クピードーの記憶①

記憶喪失ハイノイ
ほにゃっと時空です。
ハイノイなんだけど、コノチャ♀の作文をひと通り読んで事前に設定を知っておく必要があります…
https://www.pixiv.net/novel/series/12007385

「落ち着いてくれアーニー、違う避難経路を調べる。すぐに行くから、うごかないで」
 恐怖に声が震える。
 数十秒前までオーブへの直行便に乗る乗客で混み合っていた通路には誰も居なくなり、照明は消え、薄暗い空間はエマージェンシーを知らせるアラートと回転灯の赤に染まっている。
 最寄りのシェルターへ緊急避難を呼びかける放送が繰り返されているせいでノイマンの声がよく聞こえない。
 ハインラインの目の前には崩落した天井の板と何本かの鉄骨の柱。
 落ちてきた瓦礫で分断されたこちら側にハインラインと二人の子ども。そして、向こう側にノイマンが居る。

 月都市中立地帯にあるリゾート地となっているコロニーの宇宙港。バカンスを終えて地球へ向かうシャトルに乗る為、チェックインを済ませた直後に、立っていられないほどの大きな振動があった。
 非常事態を察して荷物を放棄し幼い息子を抱き上げて脱出シェルターを探す。ノイマンも娘の手をしっかり握ってハインラインと同じ判断を下していた。
 息子を抱えて避難シェルターに向かって走る途中、また大きな揺れがあり、少しして通路の天井が崩落する。
 よろけるハインラインと娘のナタルを、危険を察知したノイマンが咄嗟に突き飛ばしてくれたおかげで鉄骨や天井パネルの下敷きになることを免れたが、ノイマンは瓦礫の向こう側に取り残されてしまった。
 天井の板が崩落したくらいでは気密が破られることはない。宇宙港には幾重にも安全機構が準備されているはずだが、モビルスーツのビーム兵器が直撃したら何の意味も無いことは、それらを開発してきたハインラインが一番よく知っていた。
 また、ドォンと遠くで衝突音がした。床を伝わる振動が少しずつ大きくなって、港の外の真空で何らかの戦闘行為が行われているのは明白だった。ハインラインもノイマンも、軍人として戦争の只中に居たからわかる。
「アル、早く二人を連れてシェルターに入れ。俺は向こうのブロックで乗るから」
 ノイマンの言葉を遮るように、また、ドォンと鈍い音がして、足元から爆発の振動が伝わってくる。瓦礫のこちら側と向こう側で分断されたのはハインライン達だけではなかったが、いつの間にか周りには誰もいなくなっていて、エマージェンシーを伝える館内放送は避難を急かし続けている。
「ナタル、アルから離れるなよ。自分の脚でついていけるな?」
「大丈夫!」
 ノイマンは瓦礫をどうにかしてこちら側にくる選択肢を早々に切り捨てて言った。娘は力強く答えるがハインラインは納得出来ない。
「いやだアーニー、一緒に
「バカ! んなこと言ってる場合か。一緒ってどうすんだよ、そっちに行けないのは見たらわかるだろ。子ども達の安全が最優先だ。俺は大丈夫。三ブロック先のシェルターに行く」
 瓦礫のわずかな隙間からノイマンの表情が少しだけ見えた。端末で宇宙港の地図を確認している伏せた瞳はハインラインを見てくれない。
 ハインラインは手を伸ばし縋るように崩落してきた冷たい壁を撫でる。
「いけない。嫌な予感がする。離れたくない、アーニー」
「ソーマ、アルにしがみついとけよ。絶対離れるな」
「うん!」
 小さな息子がノイマンの言うことをきいてハインラインの首にしがみついてくる。
「ダメだ、アーニー! 待って、本当にすぐそちらに
 こんなところにノイマンを一人置いていくなんて出来ない。何とかしてこの瓦礫の向こうに行く術を考えろ。僕は天才のはずだ。何でも出来るはずだ。早く何かを思いつけ。
 ハインラインは呼吸が浅くなっていくのがわかる。息子を抱きしめる手が震える。焦っている。
「アルバート!」
 ノイマンに厳しい声で名前を呼ばれてハッとした。瓦礫の隙間から緑の瞳がこちらを見ていた。
「ナタルとソーマを守れ! 二人で決めただろ!」
「アーニー
「大丈夫だ。心配すんなよ、オーブで会おう」
 ノイマンはにこりと笑って「もう行け」と言った。
 嫌だ! と言いそうになったが、それより先にナタルが緊張した声でノイマンに言う。
「アーニー父さん、絶対だよ」
「うん、絶対だ。ナタル、アルとソーマを頼んだぞ」
「うん!」
 ナタルは毅然と答えたあと、ハインラインの手を引いた。
「アル父さん、早く」
「あ、ああ
 瓦礫の隙間からノイマンがわずかに見える。こちらに背中を向けて緊急避難用のシェルターに向かったのを見送ってハインラインは娘の手を握り返した。
 今はこの子達を無事に安全なところへ。それ以外のことを考えても仕方ない。
 オーブに帰れば会えるはずだ。彼を信じろ。

 ハインラインがたどり着いたシェルターはその後すぐ定員となり、緊急脱出シャトルとなる。
 宇宙港がモビルスーツの攻撃を受け、一部がビーム兵器の直撃を受けたことでシャトルは発進して地球に降下した。
 シャトルの小さな窓から旧式のザクが二機見えた。ビームライフルを乱射していて、港の被害が拡大していく。
 ハインラインの乗ったシャトルが離れて肉眼で戦況の確認が難しくなる頃になってようやく月都市の警察や駐在している連合軍の警備のモビルスーツが出てきて交戦を始めた。
 窓から様子を見つめる。宇宙港の数カ所から爆発があり、次々に射出される緊急用脱出シャトルや宇宙船。あのどれかにノイマンが乗っているはずだ。
 必ず無事で、オーブに帰ったら会えるはずだと信じることしか出来ない。
 戦闘が行われている宙域から遠ざかるシャトルの中で、大気圏に突入するというアナウンスがあり席についてシートベルトを装着した。窓から外を見ても、もう何も見えない。息子を抱きしめ、娘の手を握り不安と恐怖に耐えてぎゅっと目を瞑った。


 ♦︎


 月の宇宙港を襲った旧式のザク。手にはビームライフルを携えて迫ってくる。
 あのシャトルにはノイマンが乗っているはずだ。通路が分断されて一人で別のシャトルに向かった。
 必ず無事でオーブで会おうと言った。
 ザクのライフルが、ノイマンの乗ったシャトルに照準を合わせたのがわかる。

 やめろ、撃つな!

 ハインラインは力の限り叫んだが、ザクのパイロットに届くはずはない。
 銃口から放たれるビームがノイマンのシャトルに直撃して、爆発した。
 真空に投げ出される前に爆炎で消滅。

 いやだ、そんな、ちがう。だめだ
 死ぬわけない。オーブで会おうと言った。
 大丈夫だって言ったじゃないか!

「ハッハッ
 目をあけると薄暗い部屋、寝室の天井が視界に入る。オーブの自宅だ。
 汗だくで、身体に服が張り付く感触がある。
 ピピピ、と電子音が鳴ってゆっくりと頭ごと視線を横に動かすと、ノイマンのために作ったネイビーハロがベッドの上をコロリと転がってきた。
「アル、オキタ。オハヨー」
 ハロは手のカバーをパタパタと開閉させ、目の部分にいれたグリーンのライトを点滅させる。
 ハインラインの遺言状を保存してあるだけの子守り用ロボとなったネイビーのハロはノイマンに連れ歩かれる事は無くなった。ずっと家に置いておき、子どもたちの遊び相手になるばかり。
 このハロに保存してあるのはハインラインの遺言状だけで、まさか、ノイマンが先に居なくなるなんて考えたことも無かった。

 ノイマンは帰って来なかった。月の宇宙港でハインラインの命を狙ったテロに巻き込まれて行方不明になった。
 事件からもう二週間経つ。ノイマンが乗った可能性がある幾つかのシャトルはテロリストのザクに撃墜されたし、難を逃れて地球に降りたシャトルの中にも見つからなかった。
 コーディネイター優生思想の過激派によるテロ組織から、ナチュラルに協力するハインラインはコーディネイターの裏切り者だという犯行声明が出た。オーブにもプラントにも技術協力するハインラインのことを恨んでいるらしい。
 中立地帯の月のコロニーの宇宙港を襲った事件の被害者は多国籍に渡り、プラントもオーブもそれ以外の国の人にも被害が出た。
 死者行方不明者は合わせて百人にのぼる。その中の一人に、ノイマンの名前もある。
 起き上がり、指を動かしてベッド正面の壁に設置してあるテレビをつける。チャンネルは国営放送に合わせたままだ。事件のニュースはずっと繰り返されている。犯人グループは指名手配されているが広大な宇宙のどこかのAD世紀に廃棄された古いコロニーを拠点にしており捜査に時間がかかっていてまだ捕まっていない。
 アナウンサーの声が捜査の進捗を淡々と語る。何度眠って起きても、ノイマンが帰ってこないのは夢ではないのだと突きつけられている。
 ギュウッと左胸が痛んだ。心臓がばくばくして呼吸がうまくできない。肺に空気を取り込めない。
 ハッ、ハッと自分の呼吸の音が耳について、苦しさが増していく。
 僕を狙ったテロ。僕を暗殺しようとしたテロリストたちがアーニーを殺した。
 僕のせい。僕のせいでアーニーが死んだ。死ぬ? どうして? アーニーは、何も悪いことはしていない。兵器を作ったわけでもない。
 ナチュラルとコーディネイターは争う必要は無いのだと、一緒に生きていけると心から信じてハインラインを愛してくれたごく普通の、優しいナチュラルの男だ。
 アル。と笑って名前を呼んでくれて、抱きしめてくれて、頬に触れる手が暖かく、キスしたあとのあからんだ頬が可愛くて、子ども達に優しくて
 彼の笑顔が鮮明に思い出せるのに、もう居ない。
「アーニー
 ハインラインが名前を呼んでも返事をしてくれない。
「アーニー
 笑いかけてくれない。
「アーノルド
 僕のせいで、彼は死んだのだ。
 みぞおちのあたりが急に強く痛んで前屈みになった。
「うっッ」
 迫り上がってくる吐き気に咄嗟に手で口を押さえたが、堪えきれずに吐いた。
 饐えた吐瀉物が指の間から溢れて上掛けの上に滴り落ちる。
 あれから何も喉を通らなくて胃の中には何も無かった、吐いたのは胃液だけだ
「ウッオェッんぐっ
 酸で焼かれた喉が痛い。口の中がびりびりする。
 愛する人はもういない。帰ってこない。
 僕が殺したんだ。僕が殺したんだ。僕がアーニーを殺した。
「いやだどうして僕が死ねば良かったアーニー
 薄暗い部屋の中に急に光が差し込んだ。
 音もなく開いたドアから、廊下の光が入ってきたせいだ。
 ノイマンが帰ってきたのでは、と視線を向けるがそこに立っていたのはコノエだった。
「アルバート、目が覚めたのか。ハロから連絡が
 ベッドの上を転がる子守り用のハロは、ハインラインの見守りカメラとして利用されているようだった。
 ノイマンのハロにコマンドを入れられるのは、ノイマンの他に製作者のハインラインと、彼の親友であるチャンドラだけだ。
「また吐いたのか。口を濯いで落ち着いたら水を飲みなさい。これ以上寝込んでいると入院になるぞ」
 コノエはサイドボードに置いてあった水のペットボトルを開けてガラスのコップに注いで差し出してくれたが、ハインラインは受け取らなかった。
 吐瀉物で汚れたベッドの上掛けを見つめたまま何百回繰り返したかわからない後悔を口にする。
「先生
「うん?」
「僕が、アーニーを殺したんです」
「何を言ってるんだ」
「僕がアーニーを置いて逃げたから。いや、そもそも旅行になんて行かなければいいや、違う。僕がアーニーと一緒にいたくてオーブに来たから。アーニーを愛してしまったから?」
「アルバート、落ち着きなさい」
「だって! アーニーは死んだんですよ!」
 受け入れ難い事実を口に出したら、どうしようもない憤りと恐怖と悲しみと、色々な感情が綯い交ぜになって爆発した。
「いやだ! そんなのダメだ! 絶対に!」
 上掛けをかなぐり捨てて、コノエに縋り付く。
「アルバート、落ち着くんだ」
「うわあぁあっ!」
 大きな声を出すことで堪えきれない感情を発散させようとしたが肺から急に酸素を吐き出した事で視界が歪む。頭が痛い。息が出来ない。顔は涙で濡れている。鼻が詰まって苦しくて激しく咳き込んだ。
 上手く酸素が取り込めなくて頭痛はどんどん酷くなる。このまま死んでしまいたい。アーニーがいない世界で生きる意味なんて。
「アルバート、ゆっくり息をしなさい。アルバート!」
 コノエが背中をさすって声をかけ続けてくれるがそれすらももはや煩わしかった。
 あなただって、チャンドラを失ったら正気ではいられないはずだ。絶対に。
 失った者の気持ちなんてわかるはずない!
 怒鳴りつけたかったが呼吸もままならず胸を押さえて前のめりにうずくまる。
「アル?」
「ダリダ、入ってはいけない。錯乱してる」
 チャンドラの声がして、虚な視線をドアの方に向ける。
 廊下からの光に照らされて小柄な影が視界に映った。逆光になっていて表情はわからない。
 チャンドラはコノエの静止を聞かずに寝室の中に入ってきた。
 いつも着ているコノエのTシャツ姿で、ベッドのところにやってきた。陳腐な慰めの言葉でもかけてくるのかと思うと腹立たしくなった。
 最愛の人を失った悲しみはどうせ理解されない。どんな言葉もハインラインには響かない。ノイマンが帰ってきてくれなくては。
 そばにやって来たチャンドラはコノエの身体を押しのけると勢い良く振り上げた拳を力いっぱいハインラインの頭の上に落としてきた。
 ゴッ、と音がして激痛。間髪入れずにチャンドラに怒鳴られた。
「この! バカ!」
へ?」
「お前、いい加減にしろよ!」
「ダリダ、何も殴らなくても
 コノエが慌ててチャンドラを止めるが、その手を振り払って今度は平手で頬を叩かれた。
 パン。と打音が響いて頬がじわりと痛む。
 チャンドラはベッドに乗り上げてきて、ハインラインの膝の上に跨って、シャツの襟元を両手で掴んで怒鳴った。
「今すぐ顔洗って髭剃ってなんか食え! 寝込んでる場合か!」
「なんで
「なんでじゃない! 悲しいのも寂しいのも自分だけと思うな。いくら辛くても悲しくても我慢しろ! ナタルとソーマを抱きしめて、大丈夫だって、心配すんなって、愛してるって言えよ! 親だろ!」
 掴んだ襟元をガクガクとゆさぶられながらも、チャンドラが泣いているのが見えた。
「命かけて一生守るってノイマンと決めて二人も子ども作ったんだろうが! 約束守れ! バカ野郎!」
 チャンドラの声が掠れていくが、彼女はぼろぼろに泣いていても一瞬もハインラインから目を逸らしたりしなかった。
「死んだって決まったわけじゃないし、例えノイマンが死んだってお前は生きて子ども達を守れよ。ノイマンと約束しただろ
 確かに、約束した。
 子どもが欲しいと話し合った時に、何があっても二人を守って愛していこうと。
 月の宇宙港でも、彼は別れる間際まで子ども達を守れと言っていた。
………チャンドラ」
「なんだよ」
「僕は本当にバカだ」
「そうだよ、お前は天才なだけのただのバカだよ。わかったら起きてシャワー浴びてこい。三十分以内にうちに来ないとナタルもソーマもうちの養子にするからな!」

 その日、何日かぶりに子ども達に会った。
 二人はコノエとチャンドラが預かってくれていて、ハインラインの顔を見るなり泣いて抱きついてきた。
 そうだ、ハインラインは生きなければならない。ノイマンとの間にもうけた二人の子どもを必ず幸せにしなければならない。

 悲しみも苦しみも寂しさも心の奥に押し込めて。