紫輝
2024-08-03 13:28:58
19176文字
Public リオヌヴィ
 

【リオヌヴィ】最高審判官の家にはご飯の精霊がいる【原神】

合鍵を渡したらふらっとやってきたセスリ殿がご飯作って帰ってくれたヌ様の話です。全3話+番外編。



3.二人で食べるトマトファルシ


 鍵を回し、扉を開け、そっとため息をつく。――今日も逢えなかった。時刻は午後八時、『結構頑張った』成果だ。
 リオセスリ殿が来てくれるようになってから少しづつ業務を見直し始めた。それらが成果として反映されてきて夜半の帰宅はほぼ無くなったし、共律官達の残業時間の削減にも繋がっていると聞いた。引き続き『頑張る』のでここで過ごしても君の翌日に響かない限界の時刻を教えて欲しい――そう持ちかけた私にまずリオセスリ殿がくれたのは労いの言葉だった。
「セドナさんも嬉しそうだったよ。頑張ってるんだなぁ」
 そんな言葉に頭を撫でてくれる手までついてきて、この程度のことなのに対価が多すぎるのではないかと少し不安になってしまう。今後君の期待に応えられる自信がないと素直に申し出ると、リオセスリ殿はおかしそうに笑った。
「どう言えば伝わるのか悩ましいんだが俺はヌヴィレットさんに何か物凄い成果を期待してこうしてるんじゃないんだ。ヌヴィレットさんが未来のあんたのために現状を変えようとしてる、それだけで嬉しいからな。その理由の一割くらいが俺のいられる間に帰ってきたいって事なら、それだけで逢うたび褒めちぎりたいね」
 えらいえらい、などと口にするリオセスリ殿はとても機嫌が良さそうで、成人男性の姿を模している身としてやめたまえの一言でも言わねばならぬ気はしたのだがその声音が、指先がどうにも心地良く、結局それらを享受する事にして、
「一つ訂正させて欲しい」
 先の会話に重大な訂正事項があったのに気付いた。指が止まってしまったのを残念に思いつつ、けれどもこれは看過できない。
「うん?」
「君が九割だ」
 ぽかん、という形容詞はこんなときに使うのだろう。そう納得できてしまうほどに絵に描いたような、熟練の舞台俳優のような表情でリオセスリ殿は固まって。
「あんただいぶ俺のこと好きでいてくれてるよな」
 相好を崩して思いきり抱きしめてくれる。分かってくれて何よりだ、と、なんだ気付いていなかったのか、と、この場合どちらを選択するのがよりウィットに富んでいるか悩んでしまい結局うむと呟いてその背中に腕を回すしかできなかった。まだまだ修練が必要なようだ。
 思考が脱線した。そう、結局その時は、「待ってろって言うならいくらでも待つぞ。帰りはなんとでもなるし」などとけろりと言うリオセスリ殿をなんとか説き伏せ歌劇場行きの最後の巡水船に間に合う時間まではいる、という言質を取ったのだ。立場が逆では、とあとで思ったのだが。
 彼は私に対して譲歩が過ぎると思う。このままでは知らないうちに彼に甘えてしまいそうで申し訳ない。シグウィンにそう話したら「公爵のしたいようにさせてあげて。甘やかされるのがヌヴィレットさんのお仕事なのよ」と弾けるような笑顔で返された。
 また脱線してしまった。そう、それで、その約束の時刻というのは午後十時だった。帰宅はできなかったとしても、最悪ターミナルへ向かうリオセスリ殿と帰路で逢うことくらいはできる、と、思って、いたのだが。
 今現在驚くほど機会を逃し続けている。
 彼が来てくれた日に限って何故仕事が湧いて出るのか。これがなければ八時にはパレ・メルモニアを出られていたのに、だとか、火急の要件とやらで対応を余儀なくされた相手がおかしな駄々を捏ねてその後の仕事の全てに遅れが生じた結果帰宅が夜半近くになったりだとか。そんな日に自宅でリオセスリ殿のメッセージと夕食を目にした時、喜べばいいのか落ち込めばいいのか分からない。
 あの子達はリオセスリ殿と会えているのに、と、彼とお茶会をしたメリュジーヌ達の喜びの手紙を読みながらふと思ってしまった段になって、私はある策を――策と言うには拙いけれども――弄する事を決めた。

***

「次にこちらで過ごせるのはいつだろうか」
 定期報告後の、恒例の茶席でそう切り出す。ぱちりとまたたくフロスティブルーに言葉を重ねた。
「せっかく君に鍵を渡したと言うのに、今日まで自宅で君に逢えたことがない。これではこれまでと変わらない」
確かになぁ。前までならともかく、今は結構現実的な時間に帰るように頑張ってるのにな」
 そういえばと言わんばかりに彼が頷く。「頑張ったけど外的要因のせいで駄目だった」時に限って君のいた形跡があるのだと、彼にしてみれば「俺にどうしろと」としか言えないだろう胸の内の蟠りを吐き出すと、リオセスリ殿はそういうのって不思議と繰り返すんだよな、と苦笑する。
「であるので、いっそ君とあらかじめ約束をしておけば良いのではないかと思ったのだ。その日は早めに帰れるように頑張るゆえどうだろうか?」
 提案に熱が入りすぎて前のめりになってしまった 姿勢が崩れてしまったのが愉快だったのか、つられて口にしてしまった表現が愉快だったのかは私の かいせるところではないが、くつくつと喉奥を揺らす、見慣れた笑い方をしたリオセスリ殿はそういうことならと立ち上がる。
「まずは頑張らなくても早く帰れるようになろうな」
「む努力する」
 机の上に置いているカレンダーを持ち戻り、楽しげに私の頬を撫でた指が日付の一つを叩いた。
「この日。一応休日って事になってる。あと、」
 声と共に横へ滑った指が、その隣の日付を叩き。
「ここも休日だ。そろそろ連休を取れと看護師長に叱られちまったんでね」
 にっ、と、リオセスリ殿は唇の端を持ち上げた。
「れんきゅう」
「うん」
 リオセスリ殿の発した五文字を復唱する。ざわざわと心が震えた。実際に体感したのはまだ片手に足りるほどだが、この感覚は知っている。『歓喜』だ。
「泊まって行ってくれるのか」
 どうしようもなく期待の隠せない声を発してしまってから我に返った。彼には彼の予定が、用事があるだろうに。
「すまない、君の都合も考えず自分本位なことを言った」
 やはり甘えてしまったと俯いた顔が大きな両手に包まれたかと思うと、ゆるりと持ち上げられる。先にあった蒼い瞳は幼子を見るような色を宿して笑っていた。
「待て待てヌヴィレットさん。まずは答えを言わせてくれ」
 額に口づけが降る。
「泊まっていいなら是非。朝食も作らせてもらえるなんて光栄だね」
「むそれくらいは私が、」
「朝食は水派だとセドナさんに聞いてるんだが?」
「ぐ………
 私自身のことに関して、おそらくリオセスリ殿が最も信頼しているであろう筋から――実際『情報源』として最も確実だ――すでに暴露されていることに思わず唸る。セドナはリオセスリ殿が好きなようだった。他のメリュジーヌ達と同じくらいか、それよりもなお。とても紳士で、とても優しい、大きくてあたたかい人、と彼女はリオセスリ殿を評する。それから、彼が私の隣席に掛けて つがいとなってから私が私自身を顧みるようになったのが嬉しくて仕方ないらしい。リオセスリ殿といる時の私は、あまくてふわふわでやわらかくてあたたかい雰囲気、なのだそうで、それを見ているのも好きなのだと言う。可愛いセドナに彼を褒められることはたいそう嬉しく誇らしい気持ちになりはすれど、それ以外については流石に気恥ずかしい。件の会話はリオセスリ殿に伏せておいてくれるよう言ってある。
 さて、言葉に詰まる私を見て愉快げに笑ったリオセスリ殿は、楽しみにはしてるが無理だけはするな、としっかり釘を刺して水の下へ帰っていった。その黒い背を見送って、彼がその指で撫でた数字に印をつけて、スケジュールを確認して。
 茶器を下げにきてくれたセドナに、私は声をかけた。
「お任せください!」
 かくかくしかじかでこの日は絶対に定時で上がりたいのだが、と協力を求めた私の話をふむふむと頷きながら聞いてくれていたセドナは、リオセスリ殿が連休で、という話をした辺りでその瞳を輝かせてぽんと手を合わせ、言う。素敵、と、それは愛らしくはしゃぎながら。それから不意にしゅんとして、もっと早く分かっていたらヌヴィレット様のご予定も調整したのに、と肩を落とした。その背中をそっと撫でて、私も今日知ったのだからと慰めにもならない言葉をかける。私とて同じだった。今少しこの事実を知るのが早かったならなんとしてでもこの日を休日としたのに。
 リオセスリ殿とはつがいという間柄ではあるが、人という種の性質に照らし、プライベートに踏み込みすぎるのも礼節を欠くと考えこれまではあまりああいった申し出そのものをしてこなかった。先のリオセスリ殿の反応を見るに、今後はもう少しこの手合いの話をしても良いのかもしれないと思う。勿論予定を問う相応の理由がある時に、ではあるが。
 この方は余計なお話が長いからだめ、この方は書類に不備が多いから今回は共律官さんに事前チェックをしてもらいましょう、この方は突然別の案件を持ち出すことがあるからこの日は絶対だめ――ぱらりと手帳を開き呟くセドナの優秀さが誇らしい。長年続けてきたことゆえ慣れはしたけれども、やはり事務作業と比べると面会や会談をやや負担に感じるのは事実だ。セドナはいつも、私の負担を考えて面会希望者の持ち時間や順番まで調整してくれる。本当によく出来た子だ。最近は別の案件でパレ・メルモニアに顔を出したリオセスリ殿を捕まえて――彼はセドナへの挨拶を欠かさないのだと言う。そこまで来たのならと思わぬではないが、それが彼の配慮であることも理解できてしまう故にもどかしい――おいてくれるようにもなった。そんな時に発生する謎の空白時間の出所は今だに分からないままだ。リオセスリ殿の顔が見られて、以後の業務に影響もないため殊更に追及していないのもあるけれども。
「絶対定時で帰りましょうね!」
 小さな手を握ってセドナが笑う。この日は飛び入りは絶対通さないようにしなきゃと決意を言葉にするセドナは心なしかいつも以上に使命感に燃えているように見えた。
「君の協力に感謝する。当日はよろしく頼む」
 その頼もしい姿に頭を撫でてそう告げた私に、彼女は頑張りますと愛らしく笑った。


 そして迎えた当日。「その時」をそわそわと待ち(間違いなくこの国に招かれてから一番時計を見た日になった)、龍生初の――なんだったか、そう、『定時ダッシュ』を成功させた私は帰路に着いた。帰り際に声を掛けたセドナには「明日はお休みですからね! 忘れないでくださいね!」と念を押される。流石に心配しすぎだ。確かに有給を取り慣れていない身ではあるが、明日はその日を共に過ごす人がいるので流石の私でも間違って出勤するなどという愚行は犯さない。はずだ。多分。
 午後六時の空を見上げるのは不思議な気分だ。家々から夕食の匂いが漂って、道行く人々は疲労を纏いながらも晴れやかな顔で歩いている。そういえば初めて見る光景に人々の健やかなるを嬉しく思いながら、自宅に近づくにつれ自然と足は早まった。
 見慣れた扉の前でふと立ち止まる。そういえば家に人がいる時の帰宅の作法を知らない。やはり呼び鈴は鳴らすべきか。いや私が家主なのだからそれは奇妙なのでは? しばし悩んで、結局普段通りに鍵を取り出した。なんの取り決めもなく呼び鈴など鳴らされてはリオセスリ殿も困ろうし、と考えたのが半分。もう半分は――反応がなく、誰もいなかったなら、と考えてしまったからだった。何の言伝もなく約束を反故にする男ではないと知っているのに。彼に恋をしてからというもの、感情というものの儘ならなさを思い知らされる。これを抱えて生きているのだから、人間の『芯』が強いのも当然のことなのかもしれない。
 鍵を回し、扉を開ける。つい息を潜めてしまって、私の中の冷静な部分に愉快げに笑まれた気がした。
……あ」
 思わず声が漏れる。三和土に揃えて置かれた一足の靴。私のものよりも二回りほど大きなサイズの、何の変哲もない紳士靴――休日だと言っていたから常のブーツではないのだろう――だ。
 その光景に、じわじわと湧き上がるこれは何だろう。くすぐったくて、温かくて、何故か気恥ずかしくもある、名状し難い感覚だ。
 いつものようにスツールに腰掛け、チャップスとブーツを脱いで、今日は隅に寄せられたそれの隣に並べてみる。
……ふふ」
 後になって随分と龍王の くらいに見合わぬ行動であったものだと顔を覆うことになるのを知らない今の私は、二つ並んだ靴を見て雨の中に飛び出したいような、思いきり海を泳ぎ回りたいような――わくわく、が近いだろうか、うん、恐らくそうだと思う。わくわくを胸に抱いてそれらを一頻り眺め、現金にも玄関扉を開ける直前の一抹の不安を忘れ去ってリビングルームへと続くドアを開けた。
ああ、ヌヴィレットさん。ご機嫌よう。お邪魔してるよ」
……ご機嫌よう、リオセスリ殿」
 瞬間、ふわりと鼻をくすぐる慕わしい匂いと、食欲を刺激する料理の香り。快い声が耳を撫でて、やわらかく融けたフロスティブルーが私を見つめる。それだけのものを貰っているのに、足りない、と、私の中の何かが言った。何が、と自問する。答えはすぐに出た。
「ああそうか」
「ヌヴィレットさん?」
「リオセスリ殿。『ただいま』」
 ぱちり、氷色 ひいろが瞬く。それから困ったように眉を下げ、彼は首を傾げた。
「あー、それは家主じゃない俺が言ってもいいやつかい?」
「家主である私が求めている」
 頷いて、その瞳を覗き込む。隠しきれない期待にもしかしたら爛々としてしまっていたかもしれない私の目を見つめていたリオセスリ殿は、ややしてから口を開いた。
「それじゃあ。おかえり、ヌヴィレットさん」
……うむ」
 彼の声で聞きたいと願った手紙の最初の一文を、こうして聞くことが叶った。実に満足だ。今の私は相当に締まりのない顔をしているだろうなと自覚しつつ、心のまま広い胸に抱きついてみる。リオセスリ殿からちょっと待ってくれ今抱きしめ返せないからと悲鳴が上がって、陶器と木材が触れあう音。どうやらその両手を占領していたサラダボウルが無事にテーブルの上に着地したらしい。間を置かずに背と腰に温もりを感じて、ふふと声が漏れた。
「君がいる」
「ん?」
「ここに私の領域に君がいるのが、堪らなく、嬉しい」
 目の前の肩に額を擦り付けて抑えられず浮ついてしまった声で呟けば、軽い咳払いのあとさらりと髪を彼の指が滑って、微温 ぬるま湯のようなやさしい声が、俺もあんたに直接おかえりと言えて嬉しいよと囁いてくれる。しばらくそうしてリオセスリ殿の体温に浸っていると、キッチンから音がした。私はあまり使う機会のないタイマーの音だ。邪魔が入った、と戯けたリオセスリ殿が頬に口付けをくれてから抱擁を解く。
「着替えてきてくれ。自宅での夕食は楽な格好で食べるものだろ?」
「うむそうだな」
 正直名残惜しかったが、今日この後から明日いっぱい共に過ごせるのだからと言い聞かせ、私は足早に部屋へ向かったのだった。

***

「あんたが『頑張って』帰ってくるって言うから少し張り切っちまった」
 私を席に座らせたリオセスリ殿がどこか照れたように笑う。テーブルの上には我が家にしては珍しい――もしかしたら初めてかもしれない――数の食器が並んでいた。バブルオレンジののったサラダとコンソメスープ。主食はライスだ。フォンテーヌではまず見ない組み合わせに首を傾げれば、リオセスリ殿がくつりと喉を鳴らした。
「家庭料理だし格式張らなくてもいいだろうってセンセイからのアドバイスがあってな。ライスの方が水分多いし、あんたの好みに合うんじゃないかと思って」
 『センセイ』――旅人曰く「ライスは大体何とでも合う」らしい。コメの状態であれば長期保存にも耐えるのでその点も旅の相棒として優秀なのだとか。
「なるほど。ライスは調理の過程でたくさんの水に触れる。焼くだけのパンよりも君の想いを感じられるので、そういった意味でも私にとってライスは好ましいと言える」
 楽しみだ、と頬を緩ませると、リオセスリ殿の肩がゆっくりと持ち上がった。深く息を吸った時の動きだが、先の会話の流れでその必要はあっただろうか?
 再び首を傾げる私になんでもないよと笑ったリオセスリ殿が、これで全部だと持っていた皿を置く。カタリと食卓に足並みを揃えたのはトマトファルシのようだ。そういえば“出来立て”を頂くのも初めてなのだとそこで気付いて、そわりと胸がうずいた。
「デザートはメリュジーヌのお嬢さん方から預かってる。おすすめを見繕ってくれたそうだ」
「そうか。箱を開けるのが楽しみだ」
 セドナか、或いはシグウィンからか、今日の事は彼女たちに知れ渡っていたようで、日中わざわざそれを届けに来てくれたのだという。素敵な夜をと伝言も預かったらしい。私としてはリオセスリ殿から“おかえり”を聞けたので充分『素敵な夜』になったと思っているのだが、それを伝えれば彼は無欲だなぁと笑うのだろう。嘘偽り無い本心なのだが、この胸の内を伝えるのは難しい。彼にも水を通して心を伝えられたらよいのだが。
 いただきますを口にして、カトラリーを手に取って。最初に手を伸ばしたのがスープだったことに予想通りだと笑われなどしつつ、リオセスリ殿が作ってくれた夕食を彼と共に味わう。ドレッシングを纏った瑞々しい野菜たち。ふっくらと炊けたライス。鮮やかなパプリカが覗く挽肉の詰まったトマトファルシは一般的なそれよりもニ回りほど小振りなトマトで作られている。溢れる肉汁と味の沁みたトマトのバランスが絶妙で、なんだかいくつでも入りそうな気がした。それほど健啖であるつもりはなかったのだが。
 味もさることながら、並んだ料理の全てからリオセスリ殿の想いが感じられることが心底から幸福で、もっと早く約束を こうすれば良かったと思う。彼は朝食も作ってくれるつもりらしいが、せめて何か一品でも任せてもらえないだろうか。私も想いを込めた料理を彼に味わって欲しい。
 そも我が家の冷蔵用マシナリーには何が入っていたのだったか。水以外を思い出せないそれの中身に思いを馳せながらライスをんでいて、ふとリオセスリ殿が手を止めているのに気付く。
「リオセスリ殿?」
 ライスを飲み込みその名を呼ぶと、うん、と返じたリオセスリ殿はその瞳を細める。
「俺の作ったモンがあんたの血肉になると思うといい気分だよ」
 しみじみ響いたそれに、身の内に取り込んだたくさんの想いたちが一斉に熱を発したような錯覚を覚えて思わずカトラリーを下ろした。
「うむ、そうか
 顔の熱さが食物の摂取による体温上昇のせいではないと理解できるゆえに恥ずかしくてはっきりとした意味を持たせられなかった答えと、彷徨ってしまう視線を楽しげに見つめてきながらバブルオレンジを飲み込んだリオセスリ殿がああと呟く。
「これも求愛給餌になるのかな」
 やめて欲しい。食事に集中できなくなってしまう。せっかくの美味を丁寧に味わいたいのに、こんなに鼓動が走っていたらそれもままならない。
 そんな私の胸の内などきっと彼には看破されていて、だというのにただやわらかく見つめてくるものだから困ってしまう。いっそ揶揄の一つでも飛ばしてきたなら反論のしようもあるものを。
 なるかならないかと問われれば、なる。恐らく。求愛給餌とは、つがいの繋がりを確認し強める行為であると同時にパートナーの栄養補給を助ける役割もある。その定義に照らせばつがいの愛情と栄養が詰まった料理を同じ空間で食すことは求愛給餌と称して差し支えなかろう、と、私は考える。
……そう思っていいのなら」
 というような事を一から説明するのは容易いがやや羞恥が勝るのと、ムードとやらに配慮して断定は避けた。彼のことだから一を言えば十理解してくれる。そんな信頼もあるので。果たして何かを察したようにそうかと呟くリオセスリ殿に、どうやら過不足なく伝わったらしいことに安堵してトマトファルシを乗せたフォークを口へと運んだ、ところで。
「じゃあそういうことにしておこう」
 たくさん召し上がれ。
 リオセスリ殿がとろりと笑う。喉を落ちていくトマトがぐんと甘くなった気がした。

***

「ヌヴィレット様、お疲れ様でした! 素敵な夜を!」
「ありがとう、セドナ。君も気をつけて帰るように」
 その小さな手を振って送り出してくれるセドナに手を振り返す。本日の私は『定時退勤日』だった。
 リオセスリ殿と夕食を共にすることが叶った日を境に、彼との話し合い訂正しよう、そのような堅苦しいものではなかった。スケジュール調整――まだ堅苦しい印象があるが生憎これ以上の語彙を私は持ち合わせていない――とセドナの協力を得てリオセスリ殿が訪れてくれる日は定時で退勤するようになったのだが、それが思いがけず周囲に影響を与えた。「事前の申告で必ず定時で退勤できる日」――『定時退勤日』なるものが制定されたのだ。常に定時内に職務を完了させることが最善ではあるのだが、物理的に難しいことも事実。ならばせめてできるところから、と進言を受けた私は、迷いなくサインを入れた。退勤後の時間を有意義に過ごすことにより翌日の作業効率が上がることを身をもって学んだからだ。皆にもそうあって欲しい。
 午後六時の通りを歩き、見慣れた扉の前に立つ。
 鍵を回して、扉を開けて。
 靴を並べて頬をゆるめる。
 リビングルームのドアを開ければ、『幸せ』の匂いが鼻をくすぐって。
「おかえり、ヌヴィレットさん。お邪魔してるよ」
「ただいま、リオセスリ殿。来てくれて嬉しい」
 抱き締めてくれる腕の中で、私は本日の夕食に思いを馳せて笑うのだ。

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ヌ様のリ殿大好きが溢れすぎて文字数すごいことになっちゃったけど推しカプに一緒に美味しいごはんを食べて欲しい女としては大変満足です楽しかった!お付き合いありがとうございました!