桜霞
2022-10-01 17:47:07
49262文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

監督生をおれが守る(フライパンを胸に)

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/01/28にpixivに投稿したものの再掲です。






 あれれぇ、おかしいぞぉ、とリンは死んだ目をしながら書類を捌いていた。
 リンのデスクの前にはそれはもうたくさんの資料が積み上がっている。会場設備や必要備品数、マスコミ対応やVIPの案内まで、その内容は多岐にわたっていた。
……おかしいなぁ」
 リンは目の前の、どう頑張っても減らない書類を睥睨した。
 減らないのだ。どうしても。どう頑張っても書類が減らない。なんで? とリンは心底から眉を寄せて首を傾げた。

 ───事務ってこんなに忙しかったっけ?

 作業を処理する以外の方向に脳みその思考回路がなかなか切り替わらない。一つ一つの仕事はすぐに終わっているはずなのに、いつの間にか時間は経ち、書類の山は切り崩せない。何故だ。
 それでも手を止めるわけにはいかない。リンは嘆息しながらキーボードをカタカタ言わせるのを止めなかった。
 そこへ、資料がばさりと追加される。キーボードの音がぴたりと止まった。
 視線だけで資料を持ってきた御仁を見上げたリンは、今日もきっちりとした服装を身にまとい、猫を抱えているトレイン教授に「なんですか」と感情のこもっていない声で言った。
「追加だ」
「エヴ」
「そして休憩だ」
「はい?」
 資料の山の頂上に、可愛らしい猫のマグカップが置かれる。白い湯気をやんわり漂わせているそれからは、甘い香りがした。
 トレインは視線をリンから事務室の外へ移した。それにつられたリンは、目を丸くした。
 事務室の外では、カリムがにっこり笑って手を振っていた。


 真冬の寒さが居残る外で過ごそうという生徒はなかなかいない。リンとカリムはそれぞれ防寒対策をして、人通りの少ない場所で隣り合って座っていた。
 リンはトレインに差し入れてもらったマグカップを両手で持って暖を取っていた。中身は程よい甘さのココアだった。ちみちみ飲んでいると、体の中から温まっていく。
「ごめんな、忙しかったか?」
「うん。まあこの時期はどうしても忙しくなるらしいから」
 気にしないで、とリンは目元を緩めた。寒さのせいか、肌がつっぱってしまう。カリムは「そっか」とどこか安堵したように言った。
……今日はさ、リンさんには報告しとこうと思って」
「ん?」
 何のだろう、とリンは何度か瞬いた。
「リンさんと、あとユウには世話になったからさ」
…………あぁ、」
 ようやく合点のいったリンが何度か頷く。
「あの後、実家に帰って話したんだっけ」
「うん。……俺、安心した」
「ん?」
「あの日の夜のことには、ジャミルの父ちゃんと母ちゃんは関わってなかったから」
……それは良かった」
 ジャミルが己の主であるカリムを裏切り、寮長の座を狙って策略を巡らせていたことがインターネットでライブ配信されたあの日。
 とある集団が無断でナイトレイブンカレッジに侵入した。
 彼らはスカラビア寮内へ移動、後にカリムとユウ、リン、そしてリンを手伝ったフロイドによって撃退され、一時的に捕縛された。そして、熱砂の国へと送り返されている。
「うちほどじゃないけど、バイパーの家も結構でかいんだ。ジャミルには妹がひとりいるだけだし、四人家族なのは間違いないけど、えーと……名前は違うけど血は繋がってる? 家族には違いない? んだって」
……外戚関係か祖父母以前からの親類縁者なんだろうな」
 首を左右に傾げながら話したカリムは、リンの言葉に「そんな感じのことを聞いたな!」と朗らかな笑顔で言った。リンはちょっとだけ遠い目をしてしまった。
……うちも、親戚同士ではいろいろあるけど……バイパー家の中でもいろいろあるらしくて……
 先日の一夜の騒動は、バイパー家の中でも一部の人間が先走った故に起こった出来事なのだと、カリムは続けた。
 ジャミルは主を裏切った。守るべき、立てるべき存在を貶めようとした。それは許されざる行為であり、これまでにバイパー家が築いてきたアルアジームからの信頼や対外的な家の地位などを全て水泡に帰すような行いだった。信用が失われるのは一瞬だ。
 事は既に何者かの手によってインターネットに公開されている。アルアジーム家当主に露見するのも時間の問題だ。
 できるだけ早くに片をつけなければならない。それにこれがジャミルの両親に勘付かれてしまったら、いくら同じ従者としてアルアジームに仕えていても、大事な息子であるには違いない。必ず止めに入るだろう。
 バイパー家の中で最も実力のある男に邪魔をされてはかなわない。すべては一族存続のためである。
 そして彼らは、行動を起こした。

 ───彼らの動きを読んでいたカリムに、阻まれてしまったけれど。

「ジャミルがオーバーブロットしたのは……俺達でやったスカラビアの特訓のせいだってことになった」
「あながち間違ってないな」
「だろ? でも、親父はそれ以外にも何か原因はあったんじゃないのかって、俺と、ジャミルの家族だけを集めてさ。いい機会だと思ったから、『ジャミルがずっと俺に遠慮してた』っていうことだけは伝えたんだ」
「おぉ」
 遠慮、とカリムの父であるアジーム家当主は、少しの間、不思議そうな顔をしていた。だが、カリムが「従者としてそういうふうに振舞っていた」と口にすると、すぐに目の色を変えてジャミルの両親、主に父の方を見やった。

 ───まさか、お前も?

 カリムは、愕然とした父の表情を、声を。初めて目の当たりにした。

 ───私は。己を偽ってまで、私を。この家を、守ってくれている者がいることにさえ、気付けなかったのか?

 滅私奉公と、言ってしまえば聞こえはいいが。
 自ら望んでそうあるのと、生き残るために仕方なくその手を使うのでは、意味合いがかなり変わってくる。後者であるならば、それはただの拷問だ。
 ひとは皆、意思を持ち、思考する葦なのだ。そこには個が存在し、そしてそれは一番に尊重されなければならない。
 たとえその各個人が、主従という立場にあろうとも。

 ───アジームは。ずっとバイパーをないがしろにしていたのか。

 よろめくアジーム当主に、しかし、バイパーは駆け寄って「それは違います」と言い縋ることはできなかった。
 跪いて、許しを請うことはできなかった。
 頭ではそうしなければならないのが分かっているのに、どうしても四肢が動かず、言うことを聞かなかったのだ。バイパー家当主は呆然として、顔を覆って俯く主人を見つめていた。
 カリムと違い、歳を重ねて成熟しているカリムの父は、「自分たちを利用していたのか」などと糾弾することはもちろん、「自分のせいだ」とは決して言わなかった。バイパー家がこれまでずっと「遠慮」という選択肢を取ってきたことの意味やその背景を察するには余りあるほどに、アジームはバイパーと時を共に過ごしていた。

 ───……お前たちが遠慮しなければならないほど、私達には主人としての器が無いということだな

 ───っそんな、ことは、

 震える声を絞り出したのはジャミルの母だった。
 彼女の握りしめる拳は小刻みに震えていた。呼吸は落ち着かず、胸は不規則に大きく上下していた。

 ───いや。……これを機に、バイパーを自由にしてやることもできるが。

 静かに言ったアジーム当主に、ジャミルの母がびくりと体を強張らせる。

 ───私にとっては枷を外すことになっても、外から見ればそれは、ただの追放だ。お前たちには何の非も無いのに

 ───いいや。これを選んだのは俺達だ。

 ジャミルの父がどこか感情の抜け落ちた声で静かに反論する。その言葉遣いに、母御は今にも気を失ってしまいそうだった。

 ───……なぁ、バイパー。たとえお前たちが私達を利用していたのだとしても、私達はそれに幾度となく助けられた。私がまだ生きているのは、カリムがこの年になるまでなんの後遺症も無く元気でいられるのは、バイパー家の尽力あってこそだ。

 二人は押し黙った。アジームは、真正面から二人としっかり向き合って、言葉を紡いだ。

 ───そんなお前たちに、私はお前たちの望まない滅私奉公なぞ強いたくはない。遠慮せず好きなことをやって生きてほしい。……それでも。

 ───それでも。お前たちにこそ、アジームを支えてほしいとも、思う。

 だって彼ら以外には任せられない。
 この命を。大切な者の命を。預けて任せることなど、できやしない。
 アジームは、どこまでもまっすぐに言った。

 ───私は、お前たち一族を守るために、この家に仕えてくれと言うことしかできないが。その代わり、お前たちのその選択がいずれお前たちの誇りとなるよう尽力する

 ───お前たちが已む無く選択するのではなく。自ら望んで、仕えることをこそ誇りと思えるような主人となることを誓おう。

 男の言葉は、どこまでも誠実な響きに満ちていた。
 まるで永劫にも似た時間が流れた。やがてバイパー家が、「分かった」と険しい顔のままに応えた。

 ───お前に、賭けよう。

 カリムは、瞬きすることも忘れて、その光景をじっと見つめていた。
……父ちゃん、かっこよかった。俺は、ジャミルと対等な立場で、友達に、ライバルになりたかったけど……ジャミルは嫌だって言ってたし……
 お互い遠慮しないことにしたけど、とぼそぼそ言って、カリムは目を伏せた。
 父親同士の在り方は、カリムにとってはどこか寂しさを覚えるものだったのだ。
……ま、親父殿は親父殿で、お前はお前だからな」
「!」
 ぱ、とカリムが顔を上げる。その瞳には、明るい光がきらきらと煌めいていて、リンは思わず苦笑した。
「そうだよな! 俺たちは俺たちで頑張る!」
「おう」

 ───頑張れ、ジャミル。

 リンは生温い笑顔を浮かべながら、これからのジャミルの苦労を想った。
「改めて。リンさん、あの夜はありがとな」
「はいよ」
「ユウにも、俺から『一応丸く収まった』って言っとくよ。時間無いし、ジャミルもいるだろうから、詳しいことは話せないかもしれないけど」
「いいよ。私が補っておこう」
「おう! 頼んだ! ありがとな!」
 カリムは太陽のようににっかり笑って、元気よく校舎の方へ戻って行った。じゃあなー! と明るい声がぼんやりと響いて消えていく。
 軽く手を振り返してやって、リンはすっかり冷めたココアを飲み干した。
 心做しか、先程よりも頭が軽い。視界がクリアだ。
……糖分補給って大事だな……
 リンはしみじみ独りごち、さて、と気合いを入れ直した。
 書類の山はまだ残っている。運営委員長のリドルに幻滅されないように、こちらも頑張らなければ。
「頑張るぞぉー。いや寒い」
 伸ばした体をぶるりと震わせて、リンは小走りに事務局へと戻って行った。