さもゆ
2025-01-14 09:19:04
36172文字
Public 吸死
 

【ドラロナ】犬を愛さぬ者、紳士に非ず

ジョギング中よく会うようになった犬と飼い主とロくんと、ロくんの善性を利用されるのが我慢ならないド公の話。
※犬は死にません
※名前と自我のあるモブと、犬が出てくる
※ドラロナできてない


 十三階建てアパートメントのセキュリティはそれなりのものだったが、最初に見送ったときに部屋の番号も暗証番号も教えてもらっていたためロナルドはルインに引っ張られるままそのセキュリティを突破できた。最初のときグレゴリーはボタンも押せないほど咳き込んでいて、やむを得ず、ロナルドが番号を聞いて押してから変更もされていないようだった。不用心ですよ、と言ってあげたかった。
 十三階、北向きの一番端の部屋に辿り着くと、ドアが少し開いていた。ルインが器用に前足で蹴って開け放った部屋へ、ロナルドもそのまま飛び込む。
 部屋内に灯りは点いておらず、スマホのライトが廊下を照らした。
 おそらくリビングへと続く扉も開いており、ルインがそちらへぐいぐいと引っ張っていく。靴を脱ぐ暇も与えられず、グレゴリーさん、お邪魔します、とせめて言ってから足を踏み入れた。
 リビングに入る。大型犬を飼っているだけあって、広い部屋のようだったが、如何せん暗すぎてよく見えない。「ルイン、ごめん、電気を……」スマホを向けた先にカーテンがあった。リードを離し、ひとまず明り取りのためにカーテンを全て開ける。月は見えなかったが、周囲の高層ビルや住宅の明かりが部屋に射しこみ、全容を知ることはできた。
 グレゴリーは床に倒れていた。
「グレゴリーさん!」
 駆け寄ってそばに跪く。うつ伏せで倒れていた体を抱き起こすと、軽すぎて途轍もない不安が胸を過ぎった。体温はロナルドの手には冷たすぎるくらいだった。救急車、とスマホをタップしようとしたところで、細い喉が痙攣し、ゴホッと咳き込んだ。グレゴリーの薄く開いた唇から白い息が溢れていく。暖房は、ついていなかった。
「グ、グレゴリーさん。大丈夫ですか」
「ロナルドさん……?」
「はい、すみません、勝手に。救急車いま呼びますから、安心してください」
「大丈夫でス」
「そんなの嘘だ、こんなに冷たいのに、」
「大丈夫」
 グレゴリーが細い腕でロナルドの胸元をぐ、と掴み、身を起こした。
「今かラ温かくなる」
 瞳が真っ赤に染まった。
 瞬間、ロナルドはグレゴリーの顔を思いきり殴り飛ばしていた。
 ぶわりっ、彼の唇から白い息が飛び出し、そしてそれは中々消えなかった。ロナルドが吐く息とは違う。異臭がする。工場の排気ガスや、下水の悪臭じみたそれを吐き出しながら、殴られて簡単に折れた首をぐきりと元に戻したグレゴリーが言った。
『UghhhHere we go again』(あーあ……またかよ)
 喋る度に口から煙のようなものが流れている。煙草も咥えていないのに。
『制御があんまり利かない。駄目だな、この体。そろそろ本当に』
 ロナルドにはまるで煙が喋っているように見えた。肺を侵している煙が、人間を操ることができたなら、きっとこんなふうに違いなかった。
「テメェ、」
 ロナルドは立ち上がって拳を構えた。
「やっぱり吸血鬼だな? しかもかなり悪い奴だ」
 やっぱりドラルクが言った通り、と心の中だけで訂正しておく。自分は本当に、何て甘ったれなんだ。
『殴ってから確認しますか? 普通』
「日本語で喋れ。誤解が発生してたとしても気づけない」
『この状況で私が善良な吸血鬼になるパターンがあるのなら、むしろ教えてほしいですね』
 グレゴリーは薄く笑った。げほ、と咳き込み、煙が充満していく。ロナルドは口許を腕で覆い、話の通じない相手を睨みつけた。グレゴリーは、人間じゃない。吸血鬼だろう。あの暗闇でも光る赤い両目は、ひとの生き血を啜る悪しき者の目だ。退治人としての勘と、本能が、彼を撃てと訴えてきている。右手は銃を探ったが、もちろんのこと、ランニングウェアに引っ提げているわけがない。武器はこの身のみだった。
 簡単に殴り飛ばせた。勝てない相手ではないはずだ。
「俺とまだお話合いをする気はあるか?」
『何の?』
「ないんだな。分かった。俺はアンタを倒す。けどこれだけは聞かせろ。ルインは……じゃあ、テメェの、使い魔なのか?」
 グレゴリーは溜め息を吐き出し、「そうだったラ、良かッタんですケドね」と言った。
 耳のそばで犬の唸り声がした。
 振り返ると、鋭い牙を剥き出しにし、涎を垂らしたルインの顔が眼前に迫った。
「え、」
 そして肩口に噛みつかれた。飛びつかれたまま床に激突し、背中を強かに打ちつける。牙の食い込んだ肩が焼けるような痛みを発し、悲鳴が飛び出た。どうして! ロナルドはルインの脳天に拳を叩き込み、心底からそう思った。俺に犬を殴らせないでくれ! どうして、なんで、だってあんなに。
 あんなにかわいい犬だったのに!
 殴られた大型犬は怯んだ鳴き声を発するとロナルドから離れ、グレゴリーの反対側へと回った。床に伏したロナルドには、初めて、長い犬の毛で隠れていた目が見えた。爛々と輝くその色は真っ赤だった。
 せり出た牙から赤い血を滴らせた黒い犬の姿が、やがて膨張し、太い手足がひとのそれへと変貌していく。背はグレゴリーを越え、真っ黒な髪を垂らし、輪郭は男の形をとった。耳は尖り、肌色は悪く、黒髪から覗く目が赤々と瞬きをする。闇色のマントに包まれた姿は、古き吸血鬼のそれだった。
『よォ、グレッグ。久しぶりだな』
 牙の覗く唇がグレゴリーに向けて言った。
 犬のときの愛らしさの欠片もない、低く掠れた男の声だった。グレゴリーに歩み寄っていく男に、煙が吐かれる。
……二足歩行を忘れていないようで安心しましたよ』 
『俺もお前が排煙処理されていなくて安心したよ』グレゴリーのそばに佇む男の姿は、犬のルインと色以外は似ても似つかない。『薄らぼんやりとした意識で聞いていたがね。お前、俺の使い魔になりたいのか? 今からでも契約してやろうか』
『ご冗談を』グレゴリーは嫌そうに顔をしかめた。『逆でしょ。犬に従うなんて御免ですよ』
『ハッ、リードを引っ張られておいてよく言うぜ』
『あなたが握らせてくるんだろ』
 二人はロナルドのことを一寸忘れているような振る舞いをしたが、ロナルドが隙を狙って動こうとすると、途端に充満していた煙が鼻の奥を突いてきた。うえッ、と嘔吐き、肩の痛みも相俟って満足に立てなくなる。床に腕をつくので精一杯なロナルドの顎を、冷たい指が掴んで持ち上げた。吸血鬼の、ルインが、ロナルドの顔をまじまじと見つめる。
『へェ。随分なハンサムだな、今度の体は。趣味変わったか?』
『あなたの趣味だ』
『犬の俺に感謝しろよ。においもだが、血も美味い』
 男の顔が血の流れるロナルドの肩に埋まっても、身じろぐことすら最早できなかった。
『ちょっと、あんまりキズモノにしないでくださいよ。私の体になるんだから』
 煙が、口からも、鼻からも、耳からも入ってくる。
 頭痛がする。吐き気もだ。呼吸がしづらい。著しく身体機能が下がり、警鐘が視界の明滅として表れている。ヤバイ。まずい。このままでは、──乗っ取られる。
『さて、一番楽しい時間の始まりです』
 
「ロナルドくん?」

 霞んだ意識の中に、どんなときでも一等響く声が落とされた。息は上がり、必死にロナルドを追ってここまで駆けてきたのだろうことが知れた。

「オイ、貴様ら何をして──」

 その息を呑み、声が途中で掻き消えた。ぼやけた視界で、ロナルドの顎を持ち上げていたルインが、飛び掛かっていくのが分かった。煙に混ざって、砂の粒が、きらきらと輝いて見える。ああ、ドラルク、ロナルドは思った。バカ野郎、何で来た、お前じゃ対処できないだろうが──。
 ルインに襲い掛かられたドラルクから丸い守護者が飛び出し、ガツンと鈍い音がしたが、それは振り払われたジョンが壁に打ち付けられた音だった。
「ジョンッ!!!」
 叫びは二人同時だった。それを認識した途端ロナルドの体に一瞬にして怒りが漲り、傍らにいたグレゴリーの横っ面に拳をめり込ませていたが、確かに感触はあるのに、まるで手応えがなかった。グレゴリーの体が吹き飛ぶ。それはただの体で、本体は煙だった。入り込んだ煙が肺に到達した直後、ロナルドの体はまたぴたりと言うことを聞かなくなった。意識は、まだあった。再び床に倒れる。ちくしょう、と奥歯を噛みしめることすらできず、煙が身体に馴染むまでの間、ただ見ていることしかできなかった。
 ヒビの入った壁から落ちるジョンをドラルクが抱き留める。
 ストレスに弱い吸血鬼のくせに、バグでも起こっているのか、その痩躯はどこも欠けていない。
「私のジョンを……
 声は今まで聞いたこともない低さだった。
「よくも」
『吸血鬼、ドラルクか? 見たことはある。噂はかねがね。箱入りの虚弱息子が、こんなところで何を?』
『その男は私のものだ』
 ドラルクが、対峙したルインと同じ言語で返した。
『私の下僕だ、私の友だ、私の昼の子だ。貴様らこそ何をしている? その男は、私の、ものだ』
『あー。乗っ取ったもん勝ちだろ?』
『乗っ取る?』
『俺の相棒に新しい体を与えてやるんだ。人助けだと思えよ』
『何だと?』
 ドラルクの頭蓋がぐらりと崩れた。
『そんな、ことの、ために』
 頭が落ちる。首が崩れる。肩がなくなっていく。
『その優しい子を、騙したのか』
 胸が、腰が、足が。ジョンを抱く腕だけを残して、ドラルクは塵の山となる。
『赦さない』
『結構だがね。憎しみで死ぬしかできないお前に、何ができる?』
『呪ってやる』ドラルクが地を這う声音で言った。「呪ってやる、……呪ってやる、呪ってやる。貴様の、貴様らの永劫の夜を、私が絶えず呪い、死に続けてやる。永劫に! どこにも、棺桶の内側にも安穏はないと思え! ︎︎呪ってやる!」
 
 もうほとんど思考も働いていない頭で、それは駄目だろ、とロナルドは思った。

 そんなのは駄目だ。
 だって。
 ロナルドはいつだって、ドラルクに楽しくいてくれなきゃ、困ってしまうんだもの。
 呪ってやる? 何だそれ。外国生まれの吸血鬼のくせに、日本のお化けみたいなこと言いやがって。そんな、まるでロナルドのために、この先も続いていく夜を、昼を、楽しくないことに使おうとしやがって。そんなのは駄目だ、それこそ、ゆるさない。
 こいつにこんな感情、持たせちゃいけない。こいつにはこんなの、似合わない。

 ちかりと目の前で光るものがあった。
 少し離れたところで、ロナルドのスマホが、星のように瞬き、通知を知らせた。
「ドラ、ルク」
 ロナルドは煙を吐き出しながら言った。
「そのまま、伏せてろ」

 ガシャン!

 硝子が砕ける音とともに、ルインが床に膝をついた。
『な、』
 開け放たれたカーテンが風に揺らめく。ルインは割れた窓の方へ顔を向け、次いで、自身の左肩に目を下ろした。肩口には、対吸血鬼用の麻酔弾が刺さっていた。『どっから、』
 それはやっぱり、現場に置いて何より勝利を確信させるものだった。
 ロナルドは笑い、そして自分の体の中で戸惑っている煙を根性で制し、こんなことでへこたれていられない、良いところをあの若い狙撃手に見せてあげないといけないし、それに、馬鹿な相棒を殴ってやらなければならない、と紛れもない自分の思考を取り戻して、力を振り絞って体を跳ね上げさせた。
 ルインを殴り飛ばす。
 彼は完璧に沈黙し、ロナルドは彼の肩口に刺さっていた麻酔弾を引き抜いて自分に刺した。ぎゃあ! 肺を満たしていた煙が悲鳴を上げ、口から飛び出していく。それから間髪容れず二発目のライフル弾が部屋に着弾した。噴煙タイプの吸血鬼忌避剤だった。部屋中が煙に包まれ、断末魔が響き、そうして晴れた。
 倒れているルインのそばに、弱体化し、飛ぶこともできない煙が漂っている。敵意を感じられない。どうやら気を失っている。

 は、とロナルドは息を吐いた。
 息は白く濁り、溶けて消えた。

 震える足で腕すら塵になってしまったドラルクの元へ向かい、ジョンを抱きかかえて、瞼を閉じているこの小さな生き物の鼓動がとくとくと動いているのを手のひらに感じ、「おい、」とロナルドは塵山に声をかけた。
「起きろ、どらるく。どらこう。どらこー……
 グレゴリーの断末魔に、ドラルクの声も混ざっていた気がして、ロナルドはちょっと不安になりながら躊躇いもなく左手を砂の中に突っ込んだ。噛まれた肩は左で、そこから大量の血が伝い、手のひらの傷が開いているかも判別つかなかったが、血塗れなのは見ての通りだった。砂を混ぜ、捏ねて、なあ、起きろってば、と声を掛け続ける。
 ぶはっ! と。
 砂がやがて呼吸を取り戻し、舞い上がった。
 ロナルドの見慣れた夜が姿を現す。
「き、み」
 呆然と言う。
「さっきの。何したの」
「どれ? すごいよな、サギョウくん。ここ来る前にさ、一応、位置情報だけ送ったんだ。お前の、言葉、思い出して。万が一が、あるかもって。お前の警戒心、陰湿なだけだと思ってたけど、やっぱり二百年生きてるだけはあるよな」
「違う。いやそれもあるが。さっきの、なに、どうやって。だってあんな、普通は、乗っ取られるぞ。普段ばかすか催眠にかかっておいて、なんで、どうやって?」
「自力で。何か、できた」
……気合とか、精神力で? 吸血鬼の支配をねじ伏せた?」
 おう、ロナルドがあっけらかんと頷くと、ドラルクは、気の抜けた顔で呟いた。「おもしれー男……

 その顔はここ最近ずっと見たかった顔だったし、声はずっと聞きたかった声だった。ひくりとつり上がった口端、小馬鹿にするような眉、楽しくて仕方がない、といった様子の上擦った語尾。
 それを認めると、ロナルドは血だらけの体と悲惨な現場にそぐわない、ひどく安心した顔で「うるせー」と笑った。



犬を愛さぬ者、紳士に非ず




「犬がいる」
 隣のドラルクの言葉に、つい、びくりと反応したのを、ドラルクも気づかないはずがなかったが、さすがにあんなことがあっては揶揄ってもこないようだった。ただ仕方なさそうに竦めた肩を、ほんの少し、ロナルドに寄せ、向こうから歩いてくる小型犬を見ながら柔らかく言った。「かわいいねえ。首輪が光ってるよ」
「お前、」
 ロナルドはちょっとびっくりして自分より少しだけ背の低い吸血鬼を見つめた。「犬、嫌いなんじゃねーの」てっきり、そうだと思っていた。というか、ジョン以外の生き物に対してそんな甘やかな態度を取るとは思わなかった。今夜は家でお留守番をしているジョンが実際この場にいたら、ドラルクは犬に見向きもしないはずである。
「私だって犬をかわいいと思う心はあるさ」
「じゃあなんであんな、」
 ルインのときは嫌そうだったんだよ、とロナルドが言う前に、ドラルクがロナルドの左手を取って言った。
「私のものに勝手にマーキングするような、躾のなってない無法者が嫌いってだけで、べつに犬が嫌いなわけじゃない。私たちは犬が飼える、その言葉に嘘はないよ。ねえ、本当にさ。今じゃなくても、三十年後とかに、飼ってみようか、犬」
 ドラルクが至極楽しそうにロナルドとの未来を考えている様子に、ロナルドは不覚にも泣きそうになった。内容の前半は相変わらずあまり理解できなかったが、いいんじゃねーの、とつっけんどんに返す。いいんじゃねーの。お前が。お前が楽しく過ごせるなら、俺は。お前の隣でいつまででも拳を奮えるよ。そんな気がするんだ。
 すっかり傷の治った左手をすり、と撫でられる。照れ隠しで殴って殺しながら、ロナルドは、自身を流れる血潮の熱さを感じていた。



 完



以下翻訳
……I'm excited that he feels safe letting me take the lead』(彼が安心してリードを任せてくれることに私は興奮します)
『But the most exciting is when I take over humans』(でも一番興奮するのは人間を乗っ取ることです)