桜霞
2022-10-01 17:01:01
52354文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

三分の一の純情なすのびずむ

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/08/24にpixivに投稿したものの再掲です。







「強化合宿?」
 胡乱気に言ったのはジャックだった。
「寮ごとにやる、アレか」
 デュースの言葉に、うん、とユウは頷いた。
「あれを、オンボロ寮でもやろうと思って。でも、私とグリムだけじゃ実質一人だけだから……
「なーるほどね。一年でやろうってわけ」
「小テストも近いしな。僕はいいぞ」
 エースとデュースが乗り気な様子を見せてくれる。ユウは良かった、とほっと胸を撫で下ろした。
「俺も別にいいが……急にどうしたんだ」
 首を傾げるジャックに、ユウはがさごそと鞄をあさってスマホを取り出した。
「うん。フロイド先輩が、今朝になって『手伝うから寮行きたい』って言いだして」
「おー……
 確かに、ロック画面の通知にはそれらしき文言が並んでいた。
「ジェイド先輩も『会って話したいことがあるからお邪魔したい』って言ってきて」
 確かに、ロック画面の通知の下の方には、それらしき文言が並んでいた。
「まーた未読無視してやがんのか」
「キマッってるな……
 エースが呆れたように言って、デュースがどこかキメ顔で言う。華麗に黙殺し、ユウは言葉を続けた。
「でもさ、もう喧嘩のダシにされるのは嫌なわけ。ここでリーチ先輩達にいいよって行ったら、サバナの先輩達がまた何かしそうな気がして」
 話を聞いていたエペルが眉を下げた。
「やっぱりダシにされてたんだべな……
「もういっそ殴り合ってほしいんだけど、それじゃあ問題にしかならないってわけで、物理的に距離を取って、元々の『気に食わねえけどいざ手を出すと面倒なんだよなこいつら』という立ち位置に戻って頂こうかと」
 ユウの目標を聞いた一同は揃って苦笑した。
「ほとぼりが冷めるのを待つってことか」
「なあなあに済ませる感じな」
「どうせ元から仲良くないしな」
「ま、それが一番現実的じゃね? 後はユウが、お互いがお互いを避けるように仕向けたら、もうこんな綱渡りみたいなこともせずに済むだろ」
 ユウが半眼でマジフト部の活動とバイトが被らないようにしなきゃ、と独り言ちた。
「で、強化合宿ってことで、寮のキャパいっぱいにして、定員オーバーです受け入れられません的な感じにするの?」
「うん、あとは私とリンさんの提供できる料理のキャパ」
「なるほどね」
 物理的に無理だと分かれば、リーチ兄弟も無理矢理押し入るというようなことはしないだろう。
 ジャックが今までの食事を思い返しながら、ひいふうみい、と指を折った。
……マックスで、大体五人分くらいか?」
「それだと、ボクたちじゃあ定員オーバー……かな……
「流石になぁ」
 それなら、とデュースが手を挙げた。
「前みたいに皆で割り勘して、デリバリー頼むのもアリじゃないか? それか、この間の餃子みたいに皆で作るとか……
「今日から週明けまでってなると、四日分か。確かに、余ったらオンボロ寮で使えばいいし、材料を買うだけなら、いつも食堂で食ってるのと比べても安く済みそうだな」
 前向きに同意するジャックに、エペルが実は、と声を弾ませた。
「僕、前からリンさんに、料理、教えてほしかったんだ!」
「ほんとに? それじゃあ今度はタコパしよ!」
「おっ、いいな」
「いっぱい作っていっぱい食うんだゾ〜!!」
 ユウの発案に、デュースが前のめりになった。グリムも嬉しそうにぴょんぴょこ跳ねる。エースがぱん、と手を叩いて場をとりまとめた。
「よし、決まり! 流石に四日連泊はいい顔されねえだろうし、今日明日は通って、デリバリーか食堂。土日はオンボロ寮に泊まろうぜ。タコパ他も土日」
「それがいいな」
 勿論、部活や寮での決まり事に顔を出さなければならないので毎日オンボロ寮に行っているわけではなかったが、それでもここ最近の頻度は目に余る。
 咎められることではないとは言え、寮長達に「何やってるんだ」と目をつけられそうになっている自覚は、各々にあった。
 ユウも、それが分かっているので、寧ろエースの案にしてくれとばかりに「賛成賛成!」と繰り返した。
「分かった。ヴィルサンに外泊届け出さなきゃ」
「セベクには俺から言っておく」
「私もチャットしてみるね」
 話がまとまれば、後は早い。
 メッセージを飛ばすと、セベクも了承の旨をすぐさま返事してくれて、ユウはなんだかんだ週末が楽しみになった。





 ◆





 そして、特に何事もなく、週末がやってきた。
 リンは割れた皿を持ってクルーウェルと共に出掛けて行った。
 談話室で思い思いにくつろぎながら参考書やノート、教科書を広げていたユウ達の中で、ふと、デュースが声を上げた。
「リンさん、今度はどんな風になって帰ってくるんだろうな」
「ぜってー美人、写真撮ろ」
 そんで兄貴に自慢する、とわざとらしくふざけながらエースが言った。
「でも、今回はそういうの無し、ってリンさん言ってたよ」
 たぶん……と弱々しく言っていたリンの姿が思い返されるが、クルーウェルとて無理強いはしないはずだ。
 しかし、エースは意地悪く笑った。
「いーや、あるね。だって二人とも夏服持ってないじゃん。ユウのはまた今度一緒に行こうぜ」
「ジャックかエペルかセベクか、後ろに乗せてください」
 すぐさまエースとデュースに背を向けたユウに、二人はこぞって口を尖らせた。
「お前それがマブに対する態度かよ!!」
「飛行術の成績で選んでんじゃねーよ!!」
「そりゃ飛行術の成績で選ぶよ」
 年末にトレイの後ろに乗せてもらったのだって、マブダチ二人よりも箒で飛ぶのが上手いからだ。
 エペルとジャックは、「勿論、いいよ」「任せとけ」とすぐに頷いた。セベクも「仕方がないな」と嘆息する。
「仕方がないついでに急かしてやる、手を動かせ!!」
 途端に、うぇえぇえという呻き声が談話室に響き渡った。主にエースとデュースとグリムだ。エペルもソファにぐったりもたれかかったし、ユウは大の字になった。
「飛行術……飛行術やりたい……
「ちーいさーいころーはー……かーみさーまーがーいーてー……
「お前飛行術のときにその歌よく歌ってるよな」
「魔法史のこの部分なんだがなんでこんな前後関係になるんだ? おかしくないか? 僕だけ違うものを見てるのか?」
「なんでお前のノートだけこんなに歴史改変が起こってるんだ?」
「遡行軍にでも襲撃されたんでしょ」
「あ~~~錬金術まじクソわけわかんねぇ~~~」
「クッ、人体錬成とか炎錬成の陣なら今すぐ描けるのに……!」
「たまに発揮されるお前の謎知識なんなの?」
「ユウとグリム、あとなんだかんだ進んでるエペルはともかくとして」
 ジャックが放り投げられたノートを上手くキャッチしながら言った。
「お前ら、ミドルのときに何してたんだ。ここらへんに載ってる薬草の知識なんか、ここに来るまでに習うだろ」
「は? 学習指導要領ちゃんと確認してからそういうこと言え」
「え? 習わないのか?」
 ジャックは心底意外そうに瞬いた。
「山とかに校外学習に行くだろ」
「は? 行かねーよ」
「あ、僕もあったよ。近所の……そういうのに詳しい人を招いて、特別講義……みたいな……
「えぇマジ? なんでオレんとこ無かったの?」
「僕の所にも無かったな……
 薔薇の国出身者がいいなぁ、と羨ましそうに言った。錬金術などの魔法薬を扱う授業には材料となる薬草やマジックアイテムの知識が必要不可欠なのだが、とにかくその数が膨大で、覚えるのに難儀しているのだ。
「薬草の話なんか、将来、薬屋やりてえ奴とかしかしてねえもん」
「これが『ご当地』ってやつか……この世界にもあるんだねえ」
 どこか遠い目をしながらのんびり言って、ユウはやけっぱちで古代呪文学の課題の翻訳を書き連ねた。横から覗き込んだセベクが訝しげな顔で「なんで文法はあってるのに単語だけ見事に間違えるんだ?」とユウをまじまじと見やった。ユウは顔をしわくちゃの電気ネズミのようにしながら名詞と動詞の部分をぐりぐりと黒く塗り潰した。
「もう真面目にやってるだけ褒めてほしいわ」
「これは……『じ』……? いや、かぎ針……?」
「あっだめだデュースがゲシュタルト崩壊してる」
「デュースクン、いったん、目を閉じよう」
 皆(※一部)、訳が分からなさすぎて煮詰まっている。こりゃあダメだな、と誰もが頭を振って脳みその中を物理的に整理しようとしたときだった。
 ブーッ、とブザーが鳴り響く。あ、リンさん帰ってきたな、と誰もが顔を上げた。
 がちゃがちゃと鍵を弄り、ドアの開く音がしたので、リンを出迎えようと、ユウを筆頭に皆が腰を上げる。
「、ん?」
 しかし、ユウは思わず立ち止まった。廊下に響く足音は、リンのものと言うよりも、授業前によく聞く成人男性のものに近いような───
「話は聞いたぞ、仔犬共!!」
 バァン!! とそれはもう勢い良くドアを跳ね飛ばす勢いで登場したのは、まさかのクルーウェルだった。どわぁ、と反射的に後ずさったユウをエースとデュースが支える。グリムは驚きの余り「ふなぁ!」と叫んでころんと後ろ向きに転がって、ジャックの足にぶつかった。
「喜べ。この俺が直々に面倒を見てやろう!!」
「マジィ!?」
「いいんスか!!」
 目を剥くエースとは対照的に、デュースが目を輝かせた。
「嘘だろ……何してんだよリンさん……
 エースが正直にがっくりと肩を落とす。
「でもエース、これでここの意味不明だったとこ聞けるぞ」
「それ魔法史じゃん!! つーかお前のノートの取り方のせいじゃん!!」
「いやもう教科書の説明も訳が分からない」
「どれ、見せてみろ」
「分かんのかよ!! すげーな先生!!」
 クルーウェルの登場で一気にザワついた談話室に、荷物を部屋に置きに行っていたリンがひょこりと顔を出した。
「ただいま~。はい、先生からの差し入れのアイス」
「、お、おぉ……!」
「ウッワクソ高えやつだーーーッ!!」
「先生大好き!!」
「知っているとも」
 クルーウェルが満足気に微笑む。リンは苦笑した。
 毎度のことだが、錬金術は強化合宿には含まれない。特殊な飛び方を教わる飛行術や、歴史に対する解釈の深堀、学会で報告された新発見について講義できる魔法史と違って、理系科目は予備知識が肝となる。強化合宿で複雑な工程を要するものを講義しても、豚に真珠となるだけだ。つまりは無駄に終わる。
 しかし、それはそれ、これはこれ。どうやらクルーウェルは強化合宿なるものに参加したい意思はあったらしく、今回の話をリンがうっかり零してしまうと静かに目の色を変えたのだ。
「ごめんねえ、私では止められなくって」
「いや……てかリンさんめっちゃくちゃグレードアップしてねえ? ヤバくね? 変わってないのに変わりすぎててやばい、なんかいい匂いする」
「香水ッスか」
「いやもう、私にも何が何だか……
 出掛けた時とは化粧が違う、そして服も違う。髪にも艶が溢れんばかりで、爪の先までがぴかぴかに磨かれていた。
 その割に、リンはどこか疲れたような雰囲気を纏っていた。気だるげなそれが、逆に色香となって、一つ一つの仕草に、こどもたちはドキリとした。
「こ、今度は何されたんですか、リンサン」
「仔犬、他に言い方は無かったのか」
「サロン連れてかれた……あとはひたすら夏服見繕ってた……
「経費アゲインですか」
「自分のやりたいことを叶えるために生きてるんだって……くっ、経理の人がどんな顔するか不安だ……!」
「リンさん、心を強く持ってください」
「アイス食べて元気出して」
 ユウと、着せ替え人形にされる辛さを知っているエペルが揃ってリンを労った。
「さて。お前たち、何をどこまでやっているのかそれぞれ俺に報告しろ」
 びしりと指示棒が空を切る。主にエースとグリムが「ヒェ……」と肩を震わせた。





 夕方からぎゃあぎゃあわあわあ騒いだせいもあってか、一年生たちは早々に体力を使い果たして、皆がジャックのように十時にはベッドに倒れ込んだ。
「部屋は別なんだな」
「あ、はい」
 クルーウェルも、今日はオンボロ寮に泊まることになった。元々宿直の予定だったのだ。
 鍵は私が管理してます、とユウはここ最近使えるようになったばかりの部屋の鍵をクルーウェルに手渡した。副寮長室の次に大きい部屋だ。
「ここ、クルーウェル先生の部屋にしますね」
……本気か?」
「他に使う人もいないので……ウチに泊まるときは私に言ってくださいね。鍵をお渡ししますから」
 こっちです、と案内しながら、ユウは話を続けた。
「皆とは、たまに談話室で雑魚寝するときもありますよ。マットレスと毛布を運んで……ぐだぐだしながら課題やって寝落ちたり」
「そうか。学生らしい……まァ何事もなければそれでいいが」
「フライパンあるので大丈夫です」
「確かに」
 クルーウェルは喉の奥でくつりと笑った。そして、ところで、と話を切り替える。
「今回の強化合宿、お前が発案らしいな」
「、あ…………はい」
 いつものようにはきはきと返事をするかと思いきや、ユウは眉根を寄せて、俯くように頷いた。その様子が意外で、クルーウェルは何度か瞬いた。
……どうした?」
 そっと訊ねると、ユウは反射的に顔を上げて苦しそうな表情を見せたが、けれどもまたすぐに下を向いた。
……私が、強化合宿をした理由は、リンさんは……
……まぁ、多少、聞いてはいるが」
 クルーウェルも巻き込まれたと言えば巻き込まれたのだ。それが理由かは分からないが、リンは端的に「他寮同士のいざこざにこれ以上巻き込まれないようにするためにユウが考えた方法だ」とクルーウェルに伝えていた。
 話を聞いて、ユウは少しの間、クルーウェルに話すかどうか逡巡した。クルーウェルが何をどう返してくれるのか分からなくて、喉元までせり上がった言葉がなかなか口の外に出て来ない。
 誰かに聞いて欲しいけど。なんとなく、話すのは躊躇われて。
 黙ってしまったユウに、クルーウェルは少しだけ意地悪をすることにした。
……確かに、俺はお前にとって頼りになる担任足りえていないかもしれないが」
「えっ、いや、そんなつもりじゃ……!」
「では話せ。仔犬の話を聞いてやるのも、俺の仕事だ」
……
 クルーウェルはそっと優しく、ユウの背中を押してキッチンエリアへと促した。途中でクルーウェルの部屋を通り過ぎてしまう。ユウはけれども、足を止めることは出来なかった。
「もう遅いから、紅茶もコーヒーも向かんな。白湯にしておこう」
 ダイニングテーブルに着かせて、クルーウェルはコップに水を注いだ。こん、とコップを叩くと、中の水がじんわり動く。
 ユウがそっと口に含むと、冷たいはずの水は、ほどよく温い白湯に変わっていた。
……授業時間外なのに……
「教師とは役職名ではなくそういう生き物を指す名称の事だ。気にするな」
 ユウの斜め向かいに座りながら言ったクルーウェルに、ユウは少しだけ頬を弛めた。
「ンン、……はい、分かりました」
 ユウは、少しの間だけ思案を巡らせた。
……私、確かに喧嘩に巻き込まれたのは面倒だなって思ったんですけど……それ以上に、その、喧嘩してる人達の間で、上手く立ち回れてない感じがするのが、もどかしくて」
 クルーウェルは黙って話を聞いていた。ユウがちらりと顔を上げると、静かな双眸がじっとこちらを見つめている。
 ユウは一度、大きく深く、呼吸した。
……その……もっと、いい方法があったんじゃないかなって……見て見ぬふりをすることもできましたし……もっとうまく立ち回れたんじゃないかって……
 確かに、面倒事に巻き込まれて嫌だった。
 いざこざになるかもしれないと予想していたから大してショックではなかったけれど、それでも相手を蹴落とすために利用されるのは、いい気分ではなかった。
 たとえ互いを身内と称するような仲になっても、嫌なものは嫌なのだ。
 でも。
 けれども、それよりも。
 ユウにとって、一番、胸のうちをもやもやとさせたのは、何より自分が明確な決定打を打てていないという自覚と、そこから生まれるもどかしさだった。
「たとえば」
「えっ、たとえば」
 不意に、クルーウェルが口を挟む。ユウは驚いて、何度か目を瞬かせた。たとえば、と口の中で転がして、ううんと唸る。
……たとえば……
「お前が考える、もっといい方法というのは、なんだ? こうできたら良かったという、イフや理想の話でもいいが」
…………えっと……
 クルーウェルの問いが、静かに降り積もる。ユウは焦りそうになる心を落ち着かせて、何度も意識して深い呼吸を繰り返した。

 ───脳裏に、ちらりと明滅するものがある。

「たと、えば………………リンさん、だったら……

 そう、リンならば。
 リンならばきっと、もっと上手くやったに違いないのだ。
 強化合宿なんて必要なかったかもしれない。
 ラギーがモストロ・ラウンジにバイトに行く必要がなかったかもしれない。
 アズールがリンの元を訪れるような事態をフロイドが引き起こすことはなかったかもしれないし、ユウがそのきっかけになることも無かっただろう。
 そもそもの、オクタヴィネルの双子とサバナクローのツートップが鉢合わせた時点で、何かびしりと一言を投げ掛けて、それで終わっていたかもしれない。

 ユウは、自分の顔が変な風にぐにゃりと歪んでいるのを自覚した。

 リンへの、胸を掻き毟るほどの羨望か、憧憬か。
 それとも、無力な自分への嫌悪か。
 はたまた、頭を掻き回したくなるような嫉妬か。

 訳の分からない感情が渦を巻いて、嵐のように暴れ回る。リンの事は大好きなのに、ユウは何故だか上手く呼吸ができなくて、泣き喚きたい衝動に駆られた。

「ユウ」
 そっと、クルーウェルが声をかける。視線を上げたユウの顔は、途方に暮れる迷子のこどものようだった。

「それが今のお前の限界だ」

「、」

 静かで優しい言葉は、ユウの視界を晴らすようだった。字面だけを見れば胸を抉るような衝撃があるはずなのに、その時のユウにとっては、それはストンと落ちる ・・・言葉だった。
「焦ることはない。限界のラインは、そのうち勝手に引き上がっていくものだからな」
……そういうものですか?」
「そういうものだ。それに、……
 クルーウェルは、ひとつ嘆息して、椅子に座り直した。そうしてまっすぐに、ユウと視線を合わせる。
「ユウ」
「はい」
「お前はリンではない」

 その言葉に、ユウの胸がどくりと鳴った。
 どうしてか、息が詰まる。
 クルーウェルは、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「お前がリンに憧れて、その背を追いかけるのを否定はしない。だが、お前はお前だ」
……
「リンのようになりたくても、リンと同じことをしようとしなくてもいいということだ」
「、あ……
 ゆるゆると、ユウの瞳が見開かれる。
 はくり、小さな口が戦慄いた。
 クルーウェルの言う通りだ。そもそも、リンとユウは違う人間で、違う個なのだから、まったく同じになれるわけが無いのだ。
 唇をきゅむりと引き結んで、ユウはぎこちなく俯いてしまった。

「リンになる必要はない」

 クルーウェルの声が、静かに降り注いでくる。顔を上げるように促されて、ユウはのろのろとそれに従った。
 クルーウェルは、いつものように不敵な笑みを浮かべていた。
「心配するな。あれのように振舞えなくとも、お前はあれと同じくらい、いい女になれるさ」
……そう、でしょうか」
「そうだとも」
 鷹揚に頷いて、クルーウェルはくしゃりとユウの頭を撫でてやった。
「何せ、俺の仔犬だからな」
 自信たっぷりに告げられたそれに、ユウは瞳を丸くした。クルーウェルは、ぱちりと片目を瞑って見せた。
 ユウは不意に、なんだか泣きそうになってしまった。それまで張り詰めていた糸がふつりと切れたように、胸のうちは爽やかで、暴れていた嵐など、見る影もなくなっていた。
 くしゃりと顔が歪む。きっと変な顔になっているんだろうなと思ったけれど。ユウは、取り繕うことなんてできなかった。
 クルーウェルの、こちらを見つめる双眸が、底抜けに優しく思えたのだ。
……はい。ありがとうございます、先生。……おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。いい夢を」
 囁くようにそう言って、クルーウェルはユウを見送った。廊下の向こうに一度姿を消したユウは、すぐに「先生」ひょこりと顔を覗かせた。
「なんだ」
「先生の部屋、こっち側の奥から四番目の部屋ですからね」
「あぁ、分かった。おやすみ」
「はい」
 綻ぶように、ユウが笑う。
「おやすみなさい」
 それは、心底からの、自然に溢れ出た、可愛らしい笑顔だった。





 ◆





 時間というのは何かにつけて、特効薬へと変化する。
 今回の騒動に関しても、いつもの週末の、二日にわたる休日という時間は、オクタヴィネルにとっても、サバナクローにとっても、「なんかもういいかなぁ」と思わせる役目を果たすことになった。
 ラギーはリンに洗いざらい喋らされてからすっかり意気消沈してやる気を失っていたし、レオナに至ってはラギーが煽った割にオクタヴィネルの方に動きが無いので、もう八割方は終わったなと判断していた。

 特にオクタヴィネルの方は、出遅れているだけの可能性があるとは言え、ユウに何度かフラれている。
 強化合宿をするからしばらく時間が取れないという話に始まり、寮にも顔を出せないし、放課後にユウを捕まえることもできなかった。休日に何度か送るメッセージも、なかなか会話として続かない。
……ジェイドお」
「なんですか?」
 何故だか急にうざったく絡んできたサバナクローの下っ端をボッコボコにしていたフロイドは、それまでの俊敏な動きが嘘のようにふらふらとジェイドにもたれかかった。
「オレ、小エビちゃんとの時間、気に入ってたんだねぇ」
 まるで他人事のような言葉に、けれどもジェイドはそうですねえ、と優しく返した。
「ぎゅーってしたいし、小エビちゃんの飯食いたいし、隣で洗いもんしたいし、一緒にオンボロ寮行きたい……
「フロイド、ちょっとこれは歩きにくいです」
 小エビの代わりと言わんばかりにジェイドをぎゅーっとしていたフロイドは、「えぁー……」と訳の分からない呻き声を上げただけで、腕の力を緩めるということはしなかった。
「ジェイドもさぁ、気に入ってたじゃん。楽しそうにモストロから寮まで送ってってやってたじゃん」
……はい。そうですね……
 淡く苦笑するジェイドの横顔をじっと見つめて、フロイドはジェイドの頭をよしよしと撫でてやった。
「おや、慰めてくれるので?」
「ジェイド、二回もフラれてるし」
「そうですねえ」
 されるがままになりながら、ジェイドはぽつぽつと言葉を零した。
「対面ではない、言葉だけを受け取って……突き放されたかもしれないと気付いて初めて、僕もユウさんとの時間を楽しんでいたことを知ったんです」
 平気だと、思っていた。
 どうせ何も感じないか、募るとしてもその感情は自分の思い通りにならない苛立ちや怒りだろうと鷹を括っていたし、それすらも手玉にとって愉快と思える一手を打つための思考に切り替わるだろうと見越していたから。
 もう来ないでください、という言葉に。時間が無いので今度また日を改めて、という言葉に。意外にも衝撃を受けて、狼狽えている自分がいることに、どんなに驚いたことか。
 ジェイドは、息を吐きながら言った。
……キノコの山を受け取りたくないです」
「は?」
 フロイドは思わず目を剥いた。まさかジェイドからそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかったのだ。
 ジェイドは、可笑しそうに苦笑した。
「受け取ったら、それで終わってしまいそうで。ユウさんとの関係がなくなってしまうのが、惜しくてたまらないんです」
 きっと、アズールが話を聞いたら、「何を馬鹿なことを」と吐き捨てるだろうなと、ジェイドは思った。ジェイドも頭ではそう思う。
 けれども不安に想う心は、まったく言うことを聞かないのだ。
「どうやら僕も、週に一度の送迎を、随分と気に入っていたみたいです」
 溶けるようなジェイドの言葉に、フロイドは心底からふんわりと微笑んだ。
 これは安堵だ。一人じゃなかったという安堵。
……そっかぁ。一緒だねえ」
 そして、ここまで一緒に生きてきた片割れと、同じものを共有できているという、嬉しさだった。









「あ」
 週明けの、昼休み。植物園にて、三つの声が重なった。
 かと思いきや、沈黙がその場を支配する。
……
……
…………まぁ、お互いさまってことで」
「あ、ウン。そだね」
 お互いボソボソ言ったのは、ラギーとフロイドだった。それに倣うようにして、ジェイドが綺麗な笑みを整える。
「ご迷惑をおかけしました」
「いや、まぁ……
……ふん」
 芝生に寝っ転がっていたレオナは、小さく鼻を鳴らしただけだった。
「あ」
「ん?」
 ふと、フロイドがパカ、と口を開けた。ひょこんと耳を揺らしたラギーが片眉を跳ねさせて何事だという顔をする。
「でも、雑魚どもが絡んでくるようになったのはウザいかも」
 昼休みになってすぐ、絡んできたサバナクローの寮生の事だ。
 トップ同士の中が悪くなったのを感じ取ったのか、「ウチのボスになんか用かよ」と今更ながらに空気が険悪になりだしたのである。
 寮長同士が水面下で事を進めていただけに、時間という薬で頭の冷えてきた当人達にとっては、今更感が拭えない。相手をどうにか扱き下ろす事態になっても、双方に大事にする気はなかったのだ。
 結果的に大事になってしまうのは別の事なので、それは仕方がない。───言うまでもなく暴論である。
 ラギーは、面倒臭いという感情を隠そうともしなかった。
……今度こそ面倒なことになりそうな気配がするっスねえ」
「ハァ……てきとうにあしらっとけよ、勝手に突っかかっていく分には自業自得だろ。俺は何も言ってねえぞ」
 本当に面倒そうに寝返りを打ちながら「好きにしろ」と言い放った群れのボスに、本来敵対する側のフロイドは「おっけ~」とにっぱり笑った。ジェイドも、「それでは遠慮なく」と牙を剥いて笑う。
 ラギーも「可哀想になぁ」とわざとらしく耳をしょげさせるだけだった。
 これぞサバナクローである。ボスの意志を確認もせず勝手に突っ走っても、ボスは止めてくれないし、助けてくれないし、高みの見物を決め込んで酒の肴にするだけだ。限度はあるが、それがどの辺なのかはレオナの胸三寸である。
 何せ、当事者同士ではもうほとんど終わろうとしていることなのだ。オンボロ寮の監督生に横槍を入れられて、ほとんど強制的にいつも通りの日常を過ごすことになり、淡々と過ぎる時間に色んなものが冷まされて、冷静になってしまった。
「ちなみに、なんつって絡まれてんスか?」
 他愛ない世間話のように聞いたラギーに、フロイドはげんなりとしながら言った。
「なんかぁ、ホモとかなんとか、うざってえ」
「ん?」
 ホモ。ゲイの事だろうか。急に何故そんなことになったのだろう。
 フロイドに言葉を添えたのは、やはりというかなんと言うか、ジェイドだった。
「人魚にはあまり当てはまらないんですが、野生のウツボは通い婚なんですよ」
「へぇ……?」
 急に何の話が始まったのか分からなくて、ラギーは首を傾げた。
「僕達は約週に一度の頻度でオンボロ寮に通っていたでしょう? フロイドに至っては、ユウさんがバイトをお休みになっているにも関わらず一緒に厨房に立っていますし」
「あれは小エビちゃんの料理練習に付き合ってやってるだけだから」
 つっけんどんに言って、フロイドは嘆息しながら話を引き継いだ。
「まぁ敢えて通い〜ってアピールしながらやる奴もいるけどさあ、好きな奴できたら一緒にいようとするのは当たり前じゃん? 陸の奴等でも似たようなことするっしょ? 別に人魚の習性とかじゃねーのにムカつく」
「せめて文化と言ってほしいですねえ」
「あー……
 フロイド達がどうやって絡まれたのか大体の察しがついて、ラギーは思わず視線を逸らしてしまった。
 そもそもひとの性的指向を揶揄するなという話だが、獣人と野生の獣が全くの別種であるように、人魚とて野生の魚類とは全くの別種である。人魚には人魚の生活スタイルがあり、文化があった。
 他者が「習性」と評して揶揄していいものではないのだ。そういう言葉を使うことは、相手を下位互換生物として認識していることの表れだし、まごうかたなき差別そのものだ。
 最近の時勢ではめっきり廃れた意識である。獣人や人魚、そして妖精が徒人 ただびととの関わりを持った当初は散々問題になった歴史があった。
 たとえ異なる種族でも、互いを対等に扱うことは、何より己の種族を守ることにも繋がるのだ。
 レオナは澱みなく言った。
「絞めとけ」
 靱の人魚は、にいんまりと笑った。
「うィーっス!」
「かしこまりました」
 容赦など無い。他寮に制裁を任せるだけマシだなとラギーは思った。
 筋から言えばレオナが動くべきなのだろうが、レオナはきっと、この先そいつらのために何かしてやることはないだろう。事実上の勘当だった。
 レオナが動けば、どのように退学させられるか分かったものでは無い。たとえそのきっかけが男子高校生にはよくある「お前あいつのこと好きなんかよw」みたいなダル絡みだとしても、言い方というものがあるし、そいつらは弩級の地雷を踏み抜いたも同然だった。
……ん? てことは」
 そこまで考えて、はたとラギーは瞬いた。
「?」
「なにか?」
 きょとん、としている双子に、ラギーは盛んに瞬きながら「もしかして、」とあることを訊ねた。
「あんたたち、ユウくんのこと好きなんスか?」
「───」
「───」
 双子が何かを言おうと口を開いて息を吸った。
 しかし何故だか音にならずに、双子は揃ってぱくりと口を閉じた。
「ほォー?」
「えっマジ」
 面白いものを見た、という顔でレオナが起き上がる。ラギーは思わず身を乗り出した。
 双子は互いにそっぽを向いて何やらぼそぼそ言い出した。
「っげーし……
……
「いや声ちっちゃ!! 文字にすらなってねぇッスよ!!」
「おい、茹で上がりそうだぞラギー」
「今日はウツボ鍋っスかねえ! ってそうじゃなくて!! ハ!? マジなんスかあんたら!!」
「ちげーし!! 別に小エビちゃんのことなんか好きじゃねーし!!」
「えっ」
「あっ」
「はっ!?」
「、」
 こちらからはちょうど死角になっている植物の生垣が、がさりと音を立てた。
 フロイドがごくりと息を呑む。ジェイドも目をかっ開いて音のした方を凝視していた。
 双子につられて、ラギーの心臓もどこどこ言い出した。かつてここまで緊張したことがあっただろうか。

 ───いやいやまさかそんな、ユウくんがそこにいて話を聞いてたなんて漫画みたいなテンプレ、

 ラギーの希望を裏切って、そこからおそるおそる、そうっと顔を出したのは、オンボロ寮の監督生であるユウだった。
……どうも……小エビです……(?)」
「───ハワ」
 フロイドは耳の後ろあたりでざっと血の気が引く音を聞いた。体が芯から冷えていくのに、何故だか肌は熱いような感覚がする。まるで風邪を引いた時のようだった。
「フロイドしっかりしてください」
「あ、ウン、えっと、こ、こえ、ちゃ、」
「あ、いや、あの、えーと、」
 フロイドとジェイドがワタワタしているのがユウにも移ってしまった。これは下手をすれば収拾がつかなくなる。ラギーは意を決して割り込むことにした。
「ユウくん、どこから聞いてたんスか!?」
「えっ、えっ、えっ、と……『あんたたち、ユウくんのこと好きなんスか?』あたりから……
「そっからかあ……
 ラギーは思わず手で顔を覆った。
 なんという微妙なところから。本当についさっきここを通りがかったということなのだろうが、それにしたって。
 これでは「最初から聞いてたんじゃん!」というツッコミが出来ない。いや違う。そうでなく。
 ───ラギーは己が割と混乱していることに気がついた。
「あ、あのね、さっきの、」
 顔を青くしたり赤くしたりしながら、フロイドはなんとか言葉を絞り出そうとした。けれども、小エビの方が早かった。
「あっだ、大丈夫です大丈夫です、仲良くなれたかな〜なんて考えてたの私だけか、とか思ってないですから……
「思ってる思ってる」
「違うって!!」
 ちょっとだけ寂しそうに、切なそうに瞼を伏せた小エビに、フロイドは反射的に声を張り上げた。
「僕は好きですよ、ユウさん」
「ジェイドてめーふざけんなよ!!」
「きっとアズール先輩にも……なんて思ってないですから……
「アズール絶対小エビちゃんのこと好きだって!!」
 アレ、なんでオレ、アズールのフォローしてんだろ、とフロイドは一瞬、冷静な自分の声を聞いた。
「え、こき使える労働力的な意味で、ですよね……?」
「違うっつーの!!!」
 ───ユウの言葉に、その冷静さはあえなく吹っ飛んだ。
 頭を抱えて「ヴゥゥゥ」と唸るフロイドを他所に、混乱が大分落ち着いてひとを揶揄える状態にまで回復したラギーが「シシッ」と意地悪く笑った。
「あーあ、ユウくん可哀想に~。慰めたげるからこっちおいで」
「あ、いやいいです」
 ユウはあっさり断った。
「後でリンさんに会うので、リンさんに慰めてもらいます」
「マジで???」
「フラれてんぞ、ラギー」
 けらけらとレオナが笑う。存外、噛み付く気力も湧かなくて、ラギーはしおしおと項垂れて見せた。
「兄ちゃん超ショックなんスけど……
……『兄ちゃん』? えっなにキョーダイ?」
 フロイドがユウとラギーを交互に見やる。ラギーは「違うっスけど、まぁそんなもんスよ」とてきとうに言った。
「これはこれはお義兄さま」
「ジェイドくんにそう呼ばれんの気味悪いッスね」
「小エビちゃん、いつからサバナに入ったの?」
「私はいつでもオンボロ寮の監督生ですよ。錬金術だったかな、授業中についうっかりお兄ちゃんって言っちゃって、それで」
「ふーん。仲良いんだ。ふーーーん」
 いやあからさまに拗ねるな、とユウは内心で突っ込んだ。
 ユウとて、フロイドに気に入られている自覚はある。先程、フロイドが「好きじゃねーし!」と言ったのも、照れ隠しなのだろうと察しはついている。傷付かなかったわけではなかったので意趣返しはしたが、もう溜飲は下げた。
 それよりも、ここで何か言わないと、フロイドの機嫌が悪いままになってしまう。
 ユウはどうしよう、と思案を巡らせた。何か言わなければと気が急いてゆくばかりで、良い台詞が何も出てこない。
 なんて言ったらいいんだろう、あぁこんなときリンさんだったら、と行き着いた先で、ふと、ユウの脳裏に違う声が響いた。


 ───お前は、お前だ。


……
 ユウは、何度か瞬いた。

 私は私。

 私は、私らしく、いい女に。

…………
 ユウは、大きく息を吸った。そして、大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
 つい先週、オンボロ寮で一触即発だったとは思えないほど、双子とレオナ達の間に流れる空気は平坦だった。
 おそらくは、ユウの、無理やり時間をおいて冷静になってもらう作戦は上手く行ったのだろう。

 ───だから、大丈夫。

 素直になって、大丈夫。先輩たちだって、馬鹿じゃない。
 ユウは、フロイドに向き直って、彼の真下から顔を覗き込むようにした。フロイドはそっぽを向いて、こちらに視線を向けようともしない。
……フロイド先輩」
……ぁに」
「私、先輩とのハグに躊躇わなくなるくらい、仲良くなれたと思ってたんですけど」
 ぴく、とフロイドが反応した。
「えっなにうちの子に手ぇ出してんスか」
「咬み殺すぞ」
「今アサリの雲の守護者いませんでした???」
「なんスかそれ」
「取り乱しました、失礼。ンン、改めてですね、先輩」
……
 フロイドがゆっくりとユウの方に、顔ごと視線を向ける。眉間に小さく皺が寄って、不満そうに瞳が揺れて、口が小さく尖っていた。拗ねている時のフロイドの顔だ。
 ユウは、真正面から色違いの瞳を受け止めて、ほんの小さく、微笑んだ。
……優しく抱き締めてくれるくらいには、先輩、私のこと好きでいてくれてると思ってたんですけど、違うんですか?」
……へっ」
「私は、私がぐしゃって潰れないように気をつけながらじゃれてくれてる先輩のこと、まぁ別にじゃれるくらいはいいかなって思うぐらいには、好きなんですけど」
…………ヘッ!!?」
 ボン、と音を立ててフロイドが真っ赤になった。
 まさか力加減を誤らないように気をつけていることを悟られているだなんて思いもしなかったのだ。
「おや、フロイドが茹でウツボに」
 ユウは、今度は、フロイドを面白いものを見るような目で見ていたジェイドの方へと体の向きを変えた。
「ジェイド先輩も、いつも頼りになるので好きですよ。きのこ好きだったり山が好きだったりする先輩、なんだかんだ可愛いですし、ラウンジにバイトしに行くの楽しいなぁと思うくらいには、先輩のことは好きです」
………………
 ジェイドがゆっくりとユウから視線を逸らす。その顔がじんわりと赤くなっていくのを、誰もが目撃した。
「完全に流れ弾だな」
「ッスね」
 そしてユウは、攻撃の手を緩めなかった。
「私はこう思ってるんですけど……先輩たちは違うんですか?」
 二人の真下から、顔を覗き込むようにして、こてんと首を傾げてみせる。
 容赦の無い攻撃だった。フロイドはウツボなのに金魚のように口をパクパクさせていたし、ジェイドはン゛ンと変な喉の鳴らし方をした。
「えげつねえッスね……
 漫画だったら『★容赦の無い追撃が双子を襲う───!!』とか煽りがついてるんだろうな、と思いながらラギーはしみじみ言った。その横で、レオナも弱冠、遠い目になった。
「仕込んだ奴の顔が見えるな……
 レオナの脳裏では、『私が育てました』と書かれたプレートを持ったリンがワハワハ笑っている図が浮かんだ。
 リンに仕込まれ、クルーウェルに背中を押され、大きな一歩を力強く踏み出したユウは、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「先輩。私のこと、嫌いですか?」
 双子は揃って、スゥ、と息を吸った。
「好きです」
「好きです……
 目元を覆って、口元を覆って。双子は即座に、素直になった。
……なにこの公開処刑」
 他人事ながらも「恐ろしい子……!」とユウを見やるラギーのことなど横に置いて、ユウは無邪気に「良かったあ」と喜んだ。
「これからも仲良くしてください、先輩」
「ハイ……
「こちらこそ」
「ワァイ」
 腕を広げたユウを、双子が揃って受け止める。
 一頻り唸って、フロイドはようやく落ち着いた。
「小エビちゃん、後でそれアズールにもやってね」
「いいですよ!」
 いや怖いもの無しかよ、とラギーは反射的に突っ込んだ。心の中で。一方、レオナは感心したようにして薄ら笑っていた。
「逞しくなったなァ」
「確かにね。強くなって……兄ちゃんは嬉しいやら切ないやら……
 ほろり、なんて言ってみせるラギーに、この小芝居気に入ったんかな、とユウは埒外なことを思った。
 レオナたちだけが余裕綽々なのが気に食わないらしいフロイドが、小エビの肩をぐいっと抱き寄せる。
「コイツらにもやってやりなよ、小エビちゃん」
「え、レオナ先輩たちにですか」
「はいはい、好きだぜ」
「まさかの先手」
 しかもかなり投げやりだ。ではこちらは、とラギーの方を向くと、ラギーは器用にウインクしながら投げキスを寄越して見せた。
 ユウはそれを、至極当然のようにキャッチして口の中にぱくりと放り込んだ。もぐもぐ咀嚼して、ごくんと飲み込む。昔見たテレビで同じようなことをしていた女優の真似だ。
「───ハ?」
「もうほとんど身内なんで、これくらい普通ッスね~」
 ケラケラ笑うラギーに、気恥しさなどは感じられない。レオナも、ユウも同様だ。
「淡々としてますねえ」
「お兄ちゃんはお兄ちゃんなので……まぁ……
「マジで言ってる?」
「リンさんが長姉なんですよ」
「すげー納得した」
 空恐ろしい顔をしていたフロイドは一転、ユウの言葉になるほどとしおらしく頷いた。一方、ジェイドはにっこり笑ってレオナを見やった。
「ご苦労されてそうですね」
「なんで俺を見るんだテメーは」
「そりゃー二十歳の高三なんか苦労かけるに決まってるッスよ」
………………
 レオナは思わずラギーを見やった。ラギーは平然とレオナの視線を受け止めた。
「勘当されてないのはお姉ちゃんの優しさだよお兄ちゃん」
「やめろ」
「ウケる」
 反射的にがなったレオナに、フロイドは体を揺らしてケラケラ笑った。
「これから、リンさんのことは、お義姉さんとお呼びした方がよろしいでしょうかね?」
「あはは、そのネタまだやるんですか?」
「おや、ネタ、とは?」
「えっ」
 至極真面目に返されて、ユウは思わず固まった。お、これはまた何か起こりそう、とラギー達は興味津々といった体で見守る。
 ユウは、えっと、と言いながら、盛んに目を瞬かせた。
……ネタ、ですよね? えっと、その……、少なくとも……、マジでは、ない、…………ですよね?」
……ふふ」
 ジェイドは、にっこりと、笑みを深めた。
「さて、どうでしょう」
「ジェイドォ、抜け駆け禁止だよ~」
「ヒェ……
 フロイドに後ろから抱き締められて、ユウは思わず身を竦ませた。どうしたらいいのか分からなくて、双子と、ラギー達の間でユウの視線が落ち着きなく彷徨う。
 ラギーは嘆息しながら言った。
「そりゃあ、あんだけ煽ったらそれぐらいのことはされるっスよ」
「自業自得だな」
「この兄貴ども妹に手厳しい」
 思わず零したユウに、レオナ達は案外、真剣な顔をして答えた。
「マジで嫌なら砂にしてやる」
「マジで嫌なら噛み砕いてやるっス」
 ヒェ、とユウの喉が鳴る。
「めちゃくちゃ真剣だし人死にがでるじゃんこわ……
「身内に手ェ出すってのはそういうことだ」
 レオナは思案する素振りを見せながら言葉を続けた。
「後に残ってる奴らでお前が頼れるのは、強いて言うならリンだろうが、これはお前が始めたことだろ。余程のことでもねえ限り出てこねえぞ」
 ユウはウグゥ、と喉の奥で唸った。
「分かる……分かるのが悔しい……リンさん強火担として彼氏面に先越されるの悔しい……!」
「何言ってるのかちょっと訳分かんねーっスね」
「てめぇで始末つけろ」
 レオナはぴしゃりと言った。
「強化合宿で横槍入れやがったのも、今ここでこいつらを煽ったのも、お前が始めた事だ」
「ぐう正論。頑張ります……
 三人のやり取りを見て、フロイドは真上から小エビを覗き込んだ。
「やーっぱりサバナになっちゃってんじゃん」
「違いますよ、私はオンボロ寮の監督生です」
 ユウが淡々と返す。間を置かず、ユウのポケットでスマホが通知音を響かせた。
 リンからのメッセージだ。
 時間を確認したユウは、するりとフロイドから距離を取った。
「そろそろ行かなきゃ。リンさんに会わないと。それじゃ、失礼します」
 ぺこりと頭を下げて、ユウはすぐに身を翻した。小さな体が、あっという間に見えなくなっていく。
……ほんとにまぁ、強くなって……
「見違えましたねえ」
 ユウは望んでいないかもしれないことだが、この学園で生きていくには必要な力だ。
 ラギーはふと、にやりと笑って双子の方を見やった。
「ま、ウチの妹に目ェつけたのは、間違ってねえんじゃねえっスか?」
「干物にされる覚悟しとけよ」
「言ってること正反対じゃんこの兄弟」
 ラギーはすぐに手を振って否定した。
「あ、ここは別に兄弟じゃねーっス」
「ややこしいですねえ」
 ジェイドが愉快そうに苦笑する。

 その後、授業に行く行かないで、ひと悶着があったとか、なかったとか。

 彼らがきちんと出席したかどうかは、担当教員と、成績処理担当の事務員のみぞ知る。