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桜霞
2022-10-01 16:50:50
23091文字
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【twst夢】フライパンは無敵
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事実は小説よりも奇なり
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/06/09にpixivに投稿したものの再掲です。
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砂漠の夜は、意外にも冷える。砂が吸収した太陽の熱が空気中で冷まされる際、なんの遮蔽物も無いからだとされている。冬になれば、そこは氷点下の世界となることもあった。事実、スカラビア寮のある時空の果ては、寒暖差が著しい。
しかし、寮として利用される建物がある地域ではそうでもない。人間が耐えうる寒暖差に落ち着いているので、風が吹けばちょっと肌寒いかなという程度であった。
その日のスカラビアは、不気味なほどに風が無かった。
食客として訪れたオクタヴィネルのアズールやリーチ兄弟を含め、スカラビア寮に滞在している生徒たちは、カリムとユウを除いて夕食後早々に眠りに就いた。グリムも先程のジャミルとの戦闘ですっかり気力を使い果たしたのか、ユウが部屋から出る時にはぐーすかといびきをかいていた。
ずっと信じていたジャミルに裏切られて、憔悴しているはずのカリムは、目元こそ赤くなっていたが、毅然と前を見つめていた。その視線の先には、学園の鏡舎へと繋がっている鏡がある。
その鏡の中央から波紋が広がったのを見て、ユウは深く呼吸し、手にしたフライパンを強く握り直した。
カリムはマジカルペンをくるりと回し、蛇を模した杖をその手に顕現させた。
夜の砂漠に紛れるようにして現れたのは、一人では無かった。ざっと数えて、十人前後である。誰もがフードを目深に被り、音も、気配もなく、ぬるりとそこに現れた。
彼らがそこにいると示しているのは、鏡に浮き立つ波紋だけだった。ユウは、思わず後ずさってしまいそうになるのを懸命に堪えた。力の入れすぎで、四肢は強ばって、なかなか動かない。
「カリム様
……
」
誰かが呟いた。
「何用だ」
返すカリムの声は、言葉のせいか、少しだけ硬かった。いつもの朗らかさや柔らかさが無いだけでこれだ。ユウは、ついカリムの方を見てしまった。
「
……
わざわざお出迎え頂き、恐悦至極に存じます」
───いま、誰が喋った?
ユウは素早く視線を走らせた。どこで声が上がったのか、まるで分からない。
「アルアジーム家の皆様方におかれましてはお心安らかにお過ごし頂けますよう、裏切者を回収しに参りました」
「そうか」
「はい」
カリムは、すう、と息を吸いこんだ。そうして、腹に目いっぱい力を込めた。
「帰れ!!」
「、」
ユウは瞠目した。何も無い空間では、声を張り上げても上手く響かないことが多い。しかしカリムの声は砂漠の向こうまでよく通るようだった。
「帰れ。お前たちの主人の命だぞ!」
微動だにしようとしない彼らに、カリムは尚も繰り返した。台詞だけ聞けば焦っているのかと思えるそれは、しかしその実、しっかりとした強さを持っていた。
「
……
それでも剣を抜くか」
カリムがぽつりと静かに呟いた。ほんの少しだけ空気が硬くなったのを、ユウは敏感に感じ取った。
───剣? いま、剣と言った?
───本当に?
「そうだよな。
オレの代わり
アルアジーム
はたくさんいるからなぁ。父ちゃんもまだ元気だし」
どこか小さく脱力して言ったカリムに、ユウは絶句した。
言葉にはし難い、途方もない感覚がユウを襲う。
「
……
だからオレは死ぬ訳にはいかない。ジャミルを殺させるわけにもいかない」
───いのちのやりとり。
まるで心臓が止まっているかのように、ユウはしばらく呼吸を忘れていた。ユウがその場の雰囲気に呑まれていることに気付いたのは、カリムが語り始めてしばらく経ってからだった。
「ジャミルが最後の最後まで慮ったものを、オレは傷付けたくないし、壊したくない。だからさ、せめて聞かせてくれ」
カリムの声には、一切の感情が無かった。雰囲気がまだ固くないせいで、丸く、柔らかに感じるが、決してそういうわけではないということを、ユウはカリムの双眸に宿る光から感じ取った。
カリムの瞳には、普段の彼からは想像するのも難しい静けさだけがそこにあった。
「これは、お前達の独断か?」
カリムの父がバイパー家を悪く言っているのを、カリムは聞いたことがなかった。たとえ彼らが失敗しても、それが故意ではないのなら不問に処していた。
───ジャミルがオレに遠慮してたなら、それは一族ぐるみなんだろう。
だからきっと、父も知らないはずだ。
信用を頂くために、バイパー家は器用に立ち回っていることを、おそらくアジーム家は知らなかった。きっと、ずっと、昔からそうだった。
唯一信頼出来る一族だと、そう思わされてきた。他ならぬバイパー家に。
───今回のこれも、知らないはずだ。
そうであってほしい、と、カリムは残酷にも、素直にそう思った。父のことは、ジャミルの他に、唯一信じているが故に。
これもバイパー家の計算だと。万が一にも一族から裏切り者が出たならば即粛清する体制があるというアピールなのだと。
アルアジーム家から、一族の信用を失わないための布石であると、カリムは信じたかった。
果たしてバイパー家の者達は、カリムの問いを肯定した。
「
…………
そうです。これが我ら一族のけじめの付け方」
「お優しいカリム様には理解し難いでしょうが、見えない不安こそ最大の脅威」
「あれの代わりはまた後日ご紹介させて頂きますので今しばらくのご辛抱を、」
「要らない」
言葉が詰まった。空気も凝る。
「、え」
「要らない」
動き出した時を、カリムは一刀両断した。
「で、ですが、」
「あれはカリム様を裏切ったんですよ!?」
「オレが信用してたのはジャミルだけだ」
「、」
カリムは淡々と言葉を続けた。
「他を宛てがわれても困る。信用できないからな! ジャミルはもうオレを守ってくれないし、オレは毒以外で攻められるとてんで弱い」
カリムはもう、自分で自分を守るしかないのだ。
「オレが信用してたのはジャミルだけだ。この世でたったひとり、ジャミルだけだった」
───あぁ、先輩は、元々ひとりだったのだ
カリムの多くを知らないユウも、それだけは、なんとなく、はっきりと感じた。
───そうして、またひとりになったのだ。
この世界に、ひとりきり。
多くを持ち、多くの人間に慕われても、カリムにはジャミルがいなければ、たったひとりぽっちなのだ。
「まぁ、裏切られたけどな!」
しかし、カリムは、あっはっは! と快活に笑った。その明朗さに、ユウは胸が苦しくなって、奥歯を食い縛った。目に水の膜が張ったけれど、力を入れてその衝動を押し殺す。
───私が泣くのは違う。それだけは違う。
ユウは、意識して深い呼吸を繰り返した。
「だ、だったら
……
」
流石に狼狽えたのだろう、困惑が伝わってくる。それに対し、カリムは穏やかに微笑んだ。
「だったら、しょうがないよな」
「───」
「信じてもいないやつに殺されるのは嫌だけど、ジャミルに殺されるんだったら仕方ないさ。だって悪い奴だし」
カリムの言葉に、今度こそ彼らは困惑を隠しきれなかった。言っていることの要領が得られないからだ。
「
……
は
……
?」
「ど
……
どうして悪い奴を傍に置いておくんですか!?」
「あいつは貴方を裏切った。不穏分子です。生かしておく訳にはいかない!!」
「そうだ。あいつはオレを裏切った」
カリムは深く頷いた。そしてすぐに、「でも、」と言葉を続ける。
「それは、オレにも原因はある。オレが
……
なんだっけ
……
ナントカカントカ
……
あっそうそう、無自覚に傲慢で鈍感だからだ!」
誰かが「え、えぇ
……
」とぼやいたのを、ユウは確かに聞き拾った。
「
……
あいつが裏切ったのはあいつのため。あいつが今まで我慢してたのは、お前たち一族のためだ」
確かに、自棄になって固有魔法を乱発する寸前、彼は「俺も一族もどうにでもなれ、」というようなことを言っていたなとユウは思い出した。
「オレはジャミルに好かれてるとは思ってなかった。嫌われてるとは思ってなかったけど
……
好きでないのは分かってた。それでも何度も助けてくれた。自分のため、一族のためだとしても」
ユウは目を丸くした。確かに、カリムは、ジャミルとの友情は信じて疑っていなかったけれど、「オレの親友」と紹介したことは今まで一度でもあっただろうか。裏切られたときでさえも、「アイツはいいヤツだから、」としか言っていなかった。
アイツとは、親友だから、ではなく。
「───だからジャミルはいいやつだ」
カリムは、ここへ来ても、その言葉を繰り返した。
「オーバーブロットする直前まで、あいつは一族のことを慮ってた」
少しだけ寂しそうに苦笑して、カリムは一度だけ瞑目した。
「友達も、ライバルも断られちまったからなあ」
特徴的な杖先が、真っ直ぐな視線と共に、ぴたりとバイパー家に据えられる。
「アジーム家次期当主としてバイパー家に問う。己が身を一族に捧げてきたこどもに、死を以て贖うという愚か者は、この中にいるのか?」
「っ
……
!」
その声は、決して大きくは無かった。けれどもそこには、確りとした圧があった。予想外だったのか、彼らは一様にたじろいだ。
そしてそれは、ユウへと大きな勇気をくれた。
「
……
立ち退かないのが、お前達の答えでいいか?」
肌を刺すような冷たい冷気───後にそれは殺気だと、ユウは気付いた───が膨れ上がる。
「ユウ!!」
反射的に、ユウの体は動いていた。
「『
いまは遥か理想の城
ロード・キャメロット
』!!」
「何を!?」
フライパン
疑似宝具
が、淡く青白い光を放つ。瞬間、ユウの足下を中心に、白亜の城門が一息に築き上げられた。
「こんなの、なんの魔力も感じない、ただのハリボテだ!!」
「っお覚悟!!」
突然の出来事に目を剥いた彼らが、一斉に跳躍する。
───絶対、だいじょうぶだよ!
無敵な魔法の呪文は、小難しいものだけではないのだ。
恐怖を、全て、あらん限りの力で押し殺す。
「っは!?」
果たしてその
宝具
フライパン
は、見事、己に定められた名の通り、盾の力を如何なく発揮した。
甲高い音を立てて、全ての攻撃を誇り高き円卓の城が跳ね返す。
この好機を、カリムは決して無駄にしなかった。
「
……
熱砂の憩い、終わらぬ宴───」
「ユニーク魔法!?」
「こんなところでそんなものを、何になる!?」
カリムの魔法は、彼に関わる者ならそのほとんどが知っていた。
ただ、水を出すだけの、何の役にも立たない魔法だと、その場にいる誰もが知っていた。
けれども、カリムは、知っている。
アズールに、リーチ兄弟に、ユウに。
教えてもらったから、もう知っている。
「歌え。踊れ! 『
枯れない恵み
Oasis Maker
』!!」
大量の水が、虚空から溢れ出る。さながらそれは滝の如く。
「水など砂が吸収───、ッ!?」
その先は、音にならなかった。
砂漠の大地は、干上がっているが故に、硬い。小さな水滴すらしみ込むのに時間がかかるほど、密度が高いのだ。滅多に雨が降らず、常時乾燥しているが故である。
そこへ、文字通りバケツをひっくり返したような水の塊が投げ出されれば、どうなるか。
その威力は、まるで弾丸。
気が付いた時には、水がすべてを呑み込んでいる。
これは濁流でも、波でも無い。
正しく、水の壁である。
『ロード・キャメロット』で守られていたユウとカリムを除いたすべての人間は、為す術なく、スカラビアの外へと押し出された。
「クソッ、あのガキ
……
!」
ぴろりん。
「!?」
誰かが口悪く罵倒を吐き捨てた。半瞬後、その場にそぐわぬ軽快な音がいやに大きく反響する。
『あいつは貴方を裏切った。不穏分子です。生かしておくわけにはいかない』
キュルル、とビデオを早送りするとき特有の機械音が彼らの心をざわつかせる。
彼らは、スマホを手に、泰然と佇む女を見つけた。
『死を以て贖う愚か者は、この中にいるのか?』
キュルルル、
『立ち退かないのが、お前達の答えでいいか?』
キュル、
『お覚悟!!』
ピッ、と音を立ててスマホの画面が暗くなる。
異様な光景だった。目元以外のすべてを隠した男か女かも分からぬ風体の人間たちが十数名と、眼光鋭い女がひとり。鏡が円形に配置され、眩い明かりに照らされている鏡舎にて顔を突き合わせている。
「不法侵入ならびに、殺人未遂」
女は首から下げたネームカードをぷらぷらと振って見せた。そこにはナイトレイブンカレッジ事務局という所属が記されている。貴方たちが来ることを私は聞いてませんよ、という言外の主張だ。
「ご安心を。主人の意向を仰がずに来たということも録画してありますよ」
数人が素早く腰を落として刃物を構えた。
「殺しますか?」
女───リンは鋭く言い放った。
「足は必ずつきますし、人の口に戸は立てられません」
形のいい人差し指が一本、薄い唇の前に立てられる。
「
データは残る
・・・・・・
んですよ」
とある鏡から、腕が一本、突き出ている。
その指がスマホの画面を器用に操作するのを、彼らは瞬きを忘れて見つめていた。
ピッ、
『お覚悟!!』
短剣が鋭く放たれたのと、その腕が瞬き一つで鏡の向こうに消えたのはほとんど同時だった。
「ド下手くそ」
落下した短剣が、からんからんと乾いた音を立てる。
「従者としての誇りを失い、主人を信ずる役割すらも放棄して。よくもまぁけじめだなどと、大言壮語甚だしい。呆れも笑いも通り越して、いっそ恥だ」
その言い方に、その独特の雰囲気に。彼女が何者なのかという疑問に対し、とある推測に至った誰もが目を見開いて、息を呑んだ。
「まさか、きさまも───」
口の端が、吊り上がる。
「言うわけねえだろ、馬ァ鹿」
───さて。どうします? 取引でもしましょうか? あぁどうぞご案じ召されるな、お互いに黙っておくというだけですよ。ネットには上げません
───まぁ
……
皆さんが私の想像以上にいい働きをしてくださったら、こちらとてサービスしますけども
───それとも、この場で私の喉を掻っ捌きますか?
不法侵入者たちは、警備を担当しているゴースト達に引き渡された。これから軽い尋問を行い、翌日夕刻には闇の鏡を使って熱砂の国にお帰り頂くのだという。
闇の鏡を通じて学園に来るためには、許可証の発行が必要だ。そして学園の関係者の中で最高権力の立場にいる者が闇の鏡の問いに対し一言「許す」と言わなければならない。
しかし、それは学園の関係者として登録されていない者に関してのみに課せられるルールだ。学園の関係者に類する者達や、生徒の親類縁者、保護者などはその限りでは無かった。彼らに対しては、最低限、国や都市が運営する『移動に使える鏡』の管理課が許可を出せば済む。許可申請証の発行は学園でしか行えないため、最後に必要な学園の許可は、確認程度の重さしかないのが実情だった。
どうせ、管理課に金を握らせたのだろうなと、リンは不法侵入者たちがどうやって学園にやってきたのか、深く考えるのをやめた。
熱砂の国からこの学園まで、最短でどのくらいかかるのかリンには想像もつかないが、闇の鏡を使えば一瞬だ。カリムはきっと、彼らが闇の鏡を利用することをなんとなく推測していたのだろう。
「実の所どーなの?」
「
……
ん?」
スカラビアの開けた談話室で、リンは煙草を吸っていた。窓辺から、煙がゆらゆらと濃紺の夜空へ漂っていく。
その傍ら、大きなクッションをいくつも引き寄せて長躯を寝そべらせているのはフロイドだった。彼はリンに夕食を届けるついでに、「ちょっと付き合って」と仕事を言いつけられたのだ。
鏡の向こうから腕を出し、リンが送った録画データを再生するという、簡単なお仕事である。データは送信元さえ分からなくしてくれるなら好きにしていいとリンに告げられ、フロイドはにっこり笑ってリンの言う通りに仕事をこなした。
「仕事だよ。シ、ゴ、ト」
甘えるような声で、フロイドは機嫌良く色違いの目を細めた。
「あんなプロの集団相手にさぁ、あれだけ張り合えるって、ただモンじゃねーでしょ。マジでお仲間だったとか?」
フロイドは女も普通もよく知らない。だが、あそこにいたリン以外のすべての人間が、桁違いに強いということは鏡越しにも分かった。フロイドとてただで転ぶ気は無いが、本当に上手くやらなければならないだろうとすら思ったほどだ。
そんな人間を、しかも十数人をも相手取って、リンは一歩も引かなかった。それどころか自分の命をまるで玩具のように扱って、脅してさえ見せた。
「全然ビビってなかったじゃん」
「お前はビビったのか?」
「は?」
目元に青筋を浮き立たせたフロイドに、リンはけらけらと笑った。
「殺しはしねえとは思ってたさ。学園で殺したら騒ぎになるからな。私が天涯孤独だと知っていたら結果は違ったかもしれないが
……
烏野郎は不祥事とも取られる私達を外聞に晒しはしていないだろう」
リンは煙草を吸った。談話室どころか、寮はすべてが静かだった。カリムやユウも先に部屋で休んでいる。ただ、二人の呼吸の音だけが小さくそこにあった。
「何もしなけりゃ黙ってやるし、あいつらが学園にいるうちは家庭の事情を持ち込みさえしなければ私のデータは消すとまで譲歩したんだ。私が生きていても厄介だが、殺しても良い事は無い」
「それだけで腹括ったワケ?」
「メリットとデメリットのバランス、そして計算で生きてる奴は予定外を嫌うからな」
「あー
……
」
フロイドはアズールを思い浮かべた。それが手に取るように分かったリンは、くすりと忍び笑いをこぼした。
「じゃあさあ」
「ん?」
まだ吸えるかな、と煙草を持ち直していたリンは、フロイドの方へ視線を巡らせた。
「リンさん、ここに来るまでは、どーいうとこで仕事してメシ食ってたわけ?」
煙草を咥えたリンは、フロイドを見下ろしてにやりと笑った。
それはそれは美しく、凄絶な笑顔だった。フロイドは思わず、身動ぎも忘れてリンに魅入った。
「───ちょっと、言えないとこ」
紫煙が漂う。フロイドは、それ以上をリンに訊ねることはできなかった。
◆
翌日。
鏡の間で、ユウ達はエースとデュースを出迎えた。二人は朝一番に鏡を通り、学園へと戻ってきた。律儀にも、制服に腕を通している。
「ユウ!!」
「リンさん、グリム!!」
「エース、デュース~~~~~!!!」
「遅えんだゾ~~~~~!!!!!」
三人と一匹はそれぞれ歓声を上げながら互いに飛びついた。リンもなんやかんやと巻き込まれた。
無事で良かった、元気そうだ、ちょっとやつれたか? とやいのやいのと喧しいのが落ち着くころに、リンはほけほけと言った。
「いやあ、結局、間に合わなかったなあ」
「えっマジで!?」
がん、と効果音を立てて二人の目が見開かれる。ユウはそれでもいい、と全力で声を上げた。
「昨日の夜に全部片付いたけど、もう来てくれたことが嬉しいよぉ~~~!!!」
えーーん!! とユウがグリムを間に挟んでエースとデュースに抱き着いて離れない。二人は照れ臭そうにはにかんだ。だが、エースはすぐに意地悪そうな顔で笑った。
「なんだよ、たかが数日ぽっち、寂しかったのか? 心配させやがって!」
「ごめえん!! でも寂しかったあ
……
!!!」
「
……
」
ひっしと抱き着いて離れないユウに、エースはもにょりと居心地悪そうに口を歪ませて、デュースは仕方なさそうにユウを抱き締め返してやっていた。
「帰省届破ったときとか、スカラビアに軟禁されてるときとか、分かんなかったけど、寂しかったんだよ、私。いま分かった」
ぽそぽそと独り言ちたユウに、エースとデュースは顔を見合わせた。グリムがそれを見つめ、そして三対の視線が、リンへと移る。
私にも限界はある、とリンは肩を竦めて見せた。
「
……
よ~~しよしよし、もう寂しくないでちゅよ~~~~」
「あぁ、年末までは一緒だぞ!! 年越しは帰ってこいって母さんに怒られたけど
……
」
「う゛ぅ
……
我慢する
……
そのためにも!! パーティ一緒にしよ!! スカラビア行こ!! あったかいから!!」
「分かった分かった」
「あぁ、勿論だ!!」
二人がユウに腕を引かれて進んで行く。その肩にはグリムが当然のように居座って、リンはそれを少しだけ離れたところからのんびりと追いかけた。
今日は、スカラビア寮にて、ホリデーを祝うパーティが開かれる予定だった。
すっかり静かになった事務局で、リンは窓を開け放ち、煙草を吸っていた。ユウ達はオンボロ寮に荷物を置きに行った。
───ようやく一段落ついた。
数日前にアズールが投稿した件の『某有名魔法士養成学校の闇実況』なるライブ配信についてである。
リンは翌日からクレーム対応に追われていた。肩で受話器を挟み、悪質なクレーマーの理不尽な怒声を右から左へ聞き流しながら、パソコンでメールの送受信作業を手際よく進める。
保護者からの問い合わせには、「ただいま学園長以下、事務員一名以外がすべて出払っておりますので、拙い対応となってしまいますが云々」とできるだけ丁寧に答える。それ以外には「貴重なご意見ありがとうございます」という予め用意されていたテンプレートをそのまま送信する。
怒涛の勢いに対し、同じように返したことが功を奏したのか、年の瀬ともなれば事務室には再び冬の静寂が訪れていた。
さしものリンも今回ばかりは疲労困憊である。精神的にどっと疲れた。体と心がちぐはぐだとはこういうことを言うのだろう。リンはホリデー直前に「選別だ」と煙草を一箱投げて寄越してくれたクルーウェルに心底から手を合わせて拝んでいた。酒ではないが、吸わなきゃやってられないというやつである。
そんなリンのスマホが、不意に着信を告げた。画面を覗き込むと、たった今リンがつらつらと感謝を述べていた相手、デイヴィス・クルーウェルの名前が表示されている。
「はいもしもし」
『災難だったな。生きてるか?』
「辛うじて」
『そうか。気付くのが遅れてすまない』
「構いませんことよ、そちらもお忙しいでしょ」
リンは煙草の灰をいくらか落とした。すぱーと煙を吐いていると、『何があったか端的に説明できるか』と問われたので、少しだけ唸る。
「スカラビアが自主的に居残り特訓してたんだけど」
『ほう?』
「家同士のしがらみとかご家庭の教育方針で十七年間溜まった鬱憤がどっかーーーんって爆発したらしくてジャミルがオーバーブロットして」
『は?』
「大事には至らなかったんだけど、バイパー家らしき方々が動画を見たのか学園に不法侵入してきたのでお帰り願って、」
『
……
』
「元気になったジャミルたちとパーティする約束して今に至る、かな。みんな今年はもう実家には帰らないんですって」
スマホの向こうは沈黙している。きっと眉間を押さえているに違いない、とリンは口端だけで笑った。
クルーウェルが何も返さないのを良い事に、リンは表立って公開はしていない情報も上乗せすることにした。
「あの動画の配信アカウントはいわゆる捨て垢だったんで特定は不可。ネットの特定班って言われてる人たちも早々に匙投げたみたいね。御存じの通りクレーマーはテンプレ対応で軒並み沈黙、アルアジームとバイパーの家は事実上和解。一応、不適切な動画として運営に通報してアカウント凍結を要請しといた。即日、削除されてたみたいだけど」
そのアカウントの背後にいる人物を探ろうとしたユーザーアカウントは軒並み───いっそ不自然に───沈黙した。その不気味さ故に、翌日には騒ぎが鎮火。リンのそつのない対応により、再熱するとしてホリデー明けだが、その頃には学園長が戻ってきている。口八丁で上手く事を丸めるだろうというのは予想できた。
「私が残ってて良かったですね?」
『あぁ、まったくだ。ところで、削除されたアカウントだが、候補の目星はついてるんだろう? オクタヴィネルか?』
「分かってんじゃん」
リンは肩を揺らして笑った。
「説教はしといたから、勘弁してやってくださいよ」
『ふん
……
まぁいいだろう。それで、本題だが』
あら、まだ本題じゃなかったの、とリンは目を瞬かせた。クルーウェルは珍しく、言葉を選ぶのに少しだけ迷ったようだった。
『帰省届を覚えているか』
「ええ」
『ユウなんだが。あれを配布したときに、俺の目の前で破り捨てたんだ』
「、」
捨てたとは聞いていたが、クルーウェルの前で破り捨てたというのは初めて聞いた。リンは言葉を失って、目を丸くした。
───帰るところなんて、ありません
『
……
いっそ平坦な声音だった。俺には帰省しない者も提出しなければならないプリントだと言う事しかできなかった』
「
……
」
『すまん。もう少し早く話すべきだった』
リンは首を横に振った。煙草の火は灰皿に押し潰されてじゅわりと消えた。
「
……
いえ。私にも
……
どうにも。ただ
……
まぁ、私でもそうしたでしょうから。
……
提出書類を破ったことを叱るだけに留めておいてくださってありがとうございます」
『
……
あぁ。まったく不甲斐ない』
まったくもって同感だ。リンは唇を噛んだ。
少女ひとりの心すら、満足に守ってやれない。
───
……
それでも。
それでも、脳裏に映るものがある。
「大人ができることなんて、たかが知れているのかもしれませんね」
鏡の間で、「寂しかった」と、エースとデュースに抱き着いたユウを思い出す。
ユウはこちらに背を向けていたから、その表情は、伺い知ることはできなかったけど。
「でも、大丈夫。エースやデュースが来てくれました」
『
……
そうか。
……
そうか
……
』
クルーウェルが嘆息する。
「私達が傍に居るよとか、一人じゃないよとか、いくら言葉を重ねても、友達とバカ騒ぎする以上のことはないのかも」
『それは、そうだろうな』
少しの沈黙の後、「たばこ、ありがとうございました」とリンは言った。
「
……
たばこも、ですね。たばこも、
……
ありがとうございました」
『気にするな。当然だ。
……
よいお年を』
「ええ、よいお年を」
それっきり、事務局にコール音は響かなくなった。
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