紫輝
2024-08-03 13:28:58
19176文字
Public リオヌヴィ
 

【リオヌヴィ】最高審判官の家にはご飯の精霊がいる【原神】

合鍵を渡したらふらっとやってきたセスリ殿がご飯作って帰ってくれたヌ様の話です。全3話+番外編。



1.野菜たっぷりクリームスープ


 リオセスリ殿に自宅の鍵を渡した。事の発端は約三週間ほど前、互いの不都合が重なり久方ぶりに顔を合わせ、逢いたかったと抱擁を交わしたその時のリオセスリ殿の言葉だった。
 曰く、「逢いたすぎてあんたの家に忍び込む方法を探そうと思った」。
 住居侵入罪は立派な犯罪である。そのような事をせずとも普通に逢いに来てくれれば良いし必要であれば住居の鍵を渡すことには躊躇いはない。私に君を裁かせないで欲しいと言葉を尽くしたところ、リオセスリ殿はその瞳を瞬き、肝に銘じるよと吹き出したのだ。直前の微妙な表情も含めて何故彼がそのような反応を示したのかはわからないままだが、ともかく――大切な恋人が軽犯罪者になる未来を阻止するべく、私は自宅の合鍵を彼に渡すことにした。
 湯浴みと就寝のために帰っているような家だが掃除はメリュジーヌ達が行ってくれているので人並みの清潔は保たれていること、家の中の物には好きに触れてくれて構わないこと、それから簡単な間取りの説明と共に何の変哲もない真鍮の鍵をその手の上に載せると、待遇が良過ぎるなぁと彼が笑う。それから鍵をその手で包み、大切にするよと囁いて――冒頭に戻る。少しばかり鍵が羨ましかった、というのは秘密だ。
 本日も時計の長針と短針が真上で重なり合うか合わないかという時刻に帰宅した。鍵を回し、ドアを開け、ふわりと鼻をくすぐる空気にまたたく。親しみはあるが己のものではない香りがしたからだった。思わず目を落とした三和土――稲妻式住居を参考に特注した。室内で裸足で過ごせるのは魅力的だ――には履き物の類はなく、どこか残念に思うと同時に現在時刻を鑑みてそれも当然かと思い直した。彼にも職務があるのだから、この時分まで滞在しているはずはないのだ。
 ダイニングチェアに荷物を仮置きし、まずは水を飲もうとキッチンへ向かおうとして、テーブルの上のそれに気づいた。メリュジーヌ達が海底で拾ったのだと贈ってくれた、平たくつるりと滑らかな石。鉱物の欠片を内包しているのか時折キラキラと輝くその石を、私はペーパーウェイトとして使用している。
 その石は今職務を果たしているようだった。掃除に来てくれたメリュジーヌ達がメッセージを残してくれることがある。今回は何があったのだろうと挟まれたメモ用紙を取り上げると、そこでは見慣れた筆跡が踊っていた。
『おかえり、ヌヴィレットさん。好意に甘えてお邪魔させてもらったよ。いい天気だったんで、あんたが言っていた窓辺での読書に勤しんでみた。確かにあれはなんとも言えない充実感があるな』
 メモ用紙から上げた視線で、窓際のソファを撫でる。好天の日、外を眺めたり本を読んだりと長い時間を過ごすために少しだけ拘った気に入りのソファに掛けてページを捲る彼の姿を想像して嬉しくなる。彼がここで安らぎを得られたのなら、それはとても喜ばしいことだ。そのうち続きを読ませてもらいにくるよと続く文字に、しばらくは蔵書の栞の位置を変えぬようにしなければと決める。彼の読み さしの本がどれか分からなかったからだ。律儀な彼は朝私がこの家を出た時の記憶そのままの部屋に整えて帰ってしまったので。
 朝の記憶にはないメモ用紙は、彼の心を続けて私に伝えてくれる。
『あんたのことだから今日も目を疑うような時間に帰宅したんだろう。もし定時で帰ってきてこれを読んでいるなら次に逢った時に申告してくれ。看護師長からたっぷり褒めてあげて、と頼まれているんでね』
 う、と思わず唸ってしまった。見透かされている、という気まずさと、惜しい事をした、という後悔。それならそうと事前に伝えておいてくれれば努力したのに。
 ワーカホリックも大概にするようにと彼には呆れ一割心配九割に微かな憤りを――人間は私に頼りすぎだと彼はたびたび苦い顔をする――添えたような声音で嗜められる日々だ。呼ばぬでもやってくる仕事が悪いといつだったか漏らしたら、そう思えるようになっただけ進歩だとなぜか褒められた。
 こんな時フリーナであれば、「そういう時はちゃんと早く帰ったって言えばいいんだよ」と笑うかもしれない。これも恋人同士の戯れの一つなのだと。しかし性格上嘘をつくのが苦手な私にそれは難しい。嘘をついて引き出した彼からの称賛は心地よさよりも罪悪感を連れてきてしまうだろうし、そもそもリオセスリ殿はひとの心の機微を感じ取るのが巧い男だ。あのフロスティブルーの瞳に捉われて、「本当に?」と囁かれたならなんの言い逃れもできない自信がある。彼ならばそれすらも楽しげに――それこそ『戯れ』の一環として――こなしてみせるのだろうけれど、初めから勝敗の見えている賭けをするよりもきちんと彼の提示する条件を満たして堂々と褒められたい。
 などど考えていることが知れれば周囲のものたちは吃驚の目を向けてくるだろうが幸いにしてここは自宅だ。よしんば宅外であったとしても、私の感情は表に出にくい性質であるし問題とは考えていない。
 生き物というのはどれだけ歳を重ねても褒められるのを嬉しく感じるものなのだと、それが普通なのだとリオセスリ殿に教えられた。
 これまでのあんたは完璧すぎて、隙が無さすぎてそういう機会が巡ってこなかったんだろう。今のあんたは随分雰囲気も柔らかくなったし、これからはそういうことがたくさんあるはずさ――あたたかく笑いながら寄越された頭を撫でる手と「いつも誰よりも頑張っていて偉いな」という言葉は、二夜 ふたやを明かしてしまった身体と心に少々効きすぎた。私は「頑張って」いて、どうやらそれは「偉い」事らしい。教えられてからというもの、またそれを与えてもらえはしないかと職務に知らず熱の入ってしまった事を今度は頑張りすぎだと嗜められてしまった。頑張るとは難しいのだなと溢した言葉に、あんたは頑張らない事を頑張るのが先だなと彼は笑ったのだ。彼の言うことは時々難解だ。
 リオセスリ殿に褒めてもらう機会を逃してしまったことを残念に思いつつ、次のそれ ・・が巡ってきた時のために業務スケジュールの見直しを検討するのを決めて、先の文章へ意識を向ける。
『あんたがひとより頑丈なのは知ってるが、あんたの体調を心配する存在が水の下に少なくともふたり、水の上には沢山いる自覚を持ってくれると嬉しい。そういうわけでスープを用意してみた。せめて栄養はきちんととってくれ』
 並ぶ文字たちにふわとあたたかくなった心が、続く文章に浮き立った。
 リオセスリ殿のスープ。水分の多い食事は私の好むところだが、中でもリオセスリ殿の作ってくれるスープは好物と言っていい。彼のやわらかくあたたかな想いがたっぷりと溶け込んだそれはひと匙ごとに私に幸福をもたらしてくれる。夕餉としてそれを口にしたなら穏やかな眠りは確約されたようなもの。一日の終わりを飾るにこれ以上のものはない。これに並べるものがあるとすれば彼の淹れてくれるナイトティーくらいだろう。
 本日の夕餉が確定した。実を言うと水だけで済ませてしまうこともそれなりにあるのだが、それをリオセスリ殿に告げるつもりはない。確実に叱られてしまうだろう事を口にしないくらいのことは私にもできるのだ。
『ああ、もしあんたの帰宅が数日ぶりだったらスープは廃棄してくれ。冷蔵用マシナリーに入れてはあるがなるべくいい状態で食べてほしいし、そもそもリスクの塊をあんたの口に入れたくはないからな』
 思わず日付を確認してしまった。一昨日も、昨日も、帰宅はした。帰宅はしたのだからこの手紙がしたためられたのが今日この日なのは確実だ。ほう、と、肺の奥から息をつく。彼が手ずから拵えてくれたスープを私自身の手でシンクに呑ませなければならなかったかもしれない未来など考えたくなかった。やむを得ずパレ・メルモニアに泊まり込むことがあるのは事実だが、今後は急いでやることもないからと軽い気持ちで帰宅を見送るのはやめようと決意する。彼がこうしてスープを用意してくれている可能性が少しでもあるのなら、それを味わい損ねることなどあってはならない。そういえば共律官たちの中にも仮眠室で夜を過ごす者がいると聞く。可能な限りそうなることのないように、私自身のスケジュールだけでなく業務体系そのものを見直すべきなのかもしれない。
 口に合ったら嬉しいよ。またパレ・メルモニアで――その一文で締められた手紙の、見慣れたリオセスリ殿のサインを指でなぞる。ゆるりと上がってしまう口角が自制できなかったが、自宅であるのだから構わないかと思い直した。嬉しい時は嬉しいと素直に表現してもらえると俺も嬉しいよと彼に言われていることでもあるし、その辺りも研鑽を積んでいきたいところだ。
 熟考の結果先に入浴を済ませ、改めてリオセスリ殿のスープと向き合う。温めて器に注いだそれは、ランプの光を穏やかに映す乳白色をしていた。小振りだけれど煮崩れてはいない、口に入れやすい大きさに揃えられた具材たちに彼の思いやりを見て年甲斐もなく浮かれてしまう。以前コンソメスープを作ってパレ・メルモニアまで持ってきてくれた時と違って、今回のスープは小鍋ひとつ分ほどしかない。どう多く見積もってもふた皿分が精々で、とてもとても残念に思う。二度目の熟考の結果、一皿分は明日の朝食とすることにしている。彼の想いを呑んで過ごす一日は、きっと素晴らしいものになるだろう。
 ひと匙口にすれば、ミルクと野菜のやさしい甘さが口内に広がった。シチューにも見えたそれはサラサラとしていて、例えるならばポトフにミルクを入れたもの、とでも言おうか。そこまで考えて、ああクリームスープかと思い至った。夜半のミルクは安眠へのチケットだと、そういえば彼は言っていた。けれど一般的なディナーの時間であればともかく、この時間に口にするにホワイトソースは少々重い。本来は塊肉かベーコン辺りが担うのだろう役割をハムが担っていることによりあっさりとした風味になっていることも含めて、メニューの選定からアレンジまで、リオセスリ殿の深慮によるものなのだろう。感嘆するばかりだ。
 一般的なそれよりも具材が多めの彼特製のクリームスープは、材料の本来の味を妨げないようにだろうか、コンソメの香りと抑えられた塩気がその甘さを引き立てる、美味なる一品であった。――愛しい男の想いが詰まっていることを判断材料から強いて除外しても、だ。
……うん、美味だ」
 思わず呟いた一言が静かな部屋に響いて消える。体内をゆっくりと満たしてくれるスープ 彼の想いに舌鼓を打ちながら、このスープを味わう時間を十分に確保するためにも明日は少し早起きをしようと決めた。

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ヌ様の一人称視点に挑戦してみたら思ったよりぽやぽやになってびっくりしちゃった