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桜霞
2022-10-01 17:01:01
52354文字
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【twst夢】フライパンは無敵
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三分の一の純情なすのびずむ
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/08/24にpixivに投稿したものの再掲です。
1
2
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6
7
随分と手際が良くなったな、とフロイドはちょっぴり小エビのことを見直していた。
何と言うか、雑味が抜けた。一つ一つの所作に無駄な動きが無くなって、どこか余裕のようなものを感じられる。
何から手を付けるのかも、卵焼きをひっくり返すときも、ウインナーをフライパンの上で転ばすときも、炊いたお米をラップに包んできゅっと握るときも。
フロイドも気が向いたので自分の掌でちょうど握り込める量の米を救い上げたら、小エビの作ったおにぎりよりも二回りほど大きいものができてしまった。
「小エビちゃん、手も小さいんだねえ」
「や、先輩が大きいんですよ、ほら」
小エビが仕方なさそうにくすくす笑いながらフロイドの手を取って、自分のと重ねる。フロイドの言っていることと小エビの言っていることで何が違うのがフロイドにはよく分からなくて、フロイドは「ふうん?」とてきとうに相槌を打ってこてんと首を傾げた。
出来上がったものを二人で食べて、二人で片づける。ダシ多かったよ、お味噌汁美味しかったです、でもちょっとしょっぱかった、なんて言い合いながら、調理器具や食器を元あった場所に戻していく。
フロイドが一番ほわほわして、悪くない気分になれる時間だった。小エビの小さな手が自分の手と並んでいるところを見ると、フロイドはもっと気分が良くなって、自然、にっこりと笑んでしまう。
ユウはユウで、フロイドが機嫌良さそうにしていると、怖い思いをしなくて済む可能性がぐっと上がるので、こちらもほっとする。機嫌が良いときのフロイドは見ているこちらまでつられてにこにこしてしまうような無邪気さがあるので、ユウはこの時間が嫌いでは無かった。
綺麗に洗ったフライパンから水気を拭き取りながら、元あった場所に戻すため、ユウが一歩踏み出そうとした、そのときだった。
「、え」
自分の意識の外側で動いた足が見事にもつれた。咄嗟の事に驚いて、かくんと膝から力が抜ける。
「ウワ!」
「っちょ、」
ぱし、と背中が大きな掌に支えられた。
「はっ!?」
かと思いきや、視界の端で、ずるりとフロイドが足を滑らせる。
ユウは反射的に手を着こうとして、けれどもフライパンを握りしめる強張った指に、それ以上何かすることは許されなかった。
がしゃあん、とフロイドの手がひっかけたボウルが派手な音を立てて床に落ちる。
「ってぇ
……
膝打った
……
」
「、」
心臓が止まって、息が詰まる。フロイドの声が、いつもよりずっと近い場所から聞こえたからだ。
近い。そう、近い。
フロイドが一房だけ染めている横髪が、ユウの頬に触れてしまうくらいには近い。
端正な顔が、色違いの瞳が、ぱちくりとこちらを見つめている。
ユウの頭は真っ白だった。ただ吸い込まれるようにして、フロイドの双眸を見つめるしかできなかった。
「
……
」
「
……
」
「
……………
えっ」
ハッと我に返ったフロイドが、びくりと体を強張らせる。
「あ、ごめ」
瞬間、バァン! と勢いよく、厨房のドアが開け放たれた。
「何の音だ」
「大丈夫~? 包丁落ちてない~?」
クルーウェルが革靴の踵を鳴らし、リンがのんびりとした声で顔を出す。
「
……
」
「
……
」
「
……
」
「
……
」
沈黙が、その場を支配した。
オクタヴィネルの生徒が喧嘩だと思ったものは、サバナクローの寮生が極東のプロレスと呼ばれるカラテやらジュードーやらを再現しようとしていただけだった。
派手な取っ組み合いをしていた二人は「え? 喧嘩?」「してねっすよ」「まぁバトルはしてるけどな!」「あででででコノヤロ」と互いに締め技を仕掛けていた。リンは「派手で簡単だけど下手すりゃ大怪我しちゃう技は背負いなげだよ!」という余計な入れ知恵をしてクルーウェルにじろりと睨めつけられた。
結局、怪我人が出ないように細心の注意を払うよう厳重注意をするだけでクルーウェルの仕事は終わった。
「まったく、紛らわしい」
「まぁ、何事も無くて良かったじゃありませんか」
教員室、そして事務室へ戻る道すがら、険しい顔をするクルーウェルをリンがとりなす。
二人が大食堂を横目で通り過ぎようという時に、がしゃァんという派手な音は響き渡った。
「今度は何事だ
……
」
「厨房の方ですね」
念の為、確認するだけしておくか、と二人揃って厨房を覗き込む。
「
……
」
「
……
」
「
……
」
「
……
」
フロイドが、ユウに覆いかぶさる形で、床に手と膝を着いていた。
「
……
おっと?」
リンは、フロイドの片手がユウの背中と床の間に挟まれているのを目ざとく見つけてしまった。
「
…………
ほう?」
クルーウェルは、フロイドの片膝がユウの両足を割っているのをきちんと視界に入れた。
「あ、え、イシダイせんせ、」
「立て、仔犬。貴様にはとびきりの躾が必要なようだな」
「まぁまぁ、ただこけただけかもしれないじゃないですか」
取り成すようなリンの声音は、いっそ恐ろしいほどに平坦だった。フロイドがびしりと体を強張らせる。
「ユウがフライパンを持っているのが見えないのか」
「おっとォ?」
「いや、ちが、」
「言い訳は見苦しいぞリーチ弟」
「弟じゃねーし!!」
「喧しい」
「取り敢えず、退きな」
美人二人が、翳を落として、平坦な声音でこちらに迫る。
フロイドは思わずヒュッと喉を鳴らして息を呑んだ。リンのキレかかっているところなど初めて見たし、クルーウェルがいつもと違うキレ方をしているのも余計に恐ろしさに拍車をかけていた。
「あーいお邪魔しまー、オワッ、えっ、なにこれ修羅場
……
?」
バァン、と再びドアが開く。そちらにゆるりと視線を巡らせて、リンは一度、ぱちくりと瞬いた。
「お? ラギー」
イシダイと新人の向こう、コバンザメの姿を見留めたフロイドの口端がすとんと落ちて、きゅるりと瞳孔が小さくなった。気付いてるのかいないのか、ラギーはへらりと誤魔化すように笑った。
「あ、オレ出直した方がいっスか? それとも長くかかるなら寮のキッチン使うんで材料だけでもちょーっと戴いてっていいっスか?」
「どちらでも好きにしろ。リーチ、Come」
「ぐぇ、」
クルーウェルが指示棒を振った瞬間、マリオネットのようにフロイドの体が引き起こされる。襟が伸びている所を見ると、首が締まっているのだろう、フロイドは苦しそうだった。
「ユウ、大丈夫?」
素早くユウに駆け寄ったリンが、そっと背中を支えて助け起こす。ぱちくりとしていたユウは、何度か声をかけられてようやく「ハッ」と我に返った。
「あっ、はい! はい、大丈夫です」
「
……
お? そう?」
「はい! 痛いとことかもないです、先輩のおかげで
……
」
「先輩の」
「おかげ」
クルーウェルとリンが顔を見合わせて、そしてフロイドの方を見やる。フロイドは憮然とした表情をしていた。
何が起こったのかようやく把握したらしいユウが、「違うんです!」と慌てて立ち上がる。
「クルーウェル先生、あの、私達ほんとにコケただけです、すみません、紛らわしくて、その
……
、ほんとに何も無いです。私が足をもつらせてしまっただけなので
……
」
「
……
ふむ」
ひゅん、とクルーウェルの指示棒が短く音を立てた。それまで弱冠浮いていたフロイドの踵がストンと落ちる。フロイドは小さくたたらを踏みながら、軽く咳込んだ。しかし、クルーウェルの、フロイドを射抜く冷徹な視線は揺るがない。
「感謝することだな、仔犬。ユウに免じて、今回は見逃してやる」
「
……
はぁーい」
「リン、行くぞ」
「ええマジ?」
眉を顰めるリンに声をかけたのは、意外にもラギーだった。
「リンさん、大丈夫ッスよ、さっきそこでエペルくんとセベクくんに会ったんで。エースくんたちに言われて、ユウくんの様子、見に来たって言ってたっス」
「あー
……
そっか。分かった」
リンは、ユウにしっかりと向き直って、真正面から目を覗き込んだ。
「痛いとこ、ないね」
「はい」
「良し」
微笑んだリンが、身体を離す。
「じゃあ、後でね」
「はい!」
元気いっぱいに返事をしたユウに、不安や戸惑い、動揺は感じられなかった。先を行くクルーウェルを、リンが急ぎ足で追いかける。
二人の足音が遠ざかる頃、ラギーのポケットでスマホが震えた。
「はい、もしもし。今? 厨房っスけど。
……
ハァ? ったく、しょーがねえっスねえ、すぐ行くっス」
ポケットにスマホを戻したラギーは、来た時よりも少しだけ多く荷物を抱えて、危なげなく踵を返した。その間、ばちりと目が合ったフロイドとユウに向かって、にっぱりと笑う。
「───じゃ! オレは失礼するっスね!」
フロイドが一歩を踏みこむより早く、ラギーはあっという間に厨房を後にした。
「
……
」
「
……
あの、先輩」
「
……
」
「もしかして、なんですけど。私、魔法で足がもつれちゃいました?」
「
…………
証拠は無えけど、たぶんそうなんじゃねーの」
おどろおどろしい声で、フロイドはそう吐き捨てた。
「じゃーね」
足音も荒々しく、フロイドも厨房から去って行った。じゃあねと言ってくれるだけまだマシかもしれない。
この分だとこちらに八つ当たりが来る気配は無さそうだと考えている自分に気が付いて、ユウは言いようの無い不快感と嫌悪感に、きゅむりと唇を引き結んだ。
サバナクロー寮の自室のベッドに寝転がりながらスマホで金継ぎを施された器を眺めていたレオナは、ラギーが戻ってきた足音を聞いて顔を上げた。
「ただいま戻りましたァー」
ラギーの両手には骨付き肉がサラダと共にこれでもかと乗せられた皿が二つずつあった。ラギーは器用にベッドの上とローテーブルの上にそれを置き、チェストに置かれている水差しからコップ二つに水を注いだ。
「クルーウェル先生に見せるとこまでは上手くいったんスけどねー」
投げ出されたスマホがぽすん、と音を立てた。ラギーは画面を覗き込んで、「はー贅沢な」と呆れたように言った。
「金で割れた皿を繋げるなんざ、やっぱり金持ちの考えることは理解不能っスわ。レオナさんが払うったって、これ、リンさんの趣味っスか?」
「元々、あいつの国にもそういう文化的なものがあったらしい」
数百年程前までは、当時の世界経済をひっくり返してしまうぐらいの金山や銀山、銅山があったのだという。リンは、金継ぎそのものは、素直に良い物として受け止めていた。
昨晩の、割れた皿をジグソーパズルのようにしている様子からして、どうにかできないかと考えているのは明白だった。調べてみれば麓の街に専門店があったので、今日の放課後に事務局でリンを捕まえて「金は払うから行け」というようなことを言ったのだ。
リンはお金のことはいい、と言ったが、体面のことをちらつかせると、案外すぐに折れた。これだから王族は、なんて言っていたが、レオナは敢えて聞き逃してやった。
「それならもう、レオナさんが連れてってやれば良かったのに。なんでわざわざクルーウェル先生に頼むよう促したんスか。そりゃ前にもドライバーやってるから頼みやすいかもしれませんけど」
ラギーの言葉に、レオナは苦い顔で肉を噛み千切りながらぼそぼそ言った。
「
……
クルーウェルに足役をさせたら、あいつがリンの夏服を経費で落とすだろ」
ははぁ、とラギーが感嘆する。
「なーるほどね。リンさん、レオナさんからのポケットマネーは断固拒否するでしょうしねえ」
普段の夕食代でさえ、必要最低限しか受け取らないし、それもものすごく微妙な顔をしながら受け取るのだ。ラギーが脳内でソロバンを弾いて原価率を計算したら確実にちょっとは赤字が出るような金額なのに、それでもリンは微妙な顔をする。
ちなみに、レオナはそれを内心で面白がっていた。リンが学生から金を受け取りたがらないのは、リンのプライドから来ているものだと分かっているからだ。
「でも、ま、これでトントンっスかねえ」
目には目を。歯には歯を。
冤罪には、冤罪を。
レオナたちの冤罪は、リンによって有耶無耶にされた。
フロイドの冤罪は、ユウによって有耶無耶にされた。
あるいは、二人の行動によって、事故として処理された。
だが、オクタヴィネルの双子は悪戯に獅子の尾を踏んだ。
だが、サバナクローの獣達は策略を張り巡らせて罠を仕掛けた。
このまま似たようなことを続けていればイタチごっこだ。どちらもタダでは転ばない。相手に「ぎゃふん」と言わせるために、あらゆる手を尽くすだろう。
レオナとしては、ここで終わってもいいと思っている。長期戦は得意とするところだが、相手がオクタヴィネルであれば面倒臭さに拍車がかかる。
勝って何かが得られるわけでもない。今回はリンやユウの前で引っ張られた足の分だけしっぺ返しできれば良かったのだ。何もしないままではいられなかった。
成果は十分。溜飲を下げてやってもよかろうという気にもなる。
「んで、どーするんスか?」
「
……
さてな。アズールの出方次第だろ」
レオナは骨付き肉にかぶりついた。じっくり焼かれて煮込まれた肉はしっかり味がついていたが、レオナは何故だかあっさりしたリンの手料理が食べたくなった。
放課後になったときは上機嫌だったフロイドがヤクザも顔負けの形相でオクタヴィネルに帰ってきたので、ジェイドとアズールはその日のモストロ・ラウンジを二人で仕切ることになった。
フロイドはバックヤードで黙々と皿洗いをするだけになっていた。こんなにバックヤードが静けさに包まれたことは無いなとその日バイトに入っていた生徒達は緊張しっぱなしで何度生唾を呑み込んだか分からなくなった。
モストロ・ラウンジでの業務を終えた後、ジェイドとアズールに促されて、フロイドはようやく「トドとコバンザメに仕返しされた」とボソボソ言った。
「レオナさんと、ラギーさん? 仕返し
……
とは? お前が先に手を出したんですか?」
「ジェイドもだよ」
「ジェイドも?」
「ふふ、ついうっかり、何か突いたら面白いものが見られるのではないかと思いまして」
ジェイドはまったく悪びれずに、昨晩の顛末を掻い摘んで話した。話を聞いたアズールは、「やるならもっと隙無く完璧におやりなさい」と呆れたように言った。
真っ当ならそうじゃねえんだよなあ、と思いながら、フロイドも放課後に起こった出来事を話す。
小エビがこけそうだったからつい手を伸ばして支えたら自分の足までもつれてしまい、小エビを押し倒すようになってしまったのを、よりにもよってクルーウェルとリンに見られたのだと言うと、アズールはとうとう目元に険を宿らせた。
「そもそもあなた達が吹っかけなければ起こらなかったことでしょう。海より深く猛省なさい」
「申し訳ありません。何か良い攻め手になるかと思ったのですが」
申し訳ないと言うわりに、ジェイドは困ったように苦笑するだけだった。まったく申し訳ないと思っていないのがありありと分かる。
「つーかさァ、そもそも小エビちゃんが優先すべきは
こっち
対価
なんだから、オレらを優先すべきじゃん? なのにアイツらまで寮に入れるのが悪いんじゃね?」
何事かを尚も言い募ろうとしていたアズールは、「ふむ、」ぱくりと口を閉じて思案する素振りを見せた。
「
……
それは確かに一理ありますね」
「その件に関しては、こちらを」
流れるような仕草で、ジェイドが自分のスマホを取り出した。画面には、ユウとのチャット画面が表示されている。
二人はどれどれとそれを黙読した。
「
……
」
「
……
」
「
……
ジェイド、めちゃくちゃ嫌われてね?」
「フロイド、シッ」
「ふふふ、少々くどすぎましたかね」
ジェイドがスマホをしまう。その表情を見て、フロイドは少しだけ意外に思った。ジェイドの奴、ユウのメッセージには少々堪えるものがあったようである。
「
……
つーか、キノコの山ってチョコとクッキーのやつじゃん。アホほどバックにあるじゃん。いらねー」
「僕は欲しいです。ユウさん直々にお作りいただけるようなので」
「は? ずる」
「それより、もう来ないでくれ、ですか。まあ確かに書面場での契約に送迎は含まれていませんからね
……
」
アズールの言葉に、フロイドは「えーーーっ」と声を上げた。
「やだあ、小エビちゃんとこに行くの楽しいのに」
「えっ」
「おや」
「
……
あ? なに」
ジェイドとアズールが目配せしあう。二人の様子に、フロイドは面白くなさそうに顔を歪めた。
「オンボロ寮に通うことが楽しい、と。気に入っている、ということですか?」
「は?
…………
ぁえ?」
アズールに確認するように言われ、その言葉を正しく理解したフロイドは、「そうだけど」と言いかけて言葉を呑み込んだ。
通う。
どこに。
オンボロ寮に。小エビの、戻る場所に。
誰が。
フロイドが。
「───ォワ
……
」
長い手足を器用に絡ませて、フロイドは小さく縮こまった。それでも結構大きいが、手足の隙間から見える顔はじわじわ赤くなっている。
「おやおや」
「これはこれは」
「いやオメーらもだろうが!!」
「否定はしませんが」
「監督生さんが哀れに思えてきてしまいました」
「どーーーーーいう意味だコラ」
絡まった手足の隙間からがなられても凄まれても何にも怖くはない。アズールは嘆息しながら話を切り替えた。
「まあ、それはともかくとしても。信用回復のためには謝罪を受け取ってもらわなければ」
「新人ちゃんに謝るの?」
そもそもの事の発端は双子が皿を割ったことだ。あの寮を管理する立場にいるのはユウだが、高校生たちは咄嗟に自分たちより大人であるリンに謝罪する方へ思考が切り替わった。
しかし、アズールは違った。
「そうではなく。ジェイドがユウさんに、です」
「僕、ですか?」
ジェイドが瞠目する。お前です、とアズールは頷いた。
「お二人とも、什器が
事故で
・・・
割れてしまったことに対して怒るような狭量な方ではありませんから。この場合は
……
昨日のメッセージに対してですね。大人げなかったとでも言って詫びの品でも渡しておきなさい」
そして、送迎のやり取りにリンは関係ない。リンの提供する食事だけが、送迎の対価として関係あるだけだ。
皿のことはひとまず横に置いてもいいだろう、とアズールは判断していた。
「それでよろしいので?」
「リンさんもユウさんも、どこか形式や既成事実を優先するきらいがあります。罪を認め、形だけでも頭を下げれば、送迎に対しての文句は言わなくなるでしょう」
「
……
随分と
……
婉曲ですね」
「逆に言えば、プロセスを丁寧に踏まないと良い印象を持たれない、ということになります。面倒ですが、仕方ありません。ここ一週間、ユウさんはバイトを休みますし
……
次にユウさんがバイトに来るまでに、謝罪を済ませておきなさい」
「承知いたしました」
ジェイドはにっこり微笑んで胸に手を当てた。
「それと。フロイドは、おそらくリンさんの警戒対象に入っているでしょうから」
「うげえ」
「明日にでも、僕が話をしに行きましょう」
アズールが自信ありげに胸を張る。
「えぇ
……
」
大丈夫かなあ、とフロイドはげんなり顔を歪めた。
◆
あくる日の放課後、オンボロ寮のダイニングテーブルには白い粉がこれでもかと散らばっていた。
すべて小麦粉である。
ハーツラビュルやサムの店から小麦粉を集めに集め、熱湯を混ぜてひたすら捏ね回し、クッキーを作るときの要領で、マグカップなどを使い、薄い円状に切り取って行く。大量生産されたそれを冷蔵庫で寝かせている間に、豚ミンチとみじん切りしたキャベツ、ニラを混ぜ合わせ、これも冷蔵庫へ。
一時間ほど寝かせている間に米を炊き、焼き豚や野菜を切っておく。
テーブルや汚れた床を綺麗にして、ついでに真っ白になったエプロンなんかも洗濯して、オンボロ寮に集まるいつもの面子はどん、でん、とタネと皮をテーブルに用意した。ユウが小皿に水をためたものを複数用意して、皆に近い場所に置いた。
もうお分かりだろうが、今日は餃子パーティである。
デュースが真剣な目つきでゆっくり丁寧にタネを皮で包む横で、エースはさっさと器用に木の葉包みをして見せた。
「まぁでもそうは言ってもさあ、これ以上吹っ掛けたりすると思う?」
「何をだ?」
「ほら、サバナクローとオクタヴィネルの」
エペルに言われて、セベクは「あぁ、」と瞬いた。そうしてすぐに手元に視線を戻す。
昨日の放課後、「もしかするとラギー先輩たちの仕返しに巻き込
……
利用
……
されたかもしんない
……
」とユウが話してから、今日は何が起こるのかと念の為にこうしてオンボロ寮まで顔を出したが、どうもその気配は無かったのだ。
「今日は朝から今まで、ずっと平和だったんだゾ」
「どこかの誰かさんが授業をサボりさえしなければ私はもっと平和にすごせたけどね
……
」
グリムは素知らぬ顔でせっせと木の葉包みを量産していた。デュースよりもよほど出来がいい。その肉球で一体どうやって
……
、とユウはこの世の七不思議を目の当たりにしたような顔になった。
ちなみに、この学園には毎年数が上下する七不思議があるらしい。もはやその事実が七不思議の一つである。
「確かに、利用はされてるかもしんねえが」
作業をしながら口を開いたのはジャックだった。
「この場合問題なのは、レオナ先輩に冤罪を着せようとしたことそのものだ。リンさんとかオンボロ寮は関係ねえ
……
と、思う」
エペルが小首を傾げた。
「不敬罪
……
みたいな?」
「リンさんのファインプレーで冤罪自体は成立しなかったからな」
ユウの脳内で、どこからどこまでも金ぴかな天地驚愕の同盟がセベクもびっくりのクソデカボイスでフハハハハ言いながら「不敬!!!」と声を張り上げた。
宝剣がいくつも放たれて、コスモスフィンクスがビームを放つ。
「管理者のユウとしても事故として処理するつもりだろ」
「えっ、あっ、うん、もう気にしてない」
ユウはいかにも作業に集中していましたよという風情を醸し出した。ジャックは特に気にも留めず、話を続けた。
「ラギー先輩は、第二王子の傍に自分がいるときに皿が割れたことが国に知られたらやべえと思ってんのかもな。俺も又聞きだが、夕焼けの草原で、ハイエナはとにかく立場が弱い。後々自分が悪く言われるのを危惧したんだろ」
はーい、とエースが打ち粉で真っ白になった手を上げた。
「ナワバリ意識みてーなんはねぇの?」
「それは
……
ついでじゃないか。それに、ここはユウの縄張りだって随分前から主張してるしな」
「えへん」
ユウは胸を張った。その隣で何故かグリムも無い胸を張る。腰に手を当てたせいで打ち粉が斑点模様のようになってしまった。
「後は
……
いざというときの保険、とか
……
」
「えっ」
「なんだそれ」
ジャックが考え考え紡いだ言葉に、ユウとグリムは揃ってぱちくりと瞬いた。
「今回、最初の騒動はオンボロ寮で起こっただろ。だからまぁ
……
監督責任的な意味合いで、お前にも負担がいくかもしれない」
ジャックの言葉に、ユウは文字通り頭を抱えそうになった。寸前で真っ白な指先が視界に入ったので「ウグゥ」とどうにか踏みとどまる。
「だめだ、寮同士の揉め事の仲裁を学園長に無茶ぶりされるし、学園長が間に入ったとして後々になって私達に無茶振りするための格好の餌を与えてしまう
……
!」
「凄まじいまでの信頼感だな」
きっちりと木の葉包みをしすぎて柔らかな波に罅を入れているセベクが淡々と言った。
「そういや、お前が厄介事に巻き込まれてるきっかけ、大体が学園長の頼み事だな
……
」
「おかしい、烏はうちの国では吉兆なのに
……
」
「ここツイステッドワンダーランドだぞ」
「そうでした
……
」
「もう学園長を出禁にした方がよくね?」
「ここも一応学園内だが? その長に対して出禁とは?」
そうこうしているうちに、とんでもない数の餃子が出来上がる。余ったら水餃子にしようとユウがワクワクしていると、けたたましくブザーが鳴った。その後すぐにがちゃがちゃと鍵の開けられる音がする。リンが帰ってきたのだ。
ユウは手早く手を洗うと、すぐに階段を数段降りた。
「リンさん、おかえりなさい! 今日は餃子です!」
「おっ、マジで!? 蝶サイコーじゃん!!」
「お邪魔してまーす」
「お邪魔してます!」
ユウの後ろからエースやデュースたちがひょこひょこ顔を覗かせる。リンは「はい、いらっしゃい」と肩を揺らして笑った。
「あんた達、今日は泊まるの? どうすんの?」
「うーん、食ってから考える」
「俺は帰る。朝練あるしな」
「僕も、夜警があるからな。それまでには失礼させてもらおう」
「僕は、泊まりたいけど
……
餃子だし
……
」
ヴィルさんに怒られる
……
とエペルが本当に嫌そうな顔をするので、ユウは優しく「泊っておゆき
……
」と言ってやった。
「そうか。分かった」
頷いて、リンは少しだけ逡巡した。
「悪いけど、今日だけ、談話室を譲ってくれない」
「?」
「別にいーっすけど
……
」
「何かあるんですか?」
リンはなんて事はないという風に言った。
「客が来るのよ」
ユウたちは揃って顔を見合わせた。グリムがこてんと首を傾げる。皆の頭上には、揃って疑問符が浮かんでいた。
その日の夜、遅く。
オンボロ寮を訪ったのは、寮服に身を包んだアズールだった。
リンは至極いつも通りにアズールを迎え、コートや杖、帽子を預かり、談話室へと通した。
「コーヒーでいいかい」
「あぁ、いえ、お構いなく」
予め用意していたアイスコーヒーを差し出すと、アズールは「頂きます」と言って受け取った。
「それで。なんだい、話って」
放課後、リンの仕事がようやく終わろうかという時に、アズールは事務局へ顔を出したのだ。お話したいことがありますので今晩よろしければオンボロ寮に伺わせて頂きたいのですが、と今までになく丁寧に言われたものだから、リンは訝しみながら是と返した。
「今日はお詫びに参りました」
アズールが姿勢を正す。リンはすぐに何の話か思い当たらなくて、小さく眉根を寄せた。
「先日、フロイドがユウさんを押し倒してしまったそうで」
「あぁ、」
その話か、とリンは探るようにしてアズールを見やった。
詫びならばユウにすべきだ。リンはユウの保護者らしき立場にはいるが、なんでもかんでも保護者然として振舞うつもりはなかった。リンに謝られても、というわけだ。不快な思いをしたのは、リンでは無くユウの方であるはずなので。
ただ、あれがユウにとって嫌悪すべきことならば勿論、今頃フロイドをどうしているかは口が裂けても言えないが、ユウの様子からして、本当に事故のようだった。悪意も善意も無く、ただただうっかりやらかしてしまったように見える感じになってしまっただけなら、リンは口を噤むつもりでいた。
「
……
ユウが言うには不慮の事故だったらしいけど」
「ええ、フロイドもそのように。もちろん、あれは嘘をつきませんが、ユウさんはお人よしですからね。料理練習の相手をしてもらっている相手に弁護しないというのは聊か気が引けたのかもしれません」
ぺらり、とアズールが言葉を並べる。まァ確かに一理あるなとリンは思ったが、それだけだった。話の続きを、無言で促す。
アズールは、不意に声音を深く落とした。
「リンさんとしては、フロイドを送迎の役割から外していただきたいのでは?」
「
……
」
「ご要望とあらば、宿泊も控えるように僕の方から言って聞かせますが」
アズールがすぐに言い添える。リンは片頬を小さく吊り上げた。
「あれだけ足癖の悪い奴に?」
「足を使った勝負なら、負ける気はしませんね」
アズールが堂々、言い放つ。リンは思わず、声を張り上げて笑った。
「あはは! そりゃそうだ。数が違う」
相好を崩したリンに、アズールは深めた笑みを崩さない。
「では───」
「でも結構だよ」
しかしリンは、アズールを遮った。
「別にユウがいいなら、このままでも構わない。あれが嫌と言うなら話は別だが、今のところどっちつかずのようだからね」
「
……
なるほど?」
「宿泊も、別にいいんだよ」
相槌を打つアズールに、リンは歌うように言った。
「なんせ私は、ハナから信用してないからね」
「
…………
」
警戒はし続ける。心を許すことは、絶対にない。───ユウが許すと言わない限り。
リンは静かに微笑んでいた。けれどもその双眸にある光には、優しさも厳しさも、冷たささえも無かった。
「
……
なるほど」
再び、アズールが相槌を打つ。慣れた仕草で眼鏡の位置を直したアズールは、いつものように、悪くどく口端を吊り上げた。
「それを聞いて、
安心しました
・・・・・・
。いっそ心が軽くなったようです」
「
……
ほぉ」
リンが柳眉をそよがせる。アズールは全く気にしなかった。
「どうぞそのまま、警戒心をお持ちになっていてください。僕たちはユウさんやリンさんをどうこうしようだなんてこれっぽっちも思っていませんから。警戒されようがされまいが、今まで通りに接して頂けるならそれ以上は望みませんとも」
「
……
それはまた、随分殊勝な心掛けだね」
「いいえ、効率の問題ですよ。必要が無い事を求め続けるのは無駄というもの」
「ふうん?」
品定めをするかのようなリンの視線をおくびにもせず、アズールはいっそ吐き捨てるようにして言った。
「これからも、その点の信用に関しましてはどうなろうが構いません。対価を頂けるかどうか───それが一番の問題ですから」
「
……
左様で」
言い切ったアズールに、リンが苦笑する。
しばらくの間を置いて、リンは独り言ちるようにして言った。
「ま、それならそれで、いいけどね」
───イヨッッッッッシャ!!!!!!!!!!!!!!!
アズールは内心で盛大に拳を握りしめた。
勝った。リンに、己の主張が通ったのだ。送迎の対価として食事を提供してもらうことを───今になって思い返せば随分とあっさり───承諾されたときも似たような思いを味わったが、今回ばかりは訳が違う。
詫び、という体裁であるが故に、元々結果など目に見えているようなものだったが、それでも、アズールにとっては、喜びもひとしおだった。
リンはそんなアズールから敢えて視線を逸らしながら、「後でユウに聞いておくよ」と他愛ない世間話をするような語感で言った。
「まぁ次の送迎まで一週間あるし。その間に決めるだろうさ」
「ユウさんには、この話は
……
」
「あぁいい、いい、私が勝手に気を揉んでいるだけだからね」
リンはひらひらと手を振った。
「自分で決めようという時に、大人のお節介ほど邪魔な物は無いだろう。私は聞くだけさ。まぁ、あの子が不安に思っているようだったら、今日のことは伝えよう」
「ありがとうございます」
アズールは今までで一番、丁寧に頭を下げた。
所変わって、サバナクロー寮にて。
モストロ・ラウンジにてひと時を楽しんだ寮生たちから「なんだか今日はアズールの機嫌が随分良かった」と聞いて、レオナとラギーは訝し気に眉を寄せた。
「
……
」
「
……
」
おそらくは、アズールが動いたのだろう。そもそものきっかけになった双子の行動についてか、今回のフロイドのことについてかは分からないが、オンボロ寮にて、リンやユウと何かしらやり取りをしたはずだ。おそらくは、アズールが詫びを入れる形であったはず。
それが、傍目に見ても分かるほど上機嫌になるとは、一体なにがあったのだろうか。
アズールとの関係はリンからいろいろ聞いているせいで心当たりがありすぎて、どうにも分からない。
「レオナさん」
「んだよ」
「一勝二敗ってとこっスか?」
ラギーの言葉に、レオナはそれと高く分かるほど舌を打った。
「一体何を吹き込まれたんだか」
「で、どーするんスか?」
「
……
」
アズールが動くかもしれない、という読みは当たった。だが、動いた場合を予想していた結果とは多少、色の違うものが飛び出てきた。
リンに丸め込まれて悔しそうにするか、どうにか辛勝して憑かれた風情を滲ませるか、そのどちらかだと思っていたのだ。
女王が動いて僧生が取られると思いきや、別のポーンが取られたような感覚だった。
ともかく一手、打ち直さなければならない。これで終いにできるはずが、相手に利がある状態で終わることは、到底受け入れられることではなかった。
長く息を吐いて思案を巡らせるレオナに、ラギーがぴこんと耳を跳ねさせる。
「時間かかる感じっスか? じゃーオレ、ちょっと好きにやらしてもらうっスよ」
「はあ? 何するんだ」
「バイトっス」
「バイト?」
胡乱気に言うレオナに、ラギーは「悪いようにはしませんって!」シシッといつものように、にやりと笑って見せた。
◆
翌日、ユウは放課後になって、再びフロイドに捕まった。
フロイドは小エビを視界に入れた時などはいつものようににっこり笑っていたが、小エビがいつものように近付くと、自分から一歩距離を取った。自分の体の下にすっぽり収まった小エビの小ささや、触れた背中の柔らかさなどを考えると、どうしてもソーシャルディスタンスを守ることしか平静を保つ方法が思い浮かばなかったのだ。
胡麻和えを作るためにユウが白ごまをすり鉢でゴリゴリやっているときも、フロイドは離れた場所からスツールに座ってそれを見守っていた。
「先輩、なんか遠いですね」
フロイドの気に障らないように言ったユウに、ウン、とフロイドは頷いた。
「オレ、もう小エビちゃんがこけても助けないことにしたんだよね」
「えっ、ひどい」
「オレも我が身が可愛いから」
「えぇ
……
、まぁ
……
いいですけど
……
もうこけないので
……
」
ユウは長さを短く整えたほうれん草をそのまますり鉢に放り込んで、白ごまと和えた。
「ところで先輩、モストロの方はいいんですか? 人数足りてるんです?」
シフト表を思い浮かべながら訊ねると、フロイドはウン、と頷いた。
「コバンザメちゃん来たから」
「えっ、ラギー先輩が?」
ユウは驚いて、思わず手を止めてしまった。
「なんかー、急にお金が入用になったらしいよ?」
「
…………
おかね、ですか
……
」
錬金術の授業のときには意地でも金になるものを作り出そうとするラギーのことだ。苦学生であるには違いないだろうが、ユウは数日前のことを思い出していた。
───お皿のこと、気にしてんのかなぁ
……
グリルで焼いていた鮭をひっくり返しながら、ユウはリンに相談してみることにした。
来週の授業で小テストが目白押しなのは一年生だけである。
モストロ・ラウンジで働いている知り合いの伝手を頼ってアズールに頼み込み、急遽ユウの代わりにシフトに入れてもらったラギーは、閉店してからも片づけ作業に精を出していた。
「お疲れ様です、ラギーさん」
「お疲れーっス!」
そんなラギーへ、ジェイドが声をかける。ラギーは元気よく返事をした。
「今日はいつにも増して豆々しく働いていただきましたけど、何か得るものはございましたか?」
「え? オレにとっての得るものはこれからっスよ?」
「これから?」
「お給金♡」
「
……
なるほど」
にっこり微笑んで親指と人差し指で円を作り、それ以外の指をきっちり揃えるラギーに、ジェイドもにっこり微笑んだ。
それを見計らったかのようにして、アズールが奥のVIPルームから姿を見せる。
「まったく、ラギーさんは正直者で助かりますよ。どうぞ、こちら、今日の分です」
「あざーっス!!」
茶封筒の中身を確認しようとしたラギーは、けれども突然賑やかになったスマホにあちゃ、と顔を顰めて見せた。
しかし、勤務中とはいえ、もう客はいない。アズールは「どうぞ、お気になさらず」至極当然のように促した。
ラギーは申し訳なさそうにへらりと笑って会釈した。
「すんません、じゃ、失礼して
……
げ、リンさんだ」
「、」
ぴくりと二人が反応する。ラギーはもちろん、それに気が付いた。
「もしもし! ラギーっス。
……
あぁ全然全然!! あ、それより、オレ、謝んなきゃなんねえことがあるって言うか
……
、あ、そう、皿のことなんスけど
……
えっ、あ、まぁ
……
え、誰から
…………
、あー
…………
や、そのー
……
まぁ確かにそれならリンさんとかユウくんのとこでいろいろするのが筋かもしんねえっスけど
……
うっス、そっスね、ハイ、
……
えっ今から? 行っていいんスか? ヤッタァ腹ペコっス!! うっス!! あざっス!! じゃー超特急で行きますんで!! うっス!! 失礼しゃっス!!」
ぴ、とスマホを操作して、ラギーはこれでもかと言わんばかりにぺかーっ! と笑顔を見せた。
「じゃーオレ、これから急遽入った仕事行ってくるんで! それじゃ!」
にっこり、アズールとジェイドも綺麗な笑顔を作って見せる。
「
……
どうぞお気をつけて」
「お疲れ様でした」
モストロ・ラウンジをさっさと後にして、ラギーは鏡舎からオンボロ寮までの夜道を、誰も見ていないのをいいことに、ほとんどスキップしながら進んだ。
───あのアズールくんたちの、イラっとした顔といったら!
めちゃくちゃ写真に撮りたかったし、めちゃくちゃ自慢したかったが、ラギーはデキる男なので、オンボロ寮の玄関に辿り着くころには自分を落ち着かせていた。そうしてあくまでもいつも通りにこやかに、冷静に、ブザーを鳴らす。
ドアはすぐに開けられた。
「はいよ、いらっしゃい」
「御用とあらば即参上っス! あなたの頼れるラギー・ブッチっスよ!」
冷静になんて無理だった。述べたこともない口上を口走ったラギーに、リンは半笑いで言った。
「お前、いつから狐になったんだ」
「狐ェ? オレはハイエナっスよ!!」
「確かに魔法士ですし、キャスターはキャスターですね」
リンの背後から、ユウがひょこりと言葉を挟む。ラギーはこてんと首を傾げた。
「キャスター
……
? 荷台のコロコロのことっすか?」
「気にするな、こっちの話だ。仕事の前に腹ごしらえしといで」
「今日はかつ丼ですよ」
「かつどん」
談話室に通される。少し前に温め直されたのだろうそれは、運ばれた時からとても美味しそうな匂いを漂わせていた。
とろとろの卵の上に、細かく刻まれた海苔が散らされている。既に食べやすい大きさにカットされているのは、分厚い豚肉を一切れ、丸ごと揚げたものだった。コロッケのように、じゃがいもを混ぜているわけでもない。
こんなの絶対美味いに決まってる、とラギーはすっかり手慣れた様子で箸を操った。既に縦に切れ込みが入っているカツを、さらに半分に割る。
とろとろの卵と海苔、そして白米と一緒にサクサクの衣で包まれたカツを頬張って、───ラギーはもういっそ泣きそうだった。
「オレ
……
かつ丼食うために生まれてきたんスね
……
」
「大げさなヤツだな」
「ラギー先輩、天ぷら食べたらぶっ倒れそうですね」
「面白そうだな、今度作るか」
「ぶっ倒れますわ」
もうそれしかこの美味いものに対して支払える礼などないのでは? とラギーは本気で考えていた。小休憩しか挟まずにぶっ続けで六時間ほど働いたからというのもあるだろう。空腹は最大の調味料だ。
カツを噛みしめるたびに広がるじゅわりとしたものはダシだろう。しっとりとしているはずなのに、玉ねぎはしゃくりと気持ちのいい歯ごたえがあった。そして何より、時折海苔の塩気が甘味でいっぱいになる口の中を引き締めてくれる。
ラギーはあっという間にかつ丼をぺろりと平らげた。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様」
深々と頭を下げたラギーに、ユウが茶を出した。見事に空っぽになったどんぶりは、いっそ感心するほどだ。
「で、オレ、何すればいいんスか?」
もうなんでもするっス、という勢いのラギーに、リンは「簡単なことだよ」と、どこからか煙管を取り出した。
シガレットホルダーの親戚だろうか、と不思議そうに見つめるラギーの前で、リンはクルーウェルにアドバイスしてもらいながら自分でブレンドした煙草を取り出した。刻まれた葉を混ぜただけの状態にしているものを一つまみ取り出して、くるくると小さく丸める。
ラギーは黙ってそれを見つめていた。リンが丸めた煙草を受け皿にきゅっと押し込む頃に、マッチを手にしたユウが戻ってくる。
ユウはマッチを擦ると、炎を遠くから受け皿に近づけた。少しの間があって、ようやく煙草に火が移る。
吸い口から口を離したリンが、一拍置いて、やんわりと鋭い煙を吐き出した。
「お前の仕事は、話すことだ」
「
……
話す
……
?」
そう、とリンは頷いた。何をだろう、とラギーは黙ってリンからの指示を待った。
漂う煙が、ラギーの鼻を擽る。反射的に匂いを嗅いで、ラギーは何度か瞬いた。
ヤニ臭くないのだ。どちらかというと紅茶のような、甘さの中にほんの少しの苦みが混じる匂いがあっという間に部屋に充満するようだった。
香りの善し悪しなど、臭いか臭くないか程度の判断基準しか持っていないようなラギーでも、「これはいい匂いだ」と分かる。
ニコチンを使っていないだろうにも関わらず、中毒性があるような気さえしてしまう。実際に吸ってみたら、どんな味がするのだろう───
「お前たちが」
ラギーはハッと息を呑んだ。そして初めて、あまりにもリンの口元を中止しすぎていたのだと悟る。
正確には、吸い口を咥えるリンの口元を、だ。薄い唇が動くのに気付いて、ラギーは慌てて前のめりになっていた姿勢を正した。
「最近、いろいろ
……
バチバチやってんだろ」
「
……
え?」
「私もユウも、これ以上振り回されるのはごめんだからね」
リンがすらりとした足を組み替える。ラギーは思わず、喉を鳴らして生唾を呑み込んだ。
「いい機会だ。何がどうしてどうなってるか、洗いざらい全部吐きな」
「
……
っえ、いや、えっ。オレには何が何だか、」
遮るように、リンが鋭く煙を吐いた。
「ァン?」
───アッやっべ 死
心臓がどこどこ言いだした。脂汗だか冷や汗だかがまるで漫画のようにだらだら溢れ出て流れていく。
ラギーは必死で脳みそをフル回転させた。脳内のレオナにも全力で泣きついた。脳内のレオナはラギーがリンを指してどれだけこのひとが迫力満点で恐ろしいかを言い募っても「あっそォ」という風情で話を聞く素振りすらおざなりだった。
「
……
あのォ
……
」
「キリキリ話せ」
「アッいやおたくに迷惑かける気はこれっぽっちもなくてっスね」
ラギーはびゃっと肩を跳ねさせた。恐ろしさ故か、リンの放つ圧力故か、口が勝手にべらべら回る。ラギーは耳をぺしょんと伏せてしまった。
「その
……
売られた喧嘩買ってるだけっつーか
……
やられたらやり返すのがここでのルールっス。生き残るためには、バカにされたら報復が絶対。何もしねえ奴は存在してねえのと一緒っスから」
リンのような大人には、取るに足らないのかもしれないけれど。一応、プライドは懸かっているのだ。男子高校生にだって、譲れない一線というものがある。
ラギーはなんとなく、リンには鼻であしらわれる気がするけど、そうなるのは嫌だなと素直に思った。
「きっかけは、まぁここでリーチ兄弟とかち合ったことっスけど
……
先に手を出してきたのは双子の方っスよ。で、オレ達でフロイドくんを嵌めました。あ、金継ぎの店も代金の話もほんとなんで、そこらへんはまぁ
……
レオナさんとやり取りしてください」
煙管を一服、味わったリンが、「要するに、」と低い声で言った。
「お前らの喧嘩に、私らが出汁にされてるって訳ね」
「いや
……
まぁ
……
」
ラギーは「そういうわけじゃないけどそうなってるとも言うか」ともごもご言って、ぎろりとリンに睨まれた。すいません、と反射的に頭が下がる。
不意に、ずっと黙っていたユウが嘆息した。
「これ、放っておいて寮同士の喧嘩になって問題になったら、全部オンボロ寮のせいにされる気がしてきました」
あの寮長たちならそうしそうだし、仲裁に駆り出されるだろう学園長なら、「二人以上も同じことを言う人がいるのなら」とそれを受け入れるだろう。
そして、また罰だとか、許してほしくばだとか何とか言って、オンボロ寮に無理難題が吹っかけられるのだ。
千里眼が無くとも見通せる未来に、ユウは苦々しく顔を歪めた。
「
……
ユウくんもだいぶ染まって来たッスね」
「
……
まぁ、自分の身を守る為ですから」
ユウの声音は硬かった。そりゃあ、染まりたくて染まったわけではない。
リンが、指越しに煙管を灰皿に当てて、こん、と灰を落とした。
「お前を預かる男から始末もつけてもらった、お前自身からの詫びも貰った。あの皿の一件はこれで終いだ」
「真犯人とかも、別にいいです。寮の備品が壊れているのはいつものことですから、大したことじゃないので」
リンが確認するようにユウを顧みた。
「もういいね?」
「はい、もう大丈夫です」
ユウがしっかり頷いた。対照的に、ラギーは目を白黒させた。
───えっ、なにが。オレ的には全然大丈夫じゃない。
一体これから何を言われるのか、ひどく肩を強張らせているラギーに、リンは玄関の方へ、くい、と顎をしゃくった。
様になりすぎているその仕草に、思わず「ヒェ」と変な声が出る。
「用は済んだ。とっとと帰んな」
「あっス」
ラギーはすぐさま立ち上がって、挨拶もそこそこにオンボロ寮を後にした。
静かになったオンボロ寮に、二つの嘆息が響く。グリムもいれば嘆息は三つに増えていただろうが、生憎グリムはもう夢路へと旅立っていた。
「さて。どうするよ、ユウさん」
このままではイタチごっこに巻き込まれてしまうどころか諸悪の根源らしい扱いをされてしまう可能性だってある。思案を巡らせるリンに、ユウは考え考え、言葉を紡いだ。
「それなんですけど、考えがあって」
「うん?」
珍しい。いつもはリンが軍師のような役割を担っていたのに。
「リンさんにも、ご協力頂きたいんですけど
……
」
何か思案を巡らせているらしいユウの頼みごとを、リンは一もにもなく了承した。
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