桜霞
2022-06-13 13:38:31
48828文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

【フライパンは無敵】②監督生はおれが守らねば(フライパンを構えながら)

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主
2020/04/21にpixivに投稿したものの再掲です。







 リンがトレイの部屋を後にした時、ユウ達の姿は既にどこかへ消えていた。解散して、寮に戻ったのだろうか。
 寮生でも無いのに他の寮内をうろうろするのは気が引けて、リンはさっさと鏡を通って学園に戻った。仕事も終わり、今日は冷蔵庫にあるもので夕飯を作ると決めているので、購買部にも寄らずに館へ戻る。途中、図書館に寄りそうになったが、今この道を外れれば数時間戻らないだろう自信がリンにはあった。
「ただいまー。…………って、あれ? まだ戻ってきてないのか……
 皆でどっか行ったのかな、とリンは館内を明るくした。
 おかえり、とゴーストが壁から顔をにゅっと突き出してくる。それにただいまと返しながら、リンはさっさと手を洗い、夕飯作りに取り掛かった。
 それからユウが帰ってきたのは、ちょうど夕飯が完成する頃だった。
「うえぇ、リンさぁん、もう一歩も動けませぇん……
「オレ様も腹が減りすぎたんだゾー……
「なんだなんだ、この短時間で何があったんだ。おかえり、ご飯出来てるよ」
「いただきますぅ……
「まず手を洗っといで」
「はぁい……
 しおしおとなっていたユウは、それでもどうにか鞄を部屋の中に放り投げ、グリムと共に手を洗い、食卓に着き、もそもそ夕飯を食べ始めた。ちなみに、リンさんちの今日のご飯は、大根と鶏肉を切り刻んだ生姜と一緒に炊いたものをおかずに、ミスター・サムに無理を言って仕入れてもらったジャポニカ米のような短粒種のコメ、ワカメのお吸い物、焼いたインゲンに白ゴマをまぶした小鉢である。
「それで、私と別れた後、何をしてそんなしおしおになっちゃったの」
「それが……話すと長くなるんですけど」
 ユウは一度、口の中にあるものを全て飲み込んでから、改めて口を開いた。
「リンさん、マジカルシフトって知ってます?」
「あ、十月にある催し物のこと? 職員室のスケジュール欄にあったわ、どデカく。でも何それ?」
「アメフトの魔法バージョンみたいな感じのスポーツです」
「なにそれすっげぇ分かりやすい」
「オレ様も今日、ゴーストたちとプレイしたんだゾ!」
「九十年前に選手だったひとがいるらしくて」
「九十年前」
 ふよふよと漂う細身のゴーストがシルクハットを挨拶するように持ち上げた。あいつか、とリンはなんとはなしに視線を巡らせた。
「で、今度、十月に、寮対抗トーナメント戦があるんですって」
「あぁ、あれはそういうことかあ」
 リンの脳裏には、「授業の予定が狂う」と忌々しげにスケジュール欄を見やる教師が浮かんでいた。
「ナイトレイブンカレッジは名門校なので、世界中から新聞やテレビの取材が来るそうなんです」
「あぁ、あの電話対応ってそういうことかぁ……
「観客動員数も、露店の数も多いんだとか」
「あぁ、あの書類ってそういうことかぁ……!」
 ゆるゆると見開かれていくリンの目や表情が面白い。ユウは思わずくすりと忍び笑いを零した。どうやら思い当たる節がいろいろあるようだ。
「だから、最っ高に目立つ場所で大活躍するために、事件を解決してトーナメントにオンボロ寮を捩じ込んでもらうんだゾ!!」
 口の周りを鶏肉と大根のたれで汚したグリムが高らかに宣言する。えっ、とリンは目を丸くした。
「事件?」
「はい。今日はそれでしおしおに……でも、もう大丈夫です。リンさんのご飯パワーで元気になりました!」
「それは良かった。で、その事件を持ち込んだのはもしかしなくともクソ烏野郎ね?」
 にっこりとリンが笑う。グリムはさっと視線を逸らした。
「クソ烏……言い方……いやまぁ、確かに学園長なんですけど……
「あンの野郎、……はぁ、まぁ、過ぎたことを言っても仕方ないか……
 嘆息したリンに続きを促され、ユウはできるだけ要点をピックアップすることにした。
「リドル寮長とか、トレイ先輩とか……とにかく、マジフト大会で活躍しそうな選手ばかりが保健室のご厄介になってるんです。リドル先輩も、今日、階段から落ちそうになったときに、自分の意識の外側で体が動いた感覚があるみたいなこと言ってて」
 負傷者の不注意による事故に見せかけた事件なんじゃないかって、調査することになりました、とユウは話を締めくくった。
「ふうん……
 リンは数時間前、自分が保健室に世話になったときを思い出した。確かに保健室のベッドはほぼ全て埋まっており、リンやトレイ以外にも利用者が少なからずいた。保健医は、リンが自分の処置は自分でやろうかと申し出るほど忙しそうに立ち回っていたように思う。
 ただ、そのどれもが重傷では無いように見えたのも事実だ。テーブルの上に散らばっていたので整理を手伝うついでにちらりと盗み見たカルテも、軽傷の欄にマークがついているものが多かった。
 
 ───犯人は、そこまで重傷を負わせるつもりは無いってことね。
 
 或いは、犯人にとって、被害者の負傷具合はその程度のものでいいのだろう。それならまぁ、追いかけるユウにも、そこまで大きな被害が出ることは無いかもしれない。
……ユウさんや。探偵するのもいいけど、危なくなったら絶対身を引くんだよ」
「分かってます」
 ユウは神妙に頷いた。
「リンさんが怪我したって聞いて、私、すっごく怖くなって。それと同時に、もしかしたらリンさんは、こんな風に私のこと心配してくれてるんじゃないのかなって、思って……だから、無理はしません」
 しっかり言い切ったユウに、リンは柔らかく目を細めた。
「よろしい。私も安心しました」
「ユウには親分のオレ様がついてるからな、余計な心配はいらないんだゾ!」
「オッ、それなら尚のこと安心だ」
 おだてられたグリムが、無い胸を張る。ユウは呆れたが、リンは優しい笑顔でグリムを撫でてやった。
「そうだ! リンは犯人確保のために、何かいいアイディアは無いのか?」
「え? 私?」
 グリムに訊ねられたリンが瞠目する。参考までに聞かせてください、とユウも頭を下げた。
「うーん、そうは言われてもなぁ。私はどこぞの名探偵みたいに赤い夢の住人じゃないし、体も頭脳も大人だし……、あっ」
「おっ、何か思いついたんだゾ?」
……なんか、役に立つか分からないただのアドバイスになっちゃうんだけど……
「聞きたいです」
「あ、そぉ?」
 即答したユウに、リンはどこか気恥しそうに咳を払って、「とある君主二世の受け売りなんだけどね、」と前置きして言葉を連ねた。
「魔法魔術の関わる事件において、一番重要なのは『ホワイ・ダニット』、つまりは動機な訳ですよ」
「動機、」
「何故なら、それ以外の5W1H、つまり誰がいつどこで何をどのように使って犯行をしたのかは、魔法でどうとでもなるからです」
「あ……!! 動機だけは、魔法で誤魔化しが効かない……!!」
 ユウが目を丸くする。リンは鷹揚に頷き、グリムもなるほど、と腕を組んだ。
「確かに、証拠を捏造してない証拠を用意しなくちゃならなくなると、延々それが続いちまうんだゾ。あ、でも、そしたら、怒りんぼリドルの『次に狙われそうな生徒を張り込んで犯行現場を押さえる』っていうやり方の方が手っ取り早いんだゾ」
「あぁ、探偵さんはユウとグリムだけじゃないのね?」
 はい、とユウは頷いた。
「リドル先輩達も協力してくれてます。ハーツラビュルの生徒に手を出されたから、ってケイト先輩は言ってました。私も、リンさんを危ない目に遭わせた奴を野放しにしておきたくありません。絶対仕留めます」
「仕留め……、いや言い方が物騒」
 でも、それなら安心だな、とリンは肩の力を抜いた。
 グリムが一緒に行動しているとは言え、ユウひとりでは何かが起こった時に不安が残る。
 
 かと言って、リンが傍に居れば守ってやれるというわけでもない。
 
 リンは己の無力さを正確に把握していた。
……でも、張り込むっつったって、限界はあるでしょうし。相手の生徒さんに迷惑にならないようにね」
「それが……、ケイト先輩がいくつか有力候補をリストアップしてくれたんですけど」
 ユウの表情が曇る。なんだなんだどうしたどうした、とリンは何度か目を瞬かせた。
「ポムフィオーレのルーク・ハント先輩とか、ディアソムニア寮の人たちとかは狙われにくそう、って候補から外れて……オクタヴィネルのリーチ兄弟なんかも」
「あの双子、めちゃくちゃ怖かったんだゾ……
「身長が二メートル近くあったんですよ!!」
「巨人じゃん。最早うなじを狙うしかない」
 リンの言葉に、グリムが目を輝かせた。
「今度はうなじを狙えばいいのか!?」
「冗談だから、真に受けないでね」
「なあんだ……期待して損したゾ」
「そもそも私闘はダメでしょうが」
 苦笑するリンに、ユウはどこか遠くを見はるかした。
「結構、いろんなところで飛び交ってるんですよね……魔法が……
……まぁ、バレなきゃ問題無いしな」
「リンさんのそういうとこ好きです」
「あ、そぉ? ありがと♡」
 リンは分かりやすく頬を弛めた。
「で、サバナクロー寮のジャック・ハウルっていう一年生の所に行ったら、他の寮生たちに縄張りに入ってきた云々で因縁つけられて……絡まれて……それでマジフトで散々弄ばれて……しんどかった……
「縄張りて、動物じゃあるまいし」
 というか、絡まれたのか。リンはこめかみを手で押さえた。
 語り口からして、おそらくケイトやエース、デュースと一緒に居たためにそこまで怖い思いはしなかったようだが、リンは心臓を冷たい手で撫でられたような心地がした。
「あ、でも獣人っていう種族らしくて、ケモミミと尻尾があるんですよ」
「なにそれどこの二次創作? あ、でもチェーニャもそういや、猫の耳みたいなの頭にくっつけてたな」
「この世界じゃ、そう珍しいことでも無いみたいですね」
 明日もまた張り込みです、とユウはすっかり綺麗に空っぽになった食器を前に手を合わせた。
「ごちそうさまでした。めちゃくちゃ美味しかったです!」
「はい、お粗末様。お口に合ったようで何よりです」
「オレ様、もう今日は疲れたんだゾ……
 くあ、と欠伸をしたグリムがその場にころんと転がる。本当に毛玉みたいだな、とリンはグリムを突いた。
「グリム、今日はもう先に寝てていいから。頑張ってベッドまで自分で行きな」
「ううん……はなしがわかるな、リン……
 むにゃむにゃ言いながら、グリムはぽてぽてとユウの部屋まで移動した。おやすみい、と廊下の向こうから声が響いてくる。
「おやすみ」
「おやすみー」
 まったくもう、とユウは頬を膨らませた。
「リンさんはグリムを甘やかしすぎです!」
「愚図られても面倒だろ? それに、ちょっと話したいこともあったし」
「、……私に、ですか?」
「そう。いや、うーん……謝らなきゃいけないことかな」
 食器を水につけるだけつけて、リンはユウとしっかり真正面から向き合った。
「トレイに、私達が女性であることを打ち明けた」
「───」
 予想外の言葉に、ユウは瞠目して、思わず言葉を失った。
「階段から落ちるところを助けたときに、確信したらしくて……ユウのことは、連鎖的に気付いたみたいだった。下手に隠すよりは、と思ったけど……、ユウに確認も取らず、独断専行して、ごめんなさい」
 リンが丁寧に、そして静かに頭を下げる。ユウは驚きを処理しきれず、そのままリンのつむじをまじまじと見つめた。
 放課後、トレイの部屋へ見舞いに行ったことを思い出す。リドルを庇って階段から落ちたトレイを受け止めたのはリンなのだと話を聞いても、二人が落下する具体的な想像ができていなかったのだと思い至り、ユウは唖然とした。
 受け止めたのだから、そりゃあ体は触れ合うだろう。まだぎりぎり成長期であり、そこまで体格がはっきりしていないユウとは違い、リンは成長を終えた女性だ。ただでさえ聡いトレイのことだ、すぐに気付いたに違いなかった。
 男子校の中で、生徒間では紅一点であることがばれたという衝撃が、未知の恐怖を伴って胸中を襲う。ユウは努めて深く呼吸して、「顔を上げてください、リンさん」と声をかけた。
 リンがそろそろと姿勢を正す。ユウは一度強く瞑目した。脳裏に、トレイのことを思い浮かべる。
「あの、私、怒ってません。仕方のないことだって、分かってます。元々、ばれないように隠そうって話じゃなくて、なるべく意識しないようにしようって話でしたし」
 そして、それは、ユウが性差を気にせずにきちんと人付き合いができるようにというリンの配慮なのだと、ユウは理解して、納得している。
「トレイ先輩なら信頼できる、っていうのとは、ちょっと違うんですけど……男の人だしなにより、食えないところのあるひとだから……
 でも、とユウは考え考え、言葉を紡いだ。
「何より、後輩思いの強いひとです。大丈夫です。それに、リンさんのことだから、言いふらさないようにって、釘も刺してますよね」
……うん。ぐさぐさ刺しました」
「だったら大丈夫です、きっと」
 ユウは微笑んだ。
「不安はちょっとだけだけど、でも、私は、まあ大丈夫だろう、っていう自分の直感を信じます」
……そっか」
 リンは唇を引き結んだ。
 きっと、まともに会話をしたのが二度ほどしかないリンよりも、ユウの方がよほどトレイの為人に触れているはずだ。そこからくる直感は、大事にしてあげたい。
 何かあってからでは遅いとは言え、ユウとてこどもではないのだ。自立することに慣れ始めなければならない年頃である。
 リンはひとつ、息を吐いた。
「分かった。ありがとう」
 いえ、とユウは首を振った。
「何かあれば、即、リンさんのことを探しに職員室か事務室へ、ですよね。それも分かってるので、大丈夫です、私」
「頼もしいなあ!」
 リンは思わず、ユウを力いっぱい抱き締めた。ユウは少しだけはにかんで、リンのことを抱き締め返したのだった。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 翌朝。
 早めの朝食を少しだけ急いで片付けたユウに、グリムは「そう言えば、」と声をかけた。
「昨日の夜、どっか行ってたのか? 夜中にちょっと目が覚めたとき、ベッドにいなかったんだゾ」
「グリムの寝言で目が覚めちゃったの。それでそこの庭まで出て、夜風にでも当たろうかなって……
「冷えなかった?」
「大丈夫でした」
 リンに首肯で返し、それで、とユウは話を続けた。
「角が生えた変な人に会いました。初対面で……制服を着てたんですけど、学校でも見たことない人だったんですよ」
「つの?」
 ケモミミが居ればツノ持ちもいるのだろうか。リンはこの世界は不思議がいっぱいだな、と自分で自分に言い聞かせた。
「名前は?」
「好きに呼べって言われたんだよ」
「じゃあ、あだ名をつけようぜ! うーん……
 グリムが腕を組んで思案する素振りを見せる。ぽく、ぽく、ぽく、と三拍置いて、ちーん、とグリムは耳を跳ねさせた。
「ツノ太郎とかでいいんじゃないか?」
「つのたろう」
「イイネ!」
「いいの!?」
「だって、好きに呼べって言ったの、向こうですし」
 言質は取ってあると言わんばかりのユウに、リンは「まあ、確かにそうだけれども」と返すしか無かった。
「ところでリンさん、今日は早いんですか?」
「たぶん今日からマジフトまで連日早くて遅い帰りだよ~、言うてもまあウチの会社より仕事は楽だからそんなに苦じゃ無いけど」
 低賃金の派遣採用なので、少しでも責任ある仕事を任されそうになったら逃げているというのが正しい。いくら学園側の責任とは言え、破格の待遇を得ている自覚はあるので多少のことは請け負うが、それ以上は給料に見合わないと判断すれば即掌を返すリンの態度は既に多くの教員に認識されていた。
「そう言えば、なんのお仕事されてたんですか?」
「ん?」
 寮の玄関の鍵がきちんとかかっていることを、リンがドアノブをがちゃがちゃと回して確かめる。
「ちょっと言えないとこ」
 意地悪く目を細めたリンにそっと囁かれて、ユウはそれ以上を聞けなくなってしまった。
 ユウの反応を見て、リンは「わはは」と短く笑った。きっと冗談なのだろうとユウは察したが、不満げに頬を膨らませるだけで、何か言葉は紡げなかった。代わりに、「もー!!」と声を上げて、ぽかぽかとリンの肩を叩く。
「おお、上手い上手い。もう少し上だな」
「リンさんの背が高いんですよ!!」
「あれっ、リンちゃんさんじゃん! おはおはー!!」
「お、ケイトパイセ~ン! おっはー!!」
 いえー! と朝からハイテンションの二人を他所に、ひょこりとリドルが顔を出した。
「おはよう、ユウ」
「おはようございます、リドル先輩、ケイト先輩」
「おはおは!」
「リンさんも、おはようございます」
「はい、おはようございます。待ち合わせでもしてた?」
「いえ……、監督生に、学園長からの頼まれごとの件で、話があって」
 リドルの言葉に、あぁ、とリンは目元に険を滲ませた。
「あンのクソ烏……頼み事するならファッキンクソシステムの調査進捗状況くらいレポートしろっつーのに……
「リンさん、お口が」
「おっと、つい心底からの本音が」
 わざとらしく口元を手で押さえたリンに、リドルとケイトは瞬いた。
「ユウ、リンさんにも話したのかい?」
「はい。アドバイスも頂きました」
「そうか。また後で聞かせてくれ。ありがとうございます」
「どういたしまして。でも、皆にも言えることだけど、危なくなりそうなら教職員に投げるんだよ」
「はーい」
 元気に返事をしたのはユウとケイトだけだった。リドルは生真面目に「ご心配には及びません」と返した。
「ところで、昨晩またひとり、怪我人が出たんだ」
「えっ」
 トレイのことがあってから、そう時間も経たないうちに新たな被害者が生まれていたとは。ユウは目を丸くした。ケイトがスマホにメモしていたらしい情報をつらつらと読み上げる。
「目撃者は調理室の肖像画。被害者はスカラビア寮の二年生で、ジャミル・バイパーくん」
「肖像画が監視カメラの役割を……
「どこのファンタジー世界でも肖像画は動くし喋るんだな……
「うちのも喋りますかね?」
「修復とか要求されたら面倒だから話しかけんとこうぜ」
「それもそうですね」
「ンン!」
 リンとユウの会話を遮るように、リドルが咳を払う。リンは再び口元を手で押さえた。
「まだ朝食の時間帯だ。今なら大食堂にいるかもしれない。急ごう」
「分かりました。それじゃ、リンさん、行って来ます」
「はい。無理な無茶はしないように、授業その他頑張ってね」
「分かってます。リンさんも、お仕事がんばってください!」
「はーい! 行ってきまーす! 皆も行ってらっしゃい!」
「行って来ます!」
 学園の入り口でユウ達を見送り、リンは職場である事務室へと移動した。
 
 
 
 
 
 リンの仕事は、主に雑務である。本来の仕事に生える余計な枝毛のようなもので、つまりは煩わしいわりにきちんとしておかなければ後で困るといった類のものだった。具体的に言うと、書類整理であるとか、資料調達であるとか、リスト作成であるとか、とにかくそういうものである。
 教職員は学生たちに講義をし、勉学の進捗を試験で計り、足りない場所にサポートを行うというのが本来の仕事である。ごくまれに、自分自身の研究を持ち合わせている職員もいるが、それはそれ、これはこれだ。
 つまりは、マジカルシフト大会寮対抗戦にもりっと盛り付けられた興行的要素である取材の申し込み対応や露店との金銭的やり取りなどは、専ら余計な仕事であった。
 しかし、ここは学び舎。つまりは何事も勉強、という便利な言葉が使えるわけで、大会の運営には毎年学生が主体で関わることになっていた。ただスポーツに明け暮れるだけでは済まされない、というわけである。勿論、学園側からそれ相応の評価は得られることになっている。
 
 ───大人たちが面倒な仕事を学生に押し付けた構図が正解かと思っていたけど……
 
 リンは、手にした書類越しに、にっこりと綺麗に微笑む生徒を見やった。
 
 ───どうもそうじゃないっぽいな。
 
 アズール・アーシェングロットと名乗ったオクタヴィネル寮所属の二年生は、大人も顔負けの書類を完璧に揃えてリンに提出していた。今年の運営委員会委員長は彼なので、書類の最終ゴールはアズールなのだが、主催は学園であるので、一応、報告の体を取った申請書類を出さなければならないのだ。
 ええと、とリンは朝一番で学園長から下げ渡されたチェック用の書類を確認した。結構、膨大な量がある。リンはアズールに向き直った。
「こちらで確認できましたら、あとは学園長に渡しておきます。受諾の控えを用意するので、少々お待ちください」
「はい、分かりました」
 流れるような返事に、そこはかとない小慣れ感を覚える。リンはアズールに背を向けて書類を用意しながら、最近の学生って末恐ろしいなと口を真横にイーッと引っ張った。
 申請書類を受諾しました、ということが堅苦しく記されている書類に、さらさらとサインをし、事務室で控える分と、アズールに渡す分とで別に用意をする。
……リン、さん……と、おっしゃるのですか?」
「え? えぇ、はい」
 リンは首から下げているスタッフカードを持ち上げて「リンです」と頬を緩めた。
「確か……入学式にいらっしゃいましたよね? 制服を着て……
「えぇ。今はオンボロ寮に住まわせてもらっています」
「あぁ……そうでしたか。ですが、あなたがここにいらっしゃるのは手違いだったと伺っております。よろしければ長期滞在の理由をお聞きしても?」
 リンは書類をくるくると丸め、熱した蝋を器用に垂らした。
 だん、と力強く押された判が音を立てる。
「帰れるものなら帰っているんですがね」
 ナイトレイブンカレッジの紋章が蝋印に刻まれる。どうぞ、とリンはにっこりと笑って書類を差し出した。
……どうも」
「それにしても、すごい申請書ですね。全部おひとりで?」
「え? いえ、あー……、まあ、ほとんどそのようなものですが……
 書類を受け取ったアズールは、つい癖で眼鏡の位置を指で直した。リンはへえ、と相槌を打った。
「頼もしいサポーターがいらっしゃるのね」
「まぁ……
 はい、そうですねと頷こうとしたアズールは、「おっじゃましまーす」と気だるげに間延びした声に遮られた。
「おや」
「フロイド、それにジェイドも」
「アズール、お仕事終わった~?」
 ぬっ、と現れた長身の双子に、リンは思わず「ウワでっか」と呟きそうになった。
「おや、見ない顔ですね」
……どうも、リンです」
 学生に見ない顔と言われたことに、ちょっとだけこめかみが引きつりそうになる。リンは努めて平静を装った。対する双子は、何を思ったわけでも無さそうだった。
「ジェイド・リーチと申します。こちらはフロイド・リーチ」
「よろしくねえ~」
「こちらこそ」
 リンはさりげなく双子の腕に視線を走らせた。
 
 ───アズールと同じ腕章をつけている、ということは。
 
 昨晩ユウとグリムが言っていたオクタヴィネル寮の長身の双子とは、きっと二人のことを指しているのだろう。上背も、本当に二メートルくらいある。
「二人とも、大きいね。何センチ?」
「身長ですか? この姿のときは、確か191センチです」
「ヒエー! でっか!」
「新人ちゃんは小さいねえ」
「まぁ……あなたたちに比べたらそうでしょうね……
 それにしても、この姿、とは一体どういうことだろう。別の姿も持っているのだろうか。リンは内心で首を傾げた。
「ジェイド、フロイド。私を迎えに来たのでしょう? ここでの用事は済みました。……長居をして騒がしくしてしまい、申し訳ありません」
「お気になさらず。こちらこそ、引き留めるような真似をしてごめんなさいね」
「いえ。失礼します」
「はい、失礼します」
 互いに会釈し合って、リンはアズール達を見送った。フロイドは手を振って来たので、リンも軽く振り返してやる。あはは、という笑い声がここまで届くようだった。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 
 
 数日後、マジフト大会当日。
 今日のリンは朝から撤収作業直前まで大忙しだ。ここまで興行的なイベントともなると、魔法を使わない雑務も雪だるまのように増える。ユウ達の分の朝食と昼食を作り、書き置きを残して、先にスタジアムへ出発しようとしたときだった。
 来客を告げるブザーが鳴る。こんな早朝に誰かしら、とリンは覗き穴から外を見て、「あら」と目を丸くした。
 見事な銀髪に、狼のような耳と尻尾。ひょんと揺れるそれを持つのはがたいのいい青年だ。まだ若々しい。
 リンはチェーンロックを外して、そっとドアを開けた。
「!?」
「おはようさん」
「おはよう、ございます……
 驚いたのか、青年は何度も目を瞬かせた。リンは微笑むと、「ユウの知り合い?」と首を傾げて見せた。
「う、ス。え、っと……
「もうそろそろ起きてくると思うんだけど……何か用かな。あぁ、中で待つ?」
 扉を大きく開けようとしたリンに、「あ、いや、」と青年は諸手を上げてリンを制した。
「その、ランニングついでに、起こしにきただけなんで……、今日は大事な日だし……
「大会だもんね。分かった、ユウのことは私が責任持って起こしとくよ」
「ウス。ありがとうございます、……えっと……
「あぁ、名乗ってなかったね。リンです」
 リン、と彼が口の中で名前を転がした。見開かれていた目が、さらに丸くなる。
「あなたが……
「おや、ユウから何か聞いていたのかな?」
「はい。頼りになるひとだって……証拠の話は、なるほど、って思いました」
「お、それも聞いたのか」
 いやあお恥ずかしい、と頭を掻くリンに、青年は生真面目に答えた。
「いえ、すげえ盲点だったんス。おかげで、あと一歩のところまで犯人を追い詰められたんスけど……結局、現場を押さえなきゃならねえってなって」
 悔しそうに唸る彼に、ふむ、とリンは思案する素振りを見せた。
 最近、リンの方も忙しくて、中々ユウの話を聞けていないのだ。ユウにも勉強や探偵業のことがあるので、他愛無い話を少しするだけで会話が終わってしまう。少なくとも、あと一歩のところで取り逃がした話を、リンは聞いて居なかった。
 しかし、リンの方にも逐一報告しろ、とユウに迫るつもりはない。ただ少しの心配と、気になるなという興味と、私にも教えてほしいなという、ちょっとした寂しさがあるだけで。
「あいつ、犯人、絶対捕まえるって頑張ってるんで」
 青年のふとした言葉に、リンは反射的に顔を上げた。
「大会には出られねえかもしれねえけど……その、良かったら」
「あぁ、うん。もちろん。応援してるとも。心配も、ちょっとだけしてるけどね」
……
 彼は少し口ごもった。リンは笑みを深めて、「お名前は?」と訊ねた。
「ジャックです。ジャック・ハウル」
「ジャック。そっか。君もユウ達と犯人を追っかけてるんだね」
「はい」
「そっか…………危なくなったら、教職員に投げるんだよ、君も」
「、」
 その、困ったような、迷っているような表情に。ジャックは少しだけ瞠目して、───結局、きちんと返事をできずに、俯くような形で首肯するだけにとどまった。
「ジャックは試合に出るの?」
「あ、ウス、出ます」
「そっか。頑張ってね」
「頑張ります。……それじゃ」
「うん、行ってらっしゃい」
 体格にそぐわずしなやかな動きで、ジャックはロードワークに戻って行った。リンはさてと、と扉を閉めると、ちらりと時計を見やった。
 まだユウは寝ていられる時間帯だが、ジャックに約束した手前、起こさないわけにはいかない。
 リンは階段を身軽に上ると、素早くユウの部屋へ移動した。そして少しだけ強めにドアをノックする。
「ユウ? 起きてる?」
 耳を澄ませると、もぞ、と何か衣擦れの音がする。リンは「入るよ」と一声かけて、ユウの部屋にお邪魔した。
「んん……リンさん……?」
「リンさんですよ。おはよう。さっきジャックくんがユウのこと起こしに来たよ。ジョギングのついでだって言ってたから、私が代理で起こしに来たんだけど」
「んむ……
 あら、とリンは目を瞬かせた。
「珍しく寝覚めの悪い。なんか変な夢でも見た?」
 ユウは瞼を押し上げると、鋭い目つきで眉間に皺を寄せ、顔を歪めていた。
……なんか……すごくもやもやする夢で……、野心で王さまになったひとが、やる気失って、前の王さまと比べられて、怒るっていう……
「あらぁ嫌な夢」
 でも二度寝しないで、とリンはユウが起き上がるのを、腕を引っ張って手伝った。
「悪しき夢、幾度見ても、身に負わじ。祓い給え、清め給え。はい、これでもう悪夢とはさよならバイバイ。着替えて、顔洗っといで」
「んん……? おまじないですか?」
「そんなようなもんよ」
 ほら立って、と急かされて、ユウは寝ぼけ眼のままベッドから降りた。騒がしさで目が覚めたのか、グリムも体を起こして大きく欠伸した。
「私、もう行くからね。ご飯、置いてあるから」
「はい……ありがとうございます……リンさん……あっ!」
 はっと息を呑んだユウが、がしりとリンの腕を掴んだ。そして何かを言おうとして、口ごもり、眉を寄せて、やがて俯く。
……どうした?」
 いつもとは違う様子に、リンもそっとユウに触れた。
……リンさん」
「ん?」
「リンさんは……勝つために卑怯なこと、は……良い、と……思います、か……?」
 存外真剣な声音で問われたそれに、リンは一つ瞬いて、出来るだけ真摯に答えることにした。
……それは試合の話? 勝負の話?」
「、」
 え、とユウが顔を上げる。
「んー……勝負と試合は別物だからなあ」
「べつもの……?」
「試合に勝ちたいならやむ無し、って思っちゃうときもあるかもなぁ。できればそういうのやりたくないけど。でも、勝負をしたいならそういうことは一切しないかな」
……やむ無し……
「一緒ってひともいるよ。でも私は違うなって思う」
 ずるい答えだね、とリンは一度目を伏せて、しかしすぐにユウと向き直った。
「卑怯と呼ばれる、騙し討ちのような手段が、どうしても必要ならば……私は甘んじてその誹りを受けようとも。良いか悪いかなんて、ひとによって変わるからね。他人に左右されてたまるもんか。……心が傷まないわけではないが」
 リンはそっとユウの寝癖を整えてやった。不思議そうな顔をして、グリムがこちらを見つめている。
……何かそういうことをしなくちゃいけないの?」
…………結果的に、そういうことになると…………いえ……そうならなきゃ、いけないんです。そうしなきゃ……
 ぽつりぽつりと零したユウを、リンは力いっぱい抱き締めた。
「そうしなくちゃいけないんだろ。そうしなくちゃ敵わないんだったら足掻かなきゃ」
…………はい」
「だいじょーぶ。私はどんなことになったって、ユウの味方だからさ」
……ありがと、ございます」
 リンの胸に埋まって、ユウの言葉はくぐもったものになった。それでもリンはどういたしましてと囁いて返した。
……リンさん、どうしてそこまで言ってくれるんですか?」
「ん?」
「私、いつもリンさんに助けてもらってばっかりで……
 ユウがぽそぽそと繰る言葉に、リンはくすりと忍び笑いを零した。
「先達なら誰でもそうする、とは言えないのが辛いところではあるなぁ」
 形のいいユウの頭をぽんぽんと叩けば、ユウはそっとリンから体を離した。リンはそっとユウの目元を拭ってやった。
「でも、私は私の先輩方に恵まれて、いろいろお世話になったから。後輩ちゃんには、同じようにして、先輩方みたいになれるように頑張ろうって決めてるの」
……憧れの人が、いらっしゃるんですね」
「まあね。でも、それ以前に、ここまで一緒に支え合って生活してきた人の味方するのは私にとっては当然ですとも。というわけで、無理な無茶はせず、大会その他、頑張って」
「はい」
 しっかりと頷いたユウに、リンは良しと笑みを深めて、「じゃあ先に行ってるね」と踵を返した。
「リンさん」
「、なあに?」
 ドアを開こうとしたところで呼び止められて、リンはユウを顧みた。
 ユウは、いつになく真剣な眼差しをしていた。
「今日は絶対、メインストリートの入場口付近には近付かないでくださいね」
 メインストリートの、とリンがぼやく。なんで? と言わんばかりに小首を傾げるリンに、「お願いします」とユウは言葉を重ねた。
 力強い気迫に、リンは何度か瞬いたが、やがて頷いた。
……わかった。それじゃ、後でね」
「はい。また後で」
 微笑み合って、リンはユウの部屋を後にした。館を出る予定にしていた時間からは、少しだけオーバーしている。リンは急いで寮を後にした。
 
 
 
 
 
 
 ───枯れ木も山の賑わいどころの騒ぎじゃねえ。
 
 リンは方々へと走り回りながら、サイドストリートやコロシアム内の賑わいに感嘆を通り越して呆れていた。
 露店も、訪れる観客も、質や規模が学園の寮対抗戦を訪れるレベルでは無いのだ。新聞やテレビの取材なども訪れると聞いてはいたし、ⅤⅠP用の席も設ける手筈になっていたし、露店の数もかなり多いと察してはいたが、まさかここまでとは。
 そりゃ王族の子供が居たら観覧しに来る親御さんの中にVIPが居てもおかしくはない、と考えてはいたものの、その数の気さくな多さと来たら。リンは真面目に受け止めて思考することを放棄した。
 
 ───高校生のスポーツ全国大会が天皇杯になったようなものかなあ……
 
 意味合いが多少異なってはくるが、感覚としては間違っていないだろう。リンはシーバーで飛ばされる指示に辟易としながら、馬車馬のように会場を駆けずり回った。
 『もうそろそろ選手の入場が始まります。各員、持ち場に移動してください』
 その指示を耳にして、リンはようやく一息ついた。リンの持ち場はコロシアムなどメイン会場に近いものだが、そこでの仕事は少ない。観客の入場口はこちらですよと大雑把に指し示すだけだ。人通りも比較的落ち着いているので、リンは軽い休憩気分で持ち場に立った。
 『えー、ごほん。ナイトレイブンカレッジ寮対抗マジカルシフト大会へ御来場のみなさま。大変長らくお待たせ致しました。いよいよ選手の入場です!』
 スピーカーから響くアナウンスと大歓声がコロシアムの場外にまで響いてくる。リンは遠くに見える制服を着た団体を見て、あれ? と首を傾げた。
 『まずは、去年の優勝寮! 三連覇なるか? 君臨する閃光、ディアソムニアーーー!!!』
 高い魔力を有していたり、全体的に優秀な生徒が多いことが特徴の寮である。リンは再び、あれ? と首を傾げた。
 言葉にはしにくい違和感が拭えない。なんというか、表情がよく見えないというか、不整合なものを見せつけられているような感覚が拭えない。リンは同じようなアジア系の顔立ちが同じデザインの体操着を着て同じような髪形をし、同じ動きを繰り返す故郷独特の運動会を思い出した。あれと似て非なる気持ち悪さを感じる。
 はてこれは一体どういうことだろう、と仕事を忘れて思考に耽るリンの耳が、ふと地響きのような音を捉えた。
 まるで何か、動物の群れが一斉に移動するかのような地揺れである。
 『おおっと!? これはどういうことでしょうか!?』
 アナウンスも狼狽えているようだった。リンは息を呑んでコロシアムを見上げた。場外からでは中の様子は分からない。片耳に嵌めたシーバーのイヤホンが立て続けに怒号を拾う。
 『一体何が起こってる!?』
 『落ち着け!』
 『観客たちが選手の入場列に突進して、それが他の観客も巻き込んでる!』
 『なんで!?』
 『誘導、何してる!!』
 『押さな…………!』
 がが、ジッ、と不吉な音を立てて、通信が途絶する。数拍後、わっと歓声が起こった後に、コロシアムには一瞬の静寂が訪れた。すぐにざわめきが大きくなり、スタッフの誘導の声が張り上げられている。
 『問題ありません、ドラコニアさんが解決してくれました。各員、冷静に対応を。お客様を落ち着いて席にご案内してください』
…………
 シーバーから届いた指示に、リンは改めて入場口を見やった。
 待機していた生徒たちは、いつの間にやら忽然と姿を消していた。
 
 ───入場口には近付くな、というのは、こういうことか。
 
 押し寄せる観客と、それに轢かれる生徒たちのことを、ユウは予め知っていたのだろう。リンは震える息を押し殺した。客の一人と目があったからだ。
「ねえ、あなた、スタッフよね」
「はい」
「中で何かあったの?」
「ええ、ちょっとした混乱が。でも、さっき落ち着いたという連絡が来ましたので、もう大丈夫ですよ」
 シーバーを指で示しながら、自然に微笑む。客はほっと息を吐いて安堵したようだった。
「良かった。入り口ってこっち? 今、まだ開いているかしら」
「はい、今なら入れてもらえると思いますよ。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ありがとう」
 客は足取りも軽く入場口の方へ移動した。ぱらぱらと同じような客が見受けられる。リンは改めて、深く呼吸した。
 予定外のトラブルのため選手入場を予定より大幅に遅らせる、という通達がリンの耳に届いたのは、それから間も無くのことだった。
「あっリンさん!! ちょうど良かった!!」
「げえ、学園長」
 シーバーからの情報に意識を傾けていたリンは、うっかり顔を顰めてしまった。
「今あなたげえって言いました?」
「気のせいです。お急ぎのご様子、どうされました」
「ちょっとサバナクロー寮の方まで行って生徒の様子を見てきてほしいんです。私忙しいので」
 くい、とクロウリーが頭を傾けた先に見える無数のカメラやマイクに、あぁ、とリンはクロウリーの置かれている状況を察した。予定外のトラブルが発生したら、それを治めるのは主催である学園長の役目だ。トラブルの根本に向かう余裕はないらしい。運営委員会委員長のアズールは大会の選手でもあるので取材に応じている余裕は無い。
「勿論、私もすぐ向かいます。その場の状況を把握したら、すぐに私に知らせてください」
「でも学園長、あなたシーバー」
「そこはマジカルなミラクルでどうとでもなるんですお早く!!」
 つけてないですよね、というリンの言葉は鋭い杖の音にかき消された。いつになく焦っている様子に、リンは言葉を呑み込んで「はい、」と返事をすると、学園内の鏡の間まで走ることになった。
 同じようにばたばたと校舎を走り回る生徒とすれ違いながら、リンは勢いそのまま、サバナクロー寮へ繋がる鏡へと飛び込んだ。眩い光が視界を焼いたかと思いきや、足裏に地面の固い感触が伝わる。
 乾燥した空気に、肌を炙るような日差し。リンは眩い光に閉じた瞼をどうにか押し上げて、───目の前の惨状に、息を呑んだ。
 炎が、氷が、雷が、無数にフィールドを駆け巡る。その中央にはバケモノとしか形容できない黒々とした何かが獅子のような形を取り、咆哮を轟かせていた。それを、見覚えのある生徒達が取り囲んでいる。
 リドル、ケイト、エース、デュース、ジャック、そして───グリムと、ユウ。
「グリム、横に避けて!!」
「おおぉらっ!!」
 生徒の一人が鋭く魔法を放つ。
「ユウ、キミはこっちだ!!」
「はい!!」
 リドルが指示を出すより早く移動し始めていたユウが、そのまま声を張り上げる。
「ケイト先輩!!」
「まっかせて!!」
「エース、デュース!! 畳みかけて!!」
「おうよ!!」
「出でよ、大釜!!」
「隙を逃すな!!」
 ユウの声に応えた二人が作った隙を見逃さず、リドルがステッキを鋭く振りかぶる。
 瞬間、多くの魔法が一斉に化物の下部、おどろおどろしいものを纏った男を直撃した。
「───!!」
 獣の絶叫が、爆音に掻き消される。視界を奪っていた砂塵が収まる頃、そこには一人の男が倒れ伏しているだけとなった。
 ぴくりとも動かない彼を見て、皆が肩の力を抜いたのが分かる。しかし空気は緩まらず、前に進み出たリドルがてきぱきと状態を確認し、「気絶しているね」と声を上げて、ようやく多くの生徒が息を吐いた。
 その空気に後押しされるようにして、リンは力の入らない四肢を叱咤して歩みを進めた。
「!」
「、リンさん!?」
「なんでここに、」
 リドルが立ち上がる。リンはリドルの前に立つと、ひとつ、大きく呼吸し、意識して肩の力を抜いた。リドルはひどく冷静だった。
「学園長の使い走りで様子を見に来たの。……一体何が起こったか、簡潔に説明してくれる?」
「はい」
 リドルはしっかりと頷いた。
「ボク達は今回の連続傷害事件の実行犯と思しきラギー・ブッチをはじめとし、事件に加担したサバナクロー寮生を無力化するためにここに来ました。しかし、寮長であるレオナ・キングスカラーが抵抗し、その余波でオーバーブロットを引き起こしたため、止む無く戦闘状況に移行。現在、彼は攻撃による負傷で気絶しています」
…………そう。分かった、ありがとう」
 リンはシーバーのマイクを起動し、学園長を呼び出した。リンが触れてもいないのに、シーバーのチャンネルが切り替わる。
 『はい。その声はリンさんですね? 状況は?』
「終了しています。怪我人が複数名、見たところほぼすべて軽傷です。オーバーブロットを引き起こしたレオナという生徒が気絶しています」
 『分かりました、ありがとうございます』
 ぷつりと音を立てて通信が途絶える。リンは堪え切れずに、大きく息を吐き出した。
……こういうことは、よくあるの? 随分、魔法を使った戦いに慣れているのね」
 困惑と狼狽を混ぜ込んだユウの言葉に答えたのはリドルだった。
「ボクが言えたことではありませんが、オーバーブロット自体は珍しい現象です。ただ、魔法による戦闘は、ボク達にとっては非日常ではありません」
「素晴らしい回答、どうもありがとう」
 言いながら、リンはレオナの傍に膝をついた。鼻と口に手をかざし、呼吸が正常であることを確かめる。首筋に通っている太い血管も脈打っているのを確認し、ざっと流血や目立つ怪我が無いかも確かめた。
 重傷ではないことを確認し、リンは顔を上げた。その視界に、水道の蛇口が備えられている設備が移る。
「掠り傷でもなんでも、怪我してるひとは傷口を洗ってきな」
「へーい」
 エースがデュースと共に動き出す。それを受けて、他の生徒達もぱらぱらと移動を始めた。
……リンさん。その……
 リンは立ち上がって、俯くユウの前に立った。
……ユウ」
……
 ユウはぐるぐると思考を巡らせているようだった。きゅ、と引き結ばれた唇に、服を握りしめる手が、まるで𠮟られるのを待つ子供のようだった。
 しかし、リンは、頭ごなしに二度とこういう真似をするなと言えないことを、きちんと理解していた。リンは魔法でユウを守ることはできないし、無力に過ぎるからだ。
……私は、魔法のことは分からないから、この喧嘩というには派手すぎる戦闘行為がどれだけ危険なのか計れないし、私よりも魔法のことを勉強しているユウの方が私よりもマシな判断ができるとは思うよ」
「!」
 ユウが音を立てて顔を上げた。その瞳に、どういう表情をしたらいいのか分からないリンの顔が映っている。
「ちょっとしか見てないけど、ユウは冷静に立ち回っているようだったし、多勢に無勢だったし、……今朝の様子からして、きちんと準備もしていたんでしょうし。ただ、……
 リンは散々迷って、結局ユウに腕を伸ばした。
……怪我は無いね?」
「はい。ぴんぴんしてます! 大丈夫です」
 ユウが微笑む。リンは何度目か、肺が空になるまで息を吐いた。
「めっちゃビビったわほんと……皆軽傷だし、気絶してるのも命に別状は無さそうだから良かったけどさあ……魔法って怖いね……なに、オーバーブロット? したら、皆あんな風なバケモノになるの?」
「みたいですね。珍しい現象らしいんですけど……
 ユウの視線がリドルに移る。リドルは気まずそうに視線を彷徨わせた。
 そう言えば、さっき「ボクが言えたことではない」とかなんとか言ってたな。ということはリドルもオーバーブロットしたことがあるらしい。そしてユウはそれを伝聞以上に知っている風情を醸し出している。
……もしかして、先月のハーツラビュルの騒動は……
 ぴんと来たリンに、ユウは頷いた。
「オーバーブロットして闇落ちバーサーカー状態になってしまったリドル先輩を殴って止めて一件落着しました」
「なんということでしょう」
 エースとデュースがユウの協力の元、リドルをどうにかして打ち負かしたのだろうなという程度の認識だったリンは思わず片手で顔を覆った。
 珍しいらしい現象が立て続けに二件も起きているぞ、一体どういうことだってばよ。というか闇落ちバーサーカーって、一体誰が命名したんだ。怒らないから出てきなさい。サーヴァント、リドル・ローズハート〔オルタ〕星5、クラスはバーサーカーで宝具は単体で真名は『女王の断罪 Off With Your Head』ってか、やかましいわ。
「ユウさんや……、マジでいのちはだいじにしてくれよ……
「分かってます。正直、レオナ先輩のオーバーブロットは予想外でした。でも、犯人捜しをしてた一員としては、逃げたくなかったんです」
…………
 ユウは力強い双眸でリンを見返した。リンは「本当に、ほどほどにしときなさいよ」としか言えなかった。
 ほどなくして、学園長がサバナクロー寮へ訪れた。ようやく取材陣や必要な対応などから逃れられたらしい。
 学園長はまっすぐレオナの傍まで進み、膝を着いてレオナの様子を確認した。
「ミスター、あなたおひとりで? 治療できるスタッフの一人も連れてこなかったんですか」
「保健スタッフは他の怪我人の対応でてんてこ舞いなんですよ、本当は救急セットの一つも持ってきたかったんです」
 苛立ちと共に牙を剥かれて、リンは「それは失礼」と諸手を上げた。
「ローズハートくん、キングスカラーくんは何故オーバーブロットを?」
「彼の固有 ユニーク魔法である『王者の咆哮 King's Roar』を乱発したことが原因だと……
「何故そんな事態に?」
「それは……学園長もご存じのはず。最近、校内を騒がせていた連続傷害事件の犯人は、サバナクロー寮の寮生ほぼ全員でした。ボク達はそれを突き止めて、ディアソムニア寮と協力し、犯行現場を押さえたんです」
 ディアソムニア寮、とクロウリーが口の中で呟く。
「まさか、先程の騒ぎも関係あるんですか?」
「はい。詳しいことはまた後程。思惑が外れたサバナクロー寮は内輪揉めに発展し、そして……
「キングスカラーくんのオーバーブロットに繋がったと。分かりました、結構です」
「───あっ、オイ!! こいつ、目が覚めそうだゾ!!」
 横たわるレオナを覗き込んでいたグリムが大声を上げる。ぴくり、とレオナの耳がそよいで、瞼が震えた。
「レオナさん、」
「先輩……
 サバナクロー寮生が何人か駆け寄って、起き上がろうとするレオナを支える。クロウリーは状況を把握できずにいる様子のレオナを覗き込んだ。
「キングスカラーくん。君はブロットの負のエネルギーに取り込まれて暴走し、オーバーブロットしたんです。覚えていますか」
「───俺が? 嘘だろ……
 信じられない、という素振りに虚偽の気配は無い。どうやら本当に記憶がすっぽり抜け落ちているようだ。負のエネルギーと聞いて、リンは陰陽思想を思い出した。どこの世界でも似たような概念はあるらしい。
「ずっと気絶したままだったらどうしようかと思ったんだゾ! ほら、今までの事件は自分が企てましたとさっさと白状しろ! でないとご褒美にオレ様が大会に出られなくなっちまうんだゾ!」
「あぁ……?」
 怪訝そうに眉を顰めるレオナに、ジャックが口を添えた。
「こいつら、マジフト大会に出場させてもらうことを代償に、先輩たちを追ってたんス」
「え、そんなことのためにこんなことやったんスか?」
「そんなこと!?」
 グリムが素っ頓狂な声を上げた。
「それを言うならそっちだって、そんなことのために怪我人出したんだゾ!」
「う、ぐ……それは……そうっスけど……
 ユウとリンは驚いて目を丸くした。グリムが珍しくまともなことを言っている。
「明日は雨ですかね」
「槍が降るな……
 ンン、とクロウリーが咳を払う。ふたりは揃って口を閉ざした。
「キングスカラーくん。これまでの連続傷害事件は、君たちがやったということで、間違いありませんね?」
 静かに、淡々と、強かさを持ち合わせたその声は、とうとうレオナから肯定を引き出した。
……あぁ、そうだ」
「分かりました。それではひとまず、今大会においてサバナクロー寮は失格、出場停止とします。後の処罰は被害者の生徒と話し合って」
「学園長、その件についてなんですが、少々お待ちください」
 話に割って入ったのはリドルだった。クロウリーが不思議そうに首を傾げる。
 リドルの背後には、トレイをはじめとした、事件の被害者が勢揃いしていた。
「君たちは……
「今回の事件の被害者です」
「学園長、俺達からお願いがあるんです」
 口火を切ったのはトレイだった。
「サバナクロー寮なんですが、どうか今大会への出場を認めてくれませんか」
「えっ」
「それは……彼らを許すと?」
 サバナクロー寮生たちは揃って目を丸くした。それは殊勝な、とリンもまじまじとトレイたちを見やった。
「いや……そういうわけじゃなくて。俺達に、こいつらへ仕返しをする機会を設けてほしいってことですよ」
「えっ」
「えっ……
 ユウとリンは、それ言わんでも良かったやん、と揃って同じことを思ったが口にしなかった。
「マジフト大会……別名、魔法力全開、フィールドの格闘技大会でもなければ、俺達の禍根は断ち切れないと思いますよ」
 トレイが意地悪く口端を吊り上げる。ぱかっと口を開けたクロウリーはそれでも反論を並べ立てた。
「かと言って、特にキングスカラーくんはオーバーブロットを引き起こした直後なんですよ」
「ハッ、舐めるなよ、クロウリー」
 支えを跳ねのけて、ゆらりとレオナが立ち上がる。不遜に笑ったレオナは、トレイ達を睥睨し、挑発するかのように嘲笑した。
「草食動物の相手なぞ、寝ながらでもできる。全員まとめてかかって来い」
「そうこなくっちゃ!!」
 わっと盛り上がったのはサバナクロー寮生だった。やはりリーダーが自ら立つかどうかで士気が左右されるのだろう。
「あぁもう、分かりました、分かりましたよ」
 ぱか、と口を開けていたクロウリーが「感動的な話かと期待した私が馬鹿でした」などとぼやく。リンは肩を竦め、ユウは苦笑した。
「それなら皆さん、さっさと移動してください。入場口で皆さまお待ちかねですよ」
 敵同士となった生徒たちが、揃って好戦的な笑みを浮かべながら鏡を使って移動する。その間、グリムは「なぁおい」とクロウリーの服を引っ張った。
「なんです、グリムくん」
「オレ様たち、ちゃんと頼まれごとを聞いてやったぞ。オレ様達の出場枠はあるんだよな?」
「えっ、あぁ、そんな話もしてましたね。しかし絶対無理だと思ってトーナメント表を発表してしまいました、どうしましょう」
「ええ!?」
 グリムが絶叫する。「こりゃあ補填選手もいないんだろうな」とユウが呟いたのを、リンは聞き逃さなかった。
……ミスター?」
「、はい」
「頼みごとをしておいて無理だと決めつけて対価すら用意しないだなんて、学園長というのは随分偉いお方なんですねえ? ───ユウとグリムを弄んで振り回したということ、自覚がおありでない?」
 ユウとグリムは揃って首を竦ませた。リンの周囲だけ、体感気温が数度下がったかのように感じられる。クロウリーは慌ててぱたぱたと手を振った。
「いや、いえ、ちゃあんと代替案を考えてありますよ、ええ! エキシビションマッチなんてどうです? きっと盛り上がりますよ!」
「エキシビションマッチ!? とにかく試合に出られるんだな!? ヒャッホウ!!」
 わざとらしく芝居がかった口調で言うクロウリーに、グリムは諸手を上げて喜んだ。
「対戦相手は?」
「、あぁそれは、今から教員に声をかけて……
「それなら、俺達サバナクローが請け負ってやる」
 口を挟んだのはレオナだった。「お前達が?」とグリムでさえも瞠目した。
「教員相手なんぞ、ままごと丸出しだろうが。てきとうに遊んでやるよ」
「でも、補填選手が居ないでしょう」
「それならオレ、オンボロ寮の助っ人入りまーす!!」
「僕も!!」
 元気よく手を挙げたのはエースとデュースだった。ハーツラビュル寮生が目を剥く。
「お前達はハーツラビュルだろう」
「でも、他寮の助っ人に入っちゃいけませんっていうルールは無いし!」
「そりゃそんな発想、普通は無いわな……
 リドルが仕方なさそうに嘆息し、トレイやケイトは苦笑した。後輩の意欲が有り余っているのは悪い事ではない。
「ですが、これでもあと複数名足りませんねえ」
「あ、でも、当てはありますよ」
「えっ」
 意外にも、声を上げたのはユウだった。
 
 
 
 
 
 出場選手が足りないので、寮に住み着いているゴーストを選手として数えることにしました、だなんて一体どうやったら思いつくのだろうか。寮に住んでいる存在なら全員選手になれるのではないかという指摘に基いて召集されたゴーストは、何故かフライパンをひとつ持参していた。
 そして、それをリンに手渡す。
……えっなに? 自殺願望でもあるの?」
「違う!!」
 ゴーストがぴゃっと飛びのいた。死んでる奴に自殺願望ってどういうことだよとエースがぼやいたが黙殺された。
「君だって、あの館に住んでいるだろう?」
「出場資格はあるとも!」
「フライパンはマジカルペンの代わり。君、魔法使えないし」
…………
 口々に言い募るゴーストに、リンの目が据わっていく。反対に、ユウやグリムの目は期待できらきらと輝きを増していく。
「確かに……確かにフライパンは最強アイテムだけれども……
 うんうん、とオンボロ寮在住の奴らが頷く。リンはくわりと目を見開いた。
「現代社会人の体力の無さを舐めるんじゃねええええッ!! 現役学生どもと一緒くたにするんじゃありませんッ!! あんな広いフィールド、ダッシュできてせいぜい二回だわ!!」
「ギャーッ!!」
「やっぱりだめかあ!!」
「そんなあ!! リンさん一緒に来てくださいよぉ……!!」
「うぎぎぎぎぎ……!!」
 リンの腰に引っ付いたユウが全力でリンを引きずって行こうとする。そしてリンは全力で抵抗していた。
「エース! いやデュースでもいいけど、ペン貸して! ペン!」
「えっ? いいけど、はい」
 エースがリンにマジカルペンを手渡す。リンはフライパンの柄に、何やらさらさらと書き込んだ。そして、はい、とユウに突きつける。
……? なんですか、これ」
「最強アイテムフライパンに、名前を付けました」
「名前」
「その名もロード・キャメロット」
「えっ」
「これでバーサーカー相手にもダメージ負傷等倍に持っていけるから。いけるいける、こんなファンタジーな世界だもの、同じ名前を持っているものに同じ力が少しでも宿るという考え方は民俗学的にも正しいし、赤い金属バットも斬鉄剣になれるのよ」
「ちょっと何言ってるのか分かんないです」
「というわけで、行ってらっしゃい。引き受けたのはユウとグリムだもの、対価はちゃんとふたりが受け取らなくちゃね」
 ユウは沈黙して円卓の名が刻まれたフライパンを握り締めた。
 
 ───結果的には、リンがほとんど冗談でユウに渡したフライパンは大活躍だったと言える。
 
 通常のフライパンならへしゃげてもおかしくない一撃を食らってもどうにか跳ね返せていたし、(一体誰が何を見たのか、「城門!?」と誰かが叫んだのをリンは聞いた)グリムの放った無鉄砲なシュートがユウに直撃しそうになったときも、上手い具合にフリスビーのようなものを跳ね返して相手のゴールに叩き込んでいた。サバナクロー相手に、モンスターのグリムと魔法の使えないユウが一点せしめて見せたのだ。
「あんなフライパン、一体どこで見つけたんですか」
「寮のキッチン下の収納ですねえ」
 クロウリーは口をへの字に曲げていた。リンはもはや笑うしかないなとフィールドの成り行きを見守っていた。
「そもそも、どうしてサバナクローが凶行に手を出すようなことになったんです?」
……おそらく、ですが。ディアソムニア寮のマレウス・ドラコニアくんが関係しているのだと思います」
「マレウス・ドラコニア」
「彼、とっても、非常に、抜きんでて、優秀すぎまして。相手チームどころか自チームですら手足が出ないというワンマンチートっぷりを二年連続で披露してくださってましてねえ。本当は今年から殿堂入り扱いをしたかったんですよ……この大会が将来に影響する生徒もいますから」
「あぁ……
 リンはなんとなく事の次第を察した。
 宝石とて、原石を探して見つけ出し、途方もない手間暇をかけて磨き上げなければ輝かない。才能はよく輝く原石と例えられるが、それも見つけてもらえなければ始まらない。
 学園とは、その才能の価値を分かりやすく社会にアピールするための場所でもある。このように取材陣ひしめく興行要素を持った大会なら猶更だろう。
 サバナクローは、レオナは、どうにかして対等な勝負をするために、マレウスたちを負傷させることで、自分達の場所にまで彼らを引きずり落とそうとしたのだ。
……それならトーナメント戦ではなく、ポイント制の総当たり戦にすれば良いのでは?」
「───確かに……!」
 リンの呟きに、衝撃を受けたらしいクロウリーが目を見開いた、ようだった。
 かあん、と金属音が高らかに響く。
「あっ」
「えっ、」
 二人が呆然とする目の前で、調子に乗ったグリムの魔法の巻き添えを食らってフライパンを取り落としたユウの頭に、調子に乗ったグリムが持つディスクが直撃する。
 目を回したユウは数歩たたらを踏んだが、結局、その場にどさりと倒れ込んだ。
 
 
 
 
 
 保健室に運ばれたユウは、しばらくは目を覚まさなかった。気絶するほどの衝撃でも命に別状は無いだろうという医療スタッフの診断により、しばらくは保健室で寝かされることになった。
 閉会式も恙なく進行し、撤収作業も終盤に差し掛かる頃になると、魔法を使えないリンはさっさと開放された。その足で、リンは保健室に寄った。ユウが目覚めているかもしれないからだ。
 
 ───作業中、エースやデュース、ジャックの姿も見えなくなっていたので、きっとあの三人も上手い事やって保健室にいるのではなかろうか。
 
 リンのその予想は外れていなかった。保健室では、目が覚めたらしいユウの見舞いに、エース、デュース、そしてジャックが訪れていた。
「リンさんのフライパン持ってたら大丈夫だって油断してました……
 開口一番、ユウはしおしおと項垂れながらそう言った。
「私はこういう怪我とかが防げればいいなと思って渡しただけなのに予想以上に活躍されてビビり散らかしたわ」
「思った以上に活躍したから想定してた使われ方をされなかったのか……
「なんという……
 エースとデュースの言葉に、リンは切り替えるように息を吐きながら言った。
「まぁ過ぎたことは仕方ないわな。頭痛くない? 大丈夫?」
「はい、もう全然」
 元気です、とユウが拳を作ってアピールする。それなら良かった、とリンは本日何度目かの溜息をついた。
「それで……トーナメントはどうなったんですか? 撤収作業の話は聞いたんですけど……
「あぁ、それなら」
「ディアソムニア寮が優勝した」
 静かに響いたのはレオナの声だった。レオナは体中至る所に処置を施され、ベッドに寝かされていた。
「レオナ先輩、ラギー先輩も。目が覚めたんスね」
 レオナの隣のベッドに寝かされていた生徒が生返事をしながら起き上がる。彼も肌が見えている場所のほとんどに治療を施された跡があった。
「結局、ディアソムニアの奴らには手も足も出なかったっスねー。他の寮の奴らにもマジで直接ボコボコにされたし……
「いいかいユウさんや、因果応報とはこのことだよ」
「なるほど、勉強になります」
「そこ、見世物じゃねえっスよ」
 ラギーが目元に険を宿らせた。
「でも、マジでディアソムニアの寮長半端なかったわ。あれに勝てるイメージ湧かねえのは分かる~って思っちゃった」
「勝負する前から負ける気でいたら勝てるもんも勝てねえよ。来年こそは、卑怯な手を使わず、自分の力だけで勝ってみせる……!」
「ハッ、卑怯な手だって、自分の力の内だろ?」
 静かな決意を、レオナが鼻であしらう。ユウの目が据わった。
「あんだけぼこぼこにされて懲りてないんですか? ちょっとは反省してください」
「反省? 懲りる? どこにそんな必要が?」
 レオナは不遜な態度を改めなかった。
「今年の大会は、俺なりに全力を尽くした。来年もまた、勝つために全力を尽くすだけだ」
「シシシッ! さすがレオナさん、そうこなくっちゃ!」
 上級生ふたりのやり取りに、ジャックは先が思いやられると言わんばかりにがしがしと頭を掻いた。その尻尾が不満げにひょんと揺れる。
「来年こそはトーナメント戦に出てやるんだゾ! お前も今から特訓して体力つけろ!!」
「ええ~私もぉ~?」
 リンが嫌そうに眉を寄せる。対照的に、デュースは表情を明るくさせた。
「僕たちも、選手枠として出られるように頑張らないとな」
「確かに。今年みたいなのはもう勘弁だわ」
「そう……今年みたいなのはもう勘弁です……
「ん?」
 デュースの言葉に頷いたエースが、瞬いてユウの方を見やる。
 ユウは、眦をきっと吊り上げた。
「えぇ、来年こそは、ええ、勿論……!! 絶対にリンさんに怪我なんかさせません!!」
「おっ?」
「おっ、ユウが切れた」
「えっ」
 怪我? とぼやいたのはジャックで、あっと息を呑んだのはラギーだった。そう言えば、このリンとかいうやつ、見覚えが無いことも、無い。
 確か、トレイの怪我を誘発するためにリドルを狙った時、ラギーの思惑の外側から斜めに突っ込んでトレイを庇った知らない顔である。ラギーが知らないほどであったので、大した人物でも無いだろう、まあいっか、歩けてたし、と特に気にしないことにしたのだ。
 それが、ユウと親しい、そしてどこの寮にも所属していない、しかもスタッフパスを首から下げている、ということは。
 ラギーはごくりと唾を呑み込んだ。
 きっとリンは、オンボロ寮に居候しているという、ユウと同郷の、……入学式以降その行方が噂頼みとなっていた例のあのひとに違いないのだろう。ラギーは取り繕うようにして頬を持ち上げた。
「あーいや、でもほら、あれはー……そのー……オレにとっちゃ不可抗力っつーか、そこのリンさん? が勝手に飛び込んできたっつーか、」
「ラギー先輩がリドル先輩やトレイ先輩を狙わなかったらリンさんも怪我なんてしなかったんです!! 」
「う、まぁ、それは確かにそうっスけど、」
 でも、とラギーはリンを見やった。リンは困ったように笑っている。いい人そうにしか見えない。これは上手くすれば、と巡らされたラギーの思考は、ユウの声によって遮られた。
「大丈夫だなんだ言ってましたけど、リンさん、体中に痣が出てたんですよ!! 痕もしばらく消えなかったんです!!」
 ユウの剣幕に、うげえ、とラギーは首を竦めた。レオナは面白いものでも見るかのように嫌な笑みを浮かべている。尚も言い募ろうとするユウを、リンは慌てて宥めすかした。
「どうどう、ユウさん、どうどう! 私はほら、そこまで恨んでないっていうか、まだ仏の顔も一つくらい残ってるっていうか!」
「私の仏はもうとっくの昔に完売御礼入荷未定在庫無しです!!」
「わぁいすごく元気だぞう……リンさん安心したなー……
 鼻息荒くサバナクロー、主にラギーを睨むユウに、エースが苦笑した。
「あー……そういや、ユウは試合で一点取れたからまあ良しとして、リンさんは仕返しらしい仕返し、できてないもんな」
「そうその通りッ!! というわけでリンさん、何か一言!! ばしっと!!」
 ぐわりと目を剥いたユウがリンに詰め寄る。ええ、とリンは情けなく眉を下げた。
「試合にも勝負にも負けたような奴らの傷口に、これ以上塩を塗るのかい……?」
「、」
「うぐ、」
「おっ、ダメージが入った」
 それまで高みの見物と洒落こんでいたレオナもぴくりとこめかみをそよがせた。ラギーなどは最早視線を逸らしている。
「いいですよリンさん、その調子です!! あだっ」
 こら、とユウの額にリンのチョップが軽く撃ち込まれる。リンは嘆息した。
「私は仕返しはしないの。それもたかだかガキの悪戯に、一々目くじら立てるほど狭量でも無いつもりなの」
……ほう」
……確かに、まだ成人はしてねっスけど……
 悪戯、しかもガキのと評されたレオナたちの耳がぴくりと反応する。一様に似たような反応をするそれに、エースとデュースは唇を引き結んだ。気を抜けば噴き出してしまいそうだった。
「でも……リンさんはそれでいいんですか……?」
 ユウが心底悔しそうに言う。リンはいっそ穏やかで優しい声音で言葉を連ねた。
「私はもう学生は卒業したのでいいんです。私自身、まだ大人になりきれてないところもあるけど、さすがにもう二十歳も越えたし、周りに迷惑かけるレベルで癇癪起こして暴れまわるほどガキでもねえのよ」
「、」
 がつん、と何かで脳みそが殴られた音を、レオナは聞いた。
「あ、これはレオナさんに刺さった」
「二十歳を越えたのに癇癪起こして暴れまわるガキって言われたようなもんだからな……
「学生卒業できてねえしな」
 堪え切れなくなったのか、エースがあくどい笑みを浮かべる。リンはにっこりと笑い、尚も言葉を続けた。
「それに、巻き込んじまった第三者に謝ることもできないやつに、わざわざ仕返ししてやることもないわよ。許さないだけで十分でしょ」
「うげ、」
……チッ……
 今度こそ、ラギーが耳を伏せて何も聞きたくないポーズを取る。レオナも舌を打って、ベッドに四肢を投げ出した。
「リンさん……!」
「うわあ……
 目を輝かせるユウに対し、グリムがへにょりと耳と尻尾を垂れ下げる。
「根に持ってるわけじゃないけど別に許したわけでもないっていう……この地味に嫌な感じ……
「仕返しされる方がまだマシだな……
 エースとジャックも、どこかリンからは身を引いた。リンは悪戯っぽく笑った。
「仕返しの応酬なんて、生産的じゃないでしょ。だからそういうことはしないの。ガキはもう卒業したので、清濁併せ吞んでるの。まだ慣れ始めだけどね。大人ってやーね!」
「えぇー、リンさんがそれ言うー?」
「リンさん、私が見てきた大人の中で一番大人オブ大人なのに……
「あらあ、ありがと♡ でも、まぁ……私なんかまだまだよ」
 さてと、とリンは纏う空気を入れ替えた。
「ユウがそこまで元気なら、寮に戻ってご飯にしよっか」
「はい!」
「おう!!」
 ユウとグリムが元気よく返事をする。いいなあ、とエースが強請るようにして言った。
「うわー、行きてーなー。リンさんの飯食いてえー」
「エース、僕らは寮に戻らないと、」
「あー!!」
 デュースの言葉を、甲高い声が遮る。レオナがぎくりと体を強張らせたのを、ラギーは見た。
「おじたん!! やっとみつけた!!」
「ン?」
「あら」
 目にもとまらぬ速さで突進してきた子供が、勢い余って床を滑る。しかしこどもはめげずに、いやいっそ勢いを増して、レオナのベッドに飛びついた。
「レオナおじたん!!」
 一同の目が揃いも揃って点になる。あぁクソ、とレオナは顔を手で覆って天を仰いだ。
……レオナおじ、たん……?」
 ベッドをよじ登ろうとしたこどもの首根っこを掴み、べり、と引き剥がしたレオナは、憮然とした表情で口を開いた。
「このうるせえ毛玉は、兄貴の息子のチェカ。……………………………俺の甥だ」
「、」
「お、」
「甥!?」
 全員が思わず出した声が綺麗に揃う。ということは、とラギーがおそるおそるといった体でチェカを見やった。
「これが、王位継承権第一位の……
「!」
 王位。継承権。兄貴の息子。レオナのどこかやりきれないといった風情。
 
 ───はっはぁなるほど、これはまた面白、いや、ややこしいことになってんなあ!
 
 察しの良いリンは、むーっ! と暴れて自力で自由を手にしたチェカがレオナの足に意気揚々と腰を降ろす様子をまじまじと見つめた。
「おじたんのしあいかっこよかった!! こんどかえってきたら、ぼくにもマジカルシフトおしえて!!」
「わかった、わかったから……、お前、お付きの奴等はどうした? 今頃泡食って探してるぞ」
「みんなおいてきちゃった!」
 にっぱー!! と、チェカはそれはもう元気に、寧ろ少しだけ得意げに、はにかんで「自分は大人の言う事を聞かない脱走犯です」と白状した。レオナは頭痛がするのか、こめかみを押さえている。
 とは言え、子供が言うからこその可愛げもある。リンは堪え切れずに、肩を揺らして笑った。
「わはは、置いてきちゃったかぁ〜」
 他人事故に可愛い奴めと笑うリンを他所に、生徒たちは互いに「これが……?」と目配せをしあった。
……レオナ先輩の苦悩の種、って……
「この、無邪気なこども……?」
「しかも、めちゃくちゃ懐かれてるんだゾ……
 全力で面倒臭いオーラを醸し出しているレオナをものともせず、チェカはずいずいと座る位置を足から上へ移動していく。その間も、賑やかな口はとどまるところを知らない。
「おじたん、つぎいつかえってくるの? あした? らいしゅう? そのつぎ? あっぼくのおてがみよんでくれた!?」
「ホリデーには帰るって何度も……っぐ、おい腹には乗るな!!」
「あぁ傷に響くのか、あかんあかん」
 必死の形相に、リンは慌てて、レオナの腹に馬乗りしたチェカを抱き上げた。リンの脳裏に、先程の試合でレオナが腹に一撃を食らっていたような映像が明滅する。アレは痛そうだった。倒れなかったのはさすがの一言だが。
「やぁだ、降ろして!」
「お腹はだめだよ、おじさん今お腹痛いんだって」
「わかったから降ろして!!」
「はいはい」
 じたばたと暴れるチェカを、そっとレオナの足の上に降ろす。何故そのまま床に降ろさなかったとレオナの視線がリンを責めたが、リンはどこ吹く風でそれを受け流した。
「なるほど、こりゃ大物っスわ! レオナさんが実家に帰りたがらないの、こういうことだったんすね!」
 信じられないものを見るような目でチェカを見るジャックに対し、ラギーは心底おかしそうに笑った。チェカがリンを見上げ、そしてぐるりと部屋を一瞥する。
「みんな、おじたんのおともだち?」
「っくく……!! そうそう、レオナおじたんのおともだち。ねー!! レオナおじたん!!」
「ぶっはは!!! いでで、笑ったら傷に響く」
「笑ってんじゃねぇ!! てめーら後で覚えてろよ……!!」
 レオナが唸る。ラギーはやっべとわざとらしく枕を構え、ジャックは数歩後ろに引き下がった。
「あれ、リンさん、それ」
「ん?」
 何かに気付いたエースがリンの腰を指す。そこには支給されたシーバーがぶら下がっていた。
「なんだっけ、無線? なんか光ってますよ」
「ありゃ? ほんとだ。私のお仕事もう終わったのにな。なんだろ」
 リンはベッドから離れた場所に移動した。いくつかの視線を背中に感じるが、それもすぐに気にならなくなる。リンが聞き取れたのはチェカの「リンさんってゆーの?」という無邪気な声だけだ。
 リンを呼び出したのは学園長だった。
 『あー、リンさん? 今どこにいらっしゃいます?』
「保健室ですが」
 『もしかして、そこに赤毛の小さなライオンの獣人のこどもが来てませんか? どうやら保護者様とはぐれてしまったようで』
「赤毛の小さなライオンの獣人」
 呟いて、リンはくるりと背にした一同を顧みた。野生の勘か、何かを悟ったらしいチェカがベッドのシーツに皺をつくる。
「いないってゆって!」
「チェカ、だめだ。帰れ」
「やだあ!!」
「ぐっ……!!」
「おわ、チェカくん、さすがにレオナさんの傷に響くっス!!」
 レオナに引っ付いて離れようとしないこどもに、リンは苦笑した。こどもの駄々は捏ね始めてからが長い。王族ともなれば余計だろう。
「あー……、学園長? それらしきこどもはいますが、親族の方とご歓談中ですよ」
 『親族……あぁそうでしたか! では安全な場所にいるんですね、分かりました。ありがとうございます』
 通信がぶつりと切れる。くるりと踵を返したリンに、チェカは真正面から「ひどい!!」と叩きつけた。
「せっかくひとりでおじたんのところにこれたのに!! リンさんのいじわる!!」
「意地悪じゃないよう」
 リンはレオナのベッドの横に移動し、よっこいせとしゃがみこんでチェカと視線の高さを合わせた。
「チェカくんが変なひとに掴まってたり、怪我したりしてないよって教えてあげないと、チェカくんのお付きのひとが心配して、もっと大騒ぎになっちゃうかもしれないでしょ?」
……ぷぅ」
 思い当たる節があるのか、チェカが黙り込む。それでも怒っていることを主張したいのか、頬は膨らんだままだ。リンはスタッフパスを持ち上げて、ひらひらと振った。ぴこん、とチェカの耳が反応する。
「チェカくん、改めまして、スタッフのリンです。あのね、学園長は迎えを寄越すとも、入り口まで送ってくれとも言ってきてないから、まだここにいても大丈夫だよ」
「ほんと!?」
「、おい」
「でも、」
 口を挟もうとしたレオナを鋭い眼光と柔らかな言葉で制し、リンはチェカに再度向き直った。
「お付きのひとたち? か分かんないけど、チェカくんのことを皆が待ってると思うし、その人たちは早く帰りたいなあって思ってるかも分かんない。だからチェカくん、帰りたくなったらいつでも私に言ってね」
……うん。わかった。あの、あのね、ぼくね、おじたんにおてがみのおはなしをしにきたの」
「ですって、おじさん」
……ハァ……
 諦めたかのようにレオナが嘆息する。チェカは嬉しそうにレオナに向き直り、今度はそうっと、レオナに抱き着いた。
 リンは静かにレオナのベッドから離れると、ユウの傍に戻った。
「ごめんねえ、一仕事増えたみたい」
「大丈夫ですよ。ご飯、冷蔵庫の中にありますよね?」
「うん。でも、先にお風呂入っといで。まだちょっと砂っぽいもん」
「分かりました」
 ユウは頷いて、ベッドから降り立った。グリムもユウの足下に移動する。
「俺達もそろそろ戻らねえとな。行こうぜ、デュース」
「あぁ、そうだな。それじゃあリンさん、失礼します。ユウは、お大事にな」
「ありがとう」
「また学校でな」
「うん、また」
 エースとデュースを手を振って見送り、さてそれでは自分も、とユウが一歩踏み出そうとした瞬間、チェカの「リンさん!! おはなしおわった!!」という声がこれでもかと響いた。ベッドから飛び降りたチェカが躊躇いなくリンの足に突撃をかます。リンはぐらりと揺れたが、さすがに倒れなかった。
「おっ、そうか~、もう終わったの? 帰る?」
「かえってあげる!」
「よろしい。忘れ物はありませんか!」
「えーっと……ありません!」
「よーしじゃあ行こう。ユウとグリムも途中まで一緒だな」
 リンが差し出した手をチェカは素直に握った。リンは最後にとレオナたちを顧みた。
「それじゃあ皆さん、お大事にね。あ、お大事にっておじさんに言った?」
「いった!! あっでもばいばいゆってない、ばいばいおじたん!!!!」
 こどもながらの大声が響く。満足したのか、返事がもらえないのを学習しているのか、チェカは早く行こうと積極的にリンの手を引いた。
「よっしゃ、そしたら学園の入り口まで、でっぱーつ!!」
「ぱーつ!!」
「いやなにそれ」
 チェカが元気よく飛び跳ねる。それにつられてリンの腕もぶらんぶらんと揺れる。そしてこどもは唐突に、全力でリンを引っ張りながら駆け出した。
「あわわわわチェカくんちからがつよいぞ」
「リンさん!? リンさんまってうそはや、リンさん!!」
 ユウが慌てて二人の後を追いかける。
 保健室は、嵐が過ぎ去った後のように静かになった。
…………チェカが自主的に帰った……
 ぽかん、とレオナが呟く。ラギーは素直に感嘆した。
「こどもの扱い、上手いっスねえ」
「レオナさんがここまで呆けるって、余程しつこいこどもなんだな……
「いやぁ~、あれぐらいのこどもは大体そんなもんでしょ~!」
 ラギーがへらりと笑う。しかし、レオナは存外真剣な光をその双眸に宿していた。
……いや…………ラギー」
「なんスか」
「お前、やっぱりあのリンとかいう奴には謝っとけ」
「へっ!?」
 突拍子もない言葉に、ラギーはおろか、ジャックまでもが目を剥いた。
「レオナさんが謝るって言っ……、えっいやいやいやいやマジで!? いやえっ!? えっいや、そ、それならレオナさんもっスよ!?」
 実行犯はラギーだが、全てはレオナの指示と決断のもと行われた犯行だ。ラギーだけに頭を下げさせるのは筋が通らないし、割に合わない。ラギーは強かだった。果たして、レオナは眉を顰めて舌を打った。
……チッ、しょうがねえな……
「いや……レオナさんあんた、どんだけチェカくんに手ェ焼いてたんスか……!」
 ラギーのぼやきに、レオナが答えることは無かったが、ラギーにとっては先程のレオナの言葉が衝撃すぎて、それどころではなかった。