花形と藤真がそれぞれ別の高校出身だったら?というパラレルシリーズ

違う高校出身で同じ大学の花藤 藤真だけバスケをつづけている
花形に彼女がいて藤真は花形をこじらせている
2010年からいろいろなところで4年に1回更新してる 死ぬまでに完結させよう


親知らず下

 実家は混沌としていた。帰るなり邪険にされるであろうという予測は裏切られたが、代わりに花形は洗濯マシンと化していた。
 姉が出産したことはもちろん知っていたし、小さすぎる甥のまだくしゃくしゃだった顔に手のひらを当ててみて「握りつぶさないでよッ!」とも言われたが、その後あのアパートと研究室の往復だけに勤しんでいた花形は、子供がこんなに早く育つことも、また、男児の世話が戦闘だということも知らなかった。オムツを外すトレーニング中だという甥の戦績が刻まれた大量の洗濯物を干しながら、花形は彼の健闘を祈っている。
「透いると楽だわ~お父さん役に立たないしお母さん趣味の会合とかで全然家にいないんだもん、何のためにこっち帰ってきてるかわかんないよスーパーも遠いほらあ~ぶないよ!イタイイタイだよ!」
 歩くことを覚えた甥は重い頭を柱にぶつけて泣きだした。「あ~もう言ったのに~、痛かったねえ~、頭変形しちゃうねえ~」
 わんわん叫んでいる彼の足はまだ外側に開いていて到底二足歩行ができるとは思えない。これで歩こうとするその意志がすごいとぼんやり感動していると、「透はやく干して窓閉めて!危ないから」
……
 彼の敗戦が刻まれたシーツを洗濯バサミで留め、窓を閉める。甥の誕生に合わせて高性能のクーラーが導入されたリビングは優しい高原の気温だったが、労働後の花形には少し暑い。冷蔵庫を開けるとポットの中の麦茶は既に空に近く、花形はしぶしぶヤカンに水を入れた。
「あ~よしよしだ~いじょうぶだから、透おじさんも頭ガッコンガッコンぶつけてるけど無事生きてるからね~、あ、氷ないかも」
「はい
 製氷ユニットを取り出す。これ洗ってるのかな、とは思うが、洗おうとは思わなかった。姉が甥をあやすリズムで鳴き声が跳ねる。早くこれに屈辱を感じる歳になってほしいと心底願う。そして共に姉と戦ってほしい。
「安心しましたね~、よかったね~。あ、そういえば、おじさんと買い物行きたいねえ」
「いや、ちょっとまって」
「何」
「母さん戻ってから車で行ったほうがいいだろ」
「お母さん何時になるかわかんないもん」
「俺も今日泊まらないんだけど」
「何で?何しに来たの?」
 邪険にされた。よかった。予測は正しかった。
 邪険にされてまで何をしに来たのかというと、藤真の遺言、生きてた、藤真の言葉の謎を探るためだった。言葉通りに受け止めるのならば探るもクソもないのだがいかんせんこの数カ月の記憶も曖昧な花形が高校時代のことをすぐに思い出せるわけがなかった。その程度かと問われたら拒否したかったけれど、実際花形は藤真のことを覚えていなかったのだ。藤真が覚えているという花形が本当に花形かどうか即座に判断できないくらいに。
「卒アル見に来た」
「はあ~?1年じゃあるまいし何なの?同窓会狙い?今を生きなよ」
「違う」
「じゃあ買い物いこうよ。おしり拭くやつないの」
「トイレットペーパーで訓練しなよ」
「うっわひっど!聞いた?忘れていいからね~透おじさんはひどいねえ~自分のことばっかりだねえ」
 モテないよあれは、と不名誉なことを甥に語りかける姉の言葉はヤカンの笛でシャットダウンされた。「麦茶どこ?」
「砂糖とかのとこ」
 麦茶をいれたら物置きと化している自室に退散しよう。
 紙パックをちぎりながらふと、そういえば姉も同じ学区の人間だったと思い立ち、「藤真って知ってる?」と聞いてみた。「俺の同級生」
「え?なに?だれ?」
「ふじま。藤真
 沈まない紙パックを引っかかっている菜箸で押し込む。気泡と茶色い筋が上がってくるのを眺めながら、尻ポケットから携帯を取り出す。アドレス帳、ふ、ふ、ふ、「藤真健司」
「え~、誰だろ。何で」
「大学が一緒で。多分バスケ部の、なんか綺麗な」
「ああ!知ってる!知ってる知ってる超美少年、欲しかったなあ~あんな弟。いや、息子ならなれる!なれるよ~えい!えい!おー!」
どこ高だったっけ」
「え~、」と姉は首を傾げたが、すぐに聞き覚えのある学校名を口にした。「ユキちゃんと同じ。そういやユキちゃんさ」
 ユキちゃんなる人物は知らないが、高校名を口に出してみる。脳内で反芻する。
 対戦はしたかもしれない。だが、公式大会であたったかどうかは覚えていない。花形の高校はそこまで強くなかったから、公式試合は数試合だった。ベンチの自分を藤真が覚えているとは考えづらいし、さすがに自分が出た数試合のことは覚えている。
 そんな記憶の中でもこのありさまだったとしたら、藤真の高校だって大して強くはなかったことになる。そうなのだろうか?体育会バスケ部どころか、体育学部に行くような奴がいたのに。
 でっかくて動けるすげーセンターだなあ。とか言ったな。藤真の高校は?どんなチームだった?
 でっかくて動けるすげーセンターだなあ。お前大学「あっつ!」
「何しパック破けてんじゃん!何してんの」
濾して飲んでください」
「濾しといてよ」
「帰る」
「濾してってよ。ってか夕飯くらい食べてきなよ」
「また来る。菌混ぜなきゃ」
「気持ち悪いことやってますね~おじさんは。卒アルは?」
「載ってないからいいや」
「透マジで何しに来たの」
 邪険にされたが目的は果たした。
 涙の跡も乾かぬまままた歩こうとしている甥に手を振る。思い切り手を振り返してくる彼に健闘を祈られた気になったが、何の健闘だ?と思った瞬間、甥は腕の動きでバランスを崩してまた泣いた。

 帰りの電車ですぐにメールを送ったが、藤真から返信はなかった。アパートで鉢合わせることもなく数週間が過ぎ、夏休みを目前にした研究室はさらなる修羅場を迎えていた。というか、主に花形に修羅場が訪れていた。院試が近い。藤真と言う名の親知らず、下、がうずいていたが、さすがに院試は放置できなかった。
 ほとんど立ち寄ったことのない学務に行き願書を受け取ると後ろから肩を叩かれた。振り返ると別れた彼女がいた。
「わ」
「わって」
「いや、ごめん」
「院試の?」
「そう。そっちも?」
「別件。ていうか私、他大だってば」
 そうだった。
 度重なる似たような不祥事に対し自分の欠陥を真剣に疑い始めた花形だったが、彼女は慣れたもので、無表情のまま、大きな目の上の眉を少し上げるだけだった。「元気そうでなにより」
ごめん。嫌味?」
 彼女はふっと鼻で笑った。「違うよ。ごめんごめん大丈夫」
「いや
「花形君がそういうやつだってみんな知ってるから」
 あ、おんなじこと言うんだな、と思う。藤真とだ。
「最近ほんとに反省してるんだよな」
「それって私のことじゃないでしょ」
そう」
 膝蹴りを食らう。「はくじょーもん」
 またおんなじことを言われた。
「しかも図々しいんだよな」
「分かってんじゃん」
 ひと気のない学務では、奥のほうでパタパタとキーボードを叩く音と、実家とは違う容赦のないクーラーの音だけが響いている。藤真が早く連絡をくれないと、思い出しかけた声が遠くなりそう。
 終わってしまった会話をどうしようかと彼女を見ると、彼女はまた無表情に戻っていた、藤真と似た。

 研究室、には寄らず、アパートに向かった。自転車を漕ぐそばから汗が吹き出てきて乾かない。異様に湿気るこの一体は何もかもにカビが生えて仕方ない。
 収集日も何もない無法地帯のゴミ置き場には相変わらずゴミ袋がうず高く積み上げられていた。脇の置場に自転車を止めると蚊がまとわりついてくる。もう夏だった。そういえば。
 藤真宅には鍵が掛かっていたので、花形は向きを変えてドアに背をつけ、封筒から願書を出して眺めはじめた。意外と簡素な中身だったが、さっきまとわりついてきた蚊に刺されたらしい肘のあたりがむずむずすることに気を取られ、何を準備すればいいのかにまでは頭がまわらない。思考は湿気の中に拡散し、代わりに藤真の声になる。でっかくて動けるすげーセンターだなあ。
 この間の声ではなかった。これは高校時代に言われたのだ。藤真の高校に勝ったときだった。でっかくて動けるすげーセンターだなあ。お前大学どこ受けるの?
 バスケ部にいないからさ、もう諦めてたけど。
 藤真の高校は、藤真のワンマンチームだった。藤真はあの顔もあってスター選手だったが、チームメイトに恵まれなかった彼の学校は、花形の学校よりも先にやぐらから消えたくらいだ。
 花形はそれでバスケットを辞められたけれど、藤真はそうではなかった。花形なんかのことを覚えているくらいには。それどころか、見かけたからって声をかけてくるくらいには。バスケ部入ればよかったかなと思いながら肘をかいている薄情者の花形に、あんな顔をするくらいには。
 彼女と藤真の無表情を混同するのは、きっと彼らが二人とも、同じような感情でこちらを見ているからだろうと、花形は推測した。あれはきっと何かを諦めようとしている顔だ。例えば何だ、例えばそうだ。この薄情者の自分とか。
……
 考え過ぎだ。というかうぬぼれすぎだ。
 いたたまれなくなって「な~んて」と声に出した瞬間、階段から、茶色い頭が現れた。
お前何やってんの」
何やってんだろ」
 いたたまれない。「煮物ある?」
「もうねえよ!」
 いつの話だと思ってんだお前生きてんのかちゃんと、などとぶつくさ言いながら、藤真は鍵を開け、それでもいたたまれなくなっている花形を先に押し込んでくれた。「そういやメール返してなかったな」と言い訳のようにつぶやきながら。