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さもゆ
2025-01-14 09:19:04
36172文字
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吸死
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【ドラロナ】犬を愛さぬ者、紳士に非ず
ジョギング中よく会うようになった犬と飼い主とロくんと、ロくんの善性を利用されるのが我慢ならないド公の話。
※犬は死にません
※名前と自我のあるモブと、犬が出てくる
※ドラロナできてない
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夜と夜の飼い主が事務所を訊ねてきたのはまだ陽が暮れきっていない、西日が射す時間帯だった。
ロナルドが事務所を開ける準備をしていると、コン、と控えめなノックが鳴った。飛び込みの依頼人だろうか、ロナルドが鍵を開けて対応すると痩躯の男が佇んでいる。メビヤツが瞳を開け、じっとそちらを向いた。
「グレゴリーさん」
足元にはルインもいる。
廊下からの冷気が入り込み、身震いする。今夜も寒い。扉を更に開け、中に入るよう促すと「こんばんは。スミマセン、まだ開けてイまセンでしたよネ」とグレゴリーが申し訳なさそうに眉を下げてドアを潜った。部屋の明かりに照らされた髪は明るい茶色で、目の色も鳶色だった。ルインの、光を受けてもそれを弾くような黒色は夜道で見たのと変わらない。初めて一人と一匹の色を正しく目にしたロナルドは、次いで、グレゴリーの顔色の悪さにこちらも眉を下げてしまった。ドラルクとまではもちろんいかないが、頬骨の浮き出具合はどっこいどっこいだった。
「こんばんは。今開けようとしていたところなので、それに、依頼ならいつだって大丈夫ですよ。座ってください」
「アリガトウございます。あの、今日はお礼に来マしタ」
「お礼?」
「先日は、助ケてイタだき、ありがトうござイましタ。それニ、ルインとも遊んでくれテ、感謝しマす」
深々と頭を下げられる。
足元のルインもぺたりと床に座り、腹ばいになって頭を下げる仕草をした。
か、賢い。かわいい。
「そ、そんな、お礼だなんて」
「粗品デスが」と難しいはずの日本語を器用に使って差し出されたのは有名店のお菓子だった。あわあわと右往左往させるロナルドの右手に紙袋を握らせ、「上着ハ、こちらに」と別の袋も手渡す。両方を受け取ったロナルドは、「お、お気遣いありがとうございます。お菓子、ジョンと一緒に食べますね」とようやく頬を緩めた。視界の端でメビヤツの開いていた目が閉じる。ドラルクには小言をもらうかもしれないが、獲得したおやつの時間をロナルドは楽しみに思い浮かべ、受け取った袋をひとまず置きに行こうと居住スペースに足先を向けた。
「お茶、淹れてきます。ちょっと待っていてください」
「お構いナく。今日ハお礼に来たダケなのデ」
「でも」
「あの、吸血鬼ドラルクと、使い魔ハ?」
「え? あー、ドラ公とジョンなら、まだ寝てるんです。あいつ、昨日は昼ふかししたから、起きてくるの遅いかも。叩き起こしましょうか?」
「イエ、」グレゴリーは鳶色の瞳を細めて微笑む。「邪魔ヲしては、悪いかなと。それなら、少シ、お茶を頂いテモ良いですカ?」
「邪魔なんて全く! 座って待っててください」
ロナルドは浮ついた足でその場を離れた。自分の事務所に大きな犬がいる光景は、やっぱりかなり、犬好きには嬉しいものがある。
温かな緑茶と煎餅を用意し、向かいに座ると、グレゴリーのそばで伏せをしていたルインが立ち上がってロナルドのそばに寄った。
くん、とがっしりした鼻を左手に近づけ、ふんふんとにおいを嗅いでいる。あれから三日は経っていたが、さすがのロナルドでも、まだ包帯は外してもらえなかった。驚異的な回復力ですよ、とはお医者に言われたが。でも抜糸もまだだ。左手を激しく動かさないでください、傷口が開いて、血がいっぱい出て、痛い思いしますからね、とまるで小さな子に言うようにも言われて肩身の狭い思いをしたばかりだった。
「手、痛みますカ」
一頻りにおいを嗅いだあとロナルドの足下で蹲ってくれたルインの頭をでれでれと撫でていると、グレゴリーが静かに訊いた。ロナルドは首を横に振る。「大丈夫です、俺、強いので」この台詞を医者にそっくりそのまま言ってやたらと長い溜め息を吐かれた記憶も新しい。つい昨日の経過観察でのことである。
「あなタの強さは知っていまスが、」
グレゴリーは困った顔をして湯呑を手に取った。
「それでも血ハ流れます」
のぼる湯気をふう、と冷まし、お茶を飲む。瘦せ細った体の口許から湯気が滲んで消えていくのを、どこか興味深く見つめてしまってから、そりゃそうだよな、とロナルドは内心勝手に納得した。ドラルク並みに細くても、彼は人間だ。お茶も飲むし物も食べるだろう。もっとお茶請け持ってこれば良かったな、と少し思いつつ、ロナルドは煎餅を一枚取るついでにそのお皿をそっとグレゴリーの方へ寄せた。見ていて不安になる細さの男に、何か食べてほしかった。
「ロナルドさんハ、」
猫舌なのか、ふうふうと湯気を吹き飛ばしつつ、鳶色が真っ直ぐロナルドを見つめてくる。
「犬がお好きですよネ」
「はい! とっても」
「飼いたいとハ、思わないんでスか?」
「やー、こんな仕事してるし、それに今はその、ひとりじゃないので
……
」
「もし、犬ヲ託されたラ?」
「え?」
グレゴリーはお茶を一度飲み、湯気を吐き出した。ごほっ、咳き込む。二度、三度続けて咳き込み、上体を曲げ、零さないよう握った湯呑みから揺蕩う湯気が、まるでグレゴリーの口から吐き出されているようにも映った。ロナルドは食べようとしていた煎餅を置き、心配して彼の隣に移動する。震える湯呑を受け取ってテーブルへと置くと、グレゴリーが咳の合間に何かを言った。細く白い湯気を残滓のように吐き出している。
「ワタシは、もう、長くありまセン」
日本語のはずなのに何を言われたか分からなかった。
ビリ、と左手に痺れが走る。
ロナルドの左手を握り込んだグレゴリーが、真っ直ぐ視線を寄越して言う。
「ルインと共に、居テくれませんカ、ロナルドさん」
「そ、」
うおん。
ロナルドがほぼ意識の外から何かしらの言葉を発する前に、ルインが一声鳴いた。
ハッとして彼らを見る。グレゴリーは堪えきれなくなったのか激しく咳き込み、寄り添ってきたルインのリードを握ってやにわに立ち上がった。
乱れた呼吸で、すみマせん、いきナり、と謝られる。ロナルドはまた首を横に振って、今日はもう帰りまスね、とまるで怒ったようにリードを引っ張るルインに引きずられるようにして事務所から出て行くグレゴリーを見送った。
それから半ば呆然として、テーブルの上を見る。湯呑から湯気はなくなり、煎餅は、もちろんのこと一枚も減っていなかった。
程なくして住居側からドラルクが顔を出した。
いつものマント姿で扉を開け「ロナルドくん。そこに置いてあるお菓子と上着って──」とこちらの姿を認めると元から険しい顔つきだったのを更に皺を深くしてずかずかと近寄って来る。何分間そうしていたか分からないが、ロナルドはグレゴリーが座っていたソファに腰かけてぼうっと時を刻んでいた。隣に使い魔を抱いてどかりと腰を下ろしたドラルクに視線をやり、ぼうっとしたまま「ドラ公、ジョン」と名前を呼ぶ。
「ロナルドくん」
「あのさ、おまえ、ジョンも。あのさ、
……
犬、を、」
「ロナルドくん、きみ、」
「犬を。これから、犬と一緒に暮らすことになるかもしれないって、なったら、
……
怒る?」
「傷口が開いている」
繋がった視線を辿ると、確かに、言われて気がついた。左手の包帯が赤く染まっていた。ジョンが小さな手でロナルドの指を掴み、患部を何かから隠すように身を乗り出して見上げた。ロナルドくん、病院に行こう、優しいアルマジロがそう心配をしてくれる。ロナルドはでも、と言った。「まだ話が、」
「話? なんの」
ドラルクは本当にロナルドの発言を聞いていないようだった。
よく動く細い眉と落ちくぼんだ眼窩の幅が狭く、いつになく剣呑な顔つきをしている。どうしてそんな不機嫌な態度を取られるのか分からず、しかし今ばかりは怒る気力もなくて途方に暮れた。
「だから、犬の。ルインの。グレゴリーさんの
……
グレゴリーさんが、」喉が不意に痙攣する。「し、」
死んじゃうかも、しれなくて。
と言うには、あまりにも、言葉が喉の奥でつかえるほど重かった。死んじゃうかも、しれなくて? そうだ。あんなに細くて、あんなに蒼白で、会うたびに咳き込んでいて。体温も代謝が機能していないような冷たさだった。触れられた左手が未だ痺れを発している。グレゴリーさんが、あのひとが、だってそう言ったんだ。“もう長くない” 「グレゴリーさんが死んじゃったら、ルインは、どうなるんだ?」
「ロナルドくん」
ドラルクが心底からどうでも良さそうに口を開いた。
「それはきみには関係のない話だろう」
それは。
それは、そう。
それはそうなんだけれど。
そう、なんだけれど。
ロナルドは自分の心が明確に傷ついたのを悟って、動揺し、隣の吸血鬼を殴って殺していた。ジョンが声を上げ、ドラルクもいつも通り叫んだ。塵になった相棒を見てもちっとも安心できず、ロナルドはいつの間にか垂れてきていた鼻を啜り、熱くなった目頭を拭った。隣のすぐ塵になる吸血鬼に、まるで血潮が通っていないような気分に陥っていた。ドラルクには骨と皮しかなくて、血も涙もない冷たい生き物で、いつだって棺桶の内側で眠っている寂しい存在だ、そんなふうに思った。棺桶の外側で泣いているひとのことなど、きっとちっとも考えやしない、享楽主義の夜の住人。きみには関係のない話? 全くその通り。だってロナルドが勝手に心配しているだけなのだ。“いつか自分が死んでしまったら、ドラルクはどうするのだろう” 笑える。普段散々従者や下男ではないと否定しておいて、飼い主と犬の立場に自分たちを重ねてしまうなんて。馬鹿々々しかった。けれどもほんの少しでも、寿命の限られた生き物のことを考えてみてほしかった。
︎︎本当に? そうだろうか。
楽しくないことを、この夜毎楽しく生きている吸血鬼に、本当に考えさせたいのか?
「おい情緒不安定ルド」
ドラルクが再生し、骨の硬さで、ロナルドの手首をきつく握り込む。なぜか首のヒラヒラを外し、握り込んだ手の包帯に雑に押しつけた。
「話は、なんでも、後からいくらでも聞いてやる。今はとりあえず病院へ行け。ジョン、着いて行ってくれるかい」
「ヌン!」
「ほら、行け。さっさと。早くその傷を閉じてくれ」
ジョンがしがみつき、ドラルクに追い立てられるまま上着と財布と携帯を持たされ外に出される。血に染まったクラバットを握りしめて、背後で閉まった事務所の扉に、お前が、と八つ当たりのように思った。お前が、傷つけたんだろ。お前は吸血鬼だから。俺たち人間のことなんか、俺のことなんか、本当は何にも分かっちゃいないんだ。胸にしがみつきヌーと鳴くジョンを柔らかく撫で、ロナルドは白い息を吐き出した。
甘美なる血のにおいに混ざって不躾な侵入者の悪臭が漂っている。
ドラルクは鼻をつまみ、思い切り顔をしかめて、牙を露わに呟いた。
「まるで品のない宣戦布告だ」
私の城に、私のものに、こうもあからさまにマーキングしやがって。どういうつもりか知らないが、マーキング。その表現が一番正しいように思えた。
この数日間、ドラルクはずっと苛々している。
ドラルクの楽しくて素敵な夜を、何者かが奪おうとしている、これは明確な予感だった。そして概ね間違いはない。
問題は素敵な夜を奪うのが、誰かということだ。
ドラルクはふんと鼻を鳴らす。とりあえず今一番の問題が、決して窓を開けたりしてこの誘惑極まる血臭を逃さず、如何にして、事務所内のスモッグじみた悪臭のみを完璧に消し去るかだった。掃除に取り掛かる。湿った獣と、何かほかの異質なにおいが混ざったそれは、やはり、少しも上品ではなかった。
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