クピードーの記憶①

記憶喪失ハイノイ
ほにゃっと時空です。
ハイノイなんだけど、コノチャ♀の作文をひと通り読んで事前に設定を知っておく必要があります…
https://www.pixiv.net/novel/series/12007385



 目覚めた時は全く動けず、指一本すら動かせない。起きているのか寝ているのかもわからない。
 たまに人の声が聞こえるが、視界は薄ぼんやりとした赤である。聞こえてくる声に覚えも無く、どうして自分が動けないのかもわからなかった。
 視界がはっきりしたのはしばらく経ってからだ。それまでずっと、顔中に包帯を巻かれていたらしい。だから何も見えなかったのかと納得した。
 白い天井がぼんやり見える。ずっと目を閉じていたから光に慣れるまで数日かかるし、眼の中に何かの破片が入って、角膜の再生手術をしたから毎日とろみのついた点眼薬を入れられていて鮮明な視界を取り戻すまでしばらくかかった。
 身体を起こせるようになるまでさらに数日。意識は落ちたり浮上したりを繰り返していたが視界が鮮明になるにつれ覚醒する時間は長くなったように思う。
 毎日何回か人が来て、話しかけてくるが声が出ないので何も答えられない。どのくらいの時間が経ったのか、「スミスさん」と呼ばれていることに気づいた。

 ♦︎

「スミスさん、今日はどうですか? 脚、痛みます?」
 朝、四人部屋の病室で看護師の巡回を受ける。
 ベッドの上で身体を起こせるようになってから、自分で食事が出来るようになるまでしばらくかかったが、出された食事が残さず食べれるようになった。
「だいぶ痛みが引いてきました。目もしっかり見えるようになったし」
 看護師の言う脚というのは、左脚の膝下から切断された傷痕の事だ。顔や腕に負った火傷は痕は残ったが痛みはもうない。
 自分は月の宇宙港でテロ事件に巻き込まれ大怪我を負った状態で脱出シャトルに逃れ、地球に落ちたらしい。
 意識がはっきりしたのは救助され二ヶ月経ってからで、目覚めた時には自分の名前もわからなくなっていた。低酸素状態と火傷、大怪我による失血で脳にダメージを受けて記憶を無くした。
 ここは東アジア共和国の中国地方、広州の福祉施設も兼ねた国立病院で、テロ組織が国際手配されている関係で、事件の被害者は国際法で保護されている。
「そうですか、何か思い出したことはありますか?」
「うーん、特に何も」
「そうですか。まぁ、焦らずぼちぼちいきましょう。ハイ、熱もなし、血圧正常、顔色もいいし食欲は?」
「あります。もう少し食べたいくらい」
「了解です。量増やせるか先生に相談しておきますね。午後からリハビリがあるので担当の者が迎えに来ます。あと、これどうぞ先月号だけど」
 看護師が差し出してきたのは一冊の雑誌だった。経済誌のようで、オーブ語で「黎明」というタイトルがつけられている。
「いつもありがとう」
 差し入れされた雑誌を受け取って礼を言う。談話室から借りている本はもう六回ほど読んでおり、他に娯楽は無かったので、本の差し入れは助かる。
 この病院で目覚めて三ヶ月経過した。
 記憶も無く、身分証や端末の類も全く持っていなかったので身元不明の記憶喪失者として便宜上「スミスさん」と呼ばれるようになった。
 登録上は難民として十二桁の識別番号が振られているらしいが、それではコミュニケーションに差し支えるということでつけられたニックネームだ。
 左脚が無くなったし、顔や腕に大きな火傷の痕が残ったが、身体はだいぶ回復してきた。二ヶ月の寝たきりで萎えた身体をリハビリで少しずつ回復させ大抵のことが自分で出来るようになった。杖や車椅子の使い方も覚えた。
 そうなると、あとひと月ほどで退院しなければならないらしい。国際法で保障されているのはそこまでなので、そのあとは自分で身の振り方を考えないといけない。
 不安はあるがとにかくリハビリをこなしていくしかない。日常の中のふとしたことが記憶が戻るきっかけになると主治医に言われ、勧められるまま本を読み、テレビを見る毎日だ。
 退院に向け、学力テストや語学力のテストも受けていて、公用語と旧ドイツ語とオーブ語が読み書き喋りもできると判明している。
 リハビリ担当の看護師からは「オーブ語が出来るのは仕事に困らないよ!」と嬉しそうに言われた。
 オーブは武闘派の中立国で、国際社会で近年急速に存在感を増してきた技術大国だ。言語体系が独特な上に公用語と違いすぎて翻訳や通訳としての仕事が多いらしい。
 武闘派の中立国って何なんだ、と思いながらも今後の生活に役立ちそうな国なので気に留めておく。
 とりあえずはこの病院の近くにある公営団地に住居を探してもらい、翻訳の仕事をして生計を立てていく予定だ。
 退院に向けて一人暮らしの準備を始めたが、一人で暮らすことに違和感がある。病院で受けた身体検査の結果、三十代後半程度の肉体年齢ではないかと言われているので、家庭を持っていた可能性もある。
 漠然とした不安を抱えながらも担当の看護師が差し入れてくれたオーブ語の雑誌をぺらぺらと捲った。
 オーブの代表首長カガリ・ユラ・アスハのインタビューと世界平和監視機構コンパスの記事が掲載されている。新しい地上戦部隊用の旗艦開発が急がれているという内容だった。
 記事の端にはC.E.71から始まった一次大戦で運用開始されたというモルゲンレーテ製の旧旗艦の画像も掲載されている。
 白とグレー、赤の差し色が入ったカラーリングの戦艦から目が離せなくなった。
 見たことがある。これは
「アークエンジェル?」
 その名を口に出した瞬間、急に頭の中に色のついた水が流れ込んだような感覚があった。
「あっ
 突然思い出される名前。自分はスミスなんかじゃない。アーノルド・ノイマン。年齢は二十六歳でふとベッド脇の棚に置かれたカレンダーを見ると、C.E.89と書かれている。雑誌の表紙を見ても、やはり89だ。
「73じゃないのか? えということは、十六年後?」
 流石に困惑した。オーブに亡命してきて一年、やっとバジルール中尉の死に折り合いをつけて普通の食事が出来るようになって、アパートの隣の部屋に住んでいるチャンドラと毎日のように焼きそばを食べてビールを煽っていた。ラミアス艦長も近くに住んでいてモルゲンレーテでエンジニアとして働いて、ノイマンは工場内でトラックの運転手をして
 どういうことなのかわからないが、カレンダーに表記された年号が正しければ記憶は取り戻せたが、十六年間の記憶は失ったまま、ということになる。
「とにかく、チャンドラに連絡しないと
 ノイマンはナースコールを押し、駆けつけてきた医師や看護師に自己紹介をする。

「自分はアーノルド・ノイマンといいます。オーブ人です」