるのか? アレクセイさん、名前、チャンドラって言った? お前のファミリーネームなのか?」
「そうだけど? まぁ、色々信じられないよなでも多分もっと信じられないこと、今から言うから」
 コノエに抱かれたままのチャンドラがチラチラとアルバート氏を見ながら口籠もる。
 親しげにノイマンを「アーニー」と呼んだ彼は一体何者だというのか。
「こいつ、アルバート・ハインラインっていうんだけど。お前のパートナーなんだ。ちなみにコーディネイターな」
「パー………何?」
 ノイマンはちょっと意味がわからなくて、もしかして聞き間違えたのかと思って確認した。すると、チャンドラはよりハッキリと教えてくれる。
「だから、お前はこいつと結婚してて、今はアーノルド・ハインラインって名前だし、お前には子どもが二人いる」

 しばらく室内は静寂のままだった。コノエと一緒に病室に来た医師や看護師も何も言えないまま立ち尽くしている。
 ノイマンは数秒間かけてチャンドラの発言を理解しようと努めてみたが、結論は一つだ。
「いや、流石にそれは無理あるだろ」
 はははっ、と笑って言ったら、ずっと無言のまま床にへたり込んで居たアルバート・ハインライン氏がばたりと床に倒れ伏したかと思うと、がばっと立ち上がり、何も言わずに泣きながら走って病室を出ていってしまった。
 かなり気まずい空気が流れた。