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桜霞
2022-10-01 17:47:07
49262文字
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【twst夢】フライパンは無敵
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監督生をおれが守る(フライパンを胸に)
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/01/28にpixivに投稿したものの再掲です。
1
2
3
4
5
6
かたかた、かたかたとキーボードを叩く音だけが木霊する。視線はひたすら液晶画面に表示された文字を追いかけた。
その目元はどこか厳しい。ここ最近、日中はずっとパソコンと睨めっこをしているのもあるが、一番は───
「背筋」
「
…………
うぇーい
……
」
空恐ろしい指摘に、リンは口元を引き攣らせながら猫背になっていた背中を戻した。途端に呼吸がしやすくなる。良し、という呟きに、あれ、とリンは険しかった目元を丸くした。
ディスプレイに、見慣れた白黒のコートが映り込んでいる。
「えっ、」とリンは背後を顧みた。
「先生!? てことは、授業終わった!?」
「ホームルームも終わったが」
「うっそだぁ」
「残念ながら本当だ」
「ンぇぇ
……
」
クルーウェルはにやりと意地悪く笑って片眉を器用に跳ねさせた。
「なんだ、終わらなかったのか」
「残念ながら今日の分に関してはとっくに終わってるんですよね」
眉間を揉みながら言ったリンに、クルーウェルは嘆息した。
「なんだ、つまらん。いじめがいのない」
「トレインせんせぇー!! クルーウェル先生が虐めてくるぅー!!」
「そうか、遊んでやりなさい」
「ぱーどぅん???」
「ここはナイトレイブンカレッジだぞ、リン」
クルーウェルは喉の奥でくつくつと笑った。デスクに積み上げられた書類を無造作に手に取り、さっと目を通して、「流石じゃないか」なんて嘯いてみせる。リンは「どーもぉ」と書類の山からいくつかの束を抜き取った。
トレインは我関せずとばかりにコーヒーを嗜んでいる。
「リドルは? もしかしてもう来てる?」
「外に待たせてある」
クルーウェルがちょいと首を傾けて事務室の扉を示した。あぁやっぱり、とリンは慌てて荷物を確認した。
「えーと、今日の分の資料はこれで全部
……
ヨシ、行ってきまぁす」
「下手を打つなよ」
「あン? 誰に向かって物言ってんのよ」
クルーウェルが堪えきれず口端を吊り上げるのを横目に、リンは事務室を後にした。
「ごめんね、リドル。お待たせ」
「いえ、まだ時間に余裕はありますし
……
急かすようでしたらすみません」
「いいのよ、うっかり白うさぎになるところだったから」
「それはいけない」
おどけて言うリンに、リドルはくすりと微笑んだ。
「えーっと、今日の資料はもう渡してあったわよね」
「はい、持参しました」
「良かった。それじゃあ行こう」
放課後と言うこともあってごった返す廊下を、二人は早足で進んだ。目指すは鏡の間である。
今日はこれから、来る全国魔法士養成学校総合文化祭の打ち合わせが行われる。全国の学生がこぞって会場であるナイトレイブンカレッジに集うとあって、各分野やステージを担当する学校の事務員達が細かい調整や進行確認のためにこうして何度か打ち合わせを行うのだ。
会場はナイトレイブンカレッジなので、打ち合わせも勿論、学園で行われる。
事務員レベルでの本格的な打ち合わせは今回が初めてだった。今までは書面やメールでのやり取りで済まされていたのだ。
「
……
リドル、緊張してる?」
「いえ」
「そう?」
運営委員会委員長であるリドルは、大人たちの中に唯一生徒として、そして一種のリーダーとして参加しなければならない。人の上に立つのは慣れているが、今回は規模も大きい上に、リドルが指示を出さなければならないのは大人たちだ。
リドルは意識して呼吸を繰り返した。
この事案を、乗り越えられるという自負はある。ハーツラビュルの寮長として恥ずかしくない振る舞いをする自信も。
───ただ、体が勝手に強ばって、拳を握りしめてしまうだけで。
「
……
実はね」
「え、はい」
リドルは反射的に顔を上げた。リンは真っ直ぐに前を見つめている。
その表情が、不意に悪戯っぽく崩れた。
「私はこういう大きいミーティングが久々だから、ちょっと緊張してる」
「えっ」
リドルは素直に驚いた。リンは「もうさっきから手が強ばって冷えちゃって!」と指をわきわきと動かした。
「
……
リンさんでも、緊張することはあるんですね」
「ありますよ。まぁヤベぇことになったら最悪学園長に投げりゃいいし!」
「いえ、その考え方はどうかと思います」
「あぁウン、ごもっとも」
生真面目に突っ込むリドルに、リンは大人しく頷いた。
「
…………
」
「
…………
」
「
…………
ふっ、」
少しの間の後、不意にリドルが吹き出した。リンはわざとらしく「おっなによ」なんてリドルに絡んだが、リドルは「やめてください」と生真面目な表情を取り繕った。
もう、表情が動いた時に、肌が突っ張るようなことはなくなった。
「さーて、時間ぴったりだ」
ミーティングの始まるちょうど十分前に、ふたりは鏡の間へと到着した。
部屋の中央奥に置かれている闇の鏡の傍には、学園長が様々な人物に囲まれて、談笑に花を咲かせていた。特有の笑い声が、部屋に反響しては消えていく。
「もう既に大勢の方が到着されているようですね」
「そうね。私達はあっちの席ね。近くに移動しておきましょうか」
最後に資料の確認をしながら、リン達は指定されている席へ移動した。
「
……
」
「
……
リンさん」
「ん?」
リンは資料からぱっと顔を上げた。リドルが少しだけ心配そうにこちらを覗き込んでいる。
どうした、と瞬きしたリンに、リドルは「大丈夫ですか、」と声を潜めて確認した。
「大丈夫って、なにが」
「その。資料を見る目が、険しかったので
……
大丈夫です。この資料に不足はありません」
「え、あぁ! うん、ありがとう、大丈夫よ」
先程、リンが緊張しているのだと言ったことを心配してくれたらしいと察したリンは、「ただね、」と半眼で資料に視線を落とした。
「この世界の文字がね」
「文字?」
リドルは、はたと目を見開いた。
「まさか、読めないとか、」
「あはは、違う違う。問題なく読めるわよ。ただ、そうね。一瞬だけ、ぶれるのよ」
「ぶれる」
オウム返しに言うリドルに、リンはそう、と頷いた。
これが、リンの目付きを険しくさせる、一番の理由だった。
「この世界の文字は、やっぱり私の世界の文字とは違ってね。でも、読める」
加えて、書ける。パソコンのキーボードの配列も理解できるし、リンやユウの書く文字や文章は、正しくこの世界の住人達に伝わっている。
加えて、異世界であるにも関わらず、その言葉は理解できているし、リン達の発する言語も問題なくリドル達に伝わっている。
「どういう仕組みかは全くもって分からないんだけど、有難いことにはこの上ないから。ただちょっと、一瞬だけぶれるのよね」
それは本当に瞬きひとつにも満たない時間ではあるけれど、リンやユウにとって、目に付く変化で、つい見過ごせないと視線が追いかけてしまう程度には主張の激しいものだった。
リンは、小説でよくある異世界召喚補正だろうかと考えているが、どうにもよく分からない仕組みだ。勉強をするにも仕事をするにも支障が無いのは文字通り助かることなので、今まで特に大事にしていないのだった。
「そうなんですか
……
?」
リドルは不思議そうな顔で、リンの話を聞いていた。
「そうなのよ」
「
……
でも、言われてみれば確かに
……
おふたりは、この世界に馴染むのがとても早かったですね。ユウが『この世界と自分達の世界は魔法という大きな差こそあれ文明レベルや社会構成も似通っている』と言っていたので、それでかと思ってはいたんですが
……
」
「あら、そんな話してたの?」
「うちの問題児がお世話になっていますから。何か困った事があったら頼るといい、と提案したことがあるんです」
確か、年度始めの九月か十月だったように思う。異世界から突然、そしてほとんど自分の意思は関係なくこの世界に来てしまったと聞いて、そしてエースやデュースという二人組がよく迷惑をかけているらしいから、寮長として一言、声をかけたのだ。
ユウは少し困ったようにして微笑んだ。
───ありがとうございます。
───ただ、その。たぶん、今、私達が困ってることは、学園にどうにかしてくれって言うのが筋だと思うので
……
それ以外は
……
魔法が分からないってだけで
……
───でも、お気持ちはすっごく嬉しいですし、心が軽くなりました。何かあったら、頼らせてください、先輩。特に魔法についてとか!
この学園に来てからは寮生たちに恐れられるばっかりで、進級してもろくに後輩から慕われなかったリドルは、素直に、それでいて謙虚に「頼らせてください」とはにかむユウに、満更でもない気持ちになったのだった。
「それから、ユウはたまにボクのところに来ましたけど、大抵、魔法の勉強についていけないという相談で
……
生活に関わることは、そうですね、ノートとか筆記用具とか
……
その程度でした」
それもクルーウェルが支給してくれたり、自分で働いて稼いだバイトのお金で賄えるようになったりしたので、リドルが応じることもなくなっていった。
リンが「ほーん」と相槌を打っている間に、クロウリーが杖で床をかん、と小気味よく突いた。部屋の中に響いていたお喋りが一息に霧散する。
「そろそろお時間のようですね。皆様どうぞお席に」
再び鏡の間にざわめきが巻き起こった。
「行こうか」
「はい」
二人も揃って、指定された席に着く。その隣に、クロウリーが長い足を器用に折り畳んで腰を下ろした。
「さて、では、まずはうちの運営委員会委員長からお話を頂きましょうかね」
「───はい」
リドルは、しっかりと頷いて、すっくと立ち上がった。
◆
「───では、これでミーティングは終了、と」
お疲れ様でした、と鏡の間が再び賑やかになる。リンとリドルは、揃って安堵の息をついた。
「二人とも、お疲れ様でした。流石でしたよ!」
「ハーツラビュル寮長として、当然です。でも、ありがとうございます、学園長。リンさんも、サポート、ありがとうございました」
「いえいえ。お役に立てたようでなにより」
全体的な趣旨や流れの説明などはリドルがプレゼンを担当したが、具体的なプランについて発表するために壇上に立ったのはリンだ。二人は上手く連携して質問や意見、各学校の要望などを処理していた。
「見直さらなければならないところは、やはり『VDC』ですかねえ」
クロウリーが資料を片手に独りごちた。
VDCとは、Vocal & Dance Championships の略称である。文字通り歌とダンスをステージ上で生徒達が披露するのだが、現在では高校生の間から芸能活動に勤しむ生徒も少なくない。審査員に芸能界での有名プロデューサーなどを招いたり、話題性のためにカメラ取材を承諾したりしていたら、いつの間にか大口のスポンサーがつき、賞金五千万マドルが用意される大きな大会になってしまったのだ。
今では若手芸能人の登竜門とさえ評されているこの大会は、今年に限って随分と盛り上がりを見せていた。
リドルは不思議そうに眉を寄せた。
「確かにここは毎年賑やかですが、例年通りの対応では何か問題があるということですか
……
?」
「あぁいえ、そういうわけではないんですがね。それに、形式上は例年通りですが、取材の受付数や客席数自体も増やしていますし
……
照明器具や音響設備などは変更なしですか?」
「その予定です。でなければ現場がキャパオーバーします」
リンが淡々と答えた。
マジフト大会などが開催されるため、ナイトレイブンカレッジの生徒はイベント客を捌くのに慣れている者が多い。しかし、今回はそもそもの客の母数を増やしたので、裏方に割く人数は抑えたい。
設備を新しくすることも大事だが、それは同時に複雑で難解なシステムを理解し、使いこなす人材を育てなければならないということになる。
学祭開催まであと二ヶ月もない。余計なことに時間を割いている暇は無かった。
「まぁ、それが妥当ですかねえ」
「お話中、失礼。クロウリー殿」
「あぁ、これはこれは」
クロウリーは素早く立ち上がって声をかけてきた一団と次々握手をした。今回、全国魔法士養成学校総合文化祭に参加する学園から派遣されてきた事務員代表の方々である。リンとリドルも立ち上がった。
「リドル・ローズハートくんと言ったかな。先程は見事だった」
「ありがとうございます」
「この資料は貴方が?」
「ボクは必要な情報を全て集めただけです。分かりやすくまとめてくださったのは、事務員のリンさんです」
「あぁ、そうでしたか。とても素晴らしい資料でした」
「ありがとうございます。リドルのおかげです」
リンは柔らかく微笑んだ。
声をかけてきた一団は、クロウリーと小難しい話をして盛り上がる集団と、リンとリドルを取り囲む集団に分かれていた。突然の圧迫感に、ふたりは思わず、お互いを見遣ってしまった。
「こんなに優秀な人材がカレッジにいらしていただなんて、私、存じ上げませんでしたわ」
「クロウリー学園長もお人が悪い、」
「まぁ以前から茶目っ気の
……
時に行き過ぎる方ではあったが」
「以前はどこにお勤めに?」
恰幅のいい女性がにこやかにリンへと遣水を向ける。その目が決して微笑んでいないことに、リドルは息を詰まらせた。
リンは変わらず微笑んでいる。
「あまり有名どころではありませんから。きっとご存知ではないかと」
「あら、そうなの」
「はい」
「てっきり、どこか大きな組織にいらっしゃったものと思いましたよ」
身を乗り出した男性に、リンは眦を緩めて答えた。
「ふふ、お上手ですね」
「いやいや、本心ですよ」
さらに一歩踏み込もうとした男性よりも、女性の方が早かった。
「これほど優秀な人材がいらっしゃったなら、きっと年末のことでもご苦労されなかったことでしょうね」
「
……
それが、そうでもなく。何せ人手が足りなかったもので」
リンの答えに、数人が顔を見合せ、目配せしあった。口火を切った女性などは、器用に片眉を跳ねさせて見せた。
「
……
それじゃ、貴校にも来たのね?」
「えぇ。某動画についてのクレームのことですよね」
「
…………
その通りですけど
……
」
リドルは、意識して表情を引き締めた。
年末。某動画。しかもそれが、教育機関にクレームが来てしまうような内容。
リドルもケイト伝手に聞いた噂レベルの話しか知らないが、十中八九、『某有名魔法士養成学校の闇実況動画』とかなんとかいう動画コンテンツの事だろう。
あの動画はもう既にどこのサイトでも削除されていた。投稿主のアカウントは運営に凍結され、やがて削除されたという。
ネットに漂流したデータは消えない。件の動画は他の動画投稿サイトや掲示板へも転載されたが、それも年が明ける頃には軒並み消えていた。投稿主たちも、不気味なほどに沈黙を貫いている。
「どうだろう、貴方は私達よりその、ネットやパソコンの機材について詳しいだろう?」
「あの動画、もう本当にどこにもありませんの?」
「そもそも見ることができました?」
「あれでもう、うちの理事長なんかおかんむりで」
「あぁうちも保護者の方々が疑心暗鬼に」
「私達も余計に予算を見直して対策を立てることになってしまって
……
」
「絶対にうちじゃないのに」
ねぇ、と声が揃う。
そして、全ての視線が揃ってナイトレイブンカレッジの事務員へと向けられた。
───
…………
なるほどね!!!!!!!
「
……
まったくもって、迷惑な話ですよねぇ」
内心ヤケクソになって大の字になりどこぞの鬼殺隊士もびっくりの大絶叫をかましながら、リンはしんなりと『マジでそのせいで疲労困憊です』といった体を自然に取り繕って見せた。
「私はクレームを頂いてから事態に気付いて、なんとか転載先の動画を見ることができたんですけど、動画も音声もあれだけ加工されていたら、分かるものも分かりませんよ」
実際、動画は「いっそぼかしすぎてヒトらしき生き物がたくさんいる」ということしか分からないし、音声も「耳障りどころか字幕が無いと聞き取れない箇所がある」レベルにまで加工されすぎていた。
動画の内容としては、生徒A(?)が生徒B(?)を操って弱味を握り、権力を手に入れようとしたが、実は生徒Bが演技をしており、その自白めいた一連の会話は実況中継されていて関係者全員が聞いていた、というところに落ち着く。これ以降は中継されなかったからだ。
だが、あまりにも加工されすぎているせいで、「魔法いつ使ったん?」「というか魔法使ってんの?」「興奮して早口になってるからよく分からん」などというコメントが示すように、細部への理解には方々で齟齬があった。
リンは「あまり大きい声では言えないんですけど」と小さく声を潜めた。
「保護者の方やご意見を頂戴した方にはお伝えしていないんですが、本当に魔法士養成学校の生徒なのかも疑わしくないですか?」
「
……
それは
……
まぁ
……
」
「
……
確かに
……
そうですが
……
」
加工されているから分からない、と言ってしまえばそれまでだが、生徒Aが魔法を使うために呪文を唱えていたらしい箇所は凄まじい雑音が重なっていてそもそも加工どころの話ではなかった。
このように、映像をぼかし、あたかも魔法を使っているように見せかけ、生徒Bが生徒Aを罠にはめるという実況中継風の動画は、魔法士養成学校の生徒でなくても作ることが出来る。
この世界には、魔法を使うことができない人々のための学園も、数多く存在しているからだ。
「
……
でも、本当に大変だったんですよ。みんな、もしかしたらうちの生徒かもしれないから、聞き取り調査なんかもやって」
恰幅のいい女性が、厳しい目付きでリンを見遣りながら、絞り出すようにして言った。
リンはその眼光にたじろぎながらも、「えぇ、うちも生徒が大勢残っていましたから、もしかしてと思ったんですけど」と口にした。
「それが皆、その実況中継があった時間帯は、自主的に行っていた寮ぐるみの特訓で疲れていたから各々で休んでいたそうなんです。動画のことも、知っている生徒は三人いるかいないかでしたし」
めぼしい情報が手に入らなかったからその後のクレーム処理が本当にもう大変で、とリンは嘆息しながら言った。
「
…………
」
「
…………
」
「皆様もご苦労されたんですね。まったく、どこの誰かは知りませんが、迷惑ですよねぇ」
「
…………
えぇ」
「
…………
全くその通りで」
「そうだ」
変に重い空気を一変させるかのように、とある男性が明るい声を出した。
「ローズハートくん、君は何か知らないだろうか。生徒同士で噂になっていることもあるだろうし」
突然、水を向けられて瞠目しているリドルをよそに、男はぺらぺらと話を続けた。
「いやね、僕らも警察の真似事をしたいわけじゃないんだ。勿論、大事にしたいわけでもないが、動画内で行われていたことについては教員の皆様方にとっては指導方針との食い違いが発生しているんではないかとね」
「何か少しでも知っていることは無いかしら」
「ええ、なんでもいいのよ」
「勿論、君のことは誰にも言わないとも」
相槌すら挟む暇なく、立て続けに責め立てるようにして言われ、リドルは何度か目を瞬かせてしまった。
リンは何も言わない。いつもの微笑で、ただじっとこちらを見つめている。
自身に集中する、探るような視線への気持ち悪さを決して表に出さないようにして、リドルは毅然と言い放った。
「少なくとも、ボクの預り知る事ではありません」
リドルへと半歩詰め寄っていた大人たちは、揃って瞠目し、思わずといった風に身を引いた。
そして、それを見逃すリドルでは無かった。大人たちがたじろいだ、その事実がリドルの背中を力強く押してくれる。
「寮長として、一応、ボクの補佐を務める生徒から動画そのものについての情報を得てはいましたが、それだけです。ボクの知る範囲で、噂になっている様子も見受けられません」
「───」
「
……
そうか」
「貴方ほどしっかりした生徒さんがそう言うのなら、そうなのでしょうね」
おっとりとした風情の女性は、「もうここらで一区切りつけましょう」とひどく疲れた風情で言った。
「これから学祭で忙しくなるし、幸い、実害が何かあったわけではないのだし。大切な生徒さん達を疑うのは辛いわ」
「
…………
そうね。えぇ、もちろん、その通りですとも」
うむ、と鷹揚に何人かも首肯した。
「我々は生徒や教師の皆さんが不安なく学び、教育して頂けるように環境を整備するのが務め。守るべきものを糾弾しては本末転倒もいいところ」
「貴殿のおっしゃる通り」
「たちの悪すぎる悪戯でしたな」
「ええもう、まったく」
「ごめんなさいね、リンさん」
「ローズハートくんも、ありがとう」
「、いえ」
握手を求められ、リドルは戸惑いながらもしっかりと男の手を握り返した。
「君はとても立派だ。お母様や、お父様のご教育の賜物だろう。勿論、君の努力も忘れてはいけないが」
「───」
リドルは言葉を失って、目を見開いた。それでも、口はどうにか勝手に動いてくれて、「ありがとうございます」と男に返していた。
男は柔和な顔をさらに柔らかくして、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「学祭の準備、お互いに頑張りましょう」
「何かあったら言ってね」
「力になろう」
リンは笑みを深めて、「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。リドルもそれに倣う。礼儀正しい所作に、誰もが満足そうに微笑んで、律儀に礼を返した。
そうして彼等は、ナイトレイブンカレッジを後にした。
「
…………
」
「
…………
」
───お母様や、お父様のご教育の賜物だろう
男の柔らかな声が、脳裏で静かに反響する。
リドルは、拳を握り締めて、意識して呼吸した。なんだかとても胸が苦しかった。
リンが隣で大きく息を吐く。リドルは唇を引き結んで、喉を叱咤した。そうでなければ声が震えてしまいそうだった。
「
……
リンさん」
「ん?」
「ボク、
……
あんな風に、褒められたの、初めてで」
「あら」
リンは意外そうに目を丸くしたが、リドルは俯いていたので、それを見ることはなかった。
「
……
」
「
……
」
沈黙が場を支配する。
リドルは結局、自分が何を言いたいのか、隣に立つ大人に何を言って欲しかったのか、分からなくなってしまった。
新年度が始まったばかりの、エース達と真正面からぶつかった記憶が脳裏にふと蘇る。
あのとき。リドルは、これまでに信じてきた母の、自分のやり方を、積み上げてきたものを、真っ向から否定されたのだ。
「
……
厳しいお母さまだったんだっけ」
「、あ
……
」
はい、とリドルは消え入るように応えた。
リンはリドルの小さな頭をくしゃくしゃと掻き乱した。
「わ、」
「お母さまもさ。悪気なく、今まで厳しいやり方をしてきたんだろうと思うけど」
「
……
はい」
「少なくとも、教えてくれたことそのものは、間違ってなかったってことじゃない」
「───」
リドルは、吸い込まれるようにして、リンの方へと顔を上げた。丸く見開かれた瞳に、こちらへ視線を寄越すリンが、淡く微笑んでいる。
いつものリンの笑みだった。穏やかでいて、静かな笑みだ。
「たまにさ、分かんなくなって、忘れちゃうときが多いかもしれないけど。でもさ。良かったね、褒めてもらえて。リドルがお母さまと頑張った結果だね」
「
…………
はい!」
リドルはしっかりと頷いた。
溢れんばかりの笑顔に、リンもにかりと笑って見せた。
───お母様は、間違ってなかった。
───正しかったかと言われれば、それも違うと思うけど
誰かを信じて盲目になることは楽だ。けれどもそれは、本当の意味で、自分のためになることではない。リドルは、エース達に、トレイ達に教えてもらったから、もう知っている。
───少しずつ。こうやって、折り合いをつけていこう。
母を否定するのでも、ナイトレイブンカレッジで学んだことから顔を背けるのでもない。どちらも取って進もうと、リドルは改めて決意した。
◆
リドルと分かれた後、リンはちょってした解放感に包まれて、のんびりと人気の少ない放課後の廊下を歩いていた。
その脳裏で、様々な形の唇が、揃って同じように歪む。
───絶対にうちじゃないのに
───ねぇ
リンは心底からため息をついた。同時に、なるほどね、と再び独りごちる。
リンが年明け早々、急遽こちらの全国魔法士養成学校総合文化祭の案件に関わるように指示されたのはおそらく年末の実況動画のせいだろう。あの時分、ナイトレイブンカレッジに残っていたのはリンだけで、全容を知っているのも、学園関係者ではリンだけだ。
おそらく、このような機会に井戸端会議ならぬ鏡端会議で口の端に載せられることを察したクロウリーがリンに関わらせるように指示をしたのだろう。
リンは溜息を堪えきれなかった。
ナイトレイブンカレッジでは、スカラビアで騒動があり、その動画がネットに上げられたらしいことまで噂になっている。ジャミルがオーバーブロットしたことも、ほとんど周知の事実だ。
ただ、その情報が外に漏れることは無かった。自分の経歴になる学園でそんなことが起こったと世間に知られれば、己のキャリアに傷がついてしまうことを、皆が分かっているからだ。
こういうときだけ協調性があるんだから、とリンは感心するやら呆れるやら、とにかく言葉を失った。
どうもこの学園にいると隠蔽工作に手馴れてくるきらいがある。転職したいなぁ、とそこまで考えて、ふと、リンは息を詰めた。
───『転職したい』?
───『帰りたい』ではなく?
「
………………
『かえる』
……
」
───どこに?
斜陽が、音も無く影を伸ばしている。
「
……
うそでしょ」
ぽつん、と言葉が響かずに転がっていく。
リンはしばらく呆然としたまま、その場に立ち竦んでいた。
ともすれば、抱えていた資料を落としてしまいそうだった。目の前がくらりと揺れたようにさえ感じる。
───疲れているんだ。きっとそう。
そう、疲れているから。
普段の業務だけならこんなことにはならなかった。年末からこちら、本当にいろいろあったから。ストーカーに毒を盛られたり、急に仕事の担当を変えられたり、ここのところひどく忙しかったから、だから。
だから、そのせいで。
だって、そうでなければ。
───帰りたい世界のことを、何にも思い出せないなんて、そんなこと。
「リンさん」
「ッ、」
リンの肩がびくりと跳ねる。クロウリーの声だ。リンはそろりと声のした後方を顧みた。
「おや。どうしたんです、顔色が真っ青だ」
「、
……
いえ
…………
」
建物の影で、クロウリーの顔は隠れていた。首より下だけが、眩い斜陽に照らされている。
「たちの悪いものでも見ましたか? 夕暮れはいろいろ混ざりやすいですからねえ」
クロウリーは常の調子で言った。リンの脳裏に、ふと、とある言葉が浮かぶ。
───黄昏時
それは夕暮れ時を指す、古来から伝わる言葉だ。
斜陽による影でひとの顔が分からなくなる故に、「誰そ彼」と問いかける事が多かったから、この時分はそう呼ばれるようになった。
ヒトの時間が終わり、夜の時間が訪れる、狭間の時間。
すべての境界があやふやになり、混じり合う、時間。
『リンの故郷』に、古くから伝わる言葉だ。
『リンが故郷だと疑わない世界』に、古くから伝わる概念だ。
「オンボロ寮までお送りしましょうか。そうでなくとも、あなたは復帰したばかりですからね」
「
…………
いえ。まだ仕事が残っていますから」
「熱心ですねえ。大変結構」
では、夜道にお気をつけて。
クロウリーは、そのまま優雅に踵を返した。翻った濡れ羽の衣装が少しずつ影に溶けていき、やがて消える。
「あぁ、そうそう」
暗闇から、声が響く。リンは瞬きを忘れて、声のする影の世界を凝視した。
「これからもリンさんにはいろいろお任せしてしまうことになるかと思いますが、忙しさにかまけてうっかり大事なことを忘れる、なんてことがないようにお願いしますよ」
声が響く。石造りの廊下に、高くはないが、低くもない声が小さく反響する。
「
……
言われずとも」
絞り出されたリンの声は、やはり響かずに、ころりと転がるだけだった。
◆
ポムフィオーレ寮で行われた『Vocal & Dance Championships』のオーディションからあまり時を空けずに、ユウはアズールに対してシフトを変更したい旨を伝えた。
モストロ・ラウンジのVIPルームで、アズールは仕事片手にユウの話を聞いていた。
「なるほど、オンボロ寮を合宿所に」
「水回りの修理もして頂けるそうなので、背に腹は代えられなくて
……
」
ふむ、とアズールは思案する素振りを見せた。
確かにオンボロ寮の壁や床など、主に外装と呼ばれる部分は、リンがクロウリーと初期に行った交渉である程度の修繕が行われている様子だった。それ以降も、ユウとリンは二人でこつこつと空き時間を使ったり、食事を出汁に生徒へ頼んだり、様々な方法で住環境を整備していた。
だが、ライフライン系統の修繕は外装よりも申し訳程度のものだったようだ。たまにお湯が出なくなるんですよ、とユウも眉を寄せている。
「お困りごとがあるのなら僕を頼ってくだされば良かったのに」
「これ以上バイト増やされるのも学業に支障が出ますので
……
」
わざとらしく言ったアズールに、ユウは神妙な面持ちで答えた。「それはいけない」とアズールもしたり顔で答える。
「分かりました、いいでしょう。向こう
……
どれくらいの期間でしたか、合宿は」
「ええと、四週間です」
「四週間、ですか」
はい、とユウは頷いて言葉を続けた。
「リンさんも全面的に学祭へ関わることになったので、忙しくなるらしくって。となると、計十人分の食事を用意するのが私とグリムだけになってしまうんです」
「それは大変だ」
「私のキャパ的にはなんとかなるんですけど」
ユウはアズールが何か言う前に素早く言った。
「というわけで、平日はシフト無し。休日は、夕方には終わるシフトにして頂けるとありがたいです」
「いいでしょう。時に、ユウさん」
「はい」
アズールは、それはもうにっこりと、綺麗に微笑んだ。
「何かお困りのことがあれば、どうぞ遠慮なく、僕を頼ってくださいね」
「
…………
お気持ちだけ、有難く、いただいておきます
……
」
ユウは、できるだけはっきり、しっかりと、言葉を紡いだ。
ラウンジの営業終了後に話を聞いたフロイドは、「ええ~~~」と、とてもつまらなさそうな顔をして、ぐでんとユウの背後からもたれかかった。そのままつむじに顎を乗せて、がくがくと喋る。
「それじゃオンボロ寮で飯食えなくなるじゃあん」
「いだだ、いたいです先輩、痛い、」
ユウはこのバグった距離感を物ともせずに、よいしょとフロイドの顎を自分の肩に移動させた。フロイドは相変わらず「あうあう」と顎をがくがくさせている。
「あー、この姿勢疲れるわ。やめよ」
今度はユウの肩で頬杖をついたフロイドに、ユウは微妙に眉をしかめながら「四週間ぽっちですから」と言葉を重ねた。
「だって放課後に練習するのもお休みっしょ?」
「小テスト前にお休みするのと同じですよ」
「ええ~~~長えよォ~~~」
長い手足がぶらぶら揺れる。それにつられてユウの体もふらふらぐらついた。
「まるで海藻のようですねえ」
様子を見ていたジェイドが忍び笑いを零す。こけないように気をつけながら、ユウは「きっとあっという間ですよぉ」とフロイドに向けて言った。
「マジ? あっという間?」
「あっという間」
「アッ!!
……
四週間経った?」
「クソ面白いなこのひと」
「知ってるぅ」
言いながら、フロイドはユウを抱えてぐるぐると振り回した。うわあというユウの大声が遠心力で遠くへと響きながら円を描く。
「ねー、俺も泊まりに行きたあい」
「キャパ的に無理ですう」
「飯持ってくからあ」
「勘弁してくださいい」
フロイドの長い足がテーブルライトを蹴飛ばしかける寸前で、ジェイドがひょいとそれを持ち上げた。フロイドとユウはアズールが売り上げ計算で忙しいのをいいことに、まだわあわあと言い合っている。フロイドのおねだりも長引いているが、断るユウも相当なものだ。これは余程ユウとしてもキャパシティ的にいっぱいいっぱいなのだろう。
「ちぇ。小エビちゃんのケチ」
「ぶわ、」
ぼすん、とソファに投げ出されて、ユウは何度かけほけほと咳込んだ。脳みそがぐわんぐわんと揺れているが、何度か深い呼吸をして気分を落ち着けさせる。
少し離れた場所で、フロイドがどこか手持無沙汰風に長い腕をぷらぷらとさせていた。その口は尖り、あからさまに拗ねた表情をしている。
「知らね。もう勝手にすれば」
フロイドは、そのままのっそのっそと寮の方へ歩いて行ってしまった。ラウンジの後片付けはサボるのだろう。
仕方ない、フロイド先輩の分までやるか、とユウは嘆息しながら立ち上がった。
「フロイドが、すみませんね」
ちゃっかりモップを手渡しながら、ジェイドが少しだけ体を屈めた。ユウは小さく笑って、それを受け取った。
「いいですよ。なんだかちょっと、私との時間を気に入って頂けていたようで、嬉しいです」
「ポジティブですねえ」
「はは
……
、
……
でも、
……
私も
……
住環境のためとはいえ、ちょっとしんどいかも
……
」
十人分の食事とトレーニングのサポートを、四週間。
ステージに立つために努力をするパフォーマー達だって大変なのは分かっている。けれども、それをグリムと支えなければならないユウも、文字通り大変だった。家事は労働なのだ。ただでさえ勉強について行くのが精一杯なのに、これ以上は本当にキャパオーバーする。
それに加えて、今回は、頼れるリンとて事務員の仕事が忙しくなるのだ。ユウとしては、あまり負担をかけたくなかった。リンは気にするなと言うだろうが、彼女がどこか疲れた風情を醸し出すのが増えていることを、ユウはとっくに気が付いていた。
───最近は、特に
……
───珍しく、一日休んでいたときもあったくらいだし。
四週間。二十八日間。約一ヶ月、休み無し。
それはパフォーマー達も同じことだ。自分だけが大変じゃないということを、ユウはきちんと分かっている。
それでも、弱音を吐きそうになってしまう自分がいる。ユウは、険しい眼差しで、自分の爪先を睨みつけた。
その顎を、長い指が掬い取る。
「ほぁ、」
自然、ユウの顔はまっすぐに上げられた。
「いけませんね」
「は、」
「あんまり俯くと、呼吸がしづらくなってしまいますよ」
僕は背が高いから、よく分かるんです、とジェイドは穏やかに言った。
「
……
はぁ
……
」
「どうせアズールも同じことを言っているんでしょうが、フロイドは素直になれなかったようですね」
「
……
フロイド先輩はいつも素直では?」
「確かに」
くすりと笑ったジェイドは、ユウの顎からするりと指を抜き取った。
「ユウさん」
「はい」
「いつでも、頼って頂いて構いませんからね。喜んでお手伝いにいきますから」
「
……
でも、申し訳ない、というか
……
対価が
……
」
「おやおや。これはこれは、寂しいことを仰いますね」
ジェイドがわざとらしくしなを作る。ユウは思わず半眼になった。
「騙されませんよ」
「ふふ。嘘は言いませんよ。送迎の対価と同じことです」
「
……
それがキャパ越えってんですよ
……
」
呻くユウに、ジェイドはただ、笑みを深くするだけだった。
◆
サバナクロー寮の談話室にスマホの着信音が響いたのは、夜もたけなわという時間帯だった。
談話室には夜行性の獣性の名残故に起きている生徒も何人かいたが、人影はまばらだった。寮長であるレオナは、ラギーに作らせた夜食を食べ終えて、部屋に戻ろうかと欠伸をしていた。肩からずるりと分厚いショールが落ちる。
「レオナさん、スマホ」
「
……
誰だ」
「えー
……
、お、珍しい」
ラギーの大きな耳がぴこんと跳ねる。ラギーは勝手に着信を受けると、「もしもし、こんばんわっス~!」と元気に言った。
『あれ? ラギー? こんばんわっス~、番号間違えたかな』
「レオナさんの携帯にかけたなら間違ってねえっスよ!」
ラギーの手からスマホを寝ぼけ眼で乱暴にひったくったレオナは、スピーカーをオンにすると、てきとうにテーブルの上へ放り、自分は楽な姿勢を取った。
「つーかリンさん、俺と電話番号、交換してねえっしょ」
『チャットアカウントは知ってるじゃない』
「ショートメッセージ派なんスよね~」
マジカメアカウントやチャットアプリも器用に使いこなすラギーは、飄々と嘯いた。
「つーか単純にリンさんの番号欲しいっス」
『はは、なにそれ。いいわよ、レオナに聞いといて』
ラギーはちらりとレオナを見やった。レオナはハン、と片頬だけでラギーをせせら笑うだけだった。
「リンさん、だめだこのひと、教える気ねえっスわ」
『狭量な男はモテねえぞ~』
「知るかよ
……
」
レオナはげんなりとしながら言った。
「くだらねえ用しかねえなら切るぞ」
『ああ待って待って、あんたチャット見ないし昼間はどこ行っても見つからないんだから』
「
……
」
メッセージなら見てる、と言いかけて、レオナは口を閉じた。見ているだけで、既読をつけていないからだ。ここは変に口を出すより黙っていた方が早く話が終わると判断したレオナは、甘んじてその誤認を受け止めた。(リンにとっては誤認でもなんでもない)
「昼間は見つからなかったって、レオナさんに何か用だったんスか?」
『というか、あんた達ふたりにね』
「?」
ぴこん、とラギーの耳が揺れた。レオナは黙って視線だけで煌々と光るスマホ画面を見下ろした。
『こっから先、四週間はウチに来ないでほしいのよ』
「えーっ!? なんでまたそんなご無体なこと言うんスか!! 俺達なんかしました!?」
「却下だ」
『即レスじゃん』
通話口の向こうで、リンが肩を揺らして笑った気配がする。ラギーとレオナは、思わず顔を見合わせた。
『これから四週間、ウチをVDCの合宿に使うんですって。一ヶ月休み無しで十人の世話しなきゃなんないから、あんた達の分までご飯作ってる暇ないのよ』
「十人も十二人も同じことじゃねえっスか」
スラム出身のラギーが食いつく。『私もユウもキャパ越えるのよ』リンは嘆息混じりに言った。
『十人よ。食べ盛りが十人。単純に倍よ』
「金は」
『学園長が補助金出してくれるから、大丈夫。ありがとね』
「どんくらいせしめたんスか?」
『十万マドル』
ラギーはひゅうと口笛を吹いた。流石リンである。抜け目はないが、容赦もしている。
一人当たりの食費を月一万円とするには、かなり節約しなければならないからだ。食べ盛りの高校生ともなれば、猶更である。
しかし、レオナは不満そうな顔を崩しはしなかった。
「どうしてこの俺がアホ共に遠慮してやらなきゃなんねえんだ」
「そうっスよ、メンバーってオーディションにいた奴っしょ? えーと、流石にオルトくんは受かってないとして
……
、」
ラギーは、指を折って少し前のオーディションを思い返した。
「エースくんとデュースくん、あとはジャミルくんにカリムくんもいたかなあ。あとはディアソムニアの
……
リリアさん? こっから何人受かったんスか?」
『エースとデュース、それとジャミルとカリムも聞いてるメンバーにいるわね』
「じゃあ
……
十人からこの四人とリンさん達三人を差し引いて、残るは三人
……
」
誰だろう、とラギーが小首を傾げる。大体の面子を予想できたらしいレオナは、思いっきり顔を顰めてスマホ画面を睨みつけた。
『残りの三人はエペルくんと、寮長のヴィル・シェーンハイト、あとはルークね』
「ルー
……
ク、さん
……
ッ!」
レオナは特大の溜息をついた。ラギーは衝動的に「うがあ」と唸って立ち上がり、文字通りに頭を抱えた。
『やーっぱり相性悪いのね』
「悪いなんてもんじゃねースよ!! オレ絶対しばらく近付かねえっスから!! 頼まれても行かねえっスからね!!」
ぎゃんぎゃん騒ぐラギーとは対照的に、レオナは険しい顔のままリンに訊ねた。ルークを呼ぶリンの語感が気になったのだ。
「知り合いか」
『ちょっと前にね。狩人を自称するくらいだからあんた達とは相性悪そうだなって予想してただけよ。当たってるみたいだけど』
「あいつこそマジのストーカー野郎だぜ」
『知ってる。この間、尾けられた。追っ払ったけど』
「
……
そうかよ」
「
…………
」
事情を触りだけでも知っていたラギーは、沈黙を貫くことにした。リンさんを尾けるだなんて、と眉を寄せてそれらしい顔を取り繕うだけにする。何かしら知っている素振りを見せれば、何故言わなかったとレオナに眼光鋭く射抜かれて責められる気しかしなかったからだ。
「
……
仕方ねえな」
『ありがと。助かるわ』
リンが息を吐きながら言う。電話口から聞こえるその様子に、レオナとラギーは思わず顔を見合わせた。
「
……
リンさん」
『ん?』
「もしかしなくても、疲れてます?」
『あー
……
ちょっとね、急に学祭の方の仕事も振られちゃって、それで。ランチ休憩も最近は外に行く余裕が無くて
……
』
「
……
大丈夫なのか?」
レオナの言葉に、ラギーは心底から驚いて、まじまじとレオナを見やってしまった。ひとってめちゃくちゃ驚くといっそ静かに驚けるんだな、と変な知見まで得てしまう。
───まさかレオナが、ひとの心配をするなんて。
ラギーの視線に気付いたレオナは、「何見てんだ」とでも言いたげにラギーのそれを真っ向から見返した。
通話口の向こう、吐息だけでリンが笑う。
『大丈夫よ。
……
ありがとね、レオナ』
「
……
」
『ラギーも。心配してくれてありがと』
「あ、いや、ウス」
ラギーは慌てて返事をした。リンは気にせずに、『夜分遅くにごめんね』と話を切り上げた。
『二人とも、お休み。いい夢を』
「ん」
「おやすみなさいっス」
ぷつ、と通話が終わる。レオナは少しだけスマホを操作したが、すぐにポケットに突っ込んだ。リンの電話番号を聞こうとしていたラギーは、「あ、」と声を上げるだけで、また明日でいいやと思い直した。もう夜も遅い。
「それにしても、四週間、リンさんの飯無しかあ」
逆に言えば、四週間もの間、憎き他寮の生徒はリンの手料理にありつけるということになる。ラギーは素直に羨ましいなあとエース達を妬んだ。
レオナは無言だった。立ち上がる拍子に椅子が音を立てるが、それだけだ。
「レオナさんもおやすみなさいっス」
「ん」
「
……
服はちゃんと洗濯カゴに入れといてくださいよ~」
ラギーの間延びした声に、レオナは答えなかった。尻尾すら揺れない。
───
……
でも、おやすみに反応されたのは初めてだな
……
───というか、今までちゃんと挨拶とかしてたっけ。
不意にそんなことを思いついたラギーは、寝る前にちょっとだけ、羊を数える代わりに、自身を顧みることにしたのだった。
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